百二歳の終焉
その夜、結城家を包んでいたのは、悲しみというよりも、どこか凛とした静謐さだった。
窓の外では春の夜風がそよそよと吹き、満開を過ぎた桜の花びらが、街灯の光に透かされながら舞い落ちている。
「じいじ、お水飲む?」
枕元で声をかけたのは、孫の娘――終にとっては玄孫にあたる少女だった。
結城 終は、ゆっくりと瞬きをして、愛らしいその顔を見つめた。視界は霞み、耳に届く声は遠い。だが、その瞳には、かつて数多の故人を送り出してきた葬儀屋としての、深く穏やかな知性が宿っていた。
「……いや、大丈夫だよ。ありがとう」
枯れ枝のような手が、少女の頭を撫でる。
結城 終。享年百二。
代々続く葬儀社の主として、彼は八十年近い歳月を「死」とともに歩んできた。
ある時は、畳の上で大往生を遂げた老人のために。
ある時は、あまりに早くその幕を閉じてしまった幼子のために。
ある時は、誰にも看取られることなく逝った孤独な魂のために。
彼は常に黒いスーツに身を包み、背筋を伸ばし、遺族の悲しみに寄り添いながらも、決して自らがその淵に沈むことはなかった。
「死とは、人生という物語の最後の一行です。それを丁寧に、美しく綴じるのが私の仕事ですから」
それが彼の口癖だった。
ふと、意識の端で懐かしい光景が蘇る。
数十年前、まだ彼が働き盛りだった頃のことだ。
「地元の神の末裔」と噂されていた、山奥に住む風変わりな一族。その最後の一人を看取ったのは、終だった。
親類もおらず、村人からも敬遠されていたその老人の葬儀を、終は手を抜くことなく、一族のしきたりを調べ上げ、完璧な礼法で執り行った。
誰もいない葬儀場の祭壇。
最後の一人を送り出し、祭壇の灯明を消そうとしたその時。
闇の中から、金色の光が溢れ出したのを覚えている。
『祈る者がいなくなった。私もこの世界から移ることにする』
荘厳でありながら、どこか寂しげな声だった。
『だが、人の子よ。最後まで丁寧に我が血脈を愛してくれたお礼を。……これは、いつか君が私のもとへ来る時のための、私からの餞別だ』
その光は終の胸の中に吸い込まれ、温かな熱となって身体に馴染んだ。
翌朝、目が覚めた彼は、それが長い夢だったのではないかと考えた。体調はすこぶる良く、その後も大きな病をすることなく、彼は天寿を全うする日まで葬儀屋としての職務を全うしたのだ。
(ああ……あれは、夢ではなかったのだな)
胸の奥が、あの時と同じように温かい。
家族たちの「ありがとう」という囁きが、子守唄のように聞こえる。
終は、満足げに一つ、深い息を吐いた。
心臓の鼓動が、ゆっくりと、しかし確実に、そのリズムを止めた。
一〇二年の旅路。
結城 終の人生という物語は、これ以上ないほど美しい結びの言葉で、その頁を閉じた。




