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口を開くなと言われたので、黙って婚約破棄されました ーーでも、本当のことしか話せない呪いは、どうやら祝福だったようです

 私は、あの日のことをよく覚えている。

 庭園の噴水のそば。陽射しは柔らかくて、噴き上がる水は虹をかけていた。七歳の第一王子アラン殿下と、六歳の私。手をつないで走っていた、その時だった。


 黒衣の男が突然あらわれ、血走った目で殿下を指さした。


「見つけたぞ、王家の小僧……! 呪われて、死ね!」


 地面に黒い紋章が刻まれる。ぞわり、と背筋を駆け上がる嫌な気配。

 びっくりして目をぎゅっとつぶった数秒後――衝撃が、私の胸に突き刺さった。息が詰まるような痛み。喉の奥が焼けるように熱くて、視界がぐにゃりと揺れる。

 ――いやだ。死ぬのは、こわい。

 必死で何かを掴むように、私はただ目をつぶっていた。


 気づけば、黒衣の男は騎士たちに取り押さえられ、私は地面に倒れ込んで、殿下に覗き込まれていた。


「ソフィア! おい、ソフィア!」


 殿下の金の髪が、光を跳ね返して眩しい。


「……大丈夫です……」


 そう言ったつもりだった。だけど、私の口からこぼれたのは、まったく別の言葉だった。


「殿下、今、私を身代わりに差し出しましたよね。それに、何か言われたら『ソフィアが自ら自分を庇った』ということにしようとしていましたね」


「……は?」


 殿下の顔が固まる。どうして、こんなことを喋ったのか、自分でもわからない。「だいじょうぶ」と言いたかっただけなのに、口が勝手に動いた。

 …私は目をつぶっていたから、何が起こったかなんてわかりっこないし、殿下がどういうつもりだったのかなんて、知るはずもないのに。


 その日からだ。

 私が“本当のことしか話せない”ようになったのは。あとで宮廷魔術師が言うには、あの黒い呪いは殿下を狙ったもので、私が"身を挺して庇った"結果、形を変えて私に刻まれたのだという。


 《真言の呪い》

 どんなことでも、口にすれば“真実”がこぼれ落ちる。知っていようがいまいが関係ない。

 心で否定しようと、従いたくなくても、私の口は“正しいこと”を選んで勝手に喋る。

 それは呪いであり――同時に、とんでもなく厄介な力だった。


「殿下はさっき庭師さんの壺を割って、勝手に片づけさせました。

 もし怒られたら、全部私のせいにするつもりでしたね」


 別の日、庭で遊んでいたときのこと。そのときも、私の口は勝手に喋った。

 庭園の隅で控えていた庭師が、割れた壺の欠片を抱えたまま絶句する。


「……ソフィア?」


「ち、違う! そう言うつもりじゃ……!」


「お前のせいで、全部ばれたじゃないか」


「ごめん、なさ――」


 謝ろうとした途端、また口が勝手に動いた。


「殿下が最初に壺の上に乗って遊んでいたからです。私はやめてくださいと止めましたが、殿下は聞きませんでした」


「やめろ!!」


 殿下が顔を真っ赤にして叫ぶ。その顔は、涙で滲んでいた。


「お前の口は、ろくなことを言わない!

 そんな呪い、いらない! ……口を開くな! 俺を困らせるな!」


 その言葉は、子供の癇癪だったのかもしれない。けれど、幼い私の胸には深く突き刺さった。私は小さく頷く。


「……はい、殿下」


 私は従った。

 殿下の命令は、私のすべてだったから。


 後日、私とアラン殿下の婚約が決まった。

 理由は、「命の恩人への感謝」と「呪いの責任を王家で取るため」。美談としてきれいにまとめられ、その話は王都中で囁かれた。

 誰も知らない。

 当事者である私が、その日からずっと、殿下の言葉を唯一の戒めとして生きていくことになるということを。


 ――口を開くな。

 俺を困らせるな。

 それが、私が十年間守り続けた“婚約者としての在り方”だった。


*****


 ――それから、十年。

 私は、ほとんど喋らない人間として育った。


 喋れば誰かが傷つく。喋れば誰かの秘密が暴かれ、怒りを買う。喋れば殿下を困らせる。

 だから、黙っているのがいちばん安全だった。

 そして、殿下は。

 いつしか、あの日の呪いのことなど、すっかり忘れてしまったらしい。

 今の殿下にとって、私はただの――


「……無口でつまらない女、ですか」


 最近、殿下によく投げつけられる言葉を、自嘲気味に呟く。鏡に映る私は、肩で切りそろえた栗色の髪に、おとなしい瞳。どこにでもいる平凡な公爵令嬢だ。

 今日は、殿下主催の舞踏会。

 殿下の婚約者としてのお披露目の華やかな場――になる予定、と聞いている。


 殿下の婚約者。それは建前上、十年前からずっと“私”だった。けれど最近、殿下はいつも、別の女性ばかり見ていた。

 侯爵令嬢クリスティナ・ローゼンベルク。これぞ貴族の姫、というような絵から抜け出したような美女だ。

 柔らかな金髪。煌めく青い瞳。話題の中心にいることが当然というような自信。そして、殿下の隣に立つのがお似合いだと、誰もが思う“華”。

 私は、彼女が笑う様子を、遠くから黙って眺めていた。彼女が殿下の耳元でなにか囁くたび、殿下が嬉しそうに笑うたび、胸の奥が、少しだけしくしくと痛む。

 それでも、口には出さない。出せない。


 真言の呪いのことを知っているのは、今やごく一部の古い文官と魔術師たちだけだ。殿下も、王と王妃も、覚えてはいないだろう。十年前の幼い日の話なんて、いまの彼らにとって取るに足らない出来事だ。

 私にとっては、人生を変えた一日なのに。

 ――そんなふうに、いつも通り静かに壁際に立っていたときだった。


「ソフィア・アッシュベリー公爵令嬢!」


 突然、自分の名を呼ばれ、心臓が大きく跳ねた。大広間の中央、人々がざざっと左右に割れて道を作る。その先で、王子アラン殿下が立っていた。深紅のマントに、金の刺繍が眩しい礼装。隣には、薔薇色のドレスをまとったクリスティナ嬢。

 殿下の目が、まっすぐ私を射抜く。


「こちらへ」


 ざわ、と微かなざわめき。なにか、嫌な予感がした。しかし、足は自動的に前へ出る。王命に逆らうことなどできない。そういうふうに、十年かけて躾けられてきた。

 殿下の前で、私は膝を折り、裾をつまんで礼をする。


「お呼びでしょうか、殿下」


 声は、なるべく短く。

 余計なことを言わないよう、息を詰める。殿下の唇が、緩やかな弧を描いた。

 ――あ、これは、私の知っている“嫌な笑い方”だ。

 心の中で、小さくため息をついた。


「ソフィア。十年前から、君は僕の婚約者だった」


「……はい」


「けれど、今日をもって――それを破棄する」


 大広間が、一瞬で凍りついた。

 誰かが短く息を呑む音。グラスが手から滑り落ち、床で砕ける音。私の心臓も、どくん、と大きく跳ねたが――それだけだった。

 驚きは、なかった。だって、とうの昔に、覚悟はできていたから。

 殿下は続ける。


「君は、僕の命の恩人だ。それは否定しない。

 けれど十年のあいだ、君は僕の隣にいて、ほとんど何も話さなかった」


 ……それは、殿下が「口を開くな」と言ったからです、とは言わない。言ったところで信じてもらえないし、なにより、今ここでその真実を“口にする”のは、危険すぎる。

 だから、黙っている。いつものように。


「王太子妃には、国民に愛される華が必要だ。舞踏会で笑い、言葉で人々を魅了し、ときに国を導く者が。

 ずっと黙ってうつむいているだけの君では、王太子妃は務まらない」


 その言葉に、クリスティナがすがるような視線で殿下を見上げる。

 殿下は優しく微笑み返した。


「だから僕は、真実の愛を選ぶ。

 ――クリスティナ・ローゼンベルク。僕の新たな婚約者として迎えよう」


 ぱちぱちぱち、と、控えめな拍手。

 しかし、広がらない。みんな、空気を読みかねているのだろう。王と王妃は、諦めたように溜息をつきながらも頷き、場の空気を“祝福”の形に持っていこうとする。その中心で、私は、ただ静かに立っていた。

 ああ、そう。

 やっぱり、そういう結末になるのね、と。


「ソフィア。顔を上げろ」


 命じられ、私はゆっくりと顔を上げる。殿下の瞳が、苛立ちに揺れていた。

 ……ああ、まただ。

 私が“殿下の望む反応”をしないとき、いつもそういう目をする。


「何か言いたいことはないのか」


 あるといえば、ある。でも、言ったら大変なことになる。だから、私は唇をきつく結んだ。

 ――沈黙。

 殿下は、さらに苛立ちを募らせる。


「相変わらずだな。こういう場でさえ、黙りこくって。

 十年も婚約者として側にいながら、僕を讃えることも、愛を囁くこともなかった」


 ――それも、殿下が「嘘をつくな」「何も言うな」と子供の頃に散々言ったからなんですけどね。

 でも、そのことを思い出している様子はない。殿下の中で、あの日の庭園の記憶は、とっくにどうでもいい出来事になってしまったらしい。


「最後くらい、何か言ってみろよ」


 ぐ、と、顎を掴まれる。

 上を向かされ、逃げ場のない殿下の視線を浴びる。広間の視線が、痛いほど刺さってくる。王、王妃、貴族たち。クリスティナの、勝ち誇ったような笑み。

 ……やめてほしい。

 喋らせようと、しないでほしい。

 私は、喉の奥に溜まった言葉を呑み込もうとする。

 でも、《真言の呪い》は、「話したくない」という気持ちを、いつも軽々と踏み越えていく。


「……」


「沈黙は、肯定と同じだぞ。

 自分が無能で、つまらない女だと、そう認めるのか?」


 無能で、つまらない――。

 十年間、王命どおり黙っていた結果が、これなら。このまま、黙って下を向いたまま去るのは、きっと、後悔する。

 私は、そっと目を閉じ、ひとつ息を吸った。そして、口を開く。


「……本当に、よろしいのですね?」


 殿下の眉がぴくりと動いた。


「何がだ」


「私に、話させてしまって」


 その瞬間、空気がわずかに震えた気がした。古い魔術師たちが、血の気を引いた顔でこちらを見ているのが、視界の隅に映る。

 ――思い出してください、殿下。

 あなたが最初に私に命じた言葉を。


「話させてやるよ。どうせ、お前にはそれしかできないんだからな。

 さあ、言ってみろ。自分の婚約破棄を、俺たちの真実の愛について、どう思う?」


 視界の端に映ってる古い魔術師たちが、どうにかしなければとざわめき始める。

 ――気づいた人は、気づいたのだ。

 これから起きることが、取り返しのつかない事態になるということを。

 でも、もう遅い。

 呪いが、舌を掴んで離そうとしない。私は、一度閉じた目を開き、まっすぐ殿下を見上げた。


「そうですね。――まず、殿下のことから」


 広間の空気が、ざわりと揺れる。


「殿下は、昨夜も書類整理を装って執務室に侍女を呼び、

 机の上に座らせて、書類ではない“なにか”を散々触っておられましたね」


「!?!?」


 グラスを落としたのは誰だろう。どこかで、盛大に砕ける音がした。


「お、お前、な、なにを――」


「一昨日は訓練場の倉庫で、その前は、庭園の東屋にお誘いになっていました。

 ああ、でもクリスティナ様の前では、侍女たちのことはこけた拍子に“ちょっと肩を抱いただけ”と言っていましたね。実際には、抱いていたのは肩ではありませんでしたけれど」


「やめろっ!!」


 殿下が叫んだ。

 顔が真っ赤になり、耳まで真っ赤で、むしろ気の毒になるくらいだ。クリスティナが、ひきつった笑みを浮かべて私を睨んでいる。


「うそよ! そんなの、嘘に決まってるわ!」


「嘘は言えませんよ、私」


 それは、事実だ。


「だって、私、《真言の呪い》にかかっていますから」


 その言葉を聞いた瞬間、古い文官が「やはり……」と頭を抱えた。王と王妃の顔色も、見る間に悪くなる。けれど殿下は、まだ理解していないようだった。


「な、なんの話だ……!」


「本当のことしか話せない呪いですよ。

 知っていることも、知らないことも、“真実”だけが口からこぼれる。十年前、殿下の身代わりとなった時に、私が受けた呪いです」


「十年前……?」


 殿下の瞳が、少し揺らいだ。けれど、思い出すには、あまりに時間が経ちすぎていたのだろう。

 私は、視線を隣のクリスティナに移した。


「では、次にクリスティナ様のことを」


「やめなさい!」


 クリスティナが叫んだ。

 しかし、もう遅い。

 舌は、もう動き出してしまっている。


「クリスティナ・ローゼンベルク様。

 ――本名は、クリスティナではありませんね」


「な……」


「本当のお名前は、

 敵国オルディア王国諜報部所属、《紅薔薇》のアメリア。任務は、殿下に取り入り、この国を内部から崩すこと」


 広間が大きくざわめいた。

 騎士たちの手が、思わず剣の柄に伸びる。王と王妃の顔が、これ以上ないほど青ざめる。

 クリスティナ――いや、アメリアがわなわなと震えた。


「な、なんで、そんなこと……」


「さあ。私にもわかりません。ただ、あなたのことを喋れと言われたので、口が勝手に喋っているだけです」


 肩をすくめると、アメリアは絶望的な顔で後ずさった。


「やめろ、誰か、あの女を黙らせろ!」


 王の叫び。

 けれど、誰も動けない。

 今、私に下手に触れれば、その手を伸ばした者の秘密まで暴かれる可能性があることを、古参の者たちは本能的に理解しているのだろう。


「せっかくなので、王妃様と陛下のことも少しだけ」


「お黙りなさい!!」


 悲鳴じみた王妃の声が、天井に反響する。

 でも、遅い。


「王妃様は、ここ一年ほど、侍従のエドガー様とご関係を持っておられますね。日記に、たいへん赤裸々な記録をつけていらっしゃいます。

 王妃としてのストレス発散に、“若い男は最高”と」


「ぎゃああああ!」


 王妃が耳を塞いでしゃがみ込んだ。

 侍従の青年は、真っ白になってその場に倒れる。


「陛下は、国庫からの横領を五年前から続けておられます。

 オルディアとの裏取引に使われた金も、本来ならば、被災地の復興に使われるはずのものでした。

 ご自分で署名した書類が、地下保管庫に眠っていますよ」


 王ががくりと膝をついた。広間は、もはや地獄絵図のようだった。

 悲鳴、怒号、すすり泣き。

 誰かが「神よ」と祈り、誰かが「嘘だ」と叫ぶ。

 ただひとつ、はっきりしているのは。今、この場で暴かれているのは、すべて“事実”だということ。

 私はゆっくりと殿下を見た。


「殿下。私が黙っていたのは、殿下が“黙れ”と命じたからです」


 殿下の瞳が、大きく見開かれた。

 ――ああ、やっと、少し思い出したようね。


「庭園での、あの日。殿下の悪戯を口走ってしまった私に、殿下は言いました。

 『口を開くな』と。『俺を困らせるな』『余計なことを言うな』と」


「そ、それは……子供のころの、戯言で……!」


「でも、殿下は一度も訂正なさいませんでした。十年のあいだ、一度も。

 もし『もう喋ってもいい』『本当のことを話してくれ』と、殿下が言ってくださっていたなら――」


 私は、少しだけ笑った。


「この国が、ここまで腐る前に、止められたかもしれません」


 沈黙。

 重く、冷たく、救いのない沈黙。殿下は、口をぱくぱくと開閉させていた。


「……お前、そんなこと、わかってて……!」


「わかっていたからこそ、黙っていました。私が口を開けば、誰かの人生が壊れる。殿下の周りにいる人たちが傷つく。殿下が好きなものも、信じているものも、壊れてしまう。

 だから私は、黙っていたのです」


 殿下にとって、それは“つまらない”“無口で役立たず”な婚約者。

 私にとっては、“殿下の望みどおり”の在り方だった。


「ソフィア……」


「でも、もういいのです。殿下は、私との婚約を破棄なさいました。

 ――でしたら、私はもう、殿下の望む“沈黙”を守る必要はありません」


 殿下の喉が、ごくりと鳴る。その顔は、十年前、庭園で見たときと同じだった。自分の知らない“真実”を突きつけられた子供の顔。


「戻ってこい、ソフィア……!僕が悪かった、今からでも――」


「もう遅いですよ、殿下」


 気づいたときには、いつだって遅い。それが、真実というものだ。

 私は、深く礼をした。


「ソフィア・アッシュベリー公爵令嬢との婚約破棄。たしかに承りました。

 これをもって、私は殿下を、王家を、国を守る義務を失います」


 古参の文官が、顔を覆った。

 彼だけは、私の言葉の意味を、正しく理解しているのだろう。


「ま、待て! まだだ、まだ――」


「それでは、さようなら、殿下。どうか、真実に潰されずにお元気で」


 くるりと踵を返し、私は大広間を後にした。背後で、誰かが叫ぶ声が聞こえた。

 「捕らえろ」「待て」「裏切り者め」と。

 でも、もう関係ない。

 私は、殿下の婚約者ではないのだから。


 その夜、私は実家の公爵邸に戻ると同時に、荷物の半分をまとめ、旅支度を整えた。

 向かう先は──以前からひそかに文通を重ねていた隣国、ヴァールハイト王国。真実を尊ぶ国。

 《真言の口》を“祝福”と呼び、重んじる文化を持つ国。私の呪いを“欲しい”と言ってくれた、唯一の国だった。


 *****


「ようこそ、ヴァールハイト王国へ。ソフィア殿」


 城門をくぐった先で、柔らかな声が私を迎えた。

 出迎えに現れたのは、ヴァールハイト王国の第二王子、ベルダ・ヴァールハイト殿下。

 飾り気のない紺の上着に、穏やかな灰色の瞳。何度か手紙を交わしただけの相手なのに、不思議と安心する空気をまとっている人だった。


「長旅でお疲れでしょう。まずはお部屋へ――と言いたいところですが、先にひとつだけ、お願いがあります」


「お願い、ですか?」


 殿下は頷き、少しだけ真剣な表情になった。


「この国は、“真実”を重んじます。あなたの《真言の呪い》は、この国にとって祝福です。ですが、それは同時に、あなたに重荷を背負わせる力でもある」


 ベルダ殿下は、ゆっくりと言葉を選ぶように続ける。


「ですから、これからあなたに語ってほしい真実は、すべて、あなた自身が“話したい”と思ったときだけにしてください。

 誰かが強要することは、僕が許しません」


 胸の奥が、じん、と熱くなった。

 誰かに、そんなふうに言われたのは、初めてだった。話したいときだけ、話していい。話したくないときは、黙っていていい。

 そんな当たり前のことを、私は今まで一度も認めてもらえなかったのだ。


「……本当に、よろしいのですか?」


 気づけば、そう問い返していた。

 殿下は目を細めて笑う。


「ええ。あなたの真実を、この国は歓迎します。

 《真言》の口を持つ者の言葉は、時に国を救い、時に誰かの人生を変える。だからこそ、大切に扱わなくてはならない」


 彼は、私の手を取って、胸に当てた。


「ようこそ、ヴァールハイトへ。

 ──ソフィア。

 ここは、“あなたが自由に話していい国”です」


 涙が、ぽろりとこぼれた。

 自分でも驚くくらい、あっさりと。


「す、すみません……」


「涙が出るのも、本当の気持ちでしょう?」


 殿下の言葉が、胸の深いところに沁みていく。

 私は、そっと笑った。


「はい。

 ……ここに来られて、うれしいです」


 呪いが、舌を滑っていく。でもそれは、痛みではなかった。

 ただ、ありのままの本心が、言葉になって溢れ出た、というだけのこと。ベルダ殿下は、心底嬉しそうに笑った。


「その言葉だけで、十分です。

 これから、どうかよろしくお願いしますね、ソフィア」


 手を引かれながら、ふと、遠く離れた故国のことを思う。

 あの国は、今ごろどうなっているだろう。

 王妃と侍従の不貞。

 国庫の横領。

 敵国スパイの潜伏。

 どれもこれも、私の口から出た“真実”だ。

 隠していた膿を、一気に掻き出されたようなものだろう。国は、大混乱に陥っているに違いない。

 そして、あの人は。

 無口でつまらない、と私を切り捨てた王子アラン殿下は――


「……もう、いいですよね」


 小さく呟く。

 もう、いい。

 もう、関係ない。

 私は、あの国を守る義務も、彼の望みを叶える義務も、失ったのだから。

 彼が“真実”に押し潰されようと、“嘘”に溺れて滅びようと、知ったことではない。

 それは、彼自身が選んだ結果だ。

 私が黙っていた十年も。

 私を黙らせていた十年も。

 そして、婚約破棄を突きつけたあの日も。

 全部、彼自身の選択だったのだから。


「どうかなさいましたか?」


 ベルダ殿下が、覗き込む。私は、首を振って笑った。


「いえ。ただ――」


「ただ?」


「私、こちらでなら、少しはお喋りになってしまうかもしれません。鬱陶しくなったら、遠慮なく言ってくださいね」


 ベルダ殿下は、目を見開き、それから声を立てて笑った。そうして、私はヴァールハイト王国で新たな日々を歩み始めた。

 “口を開くな”と言われた国から、

 “口を開いてくれ”と言ってくれる国へ。


 ――あの日、婚約破棄を突きつけてくれて、ありがとう、殿下。

 気づいたときには、もう遅い。

 そういう真実も、世の中にはあるのだと、あなたもそのうち知ることになるでしょう。

 もちろん、そのとき、私の口があなたのために動くことは、二度とありませんけれど。

 だってこれは、もう……私の祝福なのだから。



~fin~

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― 新着の感想 ―
王家の痴態を晒された国とか崩壊するしか無いわな。 と言うかよく城から無事に逃げ出し、王家の刺客にも合わず平和に他国入りできたな、この令嬢。城の時点で斬り殺されていそうだけど。
>「ソフィア・アッシュベリー公爵令嬢!」 > 殿下の目が、まっすぐ私を射抜く。 >「こちらへ」 >王命に逆らうことなどできない。 文脈から誰の台詞か明確ではないけど、王子の台詞だったら王命ではないと…
無理やりだったら侍従が1番可哀想。
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