第四話 昼休み、屋上で
「あ、でも……」
突然、また陰鬱な影を浮かべて呟く。
さっきまでの微笑が嘘のように掻き消えて、不安げな表情へと移る。
——なんか壊れかけのランプみたいに表情がコロコロ変わるな。
「……でも、やっぱりあんまり学校では話さない方がいいよね」
ぽつりとそう言って、アヤメは視線を落とす。
「死神と話しても楽しいことなんて何もないだろうしそもそも私と話すメリットなんてないし朔夜の時間奪っちゃうから関わるのは必要最低限にしたほうがいいかな」
びっくりするほどの早口で、そんなネガティブな言葉を畳みかけるように吐き出してくる。
「だって……」
絞り出したように震えたその声を、僕は遮った。
「『死神だって人間だって変わらない』——さっきアヤメが言ったんだろ?」
そう言うと、アヤメは口を僅かに開けたまま、動きを止めた。
「……僕には、正直まだよく分からないけどさ。でも、学校くらい、自分が死神だってこと、忘れてもいいんじゃないか?」
屋上に風が吹き抜ける。
真ん中に佇む二人の間に、気まずい沈黙が流れた。
——んー、ちょっとカッコつけすぎたか?
何かしら反応が返ってくるかと思ったけど、アヤメは黙ったまま。
あまりの居心地悪さに逃げ出したい気持ちでいると——
——チリリリ……
まるでその気持ちを見透かしたかのように、屋上に予鈴が鳴り響いた。
「まずい、話すぎた。急がないと授業に遅れるぞ!!」
僕は足早に駆けだし、屋上の扉へと向かった——その時、
「ま、待って!」
ふいに、後ろから手を掴まれた。
手のぬくもりに、走る鼓動。
「あ、これは……」
アヤメは顔を赤くしながら、俯いて呟いた。
「いつもの癖で……間違えた、かも……?」
「…………」
……新、ごめん。
なんか僕、青春してるかもしれない。
息を切らして教室に駆け込む。
膝に手をつき、呼吸を整えながら時計を見れば、授業開始までまだ3分もあった。
——まだ意外と時間あるじゃん。これなら別に走る必要なかったか。
苦笑しながら、視線を自分の席へとうつす。
……が、そこには当然のように雫が座っていた。
机に腰掛け、足をブラブラさせながら待ち構えていた雫が、ヒョイと軽くジャンプして降りる。そして、耳打ちするように小声でささやいてきた。
「ねえ、あんた何してたの? 澄川さん、どっかに連れ込んでたでしょ?」
低く詰め寄るような声で言いながら、雫は僕の肩越しにアヤメへ視線を送った。
「何でもねえよ。ただ、ちょっと話があっただけ」
額の汗をぬぐいながら、努めて冷静に答える。
けれど雫は納得した様子もなく、ジト目で僕を睨みつけてきた。
「まあいいけど。あんまり澄川さんにちょっかいかけるのはやめときなさいよ?」
「そんなんじゃねえって!!そもそも声掛けてきたのはアヤメの方からだし!」
「……あら、もう名前呼びしてるの?」
皮肉っぽく口角を上げて、鋭利な言葉の刃をチクリと刺してくる。
「澄川さんも大変ね。あんたみたいなやつにストーカーされて、本当に可哀想……」
「誰がストーカーだ!!」
声を荒げて定型文のような返答をする。
そんないつも通りの茶番を繰り広げていると、
「あ、あの……」
ふいに後ろからか細い声がした。
ゆっくりと振り返ると、そこにはアヤメが居心地悪そうに佇んでいた。
何か言いたげな表情をしながらも、きっと口を結んで目を泳がせている。
——なるほど、雫がいるから席に座るに座れないのか。
しかし、その視線を勘違いした雫が、ひどく真剣な顔でアヤメに向き直る。
「澄川さん! もしこいつに何かされたら、すぐ私に言いなさい!!すぐ殺してあげるから」
——冗談きついな……
軽く笑い飛ばそうとしたけど、雫の目の奥には本気の色が浮かんでいた。
「こ、殺すなんて、そんな物騒なことやめて!」
慌てて手を左右に振りながら、死神がオロオロ答える。
そんな珍妙な光景に思わずツッコみたくなる衝動を必死に抑えながら、僕はただそのやり取りを眺めていた。
疲労に満ちた教室に、昼休みの鐘が鳴り響く。
それまで張り詰めていた重たい空気が一瞬で緩み、ざわめきが教室中に広がっていった。
誰かの笑い声。椅子の軋む音。床に響く軽快な足音。
まるで解き放たれたかのように、生徒たちの動きが活気を取り戻していく。
「朔夜ー! 昼飯、美術室で食おうぜ!」
教室の前方から、バカみたいにデカい声が飛んでくる。……新だった。
バカなのは仕方ないし、声はデカいのもいつものことだが、少しくらいは周りの人への配慮してほしいものだ。
「あそこかび臭くて好きじゃないのよね」
どこからともなく現れた雫が言う。
「新学期なんだし、さすがに掃除されてるだろ。それに、俺は別にかび臭くても気にしないぜ?」
能天気な新に対して、雫が顔を顰めながら言い放つ。
「そういう問題じゃないの。あの空気がもう無理なの」
雫がプイと顔をそらす。新は肩をすくめて僕を見る。
「……じゃあ、どこにしようか? ほかに良さげな場所は……」
「んー……」
三人して腕を組み、考え始めたそのとき、
——ん?
背後からじめっとした視線を感じる……
振り返ると、アヤメがこちらをジッと見ていた。
太陽に照らされる教室の隅、一人だけ静止しているみたいに微動だにせず、ただこちらを見つめている。
その視線に気がついた雫が、僕の袖を突いて小声でささやく。
「ねえ、なんか澄川さん、こっちのこと睨んでない? あんた、本当に何かしたんじゃないんでしょうね?」
そう言って、ジト目で見つめてくる。
「なにもしてねえって!!」
「じゃあなんで澄川さん、あんなにこっちを睨んでるのよ!!」
「知らねえよ!!」
とりあえずアヤメに視線を向けると——彼女は目を丸くし、それからひょこりと頭を少し下げてきた。
……あれ、もしかして会釈のつもりなのか?
タイミングも謎だし。表情も読み取りにくい。
僕たちの会話をずっと聞いていたのだろうか。
アヤメは一度俯き、何かを迷っているように足元を見つめていたけれど——
ふいに顔を上げて、そのまま、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
「……ご飯なら、屋上がいいかも。たぶん……空いてるし」
突然のアヤメの行動に、僕を含めた三人は一瞬言葉を失う。
けれど、朝の屋上に誰もいなかったことを考えると、その提案には妙に説得力があった。
「確かに。俺、屋上って行ったことないから、ちょっと行ってみたいかも!」
新が思いのほか前向きに乗っかってくる。
「そういえば私も行ったことないわね」
雫が、まるで盲点だったとでも言いたげに、少し意外そうに呟いた。
「そもそもあそこって解放されてたの? てっきり鍵でもかかってるのかと思ってたわ」
それに対して、アヤメは一瞬だけ戸惑ったように目を泳がせたあと、小さく頷いた。
「……う、うん。前まではちゃんと締まってたみたいだけど、今はもう開けっ放しなの。意外と知られてないのかも……」
言いながら、アヤメは両手の指先をそっと握りこむようにして胸の前で組んだ。何気ないふうを装っているけれど、その仕草からは、隠そうとしても滲み出る緊張が感じ取れた。
「なあ。アヤメも一緒に食べようぜ?」
唐突な僕の誘いに、アヤメの方がピクリと揺れた。
「えっ……? え!?」
まるで予想もしていなかったかのように、戸惑った声が漏れる。
しかし、その声には、確かに喜びの色が滲んでいた。
「……い、いいの? わたし、面白い話とか……できないよ?」
小さく俯きながら絞り出すように言う。
「なんだよそれ。別にここは大喜利会場じゃないって」
僕が笑いながら返すと、すかさず新も乗っかる。
「そうそう。どうせ食べるなら大人数のほうが楽しいしな!」
それに続いて、普段は毒舌気味な雫も、アヤメにやわらかく笑いかける。
「別に私たちも普段大した話してないわよ。なんだったら、その場にいてくれるだけでも目の保養になるし。気にせずに、ね?一緒に食べましょう?」
アヤメは目をぱちくりと瞬かせ、しばらく何かを考えているようだった。
それから、おそるおそる顔を上げ、小さく深呼吸をして——
「……う、うん。お願い……します」
不安四割、期待六割といった絶妙な顔つきで、小さく頷いた。
「ふふ。あんたにしてはやるじゃない」
雫がにやりと笑って、僕の肩を肘で小突いてくる。
「あの朔夜がまさか女子をご飯に誘うなんてね~」
「おい、変な言い方するなよ」
睨み返すけれど、雫はどこ吹く風だ。
「あら、事実じゃない?」
「それは……なんというか……」
言い返せなくて、言葉がつまる。
別に深い意味が当たわけじゃない——と言いかけて、それも違うなと思った。
「……なんというか、ほら……」
少し目線を逸らしながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「昔の誰かを見ているみたいだったんだよ。それで、放っておけなかったんだ。……ただ、それだけ」
雫はそれを聞いて、ふっと目を細める。
「……へえ」
それがどういう意味の「へえ」だったのかは、良くわからない。
でも、屋上へと向かおうと身を翻した雫の横顔には、どこかやわらかさが漂っている気がした。
階段を上り切り、さび付いた重い扉を押し開けると、ぎぃ、という音とともに光が差し込む。
その眩しさに、一瞬だけ目を細める。
昼の陽射しがコンクリートを真っ白に照らし、フェンスの向こう側には見慣れた街並みが広がっている。
移動中、アヤメはずっと無言だった。
けれど、その沈黙には緊張だけでなく、どこか浮足立つような気配があった。
ちらりと横目で見ると、アヤメの口元はほんのりと緩んでいた。
「それじゃあ、自己紹介からしましょうか」
四人が日陰に座り、それぞれの弁当を開けたところで、雫が切り出した。
「私は見崎雫。こいつ——朔夜の幼馴染で、そうね~、言わばお姉さん的な立ちよ」
「おい、どちらかと言えば僕の方が兄だろ」
思わず、どこかで聞いたことのあるテンプレのツッコミをしてしまう。
「あら、一度も私より高い成績をとったことないのによくそんな口が聞けたわね」
「それは……」
言葉に詰まって、苦し紛れに返す。
「『青は藍より出でて藍より青し』って言うし……」
「それ、あんまりそっちの立場が使う言葉じゃないわよ」
「うるせえっ!」
「はぁ。ほんとバカね。でも、まあ——」
急に声の調子を変え、雫はアヤメに視線を向ける。
「何か困ったことがあったら、何でも言ってちょうだいね。朔夜は頼りにならないかもしれないけど、代わりに私がいるから」
「よ、よろしくお願いします!」
アヤメは雫に圧倒されながらも、絞り出すように答えた。
雫もまた、その返事に満足そうに頷いた。
「んで、俺が見崎新。雫の双子の兄だ!」
新が胸を張って名乗り出る。
「朔夜とは、そうだな……いわゆる、竹馬の友ってやつだな!!」
名乗りを終えると、新は弁当に手を伸ばし、唐揚げを口いっぱいに頬張りながら「そういえば」と切り出す。
「二人はどんな経緯で仲良くなったんだ?」
箸を持っていた手が止まる。
その言葉に、心臓の鼓動が高まる。
よりにもよって、一番聞かれたくなかった質問。
隣では、アヤメが手に持った箸をブルブル震わせている。
「それ、私も気になってたの!!」
そんな僕たちに追い打ちをかけるように、雫も覗き込むように顔を近づけて聞いてくる。
「朔夜ってあんまり人付き合い良くないし、いったい何があったの?」
「えっと、それは……」
——まずい……何も思いつかない。
まさか馬鹿正直に「死にそうになったところにアヤメが僕の魂を刈ろうと近づいてきたんだ。実はアヤメって、死神なんだよ!」なんて言えるはずがない。
そのとき——
「……え、えっと……!」
アヤメが語尾で声を裏返らせながら言った。
「……昨日、朔夜がすごく体調悪そうに歩いてたから……その時、声掛けて……それで……!」
「そ、そうそう、二人と別れた後に体調悪くなってさ。道端で倒れてたところをアヤメが介抱してくれて、それで仲良くなったんだよ」
慌てて補足すると、新と雫が同時に「へぇ~」と声を上げる。
雫は箸を止め、アヤメの方に顔を向けた。
「ごめんなさいね。うちの朔夜が迷惑かけたみたいで」
それに同調して新も米を咀嚼しながら言う。
「ほら、朔夜。お前もちゃんと澄川さんに礼を言え! 頭下げろ、頭!!」
——こいつら、なんでこんなにノリノリなんだ……
まあ、”助けてもらった”ってのは、あながち間違いじゃないからな……
「ああ。あの時は、本当にありがとうな」
言いながら、アヤメに向かって軽く頭を下げた。
「……ど、どう……いたしまして?」
首を傾げながらも、アヤメは真顔で答えた。
……なんにせよ、どうにか切り抜けられた。
焦って変なことを言ったかもしれないが、一応、嘘はついていないはずだ。
それに、アヤメも上手く合わせてくれた——というか、助けてもらった、って言ったほうが正しいか。
それにしても、アヤメ。
コミュ障のくせに、ああ見えて意外と機転が利くんだな。
ただ黙ってみてるだけかと思ったら、ちゃんと助け舟を出してくれるなんて。
そんなことを考えているときだった。
いきなり耳元に、ふっと吐息の混じった声が忍び込んできた。
「……さっき、あんなに偉そうに私のことコミュ障だって言ってたのに……」
驚いて横に振り向くと、すぐ目の前にアヤメの顔があった。
ニヤニヤと悪戯っぽく笑いながら、やたら近い距離でこちらを覗き込んでくる。
「朔夜も、人付き合いいい方じゃないんだ?……もしかして、あのときは私に先輩風吹かせようとして、張り切っちゃったのかな? ん?」
目を細めて口元に手を当てて笑いながら、軽く肩を突いてくる。
——こ、こいつ、人をからかうときはやけに饒舌になるな……
「そっかー。朔夜もコミュ障なんだね」
からかうように言って、アヤメは楽しげに笑った。
僕はため息をつきながらも、なぜか、どこかくすぐったい気もしていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
思いのほか新&雫とアヤメの絡みが嵩んで、学校パートが第三話、第四話に収まりきりませんでした。
第五話で日常パートを終わらせて、第六話からは死神組織について書こうと思っています。
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