第1話:折れた刃と、優しい匂い
森の奥深く、誰も近づかぬ静寂の中に、一軒の小さな小屋があった。
その住人、ライアは長い銀髪のエルフであり、かつては“流星の剣姫”と呼ばれた伝説の剣士だった。だが今、彼女の右腕と左脚は義肢となり、かつての剣を振るう姿はない。義手の指で薬草を刻む音だけが、小屋の中に響いていた。
その日、雨が降っていた。森の湿った匂いと、遠く雷の音。
ライアが扉の外に出たのは、かすかな気配を感じたからだった。剣士だった頃の本能は、今でも彼女の感覚の奥底に根付いている。
小屋から少し離れた木の根元に、ひとりの少年が倒れていた。包丁と布袋を抱え、泥だらけのその少年は、気を失っているようだった。
「・・・こんなところで、死ぬには若すぎる」
ライアは雨の中、その体を抱き上げた。義手の冷たさが、少年の熱を受け止める。思ったより、体温が高い。
小屋に戻ると、ストーブに火をくべ、乾いた布に包みながら、彼女は考える。
なぜ、自分は助けたのだろう。もう誰も救わないと、決めたはずなのに。
しばらくして、少年が目を覚ました。
「あれ、ここ・・・?・・・おば・・・いや、お姉さん?」
まだ混濁する意識の中で、少年は首を傾げた。笑うでもなく、怯えるでもなく、ただ柔らかく言った。
「いい匂い・・・なんだろう、これ。野菜と・・・きのこと・・・あ、ローズマリー?」
ライアは驚いた。彼が気づいたのは、鍋に煮込んでいたスープの匂いだった。
「料理人か?」
そう問うと、少年は笑ってうなずいた。
「見習いだけど。僕、カイル。料理で世界を旅するのが夢なんだ」
彼の笑顔は、まるで陽だまりのようだった。
雨は止んでいた。だが、ライアの心には、別のぬくもりが残っていた。