009 勇気の証明
今日は休日だからわたしたちは一家総出で食堂の雑務をこなしていたのだが、昼食後、お父さんの提案によってわたしは暇を出された。まだまだやれることはあったのだが、『たまには日光に当たっとけ』とのことだ。仕方なくその言葉に従うことにしたのだが、去り際、お母さんに『馬車と魔物には気を付けるのよ』と言われた。
「急に散歩って言われてもな……」
独り言ちながら漫然と歩いていると、いつの間にか武器屋――スーザンさんのお店の前にいた。
「あ」
呆然と店舗を見つめていると、古めかしいドアに張り紙がしてあるのに気付く。
『店主の不幸のため休業中。再開日時未定』
「……スーザンさん」
わたしは人伝に彼女の死を知っているだけで、実際に確かめたのはこれが初めてだった。
この扉の先にスーザンさんはいない。
その実感が心に滲んで行く中、わたしは自然と手を組み合わせ、黙祷を捧げていた。
……しばらくして黙祷を辞めたその時、背後で酷く嗄れた声がした。
「おい」
振り返るとそこにはスーザンさんの旦那さん――ダルさんがいた。骨張った顔は目に見えて憔悴しており、吐き出す息には生気がなく、一緒に魂が漏れ出ていないか心配させられる。
「ダルさん……」
「俺の店になんかようか?」
「ああ、いえ……たまたま通りかかったというか、なんというか……」
「冷やかしなら帰ってくれ。俺はこれから武器の面倒をみなきゃなんねえんだからな」
ダルさんはそう言うと解錠に掛かる。哀愁漂うその背中は痛ましく、わたしは放っておけなくなった。
「あの!」
落ちくぼんだ目がギロリとわたしを睨む。
「わ、わたしにもお手伝い、させてくれませんか?」
「素人に出来る事なんてあるか」
至極最もな言葉に閉口させられる。
黙っている間にもガチャリと解錠し、ドアが解放された。店内にはホコリが舞っていて、それが入り口から差し込む陽光によって煌めいていた。
「…………っ!」
そこに妻がいないことを知ってか、ダルさんは喉を鳴らす。
「………………リーベ。お前から見て、スーザンはどんなヤツだった?」
咽び泣くような声に胸が締め付けられるようだ。
「……明るくて、ハキハキしていて……お話ししていて、とても楽しい人でした」
声が喉に絡んでしまうが、どうにか言葉を……偽りのない心を伝える。
するとダルさんは「そうか」と言い残して建物の中に消えた。そして内側からガチャリと、鍵を閉ざした。
お父さんはダルさんを無口だが情に厚い人物だと評していた。
それだけに、妻に対する愛情も深かったのだと容易に想像できる。
「…………」
わたしの短絡的な行動がこの悲しみを呼び寄せてしまったのだ。そのことについて、お父さんは結果論だと言ってくれた。だけどわたしは、自分に罪がないとはどうしても思えなかった。
呆然とお店を見つめていると、魔物のために涙を流す人はもっといるんじゃないかと、そんな考えが脳裏を過った。
いる。絶対にいる。証拠はないけれど、わたしが知らないだけでそういう人は沢山いるんだ。わたしが安穏の暮らしている間にも、泣いている人は必ずいる。ダルさんもきっと、この扉の向こうで人知れず涙を流しているんだ。
「…………」
スーザンさんのお店を後にしたとき、ふと通行人が少ないことに気付いた。
あんなことがあったんだ。無理もないだろう。
納得した途端、まるで街が死んでしまったように思えて悲しくなる。
「…………」
お家に帰ろう。そう思って踵を返すと、曲がり角から人が現れた。
「きゃ!」
ビックリして仰け反る。反射的に目を固く瞑るも、手を取られて転倒を免れた。
「ふう……すみません」
ホッと息を吐き出しながら目を開くと、そこにはフロイデさんがいた。彼は丸い目を安堵に歪めつつ、訥々と問い掛けてくる。
「……ご、ごめん。大丈夫?」
「あ、はい。お陰様で」
答えつつ手を離そうとしたが、彼の意外と固い手指がわたしの手を捕らえて放してくれなかった。
「手――」
「あ、ごめん……!」
彼は慌てて手を離すとそれを庇うかのように左手を重ね、わたしから目を背ける。
その恥じらう姿のいじらしいこと。わたしは思わず笑ってしまった。
「ふふ……ところで、こんなところで合うなんて奇遇ですね」
尋ねると彼は思い出したように短い声を上げた。
「り、リーベちゃんを探してたの」
「わたしを?」
「うん。お店に行っても、いなかったから……」
そう口にする彼の瞳には心配の色が滲んでいる。
その様子に彼の言わんとする事を察して、わたしの心はずんと重くなった。
「……もしかして、あの件で?」
「うん……武器屋のおばちゃんが死んじゃったって聞いて……それで……責任、感じてるんじゃないかって」
それまで伏し目がちだった彼だが、今度は覗き込むように目を合わせてきた。
「……大丈夫?」
嘘でも『大丈夫です』と答えたかったが、やけに唇が重く、押し黙ってしまう。
「手伝って貰ったのはぼくだから……リーベちゃんは、その、責任はない、よ?」
「……心配してくれてありがとうございます。でも、わたしなら…………」
やはり、大丈夫の一言が言えなかった。微笑んで誤魔化すがしかし、彼の悲哀を強める結果となった。
「…………ごめんなさい。わたしはどうしても、自分が悪いように思えちゃって……」
「リーベちゃん……」
緊張とは真逆の弛みきった沈黙はわたしの心に絡みつくようで、不快でさえあった……気付けば不快感から逃れたい一心で、「おじさんたちは一緒じゃないんですか?」と尋ねていた。
「……2人なら、お、お店にいるよ?」
「そうですか。じゃあ、帰りましょうか」
「用事、あったんじゃ……」
「いいえ。ただの散歩ですから」
そう答えると、フロイデさんと一緒にお家に帰った。
「ただいまー」
ホールに入ると、そこでは両親とおじさんとフェアさんの4人が、深刻な面持ちで語り合っていた。しかしわたしがやって来たのを見ると、急に表情を繕った。
「……おかえり。早かったじゃねえか」
そう口にしたお父さんの顔は若干強ばっていて、時期を考えればどんな会話をしているのかは明白だった。
「……うん。人が少なくて、怖かったから」
「あんなことがあったんだ。ムリもねえだろうよ」
お父さんから目を離し、客人たちに挨拶をする。
「こんにちは。おじさん、フェアさん」
「おう」
「はい、こんにちは」
おじさんはお父さんと同様にぎこちない面持ちであったが、フェアさんは柔和な笑みを浮かべていた。
彼は穏やかな声で言う。
「鬱ぎ込んでいないか心配でしたが、杞憂だったようですね」
「はい……心配掛けちゃってごめんなさい」
「まったく、心配して損したぜ」
そう言うとおじさんは立ち上がった。
「もう帰っちゃうの?」
「ああ。お前の顔も見たし、次の仕事の準備があるからな」
「仕事……」
仕事って……冒険に出る準備だよね?
見学させて貰いたいという思いが湧いてくる中、お母さんが張り詰めた声で言う。
「お仕事の邪魔をしてはいけないわ」
その顔は明らかに険しく、事を深刻に捉えていることを示していた。
当人であるわたしは叱られに行くような覚悟を強いられ、緊張で腹の底が重くなるのを感じずにはいられなかった。そんな状態にあっては、絡みがちな喉を無理に解放して返事をするのがやっとだった。
「……うん、わかった」
わたしが怖々とする中、おじさんが落ち着かせるように頭を撫でてきた。
「また今度な」
それを言われるのは2度目だが、今回のそれは何やら意味深長な響きをしていた。
「うん……またね」
3人を見送るとお母さんが言う。
「リーベ。そこに座りなさい」
その厳かな響きに唾を飲み下すと、わたしはお母さんの前の席に腰掛けた。
向かいの席ではお母さんが悲愴感漂う面持ちでわたしを見つめていた。
「リーベ。冒険者になりたいと言うのは本当なの?」
青ざめて見える唇の動きを目で追っていたわたしは恐ろしさの余り即答しかねた。
「……う、うん…………」
目を合わせることも難しく、自然と俯く形になる。
お父さんに相談した時、結論は先延ばしになったはずだけれど……
チラリとお父さんに目を向けると、気難しい顔をしていた。
「シェーン。今は共有するだけって言っただろ?」
「ですが!」
一瞬声を荒げたお母さんだが、はたと口を閉ざし、グラスを乾かす。
「……ごめんなさい。感情的になりすぎたわ」
「いいさ……」
お父さんは妻を宥めるように華奢な肩を叩くと、わたしの方を見た。
「今更隠しても仕方ない。一応、ヴァールたちにも伝えておいた」
「……わ、わかった……もしかして、そのために散歩に?」
「まあな――だがな、アイツらに伝えたのはお前を冒険者にすると決めたからじゃない。その意味をよく考えることだ」
「う、うん……」
おじさんたちは強いし、何より信頼できる。お父さんが娘を彼らの下に置きたいと考えるのは当然のことだ。だから前もって相談しておいたのだろう。
つまりお父さんは、わたしの望みに本気で答えようとしてくれているのだ。
でも、お母さんは……?
恐る恐る様子を窺うと、渋面を浮かべていて、今にも泣き出しそうだ。
「お母さん……」
「…………教えて。どうして冒険者になりたいと思ったの?」
「それは……お客さんが……街のみんなが落ち込んでるから…………わたしが冒険者になれば、みんなを励ませるんじゃないかって……」
「……その考えは立派よ。でも……だからって冒険者である必要はあるの? 今まで通りお店を切り盛りして行く事だって立派な貢献じゃないの?」
落ち着いた口調に反し、お母さんは必死だった。それは食堂の亭主としてのプライドもあるのだろうけれども、主としてあるのは娘を冒険者にしたくないと言う気持ちであるのは明白だ。
その痛ましげな主張に胸を締め付けられる。
でも……わたしはそれでも、冒険者になりたいんだ。
「…………さっきね、ダルさんに会ったの」
あの苦悶と悲哀に満ちた声を思い出すと、涙腺が痛み、自然と涙が滲んできた。
「スーザンさんがいなくなったのお店の中に閉じこもっちゃって……きっと今も、ひとりで泣いてるんだと思う」
「…………」
「それで思ったの。わたしには見えないだけで、世界には魔物のせいで涙を流す人が沢山いるんじゃないかって……」
両親の瞳を順繰りに見る。
お父さんが深い実感に満ちた顔をしているのに対し、お母さん目に涙を溜めていた。
「悲しむだけじゃない。この前のことでみんな怖がってる。だからわたしはみんなを励ますだけじゃなくて、護りたいの……みんなの幸せを……」
「うう……」
「お父さんがそうしたみたいに、お父さんがそうだったみたいに……わたしは、わたしは……みんなの希望になりたいの。それは他のお仕事じゃ、きっとできないと思う……」
今にも消え入りそうになる声を奮い立たせ、泣き崩れるお母さんの目を見据え、続ける。
「だからわたしは、冒険者になりたいの!」
言いたいこと全部……言い切った…………あとは2人次第だけど……
お母さんは顔を覆って泣いていた。
涙を流す人が1人でも減らすはずが、1番大切な人を泣かせてしまった……これじゃあ本末転倒だし、親不孝にもほどがある。不甲斐なさが募るがそれでも、これは必要なことなんだ。
奥歯を噛み締め、スカートを握り絞め、お母さんを見つめる。
「うぐ……ううっ…………」
妻の肩に腕を回し、二の腕を指でトントンとしながらお父さんが言う。
「俺から聞くことは変わりない。お前には傷付く覚悟があるのか?」
「……ある…………!」
お父さんの瞳を見据えて言う。それは誓いといって相違なく、わたしは自分の内からは勇気や力のようなものが湧き上がってくるのを感じた。
「……わかった」
お父さんが溜め息をつくように口にしたその言葉に、わたしは内心、歓喜した。
だがそれも一瞬のことで、お母さんのすすり泣く声に次第に罪悪感が募る。
「やっと家族みんな、一緒でいられるようになったのに…………」
咽び泣きながらの一言に対し、わたしは「ごめんなさい」以外の言葉を持たないでいた。
長い長い時間を経て、お母さんは落ち着いてきたようだ。
「……取り乱してごめんなさい」
手の甲で目元を拭いながら続ける。
「…………いいわ。リーベが自分で決めたことなんですもの」
「お母さん……」
その瞳は凛と煌めいており、決して諦観からくる言葉でないこと伝わってくる。どんな心境の変化があったのか、一瞬考えたが、言葉どおり、娘の決断を尊重してくれたのだろう。
胸が温かくなる中、お母さんは背中を押すように言ってくれた。
「その代わり、絶対に死なないこと。いいわね?」
「…………うん!」