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008 英雄の血脈

 スーザンさんの訃報(ふほう)がもたらされてから一夜が明けた。

 今日は平常どおりに営業することとなったわけだが、客足は目に見えて減っていた。僅かなお客さんたちはみんな鬱々とした面持ちで、ホールにはいつもとはほど遠い、絡みつくような空気が充満していた。


「リーベちゃんも危ないところだったんでしょ?」


常連のご婦人が言うと同時に、方々から視線が集まるのを感じた。


「あの――」

「運が良かったわね? あの坊やと一緒じゃなかったら、今頃――」

「おい」


 お父さんの険しい声がご婦人を黙らせた。同時に、わたしに向けられていた視線の数々が散っていく……お客さんを脅すなど言語道断だが、わたしは救われた気がした。


 しかし脅された側はそうはいかない。お父さんを――街の英雄を怒らせてしまった恐怖と動揺、そして羞恥とに縮こまっている姿は見るに堪えない。だからわたしは何事も無かった風に尋ねる。


「ご注文をお伺いします」

「そ、そうね。じゃあこれと、これで」


 わたしがオーダーを取る一方、お父さんはお母さんに呼ばれた――そこに叱責が待っていることを、わたしはよく知っている。




 あのご婦人の後にも好奇心を焚き付けてものを言う人が何人も現われ、わたしは嫌な気分にさせられた。それでも笑顔を忘れず、ランチタイムを凌ぎきったわたしは疲れと不快とに困憊(こんぱい)しきっていた。


 片付けを終え、世間的には遅めの昼食を取っていても気分は相変わらずだった。


 それは一緒にホールで働いていたお父さんも同様で……いや、口止めの為に脅すことを禁じられたことで、わたし以上の不満をため込んでいるらしい。それはカツカツと乱暴に食器を扱う様から見て取れる。

 お父さんがこんなに怒るのは、昔、わたしが近所の男の子にいじわるされたとき以来だ。


「まったく、不謹慎な連中ばっかりだな」

「気持ちは分かりますが、お客さんを威圧するなんて言語道断ですよ?」


お母さんの理性的な言葉に一言にお父さんは瞑目して答える。


「ああ……悪かったよ」


 しかし食器の扱いは相変わらずだった。




 剣呑な空気が流れるうちに昼食を終えた。

 普段であれば憩いのひとときとなっていた筈なのだが、今日に限ってはそうもいかず、わたしはモヤモヤしながら仕事に戻る。


 ディナーの分の仕込みをしていると、ホールの方からカウベルの音が聞こえて来た。


「お、ディアンじゃねえか」


 ホールの掃除をしていたお父さんが来訪者の名を告げた。意外な名前に厨房に立っていたわたしたちは目を合せる。


 今は準備中というのもあるが、なにより昼夜逆転しているはずの彼が昼間に訪ねてくるなんて珍しい。不思議に思っていると、お父さんも同様の事を言った。


「商談を終えたばかりなんだよ。それより、妙な噂を聞いてな。リーベはいるか?」

「ああ、リーベ。ちょっと来い」


 お母さんに目配せをすると、わたしはホールに出た。

 そこには確かにディアンさんがいた。年相応に皺の目立つ顔は険しいが、わたしを見た途端、微かに和らいだ。


「お前が魔物に襲われたと聞いてな。顔が見れたなら結構だ」

「心配してくれて、ありがとうございます。でも、もう1週間くらい前のことですよ?」

「ワシは引きこもりだからな。情報が古いんだよ」

「威張って言うことか」


 お父さんがツッコむとわたしは可笑しくて仕方なかった。笑っている間にもディアンさんは曰くありげな目でわたしを見ていた。


「それとだ。お前が冒険者になるって噂も聞いたが、それはどうなんだ?」


 ディアンさんが声を潜めて言った。

 その言葉を聞いた途端、スーザンさんの言葉が思い起こされた。


『リーベちゃんも冒険者になるんかい?』


 冒険者になる? 


 わたしは頭も悪くて、力もない。

 こんな人間が冒険者になったところで、一体何を守れるというのだ。


『あのエルガーさんの娘なんだ。アンタにも才能があるはずだよ』


 そんなの……あるはずがない。

 わたしはあのカラスと対峙したとき、戦うことにわくわくしていた……それは英雄の血が騒ぐとか、そんな大それたものではない。ただ、未知との遭遇を無警戒に喜んでいただけなんだ。未知の事柄に対し、真っ先に警戒を抱けない。そんな人間に冒険者としての素質が宿っているとは到底思えない。


「…………なれません」


 いたたまれなくなってそう答えた。


 わたしを見据えていた瞳は不健康に白いまぶたによって隠される。


「そうか」

「ディアン、お前……」

「邪魔したな」


 そう言い残して彼は去って行った。

 カウベルの残響が耳鳴りのように響く。わたしは内からこみ上げてくる煩雑(はんざつ)な感情から逃れるべく、厨房へ足を向ける。スイングドアに手を掛けたとき、お父さんがいつまでも友人が去ったドアを見つめているのに気付いた。


「お父さん?」

「ん、ああ。わりい、ボーッとしてた」

「そう? 何でもないならいいや」


 仕事に戻ろう。




 昼と夜でお客さんの顔ぶれが変わるものだが、彼らの関心がスーザンさんの死にあることは変わらなかった。

 給仕をしているとどうしても会話が聞こえてしまうもので、わたしの心には人々の恐怖と悲嘆とが蜘蛛の糸のように嫌らしく絡みついていく。


「…………」


 看板娘として暗い顔はできない。だから笑顔を繕うも、とあるお客さんの会話を耳にした時、それは解けてしまった。


「はあ……街中に魔物が出るなんてな」

「安全なとこなんて、何処にもないってことだろ」

「エルガーさんも引退しちまったし、もうこの街もお終いなんだな」


 その会話はこの街に垂れ込める憂愁を、何よりも雄弁に言い当てていたのだ。

 



 それから1週間というもの同様の会話を何度も小耳に挟んだ。


 限られた空間の中で多く耳にするあたり、テルドルに住む誰もが不安を感じているのかもしれない。

 お父さんが引退した矢先、2度も魔物の襲撃を受け、ついには犠牲者が出たんだ。不安が爆発してしまうのも致し方ないだろう。


 納得する一方で、とある疑問が胸に起こる。


……もしもお父さんが引退していなかったら、みんながここまで落ち込むことはなかったのかな?


 スーザンさんが『リーベちゃんも冒険者になるのかい?』と聞いてきたのも、わたしが冒険者になるというウワサが起こるのも、全ては英雄不在の不安を解消するためだったのでは?


 だとすると、テルドルの陰鬱を取り除けるのは……


「…………」

「どうしたリーベ?」


 打ち明けたらお父さん、どんな反応するのかな? やっぱり怒る? それとも認めてくれる? ……何れにせよ、1人で悩んでいたって始まらない。言うだけは言ってみよう。


「ね、ねえ……お父さん」

「なんだ?」

「ちょっとだけ、良い?」


 わたしが言うと、お父さんは僅かに表情を引き()らせた。その様子からして、わたしが何を言いたがっているのか、察しているのかもしれない。


 打ち明けるのは怖いけど、頑張ろう。




わたしはお父さんを伴って屋根裏部屋にやって来た。ここならお母さんは元より、他の誰にも聞かれる心配はない。


「それで、どうした?」


 お父さんは腰に手を当て、鷹揚(おうよう)な振る舞いを見せた。


「うん、あのね…………わたし――」


 言いかけた時、声が鉛のように重くなるのを感じた。

 

 これから口にする言葉が、わたしたち家族の幸せも何もを破壊してしまうかのように思われたからだ。

 自制心と良心とがわたしを苛むが……それでも意思は変わらなかった。


 自分の判断がひとつの尊い命を奪い、人心に恐怖を起こさせてしまったんだ。

 これを無視して安穏と暮らすなんてイヤだ!


「……わたし、冒険者になりたいの」


 そう口にしたとき、お父さんはただただ深い溜め息をついた。

 広い天井を巡る(はり)を見上げながら「……そうか」と零す。


「……お前は俺の子だ。いつかそう言い出す日がくるんじゃないかと思っていた」

「お父さん…………ごめんなさい」

「怒ってるわけじゃねえ。ただの親父の、冴えない感想さ」


 力ない笑みを浮かべると腕を組み、壁に背を(もた)せる。


「……それで。どうしてそう思った?」

「お客さんが……みんなが不安になってるから。お父さんの……英雄の娘のわたしになら、みんなの笑顔を取り戻せると思ったの」


 言い終ると自信が萎んできて(うつむ)いてしまう。だが、言うだけのことは言った。あとはお父さんがなんて言うか次第だけれど……反応がない。


「お父さん……?」


 顔を上げると、お父さんは神妙な顔をしていた。


「……リーベ。お前の考えは立派だと思う。だがそれは、自己犠牲が過ぎるんじゃねえか?」

「それは……」

「お前が冒険者にならずとも、時間が解決してくれるだろう。違うか?」

「そうかもしれないけど、でも……!」


 反論しようにも言葉が見当たらない。それを見かねてか、お父さんは諭すように言う。


「お前の気持ちを否定したいわけじゃない。ただ、俺は親として、お前の身を案じてんだ」


 お父さんは壁に掛けてあったカンプフベアの毛皮を撫でる。


「冒険者になるってことは、ケガをする事もあるし、死ぬことだってある。お前にはそれを受け入れるだけの覚悟があるのか?」


 答えようとしたが、空気が喉元で固まってしまったかのようで、声にならなかった。

 結果沈黙していると、お父さんはその大きな温かい手をわたしの頭に置いた。


「街を護り、元気付けよう考えられるのはすげえことだよ。尊敬するし、誇りに思う。だが、そのためには覚悟が必要だ。どんな困難にも挫けないで、どんな恐怖にも果敢に挑めるだけの覚悟がな。それができたならまた来い」


 そう言い残すとお父さんは1人、ホールに下りていった。


「…………」

 

取り残されたわたしは空回った使命感に若干の羞恥を覚えつつも、お父さんが撫でていたカンプフベアの毛皮に目を向ける。


 毛皮は腕のものであり、その不気味な姿がありのままに保存されている。わたしのお腹を二周できるくらい太いこの腕が猛然と振るわれる様を想像する。


「ううっ!」


 怖くて思わず震え上がった。

 さすがに全ての魔物がカンプフベアくらい強いわけではないのだろうけれど……大なり小なり、強いものだと考えておくべきだろう。

 わたしは左胸に手を当てた。とくんとくんと拍動するのを感じつつも、毛皮を見上げる。


「…………」 


 こんな強い魔物と戦うとなれば命の保証はない。そんなの、考えるまでもないだろう。でも先程までのわたしは些か、考えが足りてなかった……だけど、教え諭された今なお、自分の決断が正しいという確信は変わらずにある。


「……少し、考えよう」


 そう決めると、わたしは仕事に戻った。




 その夜、例によってわたしはダンクとおしゃべりをしていた。


「ねえ。わたしが冒険者になったとして、やっていけると思う?」

「…………」


 無言の返事は諭すかのようで、わたしはいつになく内省的になれた。


 冒険者になるということは、人の生活を護るため、魔物と戦うということ。


 魔物と戦うということは、命のやり取りをするということ。


 命のやり取りをするということは、死ぬこともあるということ。


 死ぬこともあるということは、家族を悲しませるということ。


……わたしはこれら全ての悲劇を受け入れられるのだろうか?


『わたしは大丈夫』という希望が如何に脆弱(ぜいじゃく)かは、日常の最中でスーザンさんが殺されたことが証明している。日常の埒外においてなお、儚い希望を抱けるとしたら、その人はよほどおろかなのだろう。さすがのわたしも、その程度の危機感は持っているつもりだ。


「……ケガをする事もあるし、死ぬことだってある…………」


 お父さんはそう言っていた。

 それは想像に容易いことだし、実際に冒険者の引退理由の約5割が負傷、3割が死亡と言われているくらいだ。仮にわたしがものすごい才能を持っていたとしても、死傷率の悪魔からは逃れることはできないのだ。


「でも……」


 お客さんたちの怯えた顔を思い出す。

 いつもは幸せな笑顔を見せてくれていたのに、今日は陰々滅々と食事を進めているのだ。


 お父さんは時間が解決してくれると言っていたけれど、それは誰もが恐怖から目を背け、笑顔を繕っているだけではないのだろうか?


 そうなると、心からの安らぐには希望が必要なんだと思う。その希望は今までであればお父さんという英雄の存在だったのだ。家があるから風雨に晒されずに済むというのと同じで、英雄が頑張ってくれているから魔物に怯える必要がないと考えるのは、とても人間的だろう。


 だがお父さんが引退してしまった以上、その希望は潰えてしまったのだ……おじさんもフェアさんも優秀な弟子だと聞くけれど、師匠の英雄性は引き継げていないように思える。

 随分と上からな評だけれど、テルドルの現状を見れば一目瞭然だろう。


 その要因として考えられるのは、おじさんたちが日頃王都で活動しているからだろうか?


……いや、お父さんだって他の地方に派出していた事があった。だけどその期間中、お母さんを除いては誰も不安を露わにしていなかった。

 だから活動の場所や程度は関係ないと思われる。


 では何が大事なのか?


 希望の象徴であることだけが英雄の資質であるならば、それを継承するのに必要なのは力や信念ではない。単純に血脈なのだ。だから『エルガーさんの娘が冒険者になる~』なんてウワサが起こったりするのだ。


「やっぱり……わたしにしかできないことなんだ…………!」


 ダンクをギュッと抱きしめる。

 思考は堂々巡りし、冒険者になる覚悟について、考えさせられた。

 自分が死ぬか、大きなケガをする場面を思い描くと胃が痛くなる。


「うう……こわいよ、ダンク…………」


 大きなお腹に顔を埋めてしまった……つまりわたしには、冒険者になる覚悟が足りていないと言う事だった。



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