冒険姫リーベ 少女はみんなの希望になるために冒険者活動を頑張ります！

第１章 英雄の娘、冒険に出る

006 揺らめく心

　ランチとディナーを凌いだわたしの耳には

　『どんな魔物だったの？』

　『怖くなかったかい？』　

　『リーベちゃんが戦ったって本当かい？』

　『さすがエルガーさんの娘だ！』

という言葉が焼き付いていた。目を瞑ればほら、聞こえてくる……

「はあ……」

　ひょっとしたら、お父さんの引退騒動よりも苛烈(かれつ)だったかもしれない……まあ、自分の生活が脅(おびや)かされたのだから、それもそうだろう。

　また溜め息が出そうになったから、代わりに伸びをする。

「ん～～～っ！」

「リーベ。仕込みをやるからこっちに来てちょうだい」

　脱力しようとしたちょうどのタイミングでお母さんに呼ばれる。

「はあ……あ、はーい！」

　返事をしてから食器をまとめていたお父さんを見やる。元冒険者なだけあって疲れた様子は一切ない。まだ8割ほどは体力が残っていそうだ。

「お掃除、お願いね」

「おう。ケガすんなよ？」

「うん。ありがと」

　がらんとしたホールにお父さんを残し、わたしは厨房へ向かう。

　夜の仕込みは川魚を切り身にしたり、ドレッシングやソースを作ったりする。そうすることで明日の仕事が減るのはもちろん、ドレッシングなんかは味が馴染んだりするのだ。

　わたしはこの作業を手伝いつつ、料理を学んでいた。

　お母さんの隣に立って指導を受けようとしたが、別の指示が飛んできた。

「あ、そうだ。冷蔵庫に魔力をいれておいて」

「わかった」

　我が家は食堂であるため、大きな冷蔵庫がある。

　金属製の大きな箱で、天板の内側に取り付けられた刻印(ルーン)に、魔石から魔力を供給する事で冷気を発生させるのだ。

　クローゼットのような冷蔵庫の扉の上には魔石がある。紫色のそれは内側から淡い輝きを放っているが、あと2～3時間もすれば消えてしまうだろう。熱を操る魔法は魔力の消費が激しい。よって冷蔵庫の効力を維持するには1日に1回を目安に魔力を籠めねばならないのだ。

　わたしはワンドを取り出すと、先端の珠(たま)を魔石にあてがい、魔力を籠める。

　すると淡い輝きは白く煌々としたものへと変わっていく。

「これでよしっと――終わったよ？」

「そう。それじゃ、仕込みを始めましょうか」

　仕込みを終えるとようやく晩ご飯だ。

　メニューは弱ってきた野菜を使ったラタトゥイユと余り物という、食堂を営んでいる家庭にありがちな組み合わせだ。

　事実、質素なメニューだが、これらは全てお母さんの手料理なんだ。美味しいに決まっている。

　でも昨日の豪華さと、なにより賑やかさの落差が激しく、物寂しく感じられた。

「どうしたリーベ？　腹でも痛いんか？」

　お父さんが心配そうに尋ねてくる。

「う、ううん。なんでもないよ」

「そうか？」

「具合が悪いのなら遠慮せずに言うのよ？」

　優しい言葉を前に、失礼な事を考えていた自分が恥ずかしくなった。　

「ありがと。でもちょっと疲れただけだから――それより、お腹空いちゃった」

　わたしの言葉を裏付けるようにお腹が鳴った。

「～～っ！」

「ははは！　そうだな、さっさと食おうぜ」

「そうね。いただきますしましょうか」

　いただきますの合図で食事を始めた。

　食事は和気藹々(わきあいあい)と、会話を交えて進行していく。

　その中で話題に上ったのはもちろん、今日の混雑具合だ。

「お店が賑わうのはいいんだけど、賑わいすぎるのも困りものね」

　お母さんが笑顔で贅沢な悩みを吐露すると、お父さんは肯定した。

「そうだな。だが、ディアンの画が無くなったことだし、しばらくすりゃ、前よりも前よりも空いてくるだろうさ」

「そうね。今が稼ぎ時なんだし、頑張りましょう」

　2人が言うように、〘エーアステ〙が高い集客力を誇るのはディアンさんの画があるからだ。しかし、うちはそれだけではない。お母さんの料理と、お父さんの名声。それらがある限り全く以て安泰だった。

　風呂屋に向かう道中、すれ違った冒険者の姿に昨夜の疑問を思い出した。

「そうだ。ねえ、お父さん。お父さんはどうして冒険者になったの？」

「藪(やぶ)から棒だな」

「ちょっとね、気になったの」

　お父さんは訝(いぶか)しげに鼻を鳴らしていたが、答えてくれた。

「俺には才能があったからだ」

「才能？　お金とかじゃないの？」

「ああ。俺は東のオズソルト出身なんだが、冒険者になる前は剣闘士をしてたんだ」

　オズソルトは港湾都市で、外国との通商で発展してきた。そんな歴史もあり、テルドル以上に人の出入りが多く、必然的に興行が盛んになったのだという。剣闘は名物であると聞くが……まさかお父さんが携わっていたなんて。

「剣闘士⁉」

　剣闘とは木剣と鎧を纏い、一方が戦闘不能になるか、降参するまで殴り合うという恐ろしい競技だ。

　慄(おのの)きつつ、ちらりとお母さんを見やる。わたしと同じ反応を示しているかに思われたが、至って平然としていた。妻なのだから、夫の経歴も知り尽くしていて当然か。

　視線を戻すと、お父さんは苦笑気味に語る。

「親が事故で死んだ憂さ晴らしで剣闘士をやってたんだが……俺は負け無しだった。それで師匠に目を付けられた。『お前には才能があるんだから、こんなごっこ遊びは辞めて俺と来い』ってな」

　剣闘をごっこ扱いするなんて……確かに、命が掛かっているワケではないのだから、その通りといえば、そうなんだろうけど。

「だ、大胆な人なんだね……お母さんは会ったことあるの？」

「ええ。と言っても、もうずっと会っていないけどね」

「そうなんだ……」

　お父さんの師匠……きっと凄い人なんだろうな。それに、そんな大人物(だいじんぶつ)から冒険者になるべきだと豪語されるほどの才能を持っていたお父さんもまた、凄いのだ。

「……才能、か…………」

　わたしにも遺伝していたりしないのだろうか？

　そんなことを考えていると、お父さんが深刻そうな声を発する。

「お前……まさか、冒険者になりたいとか考えてるんじゃないよな？」

「え……？」

　2人はわたしを見つめていた。

　2対の瞳は不安を宿しているが、その性質は違って見える。お母さんの視線には純粋な愛情によるものが、お父さんのは経験に元ずく含蓄のあるものだった。

「そ、そんなことないよ」

「ほんとうに？」

　お母さんは哀願するように問い掛けてくる。その勢いに気圧され、本当に些細な疑問だったのに、何か重大な過失を犯しているような気がしてきた。

「……う、うん」

　どうにか返事をすると、お母さんは感情を抑え込んだ。

「……そう、なら、いいわ…………」

　そう言い残すと踵を返し、コツコツと先を歩いて行った。

　儚げな背中を追いかけようとした時、お父さんが小さく言う。

「……リーベ。シェーンの前じゃ、二度と冒険者の話をするな」

　いいな？　と念を押されると頷かずにはいられなかった。

～～～～

　入り口で2人と別れた俺は、ひとり寂しく男湯に浸かっていた。

　夜更けのこの時間でも男湯は賑わっていて、仕事を終えた労働者とか、暇な冒険者が広い浴槽を埋め尽くしている。連中は各々語らっていて、その大音量がふやけて反響し、ここはドラゴンの胃の中かと思わせるほどに怪しい雰囲気を醸していた。

「はあ……」

　胸に蟠(わだかま)るのはリーベのことだ。

『お父さんはどうして冒険者になったの？』なんて、一体どういう風の吹き回しだ？

　思い過ごしだったら良いんだが、俺らにはどうも、アイツが冒険者に関心を示しているように思えてならない。

　原因はなんだ？

　俺の引退？　金色の鱗？　それとも魔物に襲われたことか？

　分からないが、なんであれ、良くない傾向であるのは確かだ。

　このままじゃ、そのうち『わたしも冒険者になりたい』とか言い出しかねないぞ。

　アイツが例えば、『料理人じゃなくて作家になりたい』とか言い出したとしても、俺たち夫婦はその背中を押すつもりだ。だが冒険者だけは――

「あ、エルガーさんじゃないっすか」

　それまで駄弁っていた若いヤツが俺を呼んだ。

「そんなしみったれてどうしたんだ？　らしくねえっすよ」

「はは。俺も父親だからな。神妙になる事もあるさ」

「父親ねー……そういや、リーベちゃんはどうなんすか？」

「どうって？」

「ははは！　とぼけないでくださいよ。冒険者になるって、みんなウワサしてますよ？」

「は？」

　そんなウワサ誰が……いや、リーベが魔物を倒すのに貢献した事実が、尾ひれを付けて回ったのだろう。だったら、ここでひとつ。ビシッと正しておかねえとな。

　そう思った時、ふと誰かの言葉が脳裏を過る。

『アンタが辞めたら、誰がテルドルを護るんだ』

　俺はその問い掛けに対し、次の世代へ託すことを宣言したはずだ。それなのに、こんなウワサが起こるということは……リーベを冒険者になることを街が望んでいるのか？

　だが、一個人に縋(すが)ることでしか安息できないというのは、その実、平和とは言えない。テルドルはついこないだ、その状態を脱却したはずなんだ。

「ううむ……」

『英雄に求められるのは腕だけじゃない。その意味をよく考えることだ』

　ディアンの言葉がいよいよ現実に顕(あら)われてきたというのか。

「エルガーさん？」

　その声に気が付くと、俺は周囲の視線を集めていた。

「どうしたんすか、そんな唸って？」

「あ、ああ……悪い。考え事をしてただけだ」

「そうすか……それで、リーベちゃんはどうなんすか？」

「話に尾ひれが付いてるだけだ。気にすんな」

　俺はそう言い残して湯を上がった。

～～～～～～

『リーベちゃんはどうして冒険者になろうと思ったんだい？』

　知り合いのおばあさんにそう聞かれた時、お母さんは明らかな狼狽を見せた。その時の『否定して』と懇願するような瞳の湿気た緑色が、今もこの目に焼き付いて離れない。

『……リーベ。シェーンの前じゃ、二度と冒険者の話をするな』

　お父さんが言っていた意味がようやく分かった。

　お母さんは冒険者という職を良く思っていないんだ。

　夫がこの職に就いていたが為に、お母さんは長年不安に苛まれていたのだから、それは当然だろう。ようやく巡ってきた安息の時を乱されたくないのだ。

　わたしのほんの些細な関心のために、お母さんの繊細な心を揺さぶるのは残酷だ――お父さんはそう伝えたかったのだろう。

「…………」

　チラリとお母さんを見やる。一見すると平静な態度であるが、いつもと違ってむっつりと口を閉ざしている。そんな有様が痛々しく感じていると、お母さんは思い出したように口を開いた。

「どうかしたの？」

「う、ううん。なんでもないよ」

「そう？」

　再び歩き始める。夜も更け、静まり返った通りにはコツコツと3人分の靴音だけが響いていた。

　毛布の温もりに溜め息をつきつつ横臥(おうが)する。視界は真っ暗で何も見えないが、そこにはもふもふの彼がいる。わたしは閉ざされた視界を補うように、彼の頬に手を添える。

「ねえダンク。わたし、みんなに冒険者になると思われちゃってるよ。どうしよう」

「…………」

　ぬいぐるみは喋らない。当たり前だ。でも、お陰で自分の考えを整理できるのだから、これも立派な会話だろう。

「わたしが冒険者になっても、ロクに戦えないよ」

　お父さんの娘だからって、その才能を引き継いでいるとは限らない。それにわたしは女の子なんだ。戦うための力が絶対的に足りていないのは考えるまでもない。

『リーベちゃんも冒険者になるんかい？』

　以前、スーザンさんが言っていたのを思い出す。あの言葉を口にした時、彼女の瞳は期待感に満ちていた。

……多分、わたしが誰かなど関係無いのだろう。お父さんの娘という、たったそれだけのことがわたしが冒険者になることを望ませていたのだ。

　それはスーザンさんに限らず、街の人みんなに言えることだ。だからあんなウワサが出回るのだ――そう思うと、まるで冒険者になる事が使命のように思えてきた。

「……冒険者」

　自分より強大な存在を打ち倒し、人の生活を護るお仕事……

　そんな大層なことが、わたしに務まるとは到底思えない

　それになにより、両親を悲しませるようなことなんて絶対にしたくない。

　でも周りからは期待されていて……

「はあ……なんだかな」

　深く溜め息をつくとダンクを強く抱きしめた。