054 旅は続く
まだ空が青い頃、わたしたちはダロガ村という大きな農村にたどり着いた。
どこまでも続いていそうな広大な農地のただ中にある集落にはなんとギルドの出張所があるらしく、宿を確保したわたしたちはアルミラージの角を売却すべく、そちらへと向かった。
建物は横長の平屋で、ドアの上には冒険者ギルドであることを示す看板が吊られている。
おじさんがドアを開けると、正面にはカウンターがあり、その奥で受付嬢と思しき女性が事務作業をしていた。彼女はわたしたちに気付くと慌てて立ち上がり、カウンターまでやって来る。
「冒険者ギルドへようこそ。ご用件を承ります」
「ああ、ここへ来る途中でアルミラージを倒したんだが、角の換金を頼めるか?」
「可能ですよ。その角というのは?」
「これだ」
そう言って麻袋に詰めたそれをカウンターに置いた。すると受付嬢さんは手袋をはめ、「拝見します」と、角を鑑定し始める。
どうやら素材に対する価格は定められているようで、そこに角の大きさ、欠損の程度などを照らし合わせて金額を決定するらしい。
「ふうん……あの、フェアさん」
「なんでしょう?」
「ギルドの依頼以外で魔物を倒しちゃってもいいんですか?」
「ええ。ギルドが狩猟を禁じていないものであれば問題ありませんよ」
「へえ……ん?」
感心しながらも、わたしは疑問に思った。
普段、わたしたちがギルドの依頼を通じて倒している魔物は、すべて冒険者ギルドの所有物となる。だけど今回のようにギルドを通さず倒した場合は冒険者のものになるのだ。
「じゃあ、ギルドを通さず、自分で倒して売り払うほうが儲かるんじゃないんですか?」
受付嬢さんに聞こえないように声を潜めて尋ねる。
「いい質問ですね。確かに、一見するとその方が利益が出るように思えますが、実際は違います。個人で全てを行おうとすると数多のデメリットを伴います。まずソキウスなどの親獣の力を借りれません」
親獣というのはソキウスなどの、人類のパートナーたり得る魔物を指す語である。
「魔物って重いですもんね」
「そうです。次に加工場に頼れなくなりますので、売りやすい形に自分の手で加工しなければなりませんし、販路も自分で開拓しなければなりません」
「ふむふむ……」
「そして最後に、戦闘で重傷を負うなどした場合、助けを求めることが出来なくなります」
「あ――」
わたしが短い声を上げると、フェアさんは満足そうに頷いた。
「ご理解いただけましたか? 一見、冒険者側が損しているように思えますが、実際のところ、我々冒険者はギルドの庇護を得て初めて活動が出来るのです。中にはギルドを悪く言う人もいますが、彼らのように感謝を忘れてはなりませんよ?」
そう訓戒されるとわたしは深く頷いた。
「……終わったか?」
その声にハッとして振り返ると、おじさんと受付嬢さんがこちらを見ていた。
「ほら、もらうもんもらったし、飯行くぞ」
そう言うとおじさんはわたしの横を通り過ぎていった。わたしも後を追おうとしたが、先ほどフェアさんが教えてくれた事柄が胸に滲み、出口とは反対側を向いていた。そこには今対応してくれた受付嬢さんが――ギルドの人がいた。
「……あの」
「はい?」
「いつも、ありがとうございます」
そういうと、彼女は微笑んだ。
「こちらこそ、冒険者の方々にはいつも助けられていますよ」
笑みを交わすとわたしはみんなを追ってギルド出張所を出た。
2人は微笑ましげにわたしを見ていて、ちょっぴり恥ずかしくなった。それはそうと彼がいないのに気付く。
「あれ? フロイデさんは?」
「そう言えば、姿がありませんね」
「ああ、それならそこだよ」
おじさんが親指で示した。その先には路地裏の前でうずくまる少年の姿が。
「フロイデさん? 具合でも悪いんですか?」
呼びかけながら、彼の顔を覗き込もうとすると、そこには茶色い体毛を持つ猫がいて、フロイデさんの愛撫を受けて顎を伸ばしていた。
「ゴロゴロゴロ……」
「くぷぷ……いい子いい子」
「なんだ猫か。フロイデさん、ご飯に行きますよ?」
呼びかけると彼は肩をビクリと跳ね上げ、立ち上がった。
「ご飯……!」
しかし、猫がもっと構ってとフロイデさんに擦り寄る。
「みゃ~お」
するとおじさんが意地悪く言う。
「フロイデは猫と戯れてるし、俺らだけで行くか~」
「ぼくも行く……!」
彼は言うがしかし、猫が縋り付いて、フロイデさんは困ったとばかりに眉を顰めた。
「どうすんだ?」
「ううん……」
彼は白猫とお腹とを見比べて、結局「バイバイ……」と別れを告げたのだった。
「みゃ~……」
「あーあ、ほっぽられて可愛そうだな、コイツは!」
おじさんが揶揄うとフロイデさんは頬をぷっくりさせて威嚇した。
「むう……!」
「おお、怖い怖い! んじゃ、これ以上フロイデの機嫌を損ねないうちに行くか」
一悶着あったが、おじさんに真っ先に従ったのはフロイデさんだった。その事実にわたしとフェアさんは声を潜めて笑っいあった。
明くる早朝。わたしたちは宿場町セルランを、そして王都ホープを目指して馬車で北上していた。その間、わたしはフェアさんを見習い、瞑想をしていた。
「…………」
車輪が転がる音も、春の暖かな陽気も、おじさんの汗臭さも。わたしが五感で感じられるあらゆる情報を閉め出そうとして頑張っていた。しかし、そうすると余計に気になってしまい、何度もしきり直していた。お陰で疲れてしまった。
「ふう、瞑想って難しいですね」
呼びかけるとフェアさんが瞑想を解いて答えてくれる。
「ええ。心を鎮めることが如何に難しいか、よくおわかりになったでしょう」
「はい……それで、何かコツとかはないんですか?」
すると彼はシャープな顎をつまんで答える。
「そうですね……心に何か考えが湧いたとしても、それを無理に締めだそうとしないことでしょうか」
「え? 心を無にするのが瞑想なんじゃ?」
「そうですが、心を無にしようと努めてしまうと、それが新たな考えになってしまうでしょう。ですので頭を楽にして、感じるままにしておくことです。そうすればいずれ、心は鎮まりますから」
「なるほど……やってみます」
心を無にするんじゃない。楽にするんだ。感じるままに……全てを委ねるのだ。
「…………」
ガラガラと音を立てて転がる車輪。その中に砂を噛む音が僅かに聞こえる。平原には春風が吹き、わたしの前髪を撫でる。そして腕の中ではダンクがゆっくりと呼吸している。その感覚を遮断するのではなく、受け入れる。わたしはただ楽にしていれば良いのだ。
「…………」
そうする内、なんだか頭がボーッとしてきて……
森の中を馬車で進んでいると、森の奥から動物ジッとこちらを見つめているのに気付いた。ウサギや鹿、それに、妙にファンシーな見た目をしたクマなど、森の動物たちがわたしを歓迎してくれているようだ。
『ダンク、見てみて! 動物がいるよ』
『きゃん!』
ダンクったら、初めて見る動物たちに大興奮で、わたしの腕の中で暴れ始めた。
『きゃんきゃん!』
『あ、ダメだよダンク! 暴れないで――てああ⁉』
なんとダンクがわたしの腕をすり抜け、馬車を飛び降り、一目散で森に入ってしまった。わたしも急いで馬車を飛び降り、森の中へ追いかける。
わたしの頭上には樹冠が幾重にも重なっていて、陽光の侵入を阻んでいる。お陰で森は真っ暗で、それに足場が悪く、まっすぐ歩くことさえままならない。こんな状態でダンクを見つけられるのだろうか?
『ダンクー! どこおーっ!』
『――きゃん!』
『ダンク!』
奥の方から微かに声が聞こえると、わたしは足場が悪いのもかまわず声のした方を目指した。するとドーマーから陽光が差し込むかのように、森の奥に明かりが差しているのに気付いた。
ダンクはあそこか!
『ダンクー! いたら返事をしてー!』
『きゃんきゃーん!』
大きくなった声に希望を抱き、わたしはさらに深奥を目指した。すると急に視界が開けた。
『わあ……』
そこでは森の動物たちがお茶会を開いていたのだ。そのことに驚かされていると、1番端っこの席にダンクが掛けている事に気付く。
『あ、こんなところに』
リンゴに齧り付こうとしたダンクを抱き上げ、わたしは注意する。
『ダメでしょ? 森の中に入ったりしたら』
『くうん……』
怒られて落ち込んでしまったダンクを励ますように、小鳥たちが歌を歌い始めた。
『ちゅんちゅん!』
その可憐な響きに心を奪われそうになると、わたしの肩をクマが突く。まるでダンクを庇うかのように。
『もお、急に飛び出しちゃ、ダメだからね?』
『くうん……』
ダンクは反省の色を浮かべているし、森の動物たちに免じて許して上げよう。
『ほら、セルランの町に行かなきゃ行けないから帰るよ。ほら、みんなに挨拶して――』
『きゅきゅ!』
言い掛けた時、リスがティーカップを差し出しながらテーブルの上を歩いてきた。
『なに? わたしも一緒にって?』
『きゅ!』
わたしは熟考した。みんなを馬車に待たせているのだし、早く戻らないと……でも、ダンクにせっかくお友達が出来たんだから、少しくらい遊ばせて上げないと……
『う~ん……』
唸っていると、リスの掲げるティーカップから甘やかな香りがした。それは世の乙女を虜にして止まない、芳しい花の香りだ。
『仕方ないな~あと少しだけだよ?』
『きゃん!』
それからわたしたちはお茶を飲んだり、歌を歌ったり、輪になって踊ったりした。そうするとあっという間に時間が過ぎていき、樹冠の合間から覗く空が暗くなってきた。
『あ、もうこんな時間! ダンク、今度こそ帰らないと』
『くうん……』
ダンクは残念そうにしているが、わがままを言おうとはしなかった。
『残念だけど、お別れをしないと』
わたしたちは森の仲間たちの方を見た。
リスも小鳥も鹿もクマもみんな寂しそうに――あれ? クマが何か言いたそうにしている。
『どうしたの?』
「起きろ」
『え?』
唐突に出た言葉に首を傾げていると、なんとクマの中からおじさんが現れ、大きな手で素敵なテーブルの縁を掴んで――
「起きろーっ!」
「――うわ!」
驚き跳ね上がると後頭部が幌の支柱に打つかった。
「つー……」
「なあにやってんだよ」
痛みを堪えて顔を上げると、そこにはちゃぶ台返しをかましたおじさんの姿が。
「おじさん……て、テーブルは⁉」
辺りを見回すと、ここは馬車の車内だった。
つまり、森の仲間たちも、素敵なお茶会も、全ては夢想でしかなかったと言うことだ。その事実に酷く落胆したわたしは深くため息をついた。
「はあ……」
「ふふ、どうやら素敵な夢を見ていたようですね」
斜向かいのフェアさんが笑うと、その隣でフロイデさんも笑う。
「くぷぷ……よだれ、たれてる?」
「え、うそ!」
慌ててハンカチを当てると湿った感覚が……よだれもそうだが、きっとだらしない寝顔を晒していたことだろう。そう思うと、途端に恥ずかしくなってきた。
「うう……」
「たく、緊張感がねえヤツだな。もうすぐセルランに着くからな」
「は、はい……」
セルランは宿場町であるからして、飲食店が何店もあり、まさに激戦区といった様相を呈していた。各店舗からは芳香が漂ってきており、この匂いだけでも食事が出来てしまいそうだ。
「むう……どこからも美味しそうな匂いがする」
わたしは食堂の娘であり、敵情視察するつもりで目を光らせていた。
一方、フロイデさんは短い手足をちょこちょこ動かし、大きなどんぐり眼で辺りをきょろきょろと見回している。どうやら今晩の喜びの選定に気概を燃やしているようだ。
「ふふ、そう急がずとも、夕食は逃げたりしませんよ?」
フェアさんが微笑ましげに問うと、彼は鼻息荒く答える。
「美味しいものが、ぼくを、呼んでる……!」
フロイデさんが行った途端、その言葉を肯定するかのように魚の焼ける香りが漂ってきた。
「さかな……!」
魚好きとしては抗えないものがあったのだろう。彼は匂いのする方に鼻を向けると、まるで釣り餌に食らいつく魚のように直進していった。
「はは……よほど魚が好きなんだね」
わたしが言うと、おじさんが苦笑して答える。
「ああ。だけど、テルドルに行くときもあの店に行ったんだよな」
「あ、そうなんだ」
フロイデさんの向かったお店を見る。規模の小さな店舗で、食堂であることを示すシンボルの描かれた看板を吊るしていた。入り口の脇には鎧戸があって、その隙間から白い煙が一筋、天に昇っていた。
彼は店の入り口までやって来ると、わたしたちを急かすようにこちらを見つめた。
「おやおや」
フェアさんが笑うとおじさんは「しゃあね」とため息をつく。
「アイツがぐずらねえ内に行くか」
「うん」
〘銀魚亭〙というこの食堂では魚料理のみを扱っているようで、魚好きなフロイデさんにとってはまさに楽園だった。だが、よりどりみどりと言うのも困りもののようで、かれこれ10分はメニュー表とにらめっこしていた。
「うぬぬ……」
「おいおい、いい加減決めてくんねえと俺たちも食えないんだぞ?」
悩ましげに唸るフロイデさんにおじさんが言う。
「でも、全部食べたい……!」
「全部なんて食える分けねえだろ。そうだ、お前が決めらんねえなら俺が決めてやるよ」
そう言う店員の女性に呼び掛ける。
「おおい」
「あ、はい! ただいま!」
返事をすると、トコトコやって来る。
「ご注文を承ります」
「ああ、これが〘シオマスの塩焼き〙が2つと、〘マッシブサーモンの香草焼き〙が2つだ」
「〘シオマスの塩焼き〙が2つと、〘マッシブサーモンの香草焼き〙が2つですね?」
「あ」
フロイデさんが声を上げると「他に何か?」と店員さんが顔を向ける。しかし照れ屋な彼は女性の視線に耐えかねて「な、なんでもない……」とスカーフと前髪を掴んで項垂れる。
「そうですか。じゃ、少々お待ちください」
そう言い残して店員さんが去ると、フロイデさんは恨めしげにおじさんを見た。
「なんだ? 塩焼き嫌いか?」
「嫌いじゃない……!」
「なら良いじゃねえか」
おじさんの言葉に言い伏せられたフロイデさんは「むう……」とほっぺを膨らましていた。そんな彼だが、いざ料理がくると目を爛々とさせることをわたしたちは知っている。
だから話題を変えても問題ないだろう。
「ねえ、王都にはいつつくの?」
かねてよりの疑問だった。今回の旅路は大変新鮮で、また、愉快なものであったがしかし、わたしの心は今、安息を求めている。だからそろそろ王都に着いてほしい頃合いなのだが――
「明後日には着くだろうな」
なあ、とフェアさんに問うと、彼は頷いた。
「ええ。何事もなければ明後日には到着するでしょう」
「明後日か……ふう」
「なんだ、疲れたのか?」
おじさんが心配してくれた。
「うん、ちょっとだけ……」
「馬車に乗ってるだけでも結構疲れるもんだからな。今日は寝る前に軽く体操でもしておけ」
「うん、わかったよ。でも何日も掛けてあちこち行かなきゃならないのは結構大変だね」
「冒険者の仕事の9割は移動と言われてますからね」
以前ロイドさんにも言われたことだが、今はより強く実感できた――と、料理が運ばれてきた。
「お待たせしました。お先に香草焼きです」
パンもセットで付いてきた。
「ありがとうございま――」
「じー……」
フロイデさんが凄い眼差しでこちらを見てくる。き、気まずい……
「お待たせしました、塩焼きです」
「来た……!」
先ほどの不満はどこへやら、案の定、彼は目を輝かせて料理を迎えたのだった。店員さんが微笑ましげに去って行くのを見送るとおじさんが言う。
「あと2日をやり過ごす為にも、ちゃんと食えよ」
「うん――いただきます」
わたしは香草焼きに齧り付く。
真っ先に感じたのは鼻を抜けるスパイスの香りで、次にやや尖った塩味、そして魚の旨味だった。
「ん、美味しい」
〘エーアステ〙でも香草焼きは提供しているけれども、味も香りも我が家のものとは違っていた。家が食堂だから今まで外食をしてこなかったから、こうした新たな美味しいに出会える機会に恵まれなかった。
だが、これからは外食する機会――つまり新しい美味しいに出会える機会が増えるのだ。その事実に喜ばないでいられない。
「美味し♪」
「ふふ、旅を楽しめているようですね」
フェアさんの言葉にわたしは迷わず頷いた。