005 一日の終わりに
「ふう……」
波乱のディナータイムを凌ぎ、疲れを引き摺ったまま店内の清掃を終える。
もはや達成感はなく、額に滲む汗を拭うことさえ億劫だった。
「お疲れ様。これ飲んだらお父さんを呼んできてちょうだい」
労いの言葉と共にリンゴジュースを渡される。わたしを気遣う一方、お母さんはひとりで夕食の用意をするつもりらしい。
「あ、わたしも手伝うよ」
「いいのよ。今日はすごい大変だったでしょう?」
「うん、まあ……じゃあ、お言葉に甘えて……」
リンゴジュースを口に含むと、その甘みが身に沁みた。
疲れた時は甘いものに限る……
ジュースを飲み終え、2階に上がる。
2階は住居になっていて、わたしの部屋と夫婦の部屋。そして今は亡きおじいちゃんの部屋と3部屋ある。だが、お父さんがいるのはこのさらに上、屋根裏部屋だ。
廊下の奥にある階段を上っていくとお父さんの悩ましげな声が聞こえてくる。
「これは……いる。これは……いらないな」
開け放たれたドアの向こうにはわたしに背を向け、魔物の素材を選別するお父さんの姿があった。あぐらを掻いて手元に集中する様は工作に励む子供のようで、なんだか可笑しかった。
屋根裏部屋には窓があり、風通しは良いはずだが、むしむししている。これがお父さんの体温によるものなのだとしたら、相当に頭を使っているのだろう。
「お父さん、晩ご飯できてるよ?」
「あー、今行くー」
予想通り生返事された。
「お、これは!」
大きな声に好奇心を起こしたわたしは恐る恐る屋根裏部屋に踏み込んだ。
お父さんは魔物の素材を保管する悪癖があり、部屋中に悍ましい物体が散らかっている。中でも嫌いなのは――
「ひい――」
壁に掛けられたカンプフベアの毛皮に目が留まる。
昔、お父さんが斬り落としたと言う右腕の毛皮で、その太さたるや、わたしのお腹を2周はできそうだ。
慌てて視線を逸らした先でお父さんが何かを光に透かしていた。ゴツゴツとした黄金色の物体で――
「金っ!」
金塊なんて初めて見た……!
「リーベ⁉ ……見られちまったか」
お父さんは元英雄らしからぬ動揺を見せた。
今更金塊を陰に隠すが、観念した風に溜め息をつく。
「……秘密にできるか?」
神妙な問い掛けに思わずごくりと唾を飲み下した。
「う、うん……約束する」
お父さんはしばしわたしの目を見て信頼に足ると踏んだのだろう。それを差し出してきた。
「金……じゃない」
持って見ると、思いのほか軽かった。
表面はゴツゴツとしていて、風を切るような形状をしている。裏側には剥離したような跡があり、まるで――
「うろこ……?」
「そうだ……俺がなんで英雄扱いされてるかは知ってるな?」
「うん。20年前に冒険者たちの先頭に立って、魔物の軍勢を押し返したんだよね?」
「ああそうだ……その後、俺は師匠と、あと居合わせた魔法使いのジジイとの3人で事の真相を探りに行ったんだ」
「ごくり……」
「南のグラ・ジオール山の中腹に、何枚かの鱗と、あと……いや。とにかくそれはあった。あれから20年。ギルドが調査を進めているが、未だ何の魔物か知れないでいるんだ」
「ていう事はまだ……」
血の気が引いていくのを覚えた。
「まだヤツは死んでねえ。この世の何処かで生きながらえてるはずだ」
「そんな……」
恐ろしい事件を引き起こしたであろう魔物が生きている……いずれ、また何処かで誰かが危険にさらされる日も来るのだろう。
それを思えば……なるほど。存在が秘匿されるワケだ。
「俺は決戦に備えて次の世代を育てる任務を――これは関係ねえな。とにかくやべえ魔物の鱗なんだ。分かってることと言えば、やつがドラゴンってくらいだ」
「へえ……」
冷や汗を拭っていると階下からお母さんの声がする。
「晩ご飯の用意ができてるから、下りていらっしゃい!」
「はーい!」
ドアの方へ声を返すと鱗を返した。
「片付けは明日にして、今日は休も?」
「そうだな――うぐうっ⁉」
お父さんがその場に崩れた。まさか、ドラゴンの呪いが⁉
「うぐ……脚が痺れた」
「なあんだ……」
ホッと胸を撫で下ろしていると、お父さんが恨みがましく言う。
「なんだとはなんだ! 俺はこんなに苦しんでるのに!」
「ふふ! つんつん!」
ふくらはぎを突っつくと悶え始めた。
「ぬおおっ! や、やめろおお!」
楽しくなって突いていると、お母さんが怒鳴るように呼び掛けてくる。
「冷めちゃうわよ! 早くいらっしゃい!」
夕食を取った後、入浴を済ませてきた。
入浴後は普通、清々しい心地になれる筈だが、お父さんの件で質問攻めに遭って……こんなげっそりとした気分で帰宅するのは初めてだった。
「はあ……疲れた」
お母さんは口には出さないけれど、行動の節々に疲労が窺える。それに悩ましげな目をしていて……責任を感じているのかもしれない。
心配の言葉を掛けようとした時、お父さんに尋ねられる。
「リーベ。今日、ディアンの爺さんは来たか?」
即答しかねたが、お父さんはディアンさんの到来を知っている風であり、隠し立ては出来そうになかった。
「……来たよ?」
「そうか……なんか言ってたか?」
どう答えたものか悩んでいると、「そうか」と手拭いや着替えを押しつけてきた。
「悪いが、ちょっと出かけてくる」
「待って!」
お母さんと声が被ったので、わたしは引いた。
「ディアンさんを尋ねるにしても、こんな夜更けに行く必要は――」
「あの爺さんは昼夜逆転してんだ。今日中に話を付けなきゃなんねんだ。先に休んでいてくれ」
そう言い残すとお父さんは出て行った。
カウベルの残響が虚しく消えゆく中、お母さんは溜め息交じりに言う。
「仕方ないわね……わたしたちは先に休んでいましょうか」
「……うん」
なんだろう。妙な胸騒ぎがしてならない。今すぐお父さんを連れ戻しに行きたいけれど、お母さんを置いてはいけない。
わたしは窓の外を見た。
そこに人影はなく、靴音も聞こえてこない……追いかけても、追いつけないだろう。
2階へ上がろうとするが、お母さんがホールに居座る様子を見せた。わたしも一緒にと思ったが、「いつもお寝坊なんだから、早くお休みなさい」と断られた。食い下がろうにも、日頃の行いのせいで致し方なかった。
不承不承、魔法のランプ片手に引き上げてきたわたしを出迎えてくれたのは大きな犬のぬいぐるみだった。暗闇の中、主人の帰りを待っていてくれたこの忠犬はダンクと言う名で、わたしの1番の友達だ。
「ただいま、ダンク~」
枕元にランプを置き、ダンクをギュッと抱きしめる。
王都有数の職人が縫い上げたと言うこの子は素材にも拘った名犬だった。抱きしめると雲のように柔らかく、本物の犬であるかのようにもふもふだった。
「はあ~……」
ダメだ。このままじゃ寝ちゃいそう……着替えなきゃ。
ダンクは男の子だから壁の方を向かせて、それからパジャマに着替える。
ベッドに潜り、ダンクを抱きしめ、今度こそ、夢の世界へ旅立とう……そう思ったが、不安に目が冴えてしまう。
「お父さん……大丈夫かな…………」