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冒険姫リーベ ~英雄の娘、冒険に出る~  作者: 森丘どんぐり
第1章 英雄の娘リーベ
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004 画家の憂愁

 店内に戻ると、そこにはお母さんが待ち構えていた。

 端正な顔は悲痛に歪んでおり、伴侶らしい心配が在り在りと見て取れる。


「……カンプフベアと戦ったんですか?」

「あ……ああ」


 お父さんが目線を下げると、その中に収まろうとお母さんが歩み寄る。


「『人手が足りないから』と助っ人に出たんですよね?」


 静かな言葉には怒りさえもが(にじ)んでいて、わたしは胃が痛くなる思いだった。それはお父さんも同じのようで、沈黙の後「悪い」と小さく答える。


「でもカンプフベアをやれるヤツなんて――」

「いつまでもあなたが助けてるからでしょう!」


 頬を叩く代わりの一声は、水を打ったかのように静寂をもたらした。


「……あなたという英雄に縋ってばかりいるから、この街の冒険者は育たないんです! それに、もう若くないんです! これじゃあ……いつか破綻しますよ…………」


 激しく言葉を連ねる中でお母さんは涙を滲ませていった。その様子が一層身に沁みたのか、お父さんはただ一言、謝った。


「……すまねえ…………」

 

 しばらくの沈黙の末、お母さんは声を絞り出した。


「約束してください……もう、絶対に冒険に出ないでください」

「それは………………………………………………」


 お父さんは絶句した。

 それもそうだろうと、蚊帳の外にいたわたしには分別できた。

 お母さんは『自分の命と仕事』を言っているのに対し、お父さんは『自分の命と他者の命』を天秤に掛けているからだ。

 あの商人の感謝の程から類推するに、今回はよほど逼迫(ひっぱく)していたのだろう。だとすると、冒険に出たのがお父さんじゃなかったら……あの人は亡くなっていたのかもしれない。

 それを思えば、娘の立場から追求することは(はばか)られる。


「お母さん……気持ちは分かるけど――」

「いいんだ。リーベ……」


 言われて見やると、お父さんは確かな覚悟を滲ませていた。

 妻の肩を掴み、涙に塗れた瞳を見据えて言い放つ。


「わかった。金輪際、二度と冒険には出ない」

「……本当ですか?」

「本当だ! ああ、約束する!」


 そう言うとお父さんは2階へ駆け上がり、2本の剣を抱えて降りて来た。


「何をしてるの⁉」

「そもそも武器があるからいけねえんだ! あとこれもだ!」


 お父さんは例の絵画を剥がすと外へ通じるドアに飛びつく。

 自棄になっているのは明らかで、痛ましいとさえ言える。


「そこまでしないでもいいでしょ!」


 お母さんからも言ってもらおうと振り向くも、固く口を噤んでいる。


「お母さん……」


 対応に(あぐ)ねている間にもお父さんは外へ飛び出し、何かから逃げるように駆けていった……冒険者ギルドの支部がある方角だ。


「…………お父さん」


 娘としては喜ばしい出来事だけれど、なんだか可愛そうでならなかった。それはお母さんも同じのようで、その場に座り込んで泣いていた。




 程なくしてお父さんが戻ってきた……大勢の人々を伴って。

 群衆を構成するのは冒険者だけでなく、濃紺色の制服を纏ったギルド職員や、関係のない一般の人まで様々だ。彼らは揉み合いながらお父さんを引き留めようと、口々に叫んでいる。


「エルガーさん、辞めちまうってどういう事ですか!」

「辞めないでくれよ!」


 彼らは『辞めないで』と口々に言うが……実のところ、お父さんは3年前に引退しているのだ。だけど人手が足りないとかで助っ人をして、そのままズルズルと……


『あなたという英雄に(すが)ってばかりいるから、この街の冒険者は育たないんです!』


 お母さんはそう言っていたが、現状を見て、それを否定できる要素は何処にもないだろう。


「お前ら……」


 お父さんは自分を求める人々の声に辛そうな顔をしていたが、ある一言に目の色を変えた。


「アンタが辞めたら、誰がテルドルを護るんだよ!」


 その言葉に追随する声が多数上がり、引き留めるはずが責任を問うような空気になっていた。そんな不健全な空気の渦中にいて、お父さんは憤るように拳を固く握り絞めた。


「お前らだ!」


 叩き付けるような怒声に場は静まり返った。

 厳かな静寂の中、お父さんは幾分落ち着いた声で、自戒する風に言う。


「俺に頼れば済むって考えがあるから、誰もカンプフベアに立ち向かおうとしないんだ……そのせいで対処が遅れて、危険にさらされる人間が出てくるんだ…………」


 その言葉に冒険者は元より、集まった誰もが深く項垂れた。

 お父さんを引き留めようとする現状が、何よりそれを物語っているからだ。


「助言くらいはしてやる。だが、二度と冒険には出ない。俺は引退したんだ」


 そう言い残してドアを閉じるとカウベルが虚しく鳴り響いた。

 群衆が静かに散っていくと、お母さんは夫に駆け寄った。


「あなたっ!」


 娘の前で憚ることなく抱きつくと、大きな胸に顔を埋める。お父さんもまた、大きな腕で抱きしめると頭頂に鼻先を埋める。


「…………」


 2人が出会ったのはあの絵画にもあった、魔物の襲撃事件の直前だったという。

 以来、交際を重ねて結婚して……それから現在に至るまで、お母さんはずっと不安で居続けたのだ。ましてや、お父さんは誰よりも危険な仕事を任されていた訳で……

 それを思えば、今はそっとしておいてあげたい……だが、開店時間が迫っている。


「……ねえ。今日くらい、お休みにしても良いんじゃない?」


 尋ねるとお母さんは顔を話、泣きはらした目を指先で擦りながら首を振る。


「いいえ。仕事はするわ」

「でも……」

「それとこれとは、別だもの……」


 お父さんの方へ向き直ると、高い位置にある顔に手を添え、つま先立ちになってキスをした。

 唇を離すといつものキリッとした顔に戻り、厨房へ向かう足取りも(りん)としたものになるのだった。

 一方、お父さんは何か、()きものが落ちたような清々しい顔をしていた。




 お父さんの引退宣言(2度目)は瞬く間に街中を巡ったようで、真相を探ろうとして、お客さんが大挙して押し寄せてきた。

 狭い店内はすでに満員であり、お店の外には長蛇の列ができている。普段はピークタイムでもこうはならない。それだけに今回の出来事が如何に周囲の感心を集めているかがよく分かる。

 だが、感心してもいられない。

 少しでも回転率を上げて、お客さんの待ち時間を減らさなくては。

 次のお客さんの元へ急ごうとしたとき、ウワサ好きで有名なサラさんに捕まる。


「リーベちゃん。エルガーさんが引退するってのは本当なんかい?」


 過去の恩を思い出してお礼を言いに来てくれる人もいたけれど、大半はおばさんのように、好奇心を満たす目的でやって来ていた。

 この日何度目かの問い掛けに辟易(へきえき)しつつ、失礼のないよう、丁重に答える。


「お父さんももう若くありませんので――」

「おや! アタシの見立てはあと15年はやれそうなのに!」

「はは……ありがとうございます。それでは――」

「引退は2度目だけど……そうさね。こうなったら2代目が必要なんじゃないかい?」


 期待の眼差しでわたしを見た。しかし、言うまでもなくわたしは戦えない。何より、食堂を継がなくちゃならないのだから。


「まさか! お父さんには弟子が沢山いますので」


 会話を打ち切ると、今度は(しゃが)れた声に呼び止められる。


「……リーベよ」

「はい?」


 振返った先には初老の男性がいる。

 右腕が無く、右の頬には深い裂傷痕があった。年齢を重ね、たるんだ目元は悲しげで、その奥に収まる瞳には生気が感じられない。全体的に陰気を放っている彼は、数時間まえまで絵画の飾られていた場所へ目を向ける。


「ディアンさん……」

「……ワシの描いた画は、捨ててしまったのかの?」


 口振りからもわかる通り、あの画『断罪の時』はこの老人が描いたものだ。


「いえ。剣と一緒にギルドに預けてあるそうです」


 あの絵は複製画などではなく、原画なのだ。

 それは当店よりも、ギルドに飾る方がずっと相応しいと常々思っていた。

 だが、ディアンさんにとっては違うようだ。

 彼は湿気た溜め息の後、こう言った。


「ワシの分まで、死ぬまで戦うと言っておったのにの……」

「ディアンさん…………」


 彼は元々冒険者だったが、件の戦いで腕を失い、剣を捨てた者の1人らしい。

 画家として大成したものの、彼の画の端々からは冒険者業への未練を感じられると評判だ。 わたしも拝見する度、そんな感想を抱いたものだ。


「……ごめんなさい」

「いや……すまんな。こんなジジイの愚痴に付き合わせちまって。いつものアレを頼む」


 今にも泣き出しそうなその姿に、わたしの胸は疼くのだった。



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