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003 英雄の後継者

 ドンドン!


「んん……」


 ドンドンドンドン!


「う~さい……」

「リーベ! とっとと起きねえと朝飯抜きになるぞ!」

「ごはん!」


 こうして目覚めたわたしは慌ただしく身支度を調え、1階へ向かった。


 朝食は弱ってきた野菜を片っ端から入れたラタトゥイユだ。

 我が家では頻繁に出てくるメニューのひとつだが、毎度具材が変化しているため、飽きることはなかった。むしろ『今日はなんの野菜が入ってるのかな』と、楽しみでさえある。

 ちなみに今日は、ナスやズッキーニといったオーソドックスなものに加え、セロリとカボチャが入っていた。

 セロリは正直ちょっと苦手だけど、そこはさすがお母さん。上手いことあのイヤな風味を消していた。お陰で素直に料理を楽しめる。


「ふふ、おいし♪」


 ふと、お父さんの食べっぷりに目がいく。


「はぐ……うぐっ…………!」


 その勢いたるや、三日三晩なにも食べてこなかったかのようだ。


「……お父さん、ちゃんと噛んでる?」

「ごくり……ああ。栄養を無駄にはできねえからな」

「とてもそうには見えないけど……」

「お父さんは噛むのが早いのよ」


 お母さんは困り顔で言った。視線を戻すと、お父さんは「見てろ」とラタトゥイユを頬張る。


 目をこらして見ると、顎が素速く上下していた。

 今まで気にしてこなかったけどのが不思議なくらい。


「ごくり……どうだ、凄いだろ!」

「う、うん……リスみたい…………」


 驚愕していると、コンコンとノッカーが鳴った。お母さんが腰を浮かせるが、「俺が行く」とお父さんが出て行った。

大きな背中の陰には郵便屋の制服が見える。


「エルガーさんにお手紙です」

「おう、ご苦労さん」


 サインをして郵便屋を見送ると手紙を確かめながら戻って来る。


「誰から?」

「んー……おっ、ヴァールからだ!」


 お父さんは無邪気な笑みを浮かべた。

 ヴァールおじさんはお父さんの一番弟子で、わたしは小さい頃からよく遊んで貰っていた。


「おじさん? ってことはこっちに来るの!」


 わたしは嬉しくなってつい立ち上がった。


「さあな。開けてみないことにはわかんねえよ」


 そう言いつつも、お父さんは手紙を開封することなくカウンターの上に置いた。


「えー! 開けないの?」

「飯が先だ」


 お父さんは妙なところでしっかりしている。


「むう……」

「ふふ! さ、リーベもお父さんを見習って食事に戻りなさい」

「はーい……もぐもぐ」


 早く手紙の内容が知りたくて、一心不乱に咀嚼(そしゃく)した。




 食べた後で気付いたのだけれど、わたしが早く食べ終わっても仕方ないよね?

 顎の痛みに虚しさを感じつつも、お父さんの背後から手紙を覗き込む。


「こら! 人の手紙を覗くものじゃありません!」


 お母さんはそう言うが、お父さんは笑って許してくれた。


「良いじゃねえか。どうせヴァールからなんだしよ」

「……あなたがそういうなら」

「やった! ――どれどれ」


 紙面には筆圧が濃く、角張った文字が並んでいる。一画の初めには決まってインクが滲んでいて、昔ディアンさんに見せてもらった東国の文化『ショドウ』を彷彿させられる。


『師匠へ

 察しているとは思うが、今度――多分この手紙が届いた、一週間後にそっちに行く。

 理由はふたつだ。

 ひとつは第三級以上の魔物が数を増やしている事。

 もうひとつは、俺も弟子を取ったからだ。無愛想なヤツだが、素質は確かだ。期待していてくれ。

 シェーンとリーベによろしく。以上』


 事前に手紙を出してくるくせに、拝啓や敬具という語を用いない辺り、おじさんはおじさんだ。


「ほお……弟子か」


 お父さんは愉快そうに口角を吊り上げた。


「ヴァールのヤツがここまで太鼓判を押すって事は、相当な逸材なんだろうな」

「では、やはりいらっしゃるのですね?」


 お母さんもまた、声が楽しそうだ。


「ああ。1週間後だとよ」

「そうですか。じゃあ、お料理もたくさん用意しておかないといけませんね」


 お母さんは立ち上がるが、わたしは未だ『弟子』という単語から目が離せないでいた。


 おじさんに弟子が?

 どんな人か気になって仕方ない。やっぱり男の人で、背が高くてがっしりとしてるのだろうか? 冒険者なんだもん、そうに決まっている。


「リーベ?」


 お母さんに呼ばれてハッとする。


「……あ、なに?」

「食べ終わったんだから、ホールのお掃除をしておいてちょうだい」

「はーい」


 道具を取りに行こうとした時、お父さんは言う。


「悪いが、俺は屋根裏の続きがあるから」

「ええ。わかっていますよ」


 そんなこんなでわたしたちの日常が始まるのだった。

  




手紙が来てから8日が経ったけど未だにおじさんたちは来ず、わたしは今か今かとやきもきしながら過ごしていた。


 それはそうと、今日は定休日だが、お店の仕事はちゃんとある。言い換えれば、次の営業日を迎えるための準備だ。お父さんは上階の掃除を。お母さんは食材の状態確認や設備の点検など、厨房回りを担当している。そしてわたしはホールの掃除を任され、現在は窓を拭いていた。


「う~ん!」


 背伸びをするも、高い所に手が届かない。わたしも成長期だから、そろそろ届いてもいい筈なんだけど……無念。

 仕方ない。椅子を使おう。そう思って視線を下ろすと、窓ガラスに大きな顔が張り付いていた。


「きゃああああっ!」


 ビックリして尻餅をつくと、窓の向こうから重低音の笑い声が響いてくる。


「だはは! 驚いてやんの!」


 それを聞きつけてか、お父さんたちがホールにやって来る。

 わたしが立ち上がると同時にカウベルが鳴り、入り口に例の顔が現れる。


「よっこいしょっと」


 身を屈めながらに入ってきたのは210センチはあるという巨漢だ。

 ヒグマのように隆々とした体付きをしていて、それにライオンのように大きく彫りの深い頭が乗っている。(いか)めしい出で立ちであるがしかし、陽気な笑みを浮かべているから恐ろしいという印象は相変わらずなかった。


 おじさんは軽く手を上きながら分厚い唇を割り開く。


「うっす」

「ようヴァール。元気そうでなによりだ」

「ああ。師匠の方こそ」


 2人は拳を突き合わせる。おじさんの拳が大きすぎて、まるで大人と子供がやっているように見えるが、両者ともに大人だ。さらに言えば、お父さんだって長身の部類に入るのだが……錯覚とは恐ろしいものだ。


「シェーンもリーベも元気そうだな!」


 おじさんが順繰りにわたしを見る。その小さな目には小バカにする風があり、ムカっとした。


「もお~っ! おじさんったら、びっくりさせないでよ!」

「はは! あんな脅かし甲斐のある格好でいるお前が悪いんだよ!」


 悪怯(わるび)れる事なくそう言い切った。


 わたしは悔しくて仕方なかったが、おじさんの背後から響く涼やかな声に(なだ)められる。


「いけませんよヴァール。それでリーベさんがケガをしたらどう責任を取るつもりですか?」


 おじさんの陰から線の細い青年が現われる。

 月光を編んだような金髪は儚く、端整な造りの顔には湖面に浮かぶ月のような、澄んだ瞳が収まっている。体格はやや長身の部類であるがしかし、隣にあのおじさんが立っているという事もあり、小柄に見えてしまう。そのせいか、彼の女性的な美貌がいっそう際立って見えた。


「すみませんね。ヴァールは相変わらずで」

「いいえ。お久しぶりです。フェアさん」


 彼は穏やかに目を細める。


「ご無沙汰しております」

「2人ともご無事の用で安心しました」


 お母さんの言葉に夫が続く。


「本当にな。それで? 例の弟子は何処にいる?」


 その言葉に思い出したわたしは注目した。


 2人が両脇に退(しりぞ)くと、そこには小柄な――わたしと同じくらい小さな男の子がいた。

 真っ黒なさらさらの短髪に、丸い輪郭の顔。首には赤いスカーフを巻いていて、まるで黒猫のようだ。彼はくりくりと愛らしい瞳で順繰りに見回し、お母さんに目を留める。


「…………」


 その美貌に見蕩れてしまったのか、瞳が恍惚(こうこつ)と潤む。


「ふふ、初めまして」

「っ……!」


 微笑まれると照れくさくなったのか、前髪とスカーフを掴んで(うつむ)いた。


 そのあどけない振る舞いにわたしは思わずきゅんとしてしまった……

 一方、お父さんは呆れとも驚きともつかない、間の抜けた声を漏らした。


「…………弟子って、コイツがか?」

「ああ……フロイデっつうんだが、人見知りが激しいんだ。まったく、ガキっぽくて仕方ねえ」

「ガキじゃない……!」


 フロイデくんが控えめに反論する。師匠であるおじさんに対しても若干ぎこちないようだ。

 肝心の説得力はというと……うん。まあ……うん。


「……そうか。俺はエルガー。それに嫁のシェーンと、娘のリーベだ。よろしく頼む」

「よろしくお願いします」


 改めて挨拶をすると、フロイデさんは伏し目がちに「……よろしく」と返した。

 一段落ついたところでおじさんが切り出す。


「それよか、バートのヤツから聞いたんだが――」

「それはひとまず、お茶を飲みながらにしましょう」

 

 お母さんが言うと、おじさんは「うっす」と目礼する。


 今日が営業日だったら話し合うどころか、挨拶すらままならなかっただろう。

 ラッキーと思いつつ、わたしはお母さんの手伝いに向かった。




 2つ連なった丸テーブルには茶と菓子、果物が並んだ。

 それを取り囲む面々は凹凸が激しく、風貌も一様でない。お茶会と呼ぶには奇怪もいいところだが、それでもお茶会だ。


「ふう……良い香りですね」

 フェアさんは陶然(とうぜん)と目を瞑り、カップから広がる香気を(たの)しんでいる様子。お母さんも同様で、なんかそれっぽいことを口にする。


「いただき物の茶葉なんですが、とても香りが良い品種だそうで」

「なるほど……繊細な香りがするわけで――」

「ずずずーっ!」

「もっもっもっ……!」


 おじさんはお茶をすすり上げ、フロイデくんは一心不乱にスコーンを頬張っている。楽しみ方はそれぞれだが、品の欠片も無かった。


「……申し訳ありません」

「いえいえ」


 お母さんがクスリと笑うと、カップを乾かしたおじさんが口を開く。


「そんで、剣を捨てたってのは本当なんか?」


 師に向ける瞳には深い理解と、敬愛ゆえの引き留めたい気持ちが見て取れた。それは同門であるフェアさんも同様だった。


「…………」


 弟子の眼差しを受け、お父さんは瞑目した。感情を抑えるかのように一服すると、時間を掛けて息を吐き出す。


「……そうだ」


 曲解の余地のない答えに弟子2人は溜め息をついた。


「そうかい。ま、師匠も若くねえんだし、けじめは付けるべきだよな」

「……悪いな」

「アンタの命に関わんだから、無理は良くねえよ」

「ヴァールの言うとおり、魔物は私たちに任せて御自愛ください」

「そう言ってもらえるとありがたい」

「これからは食堂だけに絞るんか?」

「そのつもりだ」


その言葉にわたしは深く安堵した。

 帰って来ないんじゃ……と不安になる夜も無くなるし、なによりずっと一緒にいられるのが嬉しかった。言葉には出さないけど、お母さんはわたし以上に大きな感動を抱いているに違いない。


「ところで、お前はどうして冒険者になった?」


 フロイデくんへ向け、お父さんが問い掛ける。すると彼は食べカス塗れのままきょとんとし、伏し目がちに答える。


「……えと、倒したい魔物がいるから」

「そうか……」


 その言葉を受け、お父さんは追求しようとはしなかった。むしろ、同情めいた目をして、少年を見ている。


 場は何となく気まずい空気が流れる。わたしは一服して誤魔化すけれど、茶は冷めていた。


「と、ところで、フロイデくんは何歳なの?」


 猫舌なのか、冷めているであろうお茶をふーふーしていた彼はビクリと肩を跳ね上げ、縮こまって答える。


「……じゅうろく」

「へー、16歳か……て、ええ⁉ わたしより年上⁉」


 彼が不服そうに茶を(すす)る傍ら、おじさんが大口を開けて笑った。


「だはは! やっぱりその反応か!」

「だ、だって――」


わたしと同じ背丈である事。彼が男性である事を鑑みれば、わたしよりも年下だろう。そう考えていたのだが、どうやら違ったらしい。

 どう取り繕ったものか、持て余しているとフェアさんが言う。


「ふふ、誰しもヴァールのようにわかりやすくはないと言うことです」

「そうだ――って、どういう意味だ!」

「そのまんまです」


 6人には広すぎる家に思われたホールには笑いに満ちる。わたしは口下を覆いつつも、ちらりとフロイデくん……さんを盗み見る。むっつりと口を閉ざしたまま茶を啜る姿は人見知りする幼子のそれだった。




 お茶が終わるなり、おじさんは言う。


「んじゃ、いつものアレ、やるか」


 意気揚々とドアへ向けて歩き出すが、お父さんが待ったを掛ける。


「悪いが、俺はもう引退したんだ。鍛練ならお前らだけで――」

「別に冒険に出るわけではありませんし、そのくらい、良いではありませんか?」


 お母さんが言うと、お父さんは頬を緩めた。


「そうだな……いや! いかん!」


 首を振って必死に堪えるのがかわいそうで、わたしは口を挟んだ。


「お母さんの言うとおりだよ! それに、『助言くらいはしてやる』って、自分で言ったじゃない?」

「うぬぬ……そうだな」


 お父さんが折れると、おじさんは「そうこなくちゃ!」と指を鳴らした。


「ご迷惑をおかけします」


 フェアさんが丁重に言う傍ら、おじさんがフロイデさんに言う。


「そういう事だから、フロイデ、師匠に情けねえとこ見せんじゃねえぞ?」

「うん……!」


 彼は「ふんすっ!」と意気込みを露わにする。


 男性陣が出て行くと、わたしたちは茶器の片付けに取り掛かる。

 しかしわたしは、みんなについていきたいという思いでいっぱいで、注意散漫になっていた。


「あ」


 カップがコテッと倒れて、テーブルに転がる。危うく落ちそうになるが、持ち手のお陰で事なきを得た。


「ふう……セーフ」


 安堵の溜め息をつくと、お母さんが言う。


「リーベもお父さんと一緒に行ったら?」

「……でも」


「片付けぐらいわたし1人で十分よ。いつもお手伝い頑張ってくれてるんだから、休みの今日くらい、羽を伸ばしてきたら?」


 優しい言葉にわたしは胸が疼くのを覚えた。


 お母さん1人に仕事を押しつけるのもアレだが、おじさんたちがいる期間は限られているのだ。

……逡巡(しゅんじゅん)の末、あちらを優先することにした。


「ありがとう、行ってきます!」






 お父さんは弟子が尋ねて来たときはいつも、街の東門の外で稽古をつけている。

 そのためわたしは一直線に東門へ向った。


「やあ、リーベちゃん。こんにちは」


 門番のサイラスさんが穏やかに挨拶してきた。


「こんにちは」

「リーベちゃんも見学かい?」

「はい。……ん? 『も』ってどういう事ですか?」

「それは言って見れば分かるよ」


 苦笑するその姿に、わたしは一層不思議になるのだった。


「あの、通っても良いですか?」

「もちろん。ただ、門の前でも街の外だから。気を付けてね?」

「はい。ありがとうございます」


 サイラスさんが門を小さく開けてくれた。その隙間から向こうへ出る。

 テルドルは高山地帯にあり、必然的に坂が多い。東門を抜けたそこも例に漏れず、緩やかな傾斜を経て麓へと続いている。周囲にはポツポツと木が生えている以外は何もなく、剣の鍛練をするには持ってこいの環境だ。


 本来なら静かな場所だがしかし、今は観衆で賑わっている。

 彼らは皆、道端で鍛練をしているお父さんたちを見ていた。いつもはこうはならないけど、引退騒動の最中であるからして、皆の関心を集めたのだろう。


「なるほど……」


 わたしは乾いた笑いを発しつつも、その輪に交じる。


 師弟三人の見守る先ではフロイデさんが真剣を構えている。

 切っ先を天に、頭の真横に据える。左足を前にしており、多分そちらに体重を載せているのだろう。引いた右足は体に対してほぼ垂直で、この後にどんな動作をするか、剣術に通じていないわたしでも子細に渡って思い起こせるほど、彼の構えは模範的だった。


 感心しつつ彼の顔を見ると、そこには先程までのあどけなさはなかった。まるで職人のような厳然な面持ちであり、遠目に見守るわたしまでもが緊張させられた。


「…………」


 彼に注目していると、その呼吸が長いのが伝わってくる。集中している時って、周りが見えなくなる事があるけれども、彼はまさにその状態にあるのだろう。


 そう思った次の瞬間――


「――っ!」


 ヒュンと空気が裂かれ、彼の10メートルほど前方にある茂みが音を立てた。


 達人は斬撃を飛ばす事が出来るが、あの若さでその片鱗を見せるなんて並ではない。


「……すごい…………」


 そう呟いた時、観衆からは拍手が上がった。


「あのチビ、中々やるじゃねえか」

「ああ。ヴァールさんが弟子に取るだけはあるな」


 観衆に交じっていたボリスさんとバートさんが言う。冒険者故に声が大きく、それを耳にしたであろうフロイデさんは真っ赤になって(うつむ)いた。


 あ、お父さんがこっち見た。


「おう、リーベ!」


 手を振り返しながら駆け寄ると、フロイデさんは顔を背けた。


「お前も見てただろう、コイツは大したもんだ!」

「ほんと! 遠くの樹を揺らしちゃうなんて凄いです!」


 2人で褒めると、彼は耳まで赤くなった。照れ屋な彼を見かねてか、フェアさんが言う。


「ふふ、倒れられても困りますから、お手柔らかにお願いします」

「はは、そうしとくか」


 お父さんが笑っていると、脇からおじさんが木剣を差し出した。


「師匠、コイツにひとつ、手本を見せてやってくれ」

「ああ、もちろんだ」


 木剣はフロイデさんの長剣よりもやや短く、刃渡り70センチと言ったところだ。訓練用のそれは刃に相当する部分が厚く、丸まっている。さらに言えば、剣戟のために凹んでいたりもする。そんな使い込まれた一品を手に、フロイデさんと場所を入れ代わる。


 するとガヤガヤしていた観衆が静まった。

 静寂の中、フロイデさんと同様に顔の脇に剣を構えるがしかし、その姿から受ける威圧感はまるで違う。


 片やあどけない少年、片や背恰好の良い壮齢の男子……違いが出るのは当たり前だが、そうではない……まるで全身が一振りの剣であるような……そんな感じだ。


「――っ!」


 一瞬、気迫を放ったかと思えば、既に振り抜いていた。


……バサッ。

 虚しい音を立てて、フロイデさんが揺らした茂みが切り裂かれる。こんもりとした輪郭は袈裟(けさ)に裂かれており、その異様は誰の目にも明らかだった。


「…………」


 わたしは唖然とさせられた。

 真剣で同じ事をやっている場面を見たことはあったものの、長さ・重量・鋭さのいずれでも劣る木剣で実現できるなんて思っても見なかった。


 わたしの隣ではフロイデさんがあんぐりと口を開いている。

 彼の目にはきっと、わたし以上に衝撃的なものとして映っていることだろう。


「……すご――」

「うおおおっ!」

「さっすが、俺たちの英雄だぜ!」

「これで辞めるって嘘だろ!」


 フロイデさんの驚嘆(きょうたん)は観衆の拍手喝采にかき消された。

 その大音量にギョッとした彼だが、アウェー感に沈むことなく、むしろキラキラとした畏敬の眼差しを大師へと向ける。


「どうやればできる……!」


 お父さんはその変容に目を丸くしたが、すぐに人の良い笑みを浮かべる。


「そうだな……お前は基礎が出来てるから、ヴァールの指導に耳を傾けて、ひたむきにやることだ」

「やってる!」

「はは! そうか……だったら、焦らずじっくりやるこった!」


 小さな頭をわしゃわしゃやると、フロイデさんは飼い慣らされた猫のように黙って愛撫を受けた。


「こりゃ、育て甲斐のあるヤツを見つけてきたな!」

 

 そう言って弟子2人へ視線を投げる。


「見つけてきた……まあ、そうだな」


 おじさんは妙に歯切れの悪い言葉を発した。

 



 鍛練が進む内、観衆は1人。また1人と帰って行った。退屈だからだろう。

 最後まで残っていたボリスさんとバートさんも『冒険の支度があるから』と義理堅くわたしに告げて去って行った。

 こうして周囲の熱が失われた一方、4人はヒートアップしていった。

 2人1組での打ち込みをペアを変えつつ繰り返している。


「ふんっ!」


 お父さんが、おじさんの首元めがけて木剣を振り下ろす。豪速で振るわれるそれはしかし、ごく太い腕に保持された木剣によって受け止められる。


「くっ――だりや!」


 おじさんは相手の剣を外側へ押しやりつつ、切っ先を喉元へ向ける。

そこで勝負は付いたかに思われたが、お父さんは剣を絡めるように、切っ先を下へ向け、鍔と鍔を打つけて押しやった。

 その状態で2人は制止し、睨み合う。


「……へへ! 腕を上げたな、ヴァール」

「師匠こそ、ちっとも鈍ってねえや!」


 2人が仕切り直す一方、その隣ではもう1組が烈戦を繰り広げていた。


 フェアさんの振り下ろしに対し、フロイデさんは真っ向から打つからずに、外周から弧を描く形で斬り掛かる。その狙いは手であるようで――なるほど。戦闘力を失わせる目的ならばそれでも十分だろう。

 しかし、フェアさんはそれを見切ってか、切っ先を攻撃側へと傾けた。これによって相手の剣は鍔に止め、負傷を免れることに成功した(もちろん、グローブを装備している)。


 ここからでも発展のしようはありそうだが、2人は剣を降ろした。


「……ふう、フェアは魔法使いなのに、剣も上手い」


 猫が顔を洗うような仕草で汗を拭いながら言う。


 フロイデさんの言うとおり、彼は魔法使いなのだ。 


「ふふ、今まで散々、ヴァールに付き合わされてきましたからね」


 フェアさんが目を細めたその時、お父さんが声を上げた。


「うっし、こんくらいにしとくか」

「え、もういいの?」


 わたしが言うとお父さんは顎の下を拭いながら答える。


「ああ。お前だって退屈だろ?」

「ううん。わたし、稽古を観るの好きだよ?」


 自分がやらないことでも、ふとした発見があるから好きだ。


「そうか?」

「もっとやりたい……!」


 フロイデさんがやる気を滾らせる一方で、お父さんは意見を変えるつもりはないようだった。


「悪いが、シェーンを1人に出来ねえからな」

「あ、そうだった……」

「なんだ? 忘れてたのか?」

「いや、そういう訳じゃ――」

「だはは! ガキはハクジョーだからな!」


 おじさんは持病の意地悪を起こした。


「もおー! 薄情じゃないよ! ちょっと忘れてただけなんだから! あと、こどもじゃない!」

「はは、どうだか!」

「むう……!」


 おじさんの鼻を明かしたくて仕方ない……そうだ!


「わたしだって、成長してるんだから!」


 時刻はちょうどお昼前。ここは食堂の娘として、ひとつ本領を発揮してやろうじゃない!

 


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