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冒険姫リーベ ~とある少女の英雄譚~  作者: 森丘どんぐり
第1章 英雄の娘、冒険に出る
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002(旧004~006) 旧友は言う

 店内に戻ると、そこにはお母さんが待ち構えていた。

 端正な顔は悲痛に歪んでおり、伴侶らしい心配が在り在りと見て取れる。


「……カンプフベアと戦ったんですか?」

「あ……ああ」


 お父さんが目線を下げると、その中に収まろうとお母さんが歩み寄る。


「『人手が足りないから』と助っ人に出たんですよね?」


 静かな言葉には怒りさえもが(にじ)んでいて、わたしは胃が痛くなる思いだった。それはお父さんも同じのようで、沈黙の後「悪い」と小さく答える。


「でもカンプフベアをやれるヤツなんて――」

「いつまでもあなたが助けてるからでしょう!」


 頬を叩く代わりの一声は、水を打ったかのように静寂をもたらした。


「……あなたという英雄に縋ってばかりいるから、この街の冒険者は育たないんです! それに、もう若くないんです! これじゃあ……いつか破綻しますよ…………」


 激しく言葉を連ねる中でお母さんは涙を滲ませていった。その様子が一層身に沁みたのか、お父さんはただ一言、謝った。


「……すまねえ…………」

 

 しばらくの沈黙の末、お母さんは声を絞り出した。


「約束してください……もう、絶対に冒険に出ないでください」

「それは………………………………………………」


 お父さんは絶句した。

 それもそうだろうと、蚊帳の外にいたわたしには分別できた。

 お母さんは『自分の命と仕事』を言っているのに対し、お父さんは『自分の命と他者の命』を天秤に掛けているからだ。

 あの商人の感謝の程から類推するに、今回はよほど逼迫(ひっぱく)していたのだろう。だとすると、冒険に出たのがお父さんじゃなかったら……あの人は亡くなっていたのかもしれない。

 それを思えば、娘の立場から追求することは(はばか)られる。


「お母さん……気持ちは分かるけど――」

「いいんだ。リーベ……」


 言われて見やると、お父さんは確かな覚悟を滲ませていた。

 妻の肩を掴み、涙に塗れた瞳を見据えて言い放つ。


「わかった。金輪際、二度と冒険には出ない」

「……本当ですか?」

「本当だ! ああ、約束する!」


 そう言うとお父さんは2階へ駆け上がり、2本の剣を抱えて降りて来た。


「何をしてるの⁉」

「そもそも武器があるからいけねえんだ! あとこれもだ!」


 お父さんは例の絵画を剥がすと外へ通じるドアに飛びつく。

 自棄になっているのは明らかで、痛ましいとさえ言える。


「そこまでしないでもいいでしょ!」


 お母さんからも言ってもらおうと振り向くも、固く口を噤んでいる。


「お母さん……」


 対応に(あぐ)ねている間にもお父さんは外へ飛び出し、何かから逃げるように駆けていった……冒険者ギルドの支部がある方角だ。


「…………お父さん」


 娘としては喜ばしい出来事だけれど、なんだか可愛そうでならなかった。それはお母さんも同じのようで、その場に座り込んで泣いていた。




 程なくしてお父さんが戻ってきた……大勢の人々を伴って。

 群衆を構成するのは冒険者だけでなく、濃紺色の制服を纏ったギルド職員や、関係のない一般の人まで様々だ。彼らは揉み合いながらお父さんを引き留めようと、口々に叫んでいる。


「エルガーさん、辞めちまうってどういう事ですか!」

「辞めないでくれよ!」


 彼らは『辞めないで』と口々に言うが……実のところ、お父さんは3年前に引退しているのだ。だけど人手が足りないとかで助っ人をして、そのままズルズルと……


『あなたという英雄に(すが)ってばかりいるから、この街の冒険者は育たないんです!』


 お母さんはそう言っていたが、現状を見て、それを否定できる要素は何処にもないだろう。


「お前ら……」


 お父さんは自分を求める人々の声に辛そうな顔をしていたが、ある一言に目の色を変えた。


「アンタが辞めたら、誰がテルドルを護るんだよ!」


 その言葉に追随する声が多数上がり、引き留めるはずが責任を問うような空気になっていた。そんな不健全な空気の渦中にいて、お父さんは憤るように拳を固く握り絞めた。


「お前らだ!」


 叩き付けるような怒声に場は静まり返った。

 厳かな静寂の中、お父さんは幾分落ち着いた声で、自戒する風に言う。


「俺に頼れば済むって考えがあるから、誰もカンプフベアに立ち向かおうとしないんだ……そのせいで対処が遅れて、危険にさらされる人間が出てくるんだ…………」


 その言葉に冒険者は元より、集まった誰もが深く項垂れた。

 お父さんを引き留めようとする現状が、何よりそれを物語っているからだ。


「助言くらいはしてやる。だが、二度と冒険には出ない。俺は引退したんだ」


 そう言い残してドアを閉じるとカウベルが虚しく鳴り響いた。

 群衆が静かに散っていくと、お母さんは夫に駆け寄った。


「あなたっ!」


 娘の前で憚ることなく抱きつくと、大きな胸に顔を埋める。お父さんもまた、大きな腕で抱きしめると頭頂に鼻先を埋める。


「…………」


 2人が出会ったのはあの絵画にもあった、魔物の襲撃事件の直前だったという。

 以来、交際を重ねて結婚して……それから現在に至るまで、お母さんはずっと不安で居続けたのだ。ましてや、お父さんは誰よりも危険な仕事を任されていた訳で……

 それを思えば、今はそっとしておいてあげたい……だが、開店時間が迫っている。


「……ねえ。今日くらい、お休みにしても良いんじゃない?」


 尋ねるとお母さんは顔を話、泣きはらした目を指先で擦りながら首を振る。


「いいえ。仕事はするわ」

「でも……」

「それとこれとは、別だもの……」


 お父さんの方へ向き直ると、高い位置にある顔に手を添え、つま先立ちになってキスをした。

 唇を離すといつものキリッとした顔に戻り、厨房へ向かう足取りも(りん)としたものになるのだった。

 一方、お父さんは何か、()きものが落ちたような清々しい顔をしていた。




 お父さんの引退宣言(2度目)は瞬く間に街中を巡ったようで、真相を探ろうとして、お客さんが大挙して押し寄せてきた。

 狭い店内はすでに満員であり、お店の外には長蛇の列ができている。普段はピークタイムでもこうはならない。それだけに今回の出来事が如何に周囲の感心を集めているかがよく分かる。

 だが、感心してもいられない。

 少しでも回転率を上げて、お客さんの待ち時間を減らさなくては。

 次のお客さんの元へ急ごうとしたとき、ウワサ好きで有名なサラさんに捕まる。


「リーベちゃん。エルガーさんが引退するってのは本当なんかい?」


 過去の恩を思い出してお礼を言いに来てくれる人もいたけれど、大半はおばさんのように、好奇心を満たす目的でやって来ていた。

 この日何度目かの問い掛けに辟易(へきえき)しつつ、失礼のないよう、丁重に答える。


「お父さんももう若くありませんので――」

「おや! アタシの見立てはあと15年はやれそうなのに!」

「はは……ありがとうございます。それでは――」

「引退は2度目だけど……そうさね。こうなったら2代目が必要なんじゃないかい?」


 期待の眼差しでわたしを見た。しかし、言うまでもなくわたしは戦えない。何より、食堂を継がなくちゃならないのだから。


「まさか! お父さんには弟子が沢山いますので」


 会話を打ち切ると、今度は(しゃが)れた声に呼び止められる。


「……リーベよ」

「はい?」


 振返った先には初老の男性がいる。

 右腕が無く、右の頬には深い裂傷痕があった。年齢を重ね、たるんだ目元は悲しげで、その奥に収まる瞳には生気が感じられない。全体的に陰気を放っている彼は、数時間まえまで絵画の飾られていた場所へ目を向ける。


「ディアンさん……」

「……ワシの描いた画は、捨ててしまったのかの?」


 口振りからもわかる通り、あの画『断罪の時』はこの老人が描いたものだ。


「いえ。剣と一緒にギルドに預けてあるそうです」


 あの絵は複製画などではなく、原画なのだ。

 それは当店よりも、ギルドに飾る方がずっと相応しいと常々思っていた。

 だが、ディアンさんにとっては違うようだ。

 彼は湿気た溜め息の後、こう言った。


「ワシの分まで、死ぬまで戦うと言っておったのにの……」

「ディアンさん…………」


 彼は元々冒険者だったが、件の戦いで腕を失い、剣を捨てた者の1人らしい。

 画家として大成したものの、彼の画の端々からは冒険者業への未練を感じられると評判だ。 わたしも拝見する度、そんな感想を抱いたものだ。


「……ごめんなさい」

「いや……すまんな。こんなジジイの愚痴に付き合わせちまって。いつものアレを頼む」




 今にも泣き出しそうなその姿に、わたしの胸は疼くのだった。


「ふう……」


 波乱のディナータイムを凌ぎ、疲れを引き摺ったまま店内の清掃を終える。

 もはや達成感はなく、額に滲む汗を拭うことさえ億劫(おっくう)だった。


「お疲れ様。これ飲んだらお父さんを呼んできてちょうだい」


 労いの言葉と共にリンゴジュースを渡される。わたしを気遣う一方、お母さんはひとりで夕食の用意をするつもりらしい。


「あ、わたしも手伝うよ」

「いいのよ。今日はすごい大変だったでしょう?」

「うん、まあ……じゃあ、お言葉に甘えて……」


 リンゴジュースを口に含むと、その甘みが身に沁みた。

 疲れた時は甘いものに限る……




 ジュースを飲み終え、2階に上がる。 

 2階は住居になっていて、わたしの部屋と夫婦の部屋。そして今は亡きおじいちゃんの部屋と3部屋ある。だが、お父さんがいるのはこのさらに上、屋根裏部屋だ。

 廊下の奥にある階段を上っていくとお父さんの悩ましげな声が聞こえてくる。


「これは……いる。これは……いらないな」


 開け放たれたドアの向こうにはわたしに背を向け、魔物の素材を選別するお父さんの姿があった。あぐらを掻いて手元に集中する様は工作に励む子供のようで、なんだか可笑しかった。


 屋根裏部屋には窓があり、風通しは良いはずだが、()()()()している。これがお父さんの体温によるものなのだとしたら、相当に頭を使っているのだろう。


「お父さん、晩ご飯できてるよ?」

「あー、今行くー」


 予想通り生返事された。


「お、これは!」


 大きな声に好奇心を起こしたわたしは恐る恐る屋根裏部屋に踏み込んだ。

 お父さんは魔物の素材を保管する悪癖があり、部屋中に悍ましい物体が散らかっている。中でも嫌いなのは――


「ひい――」


 壁に掛けられたカンプフベアの毛皮に目が留まる。

 昔、お父さんが斬り落としたと言う右腕の毛皮で、その太さたるや、わたしのお腹を2周はできそうだ。


 慌てて視線を逸らした先でお父さんが何かを光に透かしていた。ゴツゴツとした黄金色の物体で――


「金っ!」


 金塊なんて初めて見た……!


「リーベ⁉ ……見られちまったか」


 お父さんは元英雄らしからぬ動揺を見せた。

 今更金塊を陰に隠すが、観念した風に溜め息をつく。


「……秘密にできるか?」


 神妙な問い掛けに思わずごくりと唾を飲み下した。


「う、うん……約束する」


 お父さんはしばしわたしの目を見て信頼に足ると踏んだのだろう。それを差し出してきた。


「金……じゃない」


 持って見ると、思いのほか軽かった。

 表面はゴツゴツとしていて、風を切るような形状をしている。裏側には剥離したような跡があり、まるで――


「うろこ……?」

「そうだ……俺がなんで英雄扱いされてるかは知ってるな?」

「うん。20年前に冒険者たちの先頭に立って、魔物の軍勢を押し返したんだよね?」

「ああそうだ……その後、俺は師匠と、あと居合わせた魔法使いのジジイとの3人で事の真相を探りに行ったんだ」

「ごくり……」

「南のグラ・ジオール山の中腹に、何枚かの鱗と、あと……いや。とにかくそれはあった。あれから20年。ギルドが調査を進めているが、未だ何の魔物か知れないでいるんだ」

「ていう事はまだ……」


 血の気が引いていくのを覚えた。


「まだヤツは死んでねえ。この世の何処かで生きながらえてるはずだ」

「そんな……」


 恐ろしい事件を引き起こしたであろう魔物が生きている……いずれ、また何処かで誰かが危険にさらされる日も来るのだろう。

 それを思えば……なるほど。存在が秘匿されるワケだ。


「俺は決戦に備えて次の世代を育てる任務を――これは関係ねえな。とにかくやべえ魔物の鱗なんだ。分かってることと言えば、やつがドラゴンってくらいだ」

「へえ……」


 冷や汗を拭っていると階下からお母さんの声がする。


「晩ご飯の用意ができてるから、下りていらっしゃい!」

「はーい!」


 ドアの方へ声を返すと鱗を返した。


「片付けは明日にして、今日は休も?」

「そうだな――うぐうっ⁉」


 お父さんがその場に崩れた。まさか、ドラゴンの呪いが⁉


「うぐ……脚が痺れた」

「なあんだ……」


 ホッと胸を撫で下ろしていると、お父さんが恨みがましく言う。


「なんだとはなんだ! 俺はこんなに苦しんでるのに!」

「ふふ! つんつん!」


 ふくらはぎを突っつくと悶え始めた。


「ぬおおっ! や、やめろおお!」


 楽しくなって突いていると、お母さんが怒鳴るように呼び掛けてくる。


「冷めちゃうわよ! 早くいらっしゃい!」




 夕食を取った後、入浴を済ませてきた。

 入浴後は普通、清々しい心地になれる筈だが、お父さんの件で質問攻めに()って……こんなげっそりとした気分で帰宅するのは初めてだった。


「はあ……疲れた」


 お母さんは口には出さないけれど、行動の節々に疲労が窺える。それに悩ましげな目をしていて……責任を感じているのかもしれない。

 心配の言葉を掛けようとした時、お父さんに尋ねられる。


「リーベ。今日、ディアンの爺さんは来たか?」


 即答しかねたが、お父さんはディアンさんの到来を知っている風であり、隠し立ては出来そうになかった。


「……来たよ?」

「そうか……なんか言ってたか?」


 どう答えたものか悩んでいると、「そうか」と手拭いや着替えを押しつけてきた。


「悪いが、ちょっと出かけてくる」

「待って!」


 お母さんと声が被ったので、わたしは引いた。


「ディアンさんを尋ねるにしても、こんな夜更けに行く必要は――」

「あの爺さんは昼夜逆転してんだ。今日中に話を付けなきゃなんねんだ。先に休んでいてくれ」


そう言い残すとお父さんは出て行った。


 カウベルの残響が虚しく消えゆく中、お母さんは溜め息交じりに言う。


「仕方ないわね……わたしたちは先に休んでいましょうか」

「……うん」


 なんだろう。妙な胸騒ぎがしてならない。今すぐお父さんを連れ戻しに行きたいけれど、お母さんを置いてはいけない。

 わたしは窓の外を見た。

 そこに人影はなく、靴音も聞こえてこない……追いかけても、追いつけないだろう。


 2階へ上がろうとするが、お母さんがホールに居座る様子を見せた。わたしも一緒にと思ったが、「いつもお寝坊なんだから、早くお休みなさい」と断られた。食い下がろうにも、日頃の行いのせいで致し方なかった。



 

 不承不承、魔法のランプ片手に引き上げてきたわたしを出迎えてくれたのは大きな犬のぬいぐるみだった。暗闇の中、主人の帰りを待っていてくれたこの忠犬はダンクと言う名で、わたしの1番の友達だ。


「ただいま、ダンク~」


 枕元にランプを置き、ダンクをギュッと抱きしめる。

 王都有数の職人が縫い上げたと言うこの子は素材にも(こだわ)った名犬だった。抱きしめると雲のように柔らかく、本物の犬であるかのようにもふもふだった。


「はあ~……」


ダメだ。このままじゃ寝ちゃいそう……着替えなきゃ。

 ダンクは男の子だから壁の方を向かせて、それからパジャマに着替える。


 ベッドに潜り、ダンクを抱きしめ、今度こそ、夢の世界へ旅立とう……そう思ったが、不安に目が冴えてしまう。


「お父さん……大丈夫かな…………」




~~~~




 20年前の事だ。

 俺たちは魔物の軍勢を迎え撃つべく南へと急いだ。

 冒険者が20人、兵士が30人と――これだけ聞けば結構な軍隊に思えるだろうが実際は違う。統率の取れた兵士連中に、独立独行する冒険者たちが編成されるのだ。それはまさに烏合(うごう)の衆で、実際に魔物と遭遇した時には深刻な混乱をきたしたものだ。


『誰が戦うんだ』『アイツらがやるだろう』と、言った具合に。


……こんな体デッカチの集団が、どうして魔物の大軍を退けられたのか。

 それは、犠牲者が出たからだ。


 緒戦(しょせん)を凌いだ時、仲間たちはいがみ合っていた。それを仲裁しようと俺が無防備に背中を晒したその時、魔物が飛び掛かってきたんだ。

 そんな窮地を、身を(てい)して庇ってくれたのがディアンだ。そのせいで右腕が喰われたというのに、アイツはそれを利用して軍を統一したんだ。


『お前らもこうなりたくなかったら、コイツの指示に従え!』


 その言葉は今でも耳に残っている。

 お陰でテルドル、シェーンを守れた……

 だから本物の英雄は断罪のエルガーじゃねえ……ディアンこそが、その栄誉を受けるに相応しい人間なんだ。


「……あ」


 ふと街路の脇に目を向けると、戦いの後でディアンと入った酒場があった。

 アイツは利き腕を無くしたから残った左手でジョッキを持っていた。慣れないせいで何度も零すハメになって……その痛ましさに俺は罪悪感に押しつぶされそうになった。だからせめてもの慰めになればと、ある誓いを立てた。


『俺がおまえの分まで、死ぬまで戦ってやる』って。


 ディアンはきっと、俺が戦果を立てることで冒険者としての尊厳を保ってきた……なのに、俺は誓いを反故にした。これがどれ程に罪深いことか!


「…………ふっ」


〘断罪〙と呼ばれたこの俺が、今まさに断罪されようとしている。

 これを皮肉と呼ばずになんというのだろうか。


 自嘲する間にも街角にあるディアンの家についた。


 幽霊でも出そうな古めかしい家で、ここに召し使いと2人で住んでいる。

 アイツは画家として成功している筈だが……なんて虚しいヤツだ。


 ドンドン! 


 ドアを叩くも反応がない。ここの召し使いは無能で有名だ。今頃夢の中なんだろうよ。


「ディアン! いねえのか?」


 再度叩くとドアが開き、暗がりから魔女みたいな顔が現われる。


「ディアン……」

「まったく、お前はノッカーも使えんのか」

「あ?」


 ドアを見ると、シカモチーフのノッカーがあった。


「ホントだ……あはは!」

「……これでよく冒険者をやってこられたものだな」


 陰気な目が俺を睨み上げる。心を見透かされているようで、俺は胸が(うず)くのを覚えた。


「そんなところに突っ立っておらんで、入ったらどうなんだ?」

「あ、ああ……そうする」


 カビ臭い廊下を歩く中で、俺はディアンの無き右腕ばかりを見つめていた。幻肢痛って実在するのだろうか? そんな些細であり、重大な疑問が俺の胸を圧していく。


 アトリエは厨房から設備を抜き出したような造りで、代わり画材が所狭しと置かれている。その中央には描き掛けのカンバスがあった。


「…………」


 描かれているのはワイバーンという魔物で、青空を背にこちらを睥睨(へいげい)している。背後には太陽があるのか、顔や腹には逆光で影が差している。その一方で翼膜は透けており、それがリアリティを超越した迫力を生み出していた。

 俺はワイバーンと戦った事が何度もあるが……それだけに、この画が、俺の記憶の一部を抜き出しているように思えてならない。


「すげえな……」

「ワシは見たまんましか描かない……だからそろそろ、ネタ切れだ」


 ディアンは色()せた目をカンバスに向けて言う。その言葉に……仕草に。俺の内でわだかまっていた罪悪感が一層と重厚なものになる。その重みに耐えかねて、俺は詫びを零した。


「……すまねえ」


 弁明の言葉などなく、俺は深々と頭を下げる。

 それから澱んだ空気が流れ、それは瘴気(しょうき)のように俺の心を蝕んでいく……

 息苦しさに内心、喘いでいると、ディアンのヤツが意外なことを口走る。


「2人目でもできたのか?」

「……え?」

「引退してなお、武器を手放さなかったお前がそれを手放した。なら、それだけの事情があると考えるのが普通だろう?」

「……そうか」


 俺は頭を上げ、憮然(ぶぜん)とした目を見る。


「いや、そんなめでたいことじゃねえ。……俺は引退してからも、他の連中には狩れないような魔物を引き受けてきた。だが、家族を心配させたくはなかった。だからいつも嘘をついてきたんだ」

「……で、それがバレたと」

「ああ。寄りによって、カンプフベアと戦った事が知られたんだ。……それで、シェーンに言われたんだ。俺に頼ってばかりいるから、この街の冒険者が育たないんだ……若くねえから、このままじゃいつか破綻(はたん)するってな」

「道理だな」


 ディアンは瞑目(めいもく)した。

 コイツが激情家でないことは知っている。だから一定の理解を示してくれることには何の驚きもない。だがそれだけに恐ろしかった。

……言うべきことは言った。後は判決を待つばかりだ。


再び沈黙が流れ……しばらくの後、ハゲタカのような目が俺を睨んだ。


「エルガーよ。お前はあの時、言っていたよな? ワシの分まで、死ぬまで戦うと」

「……言った」

「お前の事だ。それを気にしてるのだろうが、それについて今更どうこういうつもりはない」

「何でだ?」


 問わずにはいられなかった。言い終るや、ディアンはクツクツと笑い始めた。


「な、何がおかしい!」

「くく! 一度引退しているやつが、何を今更と思ってな!」

「――そら! 『いざとなりゃ戦ってやる』って引退したんだ!  剣を捨てたわけじゃねえ!」

「積極的に戦わないのだから、結局はおなじことよ!」


……悔しいが、まったくそのとおりだ。

 歯噛みしていると、ヤツは途端に神妙になった。


「だがな、そう簡単に終われるとは思わないことだ」

「……どういう事だ?」

「あの恐怖を体験した連中は、お前に願いを託してる。ワシのようにな……」


『アンタが辞めたら、誰がテルドルを護るんだ』


 誰かの叫びが耳朶(じだ)に蘇る。

 平和への願いを託されたのは自覚していた……だから俺は、やれるだけの事はやって来た。だが、それでも不足だというのか?

煩悶(はんもん)としているとディアンが続ける。


「英雄に求められるのは腕だけじゃない。その意味をよく考えることだ」

「…………」


 まさか……いや。だってアイツは…………


 焦燥(しょうそう)する心に冷や水を浴びせるようにディアンが吐き捨てる。


「さ。仕上げの邪魔だ。とっとと帰れ」

「……ああ。邪魔したな」


 ディアンに背を向けた時、ふと振り返った。

 陰気くさい部屋で老人がカンバスへ向かう姿は物悲しい以外の何物でもない。しかし、その眼差しだけは生き生きとしていた。それはきっと――


「なにを突っ立ってる? ワシは人に見られてると画が描けないんだ」

「あ……すまねえな。んじゃ、たまには店に寄ってくれよな」


 そう言い残して、俺はディアンの家を後にした。



 

 街灯がぼんやりと照らす街路を1人寂しく歩く。周囲の建物はどれも明かりが消えていて、街全体が眠りに就いているのが分かる。食堂も例外ではないと思ったが違った。鎧戸の隙間に微かな明かりが見える。


 カウベルを鳴らさないよう、そーっとドアを開けると、ホールにはシェーンの姿があった。椅子の上がったテーブルの1つに頬杖をついていたが、俺が帰ってきたのを見ると細い肩を跳ね上げる。


「お、おかえりなさい……」

「ああ、ただいま。驚かすつもりはなかったんだが……待っててくれたのか?」

「ええ。心配だったんですもの。それより、ディアンさんはなんて?」

「1度引退してるクセに何を今更って」


 ありのままを言うと目を丸くして、ついでクスリと笑った。


「ふふ、それもそうですね! それだけですか?」

「あー……」


 言うべきかどうか……いや、言うべきだ。


「英雄に求められるのは腕だけじゃないってな」

「どういう事ですか?」


 疑問を浮かべつつも、シェーンは察している風があった。勘が良いのは結構だが、それはつまり、繊細であるという事だ。


 今までどれだけ心配を掛けてきたのか……それはきっと、想像も及ばないことなのだろう。余計な心配を掛けたくはないが、かといって黙っているワケにはいかない。夫婦なんだから、大事な事情は共有するべきだ。


「象徴であること……要するに、血筋を求めてるヤツは大勢いるってことだ」

「血筋……やっぱり、リーベに……」

「俺の娘に産まれた以上、女とはいえ期待はされるだろうな」

「そんな……まさか、リーベを冒険者にするなんて言いませんよね?」

「当たり前だ」


 断言するとシェーンはホッと一息を就いた。だが、見上げる瞳には未だ不安が漂っている。


「大丈夫だ。リーベを冒険者にはさせねえよ」

「でも……あの子を唆す人がでてくるんじゃ……」


 リーベは素直な娘だ。周囲の期待に応えようと言い出すかもしれない。


…………もしそうなったら俺は……アイツの意思を(くじ)けるのだろうか?

 ふと思ったが、考えちゃいけねえ。俺が考えたら、その隙にシェーンが余計心配しちまうからな。


「その辺は俺の方から言い含めておくさ。……それに、この街の冒険者は見所のあるヤツばかりだ。周りの連中も、すぐに気付くだろうよ」

「そう……ですね…………」

「そうだ」


 抱き合っていると、置き時計が11回鳴った。


「明日も早いんだ。今日は寝ちまおうぜ」

「……はい」


 ドアを施錠すると、2人一緒の部屋に引き上げていった。



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