018 しかし冒険へ
氷魔法『アイス』を応用して双円錐の氷塊を生成する。
昨日習ったメガ・ファイアは魔弾に宿る熱を内に籠め、効率化する繊細さが求められたが、それに比べればこちらはとても単純だった。料理でたとえるなら、ぶつ切りと皮むきくらいに難易度の開きがある。
だが、簡単だからと侮ってもいられない。
フェアさんの指示に耳を傾け、目的の形を目指す。
「そうです。この形と大きさをよく覚えておいてください」
「はい! ……あの、撃ち込んでみてもいいですか?」
「どうぞ」
「よーし……」
わたしはキッと的を見据え、その中央に狙い澄まし、叫ぶ。
「アイスフィスト!」
ヒュッと空気を裂いて飛翔した氷塊は的を外し、背後の壁面で儚く砕け散った。
「ああ……」
落胆しているとフェアさんが淡然と言う。
「アイスフィストは魔弾の生成は簡単ですが、当てるのが非常に難しいんです。ひとまずは中央に限らず、的の何処かに当てることを目標にしましょう」
「は、はい!」
彼の言葉に励まされたわたしは、とにかく数をこなすことを念頭に置いた。
それから撃ち続けること十数回。わたしはようやく的に命中させられた。
「はあ……はあ…………こ、こんなに当たらないものなんですね」
額に浮いた汗を拭いつつ、問いを重ねる。
「アイスフィストって、精度が良いんじゃないんですか?」
「言葉が足りませんでしたね。アレはあくまで、比較の話です。両者を突き詰めていった場合、メガ・ファイアは魔弾の放つ熱と、気温などが作用して大きく精度が落ちます。対してアイスフィストはよほどの距離を空けないかぎり、環境に左右されることはありません」
「ええと……?」
「要するに、術者の力が及ばない部分で精度が落ちるかどうか、と言うことです」
「なりほど……じゃあわたしの魔法が当たらないのは……」
「経験が足りていないということですね」
ずばり言われて肩を落としていると、フェアさんは笑った。
「ふふ。ですが、気を落とすことはありません。この魔法は石を投げるようなものですので、慣れてしまえば存外容易く当てられますよ」
「だと良いんですけど……」
そう答えながら水筒を傾けていると、彼は仕切り直すように手を打ち鳴らした。
「さ、休憩はこのくらいにして、訓練を再開しましょう」
理屈はどうあれ、わたしのやることは変わらない。今はそれに専念するだけだ。
「アイスフィスト……!」
高速で宙を駆ける氷塊は的の縁に当たって砕け散った。
あれから日が暮れるまで何十回も撃ったが、命中率は3割と言ったところだ。初日で3割なら十分な気もするけど、アイスフィストは正確性が求められる魔法なんだ。動かない的が相手なら10割――しかもど真ん中に命中させられないと話にならない。
スタッフを構え直そうとしたその時、例の倦怠感を覚える……魔力切れだ。
「ふう……ふう…………すみません。もう限界です」
呟くように訴えるとわたしはへたり込んだ――脚の力が抜けて崩れ落ちたのだ。この違いは監督してくれていたフェアさんにも伝わったようで、例の劇薬を手渡してくる。
「これを飲めば多少楽になるでしょう」
その言葉とは裏腹に、わたしはさらなるダメージを負う羽目になった。
「うげえ……」
苦みに嘔吐いていると、おじさんたちがやって来る。
「魔力切れか?」
「ええ。少し早いですが、今日は切り上げた方が良いでしょう」
「そうだな。んじゃ、10分休憩したらテルドルに帰るぞ」
「は~い……」
わたしたちは車座になって、各々休息を取っていた。その間、おじさんが弟子の剣術について講評していた。
フロイデさんは模範的な剣士だと思う。それは基本に忠実であるという意味ではなく、ケチの付けようがないという意味でだ。
しかし師匠であるおじさんの目からはそうでないらしい。
それは時に厳しい言葉を交えつつ、長々と語り聞かせている様子から見て取れる。
……フェアさんはどうなのだろうか?
彼はわたしを励ますことはあっても、厳しく叱責することはない。そういう方針というか、性格なのはわかっているけれども、本当のところはどう思っているのだろう。
「…………」
どう切り出したものか、様子を伺いつつ考えていると、目が合った。
「おや、どうかしましたか?」
「ああ、いや……その…………」
答え倦ねていると、こちらの心情を察してくれたのだろう。穏やかな笑みを湛えて、声なき問い掛けに答えてくれた。
「リーベさんは立派ですよ。たった数日でここまで進めたのですから、自信を持ってください」
「……でも……」
「私は言葉が足りないことはあるでしょうが、嘘は言いません。なので全て、言葉通りに受け取ってください」
「フェアさん……」
彼の微笑を見ていると澱のように積もっていた不安が消えていく。自然、心も軽くなり、不安に感じていたのが馬鹿らしく思えてきた。
ちょうどその時、おじさんが立ち上がる。
「うっし、帰るぞ」
その言葉を受け、わたしは脚に力を込める。
あの劇薬の効果か、不調は取り払われており、難なく立ち上がることが出来た。
帰る道すがら、おじさんは相棒に問う。
「リーベの具合はどうだ?」
「ええ、至って順調ですよ。アイスフィストは命中に不安がありますが、メガ・ファイアの方は完璧です」
「そんな! 完璧だなんて、言い過ぎですよ!」
照れくさくなって口を挟むとおじさんは声をあげて笑った。
「フェアがそこまで言うんなら、よほど好調なんだろうよ!」
「もーっ! 揶揄わないでよ!」
おじさんは一頻り笑うと、急に神妙になって言う。
「そんだけ魔法が使えるなら、連れて行っても問題ないな」
「え?」
わたしは唖然として歩みを止めてしまった。
固定された視界の中で、フロイデさんが小さな口を、小さく動かす。
「冒険に出る、の?」
「そうだ――」
「で、でも! まだアイスフィストの方は全然ダメなんだよ!」
「わかってる。だが、最低限自衛できる魔法があるんなら今はそれでいい」
「…………」
釈然としないでいると、フェアさんが言い添える。
「不安に思う気持ちはわかります。可能であれば、あなたが納得できるだけの訓練をしてあげたいのですが、そうもいかないのです」
「どういうことですか?」
「ぼくたち、王都から派遣されてきた」
フロイデさんの言葉に、おじさんの手紙を思い出した。
第三級の魔物(?)が増えてるとか何とか……そんなことが書いてあった。
「……そっか。みんな、仕事でここに来たんだよね」
「そう言うこった。お前を育てる前に、まずは使命を果たさないとなんねえ。じゃねえとギルドに怒られるし、余計な被害を招くかもしんねえからな」
「ごめんなさい。わたし、自分のことばっかりで……」
「自分を鍛えるのがお前の仕事だ。気にすんな」
「……うん」
不甲斐なさに押し黙っていると、おじさんが決定を告げる。
「とにかくだ。明日は訓練を中止して、依頼選びと準備にあてる。いいな?」
メンバー全員から承知の声が上がると、おじさんはわたしに言う。
「リーベ。お前はリュックとかは持ってるのか?」
「うん。お父さんのを貰ったよ。あ、あと中身も食べ物以外は一通り用意してあるよ?」
「さすが師匠。用意がいいな」
「この分だと、明日は余裕を持って過ごせそうですね」
フェアさんの言葉にフロイデさんが項垂れる。不思議に思って問い掛けるも、彼は押し黙って口を開こうとしなかった。
心配になる中、おじさんがケタケタと笑う。
「はは! こいつは最初、せっかく確認してやったのに『心配だから~』ってリュックをひっくり返して、あげく忘れ物をしやがったんだ!」
「ヴァール……!」
フロイデさんが顔を真っ赤にして黙らせに掛かるも、既に聞いてしまった。
冷静に見えて存外おっちょこちょいなその一面に、わたしは思わず噴き出してしまうのだった。
「いただきます!」
わたしはラタトゥイユに飛びつく。
トマトの酸味とナスのほくほく感が素晴らしく、とても野菜料理とは思えない満足感があった。お母さんの料理なのだからいつも美味しいけれど、今日は一段と美味しく感じる。
「はあ……おいし…………」
干し肉とビスケット、そしてフェアさん手製の劇薬によって蹂躙された口内が癒やされていくのがわかる。
同時に携行食への不満が膨らみ、気付けば愚痴っぽくお父さんに問い掛けていた。
「ねえ、携行食って、もうちょっと、どうにかならないのかな?」
「俺が若い頃から味が変わらねえんだ。一生変わらねえだろうよ」
「そんな……」
がっくりと項垂れるとお母さんがくすりと笑う。
「ふふ。でもその分、お夕飯を美味しく頂けるのだから、それでいいんじゃないの?」
「むう……わたしはどっちも美味しく食べたいの!」
子供みたいに剥れて見せると2人は笑ってくれた。
「あらあら」
「はは! リーベは贅沢だな!」
その笑みが嬉しくて、わたしもつい笑ってしまった。
……食堂の仕事を離れ、両親とは生活サイクルを異にしたわたしだが、それでも朝晩は一緒に食事をするべきだと思い、帰ってきてから今まで何も口にしないでいた。空腹を堪えるのは大変だったが、それでも我慢して良かったと思える。
やはり食事は家族みんなで摂らないとね。
食器を片付け終わった時、お父さんとお母さんが帰ってきた。
「ただいま」
「あ、お帰りなさい」
流しを掃除しながら呼び掛けると、お母さんが厨房を覗き込んできた。入浴を終えたばかりの肌は血色が良く、潤っていた。
「ごめんなさいね。あなたは休まないといけないのに」
「いいのいいの。これくらいやらせてよ」
「訓練の疲れもあるだろうし、無理にやることはねえんだぞ?」
お父さんが心配してくれた。
「ありがと。でもさっき仮眠したから大丈夫だよ」
「そうか? なら良いんだが」
そう言い残してお父さんが背を向けたとき、わたしは大事なことを思い出した。
「あ、そうだ。ねえ、聞いて」
すると2人は心配そうな目を向けてきた。
「あのね、わたし明日、おじさんたちと依頼を受けに行くの」
「え?」
お母さんは短い声をあげる。その響きは悲鳴に似ていた。
「依頼って……リーベは冒険者になったばかりじゃない。大丈夫? 自分の身は守れるの?」
「大丈夫。攻撃魔法は覚えたし、フェアさんに太鼓判も捺してもらったんだから」
そう言って聞かせるも、相変わらず不安そうだ。
心配してもらえるのは嬉しいし、幸せなことだと思う。でもそれでお母さんが苦しむのは良くない。気休めでもいいから、どうにかお母さんを安心させてあげなきゃ。
「それにね、おじさん言ってたよ。相手にするのはそこまで強い魔物じゃないって」
「……そう、なのね」
今にも消え入りそうな返答に胸が締め付けられるようだ。
これ以上、どんな言葉を用いれば良いのかわからないでいると、お父さんが慰めるように言葉を添えてくれる。
「大丈夫だ。ヴァールもフェアも、それにフロイデも。みんな優秀なヤツだ。そんな連中と一緒にいるんだから、億が一にもケガはしねえさ」
元冒険者のお父さんがこんな希望に満ちた言葉を使うわけじゃない。
それは無論、お母さんも理解している。だからだろう。夫の気持ちに応えるように健気な笑みを浮かべて、わたしに言う。
「ヴァールさんたちの言うことをよく聞いて、危ない真似は絶対しないこと。いいわね?」
「……うん…………!」