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冒険姫リーベ ~とある少女の英雄譚~  作者: 森丘どんぐり
第1章 英雄の娘、冒険に出る
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016 攻撃魔法を習得せよ

 朝の6時前。わたしは目覚めきらない体に鞭を打って街を出た。寝床を惜しむ気持ちを振り払おうと深呼吸する。その過程で湿気った空気を胸いっぱいに取り込むと自然と欠伸が出た。


「ふぁあ……眠い……」


 いつもはもう少し遅い時間に起きているだけに辛い……


 目尻に浮いた涙を拭っていると、おじさんがニヤリと笑んだのが背中越しにでもわかった。


「寝坊しないなんて少しは成長したじゃねえか」


 揶揄(からか)う言葉に覚醒させられる。


「む! もう子供じゃないんだから、当然だよ!」

「ははは! でもこの前、師匠にもらった手紙に『3日連続で寝坊してシェーンに大目玉食らってた』って書いてたぞ?」

「え、うそ!」


 思い当たる節は……ある。


「もう、お父さんったら……」

 顔が熱くなるのを感じていると、フロイデさんが妙に勝ち誇って言う。

「寝坊、したんだ」

「コイツはお前と違って早起きだかんな」


 師匠の言葉に弟子が「ふんす!」と得意げに鼻を鳴らす。彼の前を歩いていたフェアさんはくすりと笑い、横目でわたしを見る。


「冒険者は夜明けと共に行動を起こすものです。リーベさんにはこれから頑張っていただきますよ?」

「うへえ……わたし、朝よわいんですよ」

「んなもん、すぐ慣れっから気にすんな」


 おじさんがそう言ったとき練習場に辿り着いた。


「んじゃ、俺はフロイデを見てっから――また暴発すんなよ?」

「しないって!」

「ほんとうかぁ~?」


 おじさんは存外白い歯を見せて笑うとフロイデさんを伴って離れたところへ向った。それを見送ることなくフェアさんは言う。


「私たちも早速、訓練に取り掛かりましょう」

「はい! よろしくお願いします!」


 一礼すると彼は満足そうに笑んだ。


「こちらこそ――それではまず、昨日のおさらいから始めましょうか」




「すう……ふう……」


 スタッフの先端で(たま)を明滅させる。当初は御しきれず暴発させたものだが、今ではその光量をある程度自在に操れるようになっていた。

 それは指導してくれているフェアさんにも伝わっているようで、彼はこんな指示を出す。


「限界まであげて、そこでキープしてください」

「や、やってみます!」


 スタッフを握り絞め、ゆっくりと魔力を流す。すると紫色の珠の内側から光が広がり、やがて全体を白く染め上げる。その状態からさらに魔力を籠めていくとほんのりと光が放射され、スタッフと珠の隙間の陰を潰していく。


 あと少し……あと少し…………


「くっ……ふう…………」


 まるで太陽のように煌々(こうこう)と輝いたところでキープする。

 チラリとフェアさんを見ると、新たな指示が飛んでくる。


「そのまましばらく」


……どれくらい経ったか、フェアさんが次なる指示を出す。


「弱めて、もう一度」


 一度脱力してから限界を狙うのには骨が折れたものの、無事、成し遂げた。その事実に達成感と昂揚を覚え、自尊心が満たされるのを感じた。


 魔力を引っ込め、溜め息をつくとパンパンと乾いた音を耳にした。振返るとフェアさんが大変満足そうに手を打ち鳴らしていた。


「素晴らしいです。この分だと次の段階へ進んで良いでしょう」

「本当ですか?」

「ええ。ですがその前に休憩しましょうか」




 濃緑色の樹冠(じゅかん)に切り取られた空にはいくつか雲が浮かんでいて、それがゆっくりと流れていく。火照る体を冷ましながら。そして頭を休めながら雲を見送っていると、太陽が現われた。咄嗟にまぶたを閉じるも、その内側には丸い残像が形容し難い色合いで焼き付き、数秒に渡って消えないでいた。


「そろそろ、訓練を再開しましょうか?」


 隣で瞑想していたフェアさんが立ち上がりながら言う。


「あ、はい!」


 わたしは水を一口飲んでから立ち上がると、彼に続いて的の方へ向う。


「次の訓練に移る前に、少し解説しなければなりません。冒険中における魔法使いの役割は剣士の補助であると、昨日説明いたしました。では、そのためにはどんな魔法が必要か」


 視線をわたしから外し、的の方へ向ける。そのままロッドを構え、続ける。


「魔物に痛手を負わせて隙を作ったり、小型の魔物を殲滅する。最低限、それを実現するだけの威力のある魔法が必要です」


 心に書き留めて、続きを聴く。


「今からリーベさんに修得していただく魔法を実演します。よく見ていてください」

「は、はい……!」


 目に意識を集めていると、彼のロッドに取り付けられた珠が煌めく――


「メガ・ファイア!」


 珠の――杖の上空に人の頭ほどの火球が生み出される。次の瞬間、それは目で追える程度の速度で撃ち出された。火球はそのまま、20メートルほど先の金属製の的に打つかり、小さな爆発を起こすと共に高い破裂音を轟かせ、消滅した。


「そしてもうひとつ――アイスフィスト!」


 先程と打って変わり、今度はこぶし大の氷塊が生成される。直後、ビュン! と空気を引き裂いて飛翔し、的に当たって砕け散る。


「……と、ひとまずはこの2つをマスターしていただきます――ここまでで質問は?」


 振り返りながらの問い掛けに対し、わたしは挙手をする。


()えてその2つなのには何か、意味があるんですか?」

「良い質問です。この2つ紹介したのは、状況によって撃ち分けてもらう為です」

「撃ち分ける?」

「ええ――それを説明するにまずは、両者の特性と欠点を把握していただく必要があります。長くなりますので、どうぞ腰を下ろしてください」

「あ、はい」


 スカートを折って腰を下ろすと、フェアさんは枝で地面に簡単な表を書いてくれた。

 彼はそれを指し示しながら解説する。


「メガ・ファイアは単純な威力に優れる魔法です。小型の魔物であれば致命傷を、中型以上であれば手傷を負わせられます。ですが速度は遅く、精度も低い。さらには魔弾のサイズが大きく、誤射する可能性が高いという欠点があります」


 魔弾(まだん)というのは魔法によって生じる飛翔体の総称である。

 種類によって炎であったり氷であったり、はたまた風であったりと様々だ。


 それはそうと、彼の説明に耳を傾ける内、あのカラスとの戦いを思い出した。


「そういえば……あのカラスと戦った時、ファイアが中々当たりませんでした」

「そうでしょう。訓練次第で精度は上げられますが、ひとつの魔法として見るとそのような欠陥があるのです」

「なるほど……」

「では次に行きます」


 フェアさんは表の隣の欄を突く。


「アイスフィストは精度と速度に優れますが、威力が低いのが欠点です。具体的には小型種に手傷を負わせられる程度であり、中型以上には眼球などの弱点を突く形でのみ効果があります」

「むう……こっちは技術がいりそうですね…………」

「その成否が戦局を大きく左右しますので、特にこちらの訓練に注力してもらう事になります」

「わかりました……ちなみになんですけど、他の魔法っていうのは……」


 恐る恐る尋ねると、彼は微笑んで言う。


「それはおいおいです」


 さて、と立ち上がる。


「時間は有限ですので、さっそく練習に掛かりましょう」

「はい!」




『魔法を使うときは目標を明確にすることよ』


 お母さんはそのように教えてくれた。

 例えば(たきぎ)に火を点けたい場面においては『薪に火を点ける』と思い描くことが大事ということだ。


……実際のところ、その教えは正しかった。なぜならわたしが今まで魔法を扱えていたからだ。


 そして今、わたしは的を攻撃しようとしている。


 だから『的を燃やす』イメージで炎を――火の玉を生み出す。

 グラグラと大気を焦すその匂いに()せそうになりながらも対象を見据え、今、解き放つ。


「メガ・ファイア!」


技名を叫んで火球を飛ばすが目標を外し、背後の壁を焼いた。黒く焦げた着弾点から細い煙が昇る様子に歯噛みしつつ、スタッフを構え直す。


「もう1回――」

「お待ちください」


 フェアさんに言われ、流し掛けた魔力を引っ込める。


「はい?」

「リーベさん。ファイアとはどんな魔法でしょう?」


 突然の問い掛けに戸惑いつつ、思うままに答える。


「ええと、敵を燃やす魔法です」


 すると彼はゆるりと首を橫に振る。

 どうやらわたしの回答は間違いだったようだ。


「違います。ファイアは高熱と小規模の爆発で敵の体表を破壊する魔法です。先程リーベさんが放った魔法では、精々やけどさせることしか出来ないでしょう」

「ご、ごめんなさい……」

「良いのです。さ、もう1度手本を見せますので、注目してください」


 彼はロッドを掲げ、速やかに火球を生み出す。それは火球と言っても、わたしの生み出したような火の玉ではない。オレンジ色の光る玉と言った具合だ。不思議な事に、その玉からは熱を感じない。まるで外に放出される一切を、内向きにして閉じ込めているような……


「行きます。メガ・ファイア!」


 直後、火球は的に吸い込まれるようにゆっくりと飛翔し――


 パァンッッッ!


 破裂音が響き、付近の(こずえ)で羽を休めていた鳥たちを驚かせる。


「――と、このようにもっと苛烈に。『的を破壊する』つもりで撃ち込んでください」

「わ、わかりました――むう……!」


 的を破壊。破壊。破壊……


 手本を思い出しながら念じると、スタッフの上に火球が現われた。だがそれはフェアさんのそれとは違い、単なる火の玉で……つまり、失敗だ。


 どうすればいいのだろう? もっと魔力を足せばお手本のような光の玉になるのだろうか?


「…………」


 熟考していると、ヒリヒリと肌を灼くその熱量に。そして見本の時に感じたあの違和感に。わたしは気付かされた。


 この熱はきっと魔力の損失なんだ。だから魔力を追加するんじゃなくて、損失分を内側に閉じ込めるイメージでやらないと!


「むむむ…………っ!」


 すると狙い通り、こぶし大の光の球となった。


「これだ! ――メガ・ファイア!」 


 完成したそれを直ぐさま放つと的に命中し、パチンと見本に近い破裂音を立てた。


「やった!」


 フェアさん程ではないが、一応形にはなった。さて、判定は!


「素晴らしい!」


 フェアさんはパチパチと手を打ち鳴らす。


「単純に出力を上げるのではなく、損失を減らす方向で調整するその機転。教えたわけでもなくこれを出来るのは大変素晴らしい事です」


 大絶賛されて思わず頬が緩む。


「えへへ……ありがとうございます♪」


 照れくさくなって疑問を述べる。


「もしかして、損失が少ないと精度が良くなるんですか?」


 今回命中したのはきっとその為だ。質問しつつも、そんな確信があった。


「ご明察です。魔弾から放射される熱が空気と作用しあうことで弾道が逸れるんです」

「なるほど……?」


 わかったような、わからないような……


「ふふ、そう言うものだと思っていただければ結構です。さあ、感覚を忘れない内に反復しましょう。次はもう2段階ほど魔力を強めてみてください」

「はい!」

  



 それからわたしは何度も何度も魔法を撃ち込んだ。そのお陰でメガ・ファイアのコツを掴めた気がする。

 何事もわかり掛けてきた時に熱が入るもので、わたしは一層訓練にのめり込んでいくが待ったが掛かる。口惜しい思いで振り返ると、フェアさんは「昼食にしましょう」と言った。


「はーい……」


 小屋まで歩こうとしたが、体が妙に気怠い。風邪でも引いたのだろうか?


「魔力を消耗すると体が重くなるのです」


 歩きながら説明してくれた。


「そ、そうなんですね……わたし、こんなに魔法を使ったの初めてで……ふう」

「日常の中で魔力を消耗する機会など、そうありませんからね」


 そんなこんなで小屋に辿り着いた。

 室内には汗だくのおじさんとフロイデさんがいて、彼らはフェアさんの顔を見るなり水筒を差し向けてくる。


「はいはい」


 フェアさんは親指と人差し指の2カ所から水を出して給水する。

 その器用さに唖然としつつ、けだるさに溜め息をついた。


「これをどうぞ」


 給水を終えた彼から手渡されたのは手の平サイズのビンだった。茶色く染色されたもので、薬品っぽさにわたしは顔を(しか)めた。


「うげ……薬ですか?」

「ええ。それはマジカルリーフ成分をスライムゼリーの水割りで抽出したものです。この効能は魔力回復に留まらず――」


 フェアさんは薬の効能を滔々(とうとう)と語り始めた。弁舌に熱が入っていく中、おじさんが苦々しげに言う。


「フェアは薬作んのが趣味なんだよ……」

「……全部苦い…………」


 2人は蒼い顔をしていた。


「そういえば……」


 以前お父さんが『フェアの作る薬は拷問級だ』と言っていたっけ……

 小瓶に視線を戻すと、内部にはねっとりとしたおどろおどろしい液体が見えた。


「うへえ……」

「観念して飲め」


 そう口にしたおじさんの隣では、フロイデさんが憐憫(れんびん)を滲ませていた。


 なるべく薬を見ないようにしながら栓を外す。きゅぽ、という小気味好い音が不気味だった。


「うう……」


 ほんのりと鼻腔を突く青い匂いに嘔吐(えず)きそうになる。こんなのとても飲めそうにないが、拒むことは許されないのだ。


「…………」


 ええい、ままよ!


「ぐびぐび……」

 どろりとした液体が舌を這い、喉を目指す。それはまるで、口内をスライムに蹂躙(じゅうりん)されているかのようで、背筋がぞわっとした。肝心の味はというと、これまた酷い。ただ苦いだけならまだ良かっただろうに、この薬は微妙に甘いのだ。たとえるならピーマンのペーストを少量の蜂蜜で伸ばしたような、そんな味だ。


 これを飲み干すにはかなりの苦労を強いられた。


「うぐ……おえええ!」


 口下を拭っていると、熱弁を終えたフェアさんが笑顔で言う。


「ビンの内部に残った分は水で溶かして飲むと良いでしょう」


 わたしは今日、この瞬間ほど彼の笑みが恐ろしいと思った事はなかった。



「メガ・ファイア!」


 人の頭ほどに育てた光の玉を放つ。それはゆっくりと一直線に的を目指し、その右半分に衝突し破裂音を轟かせる。衝撃はまるで波紋のように空中を駆け、周囲の樹冠と、わたしのポニーテールを震わせる。


 肝心の的はと言うと、命中した箇所が赤熱しており、魔法が成功したことを示していた。


「ふう……やった…………!」


 命中率が上がったのもそうだが、何より確実に『メガ・ファイア』を放てるようになったことが嬉しい。これなら例え、今魔物が襲ってきても十分に対応できるだろう。


 そんな自己分析に賛同するようにフェアさんが手を鳴らす。


「たった1日でメガ・ファイアを修得するとは。さすがです」

「ありがとうございます! あの、わたしの魔法は魔物に通用しますか!」

「ええ。相手によりますが、概ね通用するでしょう」


 本職の人に太鼓判を()してもらえて、自信がより確かなものになっていくのを実感した。


「じゃあ、これからはアイスフィストの特訓ですね!」

「はい――ですが、それは明日にしましょう」


 その言葉を耳にした途端、視界が広がり、赤焼けの空が目に映った。


「あ、もうこんな時間……」

「時間もそうですし、魔力も限界でしょう」


 言われてみれば確かに、例のけだるさが――


 ぞわわ……っ!


 悪寒が走った直後、フェアさんは笑顔で小瓶を取出した。


「ひいっ⁉」

「さあ、明日に備えてお飲みください」

「………………はい」




「うう……」


 劇薬に痙攣するお腹を(なだ)めながら坂を上っていく。昨日は体力的にきつかったが、今日はそれに加えて吐き気があるのだ。苦行なんてものじゃない。


「大丈、夫……?」


 心配の言葉を掛けてくれたフロイデさんだが、彼は我が事のように青い顔をしていた。


「だ、だいじょう――うっぷ……」


 ダメだ。口を開いた途端、胃の中のものが逆流してきそう……


 吐き気を堪えているといつの間にかテルドルに帰り着き、東門の前の十字路までやって来ていた。

 このまま真っ直ぐ進めば〘エーアステ〙があり、北側に折れればおじさんたちが宿泊している宿屋がある。


 つまりここでお別れだ。


 わたしの前を歩いていたおじさんは脚を止め、振返る。


「んじゃ、今日はここで解散だな」

「あ、うん。わたしの訓練に付き合わせちゃってごめんなさい」

「それも含めて俺たちの仕事だ――なあ?」


 おじさんは仲間2人に呼び掛ける。


「もちろんです」

「う、うん。ぼくも最初はそうだった、よ……?」

「そうなんですか?」


 フロイデさんはあんなに剣が上手なのに?


 不思議に思っているとおじさんが教えてくれた。


「コイツは冒険者学校を出てるから基礎は出来てたんだ。だがそれでも実際、どのくらい動けるか知っとかねえとなんねえだろ? 前衛は特に」

「なるほど……」

「それよか、リーベの具合はどうなんだ?」


相棒の魔法使いに問い掛ける。


「順調ですよ。メガ・ファイアも修得しましたし、この分だとあと1日あれば十分でしょう」


 そう答えるとフェアさんはにっこりと笑みを向けてきた。

 誇らしいけど、ちょっぴり気恥ずかしい。わたしは手をもみ合わせながら笑って誤魔化した。


「フェアがそこまで言うんなら問題ねえな。んじゃ、明日も頑張れよ」


 おじさんはそう言うとわたしの頭を撫でた。


「ああ! グローブ付けたまま触らないでよ!」

「はは! 汗まみれなんだし、大して変わんねえだろ?」


 まったく、おじさんったら! ああ言えばこう言うんだから!


「そんじゃ、今度こそ解散な」


 例え怒っていても、別れを切り出されれば寂しさが勝ってしまう。わたしはモヤモヤとした心持ちのまま、それに応じる。


「あ、うん……また明日」

「お疲れ様でした」

「バイバイ」


 口々に別れの言葉を述べると3人は十字路を北側へ折れ、宿へと帰って行った。その身長差の激しい背中を見送ると、わたしは自分のお家のある西側へと歩き出す。


 夕焼けに染まる街並を見ていると、やはりというべきか、人通りが少ないのが気に掛かる。


 スーザンさんの一件から半月ほどが経っているのもあり、当時よりかは通行量が増えているのだが、ここテルドルで生まれ育ったわたしの目には(さび)れて見えてしまう。


 おじさんたちとの別れを寂しく思っていた事も合わさって、わたしはなんだか切ない思いでいっぱいになった。

 そんなわたしを励ますように、前方から談笑する声が聞こえて来た。


 見るとそこにはわたしたち家族が営む食堂〘エーアステ〙ががあり、開放された窓から美味しそうな匂いと共に賑やかな響きが届いていたのだ。


「あ……」


 そういえばもうディナーの時間か。


「…………」


 調理担当のお母さんはともかくとして、お父さんはわたし抜きでもホールを回せているのだろうか。


 途端に心配になってきたわたしは、こっそりと窓から店内を覗き込んだ。

 店外に待機の列が出来ていなかったことからも察せられたが、僅かに空席があった。だがそんなことは、お客さんたちが幸せそうに食事をしていることの前では些細な問題だろう。


 それはそうと、わたしはお父さんの姿を探す――と、ちょうどカウンターから料理を運んでやってきた。


「へいお待ち!」


 快活な言葉と共に料理を提供すると、そのまま接客の基本に沿ったセリフを口にする。


「注文の品は揃ったか? ――ゆっくりしてってくれ」


 お父さんは相変わらず敬語が苦手なようで……お客さんが寛容にしてくれているからいいものの、やはり改善するべきだろう。

 そんな考えを巡らせていると、当人と目が合った。


「リーベ? 何で隠れてんだ?」

「あ、ううん。お父さんがちゃんと働けてるかなって」


 正直なところを言うと口角を上げて笑った。


「はは! 娘に心配されるようじゃ、俺もまだまだだな!」


 そんな会話をしつつ店内に入るとお父さんは「おかえり」と微笑んだ。それに続いてお客さんたちからも「おかえり」の声が上がる。

 寂れてしまったように見えたこの街には、今も変わらぬ温もりがある。そのことを思い出すと、温かい気持ちになれるのだった。


「……ただいま」





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