異世界から帰還して速攻で土下座した
「ここは?」
キョロキョロと周囲を確認すると、そこは日本の何処にでもあるような住宅街。
服装を確認すると、自分が通っている高校の制服を着ていた。
見覚えのある状況に、男子高校生隆島優灯の記憶が徐々に蘇ってくる。
「そうだ。学校から帰る途中で異世界に拉致られたんだった」
そして為すべきことを終えて元の世界の元の時間に戻って来た。
状況を理解した優灯は何かに気付いたかのようにはっとし、慌ててポケットからスマホを取り出した。
そしてL〇NEを起動し、『恋人(幼馴染)』をタップしようとして動きが止まった。
「唯衣……」
その表示が『幼馴染』から『恋人(幼馴染)』へとクラスチェンジしたのは現実時間でおよそ一か月程前のこと。付き合い立てということもあり、友達から良い加減にしろと言われるくらいイチャラブしていたのも今では懐かしい。
何しろ異世界で冒険していた時間はおよそ一年半にも渡るのだ。
記憶が薄れているのも当然のことだった。
もちろん今でも幼馴染を愛する気持ちは全く薄れていない。
むしろ長い間離れていたことで気持ちがより強くなったようにも思える。
「そういえばどうして一人で帰宅してたんだっけ?」
付き合い始めてからは毎日必ず一緒に帰宅していたはずなのに、隣に彼女の姿が無い。かといって一緒に異世界に召喚されたわけでもない。
「そうだ、確か買い物に行くから先に帰ってるように言われてたっけか。一緒に行くだなんてデリカシーの無いこと言って怒られたなぁ」
四六時中一緒にいる相手が敢えて一人で買い物に行くというのだ。生理用品等の見られたくない物を買いに行くのだろうと察することが出来ず付いて行きたがって困らせてしまった。そのことも今では遥か昔のように感じられる。
「おっと、想い出に浸っている場合じゃないな」
愛しい女とのこれまでを思い返してつい手が止まってしまったが、優灯には急ぎやらなければならないことがあった。優灯は改めてそこをタップし、メッセージを送ってから目的の場所へと走った。
────────
そこは人気の無い寂れた神社。
優灯が子供の頃は境内で遊ぶ子供達で賑わっていたのだが、少子化の影響か、あるいは遊びの内容の変化によるものか、もうすぐ夕暮れ時になろうかという時間帯なのにそこには誰も居なかった。
「ここであいつに告白したんだっけ」
神社の隅にある巨大なイチョウの木の下。
優灯はそこで幼馴染に告白をした。
『なぁ唯衣、俺達ってもう高校生なのにいつも一緒にいるよな』
『そうね』
『だから、その、そろそろ、次の……なぁ』
『…………ユウ君。ちゃんと口にして』
『…………』
『…………』
『好きだ唯衣!俺の彼女になってくれ!』
『うん!』
当時の彼女の嬉しそうな顔を優灯は今でも鮮明に思い出せる。
そして思い出すたびに愛おしい気持ちが爆発しそうになる。
長い異世界生活を頑張れたのも、彼女の笑顔を忘れなかったから。
「ユウく~ん、居る~?」
大切な想い出に浸っていたら、背後から彼女の声が聞こえた。
反射的に振り返ると、神社の入り口付近に制服姿の彼女が立っていた。
ブレザーの制服を着崩さずに綺麗に着こなし、サラサラと風になびく艶やかな髪は肩口で自然に整えられている。顔立ちは柔らかく可愛らしさと美しさが同居し、身体は分厚いブレザーを着ていても分かる程に女性らしい凹凸が主張している。
男子からの圧倒的な人気を誇る幼馴染、弟子丸 唯衣。
彼女こそが優灯の幼馴染にして彼女である。
「唯衣!」
一年半ぶりの再会。
会いたく会いたく会いたくて堪らなかった。
その相手が目の前にいる。
優灯は走り出す。
そして彼女をぎゅっと強く抱き締め……たくなる気持ちをぐっと堪えて、走っている勢いのままスライディング土下座した。
「大変申し訳ございませんでした!」
「え!?」
額を地面につけての正真正銘の土下座に、当然唯衣は面食らった。
「ユウ君何してるの!?大丈夫!?今の脛が絶対に痛いよね!?」
優灯が滑るように土下座したことで脛の心配を困惑しながらも直ぐにするあたり、人の好さが滲み出ている。
「大丈夫!鍛えてるから!」
「そういう問題!? だとしても制服のズボンが擦り切れちゃうよ!」
「大丈夫!直せるから!」
「ユウ君裁縫なんて出来ないでしょ!」
「そこはほら、魔法でちょちょいと」
「魔法!?何言ってるの!?」
つい先程まで剣と魔法の世界に居た優灯にとっては自然な弁明なのだが、生粋の日本人である唯衣にとっては雑な言い訳にしか聞こえなかった。
「ユウ君はそういうこと言わないと思ってたのに……」
本気で心配している相手にその場限りの言い逃れをしようとする。
唯衣が知る優灯はそういうことをしない真摯で思いやりのある人間だった。だからこそ幼馴染としてずっと隣を歩き、自然に恋心を抱くようになったのだ。それゆえ優灯の突然の残念ムーブに気落ちしてしまった。
そうなると焦るのは優灯だ。
「本当に魔法で何とかなるんだって! 実は俺、さっきまで異世界に召喚されてたんだ」
「ユウ君。流石にそれは……」
魔法という言い訳を信じてもらうために嘘を重ねた。それも到底信じられない雑な言い訳。
このままでは優灯に対する信頼が激減してしまい、恋心が冷めてしまうだろうか。
「でもユウ君がそう言うってことは本当なのかな?」
「唯衣!」
否。バカップルを舐めてはいけない。
唯衣は優灯の言葉を疑いかけたが、それでも信じたいと思い考え直したのだ。
俺は魔法が使える。
俺は異世界に行って来た。
明らかな虚言を信じてあげようとするだなど、優しすぎる。
もちろんそれは優灯がこれまで誠実で真摯な男として振舞っていたからかもしれないが。
「信じようとしてくれてありがとう。そうだ、実際に使ってみれば良いんだ」
「え?」
「フライ!」
「きゃああああああああ!」
優灯は土下座したまま、空を飛ぶ『フライ』の魔法を発動した。
どうやら魔法はこっちの世界に戻って来ても使えるようで、唯衣と優灯の身体がゆっくりと浮き始める。
「嘘!どうして!そんな!」
地面から一メートル以上も浮くと唯衣はパニックになりだした。
慌てて優灯は彼女をゆっくりと地面に降ろして魔法を終了させる。
「怖がらせてごめん。事前に言うべきだったよな」
「…………ほんとだよ~」
ドキドキする胸を右手で押さえながらホッとする唯衣の姿は非常に可愛らしいのだが、未だに土下座を継続している優灯はそれを見ることが出来ない。
気持ちを落ち着かせた唯衣はその場にしゃがんで優灯に話しかけた。
「ユウ君が呼び出したのって、異世界のことを言いたかったから?」
唯衣がそう推測するのは分からなくは無いが、呼び出さなくても電話で伝えれば良い話では無いだろうか。それにそれだと理由が付かない大きなことが一点ある。
「でも土下座してるってことは違うのかな?」
結局そこに戻ってくるのだ。
何故優灯が土下座をしているのか。
異世界云々が本当ならば、再会を喜んで抱き締め、イチャイチャしながら話をすれば良い。謝る必要など全く無いのだ。
その理由を優灯が説明する。
「お、俺、異世界に突然飛ばされて、一年半近くも向こうで生活してたんだ」
「大変だったんだね」
「ああ、大変だった。本当に大変だった。だって唯衣がいないんだから」
「えへへ。私もユウ君と離れ離れになったら悲しくって辛くなっちゃう」
「ありがとう」
反射的に顔を上げて唯衣を抱き締めたくなったがどうにか堪えた。
肝心の謝りたい内容をまだ話していないということもあるが、唯衣がしゃがんでいることで土下座している優灯が顔を上げるとスカートの中のアレが見えてしまうかもしれないからだ。
そのことに配慮する点、優灯は紳士だった。
「向こうでの生活は大変だったけど、向こうで出来た仲間が助けてくれたから何とか生きて来れた」
「感謝しないとね」
「ああ。で、だ、その仲間の中に……その……女の子も居て……だな……」
「…………あ~…………ふ~ん…………そう」
「(ひえっ!)」
唯衣の声がこれまで聞いたことが無い程に冷たい。
間違いなく激怒させてしまったと優灯は背筋が凍る思いだった。
だがそれも自業自得。
恋人がいるにも関わらず、異世界で女性との関係を匂わせてしまったのだから。
「仲良くしちゃったんだ」
「…………はい」
「…………」
果たして唯衣はどのような表情で優灯を見ているのだろうか。
ゴミを見るような目だろうか。
しょうがない奴だなぁなんて呆れている目だろうか。
怒りに満ちている目だろうか。
だが優灯にはそれを確認する術はない。
ただただ反省の意を籠めて額を地面に強く押し付けるだけ。
「ごめんなさい!」
「…………」
改めて謝るが、今度は唯衣からの反応が無い。
優灯は許して貰うために言い訳を重ねることをしないタイプ。
お互いに沈黙のまま、その場は音も無く張り詰めた空気が支配する。
先に口を開いたのは唯衣だった。
「どんな女の子と仲良くなったの?」
まさか掘り下げて来るとは思わなかったのだろう。
優灯は驚きで身体がビクッとしたが、今の彼に出来ることは素直に答えることだけ。
「S級冒険者、王女様、奴隷の女の子」
「三人も!?」
「ごめんなさい!」
てっきり相手は一人だと思いきや、なんとハーレム野郎だった。
唯衣の頬がピクピク痙攣するが、優灯の目には土の色しか目に入らない。
「しかも王女様ってどういうこと!? ううん、それより問題は奴隷の女の子!まさかユウ君、奴隷を買って無理矢理……」
「違うんだ!そうじゃない!冒険中に違法奴隷商から逃げ出して来た女の子に偶然出会って、彼女を助けるために違法奴隷商を潰したらその子に懐かれちゃって……」
異世界モノならば良くある話だ。
違法奴隷商から助けるか、あるいは四肢欠損レベルの酷い傷を負った奴隷を治療するか。
ただ問題なのはそれが本当なのか分からないこと。
口ではそれっぽいことを言いながら、本当は性欲を抑えきれずにえっちな奴隷を購入した可能性もあるのだ。
「ユウ君優しいから放って置けなかったんだよね」
だが唯衣は優灯の言葉を全面的に信じた。
優灯の性格やこれまでの行動から考えるに、ありえる話だったのだろう。
言葉もぐっと柔らかくなった気がする。
とはいえそれをヨシとして許して貰おうと考えないのが優灯だった。
「で、でもそれとコレとは話が別だ。俺には唯衣がいるのにクレハと仲良くするなんて言語道断だった。本当にごめんなさい」
果たして許してくれるのかは分からないが、優灯としては誠心誠意謝り続けるだけ。
一方で唯衣は待っているだけでは謝罪の言葉しか出て来ないだろうと分かっていたので、もっと深堀してみることにした。
「ちなみに、その子って何歳くらいなの?」
「十一歳だったかな?」
「は!? ユウ君、十一歳の女の子と仲良くしたの!?」
「俺からはしてないよ!」
「受け取ったら同じ!」
「ごめんなさい!」
せっかく空気が柔らかくなりかけていたというのに、日本で小学生相当の年齢の女子と仲良くしていたと知り、また一気に空気が張り詰めてしまった。
「そんな……ユウ君はノーマルだって信じてたのに……」
「ごめんなさい!」
愛する人がまさかロリコンだった。
何気に異世界に転移したことよりも衝撃だった。
ハーレムでロリコン。
それが事実だとしたら百年の恋も覚めてしまうだろう。
「ま、まさか他の二人の年齢も?」
「S級冒険者のハイレースは七十歳、王女様は十四歳だったかな?」
「守備範囲が広すぎる!」
ハイレースが長命種であることを説明しないため、とんでもない誤解を生んでしまった。
ふと、それまで怒っていた唯衣から怒気が抜け、悲しそうな雰囲気を纏い出す。
「そっか……ユウ君って本当は……」
「勘違いしないでくれ!俺は唯衣一筋なんだ!」
「でも私が居なければもっと選択肢があったはず。私が傍にいることで、ユウ君の人生を縛っちゃったのかも」
守備範囲が広いということは、多くの人と結ばれる可能性があるということ。
その可能性を幼い頃から一緒に居るというだけで一つに絞ってしまった。
「もしかしたら私が居なかった方がユウ君はもっと幸せに……」
「そんなことはない!」
「!?」
ここでついに優灯は顔を上げた。
大事な人が盛大な勘違いで悲しもうとしている。
そんなことは絶対に見過ごせなかったからだ。
「俺は唯衣じゃなきゃダメだ。唯衣が傍に居てくれるから幸せなんだ。他の人なんて考えられない。だからそんなこと言わないでくれ!」
「ユウ君……」
心からの想いを、青臭いドストレートな愛を伝え、ありもしない可能性を想って悲しまないでくれと強く願う。
その気持ちが伝わったのか、唯衣は優灯と目を合わせてにっこりと笑った。
「三人と仲良くしたのに?」
「すいませんでしたああああ!」
だがそもそも、浮気?の謝罪の場で一途だなんだのと主張しても全く説得力が無いのであった。
「はぁ……流石にその三人以外には何も無かったのよね?」
「もちろんだ!クソ師匠に騙されて娼館に連れてかれそうになった時には全力で逃げたし、サキュバスに精力を吸われそうになった時も全力で逃げたし、魔王がプロポーズして来たときもぶった斬った!」
「最後のだけもっと詳しく」
「え?」
「ううん、何でもない」
ちなみに魔王と言っても人型ではなく、SAN値が下がりそうなおぞましい見た目の相手であるため普通の恋愛を想像してはならない。唯衣は物語のような悲劇的な恋愛を想像してしまっているようだが、これまた盛大な勘違いである。
「それで、ユウ君はこれからどうしたいの?」
「俺は唯衣が好きだ。いつまでも傍に居たい。それは絶対に変わらない。だが唯衣を傷つけてしまった。そんな俺が唯衣の傍に居て良いのか分からない」
「…………」
「唯衣は……唯衣はどう思う?」
「…………少し考える時間が欲しい」
「分かった」
いきなり呼び出されて何かと思ったら異世界に飛ばされてその間にハーレム築いてイチャコラしてましたごめんなさい。
そんなことを言われても、どう反応して良いか分からないというのが唯衣の正直な感想だった。
単に浮気しました、だけならまだしも異世界云々という訳の分からない話まで混ざってしまっているのだ。悲しみと怒りと困惑が深く混じり合い、考えれば考えるほど自分の気持ちが分からなくなってくる。
ゆえに一旦時間を置いて冷静に考える時間が欲しかった。
「それじゃあまた」
唯衣は立ち上がり、優灯に背を向ける。
優灯はこれが決定的な別れになるのではと不安を抱く。
だが全ては異世界で自制出来なかった自分のせい。
反省はすれども引き留める権利などありやしない。
優灯は正座しながら己の行いを悔い首を垂れる。
するとある言葉が小さく聞こえて来た。
「ユウ君のはじめては私だと思ってたのに」
恐らく聞かせるつもりの無かった言葉なのだろう。だが周囲があまりにも静かだったことから優灯の耳にまで届いたのだ。
優灯は反射的に答えてしまった。
「俺のはじめては唯衣だよ?」
歩き出そうとしていた唯衣の身体がピタリと止まった。
そしてギギギと言い出しそうな程に錆びついた機械のように固い動きで首から上だけ振り返った。
「どういう、こと?」
「そのままの意味だぞ。初めては唯衣なんだって。覚えてないのか?」
「覚えてるも何も経験なんて無いでしょ!?」
「あ~そっか、覚えて無かったかぁ……」
がっかりする優灯の姿を見て唯衣は大困惑だ。
二人は言動こそバカップル化してはいるが身体的距離はプラトニックを保っている。恋人らしい事と言えばせいぜいが手を繋ぐくらいか。
それなのに優灯は『はじめて』が唯衣だと言うでは無いか。
混乱するのも当然だ。
「(もしかして何か勘違いしてる?)」
ここに来てようやく唯衣は自分が重大な勘違いをしていることに思い至った。
身体全体を優灯に向けて改めて問いかける。
「ね、ねぇユウ君。ユウ君って異世界で女の子と仲良くしたんだよね」
「ああ、本当にすまない」
「待って待って頭はもう下げなくて良いから」
『仲良く』というのは直接的な表現を避けた比喩だった。
その意味を優灯は理解しているものと思い込んでいた。
だがもしも『仲良く』の意味が唯衣が考えていたものと違ったのなら。
「具体的にどんな感じで『仲良く』したの?」
「そ、そんな恥ずかしいこと言えるかよ!」
「だ、だよね!」
顔を真っ赤にする優灯の様子から察するに、やはり『仲良く』とは唯衣が当初思っていたようなことのように思える。だがだとすると先ほどの『はじめては唯衣』という発言に説明がつかない。当の唯衣には全く覚えが無いのだから。もちろん忘れるなど在り得ない。
「(そういえば優灯って結構初心だった。じゃあまさか……)」
恋人になって初めて手を繋いだ時のことを思い出す。
あの時は自分も舞い上がってしまい胸が高鳴りどうにかなってしまいそうだったけれど、優灯もそれ以上に顔を赤くしていたような気がする。
もしも優灯の初心さが、唯衣が想像していたよりも遥かに高いとするならば。
そしてそれを幼馴染の自分に気付かせない程に必死に隠してたとするならば。
「でもはっきり言って。そのくらいは要求しても良いよね」
「う゛!」
今この場で優位に立っているのは唯衣の方だ。
優灯の謝罪の気持ちにつけこむのは心苦しいが、ここははっきりさせなければならないところ。
しばらくの間、優灯は悩みに悩み、火が出そうな程に顔を真っ赤にしてポツリと答えた。
「キ……キス……だよ」
「(セッ〇スじゃなかった!)」
唯衣は優灯が異世界でハーレム作って性行為三昧をしていたのかと思い込んでいた。しかし初心でチキンな優灯が愛する唯衣を差し置いてそんなことが出来る訳が無かったのである。『キス』と口にするだけで真っ赤になるような男が、それ以上のことなど出来る筈もない。
「(あれ、でもおかしい。私達キスしてないよ)」
唯衣は優灯の事が大好きだ。ずっとずっと好きだった。
それゆえ幼い頃の事までも鮮明に覚えている。
付き合って以降、あるいは幼い頃もキスをしたことなどないはずだ。
「(まさかユウ君。そこまで初心だったの!?)」
唯衣はある仮説を思いつき、思い切ってそれを聞いてみた。
「ユウ君、キスって何処にしたの?」
「頬」
「ピュアすぎるでしょ!」
確かに幼い頃に頬へキスした記憶はある。
だがその程度のことでここまで大げさに謝罪するだなんて。
唯衣には異世界での優灯の様子が容易に想像出来た。
「(ユウ君に惚れた女の子達がアプローチしてくるけど逃げ続けて、でも隙を突かれて頬にキスを許してしまった。そのことが私に申し訳なくて土下座して謝っている。ありそう!)」
真剣な表情で誠心誠意気持ちを込めて土下座なんてするものだから、行くところまで行ってしまったのかと思った。子供がいる可能性すら頭を過った。
だが実態は全く違ったのだ。
「紛らわしすぎるでしょ!」
「え?え?」
「それにずるい!凄いずるい!」
「何が!?」
異性を抱いたとかであればまだしも、頬に不意打ちでキスをされてしまった程度のことを悔いて心から反省して謝るだなど、唯衣が好きで好きで好きで好きだと証明しているようなものではないか。
優灯がどれほど自分のことを愛しているのかが分かってしまい、先ほどまでは不安で胸がドキドキしていたのに違う意味でドキドキが止まらない。
「ユウ君のバカ!」
「ごめんなさい!確かに俺が馬鹿だった。唯衣が怒るのも当然だ」
「そうじゃない!怒ってない!」
「え、怒ってないのか?」
「怒ってるよバカ!」
「どっち!?」
付き合っている男性が女の人から頬にキスされたと言われたら良い気はしないし怒りたくもなるだろう。だが今回の件は優灯が深く反省していると分かるし、そもそもその程度で済んでいることが奇跡とすら思える話だ。
「(一年半も彼女と離れ離れになって、男の子なら女の子とイチャイチャしたいだろうに、寄ってくる女の子達全てを拒絶して私だけを想い続けてくれるとか、そんなの怒れるわけないじゃない)」
ピュアすぎて分かりにくいことに対してつい怒ってしまったが、それは照れ隠しにすぎなかった。
「何処なの?」
「え?」
「だから、キスされたのはどっちの頬なの!?」
「りょ、両方」
「分かった」
嬉しい気持ちと優灯が好きな気持ちが高まり唯衣はどうにかなってしまいそうだった。
彼女は優灯の目の前でしゃがみ、額についた沢山の土を優しく手で払い落してあげる。
「ゆ、唯衣……?」
先ほどまで怒っていたはずの唯衣が慈愛に満ちた雰囲気に変貌していたため戸惑う優灯。相変わらず唯衣が激怒していて制裁をしに来たのかと思っていたのだ。
あまりの雰囲気の変化に戸惑う優灯に、唯衣は顔をゆっくりと近づける。
「!?」
そして両頬に優しくキスをした。
「えへへ、上書きしちゃった」
反射的に優灯は唯衣を抱き締めたい衝動に駆られた。『好き』の気持ちが抑えきれず、謝罪中だというにも関わらず暴走間近だ。
だが優灯は動かない。
何故なら彼は初心でありキスされたことが恥ずかしくてたまらないから。
そしてそもそも抱き締めるなんて行為は恥ずかしくて出来ないから。
これまで何度も抱き締めたくなったがしなかったのはそれが理由でもあった。
そんな優灯の反応が気に入らなかったのか、唯衣はキスしたばかりの両頬にそっと優しく手を添える。
「!?」
今度は唇へ触れるだけの優しいキス。
好きな気持ちを我慢できないのは唯衣も同じだ。
優灯が動かないのであれば、唯衣から動くだけ。
「しちゃった」
「…………」
お互いに顔を真っ赤にして見つめ合う。
いや、唯衣が優灯の瞳をまっすぐ見ているのに比べ、優灯は視線が定まらず揺らいでいるように見える。
「きゅう」
「きゃああああ!ユウ君!ユウ君!しっかりして!」
好きな人からの唇へのキスに耐えられなかったのか、異世界を救った勇者である優灯はいとも簡単に敗北したのであった。
腕の中で真っ赤になって目を回す優灯を愛おしそうに眺めながら唯衣は心に誓った。
「流石にもっと慣れてくれないと困るな。私が頑張らなきゃ」
優灯にとって剣と魔法の世界で命をかけた冒険をするよりも遥かに難易度が高い戦いが幕を開けたのだが、当の本人は幸せそうに眠っており気付いていなかった。