上中下の上:話のリレー
数十年来の付き合いのある腐れ縁の友人から聞いた話である。
誰かに言いたくて楽になりたくて仕方がなくて、長い付き合いで互いに恥をさんざん知っている私に救いを求めるように話してきたことである。
名前を出さない、特定されないように厳重注意するよう言われ、書くことを許された。
先輩は、インターネット創世記から残虐動画を集めている人だった。
1990年、windows95が発売される前から電話回線でゆっくりと動画をダウンロードした武勇伝を聞かされたことがあるが、そのときは興味もなく聞き流していた。
三十年経って、作り物はスルーし、大物と出会うこともなくなり、それでも真面目に巡回作業を続け、名前も正体も知らない同志と情報を交換しつつ無駄話をしつつ残虐動画を探している姿勢は、まるで狩人である。
もう人間を脅かす大物の害獣はほぼいなくなり、小物だったり痩せ衰えてる獲物を狩ったり見逃したりと、格や評判もどうでもよくなり、狩り自体が人生であり生き様である、そんな一見一般人と変わらない風格になり、90年代や00年代は無理矢理に見せていた後輩も一人二人と自分の人生を歩み、今では私以外に接点を持ってる者がいるのかも解らないくらいである。
そんな先輩が私を飲みに誘ってきた。
待ち合わせの時間、待ち合わせの店に行ってみるともう来ていたのだが、今までで一番憔悴し、疲れ果てているようだった。
「どうしたんですが、久しぶりに大物を見つけましたか」
店員にビールを頼みながら声を掛けると、先輩は私をじっと見て少し頷き、左手の人差し指と中指を立てて軽く振って、
「とんでもないモノを教えられてな」
そこで一旦区切って大きく息を吐き、肩の力を落として続きを言った。
「残虐動画ならどうってこともない、戦争が始まって人間の悪意の塊の映像がどんどん流れてきてな、連絡を取ってる連中も、うんざりしながらポチポチと落として粛々とコレクションに加える、もう作業だな。しかしそこはそれ、どこのサーバーにどんな映像があるって情報をやりとりしているうちに、変な噂が流れてきてな」
そこで店員がビールを持ってきたのでまた区切り、なんとなく乾杯をする。
私は喉が渇いていたので半分ほど一気に飲み、先輩も私の飲みっぷりをどよんとした目で見ていて、ジョッキを置いてちょっと間を置いて続きを始めた。
「見ればどんな願い事も一つだけ叶えてくれるビデオっつーんだよ」
「はぁ?!」
さすがに突拍子過ぎた。
「まぁ俺らの世代じゃ、〝そこに行けば、どんな夢も叶うというよ、誰も皆行きたがるが、遙かな世界〟っつー歌があってな、ものすごく遠くに理想郷があって、そこに行けばなーんも悩まなくていいって話はあった。ユートピアとかシャングリラとかアルカディアとかな。だけど世界が隅から隅まで解るようになって、因習村はありそうだけど楽園はもう誰も信じないだろ、そこにそんな噂が出てなあ」
「……はぁ……」
先輩もそこまで言いつつ、どよーんと沈んでいる。
「で、あったんですか?」と先を促すと
「あぁ、あったよ」
話を続けるのに気持ちの溜めが必要なようで、黙って待つ。
数秒経って、気が満ちたようで口が開かれる。
「最初は動画収集仲間から聞いた噂だった。それが一人に、具体的な話として持ちかけられてきたそうだ。どんなマニアでもそうだろうが、情報網を活用するには時間が合えば全く畑違いの人からの話にも耳を傾けるだろ、どんな願いでも叶うテープは宗教かオカルトとかスピリチュアルで、残虐物にはヒットしないわな、皆が探している動画があるけど誰も見つけられない、その動画が欲しいって人もいないことはないだろうが、そういう人にピンポイントで当たらなければ意味がない、話を持ちかけられたそいつも病的な残虐動画マニアだ、世間一般で言われている幸せとか願い事なんてない、だから一度はスルーしようとしたんだが、その話を持ちかけてきた奴との繋がりを確保するかと思ってテープを送ってもらったんだ、金額は大したことはない、安いシティホテルに一泊する程度だったそうだ、特に大それた願いはないにしても、小さな願い事はあるわな、それを念頭にテープを見たそうなんだがな……」
一口サンドイッチを食べる。
「その人、叶ったんですか?」
「あぁ、叶ったそうだ。で見たことを後悔している」
「ほー」
今度はサンドイッチを全部食べて
「話を持ちかけられて、やりとりをして、テープを手に入れてと、いちいち皆に報告していてな、それまでは本当に送られてくるか詐欺か、当たりか外れかで笑いながら話題にしていたんだが、最後は無茶苦茶落ち込んでいたよ」
「最後はって、行方不明になったり?」
「動画趣味から手を引くって言ってたよ。みんなも別に、そいつしか持ってないって動画があるわけじゃない、一般的な趣味と違ってコレクションの引き取り手を探さないといけないものじゃないからな、みんな惜しむというより仲間の引退にしんみりして別れの挨拶をしたけど、やっぱりそのテープを欲しがる奴が出るわけだ」
「あー」
「そのコミュニティで、二人、順繰りにテープを受け取ってな、二人とも同じ末路を辿ったよ。で俺は好奇心よりも真相究明をしてみたいと受け取ってな」
「見たんですか!」
「見たよ。……見なきゃよかったよ」
「へー」
まぁそれもまた好奇心なんだろうけどね。
「どんな内容なんですか?」
勢い込んで聞く俺に
「そうだな。願いが叶う代償に、内容を言う気力を奪われるんだよ。ペナルティじゃない、言っちゃいけない禁忌というわけじゃない、言う気力をとられる、だよ」
「へー」
その次に出る言葉を、俺が言うか先輩が言うかは、ただの駆け引きなんだろう。
「お前、見るか?」
「まさかテープを俺に渡そうってんじゃないでしょうね?」
同じ事だ。
同じ事だが結局は、俺が見たいか見たくないかということだな。
先輩だって俺が受け取るのを拒否したら、無理にでも押しつけようとはしないだろう、郵便なんかで送りつけてくる人ではない。
「捨てても戻ってくる呪物なんですか?」
「その説明をすると賭け金が上がるが、いいか?」
「まぁ聞くだけでしたら」
テープについての先輩の話はこうだった。
テープを再生すると、いつも漠然とでも願っていたことが叶う、
それで命を無くすことはないし、直接に運が悪くなることはない。とはいえ運の方は比較するものがないので確実なことは解らない。
説明を聞いた者が再生をせず、全く見なければ破棄することはできる。燃やすことが推奨される。
見てしまうと捨てることはできない、捨てても戻ってくる。誰かに譲渡するか、ずっと持っているかになる。しかし持ち続けると心が削られるので精神衛生上よろしくないことこの上ない。
「俺は見たことを後悔しているよ」
残虐動画の猛者を、先輩の前にも三人は引退に追い込むこのテープに、無関心ではいられなかった。
二人とも大した飲み食いはしてなかったが、受け取ることで先輩が代金を払ってくれた。
「願わくばお前がこのテープを燃やしてくれますように」