第三話 『妖術を扱うにはちと早い』
ーー2023年8月7日 結地神社
公星はその幾千にも重なる階段を30分もの間駆けあがっていた。
「はあ、はあ、いつになったら着くんだ……。長い……」
8月の日差しが、夏の乾を誘う匂いが公星の体力を奪っていた。
「そろそろかな……。あれ多分鳥居……。ってか今日の俺独り言多いな……」
独り言の多さに紐づいて中学生時代の教室の情景が頭に流れ込んでくるが、公星の魂はその過去を否定するように、すでに負担のかかっている鼓動を速めたのだった。
「もうそろそろかな……はあ」
やっと上がり終えた長い階段の先に、ほうきを握る風雅が参道を掃除していた。
「ようやく……ついた」
息切れの公星は、その乾ききった喉をさらにいじめて肺に空気を送っていた。整い始めた息と心臓が十分に赤くなった血液を全身に回す前に、足をふらふらと動かし風雅に近づいた。
「お、おはよう、風雅」
「あっ!おはよう公星……ってその汗大丈夫か」
「いやあ、結構きつかったよー。こんなの毎日上ってるなんてすごいね」
「まさかあの階段を上ってきたのか?あの……言いづらいんだが、エレベーターあるぞ」
「!?」
「あそこ……」
風雅が指さした先には、エレベーターと一切の水滴をたらさずにこの境内に足を踏み入れた参拝客の姿があった。
「あ、あぁ。まあ、修行になったかな。あははは」
「ごめん、ちゃんと伝えておくべきだったな。それと無理に笑わないでくれ……。とにかく、涼しいところで何か飲もう。オレの部屋で麦茶でいいか」
「うん。なんかごめんね」
「謝るなって……」
公星の今の状態すべてが風雅に罪悪感を感じさせていくのであった。
風雅の部屋は少し狭いものの、きれいに整頓され風鈴の音が響いていた。
「どうぞ。麦茶にあわないかもだが練り切りも」
風雅はキンキンに冷えた麦茶と桜の形の練り切りを出した。
「ありがとう!!俺和菓子大好きなんだ~」
「この和菓子はお爺様の友人のお店のものなんだ。確か、赤順という名前の店だったか」
「え!まじで!俺のじいちゃんは赤順系列の和菓子屋さんやってたんだ!!」
「なら、公星には慣れ親しんだ味なんだな」
公星は和菓子をおいしくいただき、死にかけの喉に麦茶を流し込むのだった。
「ごちそうさまでした。それじゃ、妖術のことについてお願いします」
「ああ。まずはこれを持ってくれ」
差し出された布に触れた途端、公星の体からなにかが抜けていくのがわかった。
「いたっ!いや、痛いんじゃない……?」
「この布は触った人間の霊力をうばう。君の体から霊力を抜いたんだ」
「霊力って確か人の正の感情から生まれるものだよね?体に入ってていいものじゃないの?」
「ああ、別に霊力に害はない。これは霊力の器の上限を上げるため」
「上限を上げる?」
「ゲームとかでMPを上げて技を何度も打てるようにするのと一緒だ。普通、人間は霊術を打てるほどの霊力を体にためておける器がない。霊力の器は、霊力が放出されることでどんどん大きく、強くなっていく。だからこうして器を広げるんだ。」
「そういうことか。でも待ってよ、昨日霊力と妖力のことは電車で聞いたけど、霊術と妖力の違いって……?」
「説明していなかったな、人間の正の感情から生まれた霊力を使って放つものが霊術。妖怪にとってかなりの有効打になる。それに人間に対して危害が及ぶことは基本的にない。しかし霊術の習得は難易度が高い上にその器を作るのも時間がかかる。その一方で負の感情から生まれた妖力を使うのが妖術だ。妖術のは普通の人間でも一週間程度あれば身に着けられる。それに消費する妖力が少ないから器が小さくても使えないわけじゃないんだ。今日は基本的に妖術習得に向けてだが、少しでも霊力の器は上げておきたいからな。」
「わかった!じゃあどんどん霊力抜いていくか」
「残念だが、今の公星だと霊力が回復するのに二日はかかる。それまではこの布に触ったとしてもあまり大きな効果は期待できない。一度に抜ける力が大きいほど器は育つからな」
「そうなのか……」
やる気満々だった公星は少ししょんぼりしている。
そんな公星を元気づけるかのように、風雅は指を立てて話をつづけた。
「ある程度すれば霊力の回復も早くなる。それまでの辛抱だよ」
「わかった……。それじゃ妖力の方はどうやって増やすの……?」
その言葉に風雅は少しその動きを止めてしまった。
「それはワシが教えよう!」
部屋の扉をバーッと開いた一人の老人が、大きな声でそう言ったのだ。
「えっ?お爺様、今日は町内会の方々の除霊にお出かけになったのでは?」
「そうじゃったんだがのう。なにせ外は雨じゃ。町内会は晴れの日しか活動しない方針じゃからのー」
「雨?」
窓の外を見ると、先ほどまでのカラカラとした炎天下とは程遠い、どしゃぶりの雨が景色を染めていた。
「公星ごめんな……こんな日に……」
公星を連れてきてしまったことを後悔し詫びる風雅をよそに、公星は緊張の糸をぴんと張っていた。
「は、初めまして、、あの、風雅に助けていただいた、じ、直焼、こ、公星というものです。よ、よろしくお願いします」
「おー。話は聞いておったが、君が公星君か。よろしくねー。なあに、本当に風雅に友達ができて一安心じゃよ。風雅のやつ学校じゃいつも一人で窓の外を見ておるだけじゃと先生に言われておってのう」
「お爺様!」
「あはは、すまんのう風雅よ」
老人は姿勢を正し、改めて公星へ微笑んだ。
「妖力を上げる方法に知りたがっておったのう。霊力と妖力の性質については聞いておるかの?」
「は、はい。霊力が全身を流れる力で、妖力が一転に溜まる力っていうのを電車で風雅から聞きました」
「そうじゃ。君も体験したように、その布は強制的に霊力を流させる。性質をうまく利用しておるのじゃ。しかし妖力は溜めておく力。この布では引き出せん。そこでじゃ」
剣蔵はどこからか黒い塊をとりだした。
「この妖怪の魂を食べるのじゃ」
「妖怪の魂……?その黒いやつがですか?」
「そうじゃ。妖怪を退治することで稀にその力を残して魂のみがとどまることがある。これを食うことで、妖力を体に溜めこむのじゃ。そうすることで、妖力の上限は増える」
「それじゃあ、実際にこれを食べてみますね……」
「ためらいないんだな……」
あまりにすんなりとそれを口に運ぶ公星に、風雅は少し身を引く。
「……いただきます」
公星は味わい、咀嚼した。
「っ!!!」
不味いなどでは表せない……。体が拒み、汗を流させ、脳はそれを死と誤認しているのか、五感のうち味覚以外をすべて放り捨ててしまっていた。
「…………ん」
しかし公星は吐き出すことなくそれを体内へ押し流した。
「っはあはあ。食えた……」
「ほー!根性あるのう!」
剣蔵は感心し、公星の肩をぽんと叩く。
「どうじゃ、なにか体に変化は」
「いえ、特に……」
「そうかそうか!それなら君はしっかりとそれを自身の力にできたようじゃのう!」
「でも、別に力がみなぎる感じじゃないんです」
「それもそのはず。それを食べたとて大きな変化が起こるわけではない。それに妖力が全くないわけではなかろう。これから地道に頑張っていくしかないのじゃ!」
「……ごめんなさい」
「なぜ謝るんじゃ。ワシらだって最初はそうじゃった。誰もが最初はなにもできんもんじゃよ。だから慌てずにやっていくんじゃよ」
「……わかりました」
「うむ。ああそうじゃ、ちょいと失礼」
腰を上げ、低身長の老人は公星の額に触れた。
「霊指力は……っ!」
「お爺様、外に……」
「これは結界の中におるようじゃのう。雨はそのためか」
「……?どうしたんですか?」
「外に五つほどの妖気が集まって、こっちに向かっておる。しかも悪しき気じゃ。退治しなければならぬ」
三人は外へ出た。そこには、すでに結界を通り超えた妖怪の集団がいた。
狐の妖怪と一つ目小僧、ろくろ首、傘にされているのはから傘おばけだろうか。
「風雅、公星君を守りなさい。公星君、君はワシらの戦いを見ていなさい」
「はい!」
ダっと走り出した剣蔵の周りに青白い炎のようなものが揺らめきだした。
「……【絶・妖切烈火】!!」
炎が妖怪に向けて放たれた。ろくろ首は炎に包まれ、そして首をつかんだ剣蔵が霊力を流し込んだことで、体が消えていった。しかし、狐の妖怪は高く飛び上がりその炎を回避した。
「【紺魂ウィンド】!!!」
狐の妖怪は風を起こす妖術を使い、剣蔵の炎を公星の方へ向けていった。
「公星、オレの後ろにいて。【風前音波】」
風雅の指に妖力が集中し、鳴らした指の音が反響し炎を消した。
「炎に気を取られたようだなあ!」
二人の後ろに一つ目小僧がすでに回り込んでいた。
一つ目小僧は公星の腹をめがけて妖力の込められた拳を突き出そうとしている。
「うおおお!!なんか出ろ!!」
公星は水を出すときと同じように左手を前に出した。
しかしなにも出ない。彼の無力さなどとうにわかり切っていた。
狐の妖怪と妖術の駆け引きをしながらも少年の様子を見ていた剣蔵はつぶやいた。
「公星君が妖術を扱うにはちと早いようじゃのう。いやそれ以前に石の扱いを知るべきか」
空いている片方の腕で石の力を使う風雅が、公星の前に出た。
「【引象】」
風雅は転がっていた小石を集めを引き寄せ、その勢いのまま一つ目小僧の目玉に小石をぶつけた。
「痛いいいいいぃいぃ!」
「【妖切烈火】!」
風雅は彼の妖怪を炎で呑み込み、とどめをさした。
一方で、剣蔵は……
「うーむ、早いのう。このままでは当たらんわい」
そして両の手を胸の前に出し、なにかの形を作り出した。
「公星君!さっき性質の話をしたな。霊力の流れる性質はこうやって扱うことができるんじゃ。よく見ておいて、あとで感想聞かせてもらうからのう」
両手を顔の前まで上げ、老人は唱えた。
「【霊力流解】」
次回予告
術を使うことのできない公星。剣蔵の力に彼が見たものとは。
次回 第四話『石を喰らう覚悟』