第4話 鬼の首と笛の君
第4話です。更新遅くなりました。
私は、翼に話した。自分がこの時代から見て未来にあたる時代からやってきたということ。そして、2日の後には元の時代に帰れること。
翼は、私の話を真剣に聞いてくれた。変な話をする奴だと思っているそぶりは寸分たりとも見せなかった。
それから私は続けた。
「でも私、最近迷っていて……。確かに向こうの時代には、私の大事な友達だっている。それに遠く離れているけど、両親だって……。でも、この時代には私が長らく忘れていた何かがあるんだ。私が、忙しくて日々忘れていたものが……」
「アスハ殿は、それも大切にしたいと……?」
私は頷いた。
「貴方は欲深なお方だ。……いいえ、悪口で言っているのではありません。欲があるというのはその分自らを高めようという気持ちがあるということ。強欲と欲は……全く違うものです」
「そうなの……?」
「かつてお釈迦様は、苦行と快楽、両極端のものを体験しましたが、そのどちらでもない中道の精神により悟りを開かれました。何事も及ばないのも、より過ぎるのも良くはない……ということです」
「過ぎたるは及ばざるが如しってこと?」
「そういうことになります。ですが、その中道の加減を知る者はなかなかいない。なので、俺の勝手な考えなのですが、自らがそれに囚われない程度のものこそが中道であると思うのです。そしてアスハ殿、貴方のその欲は……それに丁度当てはまる……と」
そんな難しい言葉で褒められても……と、私は思ったが、同時に嬉しくもあった。
翼は続けた。
「ですのでアスハ殿、そのどちらも手に入れてみる……というのは如何でしょうか。方法は……俺にも分かりませんが……でも、むしろ方法については、貴方自身が納得のいく方法を見つけるべきだと思いますよ。俺などの力は借りずに……」
「そう、ありがとう。翼くん、初対面の……私の話なんかを聞いてくれて」
「礼には及びませんよ。俺はこうすることしか能のない人間ですので、わざわざ褒めていただく必要もありません」
「翼くん」
と、私は言った。
「私からもひとつ、言いたいんだけど……。翼くんの才能は誰にも簡単に真似の出来るものじゃあないと思う。笛の音だって、本当に心に響いてくるみたいだったし、それに、私にだってなんの文句も垂れずにアドバイスをくれた。それって……並の人間には出来ないことだよ。……だから、例え術の才能がなかったとしても、それでももっと自信を持っていいと思う。翼くんにしか出来ないことだって、きっと……あるから」
「アスハ殿、そのお言葉、感謝します……」
翼はその場に立ち止まると再び笛を吹き始めた。
私はそんな彼を横目に小町のいる方へ戻る。だが途中で、いそいそとこちらへやってくる小町と、ふたりの式神にばったり出くわす。
「アスハ様、お仕事、無事に終わりましてございます」
小町は報告した。
「え、えと……もう終わったの?」
「はい、あの後すぐに、偉いお坊様がやって来て、経文を受け取って……。それよりもアスハ様、笛の音の主は分かりましたか?」
私は頷いた。
「うん、なんかとても不思議な感じのする子だった。それに、とても優しくて……」
私は今来た道を振り返った。笛の音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
「それはさぞ素敵なお方だったのでしょうね」
小町はキラキラと目を輝かせる。
「それと……これは先程小耳に挟んだお話なのですが……」
と、小町は話題を変える。
「寺の住職がお話しているのが、聞こえてきてしまったもので……」
「どうしたの?」
「ここお寺の倉に、鬼が潜んでいるという話があるようなのでございます」
「お、鬼……?」
「はい……」
小町は深刻そうな表情で頷いた。
「なんでも、そのお話によりますと、三日ほど前、さる有名な貴族のお方がお忍びである女の方を連れて出かけて行ったそうなのでございます。ですが……途中で自分の家の使用人にみつかり、彼は女の方を連れてこちらのお寺の倉へ逃げ込んだと……。そして、追っ手を警戒し、周囲を見回って戻ってみるとその女の方は……」
と、ここで小町が演出なのか何なのか言葉を切った。
「どうなったの?」
と、私は尋ねなければならないような気がして訊く。
「身体の一部分を残して……きれいさっぱり消えてしまったようなのです」
あれ、似たような話を教科書かどこかで見た記憶がある。伊勢物語……だっけか。
「アスハ様、なにか心当たりでも……」
そんな私の表情を見て、小町は言った。
「い、いや、この話どっかで……と思って」
「それはわたくしも思いました。ですが、今回の出来事には続きがあるのですよ」
「続き?」
「はい、昨日になって、寺の僧侶が二名ほど、倉の中へ事の真相を調べに入ったのでございます。話によると、例の貴族の家から、自らが与えられた精神的苦痛に対し、圧力がかかったようで……。とにかく、その調べに入った僧侶が二名とも、またしても消えてしまったのでございますよ」
「小町ちゃん、もしかしてそれって、白鷹くん案件なんじゃ……」
「わたくしもそう思いました。ですので、式神のおふたりの妖術で、わたくしが書いた文を蝶に変えてもらい、白鷹様の所に送ってもらった次第でございます」
「そう、それはよかった……」
「ですが、わたくしたちとしても、是非ともその鬼の正体、確かめてみたいと思いまして!」
え……? 今、何と……?
「実は寺の僧侶にはもう、わたくしたちが陰陽師、安倍那須乃様に仕える者であることは言っております。ですので、わたくしたちで先に調査を済ませてしまいましょう。白鷹様が悪鬼退治に安心して専念できるように……」
「ちょっと待って、今、確認するけど、小町ちゃん、奉公人の仕事って分かってる?」
「ご主人様に仕え、お手伝いをし、行く手を遮る敵をけちょんけちょんにやっつけることですよね?」
「ぜ、前者はそうだけど、後者に関しては多分違うから!」
「それにわたくし、昔から物語や昔話に出てくるような冒険に憧れていたんです! そんな機会が今、わたくしの目の前に転がっているなんて……!」
あぁこの人、一旦やる気を出すと周りが見えなくなるタイプの人だ……。私はそう思いながら式神たちに助けを求めた。
だがふたりの式神は首を横に振った。
「我々は飽くまでも人間の手伝いをすることが仕事です。各々の選択にまで干渉をすることは禁じられています」
木霊は言う。
「はいはい、分かったけど……本当にちょっと調べるだけだからね?」
私はそう言いながら帯に指した剣の携帯電話に手を触れた。
いざとなったら、あの牽制攻撃を使おう。決定打にはならなくとも、相手の注意を逸らすくらいなら出来るはずだ。
私は、小町が意気揚々と寺の建物が並んでいる方に向かうのについて行った。既に住職がふたりほど待っており、私たちに恭しく会釈をする。
「お待ちしておりました。皆様が那須乃様の家中の者で……しかも我が寺に起こった怪異の直々の調査をしてくださるとは……」
「さぁ、倉はこちらにございます」
ふたりの案内で、わたしたちは一棟の建物の前に移動した。全面が木で作られた建物で、上部には明り取り用の小さな窓が開いている。入口は、土壁造りの頑丈そうだが小さめの引き戸だった。住職のひとりがその扉を開ける。
私と小町は、顔を見合わせると、やがてその扉の向こうに入った。式神ふたりも後に続く。
倉の中は、薄暗く、土間になっていた。いくつもの棚が並んでいるが、もう使われていないらしく、物は載っていない。
「何も……居ないみたいだけど?」
私はやや安心して言った。
「そう……みたいですね」
小町も言う。
だが、式神たちだけは深刻そうな顔をした。
「なにか……とてつもない邪気を感じます」
閃光は言う。
もしかしたら私たちは、現代で言うところの霊感のない人間なのかもしれない。などということを私はぼんやりと思った。
だがその時、背後の扉がバタンと閉まった。
「え……?」
「あの……お坊様たちが閉めたのでしょうか」
「いいえ、それは無いと思います。あの扉は……あそこまで簡単にすぐに閉められるものではありませんので」
閃光が怪訝な顔をして説明する。案の定、外からは扉を叩く音と、こちらの安否を確認する声が聞こえてきた。
「こ、こちらは大丈夫です! 安心してください!」
小町がすかさずに答えを返した。
だがその時、木霊が叫んだ。
「アスハ様! 危ない!!」
私が咄嗟的に右に飛び退くと傍をなにか黒くて長いものが横切った。よく見るとそれは、髪の毛のようでもあった。
「あれは……!」
と、小町が悲鳴のような声を上げる。
私がその方角を見ると、蔵の奥に巨大な鬼の首が潜んでいた。大きさは三メートルほどだろうか、胴体はなく、本当に首だけの鬼だ。頭には蛇のように蠢く黒い髪が伸びている。
「その童子ふたりは式神……お前たちは、陰陽師か」
鬼は問うた。
「ち、違……」
「そうです! わたくしたちは安倍那須乃様に仕える陰陽師たちですよ!」
小町がビシッと言ってのけた。
嘘は宜しくないですよ。お嬢様。
だが、鬼はその言葉を信じた。そして言う。
「さようか、とうとう我の所業にも陰陽師が動くようになったか……! だが所詮、貴様らは我に喰われる運命よ!!」
鬼は髪の毛を伸ばして襲ってくる。私は、剣の携帯を手に取ると、指鉄砲を形作り光弾を発射した。光弾は髪の毛に当たるが、鬼本体はビクともしない。
しかし、鬼はその攻撃に気がついて言った。
「ほう? 妙な技を使うものだ……。何者だ……お前」
「私が何者かなんてどうでもいいでしょ? それよりも貴方はどうしてお坊さんや、女の人を食べて……」
「それこそどうでもいい話だ。お前たちはいちいち、食べ物を食べる時にそれを食べる理由などを考えているのか?」
「それは……!」
「お前たちが腹が減ったら飯を食うのと同じで、我は腹が減れば人を喰う。それだけの話よ!」
そして鬼の首は倉に置かれた棚を倒しながらこちらに向かってきた。流石の小町も怖気付いたのか、私にそっと身を寄せる。
あぁ、やっぱり駄目みたいだ。私たち非戦闘員じゃあ敵いっこない。
だがそこで、木霊が言った。
「小町様、貴方は確か……弓術の経験がお有りだとか」
「は、はい……一応……ですが」
「でしたら、我らをお使いください」
「はい?」
小町はキョトンとするが、そのうちに木霊が弓に、そして閃光が矢へと姿を変えた。矢は一本しかない。絶対に当て損じたらダメなやつじゃん……。
小町も同じことを思ったようで、弓と矢に姿を変えた式神に言う。
「あの……ですがわたくし、あまり上手い方ではなく……一本だけでは当てられるかどうかも……」
「いいえ、射ってみれば分かります。我らの矢は、一本だけでも必ず、そして何度も的に当てることが出来るのです」
矢の姿の閃光が説明する。
「わ、分かりました」
小町は戸惑いながらも弓と矢を手に取り、鬼の首目掛けて引き絞った。矢は発射されるが、それは鬼の首からはやや逸れた壁の方向だった。
あぁ、あんな大きい的も外すなんて、思っていた以上に弓術、向いてなかったんだなこの人……。と、私は思う。
だがそこで、矢は大きく向きを変え、まるで意思があるかのごとく、鬼の首に向かった。そのまま矢は、何度も攻撃を喰らわしてくる鬼の髪の毛を交わしながら、鬼の額に突き刺さる。かと思うと後退してそこから抜け、また、更に別の箇所に攻撃を加えた。
「じ、自動追尾式の矢!?」
私はその光景に驚いて思わずに言った。
「く……そっちの女子も妙な技を……。だがこれしきのことで……」
鬼は髪の毛を束にして矢に攻撃を喰らわした。矢は急旋回するとこちらに戻ってきて、小町の手の中に収まった。
「す、凄いです……。わたくしにも射られる矢があったなんて……」
「いいえ、それは貴方の基礎がしっかりと出来ていたからです。弓術などやったことの無い者でしたら、私たちを射ることすら出来なかったはずです」
弓の姿の木霊が言う。
「ふん、貴様たちが女子だと舐めていた我に油断があったようだ。これからは本気で行かせてもらうぞ……」
鬼の首は髪の毛を伸ばすと、周りの壁に次々と突き立てた。倉の壁が割れ、やがて屋根が私たちの真上に崩れ落ちてくる。もう、私の光弾でも小町の弓と矢でもどうしようもないだろう……。
だが、生を諦めかけて目を瞑ろうとした時、私たちは誰かに抱えられて空中に飛び上がる。私たちはその誰かによってひらりひらりと瓦礫を躱しながら外に飛び出していた。
「ったく、お前らだけで無茶するんじゃあねぇぜ」
それは、白鷹だった。彼は、私と小町を両脇に抱えながら崩れてくる瓦礫を足場に、空中を目にも止まらぬ速さで移動している。やがて、彼は私たちを抱えたまま地面に着地をした。ちょうど本堂の前の広場になった所だ。私たちは地面に下ろされる。
「また新手が来たか!! だが何人来ようが我には関係ないわ!!」
鬼の首は、本堂の屋根の上空からこちらを睨みつけて言った。
「ほう? 首だけとはこれまたけったいな見た目をしていやがるぜ、だがおかげで首を穫る手間が省けたってもんだ。あとはてめぇを寝かしつけてやればいいだけだからよ!」
そして白鷹は背中の白波の太刀を抜いて構えた。
「アスハ、小町、お前たちはそこで待っていな。お前らのおかげで少なくともこいつの正体を洗う時間は省けた。無茶したことに変わりはないが……感謝はしとくぜ」
やめてください、そんなことを言うと小町がまた調子に乗ります。私は言おうとしたが、白鷹は地面を大きく蹴り、本堂の屋根の上に飛び乗った。
「ふん、女子よりは不味そうだが、貴様も喰らってやるぞ!!」
鬼の首は髪の毛を伸ばして白鷹に攻撃してきた。
「不味そうで悪かったな!」
白鷹はその攻撃を白波の太刀で防ぐ。
「だが貴様の攻撃、鈍いもんだぜ!!」
白鷹は本堂の屋根瓦を蹴り、空中に飛び上がった。そして、太刀を鬼の首目掛けて振り下ろす。だが鬼の首も、その攻撃を髪の毛を伸ばして防御した。
「そんな鈍ら刀で我に傷をつけることが出来るものか!!」
鬼の首は自信たっぷりに言う。
「鈍ら刀? どうやらお前は大きな勘違いをしているようだな……」
白鷹はそこから飛び退いて屋根の上に着地をすると白波の太刀を天に掲げた。
「我が太刀、白波よ。六道が力のひとつ、修羅の力を我に与えたまえ!」
白波の太刀が青白い光に包まれた。それと同時に白鷹の身体に炎と共に出現した赤い鬼の鎧が装着される。
「変化、完了。我が名はアシュラ、この白波が、貴様を喰らう!!」
アシュラは白波の太刀の切っ先を鬼の首に向け、決めゼリフを放つ。
「喰らうか……。気に入った! だが先に喰らわれるのは貴様だ! アシュラ!!」
鬼の首はアシュラ目掛けて突撃してきた。
「この白波がさっきまでと同じだと思っちゃあ大間違いだぜ!!」
アシュラは、襲いかかる鬼の首の髪の毛を次々と切断していった。アシュラに変身すると、白波の太刀の斬れ味も上がるようである。
「なっ……馬鹿な……我の鋼鉄の髪が……!」
アシュラは屋根を大きく蹴り、太刀を突き出しながら飛び上がった。狙うは鬼の首の急所ただひとつである。
「もらったァ!!」
白波の太刀が鬼の首の額に深々と突き刺さる。それからアシュラは太刀を引き抜き屋根の上に降り立つ。後は、鬼の首が断末魔の叫びを上げるのを待つだけだ。
だが、鬼の首は断末魔の叫びをあげるどころか、笑い始めた。
「ふはははははははははは!! 笑わせてくれる!! その程度のなまっちょろい攻撃で我にトドメを刺したとでも? 愚かな……。傷をつけてやった事は褒めてやろう!! だがしかし! 貴様のその太刀は所詮鈍ら刀だったようだな!!」
そして次の瞬間、アシュラの手足は長く黒い髪の毛に拘束された。鬼の首が新たな髪の毛を伸ばしたのではない。さっきアシュラが白波の太刀で斬り落とした髪の毛が自らの意思を持っているがごとき動きでアシュラの手足に巻きついたのだ。
「こ、こいつ……斬り落としたはずの髪の毛も……!」
「ふはははははは!! アシュラとか言ったな! 無様な!! 痛めつけてくれよう!!」
アシュラの脚を拘束していた髪の毛が持ち上がり、アシュラはちょうど逆さ向きの体勢になる。
「白鷹くん!!」
私は叫んだ。そして、携帯を握りしめて指鉄砲を作る。なんとしてでも助けなくては……!
だがそれよりも早くに、小町が閃光の矢を放った。矢はアシュラを拘束している髪の毛の周りを何度も旋回し、攻撃するが、鋼鉄のように硬いその髪の毛には攻撃が通用しない。
「や、やっぱり駄目みたいです……。式神さん達の矢でも……!」
その時、遠くからあの美しい、そして心に響くような笛の音が聞こえてきた。笛の音は段々とこちらに近づいてくる。
「笛……。な、なんだ?」
アシュラは逆さ吊りの姿勢のまま音の聞こえた方を見る。アスハも振り返ると、そこには、笛を奏でながらこちらに向かって歩いてくる翼の姿があった。
やがて、アシュラを縛り付けていた髪の毛が緩み、アシュラは拘束を脱する。アシュラはそのまま空中で半回転をして、屋根の上に飛び降りた。
「な……どういうことだ。我が髪が……勝手に解かれた……だと……!?」
鬼の首は、たった今起きたことが信じられないというような顔をする。その様子を見て、翼は笛を口から離し、言った。
「俺の笛の音は、その者の心を映します。美しき者には美しき音色に、醜き者には醜き音色に、そして、心無き者には何も……。貴方が術で動かしているに過ぎない髪の毛は、笛の音で封じました。白鷹殿……今です!」
「おう、ありがとうな! 笛の君! おおっしゃ、行くぜ!!」
アシュラは白波の太刀を大きく振り下ろして叫んだ。
「喰らえ!! 修羅道青海破!!」
光の波が発生し、鬼の首を巻き込む。鬼は、断末魔の叫びを上げた。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 馬鹿なッ! こんなことが……! あるものかァァァァァァァァァァァ!!」
やがて鬼の首は、光の波に飲み込まれ、消滅した。アシュラはそれを見届けると、変身を解除する。
「よっ……と!」
白鷹の姿に戻ったアシュラは、屋根の上から飛び降りて、私たちの前に着地をした。そして翼を見据える。
「お前……なんつー名前だ?」
「俺は……翼……。いいえ、芦屋翼丸です」
それから翼は私の方を見て続ける。
「アスハ殿が……俺に気づかせてくれました」
「アスハが……?」
「はい。俺にも……俺なりに出来ることがあると」
「そうか、ありがとうな。翼、それから……アスハ」
「あ、あの……わたくしは……?」
小町の問いには、人型に戻った木霊が答える。
「小町様は今回、事態を荒立てただけですから……」
「そ、それは……」
「いいや、お前にも感謝はしているぜ。なにせあの弓を扱えるのは、基礎がしっかり出来ているからだ。そういう意味じゃあお前、那須乃様の奉公人として、この先も安泰ってこったな」
「那須乃様……ですか」
翼はなにか思い立ったように切り出した。
「ん? どうした?」
「その……俺も、那須乃様の弟子に……してはいただけませんか? 確かに俺は……陰陽師としての術の才はありませんが……でも、そんな俺でも出来ることがあると……今回分かりましたので」
「分かった。掛け合ってやんよ」
翼も……自分の道を見つけたのか。そして私は……。と、私はひとり、考えた。まだ答えを出せていない。ここまま、この時代と別れ、元の時代に戻るのか……それとも……ここに残るのか……。
「おい、アスハ、何処に行くんだ?」
無意識のまま歩き出していた私を、白鷹が呼び止めた。
「ん? い、いや……ちょっと気持ちの整理をつけようと思って……」
「そうか……だがあんまりひとりにはなるなよ。なんたってお前にご執心の奴がこの都にはいるんだからな」
「分かってる」
私は答えると、皆の元に戻ろうとした。まったく、少しはひとりにさせてくれたっていいじゃん。心の中では文句を垂れながら。
だが、そんな私は、背後から誰かに呼び止められる。
「よっ、アスハちゃん」
「え……」
私が振り返り、背後の木の上を見上げると、そこには、あの、浅魔童子の姿があった。浅魔童子はニヤリと笑う。
「また会っちゃったな、僕達、やっぱり縁とか、あるのかなぁ……」
そう言いながら浅魔童子は木の枝を飛び降りて私の前に着地した。白鷹達もその姿に気がつく。
「浅魔……貴様!!」
浅魔童子はすかさずに私を無理やり抱き寄せた。咄嗟のことに、私は抵抗できなかった。
「おおっと、動くとアスハちゃんの命は……僕のものになっちゃうからね? いいや、元々僕のものかも……」
「ちょっと待って、あんた……どうして……」
「どうして? 決まってるじゃあないか。好いた女に逢いに来た。それだけの話さ」
私は剣の携帯に手を伸ばす。だが、浅魔童子はそれを目敏く見つけて取り上げた。
「いけないなぁ、こういう悪いことをしようとしちゃ。そしてこれ、神器なんだよね?」
浅魔童子は剣の携帯についていたストラップを見つけて言う。
「それなら話は早い。僕のお父さん、こういうの、集めてるんだ。そして僕は君が欲しい。だから……どっちも貰っていくよ」
浅魔童子の背中に、コウモリのような翼が展開する。そして私を抱いたまま空中に飛び上がった。
「待て! 浅魔!!」
白鷹は白波の太刀を抜く。そしてそんな彼に、閃光が進言した。
「小町様に私の矢を放って頂ければ、私はふたりを追えます……!」
「よし、頼んだぜ小町!!」
小町は、再び弓と矢に変形した式神を射る。閃光の矢はぐんぐんとこちらに近づいてきた。
「ちっ、邪魔だなぁ」
浅魔童子は腰元の太刀を抜いてひと振りする。矢は、まっぷたつに切断された。
「閃光ちゃん!?」
「どうせ式神だろ? 陰陽師ならすぐに直せるって……。ま、その頃には僕はお前を連れて父さんの所に行ってるだろうけどね」
私は前者については安心したが、後者については全く安心出来なかった。もう地上にいる白鷹たちは、だいぶ見えなくなってきていた。
「白鷹くん……」
私は呟く。次の瞬間、首元にチクリと何かが刺さる感覚がした。
「駄目じゃあないか、アスハちゃん。僕の傍で他の男の話をしちゃあ。そしておやすみ、ゆっくり眠れ……」
それが、遠のいていく意識の中で私が聞いた最後の言葉だった。
気がつくと、そこは、荒れ果てた御殿のような建物だった。御簾や格子は破れ放題になり、部屋の隅にはクモの巣が張っていたり、床板には埃が積もっていたりする。どうやら、今は夕方のようだった。オレンジ色の光が、私が寝かされている布団の上に刺していた。
「やっとお目覚めかい」
声のした方に目をやると、浅魔童子が柱の1本に腕を組んで寄りかかっていた。
「お目覚めって、私……」
「まさか、僕の眠り薬があんなによく効くとはね……。今は君が攫われた日の次の日の夕刻だ。君は丸一日以上寝込んでいたということになる」
「丸……一日……」
ということは今夜は……。まずい、今夜は新月。現代と平安時代を繋ぐゲートが開く日だ……。
でも、それ以前にこいつの前で丸一日以上寝てたってことは……。私は咄嗟的に起き上がって自分の身体を確認する。何も異常はないみたいだが……。
「安心しろ。僕は眠りこけている君をどうこうする程タチの悪い奴じゃあない。まぁでも……起きている君が無防備な姿を晒すなら……その時は……」
そう言いながら浅魔童子はこちらにゆっくりと近づいてきた。
「その時は、襲っちゃうかもね」
私はハッとして後ずさる。浅魔童子の赤い瞳がキラリと光った。
「なーんてねっ。父さんに会ってもらう前に君がどうにかなったら、それこそ僕は父さんに殺される。そしたら精一杯君を可愛がることも出来なくなっちゃう。だから今はまだ何もしないよ」
私は少しだけ警戒を解いた。でも、まだこいつは信用出来ない。
「……っと言うわけで、今から君には僕の父さん、鬼童丸に会ってもらう。父さんの方からも色々、君に話したいことがあるそうだからね」
鬼童丸……。確か、白鷹の話によると、昔都を脅かした鬼の大将の息子に当たる鬼らしい。そいつと私が、今これから対面する……というわけか。
トラブルメーカー小町ちゃん。次回の更新日は5月6日です。