第18話 玉姫様は猫まただにゃん♪
サブタイ、決してふざけてるわけじゃありません。ギャグっぽい回です。
白鷹の話は凡そこうだった。尾張国を訪れた白鷹一行は、その日の食事を手に入れるため、近くの川で魚を捕った。しかしその川は、実はこの付近一帯を支配する猫また族の玉姫なる姫君が所有する川で、尚且つ禁漁地であったがために猫また達の怒りを買い、戦闘になってしまったというのだ。
「それって……どっちかって言うと白鷹が悪いよね……」
私は彼の話を聞いて率直な感想を述べた。
「だが禁漁地だとかなんだとか……何も書いていなかったぜ?」
「当然だ。この辺り一帯ではそういうのは常識の範疇なのだからな」
私のツナ缶を食べ終えた猫または言った。どうやら彼は、ツナ缶を食べた事により幾分か前よりも上機嫌になっているらしい。良かった、交渉は少しだけやり易くなった。
「悪いが俺は旅の者でね、この辺の事情には明るくない」
白鷹が言う。
「ならば今すぐ帰れ」
猫または冷ややかに言った。
「帰れって……でも私たち、これから東国に行かなくちゃあならないし……」
「東山道を通ればいいだけの話であろう」
「それがそうもいかない事情がこっちにはあるんだ」
白鷹は答える。
「そうもいかない事情って?」
今度は私が質問した。
「加茂女の事だ。あいつ……輝翔夜鬼の供養の為に奴の形見を海に流してあげたいと言い出してな……それで途中まで……海の見えるこの尾張国まで俺たちに同行する事になったんだ。んで、今は翼や小町と共に海に向かっている」
それで、ふたりとも姿を見ないんだ……。と、私は納得した。
「う、うぅぅぅぅ……」
猫またのうち、渋い声で話す灰色の猫またが涙を流し始めた。思いのほか、涙脆い性格なのか?
「ちょ、ちょっと、梅星さん? どうしたんすか!?」
隣にいた焦げ茶色の猫またが宥める。
「だ、だってよォ……いい話じゃあないか……。仲間の供養の為にそこまでして……うぅぅぅ……」
梅星と呼ばれた猫または泣き止まない。もう一方の猫またはやれやれと言った。
「い、いいんすか? こいつら、玉姫様の禁漁地を荒らした敵っすよ?」
「そ、それものっぴきならない事情があっての事……玉姫様がなんと言おうと我は許してやろう……」
「梅星さん……」
焦げ茶色の猫または相方の名を呟いた。
「よし、じゃあ交渉成立だな。俺はここがお前達の縄張りだという事を知らなかった。だから禁漁地での行為については謝るし、今後は……」
「ちょっと待ったァ!」
梅星が顔を上げて叫んだ。
「ま、まだ何かあるのか?」
「もし我らの領地を通り抜けたくば玉姫様の許可が必要だ。その上で我らが為にひと働きしてもらおうと思う」
「ひ、ひと働き……?」
私は首を傾げた。
「左様だ。我ら猫また族は本来自らの領地に余所者を入れる事は無い。だがそれを曲げてお前達を通してやろうというのだ。見返りを求めるのが道理というもの」
「で、お前たちは何をして欲しいんだ?」
「それは玉姫様のお心次第だ。もしかしたら我らが玉姫様はお前達に慈悲などかけてはくれぬかもしれないが……その時は我がお前達の冥福を祈ってやろう」
「よっ、梅星さんかっこいいっす!」
「ふっ、褒めるな褒めるな」
という訳で、私たちはふたりの猫またにより森の奥の玉姫様が住むという場所に案内される事になった。そこは、森の中の開けた空き地だった。無数の猫また達がこちらを怪訝そうな顔で見ている。
私たちは梅星の案内により、空き地の中央に聳える大きな岩の前にやって来た。玉座のような岩の上には、他の猫またとは見た目の違ったひとりの妖が優雅に座っていた。
彼女は、人間に近い見た目をしていた。しかし耳は猫の耳をしており、二本の虎柄の尾が生えている。髪の色もピンク色をしており、彼女が普通の人間ではない事を物語っていた。
「にゃんじゃ? お主達は」
その妖、いや、玉姫は言った。
「はっ、玉姫様……旅の者にござりまする……。我らの領内を通ったのはのっぴきならない事情がありまして……。我らの領内を通る許可を得る見返りに、たっぷりと御奉仕のほどをしてくださると……」
梅星が説明した。
「にゃるほど、御奉仕……か」
玉姫はニヤリと笑った。
「良いであろう、良いであろう。では近頃我らが領にゃいに現れ悪さをしていく牛鬼を退治してきてはくれぬか?」
「う、牛鬼……ですか?」
白鷹が尋ねる。
「左様じゃ。その牛鬼のせいで妾のにゃか間はもう既に三人ほど命を落としておる。もちろん、討伐部隊を送った事もあるが傷ひとつつける事かにゃわなかった。お主達が牛鬼を退治する事が出来れば、妾はお主達が我が領にゃいを抜ける事を許可してやろう。だが、もし出来にゃければ……」
「出来にゃければ……?」
私は玉姫の言葉を返した。
「うむ、牛鬼は強い。その場で命を落とすことににゃるじゃろうにゃ!」
玉姫は割と明るいノリでそう言った。
「分かりました……」
白鷹は了承する。
「い、いいの……?」
私は小声で訊いた。
「言いも悪いもこちらには選択権がないからな……。ここで東国に抜ける事を諦める訳にはいかない……」
と、ここでその場に慌ただしくふたりの猫またが飛び込んできた。
「た、玉姫様! 大変です! 余所者の人間が三人ほど牛鬼沼の近くを通りかかり、そのまま牛鬼と戦闘状態に……!!」
「余所者の人間が三人……まさか!」
白鷹と私はハッとして顔を見合せた。
「にゃんじゃ? 心当たりでもあるのか?」
玉姫が訊く。
「はい、多分、その三人って……私たちの仲間じゃあないかと……」
「そうか……そうじゃったか。にゃらば行くが良い。行ってお主達の力を牛鬼に見せつけてくるのじゃ!」
玉姫が私たちにそう命じた。
「ではこの我がご案内を……」
梅星が私たちの先に立って案内を始める。途中、私は気になった事を梅星に尋ねた。
「そういえば玉姫様って……どうして他の猫またとは違った姿を……? どちらかといえば人間に近いような……」
「玉姫様は半妖なのだ。我ら猫またと人間との間に生まれたな。だから……我々よりも人間に近い見た目をしておられる……」
「は、はぁ……でも……半妖って事は、他の猫またよりも妖力とか……」
「玉姫様に関してはその心配は要らん。姫は……母方の猫またの妖力をより濃く受け継いでいるからな……」
森を抜けると、草原に出た。草原には所々沼地が点在している。やがて、私たちの目にある光景が飛び込んできた。
翼と小町が巨大な妖と戦闘状態にあった。妖は巨大な牛の頭部に蜘蛛のような胴体をした体長十五メートル程の姿をしている。だがそんな妖は小町が射った閃光の矢の動きに翻弄されていた。
「な、なんなのだあの矢の動きは……!」
梅星が目を見張る。自動追尾式の矢なんて普通は見た事ないからね。
「どうやらこの分だと差程苦戦することもなく……」
白鷹が言いかけた時だった。近くの草むらから悲鳴が聞こえた。
私たちも、そして翼と小町も、同時にその方向を見た。見ると、今回は動きやすそうな旅装束に身を包んでいる加茂女がひとりの男によって喉元に小刀を突きつけられていた。男は黒い長めの髪、そして頭頂部からは猫耳が伸びていた。……ってあの姿……。
梅星は驚いた表情をする。そしてゆっくりと呟いた。
「一五様……!?」
「その……一五……というのは?」
と、白鷹が訊く。
「玉姫様の実の兄にあたるお方……。暫く行方をくらましていたが……何故……」
「諸君、儂は戻ってきた……」
一五は見た目に違い古風な話し方で言った。
「これ以上儂の可愛い茂尾火に手出しはさせぬ……」
「ど、どういう事なのですか!? 一五様……!?」
梅星が飛び出していった。すると一五はこちらを睨みつける。
「動くな! この娘の命はないぞ!!」
閃光の矢も小町の元に戻ってくる。一五は加茂女を人質にとったまま、ジリジリと後退を始めた。
茂尾火と呼ばれた牛鬼もそれを見て方向転換すると、沼の中に戻っていった。一五は満足気に言った。
「ふん、賢明な判断だな……。だがお前達がまた再び茂尾火に手を出さないようこの娘は預かっておこう……」
「え……」
加茂女の目がこちらに助けを求めるように見開かれた。小町がそれに応じて敵に向かって行こうとする。
「加茂女さん、今、わたくしが……!」
「待ってください!」
翼が待ったをかけた。
「小町殿、お気持ちは分かりますが……今動かれては……」
「で、ですがそれならどうすれば……! どうにかして加茂女さんを助けないと……彼女は一生……!」
少なくとも、あの牛鬼が寿命で死ぬかしない限りは加茂女は永遠に囚われの身だ。どうにかして救出策を考えなければならない。
「救出する策は……こちらでゆっくりと考えればいい。幸いな事に時間だけはたっぷりあるようですので」
だが翼が言ったその時だった。
「黒雲斬!!」
空中から黒い斬撃が飛んできて一五達に襲いかかった。一五は加茂女を抱えたまま飛び退く。
「なっ……!」
「僕は女が嫌いだ。でも……もっと嫌いなのはお前みたいな卑怯者だ!!」
それは、浅魔童子だった。彼は目にも止まらぬ速さで一五に突撃すると、加茂女だけをかっさらって地面に着地をした。
「もちろんアスハ、女の子だけど君は特別だからなっ」
浅魔童子はこっちをチラリと見て言った。
「浅魔くん!?」
「久しぶりだねっ、僕の事を受け入れる準備は出来たかな?」
「ふざけるなっ、お前、何しに来やがったんだ?」
白鷹が何故か言い返した。
「何って……大体君達と一緒だよ。東国での反乱には何かがある……ひょっとしたら神器だって何らかの形で関わっているかもしれない。そう思ってね」
「あ、あのっ、下ろして……」
浅魔童子に抱えられていた加茂女が言った。
「あぁ悪い、忘れてたよ」
浅魔童子は加茂女をやや乱暴に地面に下ろした。加茂女はその態度に腹を立てたようで言う。
「あ、ちなみにありがとうって言ってもらいたいんなら言わないからね? あんた……輝翔夜鬼きゅんと違って乱暴そうだし……」
「奇遇だね。僕もアスハちゃん以外の娘には興味が無いんだ」
「ちっ……仲間が増えたか……」
一五は自らの形勢不利を察してその場を退散する。白鷹が白波の太刀に手をかけて追おうとするが梅星がそれを止めた。
「待て。今は追うな。この事は玉姫様に報告をして……」
「一五様……という方は何者なのですか?」
小町がこちらにやって来ながら尋ねた。
「玉姫様の実の兄にして猫またと人間との間の半妖だ……。だがある時、我も詳しい事は知らぬが……我々猫また族の元を離れて行方をくらましてしまったらしい……」
「しかし何故彼は牛鬼を操って……?」
と、翼が訊く。
「それは我にも分からん……」
私たちは翼や小町、それに加茂女と浅魔童子も伴って玉姫のいる森の中の空き地へと向かった。玉姫の周囲には相変わらず臣下の猫また達が控えていた。
「お主ら、また増えよったにゃ?」
玉姫が目を細めて言った。
「申し訳ござりませぬ……しかし……この者達は共に牛鬼と戦い……」
「勝ったのか!?」
「逃げられました……」
梅星は罰が悪そうに言った。
「うむ、逃げられたのにゃらば致し方にゃしじゃ。それにトドメを刺せにゃかったとはいえ牛鬼が逃げ出すまで追い込めたのはお主らの力量が優っていたという事……。しっかりと作戦を整えればこちらにも充分に勝ちはあるということじゃ」
「しかし……玉姫様」
と、梅星が切り出した。
「にゃんじゃ?」
「実は……牛鬼に手を貸そうとする者がおりまして……」
「だ、誰じゃ、そのような不届き者は……!」
「それが……どうやら一五様のようで……」
「にゃ、にゃんじゃと……!?」
玉姫は元々大きな目を更に見開いた。それからゆっくりと呟く。
「そうか……兄上が……」
「あの……玉姫様……如何致しましょうか……」
梅星が指示を仰ぐ。
「う、うむ……そうじゃな……暫し時間をくれ……妾は……」
玉姫はだいぶ戸惑っているようである。やがて玉座のような岩を立つと、その背後へと降りていき、それきり姿を見せなくなった。
「あの……梅星さん? 玉姫様は……」
私は訊く。
「あの岩の後ろには玉姫様が暮らす地下の宮殿がある。そこに戻られたのだろう……」
梅星はそう言うとひらりと私たちの傍をすり抜け、他の猫また達の所へ行った。
「悪いが我も玉姫様のお傍に使えておらねばならぬ身……ここで失礼する」
梅星という案内人を失った私たちは空き地を後にして再び森の中を歩いた。やがて、加茂女が口を開いた。
「で? 今日の宿は? 今日こそ雨漏りのないしっかりとした建物がいいなぁ。あっ、もちろん野宿なんてのは勘弁だからね?」
「ね、ねぇ……加茂女ちゃんって……ずっとこんな感じだったの?」
「ずっとこんな感じだった……」
私の問いに白鷹は答えた。あぁ、それはさぞかし大変だっただろう。私は自分がいない間の白鷹達の旅路に同情をした。
「お前……名前はなんて言うんだ?」
初対面である浅魔童子が加茂女に訊いた。
「加茂女……だけど、それが何か? 残念だけど私に惚れたところで私にはもう心に決めた……ううん、心に決めていた人が……」
「そんなんじゃあない。ただなんで旅をしているのかが気になっただけだ」
「なんでって……それは……私の大好きだった人の形見を海に流して供養する為に……」
加茂女はやや沈んだ調子で答えた。
「そうか……そんなに好きだったのか……僕にとっちゃアスハが……い、いや……そんな事想像したくもな……」
「あんたなんかが輝翔夜鬼きゅんの事語ろうとしないでよ!」
加茂女が言い返した。
「うるさいなぁ、言っておくが僕が何を言おうが勝手だろ? お前にゃあ関係ないしいちいち反応をするなよ……」
「あ、あのーふたりとも?」
と、今にも喧嘩が勃発しそうだったので私が間に入った。
「浅魔くんは東国まで旅をするって事だったけど……加茂女ちゃんは何処まで……?」
「わ、私はここまで……もう輝翔夜鬼きゅんの供養は終わったし……後は琵琶の撥を流した海が見える村でのんびりと……」
「じゃあさっさとそこに行く事をオススメするよ。君が僕たちについて歩く理由はもう無い訳だ」
うん、気を紛らわせようとしたけど逆効果でした……。私はとぼとぼと白鷹の方に戻った。
と、そこで翼が足を止めた。彼の後ろを歩いていた小町がそれによって前につんのめりそうになる。
「ど、どうしたのですか?」
小町が尋ねた。
「い、いえ、あれを……」
翼が指さした先には一軒の家があった。それはいいのだが、あの家、どこか見覚えがある。
「も、戻ろうか……」
私は嫌な予感がして元来た道を引き返そうとする。だがその前に、私たちは呼び止められた。
「あぁっ、貴方達は……! ……というか翼くん! 翼くんじゃあないの!!」
私はとても嫌な予感がして振り返る。私たちを見つけ、現れたのはかつて土蜘蛛の毒にやられた白鷹を救ってくれた津刃女だった。
「翼くん、もしかしてあたしに逢いに来てくれたの? うんうん、いい子じゃない。ますます気に入ったわ。で、今夜は何処に泊まっていくの? うち? うちよね?」
津刃女は今にも翼に襲いかかりそうな勢いで訊いてきたので、私は翼を庇うようにして立つ。そして逆に質問をした。
「そ、そんな事より……津刃女さんこそどうしてここに?」
「あたしは定期的に住処を変えているのよ。ほらっ」
津刃女が指を弾くと、私たちの背後にあった家は一瞬にして弾けるように消えた。それから津刃女はふたたび指を弾き、家を元の場所に出現させる。
「ね、だから翼くんが何処に居ようと追いかけて来れちゃうってわけ。きゃっ」
うわぁ、とうとうストーカー気質まで発動し始めたぞ。手遅れだ、こいつ。
「アスハ、ひとつ訊きたいんだけど……この人、誰?」
津刃女とは初対面の浅魔童子が尋ねた。
「え、えぇっと……」
「ひゃあっ、また可愛い男の子を連れてきたのね! 翼くんには劣るけど、でも嫌いじゃあないわ! 貴方、名前はなんて言うの?」
「浅魔童子……」
流石の浅魔童子も若干押され気味である。小町はその様子を見て、弓と矢をぎゅっと握りながらほっとした表情をした。子供の姿をした式神の木霊くんに津刃女が襲いかかるという絵面はなるべく避けたいもんね。
「で、どうするの? 今夜、宿はある? 3人分くらいなら用意できるわよ?」
津刃女は、翼、白鷹、そして浅魔童子を見ながら言った。はいはい、私たちはどうせ野宿ですよ。
しかしその言葉に加茂女が反応を示す。
「待って!? 三人分!? だったら私、私を是非……!」
加茂女はきちんとした宿に是が非でも泊まりたいらしい。だが津刃女はそんな加茂女にピシャリと言った。
「貴方は駄目よ。だって都女じゃないの」
「う……」
加茂女が若干涙目になった。と、そこに浅魔童子が待ったをかけた。
「でも……都人だからこそきちんとした宿が必要なんじゃあないかな? ……だって……旅には慣れないわけだし……」
「浅魔くん、と言ったわね? 貴方、優しいのね」
「僕は優しくなんて……」
浅魔童子は顔を背ける。
「いいわ。貴方に免じて全員が泊まるのを許可してあげる。でもその代価として……貴方達が今、この尾張国でどんな課題に遭遇しているのか、話してもらうわよ。ここは猫また族の領地。あたしはなんとか彼らに見つからずに潜伏できているけど……貴方達は大方見つかって何かしらの試練を言い渡された……って所じゃあない?」
驚いた。全てお見通しだったのだ。
私たちは津刃女の家に上がると、この国で遭遇した猫また達と、牛鬼、そして玉姫と一五の兄妹の事について話した。津刃女は興味深げに聞いていたが、やがて確信したように言った。
「間違いないわね……。玉姫ちゃんはその牛鬼と一五くんとの間に何があったのか……知っているわ」
「ですが、玉姫様がその事をご存知でも……他の者が知らない事には物事は……」
翼が言う。
「えぇ、そうね……だから、玉姫ちゃんの地下宮殿に潜入するのよ」
「せ、潜入って……でも、そんな事したら直ぐに……」
だいいち、猫またと私たちじゃあ見た目が違いすぎる。直ぐに見つかって何らかのお咎めを受ける事になるだろう。猫または、どちらかと言うと閉鎖的な妖達に見えたし。
「だーかーら、貴方達、猫になりなさい?」
「ね、猫?」
「にゃ?」
間違えて変な声が出てしまった。う、うーんと、とうとうそこまでおかしくなりましたか、この妖術師様。
「あらあら、あたしは本気よ? あたしの妖術を持ってすれば人間を一定時間猫に変化させる事だって可能なのよ。流石に猫または色々複雑だから難しいけど……普通の猫ならいつだって行けるわよ。最初はちょっとだけ変な感覚がするかもしれないけど……」
「で、誰が猫になるのですか?」
好奇心旺盛な小町が興味津々に訊いた。
「そうねぇ、本当は翼くんを猫にしてあたしがいーっぱい可愛がってあげたいところだけどそうもいかないわ」
「そうもいかない……?」
白鷹が訊く。
「えぇ、一五くんの方も忘れちゃあ駄目じゃない。彼にも一応事情は訊きに行く。しかも彼の場合は戦闘に発展する危険性がある。……だから陰陽師である翼くんにはそっちに向かってもらうのよ。それから……弓術士っぽいそっちの都女も同様ね」
津刃女は翼と小町を見て言った。
「あとは……力の均衡を考えた時に……もうひとりくらい確実な戦力が必要になる。これは……白鷹くんでいいわね」
それから津刃女は私と加茂女を見た。ま、まさか……とは思うけど、この流れは……。
「猫になるのは貴方達よ。アスハちゃん、それに加茂女ちゃん。それから……」
と、津刃女は浅魔童子の方に目を移して更に宣告した。
「貴方もね。戦闘になる確率は低いだろうけど、万が一って事もあるわ。その時の護衛担当よ」
浅魔童子はなんとも複雑な心境だというような表情をした。だが直ぐに私の方を見て明るく言う。
「だってさ、アスハ。よろしくねっ!」
「はぁ、なんであいつと……」
加茂女が誰にも聞こえないようにため息をついた。
猫になる事が確定した私たち三人は津刃女の家の庭の前に横一列に並ばせられる。津刃女がまるで楽しむかのような目で私たちを見た。
「えぇ、そうね……。まず、最初は慣れないような感覚がして気分が悪くなるかもしれないけど……それは序盤のうちだけよ……じきに慣れて人によっては人間に戻りたくなくなる……なんて事も。まぁ貴方達はそうはならないだろうけど……でも、猫になって居られるのはせいぜい三刻ほどが限界。それを過ぎれば強制的に変化は解除されるわ」
「では、時間が余ったらわたくしがいっぱい遊んであげますからね!」
小町は何処で拾ってきたのかエノコログサを左右に振った。思いっきり楽しんでいやがるぞあの都娘め。
「それじゃっ、準備はいい? いいわね?」
津刃女は私たちの返事を聞かずに勝手にいいという事にした。彼女はそのまま右手を突き出して叫ぶ。
「えいっ!」
え、特に呪文とかそう言うのは唱えなくていいの!? いきなり!?
私が戸惑っていると、みるみるうちに周囲の光景が大きくなり、いや、正確には私たちの目線が小さくなっていった。気がつくと、白鷹や小町、それに翼は見上げるような大きさになっていた。元々背の高い津刃女は最早天を突くような大きさに見える。それに、人間だった時よりも視力が落ちているようにも感じられた。気のせいか周囲の光景の彩度も低い。だが、その分耳や鼻から入ってくる情報はまるで洪水のようだった。
隣を見ると黒猫と三毛猫がそれぞれに一匹ずつ居た。多分、黒猫が浅魔童子、三毛猫が加茂女なのだろう。
「アスハ! 君は猫になっても可愛いねっ」
やっぱりそうだった。黒猫は私にそう声をかけてくる。
「ねぇ、つかぬ事を訊くけど……私って今、何色の猫になってる?」
「え? 白猫だろ? むしろ僕は……何色なんだい?」
「えぇと……黒……かな」
猫になっても普通に意思の疎通は出来るようだ。だが、猫が人間の言葉を喋っているなんて、周囲には変な光景に映らないのだろうか。
「み、見て……いや、そうじゃない、聞いてみてよ……」
三毛猫になった加茂女がやや震えるような声で言った。
「き、聞くって何を?」
「みんなの……人間達の話している言葉……」
「え……」
私と浅魔童子は絶え間なく流れてくる音の洪水の中から小町や白鷹たちの言葉を拾った。だが、何かを言っている事は理解出来ても、その内容は理解する事が出来なかった。
「そうか! 僕たちは猫になった! ……だから猫同士の言葉は分かっても、逆に人間の言葉は分からなくなってるんだ!」
「じゃあ、逆に私たちが今こうして話している言葉は……向こうには分からないって事?」
「多分ね。ただの猫の鳴き声に聞こえるか……或いは猫達は普段から音とは違ったもので意思の疎通を図っていて……人間からすればそれは見えも聞こえもしない、という可能性だってある」
「ね、ねぇそんなどうでもいい事言ってないでさっさと仕事を済ませてきましょ? 私たちの任務は潜入調査でしょ? 私なんて関係ないのに巻き込まれちゃって……」
加茂女が文句を言う。
「そ、そうだね、早く……」
私は浅魔童子に言いかけて、止まった。彼は今まさに小町が振り回すエノコログサにじゃれ付きに行ったところなのだ。
「浅魔くん!?」
「わ、悪いアスハ! でも、体が勝手に……!」
そうは言うもののとても楽しそうだ。だが、間もなく小町が白鷹にエノコログサを取り上げられた。
小町は何か文句を言っているようだったが、猫である私たちにその言葉を理解することは出来なかった。浅魔童子はやや残念そうな顔をして戻ってくる。
「どうやら彼女、猫にとってはいい飼い主になるだろうね」
戻ってきた浅魔童子は言った。
「はぁ、ほんと馬鹿みたい……」
加茂女がため息をつく。
「そう言う君だって、目の前でああやってじゃらされちゃあ黙って居られないと思うぜ?」
「私は貴方と違って子猫じゃありません!」
「じゃあなんだい? ばば猫のつもりかい?」
「はいはい、そこまでそこまで」
またしても言い合いを始めたふたりの間に私が割って入る。
「今度こそ、本当に玉姫様の所に向かうからね?」
私たち三人、いや、三匹は津刃女の家を後にした。正直、あの猫じゃらしが少し気になっていたという事は、絶対に黙っておこう。
次回も猫また回だにゃん♪次回の更新日は8月12日です。