第17話 幽霊屋敷の妖
久しぶりの現代回です。少しホラー要素あります。
現代に戻った私は、剣の家を訪れると、彼に、今までの話を話した。鈴鹿御前と出会った事、何者かが大嶽丸の復活を画策しているという事、白鷹の父親が瑜伽山に住む阿久良王という鬼で、彼の元で修行をした白鷹は新しい力を手に入れたという事、そして、東国で起こっている反乱に、平将門の娘を名乗る謎の人物が参陣しているという事……。
「平上総介……多分それは平忠常の事だね」
剣は私の話を聞くと考えるような表情をして答えた。
「平忠常?」
「そう、長元年間、つまりちょうど未来羽が訪れている時代に房総三国、即ち現在の千葉県辺りで反乱を起こした武将の事だよ。史実では……その反乱を鎮圧するために平左衛門少尉、つまり平直方が派遣されたものの鎮圧には難航したとされている。それで、直方は追討使を解任されて……代わりに甲斐守である源頼信が派遣されたんだ。すると忠常はこれまでの抵抗が嘘のように出家して呆気なく降伏をした……。これが後に平忠常の乱と呼ばれる反乱の概要だ」
「でも、どうして? 直方さんの時には大抵抗をしたのに、追討使が変わった途端にそんなに呆気なく……」
私は質問した。
「そうだね……。平忠常の乱は記録にも殆ど残っていない戦いだけど……一説によると戦の長期化により忠常側の補給が滞り、兵が疲弊していたと言われている。或いは……もっと別な理由があったのかもしれないけど……今となってはもう分からない事だよ」
ふぅん、あれっでも、もし私があの時代の東国に行けば、そこら辺の真相だって掴めるかもしれない。そしたら私は歴史の証明者として……いやいや、まず平安時代にタイムスリップしたとかなんだとか言う時点で信じてくれる人は少ないだろうなぁ。
「でも、僕が気になるのは平将門の娘がその反乱に参加しているという点だ」
剣は話を続けた。
「あぁ、そうそう、それも訊こうと思ってた」
剣は自分の部屋の本棚から分厚い画集を取り出して私の前の床に置いた。表紙には『歌川国芳画集』と書かれている。
「歌川……国芳?」
私は尋ねた。
「そう、江戸時代の浮世絵師のひとりだよ。そして彼が描いた作品に、こんなのがあるんだ」
剣が開いたページには、巨大な人間の骸骨が描かれた絵があった。手前に描かれている人間たちと比較しても、数十メートルはありそうな骸骨である。でも、この骸骨って、確か前に……。私は思い出した。
「この絵は……?」
「『相馬の古内裏』。歌川国芳の代表作のひとつだよ。それで、このいちばん左にいる人物が……」
と、剣は画像の左に描かれている女の人を示した。豪華な着物を身にまとい、巻物を広げている人物だ。
「彼女が五月姫、またの名を滝夜叉姫といい……平将門の娘とされている人物だ。史実では平将門の乱の後は尼寺に入ったとされているけど……伝説では父の仇を討つために妖術師となり大宅光圀や山城光成に討伐されたと伝えられている。もし、将門の死後何十年も経ってからその娘を名乗る怪人物が現れるとしたら……彼女である可能性は高いだろうね」
「うん、私も……この巨大骸骨はあっちの時代で一回見たことがあるし……」
と、私は下鴨神社での輝翔夜鬼との一件を思い出して言った。
「見たこと……あるのかい?」
「うん、確かその時に輝翔夜鬼は東国で見た反魂の法がどうとかって言ってたかも……」
「そうか……それは繋がったね」
「でも、阿久良王さんや鈴鹿御前さんの話だとその人物は年端もいかない娘の姿をしているって……その辺の話は、どういう事かな?」
私は訊いた。
「さぁ、そこまでは僕にも分からないよ。……まぁ何はともあれ未来羽が平安時代の東国に自分の足で言ってみれば自ずと分かってくる事じゃあないかな」
剣はそう結論付けた。
その時、剣の家のインターフォンが鳴った。暫くしてとてとてと階段を上がる音がして、部屋に剣の妹、瑞穂が飛び込んできた。
「お兄ちゃん! お客さん! えぇっと……」
「よっ、邪魔するぜ」
入ってきたのはなんと、虎熊童子だった。相も変わらずの暴走族風のファッションで剣の部屋に入場する。
「虎熊童子くん!?」
「あぁ、なんだアスハか……この時代に戻っていたのか?」
虎熊童子は尋ねた。私は頷く。瑞穂は虎熊童子を部屋まで案内すると去っていった。
「うん、そうだけど……どうしたの? 突然訪ねてきたりなんかして……」
「アスハ、お前はまだ知らないだろうが……俺様と剣は今、この時代にやって来てしまった妖の類の調査をしているんだ」
「この時代にやって来てしまった妖……?」
虎熊童子は頷く。
「そう、この時代には本来現れるべきではない妖達が例の岩戸を通って現れ、人間社会に潜伏している。俺様と剣はそんな妖を調査し……時と場合によっては征伐する。そんな事をしているんだ」
「そうだったんだ……でも、どうして?」
その言葉には、剣が答えた。
「現代に本来居るべきではない妖が出現し、それも人間に危害を加えているなんて事が公になれば社会的混乱は避けられないだろうからね。幸いにして妖達は岩戸があるこの街の周辺にしかまだ現れていないからいいものを……」
「それに……黒衣の鬼武者については俺様自身調べておきたいしな」
あぁそうだった。現代には黒衣の鬼武者なる謎の存在がいて、妖や鬼を誰彼構わず始末しているのだった。
「あれから……鬼武者は現れたの?」
私は質問した。剣は首を横に振る。
「いいや、現れていないよ。僕たちが慎重に行動しているという事もあるだろうけどね」
「で、今ここに虎熊くんがやって来たということは……何かあると思うんだけど……」
虎熊童子は頷いた。
「その虎熊くんという呼び方は気になるが……まぁいい、ザッツライト。いかにもその通りだ」
そして虎熊童子は一枚の紙を床に広げた。それは、印刷されたどこかのサイトのページのようだ。
「都市伝説をまとめたサイト?」
「そう、そしてここに、この街の都市伝説が書いてある。最近……ここ数ヶ月の間に広まった噂だ」
私と剣は印刷された紙に書かれた話を読んだ。都市伝説を要約すると、こういう話だった。
街外れにある廃墟、そこはかつて殺人事件が起きたとかで、幽霊屋敷として昔から有名だった。殺人事件の被害者である白い女の子の霊が現れるとかで有名な肝試しスポットにもなっていた。……だが最近、その心霊スポットに、新たな霊、いや、怪奇現象が加わったという。肝試しに訪れた者たちが言うには、屋敷の天井が自分たちの方に落ちてくるというのだ。だが、別の日に訪れた者の話だと、屋敷には天井が崩壊した跡など見当たらなかったという。既に、崩れる天井を目撃した者は十数組にも上り、中にはあわや落ちてくる天井の下敷きになりかけたという者もいた。
これが、都市伝説の概要だった。私は剣を、そして虎熊童子を交互に見た。
「なるほど、それで……今夜はそこに行くつもりかい?」
剣は虎熊童子に訊く。
「そうだな。で、アスハはどうする?」
虎熊童子が私に訊いてきた。
「いいけど……でも、わざわざ夜に行く必要、あるの?」
剣は答えた。
「これは……僕たちが調査をしていて分かったことなんだけど……妖達はやっぱり人工的な光を嫌っている事が分かった。それに昼間は多くの人間が社会的活動をする時間であり彼らに居場所はない。だとすると、現代において彼らの活動する時間帯と場所は限られてくるんだ。人工の光の届かない廃墟や……それに広い公園、神社やお寺、それに暗い路地裏……」
「それからもうひとつ、決定打は肝試しに訪れる人間は夜が多いという事だな。だから例の現象が起こるのも夜が多いという事がわかる」
虎熊童子も続けて言った。
と、いうわけで私は剣と虎熊童子の調査に協力することになった。虎熊童子の強さは前の戦いで分かっているし、私だって一応神器持ちだ。いざと言う時の牽制攻撃くらいは出来る。
街外れの廃墟はそこまで遠いところではないので、私たちは徒歩で向かうことにした。道中、私は虎熊童子に質問をした。
「ねぇ、鬼童丸に餓鬼道の神器を渡したのって……」
「人間……だったな。だが同時に術士の気配も感じた……」
やっぱりそうだった。鬼童丸に神器を渡したのは芦屋早房で間違いないだろう。
「じゃあ、大嶽丸を復活させようとしている人に心当たりは……? 多分、鬼童丸の所に浅魔童子を連れてきた人だと思うんだけど……」
と、私は次の質問を繰り出した。
「それも同じ人物だったな……彼は神器を持ち、浅魔童子を連れてきたと俺様は記憶している」
ますます分からなくなってきた。早房は神器をばらまき、大嶽丸を復活させて何をしようと企んでいるのだろうか。
そこで、剣が立ち止まった。私たちの目の前には鬱蒼とした気に覆われた白い壁の洋風建築が聳えていた。ここご、噂の幽霊屋敷なのだろう。
「さぁ、入ろうか……」
剣はそう言うと屋敷の前の鉄門に手をかけた。門の鍵は閉まっておらず、不気味な音をたてながらも簡単に開いた。
私と剣は懐中電灯を点灯させ、屋敷の敷地内に入る。庭は、雑草が生い茂っていたが、肝試しに訪れる人が後を絶たないらしく、踏み荒らされ、道が出来ていた。
庭は大して広くはなく、少し歩くと直ぐに屋敷の戸口へとたどり着いた。戸口は半開きになっており、風にパタパタと揺れていた。私は扉に手をかけ、他のふたりと共に建物の中へ入った。
建物の内部は、想像していた通りの様子だった。壁は所々剥がれ、床板はやや軋んでいる。家具や調度品の類には埃が積もり、蜘蛛の巣が張っていた。壁には何枚かの絵がかかっていたが、その幾つかは壁から落ちかかっていた。
「剣、アスハ、提案があるのだが……」
廊下を暫く歩いた所で虎熊童子が言った。
「提案?」
「あぁ、手分けして探した方がいいと思ってな。本当はパワーバランス的には俺様がいた方がいいのだろうが、この屋敷の大きさならば何かあれば直ぐに駆けつけられる。それよりかはふたつの視点でこの屋敷を見回った方が効率がいいと俺様は思う」
「じゃあ……虎熊童子は僕たちと別れて捜索すると……いう事だね?」
「ザッツライト」
虎熊童子は頷いた。
「沢城くん……」
私は剣の方に目を向けた。本来ならば剣とふたりきりという喜ばしい状況なのだろうが、場所が場所なのであまり嬉しく感じられないのがなんだかなぁ。
「行こうか。未来羽」
剣は虎熊童子の姿が見えなくなると言った。
「うん」
私と剣のふたりは手前の部屋から調査を開始した。そこはどうやら書斎として使われていた部屋のようである。右側の壁沿いには本棚が並び、左側の壁には同じく本棚と、書き物机が置いてあった。部屋の奥の窓の横には割れた姿見が立て掛けられている。
うわぁ、こういう古い鏡ってなんか怖いなぁ。と、私は思い、姿見に目をやった。その時、廊下を白っぽい何かが横切っていったのが、鏡に映って見えた。
「沢城くん、あれ……!」
と、私は思わず声を上げる。
「どうしたの?」
「い、いや……」
剣が気がついた時には、その白い何かは通り過ぎた後だった。私は廊下の方を振り返って見るがもうそれの姿は確認できなかった。
「ね、ねぇ沢城くん……。ちょっと、待っててくれないかな?」
私はやはり例のものが気になったため、剣に言って、廊下を調べてみようと思った。
「いいけど、どうして……?」
「あ、あぁ……えっと……ちょっとトイレに……」
私は適当な口実をつけて部屋を出る。廊下にはもう既に白いものの姿は確認出来なかった。だが、ふたつほど先の部屋の扉が開いているのに気がついた。さっき廊下を歩いていた時は閉まっていたはずの扉だ。
私は恐る恐るその部屋に近づいていった。廊下からそっと部屋を覗くと、そこはベッドのある寝室のようだった。心做しか他の部屋よりも綺麗に整っているようにも見える。
私は部屋の中に足を踏み入れた。そして一瞬、ぎょっとして飛び退いた。ベッドの上に、こちら側に背を向けてひとりの女の子が座っていたのだ。白いワンピースを着た少女だ。歳の頃は十二、三歳といった所。確か、この家に現れる幽霊も白いとかなんだとかって……。
女の子はこちらを振り返るとニコリと笑った。その笑顔は不思議と私に安心感を与えてくれた。
「貴方は……?」
私は彼女に声をかけた。
「ユウ……。八雲ユウ……」
少女は答える。
「ユウちゃん……? 今、ひとりなの?」
「はぐれちゃって……」
ユウは答えた。そうか、この子も多分友達だか誰かと一緒に肝試しに来たのだ。そしてはぐれてしまったのだろう。私はひとり納得した。
「もし良かったら……お姉ちゃんが探してあげようか? みんなのこと……」
「ありがとう!」
ユウは頷くとベッドから立ち上がった。と、そこに剣がやって来た。
「あぁ、沢城くん、この子……」
と、私がユウを剣に紹介しようとした。だがその時だった。
「危ない!」
剣が私の手を掴み、引き寄せた。ふと上を見ると、部屋の天井が丁度私の真上に落ちてくるところだった。私は咄嗟に剣に掴まれていないもう一方の手でユウの手を握る。彼女は暗い中、ひとりでいたからなのかあまり温かいとは言い難い手をしていた。
私たちは剣の力で廊下に折り重なって倒れ込む。間一髪の所だった。
「怪我は……ない?」
剣が心配してくれる。私たちふたりは交互に頷いた。
私は部屋の方を振り返った。天井が落ちた部屋は……。いや、私たちの上に落ちてきたあれは天井ではなかった。板のような形をしていたために最初は見間違えてしまったが、今、改めて確認すると、部屋の中にいたのは巨大な木の板の形をした妖だった。その証拠に、板には左右非対称ながらも目がついている。更に両側からは腕が伸び、妖はその腕を足代わりにして床面に立っていた。
「板鬼……今昔物語集に出てくる妖か……!」
剣が妖の名前を言い当てた。
「そ、それはいいけど……どうするの?」
私は剣に言う。板鬼は腕を使って歩きながらこちらに迫ってきた。
「血ダ……血ノニオイダ……」
板鬼は言葉を発する。
「血ガホシイ……」
私は身を守るため、指鉄砲を形作った。だがそこで私たちと板鬼との間に虎熊童子が現れ立ち塞がる。
「なんの騒ぎかと思えばそういう事か……出たな妖……そして俺様のサンダーライトニングに泣いて謝れ……!!」
虎熊童子は手の甲から鉤爪を展開する。鉤爪は電撃を纏い始めた。
「未来羽! 後は虎熊童子に任せよう……! 多分、あの程度の妖なら彼ひとりでも大丈夫だ……!」
私は頷くと、ユウの手を取って立ち上がらせた。それから剣に従ってその場を後にしようとする。近くでは虎熊童子と板鬼との戦闘が開始されていた。
と、そこで虎熊童子の放った電撃が私と剣の間を通り抜け、壁面にぶつかる。剣が後方に吹き飛ばされた。
「沢城くん!?」
「しまった……! 剣……!! くそ……こんな狭いバトルフィールドじゃあやりにくいぜ……」
虎熊童子は全身に力を込めて板鬼を押し出す。虎熊童子が床を大きく蹴ると、彼は板鬼諸共壁を突き破り庭に飛び出した。
「沢城くん……! 大丈夫……!?」
私は床に倒れている剣に駆け寄り、ひとまずは安心する。どうやら剣は気を失っているだけのようだ。
私は剣の安全を確認するとユウに声をかけた。
「ユウちゃん、沢城くんのこと……よろしく!」
それから庭で戦っている虎熊童子の様子を見るために壊れた壁の穴から庭に飛び出した。虎熊童子は鉤爪から電撃を発射し、板鬼に次々と浴びせかけている所だった。
「オ前……鬼カ……鬼ノ血……美味クナイ……」
板鬼は意外にも素早い動きで虎熊童子の攻撃をかわしながら言った。
「ちっ、見た目の割にちょこまかと……。やはりもっとグレートな戦い方をした方が良さそうだな……! 悪いなお屋敷、もし巻き込んじまったら謝るぜ」
虎熊童子は両手の電撃の出力を上げながら言う。
んん? この人……。
「虎熊くん、ちょっと待って!」
私は虎熊童子に待ったをかけた。建物の中には剣やユウや、もしかしたらユウの仲間だってまだいるかもしれない。
「お屋敷の中には沢城くんが……!!」
「そ、そうだった……済まない……戦いとなるとつい……」
うん、そうですね、知ってました。この人、戦いになると周りが見えなくなるタイプだ。絶対……。
「ならば多少出力を下げて……!!」
虎熊童子は空中に飛び上がると、鉤爪を板鬼目掛けて振り下ろす。もちろん、電撃を纏わせて……だ。
「サンダァァァァァァァァァァァァァハリケェェェェェェェェェェェェェェェェン!!!」
だが、虎熊童子の渾身の一撃は板鬼が空中に身をかわしたがために当たらなかった。代わりに庭に大きなクレーターができる。今の攻撃、もし命中していれば確実に板鬼は消滅していただろう。
板鬼はその翼も何も無いのに空に浮き上がっていた。そして空から虎熊童子を襲撃する。
「奴……空も飛べるのか……!?」
虎熊童子は板鬼の攻撃を爪で防ぎながら言った。
板鬼は恐らく、剣が見てとったように妖としての妖力ならば下の下、虎熊童子等よりも遥かに格下の妖だろう。だが、それを補うだけの機動力を備えていたのである。
私は虎熊童子を援護するため、指鉄砲を形作ろうとした。しかしそこで、板鬼を黒い炎が襲う。板鬼はそのまま炎に包まれて一瞬にして消滅していった。
「な……!?」
「炎……!?」
私と虎熊童子は目を見開いた。雲間から月が顔を覗かせ、庭を照らし出した。そこに立っていたのは漆黒の鎧武者……同じく鎧を身に纏った黒い馬に跨っている。あの、黒い鬼武者だ。
「ち……最近現れないと思って調子に乗って妖力を使いすぎたか……」
虎熊童子は自らの失策を悟って呟いた。
鬼武者は黒い炎が伸びる刀身を掲げ、虎熊童子に斬りかかった。虎熊童子はその攻撃を辛うじて両手の爪で防御するが、剣圧に押されている事はこちらからでも容易に見て取れた。
「く……アスハ……いざとなれば剣を連れて逃げろ……。こいつは鬼であるこの俺様以外には興味はない……」
虎熊童子は言った。
「で、でも虎熊くんを見捨てるなんて……!!」
「俺様は戦いに生きる者、そして鬼だ……覚悟は出来ている……!」
虎熊童子は私の言葉にそう言い返す。
そんな事言われたって……と、私は言いかけ、はたと思いついた。そうだ、あの鎧武者は街灯やバイクのライトが苦手だったはずだ。それなら……。
私は、懐中電灯を点灯させ、鬼武者に向けた。鬼武者は、一瞬驚いた様子を示し、やがて馬を駆り暗闇の中へと消えていった。
「助かったぜ……アスハ」
虎熊童子は鉤爪を手の甲の内にしまいながら感謝の意を伝えた。
「ううん、でも……あの鬼武者……もう少し高い位置に懐中電灯の光を向けられてれば、顔が見えたのに……」
顔が分かれば、彼の正体に迫る大きな手がかりになることは間違いなしだ。虎熊童子はそんなことを考えている私に言った。
「で、いいのか? 事件は無事にフィナーレを迎えた。後は……お前が剣を迎えに行くだけだ」
「そうだね」
私はさっき自分が屋敷から出る時に使用した壁の穴を通って屋敷内に入ろうとした。だが、その直前で剣がフラフラと屋敷の中から出てきた。
「まったく……虎熊童子……相変わらず戦い方が乱暴だよ……」
剣はまだ意識がやや朦朧としているという感じで言った。
「すまないな。俺様は……戦いとなると……つい……」
「分かってる。もう何度も一緒に調査をしてきているからね。分かってはいるけど……」
剣はやれやれとため息をついた。私はそんな剣に同情をした。なんてったって、この鬼といつも一緒って……疲れるよね。
「まぁ妖は……厳密には俺様の手柄では無いにしろ成敗した……。後は帰るだけだ」
だが私はそんな虎熊童子の言葉にストップをかける。
「ちょっと待って、ふたりとも……誰かを忘れてない?」
ふたりは顔を見合せた。
「誰か……?」
剣が首を傾げる。
「ほら、ユウちゃんのこと! 私と一緒にいた女の子で……」
「そんな者……俺様は見ていないが……」
虎熊童子と沢城剣はキョトンとした様子を見せる。
「え……?」
「そうそう、僕も気になってたんだけど……未来羽、確か板鬼に遭遇した時……しきりに誰かを気にしているような素振りを見せていたよね。僕が見る限りじゃあ誰の姿も見えなかったけど……」
え……? 私はそっと屋敷の方を振り返った。そういえば、庭であれだけの騒ぎがあったのに彼女の仲間が誰ひとりとして現れないのは不自然だ。
風が吹き、庭の落ち葉を舞い上げた。ふたりは、決して私をからかって嘘をつくような人ではない。
「沢城くん……この家で昔起きた殺人事件の話だけど……」
「あぁ、今から十年くらい前に……この屋敷にひとりの男が忍び込んだ。男は一家全員を惨殺し……自分も命を絶ったんだけど……一家の中でひとりだけ死体が今も見つかっていない人物がいるんだ」
「そのひとりって?」
「末の妹だよ。当時、丁度小学六年生くらいでね……」
あぁ、はぐれてしまったって……そういう事だったのか……。私はその時初めて、彼女の言った言葉の真の意味が理解出来た。
私たちはそのまま、屋敷を後にした。途中、私は振り返り、ふっと2階の窓を見上げてみた。誰かが悲しげな表情でこちらを見ているような気がしたからだ。だが、窓には誰の姿もなかった。
彼女は今も、家族に巡り会えずに屋敷の中をさ迷い続けているのだろうか……。それも、たったひとりで10年間も……。
「沢城くん、私……思ったんだけど……」
と、私は帰り道、剣に話しかけた。
「現代には確かに妖は居ないのかもしれない。……でも、不思議な現象とか……物理化学の範疇では説明のつかない現象とかって……まだまだ沢山あるのかもしれないな……って」
「そうかもしれないね。確かに科学は便利だけど……万能じゃあない。まだまだ分からないことだって山ほどあるさ」
私はそれから、剣と別れて帰路へとついた。さて、旅の準備を整えたら、明日はまた平安時代へと向かおう。
翌日、私は荷物を纏めると白波神社へと向かった。幽世の岩戸の前には剣とさくらが見送りに待っていた。
「まったく、現代に戻ってるんなら言ってくれれば良かったのに……」
さくらが口を尖らせた。
「ごめん、ちょっと来てすぐ戻るつもりだったから……」
私は謝る。
「まぁいいけど、あっ、翼くんにはよろしくね? また今度こっちの時代に来たらいっぱいコスプ……じゃなくてお洋服を着せてあげるからって伝えといて!」
人気者だなぁ翼は。私は彼の今後を思いやった。
「未来羽、こっちの事は……僕と虎熊童子に任せてね」
「うん、頼りにしてるよ」
私は頷いて答えた。
「じゃっ、行ってくるね?」
私はブレスレットを岩戸に翳す。すると、いつもの通り目の前が金色の光に包まれ、私は平安時代へと転移した。
気がつくと足元は急斜面だった。私は盛大に足を踏み外し、地面を転げ落ちかける。だが、そんな私を華麗に抱きとめる者がいた。
「アスハ、おかえり」
白鷹だ。彼は咄嗟に両腕で私を抱えていた。
「ありがとう……って白鷹、下ろしてよ」
丁度お姫様抱っこ体勢になっているのに気が付き、私は言う。
「おうよ」
白鷹は私を下ろし、首飾り状になった袋を私の首にかけた。この中に、私が今回転移に使った幽世の岩戸の欠片が入っている。
「で、今はどの辺を旅してるの?」
私は周囲を見回しながら訊いた。どうやらここは森の中の窪地のようだ。時間帯は昼間だが、空を分厚い雲が覆っている。
「場所は……伊勢を抜けた辺りだから……尾張国だな。東国へ向かう途上だ」
それから白鷹は周囲をキョロキョロと見回した。そういえば翼や小町達はどうしたのだろうか?
「それからアスハ、早速で悪いが……今は丁度戦闘中だ」
茂みの中から二体の巨大な猫の怪物が飛び出してきた。尾は二本に分かれている。
「白鷹……と言ったな」
巨大猫が思いのほか渋い声で言う。
「あぁ、そう言ったぜ」
「お前が我ら猫また族の領地に侵入し、あまつさえ禁漁地にて魚を取ったことは分かっているんだ。大人しく我らが猫また族の律法に従い刑罰を受けるがいい……!」
な、なんか状況が掴めないんですけど……? まず猫また族って……?
「うるせぇ、知らなかったって言ってんだろ。大体なんだ……お前たちの土地ならそうだと立て札のひとつでも……」
「問答無用!!」
巨大猫が前足を払うとその爪から斬撃が発生し白鷹に襲いかかる。白鷹は間一髪のところで攻撃をかわした。
だが、巨大猫は続けざまに斬撃を放ってくる。斬撃のひとつは私の方に向かい、私は咄嗟に身を伏せた。斬撃は私が現代から持ってきたリュックを切り裂き、その中身を地面にぶちまける。
「あぁっ! 折角食べようと思ってたツナ缶が……!!」
綺麗に切り裂かれ中身が飛び出したツナ缶を見て私は悲痛な叫びを上げる。
だがそこで、二匹の巨大猫は目の色を変えてこちらに、いや、正確にはツナ缶に近づいてきた。
「な、なんだこの匂いは……」
「く、くそぅ……我が本能を刺激するこれは……妖術……!? しかし……!」
二匹の猫はツナ缶に群がった。こ、これ……効いてるの……?
「な、何かわからねぇがいい物を持ってきたな! アスハ!」
白鷹もその様子を見て言った。
いや、まぁ、ひとまずはこれで安心だけど……でもさぁ……。と、私は白鷹に向き直った。
「で、白鷹、これはどういう状況なの?」
私は白鷹を問い詰めることにした。
次は猫また編スタートです。次回の更新日は8月6日です。