第14話 漣の歌
更新遅れました。安倍首相の冥福をお祈りします。
私たちは、人魚を海岸近くの荒れ寺の中に運び込んだ。ここならば誰か来るという心配もないだろう。寝袋を広げて、古びた御本尊の前の板の間に人魚を寝かせる。
「ついでに……今夜の宿も手に入っちまったな」
白鷹が言った。
「そうですね。荒れ果ててはいますが、雨風はしのげそうです」
翼も言う。
「ところで……この人魚さん……私たちの判断で助けちゃったけど……良かったの?」
私はみんなに訊く。
「えぇ、問題ありませんよ? 困っている方をたすけるのもわたくしたちの大事な仕事では? 相手が人間だろうと人魚だろうと変わりませんよ」
小町は言う。
「そうですね……事情がなんであれこの方は怪我をされていたのですから」
良かった……。みんな本当にいい人で助かった。そうだよね、人を助けるのに理由はいらないってよく言うし。
だが、その時だった。部屋の隅でガタンと物音がして、私たちは驚き一斉にそこを見る。そこには、ひとりの女の子が立っていた。年齢は……十歳くらいだろうか、私たちの会話を盗み聞きしていたが、近くに立てかけてあった何かの板を倒してしまったという感じだ。
「あ……ご、ごめんなさい……!」
女の子は咄嗟に謝った。
「でも……その人……」
と、女の子は人魚を指さす。私は女の子に近づいて優しく言った。
「大丈夫、この人は怪我をしているの。だから……ここで見た事は大人の人には……」
「そうじゃなくて、あなたたちその人をどうにかするつもり!?」
私は思わずキョトンとする。どうにかって……?
「その人、私のお父さんが捕まえたの。でも、とっても苦しそうにしていたから私が海に逃がしてあげたのに……」
そうだったのか。それで人魚は怪我をしているにも関わらず逃げることが出来たのか。
「名前は……なんと言うのですか?」
小町が女の子に視線を合わせて言った。
「佐々波と……言います」
女の子は答えた。
「そう、佐々波さんですね。大丈夫ですよ。わたくしたちはこのお方のお怪我を治すためにここにお運びしたのです」
「良かった……」
佐々波はほっとしたように言った。
「佐々波さんは……この方のことが好きなのですか?」
小町は尋ねる。
「うん、歌を……教えてくれたんだ」
「歌……ですか?」
「聞いた事の無い歌だった。多分、都のお貴族さん達の歌ともまたちょっと違う歌だと思う。……でも、とても綺麗だった……」
佐々波はしみじみと言った。
「あぁ、そうだ。その人の名前、宇和海姫さんって言うんだ!」
「そうか……佐々波と言ったな。頼みがあるんだが……」
と、そこで白鷹が切り出す。
「頼み……ですか? いいよ? なんでも言って! みんないい人そうだから!」
「この人魚、えぇと宇和海姫だっけか? 彼女は今かなり衰弱している。だから……食べ物を持ってきてくれないか? 俺たちは見ての通り……旅の者だ。そんなに多くの物は持ち合わせちゃあいないからな」
「食べ物? 分かった。あっ、そうだ、みんなの分も持ってくるね!?」
「い、いやそれは……」
「遠慮しなくていいよ!」
佐々波はそう言うととてとてと古寺を出ていった。
「宇和海姫殿……ですか。名前からして高貴な方のようですね」
翼が言う。
「さてどうだろうな。人魚っつっても妖の類だろう? 自称って事も考えられる」
「何言ってるの? 白鷹って本当にロマンがないよね?」
「ろま? なんだそりゃ」
私は答えなかった。宇和海姫は、今は気持ちよさそうに寝袋の中で眠っていた。
しばらくして、佐々波が古寺に戻ってきた。彼女は、大きな櫃にご飯を入れて持ってきた。そして、別に持ってきていた器に、それを盛っていく。
「大丈夫だったのか? 父親には見つからずに……」
「多分ね。それに見つかっても、村の祠にお供えに行ったと言えば大丈夫だよ」
白鷹の問いに佐々波は答えた。
佐々波は、私たちのためにご飯を盛り終えると、今度は宇和海姫の所にそれを持っていき、与えた。宇和海姫は、佐々波が持ってきたご飯を無言で食べる。
「みんなは……どこから来たの?」
佐々波が宇和海姫にご飯を与えながら訊いた。
「えっと……私たちの事?」
佐々波は頷く。私は、答えるべきか一瞬迷ったが、意を決して言った。
「私たちは……都から。備前国に向かう途中でね」
「へぇ、都から……。でも、宇和海姫さんはもっと凄いんだよ? 海の底の大きなお屋敷から来たって言うんだ」
「それって……竜宮城みたいな?」
「りゅーぐー……じょう?」
佐々波は首を傾げた。竜宮城と言ってもピンと来ないか。
「うーん、ほら、海の中にある宮殿ってやつ」
「竜王や海神が住んでいると言われるあれですね」
翼が補足した。
「そうかも。まだ詳しい事は聞いてないけどね……」
暫くして、佐々波は宇和海姫にご飯を与え終えると席を立った。そろそろ家に戻らないと家族に怪しまれる可能性があるのだろう。私たちと宇和海姫のために、ここまでしてくれて何か申し訳ない。
私たちはその夜、宇和海姫の周囲に寝袋を広げてそれぞれに眠った。夜中、私はふと目が覚めた。そして何気なく宇和海姫の方に目をやるとその姿が消えていた。
「宇和海……姫……?」
私は辺りをキョロキョロと見回して起き上がる。すると、部屋の板戸が開いていることに気がついた。私はそっとそこから部屋を出て、宇和海姫を探す。
姫は直ぐに見つかった。歌が聞こえたのだ。それは……私たちが知っている言葉によって紡がれる歌ではなく、潮の音のような、それでいてしっかりと音楽になっている不思議な歌だった。私は、その歌に誘われるようにして寺の中庭を見下ろす縁側のような場所に辿り着いた。
宇和海姫は、そこに魚の尾鰭の形をした下半身を垂らして座っていた。彼女は、私に気が付き歌を止める。
「綺麗な……歌だね」
私は彼女に声をかけた。
だが、宇和海姫は首を横に振る。透き通るような皮膚が、まるで月光を透かしているかのようだった。
「駄目……この歌は……私たちにかけられた呪いのようなもの……」
宇和海姫は、海の水のように透き通った声で答えた。
「呪い……?」
「私たちは……自らの種族間で争いを完全に排除することで、海の底に誰にも邪魔されない国を作る事が出来た……」
私は、宇和海姫の隣に座った。彼女は月を見上げながら話を続ける。
「私たちが争いを排除する為に取った選択肢は……歌だった……」
「歌……」
「私たち人魚の歌には、人々の争う気持ちを失わさせ、誰もが私たちに対して敵対心を持たなくなるような術式が組み込まれている……」
「凄い! それじゃあ、人魚の世界は完全に戦争を根絶したって事!?」
「表向きは……そう。でも現実にそんな上手い話は存在しない……。綺麗な話、美しい話、そして理想的すぎる話には……必ず裏がある……」
「裏……それは……?」
「確かに私たちは、同じ歌を持つ人魚族同士の間での争いは根絶することが出来た。……でも、本当に争いを好む本能が……戦わずにはいられない性が私たちの心から消え去った訳では無かった。……私たちは、種族間の争いが出来ないならばと……他種族への侵略を開始した……」
「そんな……」
「私たちの歌を聞いた者は……戦う気力を無くしてしまう……。征服は簡単だった……。海底を支配する種族のうち、5つもの種族が私たちの歌により、戦わずして支配下に下った」
それから、宇和海姫は、私の方を見つめた。彼女の瞳は、サファイアのような蒼色をしていた。
「佐々波も……そして貴方も気づいていないかもしれないけど……私の事を綺麗だとか守らなきゃだとか……そう言う風に思っている……」
確かに……そうかもしれない。特に私は、彼女の種族のそんな横暴な所業を聞いてしまっても、とても憎めるような気持ちにはなれなかった。
「それは……貴方たちが私の歌を聞いてしまったから……。私は……私たちの種族の過去を知り、何度も歌をやめようと思った。……でも、私たち一族に身体の記憶として埋め込まれた歌を手放すことは……もう出来ない。私の意思がそれをやめようと思っても、歌は勝手に流れ出てくる……」
「そんな事は……ないと思います」
私たちはその声にハッとして振り返った。そこには、翼が立っていた。
「翼くん……!?」
「申し訳ありません、アスハ殿。アスハ殿が寝所を出ていく所が目に入りましたので……」
それから翼は宇和海姫に言う。
「宇和海姫殿……俺も貴方の歌は聞きました。ですのでこれも貴方の無意識の術中による考えなのかもしれません。ですが言わせてください。貴方の歌は……とても美しいと」
「それは……」
「それに……歌により争いを無くす、その方法に何ら間違っているという事も無いと思います。本当に争いが無くなれば、これ程いい事は無い。……問題は、その方法や結果ではなく……力を行使する者の心なのだと……俺は思います。かつて貴方の国で海底を征服しようと言い出したのがどのような方なのかを俺は知りませんが、でも、その方は心が未熟だったと……俺は思います」
翼は宇和海姫の隣に立った。そして話を続ける。
「俺は……似たような術式を埋め込まれた笛を持っています。ですから、貴方の事もよく分かっているつもりです。貴方は決して……自らの歌を自らのために使おうとしている訳では無い……という事を。……ですので、それを恥たり、ましてや封印しようとする必要は……無いと思います」
「そう……かもしれない……」
宇和海姫は言った。
「ところで……宇和海姫殿が、こちらに……地上の世界にやって来たのは何か意味があっての事なのですか?」
翼が質問した。宇和海姫は頷く。
「私たちの国の者は……征服した種族を……まるで自らの手足であるようにこき使った……。私たちには歌がある。だから絶対に反旗を翻される事は無いと……そう高をくくっていた。でも、それは間違いだった」
「人魚の国の繁栄は……終わりを迎えたのですね」
「そう……最初に反乱を起こしたのは、魚人族……。これは、私たちとは違い、人の形をした魚の種族。……彼らの中に、生まれつき耳の聞こえない者がいた……。その者は……私たちの歌を聞く事が出来ず、それによって一族の者が皆私たちに従っても、未だ私たちに対する不満を持ち続けていた……。そして彼はある日、思いついた。初めから耳の聞こえない戦士を作り出そうと……。こうして、魚人族は戦士たちの耳を潰し、私たちに反旗を翻した。他の種族たちも、それに便乗し、私たちに反乱した。本来、他者の心を操る術というのは強制力の弱いものだった。だから、私たちの術よりも強い心を持った者たちには、最早かつてかけられた術など関係がなかった。その時になって初めて、私たちの一族は己の過ちに気がついた。かつて私たちに従っていた全ての種族は、こうして独立を手にした……」
それから、宇和海姫はひと呼吸置いて続けた。
「でも……彼らの中心となった魚人族は……私たちと同じ過ちを犯した。無敵の人魚族を倒した事により、自分たちの力を過信するようになってしまった。魚人族は、自らが両の足でしっかりと地面を歩くことが出来るのをいいことに、侵略の矛先を地上へと向けた……。私は、そのことを地上世界に警告するため……地上世界の民と知り合ってはならないという禁忌を破り、地上に近づいた。そして、捕まった……」
それからは、私たちの知っている通りだろう。人魚の肉を食べると不老不死になるという伝説を信じた佐々波の父親により、食べられそうになっていた所を佐々波に救われたのだろう。傷は、捕まった時に負ったものか……。
「で、どうするの? 地上のみんなに警告する?」
私は宇和海姫に訊いた。
「本当はそうするべき。実際に私の警告を止めるために対人魚用戦士が魚人の国から派遣されたと聞く……。でも、私自身が罪深き人魚の国の民、大袞の神がそのようなおこがましいことを私たちがするのをお許しになるかどうか……」
「宇和海姫殿が……責任を感じることは無いと思います……。それに、貴方は正しいことをされようとしている。争いを避けようとする貴方の行いを……貴方たちの信ずる神が見捨てるはずがありません」
「ありがとう……」
宇和海姫は感謝の言葉を述べた。
翌朝、私と翼は白鷹や小町、それに式神たちに、宇和海姫から聞いた話を話した。話し終わると、早速に小町が言った。
「では、宇和海姫様を早速この村の長の所に……」
「ちょっと待って! そんなことをしたら宇和海姫さんは村の人達に食べられて……」
私はストップをかける。それに私たちは余所者である。余所者が人魚を連れて現れ、あんな荒唐無稽な話をしだしたらどうなるか……。
「待て、だが俺たちだけで何とかしようとしても始まる話じゃあないぜ。だいいち本当に戦が始まるのなら都の……貴族たちや場合によっては帝にまで話をつけなくちゃあならない」
白鷹が言う。
「でも、そうならないように私たちでどうにかしようという話じゃ……」
「あの……」
と、ここで翼が手を挙げた。
「俺たちには幸いにしてこの村にひとりだけ仲間がいます」
「佐々波様ですね!」
木霊がポンと手を打った。そうか、佐々波に話をつけてもらえば……。
「そうと決まればわたくし、早速佐々波さんに話をつけてきますね! 交渉事は……」
「でも、小町ちゃんだけじゃあ駄目だと思う」
私は寝袋の上に座る宇和海姫の方を見て言った。
「宇和海姫様も……連れていくのですか?」
「しかし……」
と、翼が難色を示す。
「百聞は一見にしかずって言うでしょ? 大丈夫、姫の事は私が守るから」
私は言ってやった。
「そうですね! では、わたくしは交渉事に専念出来ると……」
「そういう事っ」
私たちは、人里の方に降りていき、佐々波の家を探した。宇和海姫は歩くことが出来ないので、私が背負っている。一方、小町は護身用にと弓と矢に変身した木霊と閃光を背負っていた。そんな私たちの姿を何人かの村人に見られると、相手の方から自ずとやってきた。
「人魚を背負った妙な連中がうろついていると聞いたが……お前たちか、その人魚は俺のものだ」
私たちの目の前に現れた男はそう言った。彼の傍には、佐々波が付き従っており、その者が佐々波の父親である事はすぐに分かった。佐々波はぷいと顔を背ける。
「ご無礼をお許しください。……ですが、この方には地上の者達に伝えたい大事なお話があるのでございます!」
小町が会釈しながら言う。
「話? なんだそれは……」
「お父さん……」
と、佐々波が言った。
「人魚さんだって事情があるんだよ。やっぱり食べるのなんてやめようよ」
「し、しかし……」
「村長様にご相談されてはどうですか?」
小町が提案する。
「そ、そうだな……こういう事は村長殿に……」
こうして私たちは、村長の家に向かうことになった。途中、佐々波が話しかけてくる。
「急に宇和海姫様を連れてきた時はびっくりしたけど……でも、そういう事だったんだね?」
「そういう事です。でもこれも、佐々波さんのお陰ですよ? きっと貴方からも言って下さらなかったら、宇和海姫様はおろか、わたくしたちだってどうなっていたことか……」
小町が言う。
村長は、白髪の老人だった。私たちは彼の家へと上げられ、話をすることになる。宇和海姫は、昨日話したような話を、村長にもした。
「すると……その……ぎょじ……ぎょじ……」
「魚人です」
すかさずそばに控えていた若者が言う。
「そうそう、その魚人とやらが、わしらの村に攻めてくるというのじゃな……」
「早い話が……そういう事です」
私が言った。
「なるほどの。それは大変じゃのう」
村長は他人事のように言う。
「ですから、そこをどうにか……」
私が頼み込んだ。
「なぁに、しかし……しかしじゃなぁ……」
「しかし、なんですか?」
私は身を乗り出して尋ねた。
「あぁ、村長様はこう言いたいのです。追っ手がいるのならその追っ手と話し合いで解決してしまえばいいのでは……と」
控えていた若者が説明する。
「そうじゃそうじゃ、その通りじゃ!」
絶対適当に相槌を打ってるでしょ、この村長。村の今後がとても心配だ。
「ですが……相手は自らの耳を潰しております。こちらの話し合いに……」
小町が指摘した。
「そ、それはじゃなぁ……うーむ……」
「村長様はこう仰っております。それならば手紙でも書けばいいと。見たところによると宇和海姫様はとても高貴なお方のようだ。文の1枚や2枚、サラサラと書いておしまいになられるのでは……と」
そんな事ひと言も仰ってないよね!? まぁいいアイデアだから採用するけど……。
「ありがとうございます……では、早速ですね……」
小町が言いかけた時だった。村長の家に村人のひとりが飛び込んできた。
「か、海岸から変な奴らが上陸してきました! な、なんか人間のような魚のような……妙な見た目をしていて……でもめっぽう強くて! もう既に3人ほどやられて怪我を……!!」
「魚人……」
私の隣に座っていた宇和海姫が呟いた。
「思ったより早い……! 小町ちゃん、私たちで何とか足止めして……その間に宇和海姫さんは手紙を……!」
私はそう言うと、小町を伴って村長の家を出ていった。
海岸にたどり着くと、既に魚人たちが暴れ回っていた。数はざっと六人ほど、本当に人の形をした人間という見た目だった。おまけに爪も歯もカミソリのように鋭い。映画で見た半魚人のようだ。
海岸には、小屋の残骸と思しき材木や、漁の道具と思しき網が散乱している。どうやら魚人たちは好き放題に暴れ回っているようだ。
「足止めしますよ! 峰打ちで行きます!」
小町が閃光の矢を引き絞った。えぇと、矢で峰打ちってどうやるんだっけ? 私が疑問に思っている間に、小町は矢を放った。矢は、魚人達の周囲を何度も旋回し、彼らを翻弄する。
魚人達は矢によって巧みに誘導され一箇所に集まった。矢はその様子を見届けると小町の方に戻ってくる。小町は矢を掴んで受け止めた。
「えっと……この先ってどうすればいいんでしょうか……1箇所に集めてみたんですけど……」
いや、何も考えてなかったの!? 私のツッコミが追いつかないままに魚人のうちのひとりが飛びかかってくる。
私は咄嗟に小町と抱き合うが、魚人は次の瞬間、私たちとは逆方向に吹っ飛ばされた。私たちの前に白鷹が着地する。手には白波の太刀が握られていた。
「安心しな。峰打ちだ。命までは取らねぇぜ」
白鷹は言う。
魚人たちは仲間がやられたのを見て、激昂したのか次々と白鷹に襲いかかっていく。だが、白鷹はそんな魚人たちをかわして太刀の峰を打ち込んでいった。
魚人たちは砂浜の上にへたりこみ、降参の意を表明した。白鷹はそれを見て白波の太刀を鞘に収める。
丁度その時、海岸に宇和海姫を抱えた佐々波の父親がやってきた。佐々波もついてきており、彼女の手には大きな貝殻が握られている。よく見ると、貝殻には文字が書かれているようである。海の民は貝殻を紙の代わりに使っているのだろうか。
「小町さん! それにアスハさん! 手紙、書けたよ!!」
佐々波が貝殻を大きく振るって言った。
「ありがとう! 佐々波ちゃん!」
私は佐々波に感謝した。佐々波は魚人の方に、恐れることなく歩いていくと、その貝殻を手渡した。リーダーと思しき魚人は、貝殻に書かれた文字をじっくりと読む。佐々波の父に抱き抱えられた宇和海姫は祈るような表情をしていた。
「ぐが……ぐぎ……ぐご……」
魚人たちはよく分からない言葉で話し合った。その言葉を聞いて宇和海姫の表情が明るくなる。
「その表情ですと、魚人さん達、分かってくださったのですね」
小町が宇和海姫の方に近寄っていき言った。
「えぇ、全ては……貴方たちのお陰……」
宇和海姫は言う。
魚人たちはやがて、海へと戻り、波間へと消えていった。私は、その姿を白鷹と共に見送った。何だかんだで物分りのいい種族だったように思う。この分だと、人魚族との和解も近そうだ……。
「でも……宇和海姫様は、あの手紙になんと書いたのですか?」
小町が質問した。
「それは……」
と、宇和海姫が口を開く。
「あらゆる種族が和解し、共存する事が出来る……と、私たち海の民も、そして、地上の民も、皆……」
夜になった。海岸の岩場には、私と白鷹、そして小町、翼、式神たち、それに佐々波の姿があった。一方、水の中から上半身を出し、私たちを見つめ返しているのは、宇和海姫だ。
「宇和海姫さん……もう海に帰っちゃうんだね」
佐々波が言う。
「貴方たちのふるさとが地上であるように、海は、私のふるさとだから……」
宇和海姫は相変わらずに透き通るような声で言う。
「そう……寂しいな……折角、素敵な友達ができたと思ったのに……」
と、佐々波は名残惜しそうに言った。宇和海姫は首を横に振った。
「いいえ、真の友というものは……たとえ離れていても……友情に変わりはないもの……。それに……」
と、宇和海姫は言う。
「今回のことで、恐らく私たちの掟も変わると思う。そしたら……多分……また、会いに来られるかも……」
「本当!? 約束だよ!!」
「約束……」
宇和海姫は頷いた。それから彼女は私たちの方に向き直った。
「今回、人魚族、魚人族の両者共に戦を回避する事が出来たのは、貴方達のお陰、感謝してもしきれない……」
「そ、それは……」
「それに……貴方たちは私に勇気をくれた……」
「勇気を……?」
私は聞き返す。
「そう、私は一族が犯した過去の過ちに囚われて……前に進む事が出来ていなかったのかもしれない。でも、私たちも、そして地上の民も皆、限りある命の儚い存在……。だから……私たちは前に進まなくてはいけない……貴方たちは私にそう教えてくれた……」
「宇和海姫殿」
と、翼が言った。
「もし……また次に会うことがあれば、その時こそ俺の笛と……貴方の歌と……共に奏でてみませんか」
「私の……歌でいいのなら」
宇和海姫は答えた。
「えぇ、是非。貴方の歌だからこそお願いしているのです」
「分かった……」
宇和海姫は頷く。そして、最後に、ひと言だけ言って海の中へと姿を消した。
「貴方たちに……大袞の神の加護があらん事を……」
私たちは、佐々波と別れると、古寺に向かって歩き始めた。暫くは皆、黙っていたが、やがて翼が口を開いた。
「広い海には……未だ我々の知らない世界が存在していたのですね……」
「そうだね。地上の民、海の民なんて考えた事も無かった……」
「アスハ殿の時代にも……まだ彼らの存在は……?」
「うん、見つかってないよ。……だって、どんなに文明が進歩しても、まだまだ分からないことばっかりだしさ」
「……でも、アスハの時代には天然物の妖も鬼も……もう居ないんだろ? じゃあそれが海の中だって……」
白鷹が言う。
「それは言いきれないよ。……だって、あんなに……自分たちの国を作るまでに栄えてるんだよ。それがもう完全に居なくなっちゃったなんて考えられない。……地球は……海は……思ったよりもずっと広いって事が分かったし」
「ところで翼様?」
と、ここで小町が話題を変えてきた。
「なんでしょうか?」
「翼様、最後のあれは何だったのですか?」
「あれ……とは?」
「あれですよ! ほら、共に笛の音と歌とどうのこうのという……」
「あれは……別に……」
翼が目を逸らした。そんな翼に小町が追求を入れる。
「もしかして、あれは翼様なりの告は……」
「小町殿、その話はやめましょう! そ、そんな事よりもこれからの旅の事をですね……」
小町はそんな翼の様子を見てから、何故かこっちに悪戯っぽく目配せをしてきた。どうやら私を翼をからかうための仲間に引き入れようという魂胆らしい。私はやれやれと思いながら白鷹の方を見た。
「アスハ」
と、白鷹は言った。
「どうしたの?」
「見ろ、夜の月と海も綺麗だ」
私と白鷹が立ち止まると、そこは丁度海が見下ろせる崖の上だった。月の光は、海の上に白く輝く道を作り出している。
「大袞の神の導きがあらん事をってやつだな……」
「うん。大袞の神の導きがあらん事を」
私たちは、海の世界の友人に敬意を表して言った。
翼君に青春が……! 次回の更新日は7月15日です。