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おとうさん あなたへ

作者: みぶ真也

 アンコールにキャンディーズの「微笑返し」を歌った後、マヤと翔子のステージは幕を閉じた。

 歌ってる本人たちも生まれていなかった頃の、1970年代ポップスで二人はアイドルになったのだ。

 我々世代のノスタルジーだけでなく、若い世代にもこうした古い曲が受け入れられているようだ。

「お疲れ様でした」

 大阪から買ってきた手土産「ガリ酎ハイの素」を持って楽屋を訪れる。

「あ、みぶさん、遠いところからありがとうございます」

 二人が挨拶した。

 翔子がマヤの後ろでバッグを開けて何かゴソゴソしている。

「マヤちゃん、あったわ」

「お願い、左の肩にね」

 翔子は取り出した湿布をマヤの肩に貼った。

「マヤちゃん、肩どうかしたの?」尋ねてみる。

「ずっと凝ってて痛いの」

 コンタクトを外して、眼鏡をかけながら彼女が答えた。

「眼鏡も似合うね。そういえば70年代には世界三大眼鏡歌手というのがいたっけ」

「誰と誰?」

「エルトン・ジョン、ジョン・デンバー、それから南こうせつ」

「ほんとに?」

「大江千里とかが出る前にね」

 土産物を渡し、記念に二人の写真を撮った。

 スマホを向けると、マヤと翔子は並んでピンクレディのポーズをとってくれる。

 帰ったら関西の仲間に見せてやろう。

 同世代の役者にはファンが多いのだ。

 特に彼女らが気に入ってる演出家に、先に画像を送ってやろうとしてスマホをいじる手が止まった。

 今の写真を、思わず何度も見直す。

 マヤの左肩の上にボンヤリと顔が浮かんでいるのだ。

 年配の男性のようだ。

「マヤちゃん、この人知ってる?」

 写真を見せると、マヤは驚いたように目を見張った。

「この人は、私の…お父さん!」 


「マヤは小さい頃、お父さんと生き別れになったそうなの。いつか再会する時があったら聞かせてあげたいと、お父さんが好きだった70年代のポップスを歌うことにしたって言ってたわ」

 マヤとデュエットしてピンクレディやキャンディーズを歌っている翔子が教えてくれた。

 ぼくが楽屋で撮影した二人の写真に、そのマヤのお父さんらしい霊が映っていたのだ。

 大阪に帰る日を一日延ばし、ぼくは彼女の父親探しにつきあうことになった。

 調べてみると…

 彼女の父、岡田健三さんはマヤたちと別れて上京。

 事業を起こし、一時は羽振りも良かったようだが、病に倒れて会社を手放し、今では郊外の施設に入居しているようだ。

 訪ねてみると

「岡田さんなんですけど、実は…」

 施設長という若い男性が深刻な表情で言った。

「昨夜、容態が急変して緊急入院されたんです」

 病院の場所と病室を聞き、そちらへ向かう。

 ナースセンターで尋ねると、厳しい表情をした看護師が出て来た。

「岡田さんでしたら、ご面会は可能です。でも、既に意識がなくて娘さんのこともおわかりにならないと思います」

 案内されるままに病室へ行くと、点滴のチューブをつけた岡田さんらしき人が横たわっていた。

「お父さん、私、マヤです」

 マヤが駆け寄り、手を握るが岡田さんは目を閉じたままだ。

 夕日が窓から差込み、音もなく落ちる点滴に反射する。

 マヤが静かに歌をうたいだした。

「おとうさん あなたへ」

 キャンディーズの藤村美樹が作詞作曲した名曲だ。

 1978年の最後のコンサートで、ウェディングドレス姿で彼女自身が歌った曲である。

 岡田さんの閉じられた目尻から、一筋の涙が静かに流れ落ちた。


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