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古今東西御伽噺ベースの物語

人魚姫 〜エラミアは鰓呼吸〜

作者: いくしろ仄

 エラミアは鰓呼吸。王子と暮らすには適していない容姿をしていたのでした。

 思い返せば私の人生ずいぶんパサついていたと思う。







 ここは人魚の沢山住む場所、シーメイドシティ。

 上半身が人間で下半身がお魚、それが『人魚』。人魚は海の中で鰓呼吸をしている。鰓呼吸といっても人間の耳に当たる部分についている魚の鰭の後ろからあごのほうに向けてすこしばかり開いているだけで、顔を正面から見たらそれはまったく見えないし、陸にいる時には閉じられているから横を向いても目立って目についたりはしない程度のものだ。



 今日、私の元に訪れた赤い珊瑚のような美しい色の髪のあの子。

 彼女はエメラルドの瞳を煌めかせ、私に魔法をかけて欲しいと願った。

 指をキュッと畳んだ右手を左手で抱き込むように軽く握ってそれを口元にあてている。ハの字に肘がひらかれてそのあいだからむにっとしたものが顔をだしている。……むむっ、デカイわね。


 頬をピンク色に染めて彼女は熱に浮かされた様に、こっちがまだ何も聞いてもいないのにペラペラと自らのことを話し出した。自分は運命の人に出会ったのだと。


 先日海が荒れに荒れた日、彼女は一人の人間を助けた。その人間とは、この私達が住む海に接する人間の国の王子様。会話をしてちゃんと何処の誰だか聞き出しているあたりが彼女がただのおぼこい少女では無いことを証明している。

 彼女はひとしきり王子の素晴らしい容姿や素敵な声、心根の優しさなどを気の済むまで述べまくってから私のもとを訪れた目的を果たすと、一度も後ろを振り向きもせずに去っていった。








 海に浮いている王子を浜まで運んだのは確かにあの子だけれど、王子が目覚めるまでそばについていたのも浜辺で気のついた王子と会話をかわしたのもあの子だけれど……。

 でも、嵐の中船が難破して王子が海に放り投げられた時に海中から引き上げて木の板に乗せてあげたのは私。


 他にも沢山の人が海に落ちて波に翻弄され海中でもがいていたから私はそれを掬い上げてやるのに必死で、ずっと王子についていてあげる事ができなかった。


 王子の乗る船は大きかった。

 船を動かすための沢山の船員、王子のおつきの者共、その彼らの食事を作る人員。その他にも船には大勢の人間が乗っていた。


 なのにあの子だけが感謝され、あの子だけが見染められ、あの子だけが幸せになるだなんてその時の私には許せなかった。

 だって私も王子と言葉を交わし王子の事を好きになっていたのだもの。


 王子は海中から自分を救い出した人魚と浜辺まで連れて行ってくれた人魚が同じ人魚だと思っている。

 だから『自分を助けてくれた人魚』が二人いる事をきっと彼は知らない。

 だから私はより意識がはっきりした時に王子と会話を交わしただろうあの子の声を奪った。


 代わりに私の声をあげても良かったのだけれど万が一、王子が私の声を覚えているかも知れないと思うと怖くてそれは出来なかった。


 そしてあの子は切望していた2本の脚を手に入れた。人魚のヒレを捨てて。そうして踏み出した一歩にあの子は顔を歪めたわ、歩くと足裏に鋭い釘をさされるような刃物の上を歩くような痛みが走るのだと。


 当たり前ね。私達は足で地面を踏んで歩いたことなどないのだから、そんな自分の体重を小さな足の裏全部で支えるなんてした事がないもの。

 しかも流動的な水とは違って地面は柔らかくないし滑らかには出来ていないもの。

 生まれて立ち上がったその時から二本足で歩く人間とて、健康のためといって丸い小石のぎっしり敷かれた箱の上を歩くときには大層痛いモノだと話にきく。



 それでも彼女は一歩一歩足を踏みしめる様にして歩いていったわ。







 陸にいる時にはその小さく裂けているエラは閉じているから尚の事一瞥したくらいでは気が付かないだろう。人魚という生き物は空気のなかにいるときにはそうしてエラを閉じて鼻で呼吸する。人間となんら変わりない。


 あの子が王子に拾われてお城で住む様になったころ、私はあの子から脚との交換でもらった声を使って毎夜同じ時刻に歌を歌い始めた。

 悔しいけれどあの子の声は伸びやかで辺りに透き通る声が響き渡り、聞いている動物も植物さえもうっとりとさせた。






 私はメンダコの師匠から魔術を習いまじないや魔法を扱う最近独り立ちしたばかりの海の魔女。

 人魚たちはおまじないや魔法が大好きで私のところによく占いに来たりしている。


 商売繁盛のコツは雰囲気づくりが大事だと、薄暗い洞窟の中に店を構え入り組むその中の一つ、壁や天井にいくつかある灯り取り窓を通って外から陽の光がさしこむ部屋を仕事部屋として使っていた。

 不気味な薄暗い洞窟の穴の中を抜けてきた後に目にする陽光の溢れ差す部屋は神秘的で、いつもお客の気分を高揚させた。

 ……あの子もその大勢の中の一人。



 人魚に人間の脚を授ける魔法は結構ポピュラーな魔法だったりする。

 人間と恋仲になり一生を添い遂げようとする人魚は意外と多く、昔から数多く存在しているから。


 魔女は脚を求める人魚に魔法をかける。

 その時には必ず『オマケだ』と言って顔の両脇にあるヒレを人間の耳に変えてやることになっている。その時耳の後ろのエラはそのままにする。陸にいるときには閉じられているから人間にはバレやしない。


 人間になった元人魚が緊急時にそのエラを使って自分の伴侶や仲間たち、己の子供を救ったという逸話には事欠かない。

 だから、魔女はエラをそのまま残しておくようにしている。

 もしも弟子を取る事があったならメンダコのお師匠様からの受け売りの話をして私もそのことを守り、継承していこうと思っていた。






 同じ場所、同じ時刻に歌う様になってから五日目に王子が姿を現した。

 私が想定していたよりもずっと早い。最低でも一週間以上はかかると思っていた。


 五日目ともなると、海では魚やカメが波間に顔をだし、私の座る岩礁のある岩場には海鳥や小動物がお行儀よくして並んで歌声を聴いているという状況が出来上がっていた。


 自分の声じゃないのが悔しいけれどちゃんと対価としてもらったモノだから誰に恥じることもない。

 何かを求めるならば何かを差し出さなくてはならない。

 メンダコのお師匠様からの教えの一つだ。


 魔法やまじないを対価無しに可哀想だからとか慈悲の心なんかで決して相手に施してはいけない。それをすると均衡が崩れて世界が崩壊してしまう。

 なんだかおっかない話だけれどいつも口を酸っぱくしてメンダコの師匠は私に教えてくれた。

 特に魔法を使えるようになり、魔女となったモノは自然の摂理からわずがにズレて別のものとなるのだからとも言っていた。



 海辺で私を見つけた王子は、答えてください。あなたは海の荒れたあの日に私を助けてくれた人魚なのですか?と私に問いかける。

 下半身、腰から下を海に浸して海中の岩礁の凹みに腰を掛け、それが海面から大きく顔を出している部分のいつもの場所に体を預けて歌う私はそれに答えた。


「そうです。私があなたを荒れた海の中から助けました」


 と。



 王子様、あなたを助けたのはあの子だけではないのです。

 たしかに波間を漂うあなたを岸辺まで連れていったのはあの子です。でも船の上から海中に投げ出されたあなたや他の方々を助けたのは紛れもなくこの私なのです。

 ですから。

 王子に返した私のこの言葉は嘘ではない。


「黒の豊かな髪を持つあなたよ、どうぞ私と一緒に城まで来てください」


「私はこのままではあなたと一緒に行けません。どうか明日のこの時間までお待ちください。

 明日になれば私はあなたと共にその砂浜に立つことができるでしょう」


 質問の返答を聞き是非お礼をしたいからとそのように頼む王子の呼びかけに対して私はそう応えを返した。






 翌晩、いつもの時刻。私の為のドレスを手に捧げ持ち片膝をつく王子が浜辺で待っていた。

 私が海の中から陸へと上がりそのドレスに袖を通すまで、王子はその整った愛しい顔を上げる事は無かった。


 用意されたドレスを身につけて王子にエスコートされて城に着くとあの子がいた。

 私よりも早く王子のもとへと行き、王子のそば近くにあったあの子。でも、彼女は言葉を話すことが出来ないから、自分が王子を助けた人魚だとは伝えられなかった。

 私が王子に連れられて城に入ったその日から、王子は私をそばに置き私に助けられたあの日海に投げ出された者達に感謝され囲まれて。


 そうして私とあの子は少なくない日々を過ごした。












「私の正体をお見せします」


 愛しい愛しい王子様。暗い浜辺ではなくこの明るい室内で本当のわたくしをご覧ください。

 その姿を見てもわたくしを所望するというのであれば、わたくしも心を決めましょう。人としてこの先ずっと陸で暮らしていくという決意を固めましょう。


 ぱさり、と全ての体を覆っていたものを脱ぎ捨てた私。はずかしさから胸にそっと腕を当てて顔を斜めに伏せる。腰したから太ももを覆う様に生えている六本の触手がいたたまれなさから僅かに蠢くのを止められない。

 八本あるうちの二本を人間の足のように擬態させているから、腰したにごく短いスカートのようにまとわりついているのは桜貝のような薄ピンク色の残り六本の私の触手。


 わすがに眼を見開いて驚きを隠しきれない様子の王子。


 斜め下を向く私の耳にひぅ、と王子の息を飲む音が届く。

 私のいろが桜貝の薄ピンクであったからか悲鳴をあげたりいきなり斬りつけられたりなどされずに、私は立っていた。良かった、どうやら忌避感は少なかったみたい。


「気持ち、悪い、です、か?」


 勇気を振り絞り自分の声で問いかける。


 そこに居るはずの王子からは何も聞こえない。

 やっぱりダメだったかと失望の波に飲み込まれそうになった時、私の身体は暖かいものにしっかりと包まれた。


「王子、さま?」


「……そなたの……、その声に聞き覚えがある。

 水の中にもがき苦しみ、もうダメだと思った時に私の周りに空気が溢れ、激しく咳き込みながら空気を貪り……ああ、助かったのか?と朧げに感じていた時に、聞こえてきた声。いたわるように私を案じてくれた優しい、声だ」


 私はいつのまにか泣いていたらしい。王子様に頬に指を滑らせられそっと拭われて始めてそれに気がついた。


「私と結婚してくれるかい?」


「……はい、喜んで」


 そのあと王子に奪われるような深い口づけをされて、そして………








 今日は婚約のお披露目のパーティーだ。

 王子を荒れる海から助けたことに因んで船の上、海上で行われることとなった。




 同じ王子を助けた立場の、あの子も着飾らせてもらってこの船上にいる。

 海の王の娘であるあの子はきっと人魚に戻る術をその手にしているだろう。


 私は何の契約違反も海の法律に触れるような行いもしていない。

 私の行為に不正はないからどんなに腹が立っていても海の王は私に手出しはできない。もし、それをしてしまえばあちこちに住む魔女たちが黙っていないだろうし、自ら法を破るような王を海の民が放っておくわけがない。


 こちらに瑕疵(かし)はない。




 婚約披露パーティーがつつがなく進んでいく中、あの子の手の中に光るものが閃いた。

 でも。

 やっぱり自分の声と交換してまで人間の脚を求め、それほどまでしてもそばにいたいと思い詰めるほど、あの子は王子の事が好きだったのだろう。

 刃物を振り上げ、でも王子を害する事など出来ずにあの子はザブリと海へと身を投げた。




 私は一つまじないを施しておいた。

 私に取られた、と、自分は王子を手に入れられないと悔し涙を流した時にあの子に声は戻り、人間の足は泡と消えて元の人魚に戻る様に。


 魚の尾鰭は人の脚に。顔の両脇の魚のヒレは人間の耳に。でも陸にいる時に閉じられて目立たなくなるエラはそのままに。

 たとえ人間の脚で泳ぐことが叶わなくても彼女にはエラがある。

 あの子の落ちた場所にぶくぶくと泡が盛り上がりあの子は終ぞ再び海上にその姿を現すことはなかった。


 私の肩を抱く王子の手のひらに力がこもる。私も王子を助けたけれど確かに彼女も板切れに捕まる王子を浜辺まで運んで助けたのだ。

 王子にはそのことは勿論、彼女にかけたまじないの事も耳の後ろにあるエラの事も話してある。



 そっと振り仰いで王子の顔を見れば、それに気づいた王子が花が綻ぶようにとろける笑みを私に向けてくれた。


「エラミア、私は君を愛してる」


 二人の女に一人の男。

 どちらかが選ばれればどちらかは恋に敗れる。

 二人の人魚姫に一人の王子。

 選ばれたのは私。……人魚姫、というよりはオクトパスの魔女なんだけどね。



 こうして哀れ人魚姫は泡となり海に消え、王子とその妃は幸せに二人仲睦まじく暮しましたとさ。


 エラミアは鰓呼吸。でも、オクトパスである私は内臓の中にあるエラで呼吸しているのよ。

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