第5話 スタートライン
「私の夫は、若い頃、『ルークル騎士団』の副団長を勤めておりました」
ハーベラが馬車の中で語った、ラドリゲスの話は、カトレアにとって驚くことばかりであった。
ラドリゲス・クラークー。クラーク家三代目当主の弟である彼は、今も尚存在する、王国公認の騎士団の副団長だったという。
しかし、他国との領地争いの際に右脚を失った事をきっかけに引退、その後は若手の育成に専念したそうだ。
「義足だなんて、気付かなかったわ」
「フフフ、20年以上も付けていれば慣れますよ。といっても、当時は私の方がショックを受けました……」
ハーベラは、10歳の頃から屋敷に仕えており、ラドリゲスとの付き合いもその頃からになる。仕えるべき相手なのだが、同い年であるラドリゲスとは、幼馴染といった関係の方が近かった。
そんな2人なのだが、ラドリゲスが騎士となり、屋敷を離れてからは、中々会えないでいた上に、帰ってきたと思えば右脚を失っており、ハーベラは、本人以上に取り乱したという。
「まあ、それがきっかけで、ラドリゲスと結婚しようと決めたんですけどね」
「そうだったのね。それにしても、ハーベラの姓がクラークだなんて知らなかったわ」
「公にする事は控えておりましたから……。先代……、リチャード様のお父様は、あまり夫の事をよく思っておりませんでしたし。」
ハーベラは、何かを含む様に話したが、詳しく明言はしなかった。それ以上は、この場で話す事ではないと判断したのだろう
カトレアは、気にはなったが、今聞く必要は無いと、その件には触れずに他の事を問う。
「お父様がラドリゲス様に頼んだ事は、もしかして、騎士になる為の教育なのかしら?」
「ええ、おっしゃる通りかと思います。夫には、私に言うより先に『風便り』を送られていたようで……。手紙の内容は、詳しくは聞いておりませんが、そのような事が書かれてたそうですよ?」
『風便り』とは、『風の魔法』がかけられた封筒を使った手紙である。封筒の封を閉じ、外に投げれば、この国の端までなら5分足らずで、目的の人物に手紙を届けることが可能なのである。
しかし、1枚辺りの値段も高い上に、受取人が手に取るまで、追いかけたり、窓やドアに当たり続けたりするため、緊急の時以外は、使用しない事が常識である。にも関わらず、それを使ってまで段取りをしてくれた父には、感謝しかない。
父だけではない、目の前の彼女にしてもだ。
「ごめんなさい、ハーベラ。本当は、辞めるのもう少し先だったのでしょう? 私の勝手に付き合わせて……、申し訳ないわ」
1度目の人生では、この時期はまだ使用人として屋敷にいたのだ。予定を変えてしまった事をカトレアが詫びると、ハーベラは、キョトンと首を傾げる。
「あら? 私、お嬢様に辞めることお伝えしていたかしら?いえ、確かに辞める予定でしたが……」
「あっ! い、いえ?その〜、う、噂で聞いたのよっ!」
(しまったわね。2度目の人生を当たり前に受け入れすぎてしまって、変な風になったわ)
辻褄が合わなくなる事は出来るだけ避けなくては、と、改めて気を引き締めたところで、馬車が停まった。どうやら、目的地に着いたようだ。
「ここを降りたら、『お嬢様』は終わりね。今までありがとう、ハーベラ」
「いいえ、それはお断り致します! 今更、他人行儀になられるのは、私が寂しいです。どうぞ、これからも『ハーベラ』と読んでくださいまし。あ、でも、お家の事は手伝っていただきますよ?」
そう笑う彼女に、カトレアは、勿論だと頷いた。
ハーベラが躓かないよう、手を取って馬車の外を出ると、そこには、蔦が絡まった、赤いレンガ調の一軒家が立っていた。裏は山になっており、自然豊かな場所である。庭には農作物が植えられており、2人の管理が上手なのか、瑞々しい野菜が実っていた。
「さて、カトレア嬢。これから、ここが貴女のもうひとつの帰る場所になりますぞ」
ラドリゲスの暖かい受け入れに、カトレアは頭を下げた。
「急な申し入れにも関わらず、本当にありがとうございます。私、カトレアは、恥ずかしながら世間知らずにございます。ご指導いただくことばかりかと思いますが、精一杯頑張ります。よろしくお願いいたします」
顔を上げると、ハーベラが不思議そうに、「お嬢様って、こんな大人みたいな喋り方だったかしら?」と、首を傾げていた。
カトレアは、何も言えず、ただ曖昧に笑うしかなかった。