第6話 悩みと不安
ベンの姿はあっさりと中庭で見つかった。隅の石段で、背中を丸めて座るベンに、カトレアは声を掛ける。
「おはよう、ベン。お隣、失礼するわよ」
ベンの返事を聞かずに、カトレアは、彼の隣に腰掛けた。
「ポロとラグに頼まれた?」
「あら、ご名答よ。昨日のロズウェル先生の授業で、沈んでるだろうからって、様子を見るように言われたのよ」
「そうか、ごめんね迷惑かけて」
バツが悪いと、頭を搔いているベンに、カトレアは、構わないと首を振った。
どう言い出そうか迷っているのか、ベンは、不安そうに指を遊ばせている。ロズウェルの手紙で、臆した自分の事が情けなく、恥じているのかもしれない。
このまま口を開くのを待つのもと、カトレアは、話のきっかけにと、ずっと気になっていた事を聞いてみる事にした
「ベンは……、何故騎士科に?」
ベンは、賢く、決して好戦的な性格ではない。彼の才は、騎士科以外で伸びるのではと、カトレアは考えていた。そして、ベンならば、己の向き不向きをしっかり理解しているはずだ。
それでも尚、騎士科を選んだのは、何故か。カトレアは、疑問に思っていた。
ベンは、指遊びを辞め、口を開いた。
「父親に、その臆病癖を叩き直して来いって言われてね。本当に情けない話なんだけど……」
「そうだったのね。お父様は、ベンとは正反対な性格なのかしら?」
「うん。俺の父親は、怖いもの知らずって感じ。あと、兄さんもね。俺の性格は、母親譲りだよ」
怖いもの知らずの父と兄。方や、穏やか心優しいベンと母。中々に、彼の家庭は面白そうである。機会があれば、1度お会いしたいものだ。
「まあ、結局治るどころか、余計に怖くなっちゃったんだけどね……」
「手紙の事?」
「うん。騎士という仕事が何をするのかは分かっていたけど、直接、自分が手を下す事を想像したら……、やっぱり怖いよ。本当に、騎士になるべきなのか、凄く不安なんだ……」
そう話すベンの手は震えていた。カトレアは、少し楽になるようにと、彼の背中を摩った。
「カトレアさんは、凄いよ。女の子なのに、俺なんかより、ずっと勇気がある」
そう、称えるベンに、カトレアは、素直に喜ぶ事は出来なかった。
カトレアは、女である。女としてクラーク家に産まれたならば、家の為に、どこかに嫁ぎ、両家の橋渡をする。それが、最も望ましい生き方だった。
しかも、自分は、レイノルド王子の婚約者という、最高の立場を得られるチャンスがあった。
(けど、私は選べなかった)
どれだけ頑張っても、愛されない。その苦痛をカトレアは、二度と味わいたくなかった。
いくら、自分の力でなどと、綺麗事を言っても、カトレアは、『婚約者』という呪縛から逃げたのだ。
「……私も、不安よ。自分が、選んだ道が本当に正しいのか……」
「カトレアさん……」
2人の中で、どんよりとした沈黙が続く。
励ますはずが、自分まで落ち込んでしまった事に、カトレアは、歯噛みする。
ラグとポロにどう顔向けするか……。
「あら? カトレアさんにベン君。ふたりで私の授業、サボっちゃうの?」
カトレアが頭を悩ましていると、鈴の鳴るような可愛らしい声がした。
声の方を向くと、魔法学教師のマリアが、教材を抱えてこちらに歩いてきた。
今日の1限目は、魔法学である。その為、彼女は、騎士科の教室に向かう途中なのだろう。
いつもは早めに席に着いている2人が、未だに外にいるのだから、マリアも気になって、声を掛けてくれたのだろう。
「浮かない顔して、ふたりともどうしたの?」
心配そうに尋ねるマリアに、カトレアは、先程までの自分達の会話を説明した。
話を聞いた彼女は、微笑ましい物を見るように、カトレア達を見て笑った。
「成程ね、カトレアさんは、自分の選んだ道が本当に正しいのか不安で、ベン君は、まだ道を決めかねているのね?」
その通りだと頷くカトレア達に、マリアは、教材を置いて、語りかける。
「悩んでいいのよ。それが学生の特権。あなた達には、たくさんの時間と、たくさんの出会いがあるのよ? 出会いと時間を使って、これから、答えを見つければいいの」
マリアは、慰める様にカトレア達の頭を撫でた。その小さく暖かい手に、先程までの曇っていた気持ちが、和らいでいくのを感じる。
「でも、そういう悩みは、自分達だけじゃなくて、先生も頼ってね? それが、私達の仕事なんだから」
お茶目にウインクをするマリアに、思わず頬が緩む。ベンも先程までの暗い顔から、大分晴れやかな顔に戻っていた。マリアの言葉に、少し荷が軽くなったのだろう。
カトレア達は、マリアと共に、騎士科の教室へと戻っていった。




