第9話 15歳の旅立ち
小鳥のさえずりと共に、心地良い春の風が窓から入る。
今日はカトレアが、ヴィストン学園に入学する日である。
騎士科と魔法科の生徒は寮制である。
その為、ラドリゲスとハーベラに貸してもらっていた自室とは、今日でお別れである。
カトレアは、いつもの青いリボンをシャツの襟につけ終えると、詰襟のジャケットを羽織った。
胸元には、白鳥をモチーフにした、ヴィストン学園の校章が刺繍されている。
鏡には、1度目の人生とは全く違う、制服姿の自分が映る。
騎士科のカラーである、青を基調としたジャケットに、黒のパンツ。
どちらも、騎士科ならではなのか、伸縮性に優れており、動きやすい上に、強度のある生地が使われている。
(前の制服も好きだったけれど、これはこれで……)
「意外に似合ってるのかしら?」
ポロッと口にしてしまった一言に、カトレアは急に恥ずかしくなる。
流石に浮かれすぎたと反省しつつ、周りに誰もいなくて良かったと、胸を撫で下ろす。
壁時計を見ると、そろそろ学園の馬車が到着する時間だ。
カトレアは、必要な荷物を手に持って、階段を降りた。
玄関を出ると、ラドリゲスとハーベラの他に、何故か行商人のトトが待っていた。
カトレアが驚いていると、彼はニカッと笑って口を開く。
「ヨッ! カトレアちゃんが今日出てちまうって聞いてよ……。おじさん、寂しくって来ちまったわ」
「トトさん……。お忙しい中、ありがとうございます。私も行く前にお会いできて嬉しいです」
トトは、ラドリゲス宅に定期的に行商に来ていた為、カトレアも会う事が多かった。
来る度に、面白い話とお土産を持ってきてくれるトトは、カトレアにとって、叔父のような存在であった。
リュウノスケの店へも通っているため、ダンデとも馴染みのある彼だが、そちらについては、昨日の内に別れを済ませたのだそうだ。
「ま、生意気な坊主だけどよ、アイツもカトレアちゃんも、俺にとっては甥とか姪みたいなもんだったからなぁ」
トトは、寂しい寂しいと嘆きながら、カトレアの頭を撫でた。
「あら! トトさんがそう仰るなら、こちらは娘みたいなもんですよ? お嬢様とのお別れの時間を独占しないでちょうだいな!」
「おいおい、ハーベラさんよ。娘じゃなくて、孫の間違いだろうよ!」
「まっ! 悪かったわね、年寄りでっ!」
トトのからかいに、ハーベラは頬を膨らませて拗ねてしまった。
それを、ラドリゲスが宥めると、ハーベラは、落ち着きを取り戻し、改めてカトレアに向き直した。
「お嬢様、先程申し上げました通り、私もラドリゲスも、貴女様を娘のように思っております。仕えるべきお方に、失礼なのは承知です。ですが、それほど大事な存在なのです」
ハーベラは、涙を浮かべながら、カトレアの手を握りしめた。
6年前よりも、シワの増えたその手に、一緒に暮らした歳月の長さを思い知る。
カトレアは、泣くまいと決めていたはずなのに、思わず涙がこみあげてしまった。
「ハーベラ……、そんなのっ、私もよ……! ハーベラは、私にとって、もうひとりのお母様よ。……だから、私の事、今だけで構わないから、名前で呼んでくださる?」
「ーーっ! そんな、ありがたき幸せにございます。カトレア……、離れてしまうけど、私達は、ずっと貴女の味方です。どうか、体だけは気を付けて……」
カトレアは、溢れる涙を拭いながら、彼女の言葉に何度も頷いた。
「ふたりとも、もう、馬車が近くまで来ているよ」
ラドリゲスの声に、カトレアは、名残惜しい気持ちを堪え、ハーベラの手を離した。
「6年前、私を快く受け入れて下さりありがとうございました。このご恩に報いれるよう、励んで参ります」
カトレアは、2人に感謝を伝え、トトにも改めて頭を下げる。
先程から聞こえていた、馬車の音が止まった。
どうやら、少し離れた場所に停まったようだ
そろそろ向かわなくてはと、カトレアは背を向ける。
「カトレア」
「ーーっ!」
ラドリゲスの声に、カトレアは足を止める。
初めての呼び方に戸惑いつつ振り返ると、彼は、柔らかな笑顔のまま口を開く。
「大変だと思うが、頑張っておいで。ここは、君のもうひとつの帰る場所だ」
いってらっしゃい。
その一言に、拭ったはずの涙が、再び顔を出しそうになる。
しかし、今度は何とかそれを堪え、口を開く。
「行ってまいります! どうか、皆様もお元気で……!」
最後に、今、出来うる限りの笑顔を見せて、カトレアは、今度こそ、彼等に背を向けたのだった。




