第19話 愛されていて
ダンデ・アサルドが、父が居ないことを不思議に思ったのは、4歳のときである。
『おとうさん』や『ぱぱ』と言う聞き慣れない単語を、同い年の子達が良く口にしてる事に気が付いたのが、そのきっかけである。
「ねえ、お母さん。俺には『おとうさん』とか、『ぱぱ』とかいないの?」
ダンデが、そう聞いた時の母は、少し困った顔をしていた。
しかし、明るい声で母は教えてくれたのだ。
父親は、王国を守る仕事をしている。忙しくて会えないけど、ダンデには、ちゃんと父親がいるのだという事を。
王国を守る仕事に憧れたのは、その時からかも知れない。
結局、父親への憧れは、嫌悪に変わってしまったのだが……。
そして、ダンデにはずっと心に引っかかっている事があった。
母親は、本当に愛されていたのだろうか。
最期の時まで、自分を捨てた男を愛していた母が、ダンデは哀れでならなかった。
『朝露の木』の下で、ダンデは焚き火の火を絶やさないよう、薪をくべていた。
「んっ……」
パチパチとなる木の弾ける音が、心地よく響く中で、隣で寝ていたカトレアが目を覚ました。
「もう、起きていいのか?」
「えぇ、だいぶ楽になったわ」
そうカトレアは言うのだが、彼女の顔には疲労の色がまだ残っている。
自分とセラを逃がすために、魔力を使い果たしたのだ。本来であれば、寝込んでいても可笑しくない。
「……寝れないのか?」
「そうかもしれないわね。色々ありすぎて、落ち着かないのかも」
カトレアは、そう言って自嘲気味に笑った。
彼女は、元々侯爵令嬢だと聞く。野宿や魔物など無縁だった人間が、良く耐えていると思う。
「ふぁあ、あれ? カトレアさん起きてる? 寝ないとダメですよ〜」
爆睡していたセラが目を覚ました。
彼も魔物に殺されかけているはずなのだが、全くそんな事を微塵も感じさせない。その能天気さを、カトレアに分けてやれば良いのにと、呆れる。
「リュウさんは、どこ行ったんですか?」
「念の為、周り見てくるってよ」
「ふーん、意外にマメですね」
セラは、よっこいしょと、カトレアの隣に腰を下ろした。
「ねえ、ダンデは何故リュウノスケさんのお店にこだわるの?」
カトレアは、アクアグレーの瞳で見つめながら問いかけてきた。
ダンデは、一瞬彼女の瞳に魅入った。
それを誤魔化すように咳払いをしてから、ダンデは、質問に答える。
「他の店にも行ったけどよ、俺の夢を馬鹿にしなかったのは、オッサンだけだったんだよ。だからだな」
リュウノスケの店にたどり着くまでに、ダンデは、人脈を頼りに、何件か剣を取り扱う店に行っていた。
しかし、どの店も子供の夢物語くらいにしか取らなかった。中には、おもちゃの剣を好意で渡そうとする店もあった。
良くも悪くも、リュウノスケは、金を払うか払わないか、メリットがあるかないかだけで判断していた。
それを、冷たいと思う奴もいるかもしれないが、夢を馬鹿にする言葉は言わないし、ある意味平等だと思った。
そんな彼を、ダンデは気に入ったのだ。
「あ、リュウさんおかえりなさーい」
噂をすれば、リュウノスケが戻ってきた。
しかし、彼は、ダンデ達から少し離れた場所に座って目を閉じた。
転移魔法を使うのに、もしかしたら彼もそれなりの魔力を消費していたのかもしれない。
そっとしておこうと、ダンデは、2人に目配せした。
そういえば、自分の家族の事は話したが、彼等はどうなのだろうか。
ダンデは、2人に聞いてみる。
「お前等、何人家族なんだ? 兄弟とかいんのか?」
「いますよー、あんまり好かれてないですけど、兄様がひとり。後は、おじい様と両親ふたりですね」
兄はツンケンしているが、それも含めて楽しい家族だと、セラは地面に落書きしながら答えた。
では、もうひとりのカトレアは?といえば、彼女の家族は父親1人だという。
ダンデと同じ様に、母親を病気で亡くしたらしい。
「わりぃ、デリケートな事聞いちまって……」
「別に構わないわ。私が物心つく前には亡くなられてるから、正直覚えてないのよ。でも、お父様は辛かったと思うわ」
お父様は、お母様をとても愛していたから。
カトレアの一言に、ダンデは胸が苦しくなるような痛みを覚えた。
普通に、愛し愛され夫婦になったカトレアの両親。
方や、愛人として都合の良い立場にいた自分の母。
「母さんも、愛されたかっただろうな」
お前の母親が羨ましいよ、とは言えなかった。
しかし、カトレアは察したのだろう。
彼女は、話を変えようと、「そういえば」と切り出した。
「『朝露の木』の事、お母様からお話を聞いたのよね?どんなお話だったのかしら?」
「あー、確か……、俺が産まれてない頃に、クソ親父が連れてってくれたんだとよ、その『朝露の木』に。開花した瞬間を一緒に見たけど、それが、あんまりにも綺麗だったって話」
「……何かごめんなさい」
話を変えたはずなのに、墓穴を掘ったと、苦い顔をしているカトレアに、ダンデは、思わず吹き出した。
「はははっ!そんな顔すんなよ。あっ、そろそろ咲く時間帯だぜ?」
真っ暗だった樹海に、光が差してきた。
その光に照らされるように、草木についている霜がキラキラと輝く。
暗い樹海の中で差してきた、貴重な朝日に目を瞬かせていると、セラが「アッ」と声を上げて見上げた。
それにつられて上を見ると、『朝露の木』が次々と開花を始めていた。真っ白い花が、木を埋め尽くすように咲いていく姿に、ダンデは目を見張った。
「ねえ、ダンデ? 私、お母様は愛されてたと思う」
突然、さっきの話を掘り返してきたカトレアにダンデは、「はぁ?」と首を傾げた。
「聞いた話だけど、私のお父様は、綺麗な物とか、絵をたくさんお母様に差し上げてたの。きっと、愛するお母様に喜んで欲しかったのだと思うわ。」
「それがどうした?」
「だから、きっと貴方のお父様も同じよ。こんな美しい景色を見せたいと思うのは、ダンデのお母様に喜んで欲しかったからじゃないかしら?」
それって、とても愛のある事じゃない?
そう、カトレアはダンデに告げた。
その時、ダンデの心を縛っていた鎖がひとつ解けたような気がした。
(その時だけかもしれねぇ、でも、たった一時だけだとしても、確かに母さんは愛されてたんだ)
「あっ、魔法鉱石が落ちてくるわ」
カトレアの手に、澄んだ水色をした魔法鉱石が落ちてきた。
ダンデの目からは、少しだけその輝きが滲んで見えたのだった。




