9 悟の幸せな一日
悟&和花視点
土曜日の午後。
今日は、朝から誰もいなかった。僕の両親はとても仲が良いので、休日も度々こうして僕を放置し2人で楽しく出かけている。
正直もう慣れっこだし、今更この年で寂しいなんて気持ちはない。幼い頃は、せめて兄弟がいればと思ったものの、すぐにどうでも良くなった。だって、僕の隣にはずっと和花がいたのだから。
部活動をどうするか決めきれずにいた僕は、昼食の後部屋でパソコンを開き、音楽を聴きながらネットで調べ物をしていた。中学までの僕なら迷わず文化系の部活を選ぶ所だけれど、いっそ運動部にでも入ろうかと思い始めたからだ。
どうせなら背を伸ばしたい。細身で頼りないこの身体つきを、少しでも逞しい体にしてやりたい。
背を伸ばすならバスケかバレーか。全身に筋肉を付けるなら水泳もいいな…。
ピンポーン。
思案しているとチャイムが鳴り、玄関を開けると和花が扉の向こうに立っていた。今日はずっと家に居たのだろう、ラフな格好をしている。それがまた、似合っていて可愛い。
休日にまで和花に会えるなんて、隣の家とはいいものだ。
「どうしたの?」
「ううん、特に用がある訳じゃないの。ちょっと、入ってもいい?」
「勿論だよ、どうぞ」
たまに、和花のおばさんからうちの母さん宛に用事があって、それで和花が僕の所へやって来る。今日もそういったものかと思ったのだが、違うようだ。
なんだろう……。
「コーヒーでも飲む? 何か淹れようか」
リビングに通そうとしたら、和花がやんわり断った。
「いいよ、喉乾いてないから。それより、久し振りに悟君のお部屋へ行こうかな」
「僕の部屋? いいけど、散らかってるよ」
僕は面食らう。
急にどうしたんだろう、和花。もしかして、これは…
僕の心臓が跳ね上がる。
この前の返事を、しにきたのだろうか………。
部屋に入ると、そのままにしていたパソコン画面に和花が目を留めた。
「悟君、スポーツに興味あるの?」
「ああ、うん……部活、どれにしようか迷ってるとこ」
「意外だね、運動部に入るんだ」
「運動は苦手なんだけどね。頑張ってみようかと思ってさ」
「いいと思う、頑張って」
にっこりと笑い、和花は床に腰掛けた。
そのまま少し黙って僕の顔を見た後、首を軽く傾げる。
「悟君。一緒に、なにかして遊ぶ…?」
「……えっ?」
僕は余程驚いた顔をしてしまったようだ。
和花がバツの悪そうな顔をした。
でも、遊ぶって……突然、なに!?
和花の考えていることが全く分からない。この前の返事じゃないのか……。
「ごめんね、わたしも何していいのか分かんないや」
肩をすくめ、少し困ったように眉を寄せた。
その仕草があまりにも可愛くて、僕の身体が硬直する。そんな僕の気も知らず、和花が距離を詰めてきた。立ち尽くしたままの僕の足元までやってきて、僕を見上げ柔らかく笑う。
「それより、お話する方がいいかな?」
「……かな?」
これが噂に聞く上目遣いというやつか。
僕は背が低いから、滅多にお目にかかれない。
これは………かわいい……!
ごくりと喉を鳴らす僕の目の前で、和花が明るい声を出してくる。
「そうだ、何か悩んでいることがあったら、わたしに何でも言って! 相談に乗るよ」
そんなの、今すぐ君を抱きしめたい……
伸ばしかけた手をピタリと止めた。
そうだ。この前の返事がまだだ。
和花は結局、僕の気持ちに答えてくれる気でいるのだろうか。
「和花、僕は…この前の返事が聞きたいんだ」
「この前の…?」
「映画館で言ったやつだよ。和花は僕の事、…どう思っているの?」
和花を見つめる視線に、力を籠める。
心臓がバクバク音を立てている。和花は僕の事を、嫌いではないと思う。だからと言って好きかといえば…はっきりいって自信はない。ないけれど、僕が嫌いでないのなら、付き合ってみても構わないと思ってくれたらいいな……。
縋るような気持ちで和花を見つめる。
僕の視線が重たいのか、和花の顔が少し引き気味になっていた。慌てて表情を緩ませ、取り繕うように笑顔を見せる。
「オッケーだよ」
にこりとして、和花が僕に応えてくれた。
身体の熱が一気にあがる。僕は今、破顔という言葉がふさわしい顔をしているに違いない。喜びと興奮のあまり、全身が蕩けそうになっていく。
「本当に? 嬉しい……」
和花の手に、そっと自分の手を添えた。
小さくて柔らかな可愛い手。僕に手を触れられ、それでも嫌がらず受け入れてくれている。
嬉しすぎて。和花の手が温かくて、もっと温かいものに触れたくなって。
そのまま、僕は和花を抱きしめた。和花の体温に、甘い匂いに、ドキドキする。
あの時、勇気を出して良かった。
僕はようやく、隣のこの子を手に入れたんだ。
和花も僕の背中に、そっと両手を回してくれた。
◇ ◆
昨日は部活があったので、悟君と一緒に帰ってあげられなかった。
お姉ちゃんがいなくて寂しかったかな、悟君。
気になったので次の日、悟君のおうちに行ってみた。久し振りだな、悟君のお部屋。おじさんとおばさんは2人で出かけていたみたい。悟君のご両親はとっても仲が良い。デートかもしれない。
悟君の家に行ったはいいけれど、何していいのか分かんない。
こういう時、姉と弟って何するんだろう。私はお姉ちゃんとお喋りして過ごすけど、妹だからね。弟もお喋りとかでいいのかな?
そうだ、悩み事があるなら聞いてあげよう。なんだか姉っぽい。
「悟君、悩んでることがあったら、わたしに何でも言ってね?」
そう、姉らしく優しく言ってあげると、悟君は真面目な顔をわたしに向けた。
なんだろう、少し身構える。
「和花、僕は…この前の返事が聞きたいんだ」
「この前の…?」
「映画館で言ったやつだよ。和花は僕の事、…どう思っているの?」
映画館でって、わたしを姉として見ていたってやつ?
どう思っているも何も、わたしちゃんと『分かった』って言ったのにな。周囲がざわついていたせいで、悟君聞き取れなかったのかな。もちろんOKに決まってる。
「オッケーだよ」
にっこり笑ってそう言うと、悟君が今まで見た事がないくらい嬉しそうな顔をしてくれた。カーペットの上についていたわたしの手の甲に、悟君の手のひらが被さりキュッと掴んでくる。
悟君の手が想像したより大きくて、少しドキリとしてしまった。小柄な悟君の手は、男の子にしては小さい方なんだろうけど、それでもわたしよりは大きい。
わたしの返事がよほど嬉しかったのか、悟君がそのままギュッとしがみついてきた。どうしよう、こういう時は背中叩けばいいのかな? ポンポンと、慰めるように手のひらで軽く叩いてみる。なんだかよしよししているみたい。
「嬉しいよ和花…。なんだか夢みたいだ」
大げさだな、悟君。
可笑しくなって、口の端からくすりと笑いが漏れた。
悟君は感極まっているようで、わたしにしがみついたまま離れない。じっとこうしていると、なんだか段々、おかしな気分になってきちゃう。
悟君は、細身で小柄で。
全然がっしりしてなくて。
それでも、こうしていると。
男の子の匂いがして。くっついた身体の感触は全然柔らかいものではなくて。あ、悟君も男の子だったんだなあ、なんて今更のように感じてしまう。
「ああそうだ、休み明け学校に行ったら、僕たちの事柚葉や桜介にも報告しなきゃ…」
「え、言わなくていいよ」
わたしの弟になりました、なんて。隠しておいた方が良いんじゃないかな。
そんな恥ずかしい事、オープンにする必要ないと思うな。
悟君は、なぜか少し不満気だった。