3 お隣さんがやってきた
柚葉視点
ピンポーン。
家に帰り、リビングで紅茶を飲み寛いでいると、チャイムを鳴らす音がした。
「はいはーい」
めんどくさいなぁ、と軽く舌打ちしながら玄関に向かう。うちは母も働いているので、夜になるまで、家の中は私一人しかいない。
ピンポーン。
玄関に辿り着くまでに、再びチャイムの音がした。
宅配便だと思った私は、取り敢えずハンコを手にし、扉を開けた。
ガチャリ。
そこには、紙袋を手にした桜介が立っていた。
「…………桜介?」
「遅かったな、さっきから何度か鳴らしてたんだぜ。まあいいや、あがらせて」
「あー、今日は帰りに本屋寄ってたから……て、なに勝手に入ってんのアンタ?」
「なんか、久し振りだな、柚葉んち」
「けろっとした顔でリビング向かわないでよ」
桜介はてくてくと迷いもなくリビングへと向かっていく。
勝手知ったる柚葉んち、といった体だ。遠慮のえの字もないまま、桜介は我が家のソファにどっかりと座り込んだ。そこ、私の紅茶を置いたテーブルの真ん前なんだけど……。
無駄に長い足を組み、腕をソファの背に掛け寛いでいる。歓迎されていない人んちで良くもここまで寛げるものだと、その図々しさに心の底から感心する。
「…なにしに来たの?」
「ん? ああ、これ」
桜介が手にしていた紙袋を私に差し出した。中には包装された薄い箱が入っている。まるで引っ越しの挨拶の時に配る手土産のよう……って。
視線を一気に紙袋から上にあげた。私の目に、にやりとした桜介の顔が映る。
「戻ってきた、って言っただろ。親の転勤でまたこっちに帰ってきたんだよ。今日越してきたから、その挨拶」
「帰ってきたって、まさか、隣!?」
「他にどこがあるんだよ。元々、転勤は短期の予定だったらしくてさ、家は売らずにそのまま残してあったんだ。誰も隣、越してこなかっただろ?」
そういえば、桜介の家はずっと空き屋のままだった。
「それにしても中途半端な時期に来たんだね……。高校、今日から来たの?」
「んなわけねぇだろ。ほんとは3月末にこっち来ようとしたんだけどさ、引っ越し費用がバカ高過ぎて時期ずらしたんだよ。だから昨日まで、市内のばあさん家にお邪魔してたんだけど、これが学校まで遠いわ夕飯は時間が早いわで大変でさあ」
「へぇ……」
そこまでまくし立て、喉が渇いたのか、桜介が目の前にある紅茶を手に取り啜り出した。
って、それ、私が飲みかけていた紅茶……!
「ふぅ――」
一口しか飲んでいなかった紅茶が、一瞬でカラになった。
それ、お高い紅茶なのに……。
桜介に再会し、蘇る苦い記憶を素敵な紅茶で上書きしようと意気込んで淹れた、取って置きの春摘ダージリン50グラム3000円がぁ……。
「渋いな、これ」
うえ、と舌を出すんじゃない。
嫌そうな顔するなぁぁぁ!
「もう帰ってよ、桜介」
「冷たいこと言うなよ柚葉。久しぶりの再会じゃん」
「久しぶりの再会は昼間もう、終わらせた。引っ越しの挨拶の品も頂いた。用件は全て終えた、だからさっさと帰れ」
「ひっでぇ……」
不満げに言い、桜介がソファからゆっくりと身を起こした。私の側へ寄ってこようとしたので、大股で後ずさり、あからさまに桜介から距離を取る。昼間みたいにまた締め上げられたらたまんない。
桜介が口の端をピクリとあげた。
「…なんで逃げんの?」
「身の安全のために」
「そんな警戒しなくても、なんもしねぇよ」
嘘つけ!
唇を尖らせふくれ出す桜介を、ぎろりと睨みつける。
「警戒するに決まってるじゃない! 昼間、桜介が私に何をしたか、ちゃんと知ってて言ってる?」
「再会の抱擁だよね」
「和花とおんなじことをアンタが言うな! あれはそんなお綺麗なものじゃなかった……私は死ぬかと思った……」
「え? なに柚葉。俺に抱きしめられて、死にそうになるくらいドキドキしてくれた?」
「物理的に息の根が止められるかと思った」
今度は頭が痛くなってきた。なに、そのおかしな脳内変換は。
「分かった。悪かったよ。今度は、力加減に気をつける……」
「ほんとに気を付けてよね……って、違う、そうじゃない……なぜにまたあれをやる前提で話をしてるんだ…」
「なぜって……」
言いかけて、桜介が言葉を止めた。
そのままゆらりと私に近寄って来る。怪しい雰囲気に再び後ろへ後退すると、背中に冷蔵庫が当たってしまった。あ、行き止まり。
焦る私を見下ろして、上から下までちらりと見回して、一言。
「柚葉、彼氏いないだろ」
「失礼な!」
「じゃあ、いるの?」
「いないけど。いないけど…!」
桜介は、冷蔵庫に軽く片手をつき首をわずかに前へと傾けた。ピンク味を帯びた、柔らかそうな前髪がふわりと揺れる。薄い唇の端を余裕たっぷりに引き上げて、私を捉え楽しそうにクスクスと笑っている。
ち、近いって!
身体を寄せられ、不覚にも頬が熱くなってくる。これ、私からかわれているな…。
桜介の魂胆がなんとなく読めてきた私は、この状況に無性に腹が立ってきた。目の前で圧力をかけ続ける我が幼馴染を、じろりと睨み付ける。
桜介は、腹の立つことに見た目だけは格好良い。中身にさえ目をつぶれば寄ってくる女の子は幾らでもいるんだろう。今だって、5人くらい彼女がいるんだきっとそう。
そして、男っ気のない私を馬鹿にするつもりだな………!
「俺もさ、引っ越しして中学時代のコ達とは全部切れたから、今、フリーなんだよね」
「だからなによ。それがなんだって言うのよ」
「だからさ」
囁くように口を開き、桜介がその端正な顔をぐいと寄せてきた。仄かに香る甘い匂いが、妙にくすぐったい気分にさせられる。
緩やかに揺れる前髪の奥で、くっきりとした二重の甘い瞳が僅かに細められた。
「柚葉、俺と付き合わね?」
パッシ――――ン
桜介の頬を打つ音が、リビング中に響き渡るのだった。
◇ ◆
「はああああ………」
力が抜け、冷蔵庫を背に私はへなへなとその場にへたり込んだ。
じわじわと痺れる手のひらを見つめると、真っ赤な色に変化していた。手首にも響くような違和感が残っている。叩いた私の方がダメージが大きかったのかも知れない、桜介はあの後すぐ、けろりとした顔をして帰っていった。
「反射的に叩いてしまった……」
膝に両腕を回し、その上に顎を乗せた。心臓が今更のようにどくどくと波打ってくる。
「だって、あんな事言うんだもん」
久し振りに再会した桜介は、意地悪していただけの昔の桜介とは違っていて。すっかり変わってしまった見た目の通り、軽い男になっていた。
『俺と付き合わね?』
消しゴム貸して? くらいの気軽さだったな。
なにそれ。私の事嫌いなんだよね?
桜介の考えてる事、全然わかんない。
軽く息をつき、少し顔を上げる。途端に、桜介の痕跡を残すかのような甘い匂いがふわりと鼻腔を掠めた。
「………っっっ!」
私は慌てて立ち上がり、自分の部屋へと駆け込んで行った。
桜介「ってええええ……」