2 和花と幼馴染
和花視点、のち悟視点。
悟君、可哀想に。
顔をちらりと横に向け、隣に並んで歩く幼なじみの悟君を、そっと視界に入れてみた。いつもと変わらず、優しい悟君らしい、穏やかな微笑みを浮かべている。
悟君は、放課後になると毎日わたしを迎えに来て、一緒に帰ろうと誘ってくれる。
幼い頃からずっと側にいたわたしには、これがどういう意味なのかちゃんと分かってる。悟君は、本当は柚葉ちゃんと一緒に帰りたいんだ。悟君は柚葉ちゃんが好きなんだ。
根拠だってちゃんとある。悟君は時折、何かを訴えかけるような視線を柚葉ちゃんに向けているのだ。そう、さっきのように。
先に帰ってて!
そう言って本屋に入ろうとした柚葉ちゃんに、悟君が合図のような笑顔を向けていたのを、わたしはこの目でしかと見た。
それなのに柚葉ちゃんは誤解をしている。
悟君が私を好きだと思い込んでいる。
そりゃ、悟君はわたしが好きだとは思う。でもそれは家族に対する好きみたいなもので、女の子としての好きとは違うんじゃないかな、とわたしは思っている。だって悟君は優しいけれど、わたしにだけ優しいって訳じゃない。
その点、桜介君は絶対柚葉ちゃんの事が好きだと思う。だって桜介くんてば、柚葉ちゃんには可愛いイジワルばかりして構い倒しているんだもの。誰にでも優しい悟君とは違って、桜介君は柚葉ちゃんにしかあんなイジワルしないしね。
久し振りに再会した桜介君は、柚葉ちゃんをあんなにも情熱的に抱きしめていた。視線もなんだか熱っぽかったし、どこからどう見ても柚葉ちゃんが好きなんだとしか思えない。当の柚葉ちゃんは、まるで気が付いていないけど。
悟君、可哀想に。
そう、桜介君が帰って来ちゃった。
久しぶりに会った桜介君は、とってもカッコよくなっていた。
背も高くなっていたし、端正な顔立ちも堂々とした態度も相変わらず素敵だった。悟君も、整った顔はしているものの、全体的に地味な出で立ちだ。わたしは、悟君の落ち着いた見た目や雰囲気はとても好ましいと思うけれど、大多数の女子は桜介君の方に目が行くんじゃないかな。そして、それは柚葉ちゃんもきっと…。
不憫な幼なじみを、ついつい憐みの目で見つめてしまう。わたしの視線に含まれる憐憫の情に気づいたのか、悟君が少し頬を赤らめ、恥じ入るように視線を逸らした。
ごめんなさい、悟君。
可哀相な目で見られたって、悟君だって嫌だよね。
「あ、今週からこの映画、始まるんだ」
反省して視線を余所に向けていたら、駅の壁面に映画のポスターが貼られていた。わたしの好きな少女漫画の実写版だ。ちょっと気になってたんだよね、これ。
悟君がわたしの視線に気がついたようで、ポスターに目を留めた。
「和花、これ見たいの?」
「うん。原作の漫画がすごくいいお話で、映画化するって聞いてからずっと、見てみたかったの」
「じゃあさ、次の日曜、予定ないなら一緒に見に行こうよ」
悟君が明るい声を出した。
残念。次の日曜、柚葉ちゃんは用事があるって言っていた。わたししか付き合ってあげられない。
「次の日曜は駄目だよ、柚葉ちゃんが一緒に行けないよ」
「………そっか」
悟君が、肩をがっくり落としてる。
そんなに、柚葉ちゃんとお出かけ、したかったのかぁ。
わたしだって残念だ。この映画見に行きたいなぁ、再来週なんて待ちきれないや。一人で行くのも寂しいし、柚葉ちゃんがいなくて悪いけれど、悟君、付き合ってくれないかな。
「悟君、ごめんね。やっぱりわたし、本当の事言うとすぐにでもこの映画見に行きたいんだ。一人で行くのも寂しいからついて来てくれる?」
「勿論だよ。一緒に行こう」
わたしの厚かましいお願いに、悟君は笑顔で頷いてくれた。
「わたしと2人だけど、いい?」
「全然構わないよ」
悟君はやっぱり優しいな。
女の子向けのこの映画、きっと悟君からしたらつまんない内容だろう。柚葉ちゃんもいなくて、いいこと何もないはずなのに、わたしのお願いをニコニコ笑顔で聞いてくれるんだ。
こんなに優しい悟君に好かれて、柚葉ちゃんが少し、羨ましいとわたしは思うのだった。
◇ ◆
よっしゃ!
僕は、心の中でぐっと両手を握り締め、小さなガッツポーズを作っていた。
日曜は、和花と二人きりで映画デートだ。
頬がだらしなく緩むのを必死で抑え、表情が笑顔で治まるように気を付けた。和花は、こんな僕の胸の内も知らず、申し訳なさそうな表情を浮かべている。
ごめんね、なんてとんでもない。
和花は、2人きりだと僕が嫌がると思っているのか、何を誘いかけてもいつだって、柚葉も仲間に加えようとする。
夏祭り。初詣にお花見に、文化祭や体育祭の打ち上げに、学校からの帰り道だってそうだ。僕が幾ら勇気を出して誘っても、和花はその都度、当然のように柚葉にも声を掛け、結局3人で出かけることになる。
柚葉は、僕の気持ちに薄々気が付いているようで、たまにこうして気を利かせてくれる。
でも、当の和花は、僕の気持ちを欠片も気付いてくれない。
和花と僕は、家が隣で、保育園時代からずっと一緒という典型的な幼馴染だ。
だからかもしれない。僕は和花に、異性と認識されていない気がしている。他人よりもずっと近くにいて、近すぎて、逆に意識されていないのでは、と踏んでいる。
和花が好きだから、幼い頃からずっと優しくし続けてきた。それが却って、優しい兄だとか、そういった家族のようなカテゴリに当て嵌められてしまったんじゃないかと危惧してる。僕は、優しくて真面目だとよく褒められるけれど、それはつまり刺激が足りていないのだ。
ガタゴトと揺れる電車の中で、ぐるぐると思考を巡らせていたら、さっきまで感じていた頬のほてりが程よく冷えた。ふぅ、と軽くため息を一つつく。
「そういえば、今日ね、桜介君に会ったんだよ」
「え、桜介?」
「うん。廊下でばったり会っちゃった。同じ高校だったみたい、帰ってきたって言ってたよ」
「へぇ……懐かしいな」
思わず目を細めた。
桜介か。あいつは僕とは真逆で、好きな子にだけは素直に優しくできない奴だった。柚葉に意地悪ばかりして、怒られてばかりいたっけな。
あんな風に柚葉をからかってばかりいて、それなのに喧嘩の名のもと楽しそうに言い合いしていた2人は、僕の目には羨ましいくらい仲が良さそうに映っていた。
「桜介君、カッコよくなってたなぁ」
「へ……え」
和花が、にこやかな顔をして桜介を褒め出した。
僕は、引き攣れたような心持ちで、和花の話に耳を傾ける。
桜介は、同じ男の僕の目から見ても、文句なしに格好良いやつだった。
顔立ちは勿論整っていたけれど、あいつの格好良さはなにも見た目だけではない。何をするにしても自信に満ち溢れていて、前向きで卑屈なところがない。なにかを失敗しても、例えば走っていてこけたとしても、堂々としているせいかそれすら格好良く見える。その余裕のある態度が、元々整っていた桜介の容姿と相まって、一層格好良く見せていた。実際、女子の人気も高かった。
「背も高くなっててね、髪も染めてたんだけどそれがまた似合ってて、素敵になってたよ」
「………そう」
屈託なく話す和花をちらりと見、すぐさま目線を外し、本日2度目のため息を吐いた。
桜介は、当時からクラスの中でも体が大きい方だった。
一方の僕は小柄で、今でも背丈は160をほんの少し過ぎただけ。
和花よりかは高いけど、ヒールを履かれると逆転する程度の差しかなくて、目線の位置はほとんど変わらない…。女の子と変わらない身長というのは、中々、男として情けなく感じるものがある。僕の、数多あるコンプレックスの中の一つだ。
和花も、桜介のようなタイプの方がいいのかな……。
唇の端をぎゅっと噛み、目線を下へとおろした。
慌てて首を左右に振る。だめだだめだ、弱気になっちゃダメだ。
……桜介はまだ、柚葉が好きなんだろうか。
あの二人、くっついてくれないかな。そうしたら、僕も安心できるんだけど……。
その後、何でもない会話をしながら、僕は和花と一緒に自宅までの道のりを、ゆっくりゆっくり歩くのだった。