1 柚葉と幼馴染
「柚葉……?」
「げ………桜介!」
私は、ヤツとの再会を果たしてしまった。
こんな運命の出会い、正直いらない!
それは高校に入学して、1週間ほどが経過したとある昼休みのこと。
お弁当を食べ終え、お手洗いにでも行くか、と女子高生らしく友達の和花と一緒に廊下を歩いていた丁度その時。
背後から名前を呼ばれ、振り返ったらヤツがいた。すっかり低く様変わりしていた声に、気付かず振り向いた自分が憎い。
佐久間桜介。
保育園が同じで、家が隣という典型的な幼馴染。年も同じで親同士も仲が良く、幼い頃は天使のように可愛い顔をしていた桜介と私の間には、マンガや小説にありがちなラブロマンスが繰り広げられていた。
―――と、周囲にはなぜか思われていた。
現実は逆だったけどね!
残念な事に桜介は、――――私に対して、とーっても意地悪な幼馴染だったのだ。
「桜介、同じ高校だったの………」
小学校卒業と同時に、親の転勤で私の前から姿を消した桜介。もう、2度と会う事はないと思っていたのに……。
咄嗟に髪を両手で抑え込み、臨戦態勢で身構えながら一歩、後ずさる。
懐かしいな。昔、散々引っ張られたな、髪。
それにしても、桜介、変わったな…。
私は、目の前に立つ幼馴染をちらりと見上げた。
相変わらず端正な顔だけど、そこにはあの頃にはない男らしさが加わっている。背も伸び肩幅も増え、少年から青年への変化を感じさせる身体つきをしていた。
髪も、記憶に残るあの頃とは全然違う。昔はサラサラとした黒い髪をしていたけれど、目の前にいる桜介の髪には緩やかなパーマが当てられ、ピンクアッシュに染められている。
声を掛けられていなかったら、私、気付かなかったかも。
ん? てことはつまり、あっさり声掛けられた私の方は、変わり映えしていないって事かぁ…。
か、悲しい…。
「柚葉、俺戻ってきたぞ」
頬を紅潮させ、口元を綻ばせながら、桜介が一歩前へ出る。
なにあの嬉しそうな表情。良からぬ事を企んでそうな顔しちゃって、コイツ、私に一体何する気…。
「も…戻ってきた、って……」
警戒する私の目の前で、桜介の足が廊下を蹴り上げた。
一気に間合いを詰められ、紺のブレザーが視界いっぱいに広がってくる。桜介の両腕が、息を飲んで立ちつくす私の背中に回された。ふわりと、ムスクのような甘い香りが漂ってくる。
……って、なにやってんの、桜介!
「ちょ、待った、桜介……?」
「高校まで一緒だとは思わなかったぜ。今日からよろしくな、柚葉」
「ぐ、ええええ………!」
相変わらず意地悪な桜介は。
私の身体を、そのままギリギリと締め上げ始めたのだった…。
◇ ◆
「びっくりしたぁ、桜介君、またこっちに帰ってきたんだね」
「…………」
和花が呑気な声をあげた。
私はむっつりした顔を和花に向けた。
和花は、小学校時代からの友達だ。なので、桜介の事も知っている。
「あれ、感動の再会じゃないの? 柚葉ちゃん」
「あれのどこが感動の再会なんだよ」
「熱い抱擁だったじゃない。やっぱり、桜介君は柚葉ちゃんが好きなんだなぁって、わたし感動して見ていたんだよ」
「和花、さっきのあれは、抱擁ではなくベアハッグって言うんだよ」
突然、私に抱き付いて来た桜介は、呆ける私を放置し、どんどん腕に力を込めてきた。酸欠になった金魚のようにもがく私を、それでも嬉々として締め続けた桜介は、鬼だ。
再会して早々に嫌がらせをされた。本当に、相変わらず桜介は私を嫌ってる。
「プロレス技をかけられて苦しんでいたんだよ。感動の要素、どこにもないない」
「え~~~~……、それにしては、情熱的な抱擁だったと思うんだけどなぁ」
私の言葉、耳に入ってんのかな。
和花は頬を染めながらウキウキと私をからかい続ける。
ふぅ、と息を吐いた。
そういえば、昔から和花はこうだった。なぜだか和花は、桜介が私を好きだと思い込んでしまっているのだ。恐らく少女漫画の読みすぎだろうと私は睨んでいる。
昔から散々、桜介には意地悪されてるのになぁ。
私の大嫌いな毛虫を「はい、あげる」と悪魔のような笑顔で差し出してきた保育園時代。砂場でお城を作っては壊され、絵を描いては上から落書きをされ、常に、優しいの対極線上にヤツはいた。
小学生になると桜介の悪ガキぶりには更に磨きがかかり、スカートはめくられるわ、髪は引っ張られるわ、給食では最後に食べようと楽しみにしておいたデザートを横取りされるわ等々、私は散々な目に遭わされてきた。
こんな私達の様子を、和花は間近で見ている筈なのに。こんなの、どこからどう見ても、桜介は私を好きじゃないでしょ。というか、嫌いだろ。
腑に落ちない。幼馴染は=両想いなんかじゃないんだよ。
むしろ………和花こそ、気付きなよ……。
「和花、お待たせ。帰ろうか」
「あ、悟君」
教室の入り口に目を遣ると、黒髪の大人しくて真面目そうな男子生徒が和花に笑みかけた。和花の幼馴染である、有村悟だ。
毎日のように私達の教室に来ては、和花と一緒に帰ろうとする。健気なやつだ。
昔からずっと、悟は和花にべったりだ。高校だって、悟ならずっとレベルの高い所に行けたのに、和花に合わせて同じ学校を受験した。ここまでされておきながら、何故か和花は、幼馴染=両想いの公式を自分には適用しようとしない。
私と桜介をからかう前に、和花は自分を顧みた方がいいと思うよ!
何処からどう見ても、悟は和花に惚れてるとしか思えないのに、どうして和花は気がつかないのか、今日もお気楽に悟の心を打ち砕く。
「悟君来たし、帰ろっか。柚葉ちゃん♪」
「う、うん」
和花!
悟は、あんたと2人で帰るつもりで誘ってんだよ。私は放っときなよ…
同情しながら、ちらりと悟の顔を見た。落胆と諦観が入り混じる、微妙な表情を浮かべている。
私も、この2人とは小学校から同じなだけに、帰る方向は最寄り駅を下りるまで全く一緒だ。なので和花は、悟の誘いが私も含められたものだと思い込んでいる。
まあ、はっきり言えない悟も悪いんだけど。
3人で下駄箱に向かい、3人で校門を出た。和花の両隣に私と悟が並ぶ、おなじみの定位置。
真ん中にいる和花は、私に嬉々として話しかけている。悟は、自分に向けられない和花の笑顔を、切なそうに見つめている。哀れだなぁ……。
気の毒に思った私は、駅へ向かう途中、見つけた本屋へ入ることにした。
「あ、そういえば私、今日、本屋で探し物があるんだ」
「あれ、そうなの?」
「ごめん和花、悟。私、寄り道して帰るから、またね!」
「うん、じゃあまた明日ね、柚葉ちゃん」
悟が、サンキュ、と言いたげな目を私に向けてきた。
その後、自分にようやく向けられた和花の視線を、幸せそうに受け止めている。
頑張るんだぞ!
私は、心の中で悟に檄を飛ばすのだった。
◇ ◆
幼馴染……か。
言い訳をして入った本屋で、ぶらりと漫画雑誌を手に取った。
探し物なんて当然ありはしない。2人が電車に乗るまでの時間を、ここで適当に潰してから駅に向かうつもりでいた。
パラパラとページをめくると、和花の好きそうな幼馴染の恋愛漫画が載っていた。
和花と悟は、仲いいよねえ。
軽くため息をつき、本屋の窓から2人と別れた道路の先をぼんやりと目で追ってみた。遠ざかる2人の後姿は、もう跡形もない。
私も、桜介と仲良く出来たら良かったのに、な。
桜介が好き、という訳ではないけれど。仲が良い幼馴染、それはきっと素敵だろうと思ってはいた。親同士も仲が良いのだ。私達だって、険悪よりは友好的な方がいい、そう思って歩み寄ろうとした事もあった。
けれど、どうにもしようがない。
だって私、嫌われてんだもん。
桜介は、他の子には優しいのに、私にだけは態度も口調も意地悪なままで。だから私もつい、そんな桜介にキツイ態度を取り続けてしまい、結局最後までずっと私達は喧嘩をして過ごしていた。
『私、桜介に何かした? 私のどこが気に入らないの?』
原因が知りたくて、桜介に問い詰めてみたけれど、はぐらかされてばかりで結局まともに答えては貰えなかった。
だから。
桜介が居なくなった時、私は心底ほっとしたのだ。
もう、桜介の事を気にしなくて済む。
おかげで、中学の3年間は心穏やかに過ごすことが出来たし、桜介の事は、自分の中で過去のほろ苦い思い出として、すっかり消化したつもりでいた。
なのに。なのになのに……。
「なんで帰ってきちゃったんだよ……」
読みかけの漫画をパタリと閉じる。
桜介の甘い香りを思い出し、慌てて首を振りながら駅への道を1人、私はぶらりと歩き始めた。
桜介の髪は、明るいベージュにピンク味を混ぜて少しくすませたようなイメージ。
風紀とか校則とか深く考えてはいけません…!