好き
「好き、なの」
「好き」
「ずっと好きで」
「好きだったから」
独白のように連なるそれは、最後に「ごめんなさい」と付け加えられて地面へと落ちた。
風に乗るとは到底思えない鈍重な言葉。生まれた途端に息絶えて、虚空へと霧散しまるで世界の理に背いた罰だとでもいうように消えてしまう。
「えっと・・・・・・え?」
缶の落ちる音が聞こえた。
全てが重力に引かれていく。何もかもが地に伏せていく中、私と日菜の視線だけが空にあった。
「えーっと、結芽の言いたいことって。んん?」
あはは、と笑っておどける。いつも通り。誰にでも見せる友好的な表情に、じゅく、と心臓が溶けていくのが分かった。
「好きって・・・・・・あ、わたしも。わたしも結芽のことは好き、だけど・・・・・・」
しかしそれも長くは続かなかった。言葉にしてしまった大罪を裁判にかけられ、被告人である私は今、どういう顔をしているのだろう。きっと日菜が表情を曇らせるくらいなのだから、よほど酷いものなのかもしれない。
「結芽が言ってるのは、そういう好きじゃないんだよね」
私は頷く。頷いてそのまま、視線は上がらない。無数にある砂利の中から答えを探そうとするが、見つかるわけもない。頭上では息づかい。日菜が息を吸うたびに、次に何を言われるのか逡巡し、恐怖する。
言った。言ってしまった。何度も思い描いてきた天国と紙一重の地獄が現実となってしまった。この先は、私の妄想の中でもどうなるか分からない。考えないようにしていたから。
限界を超えてしまったのだ。私は。それが前に進むということなのか、それとも無謀な突貫なのか。それはきっと、すぐに日菜が教えてくれる。
「えーっと」
日菜の声色は、戸惑い。日菜は今、何を考えているだろうか。
どうすれば私を傷つけずに断れるか? どうすれば自然に、やんわりと拒絶できるか? 私の思考と日菜の思考の差に頭がくらくらする。このまま気絶したい。
「ほ、ほー」
鳥みたいな声を出して、狼狽しているのがせわしなく動く足元で察することができた。
「あの、結芽さん。結芽さんや」
顔を上げたくなかった。きっと言葉を聞かなくとも、私の視線が答えを捉えてしまうから。
笑っていても、失望していたとしても、たとえ怒っていたとしても、行き着くものは同じ。私のこの気持ちは、間違いだったということ。
それでも、ここまで踏み込んでしまったのだ。境界線を跨ぎ、異常の世界に飛び出した私は最後まで健常な世界を見届ける義務がある。だから、私は震える唇を噛みしめて顔をあげた。
「ひ、日菜」
「お、おー。結芽、どもども」
しどろもどろ。キョロキョロ。あたふた。
結芽の瞳はピンボールみたいに中で弾けて視線が定まっていない。耳まで赤くなって、手はハニワみたいな形で固まっている。
あ、あれ?
「そっか、や。まさかね。なるほどね。結芽はわたしのこと好きか!」
「うん」
「マジかー!」
「うん」
「マジか」
もう一度、うんと頷く。
「好き、なの」
「・・・・・・・・・・・・ぅ」
小さく唸るような声が微かに聞こえる。
夜の冷たい風が熱を持った頬を撫でていく。もう後戻りはできない、一種の諦めか、私は続けて言葉を紡ぐ。
「日菜が好きなの。友達としてじゃなくて、そういう意味で」
「はい」
「日菜、好きなの」
触れても、いいのだろうか。日菜の名前を呼ぶ度に、好きと口にする度に、胸の中に水のようなものが溜まっていき溢れ出そうになる。
それと同時に、様々な罪悪感。日菜と共有してきた思い出に、私はウイルスを打ち込んだようなものだ。どんどん黒ずんで、楽しいと思っていた記憶も、私によって不健全なものへと浸食されていく。
ごめん。
日菜は私を友達として大事にしてくれていたのに、裏切るような真似をして。
気付くと涙が漏れていた。
疼くように目の下が痛い。鼻が詰まって、口で不慣れな呼吸を開始する。ごめん、ごめん。と息継ぎと発声を行うと声が震えた。
「結芽」
日菜の指が伸びてきて、頬を伝う涙をすくう。
「泣かないでよ」
「でも、私。日菜を裏切ったから。ごめん。私、異常なの。普通じゃないの。変なの。友達の女の子を好きになる、変人なの」
いっそのこと蔑んで欲しかった。優しい言葉なんていらない。半端に哀れむよりは、私を叱ってくれと、引っぱたいてくれと、切に願った。
すると日菜は、ククと笑う。
「知ってるよ。結芽が変人だってことくらい」
「え?」
「結芽は時々変な行動するし、変なことも言う。知ってるって、そんなの。ずっと前から」
日菜の手が私の頭に乗った。いつかのようにそれは優しく撫でてくれて、私の涙腺はほぐれたように柔くなる。
「結芽が変な人だってことも含めて、私は結芽と一緒にいることを選んだんだから」
それは、喜んでいいのだろうか。一体私は何をされて、何を言われているのか。興奮と不安でめちゃくちゃになった脳に判断する余力などありはしなかった。
「それでさ、結芽はどうしたいの?」
「え?」
「や、だからさ。わたしのことが好きで、それはわかったけど。それで終わり?」
「えっと」
日菜の顔が寄る。星の輝きに呼応し煌びやかに光る艶やかな唇に私の視線は吸い込まれていく。好きで、私は日菜が好きで、それでなにがしたい?
「き、きす」
「キス?」
「う、うん」
顔が溶岩みたいに沸騰していく感覚に陥る。
「それだけでいいの?」
「それ、だけ?」
キス以上の報酬があるというのだろうか。あ、もしかして。手? 手を繋いでくれるのだろうか。それは、確かに、私にとってこれとないご褒美だ。
「その先はしなくていいの?」
「ぶふぁ」
胃液やら痰やら、色々なものがせり上がってきて先ほど飲んだコーヒーの甘みが口に広がる。
「な、ば! 日菜!? にゃ、にゃにをいって!」
「や、結芽の言う好きがそういうんなら、そういうんなのかなぁ~って」
言う日菜の顔も、赤かった。夜でも映えるその赤みは、きっと相当のものだ。
「し、したいこともない」
「なんで上から目線?」
「してあげてもいい」
「もっと上からだ!」
あわあわと自分で何を言っているのかも分からなくなってくる。舌、蝶結びにでもなっていないだろうか。
「結芽の家って、どっち?」
「え、あっちだけど。あっ」
方角を指した指を、そのまま日菜に掴まれた。
「じゃあ行こ」
「えっ、えっ」
日菜に手を引かれ、私の家まで直行する。
やがて見えてきた家の玄関で一度止まった。
「入っていい?」
「うん、今日はお婆ちゃんしかいないし。って、日菜っ」
扉を開けて、お邪魔しますという頃にはすでに靴を脱いでいた。私はただいまを言うことも忘れて、日菜の手に引かれていく。
まるで自分の家じゃないみたい。日菜の背中を見てそんなことを思う。いったい日菜はなにを考えているのだろうか。
いつだってそうだ。私が日菜の考えを当てたことなど一度もない。自由奔放で、優しくて、内には人間らしい弱みを隠している。たったそれだけのピースじゃ完成した時の絵を予想するなんて無茶な話だ。
私の部屋の前で再び入っていいかと聞かれたので、私は腰が引けたまま頷く。
手を繋いだまま、日菜は優しく私を連れ出す。寒空の下から、温かい部屋の中へと。
電気もつけないまま、暗闇の中私たちは進む。
「よいしょ」
日菜がベッドに腰掛け、私を見上げる。
「隣、きて」




