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置いてけぼりの戦意

 結芽とお昼を共にして、時間になるとプログラムの書かれたパンフレットを読みながら午後の部がはじまるのを待った。


 放送で案内がかかると胃の中身もそこそこに、最初の競技である大玉送りの定位置に向かった。歩くだけで横っ腹が痛く、すでにやる気が削がれていたわたしに対して結芽はふんすと鼻を鳴らして張り切っている。


 奥の方で赤い玉が跳ねているのが見え、構える。目の前でぽん、ぽん。腕を伸ばして大玉を後ろに飛ばそうとするも、直前にわたしの前の人がバレーボール部もびっくりのトスを見せたせいで腕は空振り。触れることすらかなわず大玉は遠くへ消えていった。


 どうやら結芽も同じだったらしく、空いた手を下ろして互いに笑った。


 そのあとは男子の騎馬戦をぼーっと眺めたり、棒引きに参加して、棒を持つフリだけしてことなきを得たりした。一度、保護者参加制の玉入れが行われ、わたしのお母さんが陽太と栞を連れてきた。


 中々カゴに入れられない栞を抱っこしてあげてサポートしたり、一気に玉を固めて投げて他の人に直撃させてる陽太を叱って、誰よりも投げるのが下手な結芽に投げ方を教えたりして。まるで保育士にでもなった心境だった。


 体育祭も大詰めとなり、ついに組対抗のリレーが始まる。


 現在、わたしたち赤組が白組に約500点差をつけてリードしている。これだけ差がついていれば勝ち確定だと思うけど、クラス対抗リレーはバラエティのクイズ番組で言うところの最後の問題で、配点がバグっているのだ。


 体育祭委員の子に聞いた話だと、確か勝った方には2000点が加点されと言っていた。来年には優秀な体育祭委員が入ってバランス調整をしてくれるのを祈るばかりだ。


「いよいよね、これで勝てばあたしたち赤組の優勝よ!」

「が、がんばりましょう・・・・・・」


 みんなを鼓舞する莉音とガチガチに緊張するいちかが対照的で面白い。だけど緊張だけなら結芽も負けていない。走者の待機位置であるトラックの中に手と足を一緒に動かして向かっている。


 わたしはのろのろと、マイペースに行くことにしよう。燃えたぎる戦意の中で、わたしだけが取り残されていた。


 乾いた空砲と共に第一走者、いちかが戦陣を切る。


 とはいっても、いちかの足は遅く、ひぃひぃ泣きそうになりながら走っている。かわいそうに。「いちかは・・・・・・最初にしましょう」と歯切れ悪く言っていた時の莉音の胸の内が、なんとなく分かった気がした。


 しかし運のいいことに、白組もこちらと同じ考えだったのか最初に足の遅い子を持ってきていた。ついている差だけで見ればいい勝負。だけどものすごくスローペースにレースが進行されていく。


 待機勢はレースの様子を応援しながら我が組の活躍を見守っていた。わたしはというと、小石を結芽の背中に投げて遊んでいる。


 小さな背中にコツン、コツンとヒットする。さていつ気付くのかなと待っていると、一度もこちらに振り返ることなく結芽の番が来てしまった。


 膝を曲げず、ブリキの人形みたいに白線を越える。


 やがて、赤組がリードした状態で結芽にバトンが渡された。


 最初はガチガチに体が固まってへんてこりんな走り方をしていたけど、徐々に姿勢が安定して足もよく上がっている。莉音に教わったことをきちんと実践できているようで思ったよりも速く走れていた。


「おぉー」


 意外な活躍を見せる結芽に目を奪われてしまう。小石を弄くるのをやめて頑張れーと心の中で応援する。


 後ろに結んだ髪が流星のように軌跡を描いてトラックを駆ける。出っ張りの少ない体が風を切り、服が空気を取り入れて膨らんだ。


 結芽自身もほっとしたようで、次の走者へとバトンを渡す。


「あ」


 周りも、わたしと同じように声を漏らした。


 視線が注がれたのはただ一点。地面を転がる赤いバトン。


 ころころ、ころころと。無情にも止まる気配を見せずに距離を離していく。


「・・・・・・ッ」


 慌てて結芽が拾い上げてもう一度、砂に塗れたバトンを渡す。今度こそしっかりと受け取り、しかし走り出した頃にはかなり離されている。


 一生懸命追いかけるも、白組の子も足が速くなかなか差が縮まらない。


 結芽は、ふらふらと蛇のような軌道で席に戻っていく。


 駆けつけたかったけど、次はわたしの番だから離れるわけにはいかなかった。


 走り終わった子が「ドンマイ!」「気にしないで!」と結芽に声をかけている。うちのクラスは良い子が多くて助かった。


 でも、その優しさが、不可視の残酷であることをわたしは知っている。


 なんとなく、バトンを落としたのは結芽ではなく、受け取った子のように見えた。けど、大事なのはそこじゃない。


「日菜っち~がんばれ~」


 手を振られて、わたしも振り返す。緊張感のない応援を背に受けながら考える。


 さて、この体育祭。もしわたしたちが負けたとしたら、誰もが敗因探しを始めるだろう。そのとき、最初にぱっと思い浮かぶのはきっと結芽が落とした、バトンである。


 勝利から遠のいたその一瞬をみな思い出し、それが敗因だと記憶する。


 まぁ、だからといって結芽をどうするってほどうちのクラスに悪い子はいない。むしろそれがきっかけで結芽という人間を知ることができると思う。


 だけど、重要なのはそこではなく、本当に危惧しなければならないのはみんなから見た結芽の印象だ。


 結芽をよく知らない人は、これからずっと、結芽を見る度に「バトンを落とした人」と思うだろう。そこに悪意はなくとも、印象っていうのはそういうものだ。


 走者が最後の直線に差しかかり、わたしはだらりと突っ立ったまま出番を待った。


 ――はたして。


 はたして、それでいいのだろうか。


 わたしは、すごく勿体ないことだと思う。


 桜川結芽という人間を「バトンを落とした人」とだけ認識するのは、人生を半分損してると言っても過言ではない。


 みんなは知らないかもしれないけど、結芽は一緒にいてすごく楽しい。冗談を言えば笑ってくれるし、逆に冗談を言ってくることもある。ぎこちないけど。


 普段はクールで、物静かだけど、ちょっと小突くだけで顔を真っ赤にして、変なことを言い始めたりする。挙動も不審で、顔をじっと見つめるとものすごい早さで逸らされたり。かと思えば手を繋ぎたいとか言い出したり、撫でてあげると気持ちよさそうに目を細めたり、ちょっと甘えん坊なところもある。


 そんな結芽を、ただ一度の失敗で印象づけてしまうのは、本当に勿体ない。


 結芽は、結芽はそんな子じゃないよ。


 先にバトンを受け取った白組の子が走る。どんどん離れていって、トラックの3分の1ほど通過したところで、ようやくわたしの背後に気配を感じる。


 ――あ、でも。


 ひとつ、疑問が浮かんだ。


 もし、もしなにかしら奇跡が起きて。や、奇跡というか。


 そう、莉音がめちゃめちゃ頑張ってくれて。瞬間移動みたいな離れ業を披露して赤組が勝利したとしたら。


 結芽の「バトンを落とした」件を思い起こす人はいないんじゃないだろうか。逆に笑い話にでもなって、結芽との交流を深めるいい機会になることだってありえる。


 うん、いいアイデア。


 勝てばいいんだよ勝てば。


 そうすれば結芽はいらない罪を被ることなく、みんなと仲良くできる。


 まぁ本人がそれを望んでいるかはわからないけど。結芽って人見知りだから。


 ちらりと、結芽を見る。


 表情が陰り、ぎゅっとズボンを握っている。


 悔しい。そういう表情。


 そりゃそうだ。あれだけ一生懸命走ってたんだもん。


 あれだけ頑張れば、悔しいに決まっている。


 大丈夫、アンカーの莉音がきっとなんとかしてくれるから。


 きっと、頑張ってくれるから。


 それか。


 バトンを落としたなんて事実が霞むほどの、びっくりする出来事でもあれば、いいんだけどね。


 もしくは。


 その両方、とか。

  

新谷あらやさんっ!」


 ようやく赤組が到着する。白組の子はすでにトラックの半分にさしかかろうとしているところだ。


 わたしは。


 手汗で湿った手のひらで、バトンを受け取った。

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