初恋インタビュー◆
「では、今日は秋に放送されるドラマに向けて日野さんの恋愛観について取材させていただきます。ライターの薄池と申します。本日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
明るい会議室の照明の下、マネージャーの隣で俺は笑みを浮かべた。目の前にはインタビューを書くライターや雑誌の編集者が座っている。今日は雑誌のインタビューに答えなければいけない。簡単な世間話をしてからライターの目が鋭いものに変わった。
「好きな女性のタイプからお尋ねしても……?」
そう言われて、いつもすらすらと口から流れ出るはずの、『世界で一番可愛い女の子』という単語が出ない。瑞香の顔は思い浮かぶ。でも軽々しく可愛いなんて言ってはいけない気がして、「黒髪ですかね」と苦し紛れに答える。相手はもう俺のような職業の人間が好みを何十回と聞かれていることは分かっていて、変に間が空いたことを気にする素振りはない。
「黒髪……! この雑誌が出たら全国の茶髪の女子高生が一気に黒く染めることになりますね!」
「いやいや」
「性格とかこういう子がいいなっていうのは他にありますか?」
「穏やかで……でも突然大胆になるというか、真っすぐな子には惹かれますね。あと料理上手な子は、俺が料理あまり得意じゃないので純粋に尊敬します」
「わっ! 有益な情報ありがとうございます! 私日野さんのインタビューは全て読んでいるんですけど、なんだか今回は一段と詳しくお答え頂いて……ありがとうございます!「有益って、薄池さん」
ライターに出版社の人間が突っ込み、隣に座っているマネージャーが団欒しているような雰囲気を出す。俺も愛想を浮かべるけれど、ふと強い違和感を覚えた。
俺は瑞香の笑顔に惹かれたのだ。あの時の笑みに惹かれた。性格についてはその時何も思っていなかったはず。一目惚れをした。なのに今どうして好きだと思うところが出てくるんだろう。
「では、初恋はいつですか」
「中学校……三年のときですかね」
「えっ近い! ちなみにお相手は?」
「他校の子です。一目惚れして……まぁそのまま接点もなくって感じで」
「えー! これ書いたら炎上とかになっちゃいますかね? 大丈夫ですかね? ……あれ? ということは日野さん誰かとお付き合いされた経験って」
「ないんですよ」
「わー! えー! 今日どうしましょう! えー書きたい! っていうかめちゃくちゃ意外ですね! 絶対ファンの方喜びますよ! わーどうしよう汗かいてきちゃった」
「落ち着いてください薄池さん」
ライターは興奮した様子でメモを取り、出版社の人間が宥めている。やがて今度は出版社の人間のほうが質問を始めた。
「では、このたび日野さんはドラマで滝永円さん演じるヒロインへの叶わぬ恋に溺れてしまう年下の幼馴染という役柄を演じられますが、演じる上で気を付けている点や力を入れている部分を教えてください」
「そうですね。僕はその、役者としてスタートを切って間もない状態なので、基礎的なことで現場の足を引っ張らないようにというのは大前提として気を付けています。そして今回演じさせていただく春入のように想いを伝えて面と向かって拒まれてしまうという経験がないので、春入は今どんな気持ちなんだろう、何をしたいと思っているんだろうということを意識するようにしています。春入の気持ち……は最終的に失恋なので切ないですけど」
俺が今回演じる役回りは、隣の家に住む会社員の女にずっと片想いをしていた役だ。迷惑になるからと想いを告げず献身的に無邪気な弟を装っている。ただその女が同期に片想いをして傷付き、ようやく想いを告げる。ヒロインと同期の男がW主演だから、準主演の形だ。
「では中学三年生の時に一目惚れした彼女を想ったりとか?」
「はは。でも名前もわからない相手なので難しいですね」
「うわ、いいなあ日野さんに一目惚れされた彼女……羨ましい!」
「そうですかね? 気持ち悪いって思われてるかも」
「えーそんなことありませんよ! イケメンに一目惚れされるなんて女の子の夢ですよ?」
「ははは」
「それに日野さんに一目惚れされて落ちない女の子なんていません」
いますよ。五十嵐瑞香という女の子です。同じ高校でクラスも同じです。毎日俺にお昼ご飯を作ってくれますが俺のことを好きではないんです。きっと野良犬に餌でもやっている気分なんでしょう。彼女は優しいです。でも同じくらい無防備で人がいいので――監禁も視野にいれています。
すらすらと呪詛のような言葉が流れ出そうになって笑って誤魔化す。相手は謙遜と受け取ってまた大げさに「またまたぁ〜!」とのけぞった。そのまま俺は最初から最後まで変わらない笑みを浮かべ、取材を終えた。
「お疲れさまです。今車出してきますね」
「大丈夫です。僕は少し街の人の様子を見て、勉強してから帰ります」
出版社の地下駐車場で車を出そうとするマネージャーに断りを入れて俺は通路を道なりに進み地上に出た。昼過ぎから取材が始まったから、辺りは日が暮れはじめピンクやオレンジが混ざった夕方独特の空が広がっていた。
駐車場の出口は人の出入りも多く邪魔にならないよう裏通りに面している。目的地も定めず歩いていると食堂やレストランが立ち並ぶ通りに出た。仕込みをしているのか排気口から食べ物の匂いが混ざる。
醤油の焦げた香りやパンの焼けた香りに、無性に瑞香に会いたくなった後苦しくなった。
あの時、瑞香が俺に煮物を作ってくれた時。それを報告されるまでは、俺はどこか彼女を見くびっていた。出会いの機会さえあれば俺を好きになってもらえると。でも
――私、日野くんが栄養たくさんとれるように頑張るから。だからその……上手くは言えないし、こんなこと言っても困っちゃうかもしれないけど……が、頑張る!
ああやって力強くて真っすぐな優しさを見せる瑞香を見て、惹かれると共にこんな性根を持つ俺は好きになってもらえることなんてないような気がしてきた。彼女は俺がどんな奴か気付いていないけど無意識で分かられている気がして、知られることが怖いと思った。見られることが怖くなった。
かといって瑞香から離れたいとは思えない。近付きたい。欲しい。誰にも渡したくない。
ぎゅっと詰まる胸を押さえながら、スマホを取り出す。少し指が彷徨いながらもなんとか瑞香とのメッセージ画面を表示させ、キーボードをタップする。
『明日って暇?』
一文字一文字そう打つだけで手が震えた。すぐに既読がついて嬉しい気持ちと緊張感が重なっていく。
『俺の家に、夕食を作りに来てくれないかな?』
『夏休み、暑くなるし、そろそろ家で夕食作って欲しくて』
『だめかな?』
今、俺は瑞香と連絡を取っている。今瑞香と繋がっている。別に初めて連絡を交わすわけでもないのに手が汗ばんだ。「いいよ」という控えめな返信に胸がいっぱいになる。
『五十嵐さんもうちで食べるよね?』
『いつも夕飯は別だから一緒に食べたいな』
『洗い物は勿論俺がするよ!』
『あと調理器具はあるから持ってこなくて大丈夫』
『五十嵐さんはそれでもいい?』
『やだ?』
『大丈夫?』
ペンギンのスタンプも追加で送ってから冷静になった。メッセージを送りすぎた。でも改行込みでまとめたらそれはそれで圧をかけている感じにならないだろうか。前はどうやってメッセージを送っていたかトーク履歴を遡っている間に彼女から返事が来た。
《日野くんがよければお言葉に甘えたいです》
ありがとうと打つか迷ってスタンプを差し込んでからお礼の言葉を送る。続けて送信された《明日よろしくお願いします》という文字に酷く安心感を覚えて指でなぞる。
「なんか……苦し……」
なんだか画面すら閉じるのが惜しい気がして、でも帰らないわけにもいかずポケットにスマホをしまう。顔を上げると徐々に空は暗い色を帯び淡く光る月が浮かんでいた。