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恋が潜む食卓  作者: 稲井田そう
きのこおこわの和食弁当
4/21

ふたりでお昼ごはん


◆◆◆



 日野くんから一万円を受け取ってしまった次の日。私は彼の指定した昇降口近くのベンチに座り彼を待っていた。


 爛漫と咲いていた桜は散り足元には桃色の絨毯が広がっているけれど、その分木々は物寂しい様子になっていて景色を愉しむ生徒はいない為か、昇降口も人はまばらでしんとしている。


 静寂が少しだけ心もとない気持ちがするけど、日野くんと待ち合わせをしているのだから良かったかもしれない。お弁当を渡すところを見られて変な噂になったら大変だし。


 私は少し身を縮めるようにして、二人分のランチバッグを持ち直した。


 貰った一万円で作ったメニューは、きのこおこわ、おから入りハンバーグ、親子風卵焼き、春野菜ピクルス、おくらの梅肉なめこ和えだ。


 昨日私は、スーパー、八百屋、魚屋、肉屋をぐるぐると回り本屋を巡って、結局いつも通りの料理を作ろうという結論に至った。


 プロが作るような料理に挑戦しようか考えたけど、人に渡すものに実験的な料理は作れるはずがない。集中力を欠いて簡単な料理さえ大失敗! なんてこともしてしまいそうだ。


 それに、私がプロの料理人じゃないことなんて、日野くんだって分かっているはずだ。だからいつも通りの料理を作って、差額のお金を返すことにした。


 一応カロリーや栄養素の計算はした。全部悩んで考えて作ったものだけど、主食のご飯については特に悩んだ。


 ふっくらと炊いた白米に、フライパンで炒って香りを出した黒ごまをふりかけ、中央に梅干をのせるか、それとも浅く敷いたご飯に、醤油と砂糖で味付けしたおかかを広げ、海苔を敷き詰め、ご飯を重ねて……と、定番の海苔弁当ご飯にするか、とか。


 悩みぬいた結果、白米の炊き加減……硬め柔らかめどっちが好き問題を起こすより、混ぜ物で行こうときのこおこわを炊き上げた。


 具材はまいたけ、しめじ、そしてチーズだ。


 餅米を仕込むには時間が無かったから、炊く時にスライスした切り餅を入れて、炊きあがりに全体を混ぜあわせれば出来上がる簡易おこわにした。


 おからハンバーグはしっとりふっくら仕上がるよう、おからとひき肉を混ぜ合わせる段階でマヨネーズと水気を切った大根おろしを加えた。刻んだトマトで甘みを、れんこんで歯ごたえを感じられるようにして、栄養も考えひじきも混ぜ込んだ。


 親子風卵焼きは、みじん切りにした玉ねぎをめんつゆで飴色になるまで煮て、もも肉を細かく刻み水分が無くなるまで煮詰めたものを卵液と混ぜて焼いた。


 手間は普通に卵焼きを作るよりはかかるけど、甘じょっぱい風味や、卵と肉の味わいは格別だ。だから副菜はピクルスや梅肉和えとさっぱりめにしてある。


 それを敷き詰めるお弁当箱は、雑貨屋で使い捨てのプラスチックと紙で出来たわっぱ弁当箱を見つけてそれに詰めた。


 お弁当箱代と、お箸、材料費と合わせて大体千五百円くらい。


 だから余った八千五百円はきっちり昨日の封筒に入れて持ってきた。今日はお弁当を渡して、お金を返して、ぱっと去る。そして私はまたどこか場所を探してお弁当を食べよう。


 皆に見られてしまって写真とか撮られてしまったらと考えると、不安だし。


 イメージトレーニングをしていると早速昇降口から日野くんが出て来た。彼は昨日のブレザー姿とは異なりダークグレーのセーターを着ていて、腕をまくっている。


 今日は普段より気温が高めだから私もセーターだけど、まさか色味が被ってしまうとは。朝仕事があるとかで姿が見えなかったから分からなかった。私は慌てて立ち上がり、第一声に迷って頭を下げると彼はくすっと笑った。


「ふふ、頭なんて下げなくていいのに。こっちは作ってもらう立場なんだし」


「あっあの、日野くんこれ」


「ありがとう。二人分作るの大変だったよね。作ってもらえてうれしい」


 こちらに駆け寄って来た日野くんに弁当を差し出すと、彼は顔を綻ばせた。喜んでもらえて嬉しい。私がまた頭を下げて去ろうとすると、彼は私の手首を掴んだ。


 突然腕を掴まれて驚いた私は反射的に後ずさる。けれど日野くんはぐっとこちらに顔を近づけてきた。


「どっか用事?」


「いや……」


「なら一緒に食べてくれないかな。どうやって作ったか、話聞きながら食べたいんだけど、駄目?」


 首を傾げる日野くんに、ただただ戸惑った。彼は人に囲まれるのが嫌だから、私にお弁当を依頼してきたはずでは。というか作り方が気になるなら紙に書いて置けば良かったかもしれない。どうしようか考えていると、彼は私の持っていたランチバッグを見た。


「自分の分のお弁当は、ちゃんと持ってるみたいだね。ほら、俺穴場知ってるから、一緒に行こ」

「えっ」


 日野くんは私の手を取ったまま、すたすたと歩き始めた。こんなところ見られたら危ないのでは。周りを見渡すと特に周りに生徒もいなくて、でもこれから誰かがこっちに来ない保証もなくて、私は不安な気持ちで彼の後についていったのだった。





「はい、到着」


 日野くんに連れられやって来たのは本校舎とは別の、調理実習室や実験室がある特別棟の最上階の教室だった。彼はポケットから鍵を取り出すと慣れた手つきで扉を開く。


「どーぞ」


 中は普通の教室と同じだけれど、椅子や机はいつも私たちが使っている教室よりかなり少ない。物置として使われている場所だろうか。後から日野くんは扉の鍵を閉め、扉の窓を遮るカーテンも閉じてこちらに向き直った。


「俺、仕事で早退したり遅刻したりするでしょ? だからそーいう時の一時待機室ってことで鍵貰ってるんだよね」


 確かに日野くんは授業の際、いたりいなかったりする。今日も三時間目の始めあたりに来て、クラスの女の子たちが嬉しそうに盛り上がっていた。でも、こういう場所があるのなら、どうして今までお昼ごはんの時に使わなかったんだろう? 不思議に思っている間に彼はいつの間にか椅子の向きを変えていて、一つの机を挟むような座席が出来上がっていた。


「ここ座って」


「あっごめんね、ありがとう」



「いーえ」


 椅子に座ると彼は満足気に笑いお弁当の包みを解き始めた。作り物みたいに綺麗な指が弁当の蓋を捉え、ぱかりと開く。


「わ、丁寧に詰めてあるね。炊き込みご飯……色も綺麗……。野菜にピック刺してくれたんだ」


「うん」


 息を洩らす日野くんの表情に、何とも言えない緊張を感じた。心臓の奥がぐるぐるするような……さっき一緒にここに来るまでは普通だったのに、調理実習の日、あのマフィンの時みたいに胸が苦しい。

 心臓に僅かな痛みを感じつつ私がお弁当の蓋を開けると、彼は静かに手を合わせた。


「じゃあ、いただきます」


「い、いただきます」


 私も慌てて手を合わせる。日野くんは割り箸を割りながら卵焼きを初めて食べるみたいに見つめていた。無邪気な子供みたいな目で、緊張が増してしまう。


「卵焼き、具が入ってる……」


「う、うん。親子焼き、みたいな」


 彼は興味深そうな様子で卵焼きを一口齧った。そしてぱっと、目尻に弧を描く。


「美味しい。お肉入ってる、玉ねぎも。ああ、親子丼……それで親子焼き?」


「うん」


「親子焼くって言うから、五十嵐さん結構えぐいこと言うなあと思ったんだけど。入ってる肉にも味が染みてるし、卵ふわふわで美味しいね」


「め、めんつゆで味つけただけだよ」


「そうなんだ。塩加減丁度いいよ。俺醤油かける時も濃すぎたり薄すぎたりして、加減下手なんだ。すごいね五十嵐さんは」


「いや、そんな、ははは」


 箸を止める気配の無い日野くんを見ていると、私もお腹が空いてきて、きのこのおこわに箸を伸ばした。すると彼も合せるようにきのこおこわを口に運び始める。


「うん、こっちも最高……優しい味する、落ち着く……。おかわり欲しくなるな……」


 美味しい、美味しいと何度もおこわを頬張る日野くんの所作はとても洗練されていてる。なのにどんどん食べていく姿は清々しくて、作ってよかったと心から思った。出来れば、また。そう考えていることに気付いてはっとしていると彼はハンバーグを食べて、「蓮根入ってる」と明るい声をあげた。


「俺これ好き。蓮根ってこういうのに入れても美味しいんだね」


「うん、半分はおからだから、歯ごたえもあったほうがいいかなって」


「おから入ってるんだ、栄養とかも考えてくれてたんだ。ありがとう。俺こんなに美味しいご飯食べたの初めてだよ」


 日野くんはまるで心からそう思っているように話す。彼はきっともっと美味しいものを日常的に食べてるはずなのに。熱のこもった言葉にこっちの頬も熱を帯びてくる。


 食べよう。お弁当を、お弁当に集中しよう。おくらの梅肉和えに箸を向けると、彼はまた揃えるみたいに箸を運んだ。


「梅とかつおと、なめこ? 美味しい。五十嵐さんって料理どっかで習ったの?」


「いや……ただ色々試したりとか……してて」


「ピクルスもこれ、もしかして五十嵐さんが漬けてたり?」


「市販のすし酢と、はちみつで……」


「そうなんだ、これも甘くて美味しい。どうしよ、味覚えちゃったな。仕事とかの仕出しで出てくるやつ、もう食べられないかも」


「大丈夫だよ。どこにでもあるすし酢とはちみつだし、仕出し弁当の方が絶対美味しいよプロの人が作ってるんだし」


 顔の熱を誤魔化すように笑うと、そんな私に反して日野くんは真っ直ぐな目でこちらを射抜いた。


「そんなことないよ」


 強く訴えかけてくる彼の瞳。どう答えていいか分からなくて視線を彷徨わせることしかできない私に、彼は話を続けた。


「五十嵐さんのご飯、すごく美味しい。やっぱり頼んで良かったって、俺今ずーっと思ってる」


「あ、ありがとう」


 日野くんに恐る恐る視線を合わせて、頭を下げる。彼は「いーえ」と短く答えて、また幸せそうにお弁当を食べ進めた。


 なんか心臓に悪い。お弁当を食べてる時の日野くんは。


 きらきらして見えるし、日野くんを必死に追いかけていた女の子たちの気持ちが、少しわかる気になってしまう。


 私は美味しい美味しいとお弁当を食べる日野くんを気付かれないよう盗み見しながら、向かい合ってお弁当を食べたのだった。





「五十嵐さん」


 食べ終えて空になったお弁当箱を包んでいると、私の手の上にひんやりとした手が重なった。顔を上げると真剣な顔で私の手に触れていた。


「ど、どうしたの?」


「明日もお昼一緒に食べていい? お試しの間だけでいいから」


「え、ひ、日野くんがいいなら、いいけど……」


 確か今週は、真木くんが何かの補習に引っかかっていて、芽依菜ちゃんはお昼のとき、付きっきりで勉強を教えている。赤点……というか、解答用紙をすべて間違えたらしいけど、念には念を入れるらしい。だから特に約束もない。


「じゃあ、メアドか電話番号教えてよ。それかトークアプリのID。集合場所使えなかった時のためにすぐ連絡入れたいし」

「えっそ、そういうの、事務所とか駄目なんじゃ……?」

「五十嵐さんが売ったり晒さなきゃ大丈夫だよ」

「えっ、わ、分かった……」


 ここで断ると、私が連絡先売ったり晒す人みたいだ。どこか切迫しているようにも聞こえる日野くんの言葉にうなずいて私はポケットに入れていたスマホを手に取った。


「えっと、私がいま電話すればいいかな? それとも日野くんが――」

「良かったらスマホ貸してよ。さっきからずっと俺の我儘聞いてもらってるし、俺が登録しておくよ」

「え……」

「それくらいはさせて? 俺弁当作ってもらって、昨日買い出しまでさせちゃってるんだから」


 申し訳なさそうに首を傾ける日野くんに、恐る恐るスマホを手渡した。彼はほっとしたように笑う。


「ありがと。すぐに登録するね」


 日野くんは私のスマホと、自分のスマホを持ち、器用に操作していく。私のスマホに向けられる眼差しは真剣で、伏し目がちだからか長いまつげがより強調され落ち着かない気持ちになる。しばらく待っていると彼はスマホから顔を上げた。


「ありがと。全部しっかり登録できたよ。何かあったらすぐ連絡してね」


 受け取った私のスマホの画面には、しっかりと日野くんのアドレスが登録されている。落としたら一大事だ。名前は日野珱介で登録されてしまっているし、スマホ、絶対に落とせない。パスワードは一応かけてるけど、絶対なくさないようにしなきゃ。


「はい、これ、明日の分のお金」


 ぼーっとスマホを眺めている私に、彼は封筒を差し出して来た。そうだ。お金返さなきゃ。


「日野くん、私お金持ってきたの、昨日貰ったお金、間違えてたみたいで一万円入ってて、それで……」


「別に間違ってないけど?」


 当然とでも言う日野くんの声色に、封筒を渡そうとする手がぴたりと止まった。彼は平然と封筒と私を見下ろしている。


 間違って、ない? これが? 瞬きを繰り返すばかりの私に、彼はぐいっと明日の分の封筒を渡してきた。


「だって買い出しに二時間かかるとして、帰ってから献立考えたり、実際作るので二時間くらいはかかってるよね?。材料費、それで二人分の弁当箱持ってくる手間とか、全部合わせて考えれば妥当じゃないかな。もっと足そうか?」


「いやいくら何でも多すぎるよ、受け取れないよ。実費より五倍くらい多いし、明日の分合わせたらもっとになっちゃうし、こんな額絶対受け取れないよ」


 日野くんの言葉に愕然としながら、私はこちらに渡される封筒ごと突き返そうとした。しかし彼は封筒を見つめ「あー」と間延びしたような声をあげる。


「税金に引っかかるか。確かにそうなると、五十嵐さんに手間かけさせちゃうね」


 税金?


 税金に引っかかるとかじゃなくて、私はあまりにお金が多すぎる話をしているわけで……。


「あの、違うよ日野くん。額が多すぎる話をしていて……」


「大丈夫、ちゃんとそこは調整するから。安心して? ちゃんと五十嵐さんの両親が手間かからないようにするから」


 日野くんは私から封筒を受け取ると、ポケットから自分の財布を取り出して、何やら入れ替えをしはじめる。いくつか入れ替えた後、彼は私の方へ顔を向けた。


「じゃあ、はい。初回の分と、明日の分。これ以上は増額以外譲る気無いから。今日は美味しいお弁当作ってくれてありがとう。俺明日昼頃来るから、先ここ来て開けておいて」


 畳みかけるように言葉を話し、微笑んで颯爽と去っていく日野くん。呆然とする私の手元には、この教室の鍵と、そして、


「いや、多すぎるよ日野くん……」


 また額がおかしいお金の入った封筒が残されたのだった。

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