愛に満ちる食卓
日野くんが私を好きだと分かってから、約一か月。
秋の旬は徐々に、冬の旬へと移り変わってきた。そして今日も私は彼にご飯を作り、一緒に夕ご飯を食べている。美味しそうな香りを纏って煮える鍋を囲んで。
そう、今日の献立は鍋だ。塩気のきいた鮭とぷりっとした海老を主軸に、新鮮な白菜、春菊、大根、人参たち、そして白滝とお豆腐でカロリーをセーブしつつ、まいたけとしいたけ、そして変わり種にコーンも入っている、石狩鍋風のみそ鍋だ。
つゆのベースは勿論味噌で、出汁は昆布と鰹。味を引き締める為におろし生姜を加えてある。濃厚なつゆでもしょうがを入れれば食べやすくなるし、身体がぽかぽかと温まる。
箸休めの副菜は、はちみつを加えて甘みを足したマリネ液で漬けたトマトマリネと、お酢とごま油の大根の中華風サラダだ。お味噌がベースの比較的こってりとした味わいの鍋だから、トマトも大根も薄くスライスしてさっぱりめのサラダにした。
濃厚な味噌のつゆがしみ込んだ白菜を食べて、歯ごたえのある海老を食べる。日野くんと一緒に食べると何でも美味しく感じるけれど鍋はその中でも別格だ。
「瑞香、次なに食べたい?」
「あっ白滝と……、あと鮭欲しい。……日野くんのもよそっていい?」
「ん。じゃあお任せしまーす」
「はーいっ」
私が日野くんの分をよそって、彼が私の分をよそう。味は変わらないはずなのに、彼がよそってくれているだけでなんだかとても美味しい魔法がかかったように感じてしまう。
「どうしたの? 瑞香」
幸せが顔に出ていたのか、日野くんが私に取り皿を差し出しながら首を傾げた。付き合ってから、「瑞香って呼んでもいい?」と聞かれ二つ返事で了承してから、彼は私を名前で呼んでくれる。
なんだか慣れないしくすぐったいけど、名前を呼ばれるたびに心がじんわり温かくなって嬉しい気持ちになった。
「……突然だけど、私のこと好きになってくれてありがとう、日野くん」
日野くんにお礼を言って、照れくさくなってお茶を飲もうとすると、なんだか彼は考え込むようにして私を見る。何となくグラスを置いて待っていると、やがて彼は口を開いた。
「……瑞香に一つ聞いても良い?」
「な、なんですか」
「俺の事、好きになったのいつ?」
「え」
唐突な発言に戸惑っていると、彼はまた少し昏い声で話を続けた。
「瑞香は俺のこと好きだって言ってくれたけど、それっていつからなのかと思って」
真剣で、こちらを射抜くほどの強い日野くんの目。でもその奥には何となく暗闇が揺らめているようで、吸い込まれてしまいそうだ。
……でも、どうしよう。「あなたのマフィン食べてる姿に一目惚れしました」って言っていいのだろうか。「こいつ全部食べ物だな」なんて思われたら恥ずかしい。
いや彼は思わないか。でもそれでも気恥ずかしさが抜けない。例え彼が何とも思わなくても意地汚いような行動はしたくない。
「い、言わなきゃ駄目かな? 記念日とかにしない?」
「今日は付き合って54日目の記念日だよ」
「え、えっと……そんなに聞きたいの……?」
「聞きたい、瑞香が嫌でも絶対聞きたい。……何してでも聞くよ、俺は」
日野くんの声がまた低くなって、胸がきゅっと締め付けられた。いつの間にか手を強く握られていて、視線を逸らしていくと「瑞香」と窘めるように呼びかけられた。
「……ま、マフィンです……よ」
「マフィン?」
「あの、その、調理実習の、マフィンを、佐々木さんのマフィン食べている時、私見てたの。それで、日野くんの、笑顔が、こう、ぐさっと心臓に、きて……そこから、徐々に、なんていうか普通の日野くんに対しても、好きだなって思うようになって……」
「本当に……?」
落とした視線を上げると、日野くんは予想外だったように口を少し開けてこちらを見ている。驚きで目を開いているところが少し幼く見えて、愛しさを感じると共に心が徐々に落ち着いてきた。しかし、彼が突然私の頬に触れてきたことでまた一気に心拍数が跳ね上がった。
「え、日野くん?」
「……あのさ、あのマフィン。受け取る前から瑞香が作ったのだって、俺最初から知ってたからね」
「え?」
「作ってるのずっと見てた。っていうか俺、瑞香以外の手料理、触るのも無理だから。瑞香が作ったの知ってたから受け取ったの」
え、私が作ってたの、知ってたから受け取った? 佐々木さんだからじゃなく——?
呆然とする私に日野くんは喉の奥で笑うようにして、とても仄暗い瞳で私を見た。
「瑞香が作ったもの、私が作ったの、なんて言った泥棒には腹がたったけど、マフィンは瑞香が作ったものだからすごく嬉しくて……。だからすぐ食べた。俺の身体の中に瑞香が入ってくると思うと最高で興奮して……でも見られてたんだ。恥ずかしい」
「何か、それだと私が小さくなって日野くんの身体に入っていってるみたいじゃない?」
「いいね。全部食べて一つになれてるってことでしょ?」
日野くんの話し方が、速くなる。目は恍惚として輝いていて、興奮しているみたいだ。
あれ? でもそれなら、お弁当作りは? あれは、マフィンを食べて美味しかったからじゃ……?
「え、待って、お弁当お願いしたのって、マフィン食べたからじゃない? あれがきっかけでご飯を……」
「まあ、そうっちゃそうなんだよね、マフィン食べて、我慢できなくなったし。計画では夏頃に出会う予定だったのに、会いに行っちゃった。ごめんね」
妖艶に舌を出す日野くんの仕草にまた心臓がときめく。いや計画ってなに……? 前々から私と会おうとしていた?
「け、計画って、出会いの!?」
「そう、自作自演しようとした。何か無くしたとか、適当に言って、運命的な演出をして出会って、少しずつ外堀埋めて、逃げられなくしてからぺろっといこうと思って」
ぺろっといこう、という言葉に背中に何かが走った。どことなく、危険なような気がしてならない。これ以上聞いてはいけないような気がして、でも聞かなきゃいけないような気もしてきた。
「あの、さっきから全然状況が掴めないんだけど、そんな前から私のこと好きだったの……? でも私たち初めて会ったのって高校だよね……?」
「違うけど」
「え」
「受験する前、市の図書館通ってたでしょ、中学生の瑞香ちゃんは」
あの頃は、家にいると料理したくなるし、勉強したくないしで、図書館に通って無理矢理勉強していた。休憩時間と称して、頻繁にレシピ本のところに居たけど。心が壊れそうだった時だ。
「そこで見つけたんだ。一目見て、胸が締め付けられて……この女の子しかいないと思って……それまで、適当に、ぼーっと生きてたけど、頭がはっきりした感じがしたんだ。だから瑞香が着てた制服から、中学割り出して、その中学に知り合いがいるツテを使って、志望校調べ上げて、高校同じにしたんだ」
「でも、一緒にしても、同じところに入学できるとは限らないよね?」
「だから、瑞香が推薦で合格決めてくれてよかったよ、よっぽどのことが起きなきゃ、後は俺が合格すれば一緒のとこに行けるから」
確かに、私は試験に弱くて、推薦で合格できるよう、めちゃくちゃ頑張った。その結果を日野くんは知って、高校に入ったってこと?
え、好きだったの? そんなに前から、私のことが? 私の個人情報調べてたり、高校、調べて、入学したの? 私が、好きで? でもそれって、犯罪では? もしかしなくても犯罪では? あれ、でも、私……。
「俺のこと怖くなっちゃった?」
「え?」
「色々調べ上げたり……別れたい?」
日野くんが私の左手の薬指をなぞりながら優しく問いかけてきた。甘くて柔らかな声に、きゅっと胸が締め付けられて、頭がぼーっとしながらも私はきちんと自分の気持ちを伝えるべく彼の目を見た。
「いや……別れたいとかは絶対なくて……」
「でも、何か元気なくなってるよ?」
日野くんが私の髪を撫でる。ちょっと今それどころじゃないし、彼の行いを知った今、安心するべきじゃないのかもしれないけれど、もっと触れてほしいと思ってしまう。安心する。駄目だ。彼のことが好きなせいで、理性を殺されてる。頭をおかしくされている。
「俺のこと、怖いんでしょ。正直に肯定しなよ」
「いや、違うの。本当に。今、日野くんより私の方が百倍怖い状態で複雑だから、ちょっと待って心臓ぎゅってなることしないで」
「どういうこと?」
「怖くない、から、えっと」
怖い、という気持ちはない。確かに相手が日野くん以外ならぞっとする。けど相手は日野くんだ。私は今はどうしようもなく彼を好きになってしまっている。怖さや気持ち悪さはない。だから怖い。彼だから特別で、いいやと思っている。それは多分、彼が以前他者からの好意は気持ち悪くて、私だけが例外だと言っていたことと同じなのだと思う。
「どういう意味?」
「普通なら犯罪だし、絶対警察に通報するよ。気持ち悪いし怖い。でも、今、私は何も怖くないし気持ち悪さが無くて、それですごい戸惑ってる……。だって普通、好きだって許せないことのはずなんだよ。多分怖いとか逃げたいとか別れたいって思うし、信頼関係とか、全部なくなっちゃう。……はずなのに、私日野くん好きすぎておかしくなってるよ絶対……。本当にやだ。日野くんの外食とかに嫉妬したらどうしよう……。本当にどうしよう」
前に、調理実習で日野くんが他の子の手作りを食べているのを見て酷くダメージを受けたことがあったし、彼を好きになった当初、あれだけ大好きだったうどんを適当に食べてしまった前科もある。カレーをクラスメイトにあげたこともあった。私は日々、この恋によって盲目になってきている。確実に。
自分の変化に愕然としていると、日野くんはくすくすと笑いながら椅子から立ち上がって、私に近付いてくる。
とても、色っぽい雰囲気を纏って。
「……こんな幸せなことって、あるんだね」
「え?」
「だって、瑞香は俺のこと好きすぎて、おかしくなっちゃったってことでしょ?」
「そうだけど……でもそれって日野くんに負担をかけ……」
「俺は瑞香のこと大好き。愛してる。だから好きなだけ束縛しなよ。でもその代わり瑞香が俺の事殺したいくらい嫌いになっても、殺してもやらない。絶対に離れてやらないから、ごめんね?」
日野くんが私を閉じ込めるみたいに抱きしめた。ぎりぎりと締め付けられ、ぴったりと身体と身体がくっついて、まるで身体の中にしまい込もうとされているみたいだ。でも、怖さはなくて、愛しい、と思った。
「日野くんを嫌いになんてならないよ」
「本当? 絶対?」
「うん、本当、絶対」
日野くんの顔が、どんどん近づいてくる。声も、少し掠れてる。駄目だ。逃げられない。でも、逃げたくないと心から思った。
「いただきます」
彼はそう言って愛おしそうに私を見つめ、キスをする。私も応えるように瞳を閉じたのだった。
今まで日野飯を読んで頂きありがとうございます。
時間が出来たら番外編をアップする予定です。
(席替えの話など学校生活についてや、季節行事の食事について)
またツイッターで小ネタ等呟いているので良ければ是非。
そして別の自作の話をしますが(当然ヤンデレハッピーエンドです)
次期風紀委員長の深見先輩は間違いなく病気の書籍の発売日が決定となりました。
発売日が3月28日、価格が1320円KADOKAWA様から発売となります。
活動報告やツイッターに詳細をのせておりますのでヤンデレハッピーエンドを欲している方は下記リンクに飛んで頂ければ幸いです。




