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恋が潜む食卓  作者: 稲井田そう
スキレットナポリタン
18/21

大好き


 気持ち設定温度を高めにして、浴槽にお湯を張った私は扉の前で日野くんを待っていた。


 結構焦っていたし、彼は濡れているはず。すぐに温まってもらったほうがいい。


 タオルを片手に構え準備万端で待っていると扉がノックされた。「五十嵐さん」と呼びかける日野くんの声がする。


「はーいっ」


 扉を開けば、やっぱり髪や服を濡らし旅行鞄を持った日野くんが立っていた。


 淡い枯茶色の髪からは滴がぽたぽた落ち、彼の頬を濡らしている。着ていた服も色を変え、深く濃く滲んでいた。


 私はすぐさま彼を招き入れタオルを手渡す。


「日野くん、大丈夫?」


「うん……」


「お風呂もう沸いてるから、入ったほうがいいよ!」


「うん」


 日野くんは俯いていてその表情がよく見えない。


 髪がびしょびしょに濡れているから、雨水が目に入らないようにしているのかもしれない。私は彼の腕を取り「ここがお風呂場だよ」と連れていき、早く着替えられるように脱衣所の扉を閉じた。


「着替え、籠に入れてあるからね」


 日野くんが来る前に、着替えは用意しておいた。


 といっても元々クローゼットに着替えが置かれていて、私はパジャマを持っていたから使わなかっただけだ。


 部屋は各自一人部屋ということで誰がどことは決められておらず、さらに点呼順の入室であったからか、男女でフロア分けはされていない。だからかクローゼットには男女両方の着替えがある。本当に良かった。背丈が違うから私の着替えは貸せないし。


 とりあえず彼が出てきた時の為に電気ケトルでお湯を沸かして、私は椅子に座った。


 事情はよくわからないけど彼の話を聞くかぎりでは、撮影を終えた後泊まるはずだったホテルが無くて雨に降られたらしい。濡れてしばらく経つだろう。あんなに濡れてしまって風邪をひかないか心配だ。


 きちんと寝る時には暖かくして……、湯たんぽとかがあればいいのに。


 カイロは時期的に無いだろうし……。もうすぐ消灯時間が近づいてきているけど、今ならぎりぎり出られるだろうか。


 近くのコンビニで何か身体の温まる食べ物を買ってきたほうがいいかもしれない。でもお風呂中に勝手に出て行ってしまって彼を不安にさせたりなんてことは……。


 時計に目を向けると、時刻は消灯まで十五分をきっていた。今から出て行っても、戻れない。無力さに溜息を吐くと、ドライヤーが視界に入った。


「そうだ、ドライヤー……」


 私は日野くんの私服を乾かすことを思いついて、そのまま脱衣所へと向かっていく。一応ノックをしてから脱衣所に入ると、シャワー室の扉は閉じられていてすりガラス越しに人影が見えた。


「日野くん、あのさ、お洋服乾かしてもいいかな」


「……ありがとう」


 窓越しの扉の彼の声は掠れていて、どこか泣いているように聞こえた。「大丈夫?」と問いかけると、「うん」と短く返される。


 心配だけど、相手はお風呂に入っている以上あれこれ話しかけられるのも嫌かもしれない。


 私は濡れた彼の私服を手に取り脱衣所を後にして、部屋にあるクローゼットのハンガーを取り日野くんの服をかけた。


 ひと際濡れているのは、上着で、次がズボンだ。とりあえず上着から……とドライヤーを当てようとすると、ぱさりと何かが落ちてきた。


「うわ」


 床に落ちたのはまさしく下着で私は飛び退いた。いやお風呂に入ったんだから当然だ。少し悩んでから私はズボンのハンガーの内側にそれをかける。日野くんの旅行かばんは脱衣所にあったから替えは平気だろうし、これはもうあんまり触らないでおこう。


 複雑な気持ちになりながら上着にドライヤーを当てていると、シャツが大方本来の色を取り戻したところで「五十嵐さん、終わったよ」と私を呼びかける彼の声がした。


「日野くん、今とりあえず上着は乾いてきて――……っ!?」


 あまりの光景に私はまた言葉を失ってしまう。お風呂から出てきた日野くんはホテルが用意したパジャマのズボンしかきちんと履いていなかった。上着は全く閉じていない……開いたままだ。ほぼ半裸で、要するに全然終わっていない状態だ。


「ひ、日野くんちゃんと着なきゃだめだよ! 風邪ひくよ!」


「ん? 聞こえなかった。なんて言ったの?」


 彼はどこか気怠げな目つきでゆっくりとこちらに近づいてくる。私は彼の上着を盾にするように一歩後退した。


「前を、閉じて! 風邪ひいちゃうから!」


「……ああ。でもちょっと暑くて」


「えっ、ごめん設定温度高くしすぎたかも――……っ、日野くん!?」


 盾代わりにしていた上着を下げると、日野くんが想像よりずっと私の近くにいた。目を背けると彼は「なんで五十嵐さん俺のこと見ないの?」と心底不思議そうに問いかけてくる。


「だ、だって前開いてるし、と、とにかくえっと、今は無理だよっ」


「何で? 別に俺のこと好きじゃないんだし別に良くない?」


 いや、好きだよ! 大好きだよ。だから困ってるわけで……というか好きじゃないんだから別に良くないってどういうこと……?


 戸惑っている間にもどんどん彼はこちらに近づいていて、私も彼が進む分だけ後ずさっていると、踵や後頭部が壁につっかえた。撤退できない。そう悟るのと彼が私の手首を掴むのは、ほぼ同時だった。


「手、冷たいね。……気持ちいい」


 低い声で囁く日野くんは私の手を自分の胸に当てた。完全に肌に触ってしまっている。私は今彼の皮膚に触れてしまっている。もう下がれない。


「五十嵐さん赤いね……」


 至近距離から見える彼の濡れた前髪から覗く瞳は、妖しく揺れているように感じる。頭の中がパニックになっていると、扉がノックされた。


「五十嵐ー、ちゃんといるかー」


 担任の先生の声だ。


 消灯時間前の点呼に来たのかもしれない。まずい。とりあえず行かなければ。


 私は「隠れててね!」と伝えてから日野くんの横をすり抜け、玄関にあった彼の靴を急いで靴箱に隠し扉を開く。


「なんだ、そんな慌てで出なくてもいいんだぞ。どうせ部屋にいるかの確認なんだから」


「は、ははは」


 半ば飛び出るように扉を開いた私に、先生は怪訝な目を向けた。そして私の背後……部屋の中の見えるところを確認すると「あ」と何かを見つけた様子で呟いた。


「あれ……」


 先生の声色に心臓が激しく鼓動する。


 日野くんが部屋にいることがばれたのかもしれない。消灯10分前から消灯後、他者の部屋への出入りは禁止だ。


 というかそもそも日野くんは今日休みだし、このホテルにいること自体がおかしい人だ。


 彼が怒られてしまう。絶望的な気持ちで先生の次の言葉を待っていると、先生は「この部屋湿度すごくないか? エアコンの操作は学校と違って自由にしていいんだぞ」と部屋の中のリモコンを指した。


「えっ……?」

「エアコン、湿度高すぎても熱中症になりやすくなんだからなー? 気を付けろよー? 毎年死人だって出てるんだから」


 先生は平然とした口調でそう言って、踵を返し隣の部屋へと向かっていく。


 ――日野くんに、気づいたわけではなかった?


 呆然としている間にも先生は隣の部屋のチェックを始めた。私は急いで扉を閉じて鍵を閉め大きく溜息を吐く。


 本当に気づかれなくて良かった。心臓がいくつあっても足りない。私は心を落ち着けるべく深呼吸を繰り返し、ついでに靴箱にしまった日野くんの靴を取り出した。


 たぶん、日野くんの靴はその中も濡れているだろう。手を拭くためのペーパーを数枚取り出して靴の中へと詰めていく。大方作業も終わり立ち上がると、真後ろに日野くんが立っていた。


「ありがと、五十嵐さん」


「ううん気にしないで」


「じゃあ、寝ようか。消灯だし」


「うん。そろそろ消灯だもんね」


 頷いて部屋へと戻り不意にベッドに目を向けて――私は一瞬思考が停止した。


 ……そうだ。日野くんは今日、ここで寝るんだ。


 目を瞬きながらベッドと彼の背中を交互に見る。


 完全にベッドがシングルベッドだということを忘れていた。というか頭からすっぽり抜けていた。


 今日彼は泊まるところがないとここに来たのだから、当然ここに泊まるんだ。風邪をひかないように濡れた服を乾かさなくちゃとか、先生が突然現れたことに頭がいっぱいで泊まりについて何も考えなかった。


 部屋を見渡すと、やっぱり一人部屋だからベッドは一つしかない。ソファで寝ようにも寝る場所はないし、和室でもないから「私は押し入れで寝るね!」みたいなことも出来ない。


 ……玄関近くの、床?


 ベッド近くの床に私が寝てしまったら、日野くんが夜目を覚ました時にお手洗いに行きづらい。


 ここで私が寝られる場所は床一択だ。私は備え付けの余りのタオルを取り出すと、一つ一つ丁寧に丸めていった。


「何してるの? 五十嵐さん」


「枕作ってるんだ。あ、これ私の分で日野くんはあっちのベッドのほうの枕使ってね」


「……は?」


 安心してもらうために説明をしたけれど、彼は信じられないという顔をした。


「五十嵐さんが床で寝るなんて駄目だよ、俺が床で寝るから。ここ五十嵐さんの部屋なんだから五十嵐さんはベッドで寝ないと。それに女の子を床でなんか寝かせられないよ」


「大丈夫。私枕とか変わってもぐっすり眠れるんだ。それに日野くん床で寝たら身体痛くなって仕事とかに支障が出ちゃうよ」


「いや五十嵐さんの身体も壊れるって」


 日野くんは枕を作る私の手を掴んだ。私が首を横に振って否定しようとすると、彼は「なら」と私の言葉をさえぎる。


「一緒に寝よ。同じベッドで。半分こしよ」


「えっ……」


 それなら私は床……いやお風呂で寝たほうが心穏やかに眠れる。日野くんと一緒に寝るなんて心臓が潰れて死んでしまう。絶対床がいい。節々が痛くなっても。


「無理だよ、私は床に寝るよ」


「俺が汚い?」


「え、え!?」


 どうして日野くんが汚いなんて話になるんだ。けれど彼は確信を持ったようで、悲しそうな目をしていた。


「俺が汚いから一緒のベッド入るの嫌なら、俺もう一回お風呂入ってくるよ」


「汚くないよ! 全然汚くないって。お風呂出たばっかりだし清潔だよ日野くんは」


「じゃあ俺が臭いの?」


「だ、だからそんな話してないよ、な、なんでそんな話になるの」


「だって五十嵐さん、俺と一緒に寝たくないっていうから」


「えええ……」


 日野くんはじと……っとした目で見てくる。な、なんだかこういうことを屁理屈と言うような……。いや彼は優しい人だ。でもなんだかスイッチが入ると、かなりおかしなことを言う気がする……。


「じゃあ俺、お風呂入ってくるね」


 悩んでいる間にも彼はそう言ってお風呂場へと行こうとした。慌てて止め、私は首を横に振る。


「い、行かなくていいよ。とりあえず、お風呂はやめよう?」


 さっき彼は「のぼせたっぽい」と言っていた。そんな調子でお風呂にまた入ってしまったら倒れてしまう。


「じゃあ寝てくれるの? 一緒に、俺と」


「え……それは」


 日野くんの真剣な眼差しに私は視線を反らした。でもこのままだと彼はお風呂に入ろうとするし……というかそもそも私は床で寝たい……。


 躊躇っていると彼はお風呂場へと慌てて進み始め、私は意を決して何度も頷いた。


「わ、分かった。分かったからお風呂はやめよう。日野くんのぼせちゃうよ」


「じゃあ一緒に寝てよ」


 恨めし気な日野くんの視線にどう反応していいか分からなくなる。おろおろしていると彼は「寝な?」と優しい声で掛け布団をめくった。私は心の中で深呼吸をしてベッドに入った。


「じゃあ、電気消すね」


「う、うん」


 日野くんがベッドのすぐ近くにあるルームランプのスイッチに手をかけ、私は掛け布団を鼻の辺りまでかけるようにしながら頷く。今日はもう、眠れないかもしれない。心臓が激しく鼓動しているのを痛いほどに感じるし、今晩眠れる気が全くしない。


 一方の日野くんはといえば、掛け布団を手に取りそのままベッドの中へと入ってきた。広いといえど一人分だから、すぐ近くに彼の熱のようなものを感じる。


 駄目だ。離れないと死んでしまう。


 少しずつ彼から距離を取っていく。目指すはベッドの縁だ。暗闇の中ぎりぎりを攻めるように離れていくと、不意に手をぎゅっと掴まれた。驚きで声も出ない私に彼がこちらに顔を向けてきたことが気配で分かった。


「手、握っててもいい? 五十嵐さんの手安心するから、握って眠りたい。よく眠れそうだし」


 そんなことをされたら余計眠れなくなる。


 でもどうせ今日私はどうなっても眠れないのだし、それなら日野くんがぐっすり眠れたほうがいい。


 私は半ばあきらめたような気持ちで「いいよ」と返事をした。


「ありがとう」


「ううん」


 日野くんは私の手を握り睡眠体制に入ったらしい。すー、すー、と規則的な呼吸を始める。寝つきが早い。彼の呼吸音は微かなもののはずなのに、距離のせいかとてもよく聞こえる。


 こんなに小さな音が聞こえるのだから、今どうしようもなく鼓動する私の心臓の音も聞こえるのかもしれない。


 少しでも自分の心臓の音が静かになって日野くんに迷惑をかけなくて済むよう、私は瞳を閉じて深呼吸を始める。でもどうやって息をすればいいのか忘れてしまうほど、彼の存在を近くに感じてしまう。


 ……本当に、何なんだろう、今日は。日野くんのことを好きじゃなくなりたいのに、どうして私は今、彼と同じベッドで寝てるんだろう。


 胸が苦しい。早く好きなのをやめたい。


 好きなのをやめたら今日だって眠れたのかもしれない。全然好きじゃない誰かを好きだと嘘を吐かずに済んだし、嘘を吐いたまま縁結びの神社に行かなくて済んだ。


 あの神社、結局好きじゃない同士で行くと何が起きるのか調べるの忘れちゃってたな……。


 明日起きたら調べよう。


 まとまらない思考をただただ巡らせていると、ふいにベッドのスプリングが軋んだ。


 日野くんがどうやら動いたらしい。寝返りではないようだからお手洗いだろう。目を開いて驚かせてもいけないしぎゅっと目を閉じると、何故か私の体の腰の辺り……それも両側に何かが深く沈み込んだ。


 ……心なしか人の熱を感じる。


 いつの間にか何かが沈み込む感触は、私の耳の横……それもまた両側に追加された。


 もしかして、日野くんのいない間に誰かが入ってきて、私に馬乗りになっているのでは……?


 でも扉を開く音なんてしなかった。ならばこれは地縛霊とか心霊現象では……?


 神社は好きじゃない同士というか私の一方的な片思い状態で行ってしまったし、何か良くないことがあったのでは……。だとしたら日野くんに危険を知らせないと、彼の身も危ない。


 恐る恐る目を開くと徐々に夜目が慣れてきて、私に覆い被さる人影の輪郭がはっきりしてくる。やがて鮮明に見えてきたその人の顔を見て、私は絶句した。


「な、なんでひ、日野くん……?」


「なんだ。まだ寝てなかったんだ。やっぱりまた薬飲ませておくべきだったな」


「え……?」


 ぞっとするほど冷たい声だ。まるで日野くんが日野くんじゃないみたいな。姿形だけ同じで、まるきり別人のように思えた。


「な、なにしてるの……?」


「……なにって、ねえ」


 恐る恐る問いかけると、日野くんはこちらに同意を求めるように鼻で笑った。そして溜息を吐いてぐっと鼻先近くまで私に顔を近づけてくる。


「教えてよ五十嵐さん、俺の何が駄目? 今まで俺の我儘散々聞いてくれたじゃん。家とか来て、夕飯作りに来てくれたし。弁当だって毎日作ってくれてる。どうでもいい相手にそんなこと出来るの? 本当は俺の事好きになってくれたんじゃないの? 俺はどうすればいいの? 顔だって、性格だって、何もかも五十嵐さんの好きに変えるから教えてよ」


 いや、全部好きだ。初めは、食べてるところだけだったけど、今は全部が好きだ。


 でもそんなこと言えないし、気持ち悪がられてしまうわけで。酷い裏切りになって彼はきっとご飯がまともに食べられなくなってしまう。


「五十嵐さん、どうして俺を好きになってくれないの……」


 ぽたりと、私の頬に水滴が落ちてきた。滴は重力に沿うように私の頬を伝っていく。私は別に今泣いていない。けれど上から、日野くんからぽたぽたと滴が落ちてくる。


「……どうしたら、俺を好きになる? 俺は五十嵐さんしか好きじゃないんだ。だから苦しい……。助けてよ……。今までずっと言うこと聞いてくれたじゃん……」


「日野くん……」


「ねえ五十嵐さん、俺とずっと一緒にいて? 俺のこと選んでよ……。最後には、俺のこと殺してもいいから、俺を好きになってよ……! そうしなきゃ、俺五十嵐さんの心、壊すしかなくなる……、こんなにほしいのに……!」


 日野くんが私の胸に縋ってきた。スプリングが強く軋んで勢いこそすごかったのに、手は震えていて声は掠れて泣いていて、私も好きだよと言ってしまいそうだ。でも駄目だ。好きになってしまう。好きになってしまう。というか好きになってるから、この気持ちが知られてしまえば――、


 ……あれ? 待って。日野くん、私のことしか好きじゃないって、言った?


 俺のこと、好きになってよって、言った?


「日野くんの、気持ちは、れ、恋愛的な、意味合いでの、好き……なの?」


「当然でしょ。だから俺は、今から五十嵐さんを――」


「わ、私も日野くんのこと、す、好きだよ。……れ、恋愛的な、意味合いで……」


 戸惑いつつも彼に目を合わせる。すると彼は目を見開いて、そのまま私の肩を掴む力を一気に強めた。振動でなのか、また彼の目からぼたぼたと涙が落ちてきて、私の頬を濡らしていく。


「嘘、吐いたら刺すから俺の目ずっと見て、今からする俺の質問に答えて」

「えっ」

「答えて」


 目を、ずっと開いていたら日野くんの涙が入ってしまいそうだ。嫌じゃないけど……とりあえず何度も頷くと、彼は目を細めた。


「五十嵐さん、本当に俺のこと好き?」


「う、うん」


「……本当に?」


「ほ、本当です」


「じゃあ好きな人いるみたいな反応したのは何で?」


「えっ、あれは日野くんが、好き好き言われるの気持ち悪いって言うから、私が好きな人いるって、別な人好きって思っててもらえれば、私が日野くん好きなのばれないかなって思って……」


「じゃあ五十嵐さんの好きな人って俺なの?」


「う、うん」


 矢継ぎ早に質問をされ、パニックになりながら答える。どうしよう。答えちゃいけないことまで答えたりしてないよね……?


「否定するなら、今だよ。俺のこと好きじゃなくて助かりたくてそう言っているなら、否定して。今正直に言ったら、今日何もしないであげるよ」


 日野くんは目を見開き瞬きもしないままに顔を近付けてきた。


「だっ、でっ、あっ、日野くんた、宅配で嫌な目に遭って、ご両親のこととか色々あって、こ、こっちが想像できないくらい辛い目に遭ってるのに、私が好きなんて言ったら日野くんご飯食べれなくなって死んじゃうと思って……」


 とうとう鼻先が触れそうになって私は「日野くんが好きですっ」と助けを求めるように声を上げる。すると彼はぱっと私から顔を離して、やや呆然としながら「そっか……」と呟いた。


「俺があの時言いたかったのは、五十嵐さん以外から欲しいって思われるのは全部気持ち悪くて、それくらい五十嵐さんが好きってことだったんだけど……。じゃあその前から俺のこと好きだったの?」


「うん……」


 日野くんは、私以外から欲しいと思われるのが気持ち悪くて、私は例外だったのか……。


 というかその頃から彼は私のことが好きだったんだ……。あまりのことで信じられないし、いまいち実感がわかない。呆然とする私の頬に、彼は擦り寄るようにして触れた。


「……夢、みたいだ。……これ夢とかじゃない? これ夢だったら、起きたら即監禁コースなんだけど」


「う、うん?」


 あれ、なんで私監禁されるの? 監禁って、悪い人が誘拐して人質とかにするやつだよね……?


「ねえ五十嵐さん俺の事好きなんだよね?」


「え、あ、はい」


「なら俺が十八歳になったら籍入れてくれるんだよね?」


 日野くんの言葉に私は目を見開いた。脳がいまいち彼の言葉を処理できなくなってる。結婚ってことだよね? 高校卒業して……。出来たらいいとは思うけど日野くんが私のことを好きってだけでも驚きなのに、結婚……?


 しかし彼は驚く私の反応にまた心底驚いたような表情をしていた。


「え、五十嵐さんは結婚する気ない奴と遊びで付き合ったりするの? 俺とは最終的に別れて、他の男のところに行く気なの? 今だけ俺のこと弄んで捨てて、忘れる気? 高校時代モデルと付き合ってたって話しながら俺以外の奴に手料理作って一緒に住んで結婚して俺のこと思い出話に出来るとか本気で思ってるの?」


 そんなことはしない。絶対に。しかし日野くんは本気で思っているらしく心底苦しそうに話をしていて私は慌てて首を横に振った。


「ち、違うよ! 籍ってけ、け、結婚ってこと?」


「そうだよ。五十嵐さんが日野になるか、俺が五十嵐になるか。一緒に住んで、家の中も外も離れずに、毎日幸せに暮らすのが結婚だよ。子供を育てる夫婦もあるね。俺は子供は五十嵐さんが辛くなるなら普通にいらないかな。五十嵐さんが子供欲しくて、安全に生まれたらそれはきちんと育てるけどさ。浮気のことを不倫って呼び方になって、不倫したら裁かれるんだよ。悪いことだからね。本当に悪いことだから、罰を受けなきゃいけなくなるんだ。妻や夫を誑かした人間をね」


「いやそういう仕組みの質問じゃなくて、え、えっと……それはプロポーズ的な、その」


「嫌だな、プロポーズはしっかり、ちゃんとした場所で、しっかり準備した上でするよ。五十嵐さんが他の……にとられないように……じゃなくて、今、勝手に入籍されるのとか増えてるみたいでさ、俺商売柄そういうの怖いじゃん? 怖いよね? だから早めに籍入れておきたいんだよね。俺は五十嵐さんしか好きじゃないのに、他の人間と結婚するなんて絶対嫌だよ。そんな事されたら相手殺すんだけど。呪われた血だから家族ごとね。絶やさないと。ね、嫌じゃない? 五十嵐さんが俺と結婚しないと、俺人殺しだよ? ね、俺を助けると思って、お願い! あっそうだ。一緒に住む前には、勿論五十嵐さんのご両親にも挨拶したいんだ。だって不安でしょ? 五十嵐さんのご両親も、自分の娘が知らない奴の家に住むようになったら怖いでしょ? ね、突然結婚しますって言ったらびっくりさせるからさ、実際に会う挨拶は、出張中で無理なのは分かってるから、テレビ電話とかで話せないかな、そういえば明日午後は暇? 俺は明日フリーなんだよね。元々の予定は五十嵐さん家に連れてって明日はずーっと外出さない気だったから空いてるんだ。ねえ、五十嵐さんは暇? その時に電話しようよ。これからのこと、五十嵐さんのお母さんとお父さんとお話しさせて。ちゃんと挨拶出来るから。あっ明日は一緒に帰ろ。俺の家に。撮影は明日無いし、朝に一回俺外出て合流した感じで戻ってくるから。帰るときは……確か宿泊体験の解散の駅って確か駅ビルになってるとこだったし、そこの三階とかその辺りで待ち合わせしよ。そっから一緒に地下降りてタクシー乗って帰ろ。ね? それでどうかな五十嵐さん。五十嵐さんはどうしたい? 疲れてるかな? 駅ビルの最上階レストランだけどそこで食べる? 近くにホテルあるけど泊まる? 俺金なら結構あるんだ。両親死んでるし、モデルの仕事とかでお金あるし。それに業者に急ぎで作らせる必要なくなったんだよ。五十嵐さん閉じ込め部屋。部屋の半分鍵付きの鉄格子つけてさ、もちろん窓側ね? 開かないから安心して、逃げようとして落ちたら危ないもんね。二十五階から落ちたら死んじゃうよ。下にクッションとかあっても。即死だよ。ぞっとするね。絶対逃がさないよ。どこにも。五十嵐さんは死ぬまで俺と一緒にいてもらうんだから」


 日野くんが捲し立てるように話す。なんだかわりと私と同じくらいパニックみたいになってない? 気のせいだけどすごく興奮している気がするし、こっちの日野くんも初めて見る気がしてならない。


「待って、ちょっと待って、日野くん、落ち着いて」

「落ちつけないよ」


 ぎゅっと抱きしめられて、パニックになった。日野くん相変わらず上は裸だし、っていうかいつの間にか上はパジャマすら脱いじゃってるし、鎖骨とかくっついてるしシャンプーの匂いするし、こっちも落ち着けない。


「俺、五十嵐さんのこと大好きなんだ。ずっとずっと好きだった。本当四月とかに会えた時本当に嬉しかった。どっか空き教室に連れ込もうと思ったくらいだもん。チャンスは何回かあったんだよ。五十嵐さん一人暮らしだしさあ、配達員装ったりとかもいくらでも出来ちゃうじゃん。それにどうでもいい奴らに囲まれてイライラしてたし。俺さあ、本当五十嵐さん以外ゴミに見えてるんだよ。五十嵐さん以外人間じゃないから。本当は話をするのも見るのも聞くのも、五十嵐さんじゃなきゃ嫌なんだ。っていうか、五十嵐さん以外の人間が吐いた空気とか吸いたくないし。あ、五十嵐さんのお父さんとお母さんは大事だと思ってるよ。でも正直に言えば、やっぱり俺と五十嵐さん以外皆邪魔かな。それくらい五十嵐さん好きなんだ。大好き。五十嵐さんが可愛い。俺五十嵐さんのこと大好き。だから結婚してね。ちゃんと幸せにするから俺のこと選ぼう? 最後は五十嵐さんを看取るのも嫌だし、五十嵐さんに俺を看取らせるのも嫌だから一緒に死のう? 俺の首絞めて殺してよ。ね? 五十嵐さん俺のことちゃんと殺してね? ……ああ~夢みたいだな。俺ずっと五十嵐さんのこと好きだったんだ。俺さ、五十嵐さんが俺の事拒絶するなら、五十嵐さんのこと殺して死ぬくらい、ずっとずっとずっと愛してるんだけど、五十嵐さんは俺のこと好きになって後悔してない? やめたくなってない?」


「う、うん。大丈夫だよ。えっと、とりあえずお互い、一緒に天寿を全うできるように頑張ろうね?」


「うん。ありがとう五十嵐さん」


 日野くんはいつの間にか、ごちそうを前にした様な顔つきに変わっていた。いや、それよりも、もっと、嬉しそうな、顔になっているような……。


「じゃあ、今日は普通に一緒に寝よ。俺やっぱり少しずつ段階踏んでいきたいから。キスは撮影があって、初めては絶対五十嵐さんとが良かったから無理矢理だったけどさ、ちゃんと順番とか、大事にしていきたいと思ってるから」


「え、キス? さ、撮影?」


「うん。五十嵐さん八月のこと、事故だって思ってるだろうけど、あれわざとだよ。五十嵐さんとキスしたくてした。腕引っ張ったのもわざと。全部」


「えっ、えっ、ま、待って」


「でもいいよね。五十嵐さん俺のこと好きなんだもん。ちょっと順番入れ替わっちゃったけど、これからたくさんしていけば順番なんて関係ないよね」


 また頭が混乱してきた。あれは大変な事故を起こしてしまったと思っていたけど、あれが、わざと――? じゃあ彼は――、


「愛してる、五十嵐さん。ずっと一緒にいてね」


 日野くんが低く掠れた声で囁き、ぎゅっと縛り付けるように私を抱きしめた。これは、えっと、私の願いが叶ったのか、それとも、彼の願いが叶ったのか、どっちもなのか。どっちだろう。


 何かまだよく分からないし、実感も沸かない。なんだか取り返しのつかないことをしてしまったような気もするし、何かが終わって、始まってしまったような気もする。


「死んでもずーっと、離れないからね」


 だけど目の前にある日野くんのうっとりとした微笑みに、これから先、ずっと彼にご飯を作れるならいいかと、私は混乱するまま彼の背中に手を回したのだった。


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