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寄居商店街の人々  作者: 温森文絵
4/4

4話【小雪さんのお弁当】


「サクラ、話があるんだ……」

「お爺ちゃん」


こんな感じでお爺ちゃんからお茶に誘われたのは初めてだった。


「お婆ちゃんは一緒じゃないの?」

「サクラ、お爺ちゃんの話を聞こうか」

「う、うん」


パパはまるで小さな子どもを落ち着かせるかのように、静かな口調でそう言った。


「サクラ、お婆ちゃんは……」


お爺ちゃんの話が寒すぎて体が固まった。アタシの意思とは関係なく、ピタリと動きを止めてしまった。


「サクラ……」

「パパごめん、無理、アタシ無理だから」


「春男、泣かせてあげなさい」


お婆ちゃん、大好きなお婆ちゃんがアタシを忘れてしまうなんてあり得ない。なんで、なんでアタシのお婆ちゃんなの……


病院で診察中だったお婆ちゃんを迎えに行く。


「サクラちゃん、来てくれたの?」

「お婆ちゃん」

「あら、春男までどうしたの?」

「みんなで外食しよかと」

「まぁ、外食なんて久しぶりね」


いつものお婆ちゃんだった。これからアタシやパパやお爺ちゃんを忘れて、だんだんと若返り、最後には子どもにかえるお婆ちゃんにアタシは何がしてあげられるのだろうか。


お爺ちゃんからお婆ちゃんの記憶について話を聞いてから二ヶ月がたったころ、初めての衝撃がアタシを襲った。


(サクラの婆ちゃんを預かってる、公園だ)


幼なじみの夏生からメールが届いた。学校が終わり帰り道の寄居商店街でブラブラしていたときだった。


アタシは走った。公園までの道のりを心臓がバクバクするほど一気に走った。


「ハァハァ、ハァハァ……」

「おう、サクラ、早いな」

「お婆ちゃん……」


お婆ちゃんはぼんやりと一点を見つめて動かない。夏生は信号機の下でオロオロするお婆ちゃんが危なくて声をかけてくれたようだ。


「サクラちゃん早いよう」

「お婆ちゃんは大丈夫?」


咲ちゃんと楓は夏生からのメールを一緒に見ていて心配してくれたようだ。


アタシは二ヶ月前にお爺ちゃんから聞いた話をみんなにした。


「みんなで考えよう、何か出来るよ」

「サクラはいつも笑ってなきゃなっ」


アタシは自分が不安に押しつぶされそうになっていたことに気づいた。


みんなが一緒に、と言ってくれたことで、お婆ちゃん寄りで考えていたアタシ自身を、お婆ちゃんの隣に置いて考えることが出来た。


アタシがお婆ちゃんのために出来ること、それは泣くことじゃない。


「お婆ちゃん、お家に帰ろう」

「あ、はい、すみません……」


アタシは泣かない。お婆ちゃんがアタシに敬語を使っても、深く頭を下げても、絶対に泣かない……


「サクラ、夜中でも探すからメールしろ」

「咲ちゃんも探すから」


背中越しのエールが温かくて、また涙が出そうになったけど堪えた。


寄居商店街の前を通ると甘い香りがして来た。


「うわぁ、小雪も食べたーい」

「た、たべる?」


アタシは少し驚いた。お婆ちゃんが自分のことを名前で呼ぶのを初めて聞いたからだ。そして、その話し方は、まるでアタシたちの年代の若い娘、みたいな雰囲気だった。


「うん、食べたーい」

「う、うん、一緒に食べよう」


アタシは溢れるものを止めることが出来ないまま、クレープを買ってお婆ちゃんをベンチに座らせた。


「はい、苺生クリームね」

「うわぁ、いただきます」


アタシの視界はぼんやりと霧がかかったようにブレていたが、誰かが走って来るのがわかった。


「小雪、ハァハァ、あーよかった」

「お、お爺ちゃん……」

「サクラ、ごめんな、怖かったろう?」

「お爺ちゃん、お爺ちゃん、お爺……」


アタシは、アタシは情けないほどすぐに決意を崩して泣き崩れていた。


アタシとお婆ちゃんが帰る後ろ姿が不安だったから、と夏生が家に行ってお爺ちゃんに状況説明をしてくれたようだ。


「小雪ちゃん、美味いか?」

「うん、お父さんも食べて」

「おお、美味い」

「でしょう、苺はだめよ」


お爺ちゃんはお婆ちゃんのお父さんになっている。


 不思議な光景を見ている気がした。

二人のようすを暫く見ていたらその不思議の意味がわかった。


「お爺ちゃん、凄い……」

「な、何だよ急に」

「お婆ちゃんが幸せそうに笑ってる」


信号機の下でオロオロするお婆ちゃんを見て慌てた夏生や、公園に走り込んで泣きべそをかいてるアタシの隣ではお婆ちゃんは下を向いて動けずにいたのに……


お爺ちゃんはお父さんと呼ばれても慌てず、苺にはしゃぐ若者言葉の老人にも戸惑わず、相手のようすに合わせていた。


 お婆ちゃんのようすが見えるのはこちらだけで、お婆ちゃんの目には、相手の反応やようすが映る。


だから、笑って相手をするお爺ちゃんの前では、お婆ちゃんも笑っているんだ。


その日の夜は、お婆ちゃんが眠ってからお爺ちゃんとパパと三人で洋服に名前と連絡先を書いた布をわからないように後ろの腰元に縫い付けた。


 帽子に名前を書いたり、携帯電話の場所がわかるようにしたり、今、出来ることをした。


翌朝、窓を開けると中庭から花の香りがふわっと入り込んで来て気分を穏やかにする。 


 この花壇はお婆ちゃんの趣味だが、これからはどうなるのだろうか、と考えていた。


「サクラちゃん、これ新作よ」

「あ、ありがとう」


お婆ちゃんから昨日の小雪ちゃんの影は全く感じられなかった。新作と言って持参したアスパラのぬか漬けはよく漬かり最高に美味しかった。


「めっちゃ美味しい」

「お弁当に合いそうでしょう」

「うん、合うと思う」

「お休みに温泉行かない?」


お婆ちゃんはアタシを見ずに温泉旅行に誘った。


「うん、行こう温泉」

「じゃ、週末に家族旅行よ」


無表情な顔を見せないように、背中を向けた姿のまま話を終えて母屋に帰って行った。


パパは廊下でそのようすを見ていたようだ。


「自分でも気づいているのさ」

「パパ……」


お婆ちゃんはこの旅行を何のためにするのだろうか、誰のためにするのだろうか。


アタシは憂鬱を背に旅行の日を迎えた。お婆ちゃんが記憶をなくす前にしたいことがわからない。


アタシは何がしてあげられるの……


「よう、サクラ」

「えっ? 夏生が何で」

「咲ちゃんもいるし、楓もいるよ」


駅に着くと見慣れた顔が勢揃いしていた。どうやら、お婆ちゃんがみんなを招待したらしい。


 お婆ちゃんの幼なじみたち……


夏生の家の麦子さん、咲ちゃんの家の菊さん、楓の家の紅葉さん、そして中心街で食堂をやっていた結さん。


 咲ちゃんは無邪気に喜んでいた。


「楽しみね、こういう旅行」

「咲ちゃん、うんと楽しんでね」

「雪婆、ありがとう」


何も変わらぬ日常のように見える。お婆ちゃんもずっとこのまま変わりなくって思いたい。


大きな旅館ではみんな伸び伸び過ごして楽しい時間だった。


 食事の時間には、カラオケで笑い転げるほど音痴な夏生に安心感を覚えた。


「何でも完璧な人はいないんだね」

「おい、咲、やんのかぁ」


怖くて夏生には何も言えなかった咲ちゃんが、歌う姿を録画という方法で入手した。


「ほれほーれっ、どうだ」

「テメー、消去しろ」


笑って楽しい一日を過ごした。

きっとみんなにも忘れられない記憶の一つになるはずだ。


お婆ちゃんがみんなを集めた理由がわからないまま、旅行は帰りのバスの中と言う時間になっていた。


「小雪旅行、ありがとうございました」


お爺ちゃんの挨拶が終わりバスから降りるとき、一人一人にお弁当が渡された。


お婆ちゃんが旅館に頼み、お弁当を作る場所を借りることが込みでの予約だったらしい。


 お婆ちゃんは満足そうだった……


翌日、学校に行くとみんなのお婆ちゃんたちには同じ手紙が添えられていた。


( 大丈夫、忘れたふりをしてるだけ)


そして夏生と楓と咲ちゃんの手紙には……


( サクラとはずっと一緒に笑ってね)


お婆ちゃんは、記憶のあるうちにみんなに思いを伝えたかったのだ。


 自分を心配する幼なじみには、ボケたふりをすると言い残し、孫の支えになる友人には、みんなが笑って過ごせるようにと願いを込めて……


小雪旅行の目的は、みんなの笑顔を記憶することと、感謝を込めて作ったお弁当を贈ることだったと気づいた。


お婆ちゃんのお弁当は美味しかった。アスパラのぬか漬けは、とろろ昆布のおにぎりによく合っていた。


幼稚園のときママがいたら何をしてほしいの、とお婆ちゃんに聞かれた。

アタシは聞きたいことがあると言った。


「何をきいてみたいの?」

「アタシは生まれてよかったの?」

「サクラちゃん……」

「アタシは生きてていいの?」

「サクラちゃん……」


お婆ちゃんは、あの日の話を今も覚えていてくれた。それだけでアタシの胸は張り裂けそうになった。


サクラへ

(サクラ生まれてくれてありがとう)

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