第9話『姫野十花との出会い』
あかねさんの思わぬ提案により、次の日の昼食は久しぶりの手作りお弁当だった。
なんと言っても、『女神様』の手作りお弁当だ。
「お。夏斗がお弁当って、高校一年の一学期以来じゃないか?」
「そ、そうだね」
驚いた表情で、お弁当箱を眺める康太郎に、僕は苦笑いを浮かべて答えた。
昼休みの食堂はいつも大勢の生徒で賑わっている。僕たちもその中にいる。
食堂に行けば、飲み物や食べ物は大抵揃っている。売店も中にあり、お菓子などはコンビニよりほんの少し安く売っていたりする。
康太郎はいつも通り、いちごミルクを片手にメロンパンを食べている。
康太郎のメニューはいつもこれだ。毎日食べていて飽きないのか、そんな疑問すら気付けばなくなっていた。
「自分で作ったのか?」
「いや……」
「だろうな。早く開けて見せろ」
僕も今朝、学校でお弁当をあかねさんから手渡されたため、中身はまだ見ていない。
栄養面を重視して、おかずを詰めてくれたらしい。ありがたい……。
康太郎に急かされ、僕はお弁当箱の蓋を開けた。
お弁当箱の一段目は白ご飯だ。上にはハート型にふりかけがかけてある。
色んな味のふりかけを使って、カラフルなハートに仕上げてある。
そして二段目。
「……え」
「うわぁ、こりゃすげぇな」
開けると、五種類くらいのおかずが綺麗に並べられていた。
見ると、ほとんどのおかずがハート型になっている。ハンバーグに卵焼き。さらにはウインナーまでもが綺麗なハート型にされている。
明らかに時間をかけて作られたお弁当に、僕は言葉を失った。
「もしかしてとは思ったが、やっぱり栞田さんに作ってもらったのか。ほんと愛されてんな、夏斗」
「いや、好いてもらえてるのは純粋に嬉しいんだけどね……」
「なんだ? 不満なのか? 栞田さんにお弁当とか、この学校のほとんどの男子生徒の憧れだぞ」
「ち、違うよ!? 確かにすごく嬉しい! でもお弁当まで作ってもらってるのに、僕はあかねさんに何も出来てないなって」
不満どころか、『女神様』にここまでしてもらえて、嬉しすぎる。
でも、逆にそれが僕の悩み事でもある。
何か返せないかと日頃考えているものの、何も思いつかないのが現状だ。
「そうだなー、確かに好きな人に形あるものをもらえるのは嬉しい。でも、栞田さんがお前に一番求めているものは十年前の記憶じゃないのか?」
「十年前の記憶……」
「もし十年前の約束が事実なら、約束を忘れられているのは悲しいだろ」
僕も思い出せるなら思い出したい。それが難しいからこうやって頭を抱えてるんだけど……。
約束したということは、十年前にあかねさんとどこかで会っているわけで。
でも今の僕の頭には、十年前に会った記憶すらない。
「なんにせよ、お前はまず十年前の約束を思い出すところからだな」
「そうだね……」
昨日の作戦の失敗から、直接あかねさんから約束を聞き出そうとするのは良くないと分かった。
それに僕があかねさんの立場なら、聞かれるよりも自力で思い出してくれた方が嬉しいしね。
何かきっかけがあれば思い出せるかもしれないが。
そんなことを考えていると、食堂全体が突然騒々しくなり始めた。
いつもの賑わいとはまた違ったうるささだ。
どちらかと言えば、歓声のような。
見れば、入口の方を見る康太郎の顔が険しくなっている。
「どうかしたの?」
「入口の方を見てみろ」
身長の高い康太郎は見えるかもしれないが、僕の身長はお世辞にも高いとは言えない。人が多すぎて、ここからではあまり見えない。
「十花だ……」
康太郎がボソッと呟いた。
話したことはないけど、名前と顔だけは知っている。
――姫野十花。苗字を見ればわかると思うが、千聖の一つ歳の離れた妹だ。
千聖の妹だが、康太郎は十花が嫌いだ。
僕自身も何度か十花の噂を耳にしたけど、あまりいい噂を聞いたことがない。
「こっちに来た。夏斗、極力無視を貫け」
「う、うん。わかった」
康太郎がこれほど嫌悪感を見せる人間は滅多に居ない。だが、それほどの理由が十花にはある。
「探したわ、康太郎」
姫野十花は学内三大美女の一人だ。康太郎の彼女である姉の千聖を抑え、高校一年生ながら三大美女のうちの一人に入っているほど、その顔立ちは整っている。肩くらいまで伸びた茶色よりの黒髪。もちろん地毛だ。
根っからの男嫌いらしいが、いつも後ろに大きな体格をしたラグビー部の三年生を数人侍らせている。でも、そのおかげで三大美女の一人だと言うのに、男子生徒は誰も十花に近付こうとしない。
十花は腕を組み、どこか幼さを残した笑みを浮かべて康太郎にそう告げた。
「ちょ、何無視してんのよあんた!」
「…………」
後ろのラグビー部が十花を無視した康太郎を睨む。
だが、依然康太郎は無視を貫いている。十花の方を一瞬たりとも見ようとしない。
「ふんっ! 別にいいわ。この間の交換条件さえ忘れてないならね。もういい、行くわよ」
と、踵を返そうとした十花の目に、僕のお弁当が写った。
すると十花は口元を歪め、次は僕の方に視線を向けてきた。
「ぷっ、なにこれ! くっそ気持ち悪いんですけど! やっばいこれ! インスタに載せよーっと!」
「僕のお弁当を笑わないでくれないかな」
気付けば僕は、十花に反論していた。
ラグビー部たちのターゲットが僕に変わる。めっちゃ怖い。
「え、なに? もしかして今ので怒ったの? ぷぷっ!」
「僕のことはバカにしてもらって構わないけど、このお弁当だけはバカにしないでくれないかな」
「きも。ふん、面倒くさいわ。これだから忠実じゃない男は嫌いなの」
それだけ言うと、十花は入口の方へ向き、帰って行った。
「さすがにあかねさんが作ってくれたお弁当をバカにされるのは無視できなかった……」
「あそこで反論してなかったら本物のお前か疑ってたくらいだ」
嵐は去っていった。食堂内に余韻は残りつつも、少しずついつもの静けさに戻っている。
康太郎は複雑な表情を浮かべながら、メロンパンの最後の一口を口の中に入れた。