序-9
変化期である最終期を迎え、数十名から一割程度が生存する毒袋の中身。地獄のような所業はそれだけに終わらず、同じ境遇の死んだ子供らの肉体までもが、辛うじて生き残った生存者の食料として空気穴から墜ちてくる。
魔物の肉を下賤にも食み、人外の血液を飲み干し、完全なる抗体が出来上がった子供達にとって、今更脱落者の肉など、消化し免疫を体内で構築するに当たって問題はない。
異常と注意があるとするならば、寧ろ毒袋から出た時である。毒薬研として当主に相応しい肉体に改造された者がいれども、袋の中に押し込められていた記憶を有する事に対して、非常に強い苦痛があるためか、折角生き残った強靱な者は自死する傾向にあった。
毒袋の中で過ごし、生きたまま出られた者には麻薬、酒精、薬毒のそれらは全て抗体が出来ているためか効くことがないので、ほとんどが刃物で咽喉を切り裂くか、首を吊るか、身投げをするといった物理的な自殺法が用いられる。
そのため、毒袋から出た直後に限らず、毒薬研の当主になったものは、絶えず自殺の兆候と自死の実行を見せないか、暗所要所から観察対象として見張られているのである。
自殺以外の他殺や寿命の場合は、逆右の当主が代々毒薬研究所を造ったように、新しく子供達を買い取ったり拾ったりして、肉体改造を施せば良いだけであり、当主一人がいなくなっても問題はないのだが、予定にない死だけは避けがたいものであった。
その理由として挙げられるのは、単純な話である。毒薬研の家系は密教の徒であるものの、基本的に医学に傾倒し、医者として逆右や、試し切りの剣家、首切り執行人の暗殺陣とは比べものにならないほどの稼ぎ頭として、経済的に三つの家系を支えていたのだ。
その主たる収入源が、予兆も予感もなく死亡し、経済的に困窮するのは由々しき事態だ。非常に単純な理由であれども、だからこそ毒薬研の当主には見守り人として、もしくは看守人としてか、自殺防止の役割を担った人物が、気配を押し殺して常に近隣に存在しているのである。
第二の理由は、毒薬研究所の肉体が、あらゆる病魔病原菌の抗体が出来ていると同時に、たとえば血液が他者の傷口に入れば、破傷風どころの話ではなく、正に毒を盛られた如く相手を苦しめ死なせる点にあった。
毒薬研の亡骸を土饅頭で埋葬することなど、その土地において立ち入り禁止区域をわざわざ作るようなものであり、汗の滴り、涙の一滴など、毒薬研の体液は自然や生物に触れさせてはいけない。
逆右がわざわざ苦労を重ねて、子供を買い取り、もしくは連れてくるのは上記の理由があってこそのものである。
毒薬研の体液は基本的に猛毒といって差し支えないものなので、性交によって子供を為すことなど事実上不可能だ。
ちなみに基本的に女性が、毒薬研の当主になることはない。理由は至極簡単である。女人は肉体の生理的な反応として、子を成す血潮の苗床である付き物があり、その際に流れる一月分の血液は、どうしようもない劇薬なのであった。