序-2
昔話のように……現実性を感じ取れない者からすれば、お伽噺のような空想話とも思われる老人の教訓であるが、戦渦の忌まわしい忌避すべき、幸運と辛うじて生き残った先祖にして先人の昔話は、江戸時代の黒船が現れるか現れないか前後する時節に、その語り部の命は終わろうとしていた。
それは老人の話を鬱陶しく思って、狼藉者が殺害しようとしたわけではない。生命の定めとして、人間の定命として、一個体の命が病魔によって潰えるように終わろうとしていただけである。
結果論から云わせて貰えば、戦争の語り部である老人の死因は穏やかな老衰から程遠い、病魔による蝕みであった。肉体が年月と共に活力を失うように順当に健康そのものが損なわれ、老人は先祖代々から付き合いのある薬師の世話になっていたのであった。
その薬師の名前は、毒薬研究所と云う。
この異様と異彩を放つ名前についてだが、語り部の老人が肉体と健康状態に僅かながら障りを認めた時から世話になっていたのだが、彼の名前――毒薬研の字は本名ではない。
下の名も同様も真名ではないのだが、これ代々毒薬研の誰もが本名を棄て、毒薬研究所と云う名前を名乗る独自の法則性ゆえである。尤も偽名で自己を紹介したり、本名を棄てるといった毒薬研の家系には例外と呼ばれる例外というものはなく、毒薬研に属する誰も彼もが本名を持たない名無しであったからに他ならない。
毒薬研の誰もが何故、名を放棄していたわけではないのに本名を所持していないのか……それは一般市民である民草が名字を名乗ることに問題があったというわけではなく、毒薬研の皆が捨て子であったからであった。名を所持するか、認識する前に棄てられた孤児であったからである。
そもそも毒薬研は薬師如来のご神体とした密教の集団であり、人の解釈次第によっては邪教とさえ考えられていた。
密教や邪教のそれは毒薬研のそれだけではなく、死刑執行人である暗殺陣の家系も、死体を試し切りして刀剣の切れ味を確認することを生業とした剣家も、その御三家を纏め上げる逆右の長にしても同例同列同類に堵列される存在であった。
端的な話、逆右にしても、毒薬研にしても、暗殺陣にしても、剣にしても、一般的な観点から推察すれば、極力関わり合いを持ちたくない厄介な連中であったことは確かであろう。