外交使節 五日目
獣亜連合国での会談が全て終わった翌日。
"祭壇の間"から帰れる事は確約してもらえたものの、諸々の手続きの都合で帰国は明日の夜になった。その為今日は一日(街の中限定だが)自由時間となり、それぞれが思い思いに過ごすこととなる。
コロナは実家でそのまま過ごすことになり、ドルンはドワーフの長と話すとかで出かけて行った。
残った自分とポチ、それとエルフィリアは前回ゆっくり見て回れなかった街中を見て回り、久しぶりにのんびりした一日を過ごすことが出来た。
ただ相変わらず見張る人はいたが……いや、あれは見張りと言うより護衛かもしれない。恐らく帰るまでは重要な人物と思われているのだろう。
まぁ彼らの視線を気にしなければ特に問題はないか。むしろ彼らより周りの視線がちょっと気になるかもしれないが、この辺りは人王国でもおなじみの視線。
いくら母国とは言えやはりエルフは珍しいようでチラチラとエルフィリアを見てくる人はままいた。前回の時はフードをしていたからあまりそう言う事も無かったが、今の彼女はもうそんなものは不要とばかりにその顔を晒している。
単に慣れたか、それとも心が強くなったかは分からない。ただ一番初めの頃を考えればかなりの進歩だ。
自分があれこれした記憶はあまりないのできっと環境の変化が彼女を良い方向に変えてくれたんだろう。その代わりに色々と危ない目にも合わせてしまった事に対しては申し訳なさもあるけど……。
「ヤマルさん。今夜はコロナさんの家で夕食会でしたよね」
「うん。明日帰るから皆さんでどうぞだって。折角だから好意に甘えることにしたよ」
コロナもその準備のため実家で寝泊まりだったので今日はまだ一度も顔を見ていない。
そしていつもなら何かしら手土産を買っていくのだが、今回は前以て丁重に断られてしまった。心情的に手ぶらは心苦しいのだが、今日ばかりはお客様として甘えることにする。
「楽しみですね。あまり他の家の家庭料理をいただくことが無かったので……」
「あー、確かに俺もこの世界来てからはそんな感じだなぁ」
基本自分で料理を作り他家に行くことが無かったエルフィリア。
そして自分の場合はコロナやエルフィリアの料理は家庭料理のカテゴリーだか、彼女達以外となると殆ど口にしていない気がする。
それこそ以前に今日みたいにコロナの実家へお邪魔したときぐらいだろうか。
ラムダン宅はバーベキュー形式だったし、普段は宿住まいだし……あ、王公貴族な面々の家は除外します。あと魔王城も。
「うん、エルフィが言うように楽しみだね」
「ですね」
そんなことを話しつつ、しばらくは街中をゆっくりと歩いて見て回ることにした。
◇
さて、話はヤマル達が獣亜連合国に来た初日に遡る。
この日、コロナは一つの決心をしていた。再びこの地に来た時、自身を磨き上げ更にブラッシュアップをしようと誓っていた。
そしてこの想いは誰にも話すこと無く厳重に秘され、今日この時を迎えることとなる。
緊張した面持ちでコロナが姿勢を正す。
そして彼女は目の前の人物に向け深々と頭を下げその胸中を口にした。
「私に料理を教えてください」
「あら……?」
頬に手を当てキョトンとしているのは彼女の母親でもあるミヨ。
急に帰ってきたコロナを暖かく出迎え、家族四人で夕食を取ったのは少し前の事。
娘が帰ってきたことが嬉しかったのか、父であるレイニーはその日お酒を飲み早々に就寝。妹のハクもそれに続き、ミヨとコロナは後片付けを行っていた。
そんな最中、コロナが神妙な面持ちでこう告げたのだ。大事なお話がある、相談に乗って欲しい、と。
いつになく真剣な表情の娘にミヨは母親として毅然とした態度でそれを受け入れる。
そして台所のテーブルで向かい合ったところ、先ほどの言葉が出てきたのだ。ミヨからすればもっと重い話かと思っていただけに拍子抜けした反面、娘からのお願いにほっとした気持ちになっていた。
とりあえずコホンと軽く咳ばらいを一つ。改めて姿勢を正したミヨは願いそのものは了承するも、その言葉の疑問点を投げかける。
「教えるのはいいけど……でもあなたも料理は普通に出来てたわよね?」
そう、少なくとも母親の目から見てもコロナは料理が出来る女の子だ。
これは小さい頃から剣を持ちレイニーと打ち合ってるのを見たミヨが、せめてとばかりに教えた成果である。
ただしコロナはトライデントへと早期に出て行ってしまった為すべてを教えることは出来ないでいた。それでも基礎的な部分はしっかりと学ばせたし、その間でも食卓に彼女が作ったおかずが並ぶこともあった。
あれから数年が経ち料理の腕が衰えたのだろうか。そう考えたミヨはその事について問いただすも、コロナからの返答はむしろ逆であった。
トライデントに加入後も自炊を含め料理を作る事もあったし、仕事柄野営で調理部隊の手伝いをすることもあった。
料理の腕が上がったかどうかは分からないものの、少なくとも下がってはいないと判断をしていた。
では何故今頃になってまた料理を習いたいと思ったのだろうか。
幾分か優しい口調でミヨがそう聞いてみると、コロナは現在所属している『風の軌跡』のこれまでの変化をポツリポツリと話し始めた。
まずコロナがヤマルと組んだ直後のこと。
ヤマルは料理が出来ない人であったため、野営などを行うときに料理を作るのはコロナの役目だった。ヤマルは《生活魔法》で火や水を出せたため、もっぱら彼女のサポートに回っていた。
そしてそれは以前この国に戻ってきた時も同様の状態であった。
しかしここに来て転機が訪れる。
『風の軌跡』にエルフィリアが加わったのだ。彼女はコロナが羨むほど女子力が高く、料理はもちろんの事、掃除に洗濯、裁縫に至るまで家事全般はそつなくこなせる人だった。
だがこの時点では母に教えを乞う程に至って無かったらしい。もしそうなっていたらヤマルやエルフィリアと一緒にここに帰ってきた時に切り出している。
その後ドルンも加わり人数が増えたため道中の家事は分担制になった。料理についてはコロナとエルフィリアで一緒に作るようになり、互いに知らないレシピを教え合う程に仲は深まっていった。
「良い事じゃないの。何も気にするようなことは無いと思うけど」
「ううん、そうじゃなくってね……」
問題はここから、とコロナは言う。
二度目の転機は人王国に戻ってからの事。古代の遺跡からカーゴを発掘し使わせてもらえることになった。
更にこのカーゴはドルンと人王国の協力の下で改造され、ヤマルが運用すること前提であるが冷蔵庫も台所も完備された動く宿の様なものへ変貌を遂げた。
「かーご?」
「あ、えっと……何て言えばいいのかな……」
たどたどしくもカーゴがどの様なものかをミヨに説明し、何とか理解を得て貰ったところで本題へと入る。
とにもかくにもカーゴの登場により旅の道中の利便性は格段に上がった。その事に対しパーティーメンバー全員、それこそコロナを含めて喜んだものだ。
ここまで来てもミヨには何が問題なのか分からない。
料理をする環境が更に整ったのであれば、喜びはすれど焦る必要は何も無いとさえ思う。もし自分が娘と同じ立場なら諸手を挙げて喜ぶだろう。
「……料理のね、頻度が減ったの」
「頻度?」
そう疑問を頭に浮かべていたミヨであったが、ポツリとコロナがそう口に漏らす。
ここで改めて『風の軌跡』の料理事情について説明しよう。
基本的にヤマルは料理が出来ず、ポチは論外なのは最初にコロナが述べた通り。ドルンも手先は器用なので覚えれなくはないだろうが、基本食事については女性二人に任せる形だ。
そしてコロナとエルフィリアの料理の腕前だが、こちらはエルフィリアに軍配があがる。だが今回コロナが重要視しているのはそこではなかった。
女性二人とも調理そのものはこなせるのだがそれぞれ得意分野が違うのだ。
コロナの料理はどちらかと言えば旅路で作るタイプの料理。例えば野性の動物を狩り、そこからの解体や下処理。野草や果物などの山の恵み等を用いた調理が得意だ。
その点エルフィリアは村で狩りに参加が出来なかったため動物の解体処理は出来ず、また他のエルフと違い身体能力の低さから野草も果物も取る事は殆ど無かった。
エルフィリアが得意な分野はいわゆる家庭料理と言うものだ。すでに解体や下処理など用意された素材を用いて台所で調理を行う。
これだけであれば世の奥様方、それこそミヨとやっている事が同じである為そこまですごいように見えない。だが残念ながら彼女とミヨの様な専業主婦では決定的に違う点が一つだけあった。
それは経験値。年季と言ってもいいかもしれない。
エルフィリア本人が嫌がって村での事を話さない為これはヤマルしか知らない事だが、彼女は日本で言う家事手伝い……要するにニートだった。
普通のエルフとしての仕事が出来ず基本は家に引きこもり、村長である母親やその手伝いをする姉が外に出ている為、せめてとばかりに家事に精を出すことになった。
その期間、ざっと百年以上。
長寿種であるからこそのある種の到達点。家事手伝いも百年続ければプロ顔負けのハウスキーパーになろうと言うものだ。
その為エルフィリアの家事全般は無駄と言うものが全くない。一般家庭と同種の環境を与えた状態であれば右に出る者などほぼ皆無であろう。
流石にレディーヤのような専用知識が必要なメイド等にはその点で劣るかもしれないが、培った圧倒的な経験値は他を凌駕する。
つまるところカーゴで調理環境が整った結果ほぼエルフィリアの独壇場となりコロナの出番が目に見えて減ってしまったのだ。
また冷蔵庫が完備されている為街で買った食材は鮮度が保たれる以上、狩りに出る必要もなく野草などの採取も不要。
何より料理を作る機会そのものが減ってしまい、ヤマルが美味しいと言ってくれるチャンスもそれに比例する形で減ってしまった。
そこでコロナは考えた。別にエルフィリアの邪魔をしたいわけではない。でも料理を作って食べてもらいたい。
しかし残念ながらエルフィリアほど家庭料理のレシピのレパートリーがあるわけでもない。
そしてコロナが考えた末に出した結論が誰かに教えを乞う事。そしてこんなことを話せるのは母親であるミヨぐらいしか思いつかず、こうして頼み込んだのが事の顛末だった。
すべてを言い終えたコロナが断られたらどうしようと言う表情でちらりとミヨを見る。だがコロナが思っていたこととは裏腹にミヨはニコニコと楽しそうな顔をしていた。
とても微笑ましい物を見るような目と言えばいいだろうか。コロナからはミヨの心中は分からなかったが、母親からすれば剣を振るおうともやっぱり娘なんだなぁと嬉しい気持ちであった。
なればこそ親として、そして同じ女性として娘を応援する事こそ最上であると結論を下す。
「いいわよ。エルフィリアさんに負けないお料理教えてあげるから一緒に作りましょうか」
「っ、うん!」
◇
「「おぉ~……」」
テーブルの上に並べられる料理の数々。そのどれもこれもが豪勢と呼べるものであった。
もちろんこれまでこれ以上の豪華な料理を食べたことはある。ただしそれは貴族とかそう言うお偉いさんの食事であり、何と言うか料理は料理なんだけど自分のカテゴリーでは外食の様な感じなのだ。
対して今目の前に出ている料理は家庭料理と言うカテゴリーでの豪勢とでも言えばいいだろうか。正直見た目からも食欲をそそられるし、多分と言うか絶対美味しいってイメージがすでに湧いてきている。
「さぁ、たっくさん食べていってね!」
満面の笑みでそう言うミヨに促されそれぞれが席に着く。
今日は父親であるレイニーも早めに帰ってきてくれたようで室内は大賑わいと言った様子だ。長方形の大テーブル、家長である彼が上座(多分)に座り、その隣に酒が酌み交わせるドルン。更にその隣に自分と男三人が並び、右隣にいるのが同じ来客扱いであるエルフィリア……ではなくハクであった。直前までポチと遊んでいたためか、今ではその小さい膝の上をポチが占拠している。
そして対面にはミヨ、コロナ、エルフィリアの女性三名。中々華やかな面々だ。
(うーん、どれから食べよう……)
食指が動きすぎて正直悩む。
やはりサラダか。葉ものも並んでいるのはエルフィリアがいるためかもしれないが、それを差し引いても日本人としては葉野菜はありがたい。
街中でしか食べれないしなぁ、これ。場所によっては手に入らなかったりするし高かったりするし……。
他にはポトフとビーフシチューの合いの子のような料理。流石に加工品にあたるウィンナーは無いが大きめにぶつ切りされた肉と野菜が甘辛い匂いのするスープと相まってそれだけで食欲を促進される。
食事以外でもお酒のつまみ一つとっても手作り感がたっぷりで手間がかかっているのが自分でも分かった。
贅沢な悩みだと思う反面、流石に手を付けないわけにもいかずとりあえず手近な料理から取ろうとしたその時だった。
「はい、ヤマル君。こちらをどうぞ」
ミヨが料理を取り皿に移した状態で渡してくれた。
「あ、ありがとうございます」
盛り付けられた料理を受け取りその中の一つをフォークで刺し口に運ぶ。
口に運んだのはまずサラダ。続いてタレに付けた焼肉。咀嚼する度に口の中にじんわりと味が広がっていく。
「…………」
うん、旨い。
何だろうな、ほっとする味とでも言えばいいだろうか。やはり自分の根底はこっちにあるのだろう。
と……。
「(じ~……)」
なんだろう、正面にいるコロナがじっとこちらを見ている。
何と言うか反応を窺っているような感じだが……。
「ヤマル君、お口に合うかしら?」
そんな最中、ミヨが笑顔のままそんなことを聞いてきた。
お口に合うかと言われたらそりゃこんだけ美味しいのだから合うと言うしかない。
「もちろんとても美味しいですよ」
「あら、ほんと?! 良かったー!」
「えぇ、これ全部コロナが作ったやつですよね? レパートリー増えてるし前より美味しくなって……どうしました?」
ふと見ると何故かミヨもコロナもキョトンとした顔をしていた。
はて、何か変な事言っただろうか。普通に美味しいから普通に褒めただけなんだけど……もしかして試作か何かで自信が無かったとか?
……それはないか。そんな不確定なものを彼女たちが出すとは思えないし。
「(俺、変なこと言った?)」
「(いえ、そんなことは無かったかと……)」
目線でエルフィリアにそう問いかけるも、彼女は小さく首を横に振るだけ。
ならばと妹のハクに声を掛けようとするが、彼女はポチとの食事にご満悦の様なのでそっとしておくことにした。
なおレイニーとドルンはお酒片手に二人で盛り上がり始めていたのでこちらもそっとしておくことにする。
「えーと、俺変な事言いました……っけ?」
結局何が原因か分からなかったので恐る恐るといった様子で問い返してみる。
するとミヨがはっとしたように両手を横に振りその理由を話してくれた。
「あ、違うの違うの。ヤマル君がこの料理を作ったのがこの子だってことを当てたからびっくりしちゃって」
「あー……流石にコロ――ナさんが作った料理ならすぐに分かりますよ。自分は料理が出来ないのでたくさん食べさせてもらいましたので」
危うくコロと愛称で呼びそうになったのを何とか誤魔化し、正直に何故分かったのかその理由を話した。
何せコロナとの付き合いはかなり長いし、その上最初の頃から彼女の料理にはお世話になりっぱなしだ。その分たくさん食べてきたのだから、少なくともコロナの料理かどうかぐらいは判別できる。
これも積み上げてきた経験の一つだろう。いや、この場合は思い出かもしれない。
「そっか、ヤマルは私の料理すぐに分かるんだ……」
「そりゃね。だから今日の料理はいつも以上に美味しくてびっくりしちゃったよ」
もしかしたらここ数日の間に色々練習していたのだろうか。もしそうだったらすごく嬉しいけど……聞くのは野暮かな。それに違ってたら物凄く恥ずかしいし……。
もし違ってた場合後日ウルティナあたりの耳に入った挙句、『ヤマル君てば自意識過剰ー!』って言われかねない。
「本当? 美味しい?」
「ほんとほんと。嘘つく必要なんて無いし、それについたらついたですぐバレるでしょ?」
そう言うとコロナの表情が目に見えて明るくなり、そしてすぐ何事も無かったかのようにコホンと一つ咳払いをして冷静さを保とうとしていた。
だが彼女の背中ごしに尻尾が左右に揺れているのが見えたので内心丸わかりである。まぁ喜んでもらえたのなら何よりだ。
「ちなみにおすすめはどれになるかな?」
「あ、えっとね。どれも美味しくできたと思うけど一番自信があるのは――」
その後気を良くしたコロナに勧められお腹の許容量限界ギリギリまで色々と食べる事になるのだが、この時はまだそうなるとは予想も出来なかった。
……だって誰か止めてくれるって思ったんだもん。




