三人のトラブルメーカー
人が危険を知るにはいくつかの手段がある。
例えば目。
視覚から得られる情報は一番人に影響を与えるものだろう。見えるものと言うのはそれほどまでに重要な事だ。
得体の知れないもの、危険な生物も目で見て判断し、それによって様々な対処が可能となる。
例えば耳。
目では拾えない音と言う情報からも人は危険を感じ取る。
生物の発する音や声色からもその感情を知ることが出来るし、目で見えずとも音だけで危険を回避した話は枚挙に暇が無い。
例えば情報。
個人で経験していない事でも人は伝聞で知ることが出来る。
各地に残る伝承や逸話などはまさに昔の人が残した教えや教訓を体現しているといえる。
この様に人は様々な角度から危険を知り知恵を身に着け都度対処を行って来た。
そしてここは異世界。
異世界には異世界の理があり、日本では考えられない別の方法で危険を知ることが出来るのだ。
◇
その日、人王国魔術師ギルドマスターのマルティナは仕事に忙殺されていた。
いや、その日と言うのは適切ではないだろう。何故ならその日『も』忙殺されてたからだ。
少し前から発生した地震の影響は思いの外大きく、ついには国から各ギルドへの対抗策依頼が発令された。
魔術師ギルドに出された指令は魔術視点での地震への対応策、防災、メカニズムの研究だ。
マルティナとしても地震への対処はしなければいけない案件の一つと思っていたので、これについて異を唱えるつもりはない。
しかしただでさえ住民が流出し魔道具の売上が減ったりしている最中の事だ。各方面からの調整に各種報告、メンバーからの相談などマスターとしてすべき事が山のようにある。
そこに大事業と言って差し支えない地震に対する国からの勅令である。
もはや魔術師と言うより事務作業じみた報告書とのにらめっこ。裁可印を押す右腕がそろそろ腱鞘炎になるのではないかと心の中でベソをかいているマルティナであったが、不意にある感覚に襲われ思わず顔を上げる。
「…………?」
室内を見回すもこれといった変化は無い。
もはや見慣れた報告書タワーがそびえ立つデスクに、最近使わない応接用のソファー。無論今この部屋には誰もいないはずだ。
一応とばかりに彼女は立ち上がり再度部屋を見るも、やはりこれといった変化は無い。
ならば外かと考え小走り気味に部屋から出るもこちらも変化無し。
そのまま足早に一階へ降り、ギルド受付のホールまで足を運んだがこちらも何も無かった。
「あれ、マスターどうしたんです?」
「サボっちゃダメですよー。あ、報告書後で持っていきますので確認お願いしまーす!」
こいつらは、と心の中で呪詛を投げつつもギルド自体に特に問題がない事には胸を撫で下ろす。
しかしマルティナは忘れてはいなかった。以前とある男の子が戦狼の子を連れてきた際にここの子達は何も気付かなかった事を。
あれから教育も施したがそもそもあのような事自体起こりえるのは稀だ。また見過ごしの可能性もある。
「……ねぇ、何か変わったこと無いかしら?」
「んー、特に無いですねー」
「マスターが部屋から出てきたことぐらいですか?」
給与査定-1、と心の閻魔帳に書き加えたところでマルティナは改めて考察をする。
先程から感じたこの得も知れぬ圧迫感。感じたことの無い波長だが、恐らく魔力であろうと推察する。
ではどこで一体誰が?と言う疑問が湧くが、この王都において魔力の大きい人物は限られている。
言うまでも無くまずはマルティナ自身だが、自分のことなのでこれは除外。
他にはギルド内のエースクラスの面々や宮廷魔術師達だが、仮に彼らが何かしようとしても少なくとも『得体の知れなさ』は無い。
マルティナは彼・彼女らと何度も会ってるし一緒に研鑽もした。だから何か魔法でやらかしたとしても目星はつくからだ。
残りは現在王都内にいると思われる異世界人達になるが、国が彼らから監視の目を外すとは思えない。
一人例外的に外に出歩いている子がいるものの、彼の魔力はむしろ見つけることが難しいレベルのためこの線もないだろう。
(気になるわね……)
もしかしたら地震に関連する何かではないだろうか。外に出てこの圧の出所を見極めるべきかもしれない。
調査が必要ならギルドマスター権限でチームを組ませ向かわせることも出来る。
そうと決まれば早速行動開始だ。
「ちょっと外出てくるわね」
「あ、マスター。書類どうするんですかー?」
「未来の私に頑張ってもらうわよ」
それだけ告げギルドの外に出る。
やや少なくなった人の往来に早くどうにかしないとなと若干の使命感を覚え、マルティナは魔法を使い空へと舞い上がった。
「んー……?」
ぐるりと三百六十度全てを見渡すも、普段と変わらぬ街の風景。
少し減った人や若干建物へのダメージが見受けられるこの光景が、今や変わらぬ風景となってしまったことに一抹の寂しさを感じる。
「特に街中に変化は……ん?」
ふと、気付く。それは街の中ではなく街の外。
正面街門から延びる街道のその先。マルティナの視力では何があるか確認できない。
しかし目で見えずとも感じられる事もある。あれは間違いなく魔力の波動。それもこの国の誰よりも多く、そしてマルティナ自身でさえ霞む程の膨大な量。
それがゆっくりではあるが間違いなく王都へと近づいてきている。
「これは……」
マルティナの頬に冷や汗が流れ落ちる。
あれほどの魔力の持ち主、もし王都に到達したらどの様な被害が出るか。もしかしたらとんでもない魔物が発生しているのではないか。
例えば以前、彼が遭遇した人と魔物との合成体のような……。
もしそうだとすれば正面の街道が封鎖されるということになりかねない。
「仕事なんかしてる場合じゃないわね……!」
急いで騎士団や兵士らに協力要請を出し、ギルドのメンバーで防衛隊の編成を組まねばならない。
あんな化け物魔力量、個人でどうにかなるものではない。
今から準備しても水際で防げるかどうかだろう。だが王都の危機に動かないなんて選択肢は存在しない。
魔術師ギルドマスターとしての職責と自身の正義感を以って早速行動を開始する。
しかし彼女は知らない。
隣国においてその魔力の発生源の存在は日常茶飯事であり、故に通達がされなかったことを。
そして魔力が高すぎるせいで並みの魔術師じゃ感知することすら難しく、これまで情報が一切伝わってこなかったことを。
彼女がそれを知るのは数時間後の事である。
◇
(……なんで俺ら包囲されてるんですかね)
魔国からの長旅も終わり、久方振りに見た人王国の王都。
地震で心配していたが、遠くから見る分には街に目立った損傷は見受けられない。その事に安心して懐かしき正面街門を潜ったところで事件は起きた。
「またあなたなのね」
「またっていきなりですね……」
門の影や詰め所からワラワラと現れる魔術師ギルドと思しき面々。そしてその中心には何故かこれぞ魔術師の戦闘モードと言わんばかりの装備に身を包んだマルティナ。
今日帰ることは誰にも言っていない。強いて言えばほぼ毎夜ごとに話をしているレーヌやレディーヤであれば予想はつくぐらいだ。しかしそんな彼女達も何時頃到着するかまでは知らないはず。
にも拘らず何故かマルティナは待ち構えていた。
……え、マジで何で?
折角長旅を終え帰って来たと思ったのに、いきなり強制イベント発生は酷くないですか?
「それで何ですかこれ。ポチがカーゴ引くとこぐらい今更でしょ?」
「いいえ、ポチちゃんじゃないわ。悪いけどそのカーゴの中を検めさせてもらうからね!」
「……? はぁ、まぁいいですけど。宿に早く行きたいんで出来るだけ手短にお願いしますね」
別にカーゴの中の荷物に怪しいものは……あー、いや。今は竜関係の品々があるか。
でも別に密輸品ではないし所有権は自分達にある。いくらマルティナと言えどこれを侵すような事があれば自分とて黙ってはいられない。
「あの、マルティナさん。これは……?」
「ごめんね。すぐに終わるからねー」
何かコロナやエルフィリアへの態度と俺への態度が違う気がする。
なお現在外に出ているのはいつもの四人+一匹だ。ドルンの方も何とか間に合ったようで、街門での顔合わせも兼ね表に出てもらっている。
そのためカーゴの中にはブレイヴとこれ見よがしにウルティナが別荘から出張ってたはずだ。
……開けて大丈夫かなぁ。スプラッターな展開になってたらもはや言い訳すら出来ないぞ。
「ヤマル君、開けてくれない? 確かこれ君しか開けれないよね」
「あ、はい」
正確にはレーヌと教授もだけど、と言う言葉は飲み込み、とりあえず往来の邪魔にならぬようカーゴを端に寄せる。
そしていつも通り手をかざし、出てきたコンソールを操作して……。
「「「…………」」」
(や、やりづらい……!)
物珍しげに見る人は多いため視線には慣れていたはずだが、好奇心旺盛な魔術師ギルドの面々が集まってるせいかいつも以上に視線が痛い。
と言うか圧がすごい。遠巻きに見る一般人の人とは違い、彼らはすぐ真後ろに集まってきている。
荒い息遣いをする上司と同僚に辟易しながらカーゴを地面に下ろし側面のドアを開放。勝手に開かれる扉に周囲から感嘆の声が漏れる。
「はい、では中の検分を――」
「何ー? ヤマル君、もう着いたの?」
「ほぅ、ここが人王国の王都か。あの時はここまで来ることは無かったから中々感慨深いものがあるな」
こちらが何か言うより早く、歩くトラブルメーカー達が姿を現す。
「うわ、すっげぇ美人……」
「何あの魔族の人。物凄いカッコイイわね。モデルかしら……?」
だがその実体を知らない人は外見を重視する。
先程とは違う別の注目度。まるで高貴な人物が現れたかのような反応だ。
周囲は俄かにざわめき立ちそれが静かに伝播してゆく。
「ふ、やはり我はどこに居ても注目される宿命か」
「大人しくしてなさいよー。何かしたらミーちゃんに言いつけるからねー」
「むぐ……!?」
自分達からすれば身内のじゃれあいだが、知らぬ人から見ればどのように映るのだろうか。
もしかしたら歌劇のワンシーンの様に見えるのかもしれない。娯楽がそこまである世界じゃないし……。
「あ、あの、あのの……」
しかしただ一人、マルティナだけ反応が違っていた。
まるでスマホのバイブレータモードの様に小刻みに震えている。輪郭がぶれてる辺り彼女がどれだけ震えてるのかが分かる。
「や、ヤヤヤマル君。あの、あの二人、その……何?」
「何って……」
二百年前の伝説の魔女とその相手の災厄の魔王です。
……うん、ダメだ。周囲がパニックになるか頭のおかしい人間に見られかねない。
「あの、マルティナさん。どうかしたんですか?」
「どうかしたんですか?っじゃないわよ! 何よあの二人の魔力! 戦争しに来たの?! ヤマル君はそんなことする子じゃないって信じてたのにーーーー!?」
「お、おちおち、落ち着いてくださささ……!!」
自分の人生史上最大の揺さぶりを食らい世界が三重ぐらいになって見える。
と言うか旅疲れのところにシェイクされたらちょっと気持ち悪く……うぷ。
「はっは、中々愉快なご婦人だな。だがそろそろヤマルの顔が色々と見れたものじゃなくなるからそのあたりにしておきたまえ」
ぐい、とブレイヴが軽く手を加えるだけでマルティナがあっさりと引き剥がされる。
助かった……と安堵しブレイヴに礼を告げ、改めてマルティナへと向き直ると彼女の頬に少し赤みがかかっていた。
……変なこと言い出す前に念のため釘を指しておく。
「マルティナさん、一応婚約者いる人なので……」
「……ちぇ。そうよね、あれだけカッコいい人だもの。当然いるわよね」
回りに聞こえないよう彼女に近づき小声でその事を教えると、マルティナは口を小さく尖らせ残念そうに言葉を漏らす。
「さてと、改めておかえりヤマル君。それでこの二人はどちら様? 流石にギルドマスターとしては見過ごせない魔力なんだけど」
「あー……えーとですね、魔国で知り合いまして……」
マルティナから目線を逸らしどのように誤魔化すか脳をフルに回す。
これがドルンやエルフィリアみたいに向こうで知り合ったならまだ誤魔化せただろう。しかし今回は当人らの魔力によってマルティナがただものじゃないと看破している。
……あれ、もしかして詰んだ?
「どもどもー、はじめまして。あたしはこの子の師匠でーす!」
そんな困り果ててるところに極めて明るい声でやってくるのは我が師匠。
後ろから自分の肩に手を置き、選手交代とばかりにマルティナの前へと歩み出る。
「え、師匠……? 彼が弟子入りしたんですか?」
「そーよー。彼がどうしてもって言うから仕方なくねー」
「え、めっちゃ成り行きと言うか強制的にむぐっ?!」
肩に置かれてた手が素早く口に当てられると何故か口が動かなくなっていた。
喋ることが出来ずむーむー唸るだけだが、そんなこちらを余所に二人は話を続ける。
「そうでしたか……。あ、こちらこそはじめまして。王都魔術師ギルドマスターのマルティナです」
「これはこれはご丁寧に。あたしはウルティナ、名前似てるわねー」
「あはは、そうですね。むしろ貴女は魔女様と同名じゃないですか。魔術師としてはあの方にあやかりたいものですけど、同じ名前をつけるとはご両親は中々大胆ですね……!」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。ありがとー♪」
「「あはははは!」」
和気藹々と言った様子だがなにあの人はしれっと人が誤魔化そうとしたことぶちまけてくれてるんですかね。
でも何か冗談みたいに流してくれたみたいだし、何とかこのまま……。
「おい、何かお前と戦ったときより人間ども弱くなってないか? 戦時のときの方がもっとギラついてていい面構えだったぞ」
「何言ってるのよマー君。あれから二百年ぐらいよ? そりゃ平時だとどこもそんなものじゃないの」
「ふむ、人間はそう言うものか。いや、これも寿命の関係と言うやつか。お前のように生き長らえてる人間なぞそうそういないから仕方の無いことなのだな」
「そーゆー事よ。あ、でも平時は平時で良いもの造ったりしてるでしょ? あたしが開発した魔道具の複製品や改良品だって魔国でも出回ってたじゃない」
やってきたブレイヴとウルティナの会話を聞きこれはダメだと瞬時に悟る。
トラブルメーカー二人の会話は自分らからすれば聞きなれた世間話だが、目の前のマルティナからすれば果たしてどの様に映ったのか……。いや、聞くまでも無い。
魔術師ギルドの現マスターの位に就く彼女のことだ。当然その頭脳は明晰であり、言うまでも無く有能オブ有能な人物である。
そんな聡い彼女が二人から感じ取れてるらしい魔力と先の会話、そしてウルティナの名前を聞けばある仮説が浮かぶのは何ら不思議なことでは無いだろう。
すなわち『今目の前にいるのは本物の伝説の魔女様』であり、そして『もしかしたらその隣にいる魔族は当時の魔王』であると言うことに。
「…………」
「…………」
錆びたロボットの様に首を動かし、人を射殺せそうな程の視線と圧でこちらを見据えるマルティナ。
そしてその目線とやや能面めいた表情から心の声が漏れ聞こえてくる。
(ヤマル君。後でギルドに出頭、命令ね)
不良に校舎裏に呼ばれたいじめられっ子の映像が頭を過ぎり、そしてその構図が現在進行形で進んでいることを本能で理解させられる。
即座に首をぶんぶんと縦に勢いよく振ると、その返答に満足したのかマルティナはとても満足そうな笑みを浮かべていた。
ただし目は笑っていない。こいつどうしてくれようかと言う視線を放ちながらの笑顔は普通に恐怖でしかなかった。
その日、『風の軌跡』一行は無事王都へと帰還したものの、リーダーだけは即座に魔術師ギルドに連行されていくのだった。
がっくり項垂れ連れて行かれる彼を見た魔術師ギルドの面々は一様にこう思ったという。
――――あぁ、また何かやったか、と。




