谷を縄張りとする者
「お、おい…。本当に俺がこいつらを相手するのか?」
「それ以外にどんな方法がある?」
「え、えぇと…ほ、ほら!さっき言った遠回りとか…」
「却下。時間の無駄だ。さっさと行ってこい」
「俺的にはこっちの方が時間の無駄だと思うんだけど!?」
この男は、そんな俺の言葉に一切耳を貸す気がないようだ。
そもそも、どうしてこうなったんだ……
遡ること1時間ほど前――――――
「そろそろ行くか」
晶石村を後にして、隣村への道を歩く。実際に歩いてみると、思っていたよりも暗いということに気付いた。生い茂る木々が行く手の視界を遮り、太陽の光が僅かにしか届いていない。
まさかこんなに暗いとは想定していなかった。これほど木々が生い茂っていると、何がどこから襲い掛かって来るかわからない。それだけに、俺は少し不安になった。
その一方で、サギは辺りを一切気にすることなく、黙々と速足で歩いて行く。
「ちょ…速すぎないか?もう少しゆっくりでも…」
「もたもたしてると襲われるぞ」
「は?何かついて来てるって言うのか…?」
彼は、俺の言葉を無視して、ずんずんと先に進んでいく。
「なぁ、ちょっと待てって…!」
そんな俺の声が聞こえていないのか、サギは歩く速度を落とそうとしない。むしろ徐々にスピードが上がっていく。もはや小走り状態だ。こんな見通しのきかない道ではぐれてしまってはマズい。置いて行かれないようにサギのすぐ後ろについた。
…しかし、速い。
別に、俺に体力がないから疲れているという訳ではない。体力は人並みくらいはあるつもりだ。でも、村を出てからずっとこの状態だ。流石に、少し休憩したかった。
「…………?」
ふと、何かの気配を感じた。急にゾクッと悪寒がはしる。
俺達の後を『何か』が付いてきている、と―――――
本能的に直感する。確かに『何か』がいる気配がする。背後に感覚を研ぎ澄ます。すると、物凄い勢いでザザザザッと草をかき分け、俺達を追いかけてきている音が聞こえてきた。
今、走ることを止めてはいけない。止めれば、追いつかれる!
何が付いてきているんだ?確認しようとすると、
「振り向くな。走れ」
と怒られる。慌てて前を向き、サギを追いかける。
「付いてこい。遅れるんじゃねぇぞ」
「…あぁ、分かった」
言われるがままに雑木林を走る。そして―――
「こっちだ!!」
この道の終わりを意味する光が見えた。全速力で眩しい光に向かって走る。ザザザザザッと後ろから近付いてくる音が大きくなる。ぐんぐんと距離が縮まってきているのが分かる。息を切らしながら、無我夢中で走る。ガサッと林を飛び出した。と同時にサギにグイッと腕を引っ張られ、そのまま横に倒れ込む。
そのすぐ後に、勢いをつけた『何か』が俺のすぐ傍を走り抜けて行った。
閉じた瞼をパッと開ける。そして、バッと地面に両手をついて体を起こして辺りを見渡してみる。さっき走り抜けてきた林が目の前にある。後ろを振り向くと、そこには谷があった。俺がいるところよりも遠くに橋っぽいものが架かっているのが見える。
谷を覗き込んでみる。
谷はそれほど深くはなく、高さは5m程だ。谷底は結構幅広く、平坦だ。こっちの地面とは違い、川は干上がっており、土には砂利が混ざっている。
「…え?」
そこにいたのは、先程村で見たヤツと同じリザード5匹だった。その中の1匹は、舌を出してシューシューと言っている。
…成程、俺達の後をついて来ていたのはアイツだったのか。
自分から逃げていく獲物を追いかけたまではいいが、勢いをつけすぎて谷底に落ちてしまったという事らしい。そう言えば、背を向けて逃げる者を追いかける習性があるんだったな。
幸い、どいつも俺の事をあまり気にしていないようだ。呑気に寝てるヤツもいれば、じゃれ合っているヤツもいる。元々は平和的な性格というのは、あながち間違っていないらしい。さらに有難いことに、アイツらはすぐに忘れる生き物のようだ。どれも全長2m弱ほど。谷を登って襲われる危険性は低い。上手くいけば、何事もなくここを抜けられるだろう。
ここを越えるには、谷を降りて行くか、遠くに見える橋らしきものを渡っていくかの二択だ。
そう言えば、サギは何処へ行ったのだろう。先程からサギの気配がない。キョロキョロと辺りを見渡す。
「俺ならここだ」
頭上から声がかかってくる。顔を上げると、片手にオレンジ色の果物らしきものを持ったサギが立っていた。
「それは?」
「ここらに自生してる柑橘類の一種だ。丁度熟してる頃だぞ。食ってみろ。腹ごしらえだ」
ほら、と差し出してくる。
少し疑問を抱いたが、そう言えば朝飯を食っていないことを思い出した。
「有難う」
それを素直に受け取る。
一見するとミカンだ。薄い皮を剥くと、柑橘系の果物独特の酸っぱい香りがする。試しに一房食べてみる。
「…美味しい!」
「だろ?」
その香りからは想像できないほど甘くて、みずみずしい。ミカンの見た目をした桃、という感じか。
「これ、何て名前なんだ?」
「オランシュ」
「へぇ…」
俺はオランシュを食べ終えると、すっくと立ちあがる。そして、目の前の谷を見る。
「ここを下りるのは危険だから、向こうの橋らしきものを見に行こう。それでいいよな?」
俺は迷わずこの選択をした。普通の人なら当たり前の選択だろう。
「駄目だ」
「…はぁ?」
「ここを下りて行くぞ」
「……はっ!?どこ!?何処を行くって!?」
「だから、谷を下りて行くって言ってるだろ」
何を言いだすんだこいつは…!?
俺は纏まらない思考を落ち着かせるために一度深呼吸をする。そして冷静になってきたころ、彼の性格において重大なことを思い出した。
そうだった…。彼は普通の人間の考え方をする奴ではなかった…。彼が危険な道をわざわざ選んだ理由…それは、実に単純なものである。
「ここを通った方が近いだろ?」
「……え?…まさかそれだけか!?」
「あぁ、それだけだが」
「……………」
それを言うなら、リザード達にここを通る人が襲われる危険性があるから退治するとか、宝石が取り戻せるかもしれないとか、ここを通る理由は沢山あるはずなのだが…
俺がずっと黙っていると、何か文句でもあるのか、という目線を向けてきた。俺は、別に、とため息混じりの返事をする。
とまぁ、こんないきさつでリザード達の傍を通ることになったのだ。
「下手をすれば戦闘になりかねないって言うのに…」
「じゃあ、倒して行くか。アイツら全員」
「そんな馬鹿な…」
「馬鹿じゃない。俺は本気だ」
「…はぁ………」
どうやらサギは譲る気がないらしい。
どうしてこうなったんだ……と、深く落ち込んだ。