襲撃者、現る
俺が暫く黙り込んでいると、サギがはぁ、とため息をつく。
「…相手はどんな些細な情報も探られたくないらしい」
「………ん?」
「こんなところに置き土産とはな…」
「…は?いきなり何いっ…」
唐突すぎて全く話についていけない。犯人に対しての言葉…俺にはそう聞こえた。しかし、人の気配なんてまったくしない。一体誰に話しているのか分からなかった。
いや、その前に……結界の話は何処いったんだよ。
サギが俺の方に冷ややかな視線を向ける。
「いい加減、出て来いよ。そこにいるのは分かってるんだぜ?」
…えっ!?お、俺!?
サギは腰に差していたダガーに手をかけ、ヒュッ!と素早く投げる。それは俺の左頬をシュッと掠めて、後ろにあった茂みの中にガサッと消える。と同時に何かがザクッと斬れる音がした。
あまりにも早い展開に、思考が追い付かない。
「ギュオォォォオオオッ!!」
「えっ!?!?」
無人と化した村に、人のものとは思えぬ悲鳴、というか叫び声が響く。吃驚して振り向くと、そこには腹部を鮮血で濡らし、深い緑色をした鱗を持った、全長2mほどのトカゲがいた。
―――いや、『トカゲのような生き物』と言うのが正しいか。
一見、巨大化したトカゲに見えなくもない。しかし、舌先は二股になっており、半開きになっている口には、剃刀の様に鋭い小さな牙が所狭しと並んでいる。何より、肩から生えた鋭く尖った突起が、トカゲではないことを物語っていた。
俺はすぐさまサギのいる方へ飛び退いた。
「な、何なんだよ…この生き物は…」
「知らん。トカゲの一種だろ」
「いや、本当かよ…」
サギはまるで何でもない事の様に飄々としている。現に、訳の分からない生き物を前に凄く冷静だ。パニックになって情緒不安定になるよりずっといい。ただ、彼はこういう危機的状況時に限ってボケをかます。挙げ句、
「こいつ、可愛げがあるな。飼うか」
と恐ろしいことを言い出した。俺に言わせてみれば、コイツはただの巨大化した爬虫類であって、可愛いさの欠片もない。むしろ、恐怖そのものと言っても過言ではない。
「こんなのを飼うなんて、俺はごめんだぞ」
俺はため息をつく。
「しっかし、何だよこいつ…。いつからここに…」
俺は、誰に対してという訳でもなく呟く。それを聞いていたらしいサギが、
「俺がお前に話しかけた辺りからだな」
と、衝撃のカミングアウトをする。
「えっ……?じゃあお前、分かってたのか…?」
「まぁな」
彼は目を伏せて、さも分かってて当然、とでも言うかのように腕組みをして答える。
「そういう事は早く言えよ!」
トカゲのような生き物が潜んでいるのを分かってて話しかけて来るなんて…。なんて質の悪い奴なんだ……
心底そう思った。
「ギュウゥゥゥ…」
絞るような唸り声をあげ、ジリッと近づいてくる。
「うっ…まだ生きてるのか?凄いな…」
ダガーが刺さったままだというのに、まだ動く体力が残っているようだ。この生命力には、サギは少し感心したように、
「へぇ。なかなかしぶといんだな、こいつ」
と呟く。
「嗚呼、やっぱりでかいだけあるな。……って、感心してる場合か!」
「ギュオッ!!」
俺がサギに言うのとほぼ同時に、ヤツは鋭い爪のついた強靭な脚で地面を蹴り、猛スピードでこちらに突っ込んでくる。俺達はそれをバッと左右に分かれて回避する。ヤツは咄嗟に鉤爪でブレーキをかけ、ザザザッと砂埃を巻き上げながら停止した。
ゆっくりと首をもたげて、左右を確認するように俺とサギを交互に見る。そして、ヤツの体が静かに俺の方へと向いた。
どうやら、あからさまに弱そうな俺をターゲットにしたようだ。それもそうだろう。無我夢中で回避した奴と、余裕綽々でかわした奴なら、回避するだけで精いっぱいな奴を狙うのは当然だ。
…というか、そもそも俺とサギを比べる方が間違っていると思う。
ヤツは一歩、また一歩、ジリジリと確実に間合いを詰めてくる。
徐々に鼓動が速くなっていくのが分かった。
ここで一歩でも動けば、バッドエンド行きは避けられないだろう。それだけはごめんだ。今にも逃げ出したい気持ちをなんとか押さえ込んで、奴の動きを見る。
ヤツとの距離が残り1mくらいになったとき、ピタリと動きが止まった。ジッとこちらを睨みつけてくる。いつ飛び掛ってきてもおかしくない状況だ。全神経を、ヤツを視る事だけに集中させる。
いつだ。いつ来るんだ。よく見ろ。予備動作も無しに動ける程、全ての生き物は俊敏ではない。…って、誰かが言ってた気がする。
ヤツが飛び掛ってくる瞬間、絶対に何か動きがある筈だ。
俺はヤツの目を凝視する。ヤツの黄金に光る目の中に、猫のようにシュッと細長い黒い瞳が見える。太陽の光が反射して、ヤツの目がキラキラと、一層黄金色を際立たせ、冷たく輝いている。それはまさに、獲物を狩る狩人の目そのものだった。
――― 一瞬だけ瞳が細くなり、ギラッと光ったように見えた ―――
たった一瞬の、他の人なら気づかないような小さな変化。俺にはそれだけで十分だった。
「ギュオォッ!!」
小さな無数の牙が生えている口を大きく開けながらながら飛び掛ってくる。俺は素早く身を屈め、片手で地面に手を付き、サギのいる方へ飛び退ける。ふっ、と振り返ると、勢い余ったヤツが顎から地面にぶつかり、そのままズザザザァッと砂を巻き上げ、ある程度まで滑ったところで停止した。
俺は手のひらをパンパンとはたき、ゆっくりとサギの傍に行く。サギは、腕組みをしながらこちらを見ていた。
「素晴らしい回避だったな」
「…そりゃどうも」
「いい眼を持ってるな」
珍しくサギに褒められ、少しいい気分になる。
「…よく言われる」
昔っから人や動物の動きを観察することが好きだった。そのおかげなのか、何となく――ほぼ勘に近いのだが――次の動作が分かるようになったのだ。とは言っても、あくまで勘であって当たらない事も多いのだが。
これやるよ、とサギに唐突に言われ手渡されたのは、折り畳み式のナイフだった。
「もしもの時に丸腰じゃ、あれだろ?」
と、彼はニッと口角を上げる。
「…それもそうだな」
彼は、俺はこれでいく、と言って後ろポケットから短剣を取り出していた。
…サギの方は心配いらないな。これは有難く貰っておくことにしよう。
ゆっくりと息を整えながらヤツへと視線を戻す。俺に避けられたのが悔しかったようで、シューシューと舌を出したり引っ込めたりしながら俺達を睨んでいる。
「ギュシャァァァアッ!!」
咆哮をしながら突進してくる。思いっきり地面を蹴り、俺に噛み付こうと飛び掛ってきた。俺はサッと膝が地面に着きそうなくらいまで姿勢を低くして、飛び込み前転をするように飛び、ヤツの攻撃を回避する。
サギはフッ、と息を吐いたかと思うと、がら空きとなったヤツの腹に潜り込み、首の下あたりから太股あたりにかけて切り裂いた。ザクッと生々しい音が響く。腹は他の部分より鱗が柔らかいため、刃物であれば容易に切り裂くことが可能だ。
「ギャァァァアアッ!!」
悲痛な叫び声が響く。ヤツはドサリと地面に落ちた。傷口からボタボタと溢れ出た鮮血は、瞬く間に地面を紅く染め上げる。それでも尚、こちらを鋭い眼光で睨み付けてくる。
あまりにも殺気立った眼に、恐怖を覚えた。
「ここまでしぶといとはな…」
サギはため息混じりに呟く。
「ギュオォォォォォッ!!」
ヤツは尚も、大怪我を負っているとは思えない程の物凄いスピードで突進してくる。
サギはやれやれ、といった感じで、短剣の切っ先を地面に向けて持つ。そして―――
「これで、終わりだ!」
ヤツがギリギリまで近づいてきたところで、短剣を真上から振り下ろす。
「ギュアァァァァァ!!」
グサッ!と音をたててヤツの顎を貫いた。よほどの勢いで振り下ろしたのか、短剣はヤツの顎を貫いたままズドッと地面へと深く突き刺さる。
そして、ヤツは一切の身動きをしなくなった。