影
ガタンゴトン
私は私が嫌い。
毎日同んなじ電車に乗って、おんなじ人と喋って、同んなじテストの点数を取る。
つまんなくて、平均過ぎて、平凡なこんな日常も壊せない。
なにこれ。
こんなのが私の人生なら、妄想に耽って、毎日をありえないようなかけがえのない日々に変えた方がいい。恋とかして、彼氏を作ったり、恋とかしてる人を見つけて、応援したりして、内心ではその友達をあざ笑ったりしたり、そんなことをした方がいいと思う。
実際は、そんな事も直ぐに飽きてゴミ箱に放り投げるんだ。
車窓をいつもと同んなじ電車の席に座って眺めてる。
こんなのが私。
明日の宿題しなくちゃ、とかありきたりな事を考えてる。
「あっ……」
隣の誰かが驚いた。
その人は、思わず声が漏れた口を直ぐに手で塞いだ。
何を見てたんだろうか。
手にはスマホを持っていたようだけど、視線はスマホを向いていなかった。
その視線の先……
あっ……
私も口が開く。
車窓から見える景色の先に、何か黒い人物が立っていた。その影は電車が前へと進むに従って横へと動く。
まぁるいぽつんと影浮かんでいた。
電車は進んで、進み過ぎて田園風景が並ぶ景色が続く。そして、学校の最寄り駅が近づくにつれて、田園はぽつぽつとなくなっていく。そんな時に電車はトンネルに入っていった。
トンネルから電車が抜けると、車窓から見える景色の中にあの影は無くなっていた。
ドキドキと胸が高鳴った。
あの影は、間違いなく私の求めていた非凡だった。
でも、この非凡なものは隣の人も見えていたはずだ。あの時、あって声をだしたんだもん。
なぁんだ。私、やっぱつまんない奴だ。
みんな見えてるものを私が見えたって仕方ない。
途端に私の目が冷たくなった。
ah……
私、何だかわかんないんだけど、変なもの見たんだあ、とか話の種にあの影の話をした。そして、また、いつも通りの反応が返って来た。うそー、怖い、とそんな感じだ。
みんなつまんなそう。
私の話、やっぱり、つまんなかったんだね。もっと良い話したら良かった。もっと良い話の種があれば良かった。もっと話が上手ければ良かった。
違う話になると、話の上手い子が出てきて、みんな笑顔になった。
私は嫌な子。
妬んで、
羨んで……
どうして、全部壊したくなるんだろ。
「あっ……」
車窓から影がまた見えた。
思わず声が出てた。
恥ずかしくなって周りを見渡した。夕方のラッシュ時から外れてたのか、人が少ない。
ちょっとだけ安心した。
今日の影は人の形をしてた。
ぼんやりとしたあのまぁるいものは今では綺麗な形の人。
どんな人だろうか。
どんな姿をしてるのだろうか。
ちょっとだけ考えてしまっていた。
そう言えば、今日は周りにあの影を見えている人はいない。
私だけだ。私の影だ。
そうやって思うと、あの影が可愛く思えた。
科学的にはありえないし、ただの疲れて見えている妄想かもしれない。
でも、私には、この目でしっかりと見えている。
なら、あれは妄想じゃない。
想像だ。私の創造した物かもしれない。
綺麗な物だなって思えた。私が作ったのに、私なのに……気に入った。
その影は田園前のトンネルでぱっと消えた。残るのは夕焼けの赤と一面の田んぼだけだった。なんだか分からない緑色の植物達が風が吹いてさあああって揺れた。
影が見えた今日はこの日常を二時間の映画の一幕のように変えていく。
今日は影が見えた。嗚呼、今日は良い日だ。
ah……
「あっ……」
口を噤んでしまった。
友達が私の話を聞いてない。聞かずに、隣の人と話してる。私の話より、誰よりも、人を惹きつける人と居ると楽しいんだ。
人として、嫉妬してる。
こんなのが私。
私は、そんな大きな才能も、何もない。
「あっ……」
気づけば、いつもよりも声が出なくなっている。いつもより話が出来ない。息苦しい空間が広がってる。空気なんかないみたい。
最近、無口になってない?
なんて私に向けて言う人なんて居ない。
元々、そうであったかのように私はその場の中で傍観者になっていた。
「あっ……」
あの影だ。
今度はもっと近くにあの人型がこっちを向いてる。私のことをしっかり見てくれている。
私の影。
朝っぱらから見るなんて、今日一日良い日になる。
影からはどんな目が私にに向いているのだろうか。
彼、だろうか。
彼女、だろうか。
一体どんな人なんだろう。
可愛いの?
かっこいいの?
出来ればかっこいいのが欲しいな。
夢に見た彼氏があの影ならば、どんなに素敵だろうか。
どんなに、こんな日々が色づくだろうか。
愛おしい影。
もっと近づけばいいのに。
もっとその姿を私に見せて。
貴方がいるから、今の私は特別でいられた。
ah……
次の朝、やっぱり見えた。
影が。彼が。私のモノが。
大好き。大好き。
私は貴方が好き。
どうして、そんなに私を見つめてくれるんだろうか。
特別でも何でもないのに、こんな私をしっかりと見つめて、しっかりとそこから車窓を眺めて、その先の私を求めてくれる。
認めてくれるような、そんな不思議な感じ。
私は、貴方に必要とされてるから、こうして今日も学校へといける。
今日も頑張るね。
だから、明日も貴方がそこにいればいいな。
教室の中で小さな呼吸を一回した。
友達は既に離れた所に行ってしまった。私はクラスの真面目ちゃんへと変わっちゃった。私は私なのに、変わっていないのに、そんなに友達は私がいらないのかもしれない。
でも、大丈夫。
私は彼が居るから。
時々見えるあの影。
私の特別。
この教室の誰とも違う私の非凡。
だから、一人なのに堂々としていた。
私は平気。
声をかけることも、声を出すことも、もうない。私の声は必要ない。この声は、声も姿もない彼にあげよう。全て彼に捧げてしまっても構わない。
もう一度、彼に会いたい。
ah……
本なんて読む子なんていないだろう。
けど、もし、その本の中で例えるとしたら、人魚姫はとても良いと思う。
人魚姫。
声を、足を失ってまで王子に会いたいお姫様。でも、最後はその王子様を殺せなくて、泡になる。
最高のラブストーリー。
あの影は電車の近くにいる。
まだ黒い靄にまみれているけど、ちょっとだけ声が聞こえる。
「あっ……あっ……」
喋りたくても、喋れない、産まれて初めて声を上げる時、言葉を発するのはか細く、儚い声を発する。今の貴方はそんな声をしていた。
貴方の声を聞くと私は胸が萎む。
一方で、私はもっと喋らなくなった。貴方が喋ってくれるなら、どれだけ私の声を犠牲にしたっていい。
それぐらい大好き。愛してる。
多分、この影がなくなったら、この先一生、私は生きていけない。
貴方も、そうでしょう?
車窓を眺めて、貴方をじっと見つめる。
貴方も見つめ返す。暫くそうやってじっとしている。
どれだけ時間が経ったとしても、時間の流れに私達は気づかない。
初めて貴方を見た時、一区間だけだった。
今では電車に乗ると必ず見える。
車窓を覗くと、絶対そこに居る。
私を覗き込み、私を励ます。
そんな毎日がかけがえがなくて、ポイっと捨てれないものになっていた。
誰も私と貴方の事を妨げさせない。
もし、いるなら…
私は手を汚しても、泡になっても、構いやしない。
貴方に全てを捧げてあげる。
ah……
風が吹くように、私は貴方に触れたいと思った。
駅のホームへ降りる時、車窓から見える貴方の顔が何処か淋しげに見えた。
待っててね。
明日はもっと傍に行くから。
ah……
朝。
澄んだ空気が胸をいっぱいにする。
今日も違う匂いがする今日になっていく。
あれだけ悩んだ心の淀みも何もかもが吹き飛んでいる。
会いに行くから。
私は電車に乗り込む。
いつもの席に座る。
あれ?
ここ最近、毎日見ていた貴方がいない。
影の靄もこの頃は晴れてきて、もう少しで貴方の全ての姿を見れると思ったのに、正直がっかりだった。
今日は貴方がいない。
今日の景色は色がない。
モノトーンに広がる青い空。
萎れる田畑。
青かった空はトンネルをくぐると曇りはじめた。
私の喉はあっ…と音を鳴らす。
貴方のモノは此処にはもう無かった。
もうすぐ駅に着く。
着いたって変わりはしない。
いつもの電光掲示板に映るのは、赤い文字の数々。
今日はどうして遅れたの?って声とチッという舌打ちの雨が降る。
迷惑は、誰だって、嫌だ。
迷惑は、誰だって、する。
迷惑は、誰だって、被る。
……それは、仕方のないこと。
誰も貴方の事を知らない。
……それは、当たり前だけど、とても嬉しいんだ。
ふと、電車が過ぎた方を向く。
そこには電車は行った後で、何もないはずだった。
けど……
貴方が立っていた。
影は晴れ、顔が見える。
触れられる。
私は直ぐに貴方に駆け寄った。貴方の顔をもっとよく見たくて、人混みを掻き分けて、線路に立つ貴方を見た。
「あっ……」
そこには私が立っていた。
貴方は、私だったんだ。
私は線路へ身を投げて、バラバラになった肉の中の目玉から数分後の赤い文字を眺めていた。
□□駅で人身事故のため運転を見合わせています。