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第二章/失うモノ、取り戻すモノ 下

「……私欲を交えたから失敗した、なんて良くある話だよね。そうは思わないかな? ねえ、月城くん」

 彼女――沢宮花凛の説明を聞いて、俺はことの真相を理解した。ただ単に彼女が全て紅憐の真似事をしていたわけではなく――交互に入り交わった二人の朝雛紅憐。それが、この――もはや事件と呼ぶことすらないだろう――事実の真相だった。ようするに、

「一昨日、帰り際に会ったのは沢宮さん。昨日うちにきた紅憐は本物で……今日きたのも本物だったが――紅憐邸で二人が入れ替わった。……つまりはそう言う事か」

「そう。本当は死体なんて最初からなかった。人形だっただけで、目撃した朝雛紅憐はただ勘違いしただけ。まあ、携帯を持たせていた私のミスでもあるけど、『敵』はああも簡単に見破ってくるし……」

「ルナが見たっていう死体処理をする紅憐ってのは、沢宮さんのことだったのか。くそ、ややこしい」

「瑠奈……に、会ってたんだね。やっぱり」

「ああ、今更隠しはしないけどな。にしても、それじゃ……あいつらも勘違いしてるんじゃねえか、ちくしょう」

「勘違い?」

「そう。あいつら――ルナと夜鈴が、紅憐を犯人だと思い込んでる。正確には今ここにいる沢宮さんだけど、あいつらは見破れてないみたいだった」

 俺がそこまで言うと、目の前の沢宮さんは目を丸くして、

「――あいつら? まさか、二人もいるの?」

「ああ、そうだけど。知らなかったのか? ルナは外国からきた魔法使いで、名前は――えーと、確かルナミス=サンクトリアだったっけか」

「……守崎じゃ、ない?」

「守崎は夜鈴のほうだな。守崎夜鈴。この街の魔法使いらしいけど、あんまり詳しい事はまだ聞いてない」

「じゃあ、妹――っていうのは? その、瑠奈――ううん、ルナミス=サンクトリアはどうして月城くんの妹になんか……」

 説明しにくい事情なんだよなあ、と俺は呟いて、

「まあ、ちょっと長くなるけど。話すか」

 これまでの経緯を、出来るだけ簡単に伝わるように話した。


  ◆


 一方、その頃――朝雛紅憐は、ベッドの上で目を覚ました。ゆっくりと身体を起こして、ここがどこなのかを確認する。……自分の部屋だ、間違いない。なら、あれは夢でもなんでもなく、現実だったのか。

「沢宮さんが生きていた……」

 死体を見た時は見間違いではないと思ったから、確信していた。沢宮花凛は死んだのだと思い込んでいた。だが、実際にはああして生きていて、今はどこにいったのか解らない。下のリビングで恐らく気絶させられたのだろう。今の今まで、自分はここで眠っていたのだ。

「いま、何時……だろ……」

 部屋は薄暗い。かすかに窓から照りつける月の光があるだけだ。彼女と会ったのが昼頃だったから、大分長い間眠っていたのだろう。あたしは机の上に置いてある目覚まし時計を手に取って、今現在の時刻を確かめる。――九時半。

「うわ、昴……待たせてたんだった。なのにもうこんな時間じゃ、さすがに帰っちゃったかな……。あいつにちょっと悪い事したかも」

 でもまあ昴だしいっか、とやけに早く気を取り直して立ち上がる。部屋の電気を点けて、身支度を開始。少し遅れる事になってしまうけれど、行かなければ。待ち人を待たせるのは好きではない。自分が待つ事を嫌うから、他人を待たせるのも嫌いなのである。

ポケットに突っ込んである自分の携帯電話を取り出し、メールチェック。特になし。まあ、あいつは頻繁にメールなんてしないからなあ、と適当に考えて、携帯電話をしまう。とにかく、ここにこうして滞在していたのにも関わらず襲撃がない――と言う事は、恐らく『敵』はあたしの事を解っていない。それはそれで、もう怯える必要も今はないと言う事。昴に頼り続けるのもさすがに悪い気がするし、安全さえ確認できたならそれでいい。それにしても、やはりさすがと言うべきか――沢宮花凛は余程の魔法使いのようだった。あの時死体を見て死んでしまったんだと思った時は、まさか死ぬと思っていなかっただけにかなり動揺したけれど。魔法使い同士の戦い――それは皮肉にも、互いの奇襲の応酬で、沢宮花凛は見事、持ち前の『切り札(カード)』を上手く使って死を逃れたのだろう。これをさすがと言わずして何と言おう。でも、やっぱり――これ以上関わる事はしないほうがいいんじゃないかな、と思う。沢宮花凛は確かに優秀だが、彼女の『敵』には勝てないと思う。殺人に特化した魔法使いと、他人を欺く事に特化した魔法使いなら――殺し合いになった時、最後に立っている魔法使いがどちらなのか、言うまでもなく誰だって理解出来る。これ以上は危険だ。死にたくないのなら、今すぐ辞退するべきだろう。力の差は理解出来た。それで十分だと思う。彼女だって解っているはずだ。このまま続ければいずれ負ける。殺されてしまう――と。それでも――彼女は戦うのだろうか。

「……ああ、考えてたら寒気がしてきた。さっさと急ごう」


  ◆


 俺――月城昴は、沢宮花凛にこれまで起こった事を簡略に説明した。ルナとの出会い、妹になった訳、守崎夜鈴の事。

「そっか……、それじゃあ、瑠奈っていうのはただの名前の略称、ルナをもじっただけなんだね。ふうん、漢字だったから日本人だと思って勘違いしちゃった」

「……まあ、あの金髪見れば日本人じゃないって気付いてもおかしくはないと思うけど」

「うーん、まあ、私ってどっか抜けてるところあるからね」

 いつもの、学校のときと変わらない調子で話す沢宮さん。先程までの魔法使い然とした態度は何だったのだろう。ああ、もしかして沢宮さんはルナと一緒なのかそうなのか……とか一人心の中で泣いた。

「それにしても、外国からの魔法使い……か。私はてっきりこの街にしかしないと思ってたけど――考えてみれば、他所に魔法使いがいても何の不思議もないんだよね。うーん、一体、魔法使いって何なんだろうね? 月城くん」

 そんなの俺に聞かれても、と思いながら、

「沢宮さんだって、魔法使いじゃないか」

「うん、まあそうなんだけど。あんまり実感ないっていうか……この力だって、唐突に使えるようになっただけで、魔法とか言われてもピンとこないし。でも、確かに魔法なんだって、なんとなく理解はできるんだよ。あはは、おかしいね」笑いながら、沢宮さんは少し間を空けて、「……『守崎』がルナと別人なんだとすると、ルナはその守崎夜鈴さんと一緒に行動してる、魔法使いが二人いるってことだよね?」

「ああ、そう言う事になる」

「その守崎さんが今回の事件解決のために、ルナに協力しているんだっけ?」

「そうだな」

 返答しながら、いつの間にか沢宮さんがルナを呼び捨てにしている事に気がついた。

「……そっか。それじゃあ、事件が解決されるまではルナは守崎さんの助力を得ている状態だから……こっちが不利、か」

「不利? どう言うこと?」

「え? あ、ううん。こっちの話。気にしないで」

「気にするよ。――まさか沢宮さん、まだ続けるつもりなのか?」

 沢宮さんの話を聞く限り、『敵』は相当強力だ。だと言うのに、まさか彼女はまだ続けるつもりなのだろうか。

「え? あ、殺人鬼のこと? それなら心配ないよ、もう戦おうとは思ってないから」

「……そうなのか?」

「うん。だって、あれは無理だよ月城くん。考えてみたけど、どうやったって対処法が見つからない。相手の正体も解らないんじゃ、お手上げだからね。素直に私は身を引いて、高見の見物かな?」

「それでいいのか?」

「うーん、正直に言っちゃうと悔しいよ。本当はルナに負けたくはないし――でも、向こうが二人で動いてるとなると話は別。『敵』の強さも思い知ったし、ここは引き下がるかな」

 彼女が本当にそう思っているのかは解らない。だが、今そうすると言うのなら、俺はそれを信じるしかなかった。

「……ねえ、月城くん?」ふといつものように、目の前にいる彼女が呟いた。「あのね。今、こんな事を聞くのは野暮かも知れないけど――」

「沢宮……さん?」

「私さ、あの時の言葉――本気、だったんだよ?」

 どくん、と心臓が跳ね上がる。あの時の言葉、と言ったらあれしかない。思い浮かぶのは、放課後の教室で聞いた――

「こんな騙すような事して、挙句に無理やり迫っておきながら、ほんとに今更かも知れないけど。……私、月城くんが好き。これは、ほんとなんだよ?」

「……それ、は」

「嘘じゃない。ずっと、ずっと見てた。気付いて欲しかった。あの時、月城くんの朝雛さんに対する気持ちとかを聞いて、なんだかいけそうな気がして……本当に、言うつもりはなかったのに……私、告白して。でもね、あれは嘘偽りない私のほんとの気持ち。さっきああして朝雛さんの姿で迫ったのだって、本当は朝雛さんのことを想っているんじゃないかと思って……。こうして月城くんの部屋まで朝雛さんの姿でやってきたのだって、それを確かめるためだったんだよ?」段々と声に力がなくなっていく彼女の言葉の真意は、いくら鈍感な俺だって解る。沢宮さんは――本当に、俺の事を好いてくれているんだと。「ねえ、月城くん。やっぱりだめなのかな? 私みたいな、猫かぶりで、人を騙すような子で……挙句に意味わかんない魔法使いみたいな私じゃ、月城くんは嫌い……?」

「いや、そんな事は……でも」

 俺はルナに対して好意を抱き、果ては告白紛いの事までしている。ルナだって、俺の事を好きだと言ってくれた。あの夜に聞いた言葉が恋愛対象としての意味だったのか、ただ兄に対する妹の好意のようなものだったのかはまだ曖昧だけれど、今の俺には確かにルナがいた。だが――記憶を取り戻してなければ、俺は沢宮さんを選んでいただろう。皮肉にも、どうやら俺は惚れっぽい性格みたいだった。困り果てた性格である。自分を殴りつけたくなってしまう。

「……やっぱり、まだ朝雛さんの事が好きなの?」

「え、あ……いや、そうじゃない」

「ならどうして? どうして、私じゃだめなの? やっぱり、私の事嫌い……?」

「嫌いなわけないじゃないか。そりゃ騙されはしたけど……沢宮さんはちゃんと本当の事を話してくれたし、紅憐は無事。事件の犯人とだって全然関係ないんだから。真実を知った上で、俺が沢宮さんを嫌いになる理由がないよ」

「じゃあ」それだけ呟いて、沢宮さんは立ち上がる。テーブルの向かい側からこちらまで歩いてくると、俺の隣に膝をつけて、すっと顔を寄せてくる。「今度は、ちゃんとした私の姿でお願い。――キス、しよ?」

 そう言って、俺の目の前で瞳を閉じる沢宮花凛。

「まっ……待ってくれ沢宮さん! た、確かに俺は沢宮さんの事は好きだけど……そう言うのは」

「……応えて、くれないの? どうして?」

 ここで、言うべきなのか。俺が今好きな相手が、誰なのかを。それは――振ると言う事だ。彼女を傷つけてしまうかもしれない。でも、それを伝えなければ、彼女はきっと諦めはしないだろう。俺だって、同じ立場ならきっとそうだから。

「……もしかして、月城くん――他に好きな人がいるの?」

「それは――」

「朝雛さんじゃないなら、誰? 誰なの? 月城くんの心の中にいる人は、誰?」

 もう、ここまできたら誤魔化せない。沢宮さんは好きだ。でも、俺はそれ以上にあいつの事を想っている。選ばなくてはならないと言うのなら、選ぶしかない。

「……ルナだよ。俺、あいつの事が好きなんだ」

「え……」

「たった二日だけでさ、気付いたら好きになってた。惚れやすいのかも知れないけど――でも、ルナへの気持ちはそんなちっぽけなもんじゃないと思ってる。だから――」

「――せない」ふと、沢宮さんが何かを呟いた。「許せない、あの女……まさか、一緒に住むだけでは飽き足らずに月城くんの心まで魔法で奪ってしまうなんて……」

「ちょ、沢宮……さん?」

「……月城くん」

「は、はい」

 何故か敬語口調になってしまう俺。

「月城くんはね、あの女の魔法にかかっているだけ。たった二日でそこまで好きになっちゃうなんておかしいとは思わなかったの?」

 確かに異常だとは思うけれど、それはただルナにそれだけの魅力があったからで――って言うか、『あの女』って。呼び捨てからさらに酷くなってないか沢宮さん。

「だからね」

「はい」

「私が忘れさせてあげる」

「……はい?」

 がばっ、と押し倒されること一秒。上半身の服を無理やり脱がされるのに、九秒ぐらい。その約十秒間、俺は何をされたのか解らずに唖然として、

「ちょ、ちょっと待ってくれ沢宮さん!」

「待てない。私、本気だもん」

「う、うわ! それはまずい、まずいって! 上だけならともかく下は本気でやばいから――ッ!」

 なんなんだ、まさかここまで大胆だとは思ってなかった……!紅憐の姿で迫ってきた時と同じように迫られる俺。まずい、この体勢は押しのけるのも難しい。ピンチ。俺の上に馬乗りになっている沢宮さんはと言うと、にたりと笑みを浮かべて俺の顔へと一気に近寄って、

「ん……っ!」

 無理やりに唇を重ねられた。しかも、強引に舌まで突っ込んでくる。

(こ、これは本格的にやばい――ッ!)

 っていうか、こんなところをルナに見られたら終わりだ。

「――ん。月城くん、好き……」

 さらに目と鼻の先で、頬を真っ赤に染めながらそんな事を言われると――もう、なるようになっちまえ! みたいな気分にさえなってしまう。やばい。流れに乗ってしまうのは嫌いではないけれど、今に限ってそれはマズ過ぎる。……誰か助けてくれ。

「心配しなくても、ここ月城くんの部屋だから。誰もこないし、誰にも見られない。だから……ね? 好きなだけ私とくっついてていいんだよ?」

「さ、沢宮さん……やめて、くれ」

「――やめない。あの女にかけられた魔法が解けるまで、私は月城くんの側から離れないんだから」

 くそ、なんて頑固なんだ。これじゃルナと変わらない。この瞬間――いや、少し前からだけど、俺の沢宮さんに対する印象が崩れ落ちてしまった。いやまあ、そう言う女の子も可愛いとは思うけどね?

(って、違うだろ俺――ッ!)

 する、と、沢宮さんの上着が脱がれる。その下は下着だけで、白い肌がさらけ出されていた。これでお互いに上半身は裸に近い状態。このままだと、本当に取り返しがつかなくなってしまう。

「ねえ、月城くん……私って、魅力ないかな?」

「う……」

 ないわけがない――とは思うだけで口には出せない。その白い肌は本当に綺麗で、まるで汚れをしらない少女そのもの。普段の彼女からは想像もつかないぐらい大胆な事をされているのにも関わらず、何故だかそんな彼女の身体は、沢宮さんらしさを見せているような気がした。普段着やせしているのだろう、胸も結構大きい。ルナとは大違いだ。あいつ実は割と賓乳だし。それに比べると、沢宮さんのそれは女性らしさが溢れていて実に――

(……何考えてるんだよ、俺)

 そこまで考えてふるふると首を振る。もうだめだ。俺だって男なんだから、こんな事態になって流れに流されないなんて事は多分有り得ない。このまま俺は、沢宮さんを抱くのか? いや、抱かれるのか?

「これ、邪魔だよね。それじゃ外すね……」

 ぱち、と音がする。見れば、沢宮さんは胸元のそれを外そうとしていた。

「ばっ、ばか! それ以上はまず――ッ!」

 俺が最後の理性を振り絞って声を上げた瞬間、


 がちゃり、と。玄関の開く音が聞こえた。


「……え?」

 沢宮さんが驚いたように振り返る。この部屋は俺の部屋だ。俺が一人暮らしで使っている部屋に違いはない。だから、ここに誰かが来る事はない――しかし、それはついこの前までの話だった。俺は考える。

 そこにいるのは金髪ロングな義理の妹か。

 いとも簡単に不法侵入してくる幼馴染か。

 それとも、神出鬼没な黒フードの少女か。

 その誰かなのは解る。それ以外に俺の部屋に入ってこれるような人物はいない。つまるところ。それが誰でさえ、この状況を見られたら俺は終わるわけで――

「何してるのかしら、お二人さん?」

「沢宮さん……? わ、こら、昴なにしてんの――ッ!」

「……、不潔」

 まあなんていうか、そこには全員いた。


  ◆


「――私は貴女には絶対に協力しない」

 それが沢宮花凛の返答、その第一声だった。

「どうして? 理由をお聞かせ願いたいわね、沢宮さん」

「……もう私の名前を気安く呼ばないで、この寄生虫。ついでに月城くんからあと十メートルくらい離れてくれない?」

 うわあキレちゃった……と、俺と紅憐は顔を合わせて呟く。夜鈴はそんな二人を、だがいつもの無表情で黙って見つめている。いつの間に沢宮さんはルナの事をこんなに嫌ってたんだろう。沢宮さんの挑発じみた言葉に、さすがのルナもキレた。ピキリ、と空気が割れる音が聴こえるようだ。

「寄生虫、とはわたしも言われたものね……。なに、それ上半身裸でばか兄に迫っていた貴女が言えるセリフ?」

「ばか兄って誰のこと? 月城くんのこと? だとしたら訂正して。月城くんはばかでもないし、貴女の兄でもないんだから」

「……、なら訂正してあげる。『わたしの』昴で良かったかしら?」

 今の言葉に今度は沢宮さんがカチンときたのか、いつもじゃ間違いなく聴けない、彼女の本音が次々と飛び出してくる。もちろん言われるままで終わるルナではない。互いに罵声に怒声を浴びせ合いながら、しばしの口喧嘩が続く。俺と紅憐は見てられないと、リビングから逃げ出すように俺の部屋までやってきた。

「……はあ。なんなんだよあの二人。これじゃ話し合いもなにもないじゃないか」

「っていうか。いつの間にあんたはあんなにモテるようになったわけ……?」

 誤解だ――とは言えなかった。なんというか、確かに俺の取り合いみたいな感じになっている。はたから観れば嬉しいけど、実際被害を被っているので微妙な心境だった。事の成り行きはいたってシンプル――俺が沢宮さんに襲われていたところに、ルナ、夜鈴、紅憐の三人がやってきた。沢宮さんはルナの姿を見るなり俺の上から退いて、黙って服を着始めた。俺はルナと紅憐に状況説明を強いられ、

『ここまで来た理由を説明するわ。ちょうどいいから、沢宮さんも同席して貰える?』

 この一言から、沢宮さんの機嫌が最高に悪くなった。ルナが夜鈴と紅憐を連れてやってきた理由は、簡潔に言えば真犯人の捜索である。そもそも何故、紅憐と一緒にいるのかというのが不思議だったのだが――


  ◇


「おーい、瑠奈! 探したよ、こんな所にいたんだね!」

 朝雛紅憐は、街の路上でルナの姿を見つけて走り寄った。ルナは振り返る――が、そこに何故彼女がいるのか解らない。彼女は今、確か昴の家にいるはずだ。

「……紅憐?」

「瑠奈。ちょっと話があるんだけど、いい?」

 一体いきなり何の話だろう、と思いながら、ルナは「ええ」とだけ言って頷いた。

「あのさ。……瑠奈、本当に魔法使いなの?」

「え――?」

「沢宮さんから聞いたんだよ。瑠奈は魔法使いなんだって。それって本当なの?」

「沢宮……? まさか、わたしと同じクラスの? でも、どうして彼女がそれを――」

 そこで、ルナはハッとする。守崎夜鈴が言っていた『沢宮』とは、確か彼女の事だったはずだ。そして沢宮は魔法使いに関わる家系の一つ。つまり彼女にルナの『言葉の魔法(ワードオブマジック)』は効いていなかった、という事。そもそも『言葉の魔法(ワードオブマジック)』はその行使頻度から本当にごく僅かな魔力で行使されている魔法だった。なので、相手が魔法使いならば、その魔法使いの持つ魔力量によってはこちらの魔力が反発されて、無効化(レジスト)されてしまう。対魔法使いの武器として使用できないのは、そう言った理由があるためであった。そして、夜鈴の調べで朝雛紅憐も魔法使いだと解った。自分も実際に彼女が死体を跡形も無く焼却しているところを見ているから、魔法使いだとは解っていた。だから、こうして自分の事を覚えている事に不思議だとは思わないが、沢宮花凛でさえそうであったとは少し迂闊だった。

「瑠奈、教えてよ。今この街はどうなってるの? 連続殺人事件に魔法使いが関わってるって聞いたけど、瑠奈はそれと関わりがあるわけ?」

「……、ちょっと待って紅憐。貴女、昨日死体を――」

「――死体? ああ、うん……確かに見たよ。沢宮さんが死んでた。それで、怖くなってその場から逃げ出したんだ」

 嘘をついている、とルナは思う。だって、彼女は確かに見た。昨日、死体を焼却している朝雛紅憐の姿を。だが、

「でも、沢宮さんは生きてる」

「……え? どう言う事、紅憐」

「今日、あたしの家で会ったんだ。昨日死んだように見えていたのはフェイクで、本当は死んでなんかいなかったんだよ。あたしが逃げ出したあと、沢宮さんは自分の魔法であたしそっくりの姿になって、その死体を処理したって。今日の朝、死体を見に行った時になかったんだけど、それはつまりそう言う事だったんだ」

 紅憐の言っている事が本当ならば、紅憐は犯人ではない。死体がフェイクだと言うのがいまいち良く解らないが、そうなると沢宮花凛にも詳しく話を聞く必要がある。

「……その、紅憐そっくりの姿になる、って言うのは?」

「あ、うん。それが沢宮さんの魔法なんだって。他人と同じような顔や姿に自分を変装できるって言ってた。あと、他人そっくりな人形を作ることもできるって。あたしが見た死体はその人形だったんだ」

「――ねえ紅憐。今、昴はどうしてるの?」

「え? ああ、それがさ。あたし昼間に一度家に帰ったんだけど、その時沢宮さんが家にいて――それから多分気絶させられて、あたしさっきまで寝てたんだよね。だから、昴なら今は家で一人なんじゃないかな」

「それはおかしいのよ紅憐。わたし知ってるの。貴女が一度家へ戻ってから、その後もずっと、あのばか兄は朝雛紅憐と一緒にいてるのよ」

「それじゃ、まさか」

「ええ……、多分それはあなたの姿をした沢宮花凛だわ。急ぎましょう紅憐、何だかいやな予感がする……!」


  ◇


 そうして、ルナは紅憐と共に月城昴の住むマンションへとやってきていた。入り口付近に見慣れた顔がいる。守崎夜鈴だった。

「守崎さん! ちょうどいいわ、貴女も来て。……あ、もしかして今の昴の様子、解ったりする?」

「……解らない。『鈴の呪縛』はすでに解いているから」

「そう、なら尚更ね。一緒に行きましょう守崎さん。昴が危ないかも知れない」

「わかった」

 こうして夜鈴が加わり、紅憐と夜鈴は互いに自己紹介をする暇もなく、マンション内部へと突入。そのままエレベーターで一気に七階まで上がり、昴の部屋までやってきた。部屋のカギは、紅憐がスペアを持っていたので楽勝だった。そんな紅憐は、特に誰も聞いてすらいないのに、

「なんか昔のよしみで持ってるんだよね。別に深い意味はないよ」

 と言い訳っぽく弁明した。そんなわけでドアを開いて中へ入った三人は、ナイスタイミングと言うべきか――沢宮花凛に、別の意味で襲われている月城昴を発見した。


  ◇


「――ここまで来た理由を説明するわ。ちょうどいいから、沢宮さんも同席して貰える?」

 事の成り行きを聞き終わったルナは、ある程度納得した後、唐突にそんな事を切り出した。この場にいるのは全員合わせて五人。

 月城昴――不憫にも両頬に張り手の痕が一つずつ。それぞれルナと紅憐のものである。この中で一番の被害者。

 ルナミス=サンクトリア――昴の義理の妹で、この場を仕切るようにそう言い出した『月光の聖女ムーンライトプリンセス』と呼ばれる魔法使い。

 守崎夜鈴――この街で起きている事件の解決の為、ルナに付き合っている『幻想遣い』と呼ばれる魔法使い。

 朝雛紅憐――昴の幼馴染にして、魔法使いの素質を持つと思われる少女。

 沢宮花凛――昴のクラスメイトであり、ルナを明らかに敵視している『人形遣い』と自負する魔法使い。

 そんな五人を集めて話をすると言う事は、確実に魔法使いに関する話だ。それは、ここにいる誰もが恐らく理解していた。

「まず、話を聞く限り沢宮さんも紅憐も、この街で起きている事件の首謀者ではない。真犯人は他にいる。さらに、沢宮さんはすでにそいつと一戦交えている――そうよね? 沢宮さん」

「……ええ」

「ふむ。となると、わたし達はとんだ勘違いをしていたってわけね。でもこれでようやく色々と見えてきた。犯人を誘き寄せる手段があるなら、あとは簡単よね。誘き寄せて倒せばいいだけの話なんだし」

 ルナがいとも簡単そうにそう言い放つのを見て、花凛は顔をしかめた。

「そんな簡単じゃないと思うけど。私は確かに一戦交えたけど、かなり強かった。とても敵う相手だとは思えない」

 大分機嫌が悪いのだろう、花凛は口調を尖らせてそう言った。だが、そんな事は気にしていないと言う風に、ルナは続ける。

「沢宮さんが弱かっただけかも知れないわ。わたしと夜鈴、二人でかかれば確実よ」

 どうしてそう言い切れるのか解らない、と言った顔で、花凛はルナの言葉に返答する気も失せたのか黙り込んだ。この辺りから、場の空気が不穏な方向へと流れ始める。

「とにかくよ。まあ一歩譲ってその殺人鬼が強力な魔法使いだとしましょう。それなら仲間は多いほうがいいわ。……ねえ、沢宮さん――わたし達に、協力する気はない?」


  ◆


 ――以上、回想終わり。俺と紅憐は何度目だか解らない溜め息をついた。

「……にしても、これからどうなるんだろ。沢宮さんは、瑠奈――ううん、ルナミス=サンクトリアだっけ? 彼女……ルナには絶対に協力しないだろうし。でも、そうしないとなると、ルナは守崎さんと二人だけでこの事件の犯人と戦うことになるんでしょ?」

 紅憐はさぞ不安だと言わんばかりの表情と声色でそう呟いた。確かに、それはいくらあの二人だからといって心配だ。俺はじかに彼女達の強さを知っているからまだ不安は少ないだろうが、それを知らない紅憐は本当に不安なのだろう。

「俺にも何か出来る事があれば……な。実際はただの足手まといにしかならないって解ってるから、余計にイライラする」

「だめだよ、昴。あんたはただの一般人なんだから、こんな事に関わっちゃだめだって」

 紅憐はそう言うが、しかし――見てるだけなんてのはいやだった。放って置く事は、俺自身が許せないだろう。何も出来ないと解っていても、何かをしたい。この俺に出来る事があるなら。

「なあ紅憐。それなら、お前はどうして沢宮さんの力になろうとしたんだ? お前だって俺と立場は同じじゃないか。危険なのは解ってただろ? それなのにどうして」

「それは……」

「放って置けなかった、……違うか?」

 紅憐は黙り込む。恐らく図星なんだろう。

「俺だってそうだ。ルナも夜鈴も、沢宮さんだって放って置けない。もちろんお前もな。だから、何も出来なくたって何か出来る事を探す。それに、危険なのはこの街に住んでるってだけで一緒じゃねえか」

「……どうして、昴はそこまでするんだろうね。いつも思うけど、あんたちょっとお人よし過ぎ」

「お人よし、ねえ。ちょっと違う気がするけどな……」

 結局の所、俺はただ目の前で誰かが傷付くのを見過ごすのが許せないだけだ。自分の知り合いがそうやって傷付くなんていやだ。見たくもない。これはただの俺の独りよがりで、お人よしとはちょっと違う気がする。

「ま、でもあんたがそう言うならあたしもそうだよ。今回のはちょっと目を瞑れないかな。沢宮さんは何だかんだ言ってまた『敵』と戦いそうで危なっかしいし、かといってあれじゃあルナに協力するとも思えないし――誰かが側にいてあげないと、ね」

「なんだ。お前、沢宮さんみたいなのがいいのか?」

「……は? なにそれ、どゆこと?」

 俺がそれだけ言うと、紅憐は本気で意味が解らないと言った顔で目を丸くさせながら言う。

「え、だってお前女の子好きじゃねーの? 一年前の言葉、一応まだ覚えてんだぜ。『あたし男に興味ないから。付き合いたいなら女になってよ』だっけ?」

「……、あんた。まさかあれ……本気にしたの?」

「え? いや本気もなにも……え?」

 紅憐は飽きれたような表情で、

「あのねえ、言っとくけどあれただの冗談だから。つーかあんたも冗談でしょ? いきなりばかみたいな事言うから、適当にあしらっただけなんだけど」

「……お、お前。それはマジデスカ?」

「マジですけど?」

「いや、あの。……俺こそ、あれマジだったんですけど」

 瞬間、凍ったように空気が固まった。俺の部屋の静寂とは裏腹に、洒落にならないくらいの口喧嘩がリビングから聞こえてくるが、それが聴こえなくなるくらいの空気。なんていうか、えーと。

「……、へえ。そうだったんだ」すると、突然――紅憐がにたりと不気味な笑みを浮かべて呟いた。「なんだ、そっかそっか。昴ってばあたしの事。ふーん、昴があたしの事をねえ。……うん、なんていうか、その。ごめん」

「うが――――ッ! ごめんじゃねえよこのばか! あのなあ、俺があの後どれだけ思い悩んで涙流して後悔したか解るか! 人生で初めて告った相手が同性しか愛せないだなんて言われて、それっきりジンクスにさえなりかけたっつーの!」

「そんな事言われても……さすがにあれじゃ、勘違いもするって。なんだっけ……『なあ紅憐、とりあえず俺と付き合ってみねえ?』だったっけ?」

 こいつは古い話を……いや、俺もか。

「しょうがないだろ、初めてだったんだし。しかも相手はお前だし。幼馴染だし。今更って感じじゃねえかよ」

「そりゃ、それは解るけどさ。……あー、そっか。そりゃ気付けなかったなー。ううん、こりゃあたしの人生最大のミスだね」

「なんでお前の人生最大のミスなんだよ。こっちが言いたいって、それ」

「ん? まあ、だって……」紅憐は何故だか急に頬をほんの少し紅潮させて、「今更だけど――あたしも昴の事、好きだったから」

「……は?」

「二度も言わせないでよ。だーかーらー、あたしもあんたの事好きだったんだって」

 え、何それ告白? 告白ですかよりにもよって一年後の今日?

「お前……それはないわ。それはねーよ。じゃあなんだ、実は一年前の俺達は見事に両思いでしたーってことかよ?」

「だねえ。あはは」

 笑い所なのか、これ。俺も笑うべきなのか。

「なんだよ……。うわ、シケる……。俺の青春時代……」

「ご、ごめんって。ほ、ほら。別に――その、さ。今からでも遅くはないわけだし」

「はあ、今ってお前……お互い好きだったのは一年前の話で――」

 そうだ。俺の初恋は一年前、ただの冗談でとっくにぶち壊しにされてるんだ。それを今からでも遅くないって――あれ、それってどう言う意味だ?

「だから――」紅憐は今度こそ、耐えられないといった表情で顔を赤らめて、「あたしは、今でも昴のこと……好きだから」


  ◆


 守崎夜鈴は、目の前で口論する二人の少女を見つめながら、無表情を装っていた。実際、内心では正直な話早く終わってくれないものかと心底思っている。と、いうか逃げ出した昴と朝雛紅憐について行けばよかったのかもしれない。今ではもう、立ち去るタイミングさえない。しかしこの二人、放っておいたら何をやり出すか解らない。確かに一人くらい、こうして監視役が必要なのかも知れないけれど。いつもそう言う役目は私だな――なんて、柄にもなく心の中でぼやく夜鈴だった。

「とにかく、もうこれ以上月城くんに付きまとうのはやめてよ。月城くんは私が貰うんだから!」「何そのエゴ? いい加減にしてよね雌豚。貴女みたいな性欲の塊にわたしの昴を預けられるわけないでしょう?」「め、雌豚――ッ!? この寄生虫が、よくもそんな言葉を吐けるもんね! どうせ月城くんのことだって、貴女の非人道的な洗脳魔法で無理やりそう仕向けたんでしょ!」「……なにそれ、心外にもほどがあるわ。それにそれを言うなら貴女の魔法だって十分非人道的だと思うけれど? 他人の姿になったり、他人そっくりの人形を作ったり。ばかみたい。それなら家にこもって、昴の人形でも作って一人で自慰行為にでもふけっとけば?」「こ、この……! さっきから聞いてれば下品な言葉ばっかり! 雌豚で性欲の塊なのは貴女のほうじゃないの!?」「言ってくれるわね。貴女みたいな弱小魔法使いが、このわたしに楯突こうなんてのがまずそもそもの間違いだってことに気付きなさいよ」「弱小? 私が弱いって何で言い切れるの? そんなに言うなら今ここで決着をつけようよ」「へえ、面白いじゃない。いいわ、受けて立ってあげる。ま、どうせ一分も掛からずにわたしがボコボコにして終わりだろうけど?」

 言い合いながら二人は立ち上がり、今にも本当に殺し合いを初めてしまいそうな雰囲気だった。夜鈴はそろそろか、と思いながら二人の間に割って入るように、

「……いい加減にして。ここは昴の部屋。それに、今ここで貴女達が潰し合ったら、今回の事件の解決はどうするつもり?」

 う、と二人は同時に夜鈴を見て呟く。なんだこの二人、つまりそう言う事か――と夜鈴は理解する。

「でも、守崎さん。こいつは仲間にしてもいつ後ろから攻撃されるか――」

「私がいつ仲間になるって言ったの? 心配しなくても仲間になんてならないから。寄生虫の力なんて借りなくても、こんな事件――」

「黙って」

 ぴしゃり、と。夜鈴が今までにないくらい怒気のある声で言い放った。それには、さすがの二人も驚いて、言葉を失ってしまう。

「今ここで貴女達が口論するのは構わない。でも事件の解決に支障が出るようなら私は見逃せない。それに、そんな事をして昴がどう思うか、考えたら解らない?」

「……、ふう。そうね、ちょっと頭に血が上ってたみたい。ここでこんな雌豚を叩きのめすために、限りある魔力を消費するなんて、無駄にもほどがあるものね――」

「……ルナ」ぴしゃり、と軽く怒気の篭った声音で夜鈴が言い放つ。「私はもうこれ以上、貴女達がいがみ合っている姿を見るのは耐え切れない。私だって我慢出来ない事はある。……もしそうなってしまったら、さすがの私も加減が出来ない」

 うわ怖っ、とルナは心底思い、それ以降喋る事はなくなった。夜鈴は次に花凛のほうへ顔を向けると、静かに呟く。

「沢宮さん。貴女が本当に昴の事を想っているのなら。二人で喧嘩している場合ではないってことぐらい、解る?」

「……そうですね。私がちょっとばかでした。ルナの事は嫌いだけど、今は私情を挟んでいる場合じゃないですから」

 花凛の言葉に夜鈴はこくりと頷いて、

「そう。解ればいい。二人とも、無理に協力し合えとは言わないけれど。この事件が終わるまでは、とりあえず一時休戦」

「……解ったわよ。ふん」

「意義はないです。月城くんのためですから」


  ◆


「オッケー。それじゃ、チームを分けることにするわ」

 口喧嘩が終わったのか、唐突にルナが俺の部屋までやってくるなり俺と紅憐をリビングまで呼び出すと、そんな事を言い出した。結局、紅憐の言葉の真意を聞き出すことは出来なかった。まさかとは思うが、あいつはずっと俺の事を好きだったのか。いや、でもよりにもよって紅憐がなあ――なんて考えながら、俺はルナの話を聞いている。

「とりあえず、二つに分けるわ。わたしのチームと沢宮花凛のチームね。敵は強力な魔法使いよ。油断して掛かれば負けてしまうかもしれないし、策は多いほうがいいわ。だから、ここは団体での戦闘行動における基本――『陽動』と『奇襲』を用いようと思う」

 つまり、まずチームを二つに分ける。

 『陽動』――敵を誘き出すためのチーム。

 『奇襲』――誘き出した敵を倒す事だけに専念するチーム。

 ある程度のチームワークが必要になるだけに、俺は少し不安を隠せない。ルナと沢宮さんの先程までの仲を見ていれば尚更だった。

「まずは『陽動』チームだけど、これは沢宮花凛に担当して貰う。一度誘き出すことに成功しているのなら、二度目だって出来るはずよ。何か意義はある?」

「……特には。それで、具体的な作戦内容は?」

 なんと、沢宮さんは呆気なくルナの要望を受け入れた。この短い間に何があったのだろう――仲直りをしたわけではなさそうだから、とりあえず一時的なものなのだろうか、と考える。

「まず『陽動』チームが敵を人目のつかない場所――そうね、西条公園辺りがいいかしら。あそこは夜になると人がいないし。そこに誘き出して、わたし達『奇襲』チームが敵の不意をついて倒す。これだけよ。シンプルで解りやすいでしょう?」

「……ふうん。逆にシンプル過ぎて、相手にバレるんじゃないの?」

「それは解らないけれど、少なくとも今回の事件を見る限り、敵は複数の魔法使いを相手に戦った形跡は皆無。つまり、わたし達みたいなのを相手にするのは初めてなのよ。それなら、複数で攻める一番効率の良い方法を使ったほうがいいわ」

「ま、いいですけど。それで、チームのメンバーは?」

「そうね。『陽動』チームには沢宮花凛と、その率いる人形。貴女はわたし達の姿をした人形を遣って、敵を欺く。そして『奇襲』チームはわたしと守崎さん。基本的に気配を隠し、姿も消せる守崎さんが奇襲攻撃の担当で、わたしはバックアップに回ろうと思ってる。どうかしら」

 ルナがさくさくと作戦を説明していく中、俺――恐らく紅憐もだ――は、何も力になれることはないのかと考える。ルナの説明を聞く限り、俺と紅憐ははたから戦力外扱いだ。これではただの蚊帳の外である。

「私は構わないけれど。……沢宮さんは、どう?」

「別にいいですよ。本当は一人でやるつもりだったけど、月城くんのためだと思えば、これくらいの屈辱は甘んじて受けます」

「……そう」

 見る限り、どうやら夜鈴と沢宮さんは仲が良いように見える。沢宮さんが嫌いなのはあくまでルナだけのようだった。ていうか、俺のためって何だ?

「よし、作戦決行よ!」

 ルナが立ち上がり、そう言って声を張り上げる。結局、俺と紅憐は何も出来ることが決まらないまま、作戦タイムは終了してしまった。


  ◆


 ――西条公園、その中心部に位置する噴水広場。沢宮花凛は複数の人形を精製し、そこに配置する。噴水の前に立つのは三体。ルナ、守崎、そして自分の三つである。三体の人形が、まるで本物の彼女達のように立ち竦んでいた。術者である自身は身を隠し、出来る限りありったけの魔力を人形に注ぎ込む。昨日はこれで、膨大な魔力を感知したあの殺人鬼が現れた。誘い込まれたと承知の上でやってきた様子だったし、あの殺人鬼は恐らく戦いを望んでいる。だから――来るはずだ。危惧など必要ない。必要なのは、迫り来る殺人鬼との戦いへの心構えだけ。時刻はもうすぐ今日が終わりを告げる程度のものになっていた。薄暗い公園にはかすかな電灯の明かりと、空に浮かぶ月の光だけ。これから始まるのは、正真正銘――魔法使い同士の殺し合いだ。相手に加減と言う言葉は求められない。ならば、自分は自分でやれるだけの事をするだけだ。それにしても良く考えると、私はそれなりに魔力感知が出来るほうだと思う。魔法が行使された時――ようするに体内から魔力が外側に放たれた時――なら、それがどんな極僅かの魔力であっても感じ取れる。だが、それも自分の周囲での話だ。いくら強大な魔法が行使されたと言えど、実際に感じ取れるのは恐らく自分の周り、半径十メートルくらいだと思う。しかし、あの殺人鬼はかなり敏感に魔力を感知している。恐らく自身の意思で、だ。そして、ルナや守崎さんはあまり魔力を感知するのが上手だとは思えない。感知さえ出来るのなら、今回の事だって簡単に見破れたはずなのだから。魔法使いにもそういう風に感知しやすい人としにくい人がいるのだろう。それがイコールとして強さに比例するかどうかは別として、敵は魔力を感じ取りやすい相手だと言うのは確かだった。今回の陽動作戦――私の『陽動』は成功するだろう。しかし、本命である『奇襲』は成功するのだろうか?解らない。もし失敗したらどうなるのか。そうなったら作戦も何もない、総力戦になるかもしれない。

(あの殺人鬼の魔法の正体さえ掴めれば、なんとかなるかも知れないのに……)

 それは、目に見えない攻撃。触れる事なく私の人形をバラバラに切り裂いた魔法。どうすればそんな事が出来るのだろう。念じるだけで人間をバラバラにしてしまえるのだろうか? ここで少し後悔する。ルナはともかく、守崎さんならもしかすれば何か掴めたかもしれないのだ。作戦会議の時にでも聞いておけばよか

「なあ、オマエさ。もしかして二度も同じ手が通用するとでも思ってんの?」

 すぱん、と言う音がする――気が付けば、左腕がものの見事に切断されていた。

「挨拶代わりだ。気に入って貰えたか、魔法使い」

「い、あ……いやあああああああああああああああああッ!」

 あまりの気持ち悪さに、悲鳴を張り上げる。背後に立っている人物に振り返って、絶叫しながらその顔を凝視する。間違いない、こいつが『敵』の殺人鬼――

「あのさァ。一応言っておくけど、あの人形じゃもう俺は欺けないぜ? なんてったって匂いが一緒だ、いくら姿形を精密に作り上げたところで、通う魔力がおんなじじゃあバレバレ」

 ぶおん、と風が震える音がする。音が聞こえたのと同時に、次は右腕が無くなった。

「――――ッ!」

 声にならない悲鳴。痛みなんてものを超越した、腕がない不快感。両腕はいともあっさりと、地面に落ちて鮮血を撒き散らしている。

「次はどこがいい。ここはセオリー通り、脚か?」

 また風の音。今度は両足がいっぺんに切り落とされる。四肢をなくした身体は不自由にも地面に落っこちる。広がる血。辺りが真っ赤に染まっていく。だけど、私はここでようやく理解した――この殺人鬼の魔法を。仕組みさえ理解してしまえば、後はなんとかなる。

「ああそうそう、一応言っておくけど仲間はこねえぜ? 俺の魔法でオマエの悲鳴は向こう側まで届かないようにしてある。ま、本来は殺す時の悲鳴を聴こえないようにするために使うんだがな……複数の魔法使いを相手にするってのは初めてだが、こう言う風に使うこともできるわけだ」

 作戦の形式があだとなったのか。人形だけを立たせ、この私はこうして隠れていたことが裏目に出てしまった。こうなってしまえば、『奇襲』チームの参戦は期待できない。だが――それならそれで、やってやる。こうなったのは、私があのルナの力を借りずとも殺人鬼を倒せるチャンスなのだと思えば良い。

「……貴女の魔法――『風』ですね?」

 四肢を失った醜い姿で、地面に転がりながら目の前の殺人鬼に言い放った。

「へえ、良く解ったな。……そう。オレの魔法は風を操れる。オマエの身体を切り裂いたあれは、一般で言う『カマイタチ』ってやつで、悲鳴をふさいだのはただ空気を振動して伝わる音を、空気の壁を作り出して止めただけだ」

 風、というよりは空気を自在に操る魔法――五大元素の一つである『風』系統を操る魔法使い。それがこの殺人鬼の正体であった。

「なるほど、説明感謝します。これで、心置きなく対策が練れる」

「――は。今のオマエに何が出来るって? 大体、四肢を失っておきながら……」

 それだけ言って、殺人鬼ははっとした表情になった。でも、それはさすがに気が付くのが遅すぎる……! 私は人形との意識リンクを解除して、本体へと意識を戻す。

「チェックメイト」

 そして。私は、殺人鬼の背中に長い剣を突きつけた。第三の魔法――『物質精製(ワークス)』によって作り上げた、私の得物である。

「……なるほど。これでさえ『人形』だったってわけか?」

「そう。貴方が魔力に対して敏感だと言うことは解ってましたから。あの噴水上に置いていたのは一つ目のフェイク。ここで隠れていたように見せかけていたのが二つ目のフェイク、ってこと」

 チッ、と殺人鬼は舌打ちする。

「魔力の質でさえコントロールできるなんてな。なかなかどうして、今までに会えなかったタイプの敵だ。嬉しいぜ。だが――」

 ふと、背筋が凍る。何故だか解らないが――嫌な予感がした。

「オマエ、何か勘違いしてないか。……これは殺し合いだ。ただの力比べじゃない、正真正銘の命のやり取りだ。その点で言えば――オマエは今まで会った魔法使いの中じゃ、一番アマい」

 ぶわ、と。風が殺人鬼の周囲を包み込むように巻き上がり、私はその勢いで吹き飛ばされてしまった。

「――背後を取れば身動きができないとでも思ったのか、ド素人。オマエはさ、俺の背後を取った瞬間、ソイツでココを一突きしておくべきだったんだよ」

 言いながら、自分の左胸を親指で差す殺人鬼。迂闊だった。そして、甘かったのだろう。この男の言う通りだ。私はなんというミスを犯してしまったんだ――

「さて、と。ま、確かにオレは視覚で認識できねえとソイツの身体を切り刻むことは出来ない。だからまあ。――今度こそ、本当に終わりだぜ。魔法使い」

 やられる、と思った。今度こそ本当にこれは自分の身体だ。人形ではない、本体である。あの身体を切り裂く空気の刃を食らえば、さっきの人形のときと同じことになるに違いない。相手の魔法の正体は把握した。何か、対策を


 ぶおん。


 風の唸る音が聴こえ、思考が途切れ、瞳を閉じ――しかし、切り裂かれる痛みが身体に走る事はなく。

「……なんだ、オマエ?」

 閉じた瞳を開くと、そこには見覚えのある少女の背中姿。

「助っ人だよ」

 ――朝雛紅憐が、立っていた。

「助っ人、だと? 魔法使いだな。――オレの魔法に何をした?」

「さあ? 別に。何もしてないんじゃない?」

「ウソを吐くな――確かに魔力の動きを感じた。オマエ……どうやってオレの魔法を消した」

「君は鋭いなあ。あたしは初心者だから、そんな事わかんないや。……でもまあ、何かをしたってのは本当だけど――それを君に教える必要はまったくないと思うよ?」殺人鬼に対し不敵に笑う朝雛紅憐は、まるで本人だとは思えない口調でそう言って、「沢宮さん。とりあえずこいつさ、あたしだけで楽勝みたいだから。ルナと守崎さんのとこまで、走れる?」

「え、ええ……でも」

「何ごちゃごちゃ言ってんだよ――!」

 殺人鬼は頭にきたのか、こちらへ目掛けて『風の刃(カマイタチ)』を放つ。だが、

「だから効かないって。……ごめんだけどさ、あたしとあんたの相性は最高に悪いみたい」

 朝雛さんは何もしていない。いや、見た目では何もしていないだけで、確かに魔力を行使しているのが解る。――まさか魔法を使えるのか?

「ほら、ぼおっとしてないで。早く逃げてよ沢宮さん。ここはあたしに任せて」

「わ、解りました……すぐに守崎さん達を呼んできますから……!」

 それだけ応えて私はその場から逃げ出すように立ち去った。背後からの攻撃はない。恐らく全て朝雛さんが防いだのだろう。朝雛紅憐――まさか、彼女に魔法使いとしての自覚があったなんて。


  ◆


「――ふう、行ったみたいだね。ま、この様子じゃ守崎さん達が来る頃には終わってそうだけど」

 あたし――朝雛紅憐はそう挑発的に呟いて、殺人鬼に振り返る。男はただ、ワケが解らないと言った表情であたしを見つめていた。

「なんなんだよオマエ……! どうしてオレの魔法が効かない?」

「言っただろ、相性が悪いって。あたしさ、こう見えて結構短気だから。そろそろ終わらせちゃってもいい?」

「ッ……!」殺人鬼は魔法を行使する。馬鹿の一つ覚えみたいに何度も『風の刃(カマイタチ)』を連発し、あたしはそれをことごとく潰す。

「もう飽きたよ殺人鬼さん。これが殺し合いだって言うのなら。殺されても、文句は言わないよね?」

 あたしはそれだけ言って、殺人鬼に踵を返す。

「おい、オマエ……どこに行くつもりだよ……!」

「え、だって」あたしは振り返ることなく去りながら、「もう終わってるからね」

 ――そうして。背中越しに、声にならない悲鳴を聴いた。


  ◇


 朝雛紅憐が魔法を行使出来るようになったのは、つい数時間前のことだった。しかし、彼女が自身を魔法使いだと認識したのはそれより以前、沢宮花凛の部屋で話をした時――。

「――この街には、私が調べる限り三つの魔法使いの家系が存在します」

 沢宮花凛は淡々と、この街に住む魔法使い達の話を始めた。

「私が知っているのは、この街の魔法使い達を統制していると思しき家系である『守崎』、それと過去から親密な関係を持っていたらしき『沢宮』と『朝雛』。他にもいるのでしょうが、私にはこれだけ調べるので限界でした」

 この街に潜む魔法使い――現実的に考えれば有り得ない存在が、こんな身近にあるとは思わなかった。

「『守崎』は置いておくとして、その他の二つの家系。これはもう、言わなくても解ると思いますけど、私の実家である『沢宮』、そして貴女……『朝雛』の家系です」

「……それで?」

「はい。残る『守崎』ですが、正体が掴めません。存在自体は解っているけれど、その中身まで手が出せない。私は、瑠奈さんがその『守崎』ではないかと疑ってます」

「瑠奈が?」

「ええ。彼女も魔法使いなんです。どんな魔法を扱うのかはいまいち解りませんけど、恐らく他人の意識を操作する類のもの……。それも、無い事をある事だと思い込ませるものだったり、記憶を失わせるものだったり」

 記憶喪失にする魔法、と言う事は。昴はその魔法にかかってしまった? と、紅憐は考える。

「でも、それじゃあどうしてあたし達にその魔法は効いてないの?」

「それは恐らく私達が魔法使いの血を受け継ぐものだから。身体の中に秘められた魔力の影響で、瑠奈さんの魔法が効かなかった――そう考えるのが妥当ですね」

「……続けて」

「はい。そもそも、私だって昔から魔法使いだったわけではないんです。ほんの少し……一ヶ月くらい前に、とある男性に会いました。その時、私は一瞬で自分が魔法使いなんだと自覚したんです」

 そう言って、沢宮花凛は自分が魔法使いになった経緯を語り始めた。この街で起こっている連続殺人事件の犯人を逃がしたこと。その場で気味の悪い男に出会い、気が付けば魔法使いになってしまっていたことを。

「私の魔法は、主に『土』を利用して形のあるものを精製するというものです。これも、魔法使いになった瞬間から何故か理解していました。まるで、昔から知っていたかのように。あと、例外として人体――人間や動物の『肉体』、あとは一部の『物質』を自在に変化させる事もできるみたいです」

「なんだか、あたしのイメージとはまた違うんだね、その魔法っていうのは」

「……でしょうね。と言っても、これは私の魔法と言うだけで、魔法使い個人によって扱う魔法の種類と言うのはまったく異なってくるみたいですけど……」

「ここまで来ると、さすがにちょっと話が突拍子すぎてて信じたくても信じられないな」

「それは解ります。ですけど、実際に私は魔法を扱える。そして、朝雛さん――貴女にも確実にその素質が、魔法使いの家系に生まれた血が眠っているはずなんですよ」


  ◆


 私――沢宮花凛は、逃げるように走る自分に対してこれまでにないほどに憤怒していた。朝雛さんに任せた事はまだいい。彼女がどう言う経緯で魔法を行使出来るようになったのかは知らないが、あの殺人鬼の魔法を一切にして無効に出来るような相性を持つ魔法を使える――それだけの事実があれば、彼女があれの相手をするのは至極当然だ。その点に関して特に負い目を感じているわけではないし、問題はそこではない。私があの殺人鬼の扱う魔法を見事看破できたと言うのに――何も出来なかった。相手の正体さえ解れば対策なんて簡単だと頭で思っていても、実際は何も思いつかなかった。なんて体たらく。あの時、背後を取った時に致命傷を与えなかった事と言い、私はどうして詰めが甘いのか。実戦慣れしていないと言えば聞こえは悪くないが、それはただの言い訳に過ぎない。私は、一時でも殺し合いに参加していたのだ。魔法使い同士の、互いの魔法をぶつけ合う殺し合い。魔法使いとなってまだ一ヶ月程度だけど、それなりに自分の納得がいく魔法を作り出せたし、結果も出してきた。

 第一の魔法『人形精製』で作り出す人形は、どこまでも精密で完璧さを誇る自慢の人形だし、

 第二の魔法『擬似変装(トレース)』によって自らの肉体や服装を変化させ、他人に偽装する事だって、姿形だけではなく、中身もそれなりに真似が出来るようになってきた。

 第三の魔法『物質精製(ワークス)』の精度だって悪くない。自分が思い描いた物をきちんと作り上げる事が出来る。

 ――だと言うのに。どうして私は、こうしておめおめと逃げているんだろう?

「……ああ。そっか」

 そこまで考えて、私はようやく一つの結論に至る事が出来た。どれだけ上手く魔法が使えるといっても、私は結局その三つの魔法しか扱えない。つまり、相手の魔法の正体が解ったところで、それに対応した魔法なんて咄嗟に使えるわけがなかった。

「は……はは」

 なんて無様。結局、私はただの初心者だったと言う事か。朝雛紅憐がただの偶然、相性の良さであの殺人鬼と対峙できているのだとしても、それが何故か今は少し羨ましかった。


  ◇


 あたし――朝雛紅憐がその男と初めて出会ったのは、沢宮花凛の作り上げた死体を偶然発見し、逃げ出した後だった。もうすぐ自宅に到着する、その道端にその男はいた。見るからに身体の弱そうな、どちらかと言えば頭を使う人間のような印象を受ける。クラスに一人はいそうな眼鏡生徒みたいなイメージ。しかし、年齢は外見だけで見ると自分より一回りほど上に見えた。

「……だ、誰?」

 あまつでさえあんな死体を目撃した後だ、あたしは自然と警戒心を強める。まさかこの男が殺人犯とは思えないが、しかしただの人間だとは到底思えない何かを感じ取ったのである。

「お初にお目にかかるよ、お嬢様。見たところ逃げているようだけれど、何かあったのかな?」

 なんだこいつは、と思う。だが口が開かない。何か目に見えない重圧感(プレッシャー)を押し付けられている――そんな気がして。

「……ふむ。死体でも見たような顔だね?」

「――ッ!?」

「大丈夫、安心していいよ。死体はもうあそこには無い。目撃者は君だけだ。アレは処理すべき人間が処理したからね」

 今、この男は何と言った? まるであたしが見てきたものを知っているかのような――いや、違う。知っているのだ、この男は。あの死体の事も。あたしがそれを目撃し、逃げてきたことさえも。

「そんな疑うような眼をしないでくれ。……いやなに、僕も『監視者』なんて役割を担っていると、知りたくないことも知っておかなくてはならなくてね。舞台(ステージ)の準備は最終段階に入っている。あとは君だけさ。全てが目覚めた時、ようやく幕は上がる事になるのさ」

「魔法……使い? まさか――」

「そう、お察しの通り。僕が沢宮花凛の魔法使いとしての『回路』を開いてあげたんだ。もう話は彼女から聞いているね? それならもう知っているはずだ。君もこの街に根付く魔法使いの血筋を引く者の一人なんだよ!」

 この男が、沢宮さんが言っていた気味の悪い男か。確かに気味が悪いという点は同意見だ。何か得体の知れないものをこの男から感じる。これ以上この場所に留まっていたくないぐらいに。出来る事なら早く家に帰って部屋でベッドに篭りたい気分だった。

「とにかく今日は待ち合わせの約束をしにきたんだ。君がもし、明日の夜まで生き延びる事が出来たら、夜の十時にあの路地裏まで来るといい。その時、君に『力』を授けよう」

「生き……延びる? それってどういう――」

「それくらいは自分で考え、悩んでくれよ。そうでなくては意味がない――そう、この戦いに参加するというのなら、それ相応の覚悟を示して貰わないと。なんてったって君はあの沢宮君とは違う――」

 何かを言いかけたまま、男はその場から踵を返し、立ち去った。これ以上何かを聞きだせるとも思えなかったあたしは、やりきれない気分の中、その場から走り出した。生き延びる事ができれば――それはつまり、生き延びる事が出来ない可能性があると言う事。あたしは、まさか誰かに命を狙われている……? と、そこまで考えて気付く。先程言っていたあの男の言葉、

『――死体はもうあそこには無い。目撃者は君だけだ。アレは処理すべき人間が処理したからね』

 目撃者はこの携帯を拾い上げてその場から逃げ出した自分だけ。そして、それを処理した者がいる。

『あ、は……はは。なんだ、そう言う事か』

 つまりもう巻き込まれていたのだ。この魔法使いだなんていう馬鹿げた存在達の戦いに。沢宮さんを殺した犯人、それがこのあたしを狙っている。あの男はそう警告し、もし一日逃げ切る事が出来れば――逆に言えばこのまま一日生き残り、この戦いに自ら参加する勇気があれば、このあたしにその戦いに参加するに相応しい力を与えよう、と言う事。

 なんてことだ。あたしはすでに、その選択肢を選ぶ権利すら失ってしまっているだなんて。生きて戦うか、死んでしまうか――そんな理不尽な選択肢は、もはや二択とは言えない。一方的な、こじつけるような悪意のある強制だ。――生き延びるしかない。ひとまずは自宅に帰って、これから一日生き延びる為の術を考えよう。あたしは出来る限り冷静さを保つように、夜の街を駆け抜けた。


 ――そうして生き延び、力を得たあたしは。

 そのついでと言うように、この戦いの意味――真実を知った。


  ◆


 俺――月城昴は、戦いの終わりを知らされ、西条公園までやってきていた。何の力もない俺と紅憐は、自宅待機を命じられていたのである。確かに俺がしゃしゃり出る幕ではない事も明かだったわけで――実際問題、俺が出ていってもただの役立たず、彼女達の足を引っ張るだけに違いなかった。まあ個人的な意見を言わせて貰えば、不服ではないと言えば嘘になるんだが。だがそんな独りよがりな気持ちを抑えてでも、俺は彼女達の邪魔だけはするわけにはいかない。確かルナや夜鈴が言うには、俺にも魔法使いとしての素質があるらしいが……まったくそんな力を使えるような気配はないし、正直まだ半信半疑もいいとこだった。俺みたいな一般人は一般人らしく振舞っていろ――とはルナのキツい言葉なのだが、俺はそう言われ、納得するしかできなかった。力が欲しい。彼女達を手助けできるような、そんな力が――そうは思うものの、もうそれも意味はない。終わったのだ、全て。俺の知らぬうちに、俺の手が届かない場所で、何もかもが終幕を迎えている。それでいい……これ以上、彼女達が戦い傷付く姿なんて俺は見たくないから。

「……よお、ルナ。夜鈴から知らせを受けてきたんだが、結局どうなったんだ?」

 俺は、噴水の前で腕を組んで何か不服そうな表情を浮かべている少女・ルナに向かってそう問いただす。何やらルナは物足りなさそうにそわそわしている。一体何があったというんだろう、俺は事が終わったということしか知らないから、あらましを説明してもらいたいのだが。

「なあ、おい。……ルナさん?」

「あーもう、うるさいわね」何ともご機嫌ナナメな妹が答えた。「この街で起きていた事件の殺人犯である魔法使いは死んだわ。それも、わたしの出る幕なしにね」

「何だって? どういうことだよ」

「ようは陽動チームだけでカタをつけちゃったってわけ。とは言っても、そこにいる沢宮さんはまったく役に立たなかったらしいけど」

 とか言いつつ、ルナは公園の端っこにあるベンチに座ってぐったりとしている沢宮花凛に向かって親指を立てた。……なんだか沢宮さんがひどく落ち込んでいるように見えるのは、俺だけだろうか?

「って、ちょっと待て。陽動チームには沢宮さんしかいなかったじゃないか。それでその沢宮さんが役に立たないまま、陽動だけでカタをつけた……ってのは一体どういうことだよ?」

「それはあたしが話すよ」ふと現れたのは、紛れもない紅憐だった。「あの魔法使い、風や空気の力を自由自在に操る魔法使いだったんだよね。だから、あたしの魔法がとっても相性よくてさ、ボッコボコにしてきちゃった」

 紅憐は何でもないかのような仕草で言い放つ。……おいおい、待てよ。魔法だって?

「紅憐、お前……」

「あたしもね、魔法使いなんだよ。昴」

「ウソだろ……? だってお前、話し合いのときには何も喋らなかったじゃないか!」

「うーん、とは言っても、魔法使いになったのだってついさっきなんだよね。だからあたし自身、どうしていいのか解らなくってさ。こんななり立てほやほやの新人が、いきなり戦力になんてなれっこないじゃん? まあ、結果だけ見ればちゃんと役立てたから良かったんだけど――」

 魔法使い。ルナや夜鈴、沢宮さんと同じ存在――紅憐でさえも、そっちの領域に脚を踏み入れちまったってのか。

「それで……その、犯人は」

「うん? ああ、今頃は多分灰になっちゃってるね。あたし、火の魔法が使えるんだ。何でも燃やしたり、炎を放出したりできるわけ。ネタバレしちゃうと、敵の魔法は風というか空気を媒介に使った魔法だったから、その空気――言い換えれば酸素だよね。それらを跡形もなく燃やしてしまえば、敵の使う魔法による攻撃だってあたしは食らわないってわけ。あとは好きなように、敵自身を燃やしてしまえば、終わり。あっけないよね、こんな終わり方ってさ」

「……紅憐、貴方間違いなく天才よ」ふと、唐突にルナが呟く。「今日、その力を手に入れたって言うけど……それでそこまで使いこなせちゃうなんて、わたしの常識を逸脱してしまってるもの。正直、驚きを通り越して呆れちゃうくらい。確かに敵の力を見抜いたのは他の誰でもない、沢宮さんだとしても、それを知ってすぐに対応できるなんて、初心者じゃまず不可能だわ。才能あるわよ、紅憐。間違いなく、わたしやそこの役立たずよりはね」

 ギロリ、とベンチに座っている沢宮さんがルナの言葉に反応して睨みつける。ただ、距離が結構あるためか、それとも言葉を発する気力さえないのか――彼女はそれだけすると、また落ち込みモードへと戻っていった。……重症じゃないか、あれ。

「ってことは、これで一件落着……もう争い合う必要はない、ってことでいいんだよな。夜鈴の疑いも晴れたし、街で起きてる事件の犯人もいなくなった。これでルナは目的を達成できたし、俺たちは平穏無事な生活に戻れる――」そこまで俺が言った辺りで、ルナも紅憐も何故か顔を伏せてしまう。「……おいおい、なんだよ二人とも。せっかく全部終わったってのに、辛気臭いツラしてんじゃねーよ。……なあ、聞いてるのか?」

 いやな予感、とはこういう事を言うのだろうか。何かまだある――終わったはずなのに、まだ終わっていない――そんな予感、というよりは、場の空気から感じられる確証めいたものがひしひしと伝わってくる。まさか、まだ何かあるってのか? 殺人鬼を倒して、全て終わったはずなのに。

「……終わったよ」口を開いたのは紅憐だった。「確かに、この街で起きていた事件は全部カタがついた。でもね、まだ続きがあるんだよ。やり遂げきれていない、果たせていない事が。……だよね、ルナ?」

 紅憐は、隣にいるルナに向けてそう告げる。だが、それを聞いているのかいないのか、顔を伏せたまま黙り込む一人の少女――

「……なんだよ、まだ何かあるのか? なあ、ルナ。お前はこの街で起きている事件を片付けるためにきたんだろ? それならもう、全て終わったじゃないか……! 顔を上げて答えろよ、ルナ。一体、まだ何があるっていうんだ?」

「言いたくないんだよ、昴」一人、全てを知っているかのような口調で呟く紅憐。「ルナだって、きっと本意じゃないはずだからね。もしルナにその気があるんなら、今頃ここは第二の戦場になってる」

「戦場……? まさか、まだ戦いがあるってのか。敵は? 今度はどこのどいつが俺達の敵なんだよ!?」

「……わたしよ」前髪で目を隠したまま、ルナが口を開いた。

「なん……だって?」

「わたしは、ロンドンから特殊作戦遂行の為に派遣された、『月光の聖女ムーンライトプリンセス』ルナミス=サンクトリア。サンクトリア家の次女にして、光を司る魔力を持ち、精神学に通ずる魔法を行使する魔法使い。……そして、そのわたしが請け負った任務の内容は――」次第に震えていく声を噛み締めながら、ルナは宣言する。「この街で起きている事件に関わる、全ての魔法使いの存在の抹消。実力行使を持って、それらと交戦し排除すること……それが、このわたしの背負った使命――」

 一瞬、俺は彼女の言っている言葉の意味が理解できなかった。

「ようするに殺し合いなんだよ、昴」紅憐が捕捉するように、「ルナは、元々この街に潜む魔法使いの排除のためにやってきた。本来なら一人倒して終わらせるはずだったのに、予想外のことが起きた……何の間違いか、この街には魔法使いが数多く存在していたってわけ。そして、ルナが請け負った任務の内容は全ての魔法使いの抹消。ようするにあたしや守崎さん、沢宮さんもその対象に含まれてるってこと。……あたし、この力を手に入れたときに得体の知れない奴から事の全貌を聞かされてさ。ハメられたよ、力を手に入れてしまってから教えられるんだから。その後、昴の部屋で話してたときにこの力のことを言い出せなかったのだって、あたしが魔法使いだって事を知られたくなかったからだしさ。結局、沢宮さんのピンチを救ったことでバレちゃったんだけど」

 殺し合い。味方だと思っていたルナが、本当は紅憐や夜鈴、沢宮さんまでをも殺すためにやってきた魔法使いだったなんて――冗談にしては、笑えない。それどころかこんなこと、すでに冗談で済ませるような話ではなくなっている。

「……ルナ。どうして黙ってた」

「言えるはずないじゃない……! まさかこんな辺鄙の街に魔法使いがこれだけ存在しているだなんて、わたしだって完璧に予想外よ」

 口惜しそうな、それでいてどうしていいのか解らないといった表情で顔を背けるルナ。俺は何と言っていいのか解らず、ただ口を閉ざし続けるしかなかった。

「あたしも守崎さんも、出来ることならルナと戦いたくなんてないよ。沢宮さんはどうだか知らないけど……。でも、ルナはあくまでこの街の住人じゃない、外から任務を遂行するためにやってきた魔法使い……使命は果たさないといけない」

「だからって、今まで仲良くしてきた奴同士で殺し合いなんて……そんなのアリかよ? ルナだってそんなことはしたくないはずだろ!?」

「それはそうよ、そうに決まってるじゃない。……でも他に手段がないのよ。わたしの帰る場所はひとつしかない。そして、わたしが帰るためには……」

「任務を果たさなきゃならねえ、ってか? なら捨てちまえよ、そんなもん」

「な――」

「帰る場所がないだって? ふざけんな、その程度の理由でどうして仲間を殺さなきゃならない? んなモンおかしいだろうが! ルナはやりたくないって思ってるんだろ、俺達の敵なんざに成り下がりたいわけじゃないんだろ! なら今ここで決めろ、そんなクソッたれな任務なんざ放棄して、俺の家に帰ってこい!」

 そうだ、ルナに帰る場所が一つしかないなんて事はない。ルナは俺と出会い、俺と共に過ごしたその時から、他のどこでもない一つの居場所を見つけているんだから。

「ルナは俺の妹だ。月城瑠奈、それがルナの名前だろ。サンクトリアだの、『月光の聖女ムーンライトプリンセス』だの、そんな肩書き全部投げ捨てちまえよ! それでも何の問題もない、残るのは俺の妹、月城瑠奈っていう存在だけなんだから!」

「なによ、ばか兄……。そんな簡単に、言わないで」

 ルナだって、俺達と戦いたいわけがない。今の今までこうして耐えてきたんだ、いずれこうなってしまうという事に気付いていながらも。そして今もなお悩み、苦悩し続けているルナの姿を見れば俺にだって解る。こいつは決してそんな未来を望んじゃいないんだ、と。

「……ちょっと待って、月城くん」ふと、ベンチに座っていたはずの沢宮花凛が、ふらふらとこちらへ向かって歩み寄ってきていた。「……話は聞いてたよ。でもね、私に言わせて貰えば、それって月城くんの独りよがりじゃないかな。ルナにも本当に帰るべき場所って言うのはあると思う。それって本物の家族とか、そういうのがいるところだよ。月城くんは、ルナの本当の家族でもなんでもない。ただ数日間知り合っただけの赤の他人。こうしてルナが悩んでいるのって、そういう『本物』があるからこそでしょ? 私は『人形遣い』だから、誰よりも本物と偽者、その比べようのない差っていうのが解るし……もしルナが簡単に本物を捨ててしまえるなら、こんなに悩んだりしないで、月城くんの言うようにしてると思う。……でも、実際はこんな状態。未だにどうしたらいいのかわからないまま、本物への執着心を残してる。私達を皆殺しにしてでも戻りたい場所っていうのが、彼女の中には存在しているんだよ。それこそ、その本物を捨ててこちら側を選ぶっていう選択肢と天秤にかけられるくらいには、ね」

「…………」ルナは、何も喋らない。

「私はどっちでもいいと思ってる。ルナが私達を殺して、本物を取り戻そうとするのなら――その時は私が月城くんを守るから」

「……あたしは」まだ少し戸惑いを残したまま、紅憐が口を挟むように、「……うん。やっぱり、それだけはルナの自由だと思う。あたしは出来ることなら殺し合うだなんて勘弁って感じだけど……でも、ルナがそれを選ぶんだったら、あたしは何も言えない、かな」

「ふ……二人とも、正気で言ってるのかよ!? それって、つまりルナを――」

 殺すことも厭わない、という意味。

「――冗談じゃねえっ! そんな結末、俺は絶対認めない! ルナにも皆にも、もうこれ以上戦うだなんて馬鹿げた事は絶対にさせないからな……!」

「……言うだけなら簡単」唐突に背後から聞き覚えのある少女の声――夜鈴だった。「それでも、もしルナが戦うという選択を取ったとき、昴は彼女も私達も止められない。それに、言葉だけではどうしようもない事もある。決断するのはルナ自身。私達じゃない」

 夜鈴でさえ、紅憐や沢宮さんと同じような事を言う。おかしい、何かが間違ってる――そうは思えても、俺は言い返すことができないでいた。心のどこかで、彼女達の言っている言葉もまた正しいのだと理解してしまっているからかも知れない。……だが、それでも俺は諦められなかった。たとえこの身に力がなくても、言葉だけでは解決できないのだとしても――何もしないまま、ただ行方を見つめるだけだなんてのはごめんだ。

「俺は……っ!」

「……もういいわよ、ばか兄」俺の言葉を遮るように、ルナが重い口を開いた。「確かにそう、みんなの言う通りだわ。わたしは迷ってる。任務を捨ててしまうことを恐れ、今まで築き上げてきた全てを投げ出す覚悟さえ出来ないまま……果たすべき使命を果たして、何もかも忘れて楽になる事をどこかで望んでいるのかもしれない。みんなを殺してしまうことになるって言うのに、そんなことは結果のひとつでしかない、だなんて隅っこのほうで考えてしまってる。……正直、辛かったわ。ここまで成り上がるため――こうして一人前の魔法使いとなるまでの長い時間。そんな簡単に捨てちゃえるわけないじゃない。努力して、涙して、時には血を流してようやく手に入れた今を、こんな任務ひとつのせいで、全て台無しにするなんて」

「ルナ、お前――」

「お前はやめて、って言ったでしょ。……そう、わたしには名前がある。ルナミス=サンクトリア、『月光の聖女ムーンライトプリンセス』――そんな、わたしがわたしである証明。長い年月をかけて手に入れた、ちっぽけだけど大きな一歩。もう二度と『お前』呼ばわりされないで済む地位。立派な一人の魔法使いとしての権威。生まれてから決められた道をひたすら歩んできたこの十四年という歳月は、決して軽いものじゃないのよ。それこそ……たった数日で手に入れた絆でさえ、本当に小さく見えてしまうくらいに」

 ルナが伏せていた顔を上げた。その瞳には大量の涙、顔は真っ赤に染まっている。それだけでも十分に彼女の心境が理解できると言うのに――

「……どうやら決めちゃったみたいだね。あたし的には本当に残念だけど……ルナがやるっていうのなら、あたしは自分と仲間の命を守らなきゃ」

「やっぱりそんなものよね、予想はしてたけど。……正直、今まで以上に失望しちゃった。でもまあ、私は月城くんさえ守れたらそれでいいかな」

「……あくまで敵対すると言うのなら。容赦はできない」

「お、おい、三人とも――」

 俺の制止などもはや通用しない。ルナに向かって対峙する三人の少女達は、すでに臨戦態勢に入っていた。ルナもルナで、本当に決断してしまった様子が見える。未だ涙を流し泣いているというのに、それでも立ち向かう少女達に向けて言葉さえ送らない。まるでそれが正しいのだと言わんばかりに。

「……ごめんね、兄さん。短い間だったけれど、わたし、貴方と出会えてよかった」

「おい……待てよ。今更そんな風に言うな。まだ、選べるはずだろうが!」

「ううん、もう選べない。決めてしまったから」ルナは悲しそうに、だが決意を込めた強い口調で、「……わたしは貴方達を皆殺しにして、もとあるべき場所に帰る。そこに、わたしの全てがあるから。――わたしはもう、迷わない」

 これが――結末。一人の少女が苦悩し、決断した結果だって言うのか。

「――クソッ! やらせてたまるかよ、ちくしょう!」

 俺は駆け出す。ルナをこの手から離さない為、こんな馬鹿げたことを今すぐ止めさせる為に――

「駄目」いきなり目の前に現れたのは、夜鈴だった。「貴方こそ、これ以上関わるべきではない。魔法使いではない貴方は、まだ死なないで済む唯一の人間だから」

 ちりん、という鈴の音色が聞こえる。

「やめろ、夜鈴……! まだ俺が無関係だっていうなら、今すぐにでも魔法使いになってやる! だからそこを退いてくれ……!」

「誰も貴方が死ぬことを望んでなどいない。解って、昴。貴方は今度こそ、全てを忘れて今までと同じ場所へと戻るべき。……だから」ちりん、二度目の鈴の音。「……さようなら、昴」

 ちりん――、

 ――ちりん。

 合わせて四つの鈴の音色が、俺をその場に崩れ落とさせた。


  ◆


 月曜の朝というのは、なんとも憂鬱な気分になるものである。俺こと月城昴はベッドからギシギシ痛む身体を引きずり起こすと、ぼやける視界を瞬きで徐々に正常へと戻していく。どうやら寝違えたのか、身体のところどころが痛い。昨日何か運動でもしたっけ……いや、特に何もせずいつも通りの休日生活を満喫していたような気がするのだが――

「ふわーあ。……しっかし、珍しいこともあるもんだ」

 俺は壁にかけてある円形時計に目を向ける。時刻はなんとまだ七時前――つまり、かなりの余裕を持った起床ということになる。これまで学校は遅刻ぎりぎりで登校する、というのが日課だった俺にとって、正直これは驚くべき事態だ。まさか朝食を食べる時間があるのか。授業中に腹をすかして音を鳴らし、そのたびにクラスメイトから失笑されるような日々とオサラバできてしまうのか?

「……とは思うものの、朝食なんて作る習慣のない俺には結局パンを焼く程度のことしかできないんでしたとさ」

 一人呟きながらリビングへと向かう。確か、もうすぐ賞味期限の切れてしまう食パンが何枚かあまっていたはずだ。それでも焼いてしまおう――そこまで考えて台所へ向かうと、そこには何かおかしなモノが置いてあった。

「なんだこれ。……いつの間に作ったんだっけ」目の前にあるモノ――鍋の中には、カレーが入っていた。「昨日カレー作ったんだったか? いや、でも俺ってカレー作ったりしないよな……、んん? じゃあ、なんで置いてあるんだろう」

 一人暮らしの俺が、まさか残るほどカレーを作り置くとも思えない。大体、自分で作るのが面倒なので、大抵はコンビニ弁当やらで済ましてしまうのが俺の基本的な食生活なのに、このカレーの存在は意味不明、というより謎過ぎてわけがわからなかった。

「いやまあ。ここにあるってことは、俺が作ったんだろうけどさ。……っかしいな、寝ぼけて記憶喪失にでもなっちまったか?」

 ずきん、と脳裏で何かか傷む。感触的なものではなく、何か大切なことを忘れてしまっているような、そんな感覚的な痛み――

「……ま、いいや。とりあえずラッキーっつーことで。今日の朝食はカレーだな」

 そういえば、ヘンな夢を見ていた気がする――何だか上手く思い出せないが、とても大切で、ずっと覚えていたいような儚い夢を。自分でも少しバカらしいとは思うけど、何故だか今日はその夢の内容を思い出したくなるような気分だった。たまにそういうこと、ないだろうか――きっと良い夢を見ていたに違いない、覚えてもいないのにその夢のことがやけに脳裏にこびりついているような感覚。皿を取り出しご飯を盛り、その上に暖めたカレーをかける――やけに上手そうな匂いが鼻をつんと刺激する。カレーはかなりの好物だし、こうして久しぶりの朝食を彩るには文句なしの一品であることに間違いはなかった。だが、何故か既視感のような、何かもやもやとしたものを感じるのは何故だろう。昨日も食べていたからかもしれないが、何故かこの気持ちがはじめてのものとは思えなかった。……やっぱり記憶が曖昧だから、記憶喪失になったのか。なんて、有り得もしないことを考えながら食事を開始。ものの数分で一気に平らげられた残りのカレー(全部)。

「ふう、食った食った。久しぶりの朝食だけど、結構入るモンだなあ」

 俺は食事を終えると、そのまま食器を台所へと運ぶ。一人の食事はいつもの事なのだが、今日は何故だか少し寂しい気分になった。柄にもなく手作り料理なんてするからだろうか――なんて考えていると、すでに時間はそろそろ出発の時刻へと差し掛かっていた。いやまあ、いつもはこれより大分遅いのだが、今日はせっかくの早起きデーである。どうせなら早く登校してみるのも悪くはないだろう。いつも遅刻ギリギリに教室に現れることで有名な月城昴が珍しく朝一番に登校――なんて、クラスメイト達からしてみれば驚きわめくくらいの一大事に違いない。……自分で言っていて少し情けなくなってくるが。

「んじゃあ、今日もはりきって学業に励むとしますか――」

 孤独はもう慣れている。一人暮らしも板についてきた頃だし、とっくに自立できているとは自分でも確信している――だというのに、今日は何故だか一人の部屋がやけに広く、自分がちっぽけな存在のように思えて仕方がなかった。


 ――それはとある春の一日、その早朝。

 全てを失い全てを取り戻した少年は、行き場なく生まれた意味さえ解らない感情だけを胸に秘め、今日もまたいつもと変わらぬ平凡な人生(みち)を歩んでゆく。

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