第二章/失うモノ、取り戻すモノ 上
宵闇に紛れるかのように、一つの路地裏にそれはあった。見るからにもう生きてはいまい、死体だった。それも、見るも無惨に身体をバラバラにされている。
「う……、なにこれ。なんでこんなところに……?」
それを一人の少女が目撃した――少女の名前は朝雛紅憐。紅色に染まったショートカット。色白ではないが、その少し焼けた肌が彼女の活発さをイメージさせる。服装は私服――白いミニスカートに、肘より上まで伸びたオーバーニーソックス。上着もTシャツ一枚だけで、いかにも動きやすそうな格好だった。
時刻はまだ深夜にも至らない、夜の十時半過ぎ。近くのコンビニ付近にある路地裏に、女性の死体が散らばっていた。恐らくの第一発見者である紅憐は、そんな光景に嘔吐しかけ、だがなんとか堪える――これは、なんだと言うのだろう。紅憐は後ずさりしながらも、この現場から立ち去ることができなかった。怖いのは当たり前だ。彼女は基本的に気の強いほうではあるものの、こういった事態に遭遇することなんて初めてだ。足がすくんで動かない。ガクガクと震える自分の身体を両手で抱えて、悲鳴をあげないようにするのに精一杯だった。そんな中、本意ではないが――紅憐はもう一度だけ死体を見る。その死体は、よく観れば見たことのある姿形をしていた。女性だとわかったのはその身体つきからだが、それがもとはどんな格好をしていたのか解らない。……解らないけれど、想像は付く。その顔――今はあまりにも酷くて直視すらできないが、外見的に自分とさほど歳は変わらないと思う。これぐらいなら、もしかすると自分と同じ学校に通っている子かも――そこまで考えて、ようやく紅憐は理解した。首だけ転がっているその頭部を、勇気を振り絞って見る。髪型は恐らく茶髪のショート――いや、自分よりは少し長いめくらいだろうか。そして、何よりそこに落ちているものに紅憐は注目した――携帯電話である。
「これ、壊れて……ない?」
携帯を拾い上げると、紅憐は血塗れていながらもまだ機能している携帯の画面を見る。携帯に登録されているアドレス帳を確認すれば、これが誰なのか推測できるはずだ。ボタンを押して、紅憐は画面を覗き込む。
「……う、そ。これって、昴の?」
そこには、紅憐の幼馴染である一人の少年、月城昴――彼のアドレスが載っていた。だが、何故だろうとは思わない。これでようやく確信できたからだ。
「それじゃあ、やっぱり……これって……」
もう一度、最後にと死体に視線を向ける――茶色の髪、同い年くらいの少女、携帯には月城昴のアドレス――ここまで揃っていてまだ理解できないのなら、それはただの馬鹿だとしか言いようがない――紅憐は、今度こそ動かなかった足を引きずって、その場所から逃げ出すように踵を返した。
◆
日曜日になった。俺こと月城昴は、今日も今日とて平凡な日常を怠慢に過ごすつもりだった。昨日である土曜でさえこれといって何もせずに自宅でぐーたらとのんびり過ごしていたが、今日もなんだかあまり動きたいと思えない。そこまで引きこもり体質じゃないんだけどなあ、と思いながらも、やはり面倒臭いので家にいることにした。昨日は朝っぱらから幼馴染である紅憐がやってきたりと一応他人と触れ合うことはあったものの、今日こそは誰とも関わらずに一人静かに暮らしてやるぞ、となんだか無駄に意気込みながら、俺はリビングにあるコタツ(布団を抜いて今はただのテーブルと化しているが)に身体を預けながらテレビのリモコンを持ってチャンネルを変えていた。特に面白い番組やってねーなー、と一人愚痴りながら、俺は時計を見る。もうすぐ昼だった。そろそろ腹ごしらえが必要かも知れない。
「よく考えたら、誰とも接しないでどうやってメシ食うんだか」
俺は基本的にコンビニを愛用している。少々高くついてしまうのはもはや気にすることはなくなった。コンビニのあの色々揃う充実感がたまらないのだ。いつも弁当を買いにいくついでにジュースやらお菓子を買ってしまうのは、無駄だとは思いつつもやめられない。俺の一種の娯楽に近かった。
「よし、趣旨変更。とりあえずコンビニには行く」
そう呟いて自分に納得させながら、俺は立ち上がる。服装は特に気にしないが、さすがに寝巻きのまま外に出るわけにもいかないので、適当にその辺に散らばっている服を着ることにした。なんというか、この辺も随分雑である。鼻歌交じりに玄関から外へ出ると、空は快晴でなかなかに気持ちのいい昼間だった。七階から外を見下ろすのも、高すぎず低すぎずな感じで丁度いい。
「ふはは、見ろよ。まるで人がゴミのようだ」
冗談を独り言で呟いてみるが、もちろん突っ込んでくれるような相手に期待するわけではない。というか独り言は一種の癖でもある。
「……なに昼間っからばか言ってんの、あんた」
「うおわっ! なんだお前、いたのか」
唐突に隣から突っ込みが入ったので、まさかの事態に昴はびっくりして飛び退いた――我ながらリアクション酷いな。案の定、呆れたような表情でこちらを睨む少女は、無言だった。というか、
「なんでお前がここにいるんだよ、紅憐」
何故だか解らないが、幼馴染の朝雛紅憐がそこにいた。
「いてもいいでしょ、別に。……それよりあんた、ちょっと大事な話があるんだけど。今、ヒマ?」
「大事な話……? 俺、紅憐フラグを立てた覚えはねーんだけど」
「もちろんあたしも立てられた覚えはないけど。ていうか、ちょっと真面目な話だから。冗談とかはノーサンキューで宜しく」
真面目な話――だって? 昨日の続きなら遠慮したいものだが。覚えてないものは覚えてないんだからな。しかし、ここまで真剣な顔で言われると断るに断れない。仕方ない、コンビニ行きは後回しにして、先にコイツの話を聞いてやるとしよう。
「解ったよ、とりあえず中入れ」
「うん。悪いね」
「いいよ、別に。俺とお前の仲だろ。つーか、どうせ俺が入れなくても勝手に入ってくんだろ。昨日みたいに」
「あは、ばれてた?」
「そりゃな。俺を甘く見るな」
そんなやり取りをしながら、俺は紅憐をリビングに迎え入れた。茶でも出してやろうと思ったが、気が付けば冷蔵庫の中身が空っぽだというのを忘れていた。最近買い溜めしてなかったっけ。
「……、それで?」俺は早くコンビニに行きたい精神で、急かすように、「大事な話ってのはなんだ。出来るだけ簡潔に解りやすく話してくれ」
「うん。……あのさ、昨日なんだけど。あたし、夜中に散歩がてら外出歩いてたんだよね」
「まあ、それぐらいなら俺でもやるけど。なんだ、誰かに襲われたりでもしたのか?」
「違うって。あたしじゃなくて、その」紅憐は何か言い難そうに、スカートのポケットから一つの携帯電話らしきものを取り出した。「これ。見覚え、ない?」
「……ん? ああ、これウチのクラスの知り合いが使ってるやつと一緒だな。それがどうした?」
「これがさ、落ちてたんだよね。……その、路地裏に」
「路地裏ぁ? なんでそんなところに――って、おい。待てよ、それ……血まみれじゃねえか!」
そこで、俺は初めて事の重大さに気が付いた。知り合いが使っていたのと同じ携帯が、血まみれになっている。紅憐はそれを路地裏で拾った。どうして路地裏なんかに? いつの間にか、紅憐の手が震えていた。
「それで、さ……見ちゃったんだよね。あたし、その……そこで」
「何を、見たってんだよ……?」
嫌な予感がする。これ以上聞きたくない――そんな悪寒さえしてくる。
「歩いてる途中さ、悲鳴みたいなのが聞こえたんだよ。女の子の悲鳴だった。だから何だろうと思って、気になったからその声がした場所まで走ってみたんだけど……」
「そこが、その携帯を拾った路地裏だったわけか」
「そ。……でさ。落ちてたのは携帯だけじゃなかった。そこには」
紅憐は歯をくいしめるようにして、俯きながら、
「沢宮花凛の死体があった」
ただ、そう口にした。
「……な、んだよ。それ。まさか、あの沢宮さんが? 証拠は……」
「もう解ってるでしょ、昴。それが証拠だよ。沢宮さんが持っていた携帯。中、見たんだよあたし。ちゃんとあんたのアドレスが入ってた。他も確認して、沢宮さんのだってことはもう解ってる」
「嘘……だろ? 沢宮さんが、死んだってのか。なんで」
「解らない……!」紅憐はもはや泣きかけていた。「解らないけど、でもこれは事実なんだよ。死体はあたしと同い年くらいの女の子だったし、髪だって茶色だった。長さだって沢宮さんと多分おんなじ。全部が全部、その死体が沢宮さん本人だってことを物語ってたんだよ!」
なんてことだ。よりにもよって、身近な人が――沢宮さんが、殺されるだなんて。
「それ、どんな死に方だったんだ。まさか、例の……」
「うん。間違いない……あれは最近よく噂されてる連続殺人事件の死体の特徴だった」
「……警察は? もちろん、警察はもう動いてるよな。それならもしかすると沢宮さんじゃないって結果が出ているかも知れない」
「うん、そうだね。そう思って、あたしも今朝もう一度見に行ったんだよ。見に行ったんだけど」紅憐は心底悔しそうに、「そこには何もなかった。昨日見たもの全部が全部消えてたんだよ。場所は確かだし、何よりそこで拾ったこの携帯が、事件があったことが本当だって証明してる。目撃者は誰一人としていない。……あたし以外は」
「おいおい、じゃあ……死体がどこへいったのかは置いといて、確かめる以前に『なかった事』にされてるってことか?」
「解らないよ。誰がどう言う意図で死体を消したのかはわからない。でも少なくとも警察は何も知らないはずだよ。事件として何も騒ぎになってないし……。だとするなら、やっぱり犯人なんじゃないかとあたしは思う」
「そうだとしても……色々とおかしくないか。今までは死体を全部放置していたのに、今回に限って死体を消すだなんて。しかも、お前が見たっていうんなら少なくとも犯人は一回その場からいなくなってる。一度離れてまた戻ってくるなんて、効率が悪い。消したのは犯人じゃないかも知れない」
大体、どうして消したのかは解らないが――そんな事をする理由が思いつかない。
「……てことは、だ。もし犯人が死体を消したんだとするなら、犯人はこの犯行を知られたくなかったってことになるよな。そして、偶然にも目撃したのは紅憐一人だけ……って、おい待てよ。それじゃあ……!」
「そうだよ」紅憐は震える声で呟く。「沢宮さんの次に狙われるのは、この携帯を持ってるあたししかいない」
◆
平穏に過ごすはずだった休日最終日、なんとも厄介なことになってしまった。幼馴染の命が危ないかも知れない――それは、さすがに見過ごすわけにはいかない。俺だって紅憐は大事だ。てなわけで、紅憐をどうしたものかと考えていたのだが、
「一通り落ち着くまで、あたしここに置いて貰うから」
「……はい? なんだって?」
「だ・か・ら! さすがにあたし一人じゃ心細いってんの。こう言うときに頼りにならなくてどうするわけ、昴」
「あ、いや、もちろん俺にできることなら何でもしてやるが。それにしても、まさかお前……ここに泊まるとか言い出すんじゃ」
「そうだけど?」
ぬああ! と思わず身体を反らせて頭を掻きむしる。なんだそれ、まさか女の子を連れ込んで泊まらせるだなんてこと、人生で初めてかもしれないのに。その相手が幼馴染で腐れ縁な紅憐だなんて……俺の初体験……。
「……あんた、なに考えてんのか知らないけど。別にそう言うんじゃないんだから、解ってるよね? ただ、あたしだってあんたと同じで一人暮らしだし、命の危険があるかもしれないってこの状況、誰かと一緒にいないと心細いの。一応あたしだって女なわけだし」
「一応って自分で言うなよ。まあ、確かに一応だけど。一応」
「連呼すんな」
そう――紅憐も俺と同じで一人暮らしなのだった。若い女の子が一人暮らしもどうかと思うが、紅憐の両親は仕事で忙しく、ほとんど海外で暮らしているような状態らしい まあ金には困らないようなので、そこは俺と違う部分なんだが。
「でもさあ。お前、学校はどうすんだよ。明日からはまた平日だし、さすがに行かないわけにもいかないだろ」
「それはそうだね。じゃあ、あんたちょっと一緒にあたしの家まできてよ」
「……へ?」
「一応、用心としてあたしの家よりはあんたの家にいたほうが安全だとは思うから、今からあたしの家まで色々取りに行くって言ってんの。学校だってさすがに行かないわけにはいかないし」
「……なあ、紅憐」
「あによ」
「お前、もしかして……怖いのか?」
「……」紅憐は、無言で俺の顔を睨みつける。頬が少し紅潮しているようだった。「あのさあ。あんたがあたしをどう言う風に見てるのか知らないけど、さすがに怖くないってほうが神経どうにかなってんじゃないかって疑うよ」
「いや、紅憐ってなんか怖いもの知らずみたいなイメージがあったからな。なんかちょっと意外っつーか。可愛いとこあるじゃん」
「なっ……いきなりなに言い出してんの!」
「ん。いや、幼馴染の意外な一面に驚いてんだよ」
「……普段そんな風に見られてたなんて、あたしちょっとショックだよ」
「なんでショックなんだ? 別に、見たままだろ」
「今のでショック倍増」
「意味わからん」
なんてやり取りを繰り返していると、紅憐が不意に立ち上がる。
「もういいや。とりあえず行こうよ。行くなら早めのほうがいいし」
「ああ、そうだな。そうだ、仲良くおてて繋いでやろうか?」
「それ本気?」
「いや、冗談だ」
「……昴、きらい」
「知ってる」
「……。ほら、行くよっ!」
怒ったのだろうか、紅憐が踵を返して一人先に玄関まで歩いて行く。おいおい、一人で行くのが怖いから俺と一緒に行くんじゃなかったのか。……やれやれ。しばらく忙しくなりそうだ。
◆
そんなこんなで間を飛ばして紅憐邸。俺のマンションとは違い、紅憐の家はなんと一軒家です。これを一人で使われてるなんて、なんと贅沢なんでしょうこの女。まあでも、こんな広い家に一人で暮らすのは結構寂しそうではあるけど。本人いわく、もう慣れた――らしいが。俺は玄関の前で待機。紅憐はそそくさと家の中へ入っていって、自分の荷物をまとめている最中である。うーん、ヒマだ。そんな感じで呆けていると、ふとどこからか視線を感じた。辺りを見回してみる――が、どこにもそんな人影は見えない。
「……気のせい、か?」
「気のせいじゃないわ、後ろよ後ろ」
うわあ! と俺は本日二回目のびっくりリアクションを取る。なんだ、今日はこうして誰かに驚かされる日なのだろうか。言われるがままに後ろを振り返ってみると、そこには金髪の少女が突っ立っていた。……誰だコイツ。
「何よその化け物でも見るかのような反応と表情は。失礼ね」
「いや……てか、あの。お前、誰?」
「む、お前って呼ばな――あ、いやそっか。そういえばそうね」少女は一人で納得したように、「まあ、いいわ。とりあえず今日は忠告にきたのよ『お兄さん』? 例の連続殺人事件の犯人は貴方の身近にいるわ。多分へらへらして貴方と会うでしょう。いいえ、もうすでに会ってるかもね。でも、気を許してはだめ。いい? 今回、もしかすると一番危ないのは貴方かも知れないんだから」
何を言ってるんだコイツは。連続殺人事件――って、まさか紅憐が巻き込まれてしまった事件のことか?
「どう言う意味だよ、それ。なんで……お前がそんな事を?」
「さあ、ただの気まぐれよ気まぐれ。守崎さんにはもう関わるなって言われてるけど、さすがに見捨てられなかっただけよ。ま、何も覚えてない貴方には言っても無駄だろうけど、ね」
意味わからん――いや、それより気になる事がある。
「お前いま守崎って言ったか? そいつのこと何か知ってるのか」
「え? 貴方、守崎さんのことは覚えて――るわけはないか。うん、まあ今は知る必要のないことよ」
「おい、ちょっと待てよ! 俺の知り合いがそいつの事を探してる。『るな』ってやつなんだ。俺も知ってるらしいけど思い出せないから、もしお前が知ってるんなら何か――」
俺がそこまで言うと、少女は少し寂しそうな顔をした。それがそう言う風に見えたのは、ただの偶然かも知れないけど。
「……もう、会うことはないでしょうね。貴方と『るな』も、『守崎』も。貴方はこれ以上、こちら側に踏み込んでくるべきじゃないのよ。大人しく、いつも通りの生活をしていればそれでいいわ。危ない目に遭いたくなければ――ね」
それだけ言って、金髪の少女は去っていった。どうしてかは解らないが、俺はその後を追う気になれず、ただ呆然と立っていることしか出来なかった。
「お待たせー、昴。ん、あれ? どうしたの?」
時間差で、紅憐が自宅から荷物を引っさげて戻ってきた。さっきの少女は、いつの間にかもう視界には存在していなかった。まるで、魔法でも使ったかのようにいなくなってしまった。
「……いや、何でもねえよ。それより帰りコンビニ寄っていいか? 俺、そういやコンビニいくつもりだったのすっかり忘れてた」
「へ? 別にいいけど。……んん?」
紅憐がおかしいと言わんばかりの表情で俺の顔を覗き込んでくるが、構わず俺は近くにあるコンビニ目指して歩き出す。
「あ、ちょっと待ってよ!」
さっきの金髪の少女――あいつが言っていた言葉が何故だか胸の底に引っ掛かっていた。普段なら意味わかんねえ、で済むところなのだろうけど――今の俺には、何故だか彼女との邂逅が何かの兆しのように思えて仕方がなかった。
◆
俺と紅憐はコンビニで適当に買い物を済ませると、そのまま俺の自宅であるマンションまで足を運んだ。とある高級マンションの七階、そこに俺の自宅となる部屋がある。エレベーターで七階まで上がり、部屋に帰ってきた俺は、とりあえず紅憐に部屋を明け渡すことにした。そこは、以前まで両親が使っていた部屋。両親が交通事故で死んで以来、ずっと空き部屋として残しておいた部屋だ。何か使う気になれなくて、ずっとそのまま放置していた。このままずっと使わずにいられればそれで良かったが、今は事が事だけに仕方がない。一度決めたことはあまり変えたくはないけれど、今回ばかりは折れるしかないだろう。だが、そんな俺の事情を紅憐は知っていたのか、
「あたし、そこ使わないから」
ただそれだけ言って、俺の部屋に居座りだしたのである。
「ちょ、ちょっと待て。空き部屋があるんだから、お前はそっち使えばいいだろ? なんでいちいち俺の部屋なんか――」
「一応、あたしも命狙われてんだよ? そりゃ本当に狙われてるかはわかんないけどさ。できるだけ、ほら、一緒にいたほうが安全じゃん。それに、朝はいつも寝ぼすけなあんたが最近ようやく瑠奈のおかげで早起きして学校に来るようになったのに、また明日から自力で起きないといけないんだから。それなら……あたしが一緒にいればすぐに起きれるでしょ?」
何故か照れるように言う紅憐。まあ、さすがに幼馴染と言えど男と女が同じ部屋で過ごすのは紅憐でも気負いするのだろう。うーん、そう言うとこは女の子っぽいんだな、こいつ。
「んじゃ、しゃーないから俺は隣のリビングでいい。お前はこの部屋使えよ。さすがに一緒の部屋はだめだろ」
「……」紅憐が驚いたような顔でこちらを見る。
「な、なんだよ。何か俺がヘンなこと言ったか?」
「昴があたしにこんなに優くするなんて、意外だなと思って」
「俺はいつだって優しいんだよ。お前は特別なだけで」
「……ふうん。それじゃ、あたしと比べてあんた沢宮さんにはどうだったの?」
沢宮さん。そうだ、俺は彼女に告白されていた。金曜日の放課後――突然に。だと言うのに、返事も出来ずに死んでしまったなんて。くそ、まだ本当の事かは解らないとは言え、胸が苦しくなる。
「あ……、ごめん。さすがに今のは……失言だった」
「別にいいさ。それにまだ死んだって決まったわけじゃないんだ。悲しむのは早い」
紅憐ではなく、自分自身に言い聞かせるように俺はそう言った。
「……そうだね。まだ早いよね。あたしが狙われるかもしれないって言うのも。……なんか、ごめん」
「何がだよ。今度は何の『ごめん』だ?」
「あたしがこうやってあんたに頼ってること。今思うと早計過ぎたかなってちょっと反省してる。まだ自分が狙われるかなんて、考えすぎだったのかも知れないし……」
ベッドの上に腰掛けながら、紅憐は俯いて呟いた。なんだ、こいつまだそんなこと気にしてたのか。
「おいおい、今更何言ってるんだよ……。あのなあ。お前、何で俺がこうやって助けてやったのかわかってんのか?」
「……え?」
「お前が怖いって言うから助けてんだよ。狙われてるかどうかなんてのは些細な問題だろ。お前がそうかも知れないと思って、恐怖して、俺を頼ってきたなら――俺は、お前を助けてやる。それが普通だろ。言うなら、俺とお前の仲だしさ」
俺がそれだけ言うと、紅憐は今度は呆然と俺を見詰めていた。何か、今日の紅憐は表情の入れ替わりが激しい気がする。
「そっか。……うん、あたしが心配性過ぎたね。確かに、昴はそう言うやつなんだった」
「そう言うやつってなんだよ……。ま、解ったんならもう気にすんな。お前も俺も独り暮らしだし、別にすぐ出て行けなんていわねーから」
「うん、ありがと」
「おう。……いつもそうやって素直に礼が言えるようになれば、ちょっとは可愛くなると思うんだけどなあ」
ゴツン、と右ストレートが飛んできた。
「一言多いんだよ、昴は」
……、俺なにかまずいこと言ったっけ?
◆
時刻は昼を過ぎ、現在三時を越えていた。いわゆるおやつタイムと言うやつで、紅憐はなんか知らんがコンビニで買ったらしい菓子をどばどばとテーブルの上に広げ出した――っておいちょっと待て、いくらなんでもこの数は異常だろ。
「ゆうに二千は越えていると見た」
もちろん金額が、だが――そんな俺の呟きに、紅憐は唇を尖らせながら、
「そんな高くないよ、失礼だねー。千五百円ぐらいだもん」
「……それでも買いすぎなのは変わらんぞ」
「あたしはいっつもこれぐらい買うんだけど。なに、昴ってお菓子嫌いじゃないでしょ?」
「いや、好きな部類に入るが。……俺が言いたいのはだな、ここまで買ってどうするんだと言うことだ」
「食べるに決まってんじゃん。当たり前だよ」
「いや……」
もう何も言うまい。ようするに、この幼馴染の少女はお菓子が大好物であらせられるのだった。ポテトチップスの袋を拡げて、テーブルの真ん中に置く。次にクッキーの箱を開けて並べ、一緒に買っていたミルクティーのパックをあけてコップに注ぐ。二人分。
「ほら、あんたも食べていいよ」
「ぬ、気前がいいな。それじゃ遠慮なく」
バリバリボリボリと菓子をむさぼる二人の男女。ううん、こんなのは幼少時代だけだと思っていたけど、こうして久しぶりに紅憐とこんな時間を過ごすのも悪くはないかもしれん。
「あ、それはだめだからね。あたしの取っておきなんだから」
ふとショートケーキに目がいったのだが、瞬時に紅憐はそれを自分のもとに引き寄せた。そんな守るようにしなくても取らないって。
「それにしても、紅憐っていつもこんな買い物してるのか? 俺もコンビニは好きだけど、ここまではいかないぞ。さすがに」
「うーん、時によりけりかな。たまにこうしてお菓子食べたくなるときがあるんだよ。一種の衝動ってやつ。あんたもない?」
「いやまあ、解らなくはないんだけどな……」
かく言う俺も、コンビニで無駄食いするのは大好きだった。だから何というか、こういう異常な光景を目にしても――突っ込みたくても突っ込めない微妙な立場なわけで。しかし、さっきまでの危惧はどこへやら、紅憐はすっかりいつもの調子に戻っていた。まあ、それでこその朝雛紅憐ではあるんだけどさ。
「そういや、お前の家の前で待ってるときに女の子に会ったんだが」
ふと、俺は思い出したように呟く。
「は? 女の子? ……誰よ」
「ああ、長い金髪のやつでさ。そいつ、『守崎』って名前を知ってるみたいだった」
「……あんた。それ、真面目に言ってるわけ?」
「ああ、そりゃな。嘘ついてどうする」
沈黙。紅憐が、まるで呆れたかのような表情で俺を見る。
「その子……たぶん、瑠奈だよ」
「え……? どういうことだよ?」
「金髪のロングだったんでしょ? それなら瑠奈だよ。あんたは覚えてないんだろうけど、あたしは覚えてるから間違いない。でも、まさか本人を目にしてあんたが思い出さないなんて……どうしたのよ、昴。頭でも打った?」
いや、別にそんな記憶はないが――しかし、まさかあれが『るな』だったなんて。もう少し引き止めておけば紅憐と会わせてやれたのか。ちょっと後悔する。
「でもさ、なんで紅憐はあの子……『るな』に会いたかったんだ?」
「なんでって……。一昨日さ、急に瑠奈がたしに会いにきてこう言ったんだよ。『もう二度と会うことはないわ。貴女も全部忘れることになる』って。それだけ言っていなくなったんだよね」
なんだか意味が解らないな。全部忘れる事になる、とか言っといて、紅憐はこうして覚えているじゃないか。
「それで、気になって探してたんだよ。瑠奈のことしってる知り合いとか、あんたのクラスメイトに話も聞いたんだけど――おかしいのはここから。皆、ほとんどが彼女のことを覚えてなかった」
「俺も含めて、か」
「うん。あたしだけしか覚えてないなんておかしいでしょ。だからもっと気になって、あんたの家までもおしかけたけど――あんたも覚えてなくて、もう行き詰まり。それからもちょっとは探してみたけど――」
そして今日――その『るな』が俺の前に現れた、か。どうして俺なのか。紅憐だけが覚えているなら、それこそ紅憐の前に現れるべきではなかったのか?
「でも、まさかあんたに会いにきてたなんてね……。もうちょっと早く荷物用意してれば、あたしも会えたかもしれないって思うと、ちょっと残念だな」
「『るな』ねえ……。でもさ、そいつの話ぶりからするに、『るな』と『守崎』は別人っぽかったんだが。そいつは守崎のことさん付けで呼んでたし、他人じゃねえのか?」
「つまりあんたと会ったのは瑠奈じゃないってこと? それはないよ昴。だって金髪のロングだなんて瑠奈ぐらいしかこの辺にはいないでしょ」
「まあ、確かに……あんな格好したやつは見た事もないからなあ」
「とにかく、まだ瑠奈がいるって事が解っただけでもいっか。いなくなっちゃたのかと思ってたけど、まだどこかにいるなら、きっといつかまた会えると思うし」
「そうだな。この町、案外狭いし」
そんな会話をしているうちに、気が付けば目の前の菓子が全滅していた。おいおい、俺全然食ってないんだけど。紅憐食うの早すぎだろ。
「さーて、それじゃあたしは最後のメインディッシュを戴くとするかな」
とか言いながらすでにショートケーキも開封しだすし。
「……なにじろじろ見て。食べたいわけ?」
「いや、別に」
「あげないよ?」
「だから別にいらねーよ」
「なに、強がっちゃって。そんなに欲しいんだ」
「いらねーって言ってるだろ……」
「しょうがないなあ。一口だけだよ」
とか言いながら、フォークで適当に取ったケーキの一部を俺に差し出してきた。
「ほら口開けなさい」
「……なあ、紅憐。俺とお前はいつから恋人同士なシチュエーションを行えるようになったんだ?」
「あーん、って言ってみ。ほらほら」
完全無視だった。
「……お前、もしかしてからかってる?」
「ほら、あーんって言ったら食べさせたげる」
こいつ、絶対にからかってやがる。今そう確信した。
「……あーん」
「うわ! ほんとに言った! 昴おもしろっ!」
「あの、殺してイイデスカ?」
「まあ、ちゃんと言えたから食べさせてあげよう。ほら」
ぱく、とフォークを口に突っ込まれた。……む、美味い。コンビニのケーキとはいえ、侮れん。
「おいしいでしょ? これ好きなんだよね。いつなくなっちゃうのか心配でさあ」
そう言いながら、紅憐は残りのケーキをそのままフォークで食べ始めた。おい、それ一応俺が使ったんだけど。俺の口の中に突っ込まれたんですけど。あの、紅憐さん?
「うーん、おいしいっ」
お構いなしだった。なんか無駄に意識してる俺がばかみたいに思えてきた。つまるところ、こいつにとってやっぱり俺はただの幼馴染だってわけか。ふうん、やっぱなんだか面白くない。
「なあ、紅憐」俺はなんとなく、からかい返すつもりで、「お前ってさあ、好きなやつとかいるの?」
ぶは! と、紅憐が俺の言葉を聞いた瞬間、口の中のケーキを吐き出した。おいおい、汚いな。うう、と紅憐はティッシュで勿体無さそうにテーブルの上のケーキを吹きながら、
「な、なんでいきなりそんな話になるわけ?」
「いや別に。ちょっと気になっただけだよ。で、いるのいないの」
紅憐は少しの間無言で、「……いるっちゃいるけど」
「え、いるのか。マジで? お前……それマジ?」
「……なに、いて悪いわけ? あたしだって恋愛ぐらいするもん」
まさか本当にいるとは思ってなかった。いや、ちょっとは思ってたけど、いやでもあの紅憐が――なあ。正直有り得ないとまで思ってた。
「いや悪くはねーよ。ちょっと意外だっただけだ。で、そいつってどんなやつ?」
「どんなやつ……って、そうだなあ」紅憐は少し考えてから、「全然優しくなくて、勉強も運動もあんまり出来なくて、それでいて他人の想いに鈍いんだよね。それも異常なぐらいに」
「はあ? 何それ、最悪なやつだな。そいつのどこがいいんだよ」
ちょっと紅憐の好みが心配になってきた。幼馴染として、それはちょっと応援できない相手だと思う。いやまあ、紅憐の好みは元から知っていたから、それこそ最初から応援すら出来ないっていう特殊な好みだったんだけど。
「そうだねえ。なんで好きなんだろうねー。ぶっちゃけわかんないかも」
「……おいおい、なんだそれ」
「でもね」紅憐は少し誇らしげに、「その人は、本当に大事なところでは絶対にあたしを見捨てたりしないんだよ。あたしが助けてっていったら、絶対助けてくれる。いつもは優しくないのに、大事な場面では凄く優しくしてくれるんだよね」
なるほど、悪い部分だけではないらしい。そいつはきっと不器用なんだろうな――とか思いながら、
「ふうん。俺にはよく解らねーけど、そいつはきっと本当はお前のこと大切に思ってくれてんじゃねえか。それならいいだろ。きっと、そいつはお前を大事にしてくれそうだし」
幼馴染として、そして何より普通に考えて――まあ、紅憐を任せられるかは置いておいて、紅憐はきっと心底そいつのことを慕ってるんだろう。なんだか、少し寂しい。ついでに悔しかった。
「うーん、まあそうなのかもね。でもま、鈍いところだけはなんとかして欲しいって思うよ、あたし」
「そいつが鈍いなら直接言ってやりゃいいんじゃねえか。紅憐が、そいつのことを本当に好きなら……きっと、応えてくれるだろ。目の前の壁なんて気にすんなよ。お前ならどうとでもできると思うぜ」
言いながら、俺は少し後悔した。何故だか、紅憐をそいつに取られてしまうような気がして。別にこいつをどうとか思ってるわけじゃないけど――なんだか、今までずっと幼馴染として接してきたこいつが、色んな意味で俺の前からいなくなってしまいそうで。だが、そんな俺の気持ちを知って知らずか、紅憐は少し悲しそうに、
「実はさ、ちょっと前に告白したんだよ。まだ返事は聞いてないけど……多分、きっとその人はあたしを受け入れてくれない。どれだけ優しくても、大事に思っていてくれても、それが、その人の本質なだけだから。たぶん、誰にだって同じように優しくする。あたしを恋愛対象としては、きっと見てない」
それは、何故か確信に近い言葉だった。どこのどいつかは知らないが、紅憐をここまで思い込ませるやつがいるなんて。もし俺がそいつと会うことがあるなら、一発殴ってやりたい気分だ。俺に殴れる資格はないけど。まあでも、恋愛対象として観れない――ってのは、あながち解らないこともないけど。
「はいはい、湿っぽいあたしの恋愛話は終わり! こういう話は得意じゃないんだよ、それぐらいあんただって知ってるでしょ」
「まあな。からかい返してやろうと思っただけなんだけどさ。まさか真面目に受け答えされるとは思ってなかった」
「……しっかし、あんたもあれよね」すると、突然紅憐が呟いた。「ほんと、相当鈍いんだから」
「……はあ?」
「何でもないよ。さってと、このゴミ片付けなくちゃ」
それだけ言って、紅憐はテーブルの上に散らばっている菓子の残骸を片付けはじめた。……俺が鈍いって? いやまあ、確かにそんな気もする。沢宮さんの気持ちに気付けなかった辺り、俺も紅憐の想い人同様に鈍いやつだってことなんだろうな。他人のことは言えないってことか。
◆
そして、夕日も沈み始めた頃――俺と紅憐は夕食を済ませ、交代で風呂に入ることにした。どうやら、紅憐は着替えも一式持ってきているらしい。あの大荷物はそれか。いやしかし、それ以外にも色々と入ってそうだけど。
「んじゃあたし先に入るから。まああたし結構はや風呂だし、すぐ出てくるからちょっと待っててねー」
それだけ言い残し、紅憐はバスルームへと消えていった。覗くな、とかそういう釘を刺すようなことを言わない辺り、俺もそれなりに信頼されているんだろう。期待には応えなければならない。
「さて、何すっかな……」
今のうちに、リビングで寝れるように準備しておくのも悪くはない。そう思い立った俺は、自分の部屋にある予備の布団と毛布を両手に、リビングへと戻った。戻って、
「……えっと」
そこには、黒いフードを被った不審者がいた。
「ど、どろぼ――むぐっ!」
「落ち着いて」言いながら、黒フードの不審者は俺の口を手でふさいだ。「私は怪しいものじゃない」
「……ぶはっ。いや、そう言うやつが一番怪しいんですけど……」
するり、と黒いフードが脱がれる。その下には、見覚えのない少女の顔があった。
「ルナが昴に会ったと言ってたから、何かされてないか見させて」
「……はあ。ん、『るな』……? あの、金髪か?」
「……」こくり、と頷く黒髪の少女。
ふむ、やはりあの金髪は『るな』だったわけか。ということは、こいつは一体誰だ?
「見たところ、何もされてはいない……良かった」
何もされてない、って――そりゃ、ただ話しただけだし、特に何かされた覚えはないけど。あれ? そういえばコイツ、俺の名前を呼ばなかったか?
「本当は、もう関わりたくはなかったけれど、事態が悪化しているから。仕方ない。貴方の記憶を戻す」
「なんだって? 俺の記憶……?『るな』ってやつと何か関係があるのかよ」
「本来、私の『断片忘却』は一時的なものでしかない。だからいずれは思い出す。それを早めるだけ」
こちらの話はまったく無視のようだった。
「これ」と、黒髪の少女は鈴を取り出す。「これの音が合図になっている。私は、これの音色によって対象に様々な魔法を掛ける事ができる魔法使いだから」
――ちりん、と。
目の前で鈴を鳴らされ、ふと思い出す。
「……夜鈴、か?」
「……」こくり、夜鈴は頷く。
「おいおい……なんだよ、どうして俺の記憶を消したんだ。いや、そんなことは後回しでいい。なんでいま俺の記憶を戻したんだ? ルナとなにか関係あるのか」
俺は一瞬にして全てを思い出していた。義理の妹だったルナミス=サンクトリアのことも。偶然助けた魔法使い、守崎夜鈴のことも――全て。
「と言うよりは、私達のことに関係している。貴方と今一緒にいる、朝雛紅憐についても」
「紅憐だって? あいつが何かあるのか?」
「気付いているはず。彼女は、昨日――」
俺ははっとする。
「昨日って、あの連続殺人事件か? そうだ、確かルナはそれを追って……」
「そう。そして、その犯人に目星がついた」
「何だって? 本当なのか、それ」
犯人――目星がついた、ってことは、誰が犯人なのか解ったってことだ。それは一体、誰だと言うんだ。
「詳しい事は、別の場所で話す。今は、ここにいては危ない。ここから出るべき」
「いや……そうは言うけど、俺は紅憐と一緒にいてやらないといけないし――」
俺はそこまで言って、気付く。何故、ここにいては危ないのか。ここから出る必要があるのかを。
「……犯人がここにいるから。貴方は危ない。早くここを出るべき」
夜鈴がそんな俺の心境を察してか、具体的な言い方で呟く。まさか。本当は、真実は――そうだと言うのか?
「いま起こっている連続猟奇殺人事件、その犯人の名前は――」夜鈴は冷静に真剣な面向きで、「朝雛紅憐」
◆
少女――朝雛紅憐がバスルームから出た時、
「……まさか、感付かれた?」
そこに、月城昴の姿はなかった。バスタオル一枚を胸元に巻いているだけの格好で、彼女はチ、と小さく舌打ちする。まさか、このタイミングで連れ去るなんて。誰が――いや、そんなのはもう決まっている。瑠奈しかいない。彼女は今日、一度だけ昼に昴と会っているようだったが、その時に何もしなかったと言う事は恐らくまだ気付いていなかったのだろう。そして、ようやく気付いた彼女は――この絶好にして絶妙、絶対なタイミングを計らって昴の奪取に成功したってわけだ。
「こうなることは予想していたけれど……まさか私に気付かれずに連れ出すなんて。なかなかやるじゃない。こんなことなら、もっと真剣に探しておくべきだったかな。結局、本当に『守崎』の人間なのかも何も解らず仕舞いだったし――」
紅憐はバスタオルを剥ぎ、荷物の中に入れてある私服に着替える。着替えている途中、彼女は少し思考した。
(……やっぱり覚えてるってことはあの人に話すべきじゃなかったのかもしれない。でもそうでないと聞き出せなかったのも事実――結局、本当に何もかも忘れさせられていたみたいだけど。瑠奈もなかなか周到なことを……いや、ただたんに用済みになっただけだったのかもしれない、か)
それが何故今になって? やはり、ことの真相に気付いた――いや、存在しない事実に気付いた上でのとりあえずの安全策、といったところだろう。最悪、盾として使うことを恐れたのかも知れない。確かにそういう用途もあるだろうけど――お生憎さま、私はそんなことのために彼の部屋に潜り込んだわけじゃない。なんとか連れ去ってことの有様を説明するつもりだろうけれど。彼がはいそうですかと信じ込んでしまう人間ではないってことぐらい、私だって解る。彼はそういう人間なのだ。身内にとても甘い。だからこそ好都合。私は余裕を持って、高見の見物とさせてもらうのもこれまた一興だ。所詮、下等な魔法使い程度に私の策を見破ることなんて不可能なんだから。
◆
「はいそうですか、……って信じるとでも思うのか?」
俺――月城昴は、自宅のマンションから少し離れた場所にある西条公園のベンチに座りながら、隣で話す義理の妹――ルナににそう返答した。彼女が宣告した内容はこうである。犯人は朝雛紅憐。土曜の夜――近くで悲鳴を聞きつけたルナが、とある路地裏の一角にて死体処理をしている朝雛紅憐の姿を発見。処理の方法は――焼却。ライター等の火器は使用していない――それだけ説明して、ルナは言い放った。
「朝雛紅憐は魔法使いよ」
「……、どういうことだ?」
「死体をまるごと、消し炭残さず燃やし尽くすなんて普通は不可能。それを成し遂げるにはどうあがいたって『魔法』の力が必要だわ。わたしが見た限り、あれは魔法を使ってでしか有り得ない。この魔法使いが言ってるのよ。まず間違いないと思ってくれていいわ」
俺が信じられないと言った顔でルナの言葉を聞いていると、補足するように目の前に立つ守崎夜鈴が続けた。
「五大元素の一つ、『火』を操る魔法使い。それが恐らく朝雛紅憐だと思われる」
「おいおい、待てよ。いくらなんでも話が突拍子過ぎる。紅憐が魔法使いだって? 俺だって一応あいつの幼馴染だから解る。魔法だなんて大それたこと、紅憐ができるわけがない」
突然俺の部屋までやってきた夜鈴に連れられこんなところまできたのはいいものの、話された内容はにわか信じ難い内容だった。
「突拍子なのは仕方が無いでしょう。貴方の場合、魔法使いが絡んでるだけでどんな話でも突拍子無く感じてしまうのだろうし」
「いや……そりゃそうだけど。でも紅憐が犯人だなんて、それはないって。大体、あいつはその犯人とやらに狙われているからって俺のところまで逃げ込んできたぐらいなんだぜ?」
「逃げ込んだ――ね。それが、もし犯人から逃げるためではなく、ただ単に身を隠すためだけなのだとしたら?」
どう言うことだ。身を隠す――つまり、紅憐が犯人だったとしたらの話か。
「昼間にわたしと会ったときあるでしょ? あの時点では確定ではなかったのよね。確かに魔法使いだという証拠がそれだけでは、断定するのも難しいから。でも――」
ちらり、とルナは夜鈴に目配せをする。それに応えるかのように、黙って頷いた夜鈴が話を続けた。
「……『朝雛』は、『守崎』と過去に接点がある。それは、魔法使いの家系としての接点。私自身、昔に朝雛紅憐と会った事もあるから覚えていた」
「夜鈴が、紅憐と……? 本当なのか、それ」
こくり、と頷く夜鈴。
「厳密に言えばそれだけではない。『月城』『沢宮』『波上』――これらを含む、計五つの家系がそれぞれ過去に接点を持っている。魔法使いの家系、またはそれに関わる存在として」
――月城? 俺の苗字が、何でこんなところで出てくるんだ?
「驚いたわよ、まったく」ルナが心底呆れたように呟く。「ようするに、この街には魔法使いに関わる家系が――ばか兄の家を含む五つも存在していたってことよ? こんなちっぽけな場所に、ね。おかしいにもほどがあるわ」
「おいおい、それじゃ俺も魔法使いだって言うのかよ?」
「うん、否定はできないけど。少なくとも素質があるだけで魔法使いではないわね。魔法使いってのは、文字通り魔法を行使できてこその存在だから。貴方、そんなの使えないでしょう?」
「そりゃ、そうだが……」
「つまりはそう言う事よ。何の間違いか、この街には魔法使いがいっぱいいるの。そして――今回の事件の犯人は、わたしがその場を目撃したんだからまず間違いなく――朝雛紅憐なのよ」
そんな事があっていいのか。魔法使いが何だと言う――それじゃあ、紅憐は俺に今まで嘘をついていたのか? 五つの家系? 何だよそれ、意味が解らない。それに、残る二つの名前――それにも聞き覚えがある。
「夜鈴。さっき『沢宮』と『波上』って言ったよな」
「言った」
「俺、その名前知ってるんだけど。しかもクラスメイトと先生だ」
「……どう言う事?」
「一人は、紅憐いわく死んだらしい。今回の事件の被害者――それが『沢宮』。沢宮花凛って言う俺のクラスメイトだ。ルナも知ってるだろ?」
「ええ。まさかとは思ったけど。彼女も魔法使いに関わる家系の人間で……そう、紅憐に殺されたわけ?」
「言っとくけど、俺はまだ紅憐を犯人だとは思ってないぜ。で、次だが……『波上』だな。これは俺のクラスの先生だ。波上葵――これも、知ってるよな」
「……知ってるわ」
「これは偶然か? なあ、ルナ。お前、本当はこの街に何をしにきたんだよ。学校にいったのだって――全部、本当に偶然だったのか。だってお前、この数日で夜鈴の言う家系ってやつに全部関わってるじゃねえか」
俺がそれだけ言うと、ルナは本当に驚いたような表情を浮かべた。
「……そう。なるほど、そう言うことなの? わたしがこの街に送られてきた理由――ただの魔法使いによる事件の解決だけなんて思っていたけど、本当はそうではなかった?」
「解らない。解らないけど、偶然にしちゃあ出来すぎてる。ルナ、お前本当に何も知らないのか?」
「知らないわ。少なくとも、わたしの仕事はこの街で起きている事件の解決――それだけよ。これは嘘じゃないわ。ここで嘘をつく必要もないし」
「問題はさ。俺が魔法使いに関わる家系だか、その素質を持っているのかだかしてるとして。でも実際、魔法なんてもんを使えるわけはないし――他のやつらだってそうじゃないのか? 俺みたいに、魔法使いと関わりを持っているだなんて知らないんじゃないのか。紅憐だって死体を燃やしたっていうけど、本当に魔法でしか不可能なのかよ?」
少なくとも、俺は紅憐がそんな事を隠していたとは思えなかった。だから、あいつは知らないんだ。自分が魔法使いだってことを。今まで俺に何も話さなかったのだって、知らなかったから、それだけかもしれない。
「不可能よ。跡形もなくなってたんだから。でも、自分が魔法使いだって自覚はないのかもしれないわ。ただ、ヘンな力を使えるってことを理解しているだけかも知れない」
「跡形もなくなっていた――か」
そう言えば、紅憐はこう言っていた。現場から逃げ出して、次の日の朝にもう一度現場に見に行った、と。そのときにはすでに、死体はなくなっていたと。紅憐が犯人なのだとしたら、いちいちこんな事をするだろうか。
「ちなみに」ふいに、夜鈴が呟く。「貴方には追跡の魔法をかけておいたから、私には貴方と朝雛紅憐の会話のやり取りが聞こえていた」
「なんだって? てか、それ盗聴――」
「必要だった。……そして、朝雛紅憐は言っていたはず。目撃者は自分一人しかいない。狙われるのは自分だ、と」
ああ、確かに言っていた。次の日に死体がなくなっていたんだ。目撃したのは自分一人なんだから、狙われると思ってもおかしくは――いや、待て。
「朝雛紅憐は自分で死体を処理した。そうでなければおかしい。そうでないならどうして目撃者が自分だけだと言い切れる?」
「あ――」
「自分で死体を処理していながら、どうして逃げる必要があるのか、ってことよ。紅憐は犯人から逃げているのではなく――ただ単に身を隠しているだけ。この前のわたしみたいにね。貴方は利用されているだけに過ぎないってこと」
紅憐は「目撃者は自分一人しかいない」と断定するように言っていた。もう一度見に行ったのは次の日の朝。それなら、その間の空白に誰かが死体を発見していてもおかしくはない。だが――紅憐は知っていたのだ。自分が立ち去るときにはすでに死体はなかったから。だからこそ、目撃できたのは自分一人だと言い切った。嘘――だったというのか。紅憐は、俺に嘘をついてまでうちにやってきて。あんなに怯えたような表情をしていたのも、全て演技だって?
「……紅憐はそんなに嘘が上手くも演技上手でもねえよ。俺は紅憐を信じる。あいつが何をしてようと、あいつが言ったことを俺は信じてやるしかねえんだよ。頼られているんなら、俺はそれに応えるだけだ」いくら魔法使いでも何だって、紅憐が紅憐である限り、俺は紅憐を信じる。「話はもういいか。あいつを待たせてるんだ。悪いけど、もう行くぞ」
俺がそれだけ行って立ち上がると、だが白と黒の少女はまるで予想通りというような顔をして、
「……まったく。だからばかだって言ってるのよばか兄」
「私は貴方のそういうところを知っている。多分、こうなると言う事も解っていた」
「なんだよ二人とも。止めなくていいのか」
「止める必要がないわよ。でも、もし貴方に危険がありそうだったら、そのときは助けにいってあげるわ。それぐらい、させてくれてもいいでしょう?」
「……そんなことは無いと思うけど。まあ、好きにしろよ」
答えて、俺は踵を返す。二人の少女は何も言わずに俺の背中を見つめていた。
◆
こうして、俺は自宅へと戻ってきていた。ドアを開けて玄関へと入る。リビングからはテレビの音が聞こえてきた。どうやら紅憐は風呂から上がってテレビタイムといったところだろう。二人――ルナと夜鈴にはああ言ったものの、俺は俺でやらなければならない事がある。今までの事を振り返りながら、俺はリビングへと顔を出した。
「あっ、昴! ばか、どこいってたのよ!」
「わりぃ、ちょっと知り合いに呼ばれてさ。公園でだべってた」
紅憐は立ち上がると、ふいにこちらまで駆け出してくる。ふわり、としたいい匂いがしたかと思うと、紅憐は俺の胸元へと抱きついてきた。
「お、おい――」
「ずっと一人で不安だったんだから……。勝手にどこかにいかないで。一緒にいてよ……」
ぎゅ、と服を握ってくる紅憐の両手。俺は何も言えず、何もできず――ただそこで呆然と立っていた。いつの間に消したのか、テレビの電源はオフになっていて、部屋には静寂が訪れる。
不意に紅憐が上目遣いに俺の顔を見上げてきた。その目には、うっすらと涙さえ浮かんで見えた。
「昴……」俺の名前を呼んで、紅憐は俺の目を見つめる。「お願い。あたし、一人で寂しかったんだよ……。もう一人はいや。ずっと一緒にいて」
「お前……」
「頼れるのは昴だけなんだよ。もうあたしには昴しかいない。言わなきゃだめなら、言うよ。あたしの気持ち、昴は気付いてないみたいだから」
す、と紅憐の顔が近付いてくる。目を閉じながら、俺の首に両腕を巻きつかせて――
「――好き。お願い、抱いて……」
「……!」
決定的だった。本当に信じたくはなかったけれど。まさか、ここまで自分が鈍いなんて思ってもみなかった。本当に些細なことだったじゃないか。今思えばすぐにでも解る事だ。全てが全て、何もかも――簡単に気付けたはずだ。自分がばからしくなる。こんなことにも気付けなくて、何が幼馴染だって言うんだ。ばたり、と互いの身体がもつれ合うようにして床に倒れ込む。上に乗るようにして、彼女の身体が俺の身体を支配しようと動く。
「ねえ。キス、しよ……?」
そして、その顔が――唇が、俺の目の前にまで迫ってきて、
「――もうやめろよ」
俺は、その身体を無理矢理引き剥がすように退けた。
「な、に? どうしたの昴。いやだった……? あたしのこと、嫌いなの?」
涙目のまま、倒れるようにこちらを見る彼女に一瞥をくれてから、俺はゆっくりと立ち上がる。嫌いなわけがない。だがそれは、それが本当の朝雛紅憐であったときだけだ。
「……おかしいとは思ってた。信じたいって気持ちがそれを気付かせなかったんだろうな。俺もばかだったよ。どうしてこんな簡単なことに気づけなかったんだか」
「何言ってるの……?」
「知らないのも無理はねえよ。……俺さ。他人にはああいうけど、実は紅憐のこと一回だけ本気で好きになったことがあるんだ」
俺の目の前にいる少女は、何のことか解らないと言った風に顔を見上げる。
「ま、昔の話だけど。一年ぐらい前かな。告ったけど即フラれた。ま、当たり前っちゃ当たり前だよな。あいつと俺はただの幼馴染だったんだから。――だから、あいつが俺を好きになるなんてことは有り得ないんだよ」
「……、でも今はあたし昴のこと――」
「もういい。それにさ、そんなことは別にどうでもいいことなんだ。本当にどうでもいいことなんだよ。決定的ではあるけどそうじゃない。色々とおかしいことはいっぱいあるんだから」
「昴、あたし……」
「おかしいんだよ。思い出せば思い出すほど矛盾が湧き出てくる。お前さ――凄く紅憐に似てるし、本当は――俺の考えている事は、本当は違うんじゃないかって今でも思うけど。本物の紅憐じゃないだろ?」
「それは」
「知らないんだよ。紅憐はさ。俺が、朝早く学校に行っていた事なんて。ましてやルナに起こされてたなんていう事実をあいつは知らない。知っているのは、ある二人だけなんだよ」
そう――思えば全てがおかしかった。これだけではない。もっと、探せば探すほど矛盾点は数多く存在している。
「二人だぜ。俺が話したのは二人だけだ。クラスメイトの防人。あの女好きと――今、俺の目の前にいる沢宮花凛だけだ」
そこにいる、朝雛紅憐の姿をしただけの少女。
――沢宮花凛は、にたりと笑みを浮かべて立ち上がった。
「……いつから気付いてたの?」
「気付いたのはついさっきだよ。それに、確証はなかった。最悪ハッタリで済ますところだったが……沢宮さん。やっぱり、そうなのか」
ぶわ、と少女の身体が光に包まれる。ルナのあの『光の衣』とはまた違う――赤い光。
「まさかこんなに早く気付かれるなんて、予想外だったな」
瞬間。少女の姿は、いつの間にか朝雛紅憐のものではなく――正真正銘、沢宮花凛のものに変わっていた。
「……、へえ。それが、沢宮さんの『魔法』か?」
「あれ、もしかして全部思い出したの? ……ふうん、じゃあ話してもいいかな。そう、確かにこれが私の魔法だよ月城くん。そうだね、『擬似変装』って呼んでる」
「トレース……」
「それにしても、他にも色々と間違えちゃったところがあるみたいだから、参考までに教えてくれないかな? できれば全部。私がどれだけ間違いを犯したのか。覚えているならでいいんだけど」
沢宮花凛は平然と、別に何の気兼ねもなくそう言った。ただ興味があるから、と言わんばかりに。
「……そうだな。多分、これが最初だろ。――金曜の帰り道、ルナの事を俺に問い質してきたとき。あのときからすでに紅憐の姿をしていたんじゃないのか?」
へえ、と感嘆するように微笑を浮かばせる沢宮花凛。俺は構わずに続ける。
「今考えればおかしいからな。俺が学校から帰るとき、紅憐は部活やってたんだから。なのに俺とあの場で会うのは物理的に不可能だろ。確かに少しおかしいとは思ったけど」
「そうだね、当たってるよ。他は?」
「あいつに好きな奴がいるって話だよ。あのさ、何で俺がフラれたかって話、しただろ。――その理由ってのがさ。あいつ男嫌いなんだよね」
「……男嫌い?」
「ああ。いやまあ、普通に話す分には問題ないからちょっと言い方が違うかな。正確には――男を恋愛対象として見れないんだ。あいつ自身、何だかやけに性格が男勝りだったりするのはそれなんだよ、実は」
「ふうん。月城くんがそれを知ったのは、告白してからなの?」
「ああ、そうだよ。その時、あいつは俺の目の前でとんでもないこと言いやがった。『あたし男に興味ないから。付き合いたいなら女になってよ』ってさ。笑えるだろ? 笑うしかねえ。ここで俺の幻想はことごとく打ち崩されたってわけ」
「……でも、じゃあどうして好きな相手がいるって話をしたときにそこまで追求しなかったの?」
「簡単。ただ女を好きになったんだろって思っただけ。だからこそ、俺はまさか自分のことだなんて思う訳がない。でもま、動揺はしたけどな。本当にあいつに好きな奴ができるなんて思ってなかったし。あんまりあいつがそういう話得意じゃないってのも、解ってたしさ」
そして、その好きになった相手――それが女子ならなおさら、あいつはなんとモテる。あの性格もさることながら、スポーツ万能・成績優秀な美少女――ときた。これがそのテの女の子にモテない理由がない。だが、紅憐自体はその事実を知らない。鈍いのはあいつだってそうだ。だから不安に思う気持ちも、地味に理解はできた。同姓愛なんて理解したくもないが。
「そっかあ。それは知らなかったよ。まさかあの朝雛さんがね……さすがにこればっかりは解らなかったな」
「……なあ、沢宮さん。あいつは――紅憐は無事なのか」
「うん? もちろんだよ。今は自分の部屋でぐっすりじゃないかな」
そうか――ひとまずは安心する。だが、そうだとするなら。一体、何のためにこんな事件を起こしたのだろう。
「俺は問いに答えた。じゃあ次はこっちから質問する番だよな。何でこんなことをしたのか、ことの経緯を全部話してくれないか」
沢宮花凛は、それが当然の反応だと言うようににっこりと笑い、
「いいよ。それじゃあ、どこから話そうか――」
◇
金曜の放課後。私――沢宮花凛は、血迷ったのか場の空気に押されて告白をしてしまった。相手の名前は月城昴。同じクラスの同級生にして、とても仲の良い男子生徒。本当は告白なんてするつもりはなかったけれど――今言わなければならないような、そんな不安感に苛まれた私は、ついつい思わず言うつもりのなかった本音を口にしてしまった。言ったが遅し、相手は何を言われたのか良く解らないといった表情で呆然としていて、私はやっぱり言わなきゃ良かった――と、後悔しながら涙を浮かべてその場から駆け出した。後ろから追いかけてくる声が聞こえてきたが、それをなんとか振り払う。もし、彼に捕まってしまったらきっと返事を貰うに違いない。そして、その返事の内容はもう解りきっていた。
「はあ、……は――」
息が切れてきたところで、気が付けば校舎の外だった。追いかけてくる気配はない。諦めたのだろう。なんとか振り払ったことに、す、と胸を手で撫で下ろす。とにかく今日は帰ろう――そう思った時だった。
「あれ? ……あんなところに」
校門の壁に背を預けるようにして、一人の金髪を靡かせた少女が立っていた。彼女のことは知っている。月城瑠奈――いるはずがない、月城昴の妹。昨日初めて聞いたときから確信していた。口ではとぼけていたものの、実際、心の中では疑いの念でいっぱいだった。そんな唐突に、実は妹がいましたなんて有り得るのだろうか。ましてや、幼少時代に一緒にいた――なんて言われても信じられるはずがない。と言うか、月城くんは覚えていないようだったけれど、小さい頃、私こと沢宮花凛は月城家と少なからずの縁があり、よく子供同士で遊んだものだった。その時にいたのはあと二人――朝雛と守崎。思い出したのは、月城くんに朝雛紅憐が幼馴染だと話してもらったときだ。どうして忘れていたのか、はたまたどうでも良かったのか――とにもかくにも、月城昴に妹なんて呼べる存在はいなかったはずなのだ。一人だけ、お兄ちゃんだのと呼んでいた少女がいたけれど。守崎――苗字だけは調べられたが、名前までは解らない。もしかすると、瑠奈の正体はその守崎なのではないかとも思えた。月城を名乗っているのは何か事情があるのかもしれない。少なくとも、私の家系である沢宮――そして、朝雛と守崎は魔法使いの家系だ。朝雛紅憐に自覚はないようだが、守崎のほうはわからない。もし、瑠奈がそうなのだとすれば納得がいく。昨日見事に学校中の教師生徒を『洗脳』して見せたあの魔法――他の目は誤魔化せても私は誤魔化せない。魔力の動きぐらいは掴めるからだ。彼女は、間違いなく魔法使いだった。そして久しぶりなどと言っていたことから、最有力候補としては『守崎』の銘が浮かび上がる。必然の結果と言えばそうだ。私は校門にいる金髪の少女のもとまで歩いて行く。何故だかは知らないが、どうやら彼女は月城くんを待っているようだ。なら、ちょっといじわるしてみたくなるのも無理はないと思う。
「あ、沢宮さん。今からお帰りですか?」
ふとこちらに気が付いたのか声を掛けてくる猫かぶり娘。いや、それを言うなら私も人のことは言えないけれど、それでもこの少女の猫かぶりは異常だと思う。私は内心少しイラつきながらも、平常を保った表情のつもりで答える。
「はい、ようやく委員会の仕事が終わったんですー。もうくたくたですよ」
「大変ですね。あ、ところでうちの兄を見ませんでしたか?」
「え? 月城くんならとっくに帰りましたよ?」
ここでハッタリをひとつ。月城くんと毎日一緒に帰るなんておこがましい。今日ぐらいは一人で帰ってもらおう。そうじゃないと私の気がすまない。
「あ、そうなんですか。いつまで経ってもこないから……やっぱりそうだったんだ。それじゃあ、わたしも帰りますね。ありがとうございました」
それだけ言って、礼儀正しく(見かけだけは)その場を去っていく彼女。ふと、ここで『擬似変装』を使って彼女に成り代わってやろうかとも考えたけれど――それは意地が悪過ぎる。さすがに悪趣味も良い所だし、そう言う手はここぞって時まで取っておかなきゃ意味がない。それならば、もっと有効に使うべきだろう。私は月城くんの帰り道を歩きながら、真実を確かめる為にひとつ芝居を打つことにした。
◇
というわけで、『擬似変装』を使って朝雛紅憐の姿を借りた私は、帰り際の月城くんに瑠奈の正体について問い質してみた。だけど、結果は微妙だった。どうやら守崎という名前に心当たりはあるみたいだったが、その名前を聞いたあと、彼は何かを思い出したかのようにその場から立ち去ってしまった。
「……ふうん。月城くんって結構、朝雛さんには軽いんだなぁ」
まあ、なんというか得た感想がまずそれだった。本人は幼馴染だからと言うけれど、朝雛紅憐のほうはそうとは限らない。と言うか、昨日のことといい彼女は明らかに月城昴に好意を抱いているように見える。私のこともあるし、月城くんは相当鈍いのかもしれない。それだけ考えて、今日のところは帰路に着くことにした。本来、私の家はこっちとは逆方向だ。また学校のほうへと戻ることになるけれど、仕方がない。
ふう、と溜め息をひとつ。魔法使いとしての力を使ったのは結構久しぶりだった。実のところ、この力の存在に気付き、魔法使いとしての自我を得たのはここ一ヶ月の間の出来事である。今、街で噂になっている連続猟奇殺人事件――それが、魔法使いの仕業だと言うことを知ったのは、私が魔法を覚えた日だ。つまるところ、私が魔法を行使できるようになった瞬間に、真実は全て明かされた。どうしてか、なんて話をすると、また過去に遡ることになるのだけれど――
◇
――それは、とある休日の深夜だった。世間で言う、連続殺人事件の二人目の犠牲者が出た日、私はその現場に居合わせてしまった。犯人はいない、というよりは見逃してしまった。長身な体躯を持つ男性だということは把握できたもの、それ以上のことは解らなかった。そして、私はその時、犯人を逃がしたことに何故か憤怒していた。私らしくもない感情が渦巻く。人殺しを許容するなんて、目の前で許してしまうなんて――なんという体たらく。
「悔しいかい?」
そこで聴こえてきた声、それが全ての始まりだった。背後にいつの間にか立っている男。先ほどの殺人犯ではない、体型も少しばかり痩せ細った、どちかといえばインテリ系の、贔屓目に見てもそこまで格好のいいとは思えない男性。何故だかその姿を見た瞬間、私の背筋が凍った。酷く、突き刺さるような感触を覚える。
「君はようやく舞台に上がることになるよ。魔法使いたちが舞い踊る、華麗で優雅で――そして残酷なショーさ。君もその主役の一人と成り得るんだ。これ以上に光栄なことはないよ?」
何を言っているのかまったく意味不明だった。せめて日本語で喋って欲しい。いやまあ。実際、日本語じゃないのかと言われるとほとんどは日本語ですと答えるけども。
「さっきの彼が今回の敵だ。彼を捕まえることが出来れば君の勝ち。どうだい、参加したくはならないかな?」
「……さっきから意味が解らないんですけど、その。魔法使いとかって、一体どういうことですか?」
男は笑った。嘲るように。本当に君は何も知らないんだね! と、こちらを挑発するかのように、高らかに。
「いいよ、凄くいいね。なら教えてあげよう。君はね、魔法使いなのさ」
「は……い? どう言うことですか? 魔法使いって」
「この街にはね、魔法使いが暮らしているんだ。おとぎの国さ。素晴らしいだろう? 夢溢れる世界にわくわくしないかい? そして、君がその魔法使いだと言うのだから、そりゃもうきっと大興奮に違いないね!」
ああ、もう早くこの場から逃げ出したいなあ。そんな事しか頭に浮かばないまま、私はただ淡々と、目の前で踊るように笑い喋る男の言葉を聞いていた。
「それじゃあ姫様――君の『回路』を開いてあげるよ」
ふっ、と、気が付けば男の姿が消えていて。次に気が付いたとき、すでに私の意識は消えていた。――そして目が覚めたときに、私は理解していた。何故だか、どうして解るのかそれが解らないけれど――不意に、私は魔法使いなんだってことを自覚した。でも、何が出来るのかは解らない。というよりは、まだ何も『組み上げていない』状態で、魔法なんて何も扱えなかった。魔法使いではあるけれど、魔法を使えない。これじゃただの滑稽な人形だった。人形――というフレーズを思い浮かべた瞬間、私は思いつく。そうだ。それなら、きっと出来る。どうしてかは解らないけれど、今の私は魔法使い。あの気持ちの悪い男が言っていたように、確かに魔法使いなのだった。だから、出来る。やろうと思えば、それを行使するために必要な事が全て頭に浮かんでくる。あの男が言っていた『回路』というのは、こう言う事だったのかな――なんて少し考えて、解らないからどうでもいいと切り捨てて、自分の魔法を完成させる。その瞬間から、私は『人形遣い』の肩書きを背負うことになった。
◇
私が魔法使いとなるきっかけは本当に唐突で、殺人犯が魔法使いだとわかったのも、やっぱり必然なのだった。でも、普通の人間と私はさほど変わらない。おかしな魔法を三つほど扱えるだけで、あとは何も変わりはしない。だから魔法使いである『敵』を探すこともしなかった。あの気味の悪い男ともあれ以来会うことはないし、完全に蚊帳の外の出来事として放置していた。でも――それでよかったのか、と最近思うようになってくる。私以外の魔法使いである、あの瑠奈が現れてから。私は、何か焦りのようなものを感じるようになっていた。
「……ただの杞憂だといいけど」
帰り道を歩きながら呟く。すでに学校の横を通り過ぎていて、あと数分と歩けば自宅の屋敷に着く。沢宮の一家は、古ぼけた和風なイメージを彷彿とさせる屋敷に住まう両親と私、そして使用人が数人だけで構成された家庭である。金持ち――とも言えるのだろうけど、あまりそう言う風に感じたことはない。しかし、私が魔法使いだと理解出来たときから認識の変化はあった。この沢宮家はどこかおかしな空気を持つ家系だとは思っていたけれど、まさか魔法使いの家系だとは。数年前に出て行った姉なら、その事を知っていたのだろうか。まあ、どうでもいいことはどうでもいい。とにかく今はそんな事も全て忘れて、自宅の自室でゆっくり休みたい。勉強もしなきゃいけないし、なんだか今日は家から出たくない気分だった。焦る気分はあった。あの魔法使い、瑠奈が何のために月城くんに接触したのか。守崎が動き出したのかも知れない。そう思うと、何故だか心臓がばくばく動く。あの気味悪い男の言うことを真に受けるわけではないが、舞台の幕が上がろうとしているのかも知れない。まだ確信があるわけではない。瑠奈が本当に『守崎』の人間であるかは解らない。その可能性が一番高いというだけで、もしかしたらまったく関係無いのかも知れない。でも、それでも彼女は魔法使いだった。そんな彼女が、私の前に現れた。これは偶然なのだろうか? 本当に『その日』が近付いているのだとしたら、私は一体、どうするべきなのだろう。あの時――犯行を目撃し、犯人を見逃してしまったときに感じた悔しさは、確かに今でも思い出せる。――やっぱり、そろそろ潮時かも知れない。今日のところは家でゆっくりするとして。そう、明日からはちょうど休みなんだし。ほんの散歩がてら、外の空気を吸いに出かけるのもオツじゃないかな――と、口元をひどく歪ませながら私は思い立った。
◇
そして、土曜日。突然の来訪があって、私は屋敷の玄関へと出た。私にお客さんなんて珍しいなー―と思いながら、それが月城くんだったら良いのに――なんて期待も膨らませつつ、
「こんにちは、沢宮さん」
しかし。期待を裏切るかのように、そこには月城瑠奈の姿あがった。
「……あれ、どうしたんですか? こんな朝早くに」
私がそれだけ応えると、目の前にいる瑠奈はしかし黙ってこちらを見つめている。感じ取れるのは、魔力が蠢く鼓動のようなもの。まさか、私にあの魔法を使うつもり……?
「ええ、ちょっとお別れに。『さようなら沢宮さん。もう二度と会うことはないわ。貴女も全部忘れることになる』」
……、はっとする。恐らく魔法を使われた。魔力がこちらに流れ込んでくるのがわかる。
「……え? あれ? あの、貴女は――」
「あら、間違えたみたいね。ごめんなさい、人違いでした」
私がただとぼけただけなのだとは露知らず、まんまと術中に掛かったと踏んだのだろう。ルナはしれっとそんな事を口にして、その場から立ち去ってしまった。あの瞬間、微弱な魔力が私に接触してきたけれど、それだけだった。力が弱すぎたのか、私に彼女の魔法が掛かることはなかった。恐らく私の体内にある魔力と反発したのかも知れない。とにかく、記憶を消されることはなかったわけだ。でも、どうして今になって記憶を消す必要があったのか。解らないけれど、何かが始まっている――そんな気分になる。
「私のところにまできたってことは、すでに他の人の所にも行ってる……」
そうなると、すでに朝雛紅憐の記憶は消されているかもしれない。いや――今はまだでも、その内消されるのは目に見えている。それはそれで、好都合。彼女が瑠奈のことを忘れるのなら、それでいい。とにかく、今はまだ動くべきではないと踏んで、私は部屋へと戻る事にした。
◇
昼になり、またもや来訪者がやってきた。おかしい。今日は絶対に何かが違う。こうまでも私あてにお客さんがくるなんて、今までにはなかった。偶然だとは思うけれど、そうではないと私の中の何かが訴えている。今日にして二度目の玄関。靴を適当に履いて、ガラガラと扉を開く。
「あ、沢宮さん。ごめん、急に押しかけて」
「……あ」
そこには、朝雛紅憐がいた。まさか。どうしてここに?
「あの……さ。本当にごめんなんだけど。中――入れさせてもらってもいい? ちょっと話があって」
話とは何だろう。彼女とは仲が良いと言うわけではないけれど、まったく接点がないわけでもない。私がクラスの委員長を務めているように、彼女も彼女のクラスの委員長を務め、委員会でたびたび顔を付き合わせる程度にはお互いのことを知っていた。たまに会話もするし、今日だって学校がらみの相談かも知れない。むげに断る事も出来ないし、ここは黙って受け入れるとしよう。
「いいですよ、どうぞ入ってください。うち、古臭くて馴染まないかも知れないけど……」
「あ、ううん。ありがと。お邪魔します」
私はいつもの調子で応え、朝雛さんを部屋へと案内した。木の板で出来た床は歩くたびにギシギシと唸るので、朝雛さんは少しばかり緊張しているようだった。まあ、無理もない。外見はまともそうに見えるこの屋敷でも、実のところ中は相当古い。うちは立派そうに見える屋敷を持っているだけで特別そこまで金持ちではないし、リフォームする余裕だってない。私が金持ちな自覚がないのは当たり前と言えた。いやまあ、それなりの家系ではあるのは確かなのだけど。私は部屋に着くと、先に朝雛さんを中へ招きいれ、そのままお茶の用意を取りに台所へと向かう事にした。すぐに戻ってくるから、とだけ言って、私はその場から踵を返して立ち去った。それにしても――
「今日はなんだか、忙しい一日になりそう……」
そう思い立って、自然と溜め息が出た。
◇
部屋に戻ると、朝雛さんは本当に大人しく待っていた。物珍しそうに周りを眺めるでもなく、ただ静かに私の帰りを待っていたようで、その姿勢にはなかなかに好感触を持てる。
「はい、どうぞ。安いものだけど」
「ありがと、気を使わせちゃってごめんね」
さて、とりあえずは用件よりも世話話から入るべきか。いきなり用件を問い質すのも、客人を扱う場合としてはあまり宜しくない。向こうが話を切り出すまではそれなりに相手を務めなくては、部屋まで招待した意味がないというものだ。しかし、そんな私の気を知ってか知らずか――朝雛さんは、間を置く事無く用件を切り出した。
「あのね。今日ここまで来たのは、ちょっと聞きたい事があったからなんだ」
「……聞きたいこと? 学校のこととかですか?」
「ううん。違うんだ。その……なんていうのかな。ヘンなこと言うやつだとか、思わないでね。あのさ、沢宮さんは――瑠奈って子のこと、覚えてる?」
……、瑠奈だって?まさか――覚えているのか。
「……いいえ、覚えては、いませんけど。どうして?」
「覚えていない、か。そうだね、それだけで十分だよ。皆とは違う反応だ。沢宮さん――本当のこと、話してくれないかな?」
なるほど、迂闊だった。言い方がまずかった。私は隠し事が苦手だからなあ、と心の中でぼやく。仕方がない。隠していてもしょうがないし、ここは話を合わせよう。
「……そうですね。覚えては、います。でも、忘れろって言われたので、話してもいいものなのかと……」
それだけ私が言うと、朝雛さんはまるで女神にでも会ったかのような、救われたみたいな顔をする。
「覚えてるんだね! やっぱり、あたしだけじゃなかった……! ねえ、瑠奈は今どこにいるのか、知ってる?」
「ごめんなさい、さすがにそこまでは……」
探しているのだろうか。
「そっか。……でも、あたし以外に覚えてる人がいるだけでよかったよ。あのばかも覚えてないって言うし――」
「……あのばか?」
「あ、うん。昴のこと。あいつの家まで押しかけたけど、何も知らない、何も覚えてないって顔するんだよ。瑠奈は瑠奈で、今朝会ったと思ったら別れの台詞だけ言っていなくなるし……」
やはり、彼女の魔法は行使されていたんだろう。だけど朝雛さんは覚えている。どうしてだろう――とまで考えて、ようやく思い出した。朝雛はこの街の魔法使いの家系だ。ならば――彼女だって魔法使いであってもおかしくない。この私のように、瑠奈の魔法に掛からなくても何もおかしいことはないんだった。そんなことを見落としていた自分に呆れつつ、しかしだからといって別に何が変わるでもなし、私は冷静さを失わないように、平常心を保つ。
「私のところにもきましたよ。それで、別れの言葉も確かに聞きました。でも忘れろといわれても忘れるわけがないし――他言するなってことなのかもしれないと思ったんですけど」
「うん。あたしも最初はみんな口を閉ざしてるだけだと思ったよ。でも、昴のは明らかに何も覚えてないとしか思えない態度だった。おかしいよ、何かが……上手くいえないけど、何かおかしい」
そこまで聞けば十分だった。ようするに、やはりこの少女は魔法使いであって魔法使いではない。素質はあるけど自覚のない魔法使いで、瑠奈の魔法は効かなかったものの、実際何をされたのかまでは理解に至っていない。ならば言いくるめることはできそうだ。いや――それより、もっと効率のいいことが出来るかもしれない。
「私もおかしいと思います。何だろう、何かが始まろうとしている、そんな感覚が。……あの、朝雛さん。せっかくここまできて貰ったんだし、ちょっと長話に付き合ってくれませんか?」
◇
時間にして一時間と少し。私は、私の知り得る全ての情報を彼女に話した。魔法使いが存在すること。私が魔法使いであること。瑠奈が魔法使いであると思われること。今この街で起こっている連続殺人事件と魔法使いの関わりを。そして、
「……じゃあ、あたしもその魔法使いだって言うんだね」
「ええ。私もついこの間までは信じられませんでしたけど……自分のこの力だけでは把握できなかった魔法使いの世界というものが、瑠奈さんや朝雛さんを通じて見えてきた。これから何かが起ころうとしているって事も」
「にわかには、信じられない……ううん、信じたくはない、かな。あたし、そう言う話って話すだけなら凄く好きだけど、現実として捉えるタイプじゃないから。……でも、うん。そうでないと説明のつかない事がある時点で、信じないと話も進まない、か」
彼女はなんとも理解力のある人物だった。私の突拍子もない説明だけで、ここまで理解し、現状を把握してものを見渡せている。才能だな、と思う。少し妬ましいぐらいに。
「そうですね。私もそろそろ覚悟を決めないといけないと思ってたところです。私が会ったあの気味の悪い男性の言っていた言葉も気になるし……もうすぐ、何かが始まる。それは恐らく確実だと思うんです」
「沢宮さんは、これからどうするつもり? ……こんな話を、信じるかも解らないのにあたしに話したってことは、あたしに何か出来る事があるんじゃない?」
「……はい。察しが良いですね。今日ですけど、夜に街を徘徊しようと思います。『敵』であるらしい殺人鬼――言うところのこの街で起きている事件の真犯人ですけど、その男性も魔法使いだと言う事は解っているので。事件が起こるとしたら夜です。だから、動くなら早いほうが良い。今日の夜――そうですね、十時過ぎに学校の近くにある坂を降りたところのコンビニ、その裏側にある路地裏で待ち合わせましょう」
「オッケー、解った。一人よりは二人のほうが安全だからね。あたしも協力するよ」
もはや他人事とは思えなくなったのだろう――朝雛紅憐は、容易くこちらの用件を許諾した。その後、一、二度会話を交えた後、朝雛紅憐は屋敷を後にした。
◇
――夜の街は静かだ。この辺りは特に静かな部類に入るだろう。特別、コンビニに不良が頓挫するわけでもなし、車もそう多くは通らない。人通りもあまりなく、コンビニの光だけが唯一、その街が生きていることを証明するかのようだった。そんな静かな街だからこそ――事件は起こる。私、沢宮花凛は『餌』を用意した。この舞台の幕を速やかに下ろすには、ようするに殺人鬼の魔法使いを捕まえてやればいい。そうすれば、あの気味悪い男の言葉をこれ以上脳の隅っこに残さずに済む。ずっと気になっていたが、今日で全てを終わらせてやるんだ。私は今までに無い昂揚感を覚えながら、コンビニ裏の路地裏――朝雛紅憐との待ち合わせ場所へと『餌』を撒く。餌と言う名の人形を。人形と言う名の私を。自分を『人形遣い』たらしめた私の初めて行使した魔法――それが『人形精製』。基本は土に魔力を注いで形を形成し、私の魔力を遠隔操作して送り込み、それを動かす。見た目だって私にしか見えないし、殺されれば血も流すように作っている。あまりに精密過ぎて自分自身少し嫌気がさしたが、どうせやるのならこれぐらいでないと『魔法』とは言えないだろうと言うのが私の考えでもあった。路地裏に私を立たせ、魔力を強く放たせる。こうすれば、魔法使いなら嫌でも誘えるはずだ。近くに寄ればすぐに解るだろう。私が感じるように、他の魔法使いが感じるならば――だが。
時刻は九時過ぎ。朝雛さんとの約束の時間は十時だから、あと一時間の猶予がある。これで釣れないなら朝雛さんと合流して今度は動き回って探す。当初の予定はそれだけだった。そう、朝雛さんの存在もあくまで保険程度でしかない。……でも、なんていうか。物凄く滑稽なのだけど。自分でもまさかここまでとは、なんて自惚れてさえしまうけど。
(――釣れた……!)
人形配置から数十分足らず。路地裏に、確かに記憶にあるあの男が現れた。
(『人形』に意識を集中――間違いない、あいつ……あの時の)
にたぁ、と不気味に笑う長身の男。それは間違いなく、私が魔法使いになったあの日に逃がした、殺人鬼だった。
(にしてもこんな簡単に釣れるなんて。私、もしかして才能あるのかな?)
駄目だとは解っていてもつい自惚れてしまう。む、とりあえずは目の前の『敵』をなんとかしよう。
「――オマエ。魔法使いだろ。ならオレと勝負しろ」
「……勝負?」
私は人形越しに問う。この人形、何が凄いって遠隔操作できるだけではなく喋ることすら出来るのだ。
「ああ。――もう大分殺してきた。これで何人目だっけ……いや、別にそんなことはどうでもいいんだけど」
「ひとつ聞いてもいいですか? 貴方――まさか、今まで殺してきたのは全部が全部、魔法使いなんですか?」
「そうだ。どいつもこいつも弱くて仕方がない。ちまたじゃ連続猟奇殺人事件だとか言われてるけど。これの犯人はオレだぜ」
魔法使いを殺してきた――理由は何であれ、ともかくこの男こそがこの街で起こっている連続殺人の犯人であることは解った。あとは、どうやって仕留めるか――
「あのさ、オレをこうやって誘い込んだってことは。――オマエ、それなりに強いんだろうな?」
「……!」
ダッ、と男が駆け出す。いや――駆け出したと思った瞬間、その肉体はあろうことか空を飛んでいた。弧を描くようにぐるりと半回転しながら、私目掛けて飛び掛かる。魔法使いをこれまでに何人も倒してきたと言う事は――この男、恐らくかなり強い。しかも魔法使いならば尚更だ。この人間技とは思えない動きも、魔法の力だと言うのだろうか。
「オイオイ、突っ立ってると一撃だぜ……!」
ごしゃ、と頭がひしゃげる音がする。同時にノイズが走り、途切れそうになる人形との意識。
「……なんだこりゃ、本物じゃねえのか。こうも容易く死ぬわけねえよな、魔法使いが。――チ。抵抗もねえから何かと思ったが、ようは試されたってわけか」長身の男は舌打ちして、「――でもよ、甘いぜ魔法使いさん。オレも魔法使いだってことを忘れられちゃあ困る。本体の居場所ぐらい、すぐに探知できるんだから」
しまった、と思った時にはもう遅い。長身の体躯を軽やかに、男はその場から文字通り飛んで去っていった。そこには、私の作り出した精密な人形の死骸だけが残されて。すぐに意識のリンクを断つ。――だが、本物の私の居場所がばれてしまっては意味がない。すぐにここから立ち去らなければ。私は二つ目の魔法、『擬似変装』で朝雛紅憐の姿を被る。こんなのは外見だけの気休めに過ぎないけれど、やらないよりはマシだった。出来るだけ自分の魔力を閉ざすように神経を使いながら、私はその場から逃げるように立ち去った。
◇
そうして、十時を過ぎた頃――ようやく追跡を交わし切れたらしい。私は安堵しつつも常に気配を隠しつつ、人形の始末をするために路地裏へと戻ることにした。だが、ひとつ忘れていた。
「……あ」
そこには、朝雛紅憐が立っていた。人形であるはずの、私の死骸を見つめながら。
(死体を見られた……か。計画はこっちに進むんだね。うーん、一応想定はしていたけど、どうしたものかな)
私はこうなることも考えてはいた。そうなったならそうなったで、一番自分にとって都合の良い展開を作り上げたいところだが――やがて、その場にいることが耐えられなくなったのだろう。朝雛紅憐は恐怖の表情を浮かべつつ、悲鳴をあげながらその場から逃げ去った。恐らく、これで私は死んだと思われて間違いない。人形に私だと思わせるためのフェイク――携帯を持たせていたのがあだとなったか、朝雛さんは私の携帯を拾って行った。本当は私であることを『敵』に証明できればそれでよかったんだけど、持っていかれてしまったのなら仕方がない。あとでなんとかして取り戻そう。さて、とにかく今は私も朝雛紅憐の姿をしているのだ。彼女の姿が見えなくなった頃合いを見図って、私は人形の焼却を開始。この人形、魔力を直接送り込めば簡単に、そして完全に消滅させられるのもメリットの一つだろう。跡形もなくなったことを確認すると、私はその場から静かに立ち去った。
◇
次の日。昼頃に朝雛邸へと赴くものの、反応がない。帰っていないのだろうか。――まさか、とは思うが。
「……前からはさすがにマズい、かな」
私は朝雛邸の裏へと回り、窓を破って中に侵入した。一人暮らしだとは聞いていたけど、本当に静かだった。誰もいる気配がない。やっぱり家にはいないのかも知れない。二階まで上がり、朝雛さんの部屋を発見する。もうここまでくればノックなんて必要ない。私は扉を開いた。
「……いない、か」
どこにいったのかは解らない。最悪、あの殺人鬼と出くわして――殺されてしまった?とにかくいない事は事実だった。不法侵入してしまったからにはばれるわけにはいかないけれど、ここに今住んでいるのは彼女だけだ。説明すれば解ってくれるとも思える相手だし、少し調べ物をさせて貰おう。調べる事は『朝雛』の家系について。魔法使いの家系ならば――何か手掛かりがあるかもしれない。
◇
色々と調べてみたけれど、特に目ぼしいものは見当たらなかった。本当に魔法使いの家系なのだろうか? しかし、そうでなければ朝雛さんが瑠奈の魔法に掛からなかった理由も解らない。素質はあるはずなのだ。それに、私の実家でそれなりの調べはついている。そもそも、この街には魔法使いが多すぎる。この街を仕切る魔法使いの代表とも言える家系『守崎』。私の家系である『沢宮』。それら二つと過去に接点のある『朝雛』。朝雛紅憐が素質を持っていることが証明にはなるが、魔法使いとしての証拠が何ひとつないのはどう言うことだろう。すでに身を引いている――という線もあるか。
「解らないことだらけ、か……。うーん、結局あの『敵』のことについてもあんまり解らないままだし」
あの長身の男は、最後に目に見えない攻撃を放った。上空から急降下してきた寸前、肉体と肉体がぶつかり合うその前に、何かしらの攻撃が私の人形にぶつけられた。恐らくかわす事は不可能。直視できない攻撃なんて、それこそ意味不明だ。魔法だということはわかるけれど、それにしても情報不足が否めない。あの『敵』には、ただ闇雲にぶつかっていっても勝てる気がしなかった。ふう、と一息つくように、私はリビングのソファーに腰掛ける。自分でも何をやっているんだろう、とは思うのだけど、一度やってしまうとなんだか割り切れてしまうというか、ある程度の安心感があると特にここを離れる理由も見つからない。今日一日ぐらいはここにいて、彼女が帰ってこないようなら本格的に探す事になるかもなあ――なんて考えている矢先、
がちゃり、と。扉のカギが開けられて、朝雛紅憐が現れた。
「……あ」
やばい、見られた。この姿――朝雛紅憐の姿のままリビングに居座る自分を目撃されてしまった。
「あ、あたし……っ?」
慌て出す朝雛紅憐。私は仕方なく、『擬似変装』を解除し――元の姿へと戻った。
「さ、沢宮さんっ! 無事だった、の……?」
「……無事、とは?」
朝雛紅憐はあの現場を目撃している。だが、私自身はその事実を知らないフリで通しているため、ここはとぼけた返答をしておいた。
「う、うん。約束通り、あの路地裏まで行ったら……そこに死体があって。沢宮さんだと思って……」
「あれを見たんですね……。あの路地裏にあったのは私が魔法で作り上げた『人形』です。さっきの姿は、これも私の魔法で作り上げた『変装』です」
「そ、そうなの? じゃああれは沢宮さんじゃなかったんだ……。携帯が落ちてたんだけど、これ……沢宮さんのでしょ?」
「ええ、人形にもしものことがあったら、それが私である証明になるように持たせておいたんです。あ、返して貰ってもいいですか?」
「うん、もちろん」
私は自分の携帯を受け取ると、人形の血に塗れたその機械をポケットに突っ込んだ。
「……本当は、『敵』に私が死んだと思わせたかったんですけどね。さすがに騙せなかった。魔法使い相手なのに、少し舐めてました」
「やっぱり、あれは『敵』とやりあった後だったんだね? 殺されたんだと思って、あたし……」
「心配かけてしまってごめんなさい。でも大丈夫。私はまだ生きてます」
そう、生きてさえいればここから巻き返すことだって出来る。だが、朝雛さんはそんな私の言葉に「そうだよね」と、何故か気が乗らないと言わんばかりに答えた。
「それで、今までどうしていたんですか? 心配になって、ここまでやってきたんですよ、私。勝手に入るのは、少し悪いかなと思ったんですけど……」
「そうだったんだ、ごめん。それがね――」
そうして、私は朝雛紅憐の今までの行動について詳しく話を聞いた。
月城くんの家に行っていたとは少し予想外だった。しかし、私とかかわりを持った後で私が死んでいたとなれば、自分が狙われると思うのも無理はない。一通り話を聞き終わると、朝雛さんは言い難そうに、
「……あのさ、やっぱり危険だよ。その『敵』ってやつは殺人犯なんだよ? いくら沢宮さんが魔法使いだからって、危険なことに変わりはない……!」
「そうですね……。でも」
何故だか、引き下がる気にはなれなかった。瑠奈の件もある。私が魔法使いとしての自覚を持ってから数週間としないうちに、こうも事態が動き出した。あの気味悪い男の言葉が再現されようとしている。勝ちたい――とは思わない。別に他の魔法使いに遅れを取りたくないとか、そんな理由ではない。ただ、なんていうか。
「……ねえ、やっぱり瑠奈に話さない? なんとか探し出してさ。続けるにしても、あたし達だけじゃ――」
パシ、と。そこまで言われて限界を感じてしまった私は、朝雛紅憐の後頭部を突いて意識を失わせた。
「……ごめんなさい。でも、それだけは――出来ない」
そうだ、やっと気付いた。私は、あの魔法使いが許せないんだ。『敵』なんてどうでもよかった。そう、ただ一人の魔法使いのことが許せなくて。
「瑠奈……貴女の思うようには、させない。私は私のやり方で、この事件を終わらせる。他人の記憶を操作してまで自分の手柄を欲するような魔法使いに、私は負けられない」
彼女のことを知りたかったのだって、多分そうなんだ。私、沢宮花凛は。月城くんに寄生し、果てには他人を操作してまで首を突っ込んできた、あの女が許せない。
――そうして、私の加速は止まらずに。
私は一人の少女を演じきろうとして――結局、失敗した。




