表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

第一章/月下の魔法使い 上

 過ぎ去った冬の寒さが未だ少し残る春のとある早朝、ゆらゆらと揺れるカーテンの隙間から照りつける眩しくも気持ちの良い太陽の日差しを浴びながら、俺こと月城昴(つきしろすばる)はとあるアパートにある自室のベッドで寝転がりながら心地良く眠っていた――はずだった。

「……ねえ、起きて。起きてってば」

 突然だった。誰かの声が聞こえ、俺は夢の世界から覚醒する。もっとも、どんな夢を見ていたのかなんてのは目覚めた瞬間に忘れてしまうのだが。

 さて。少し解説すると、俺は現在ワケあって一人暮らしの真っ最中である。そんな現状、朝に弱い俺を毎日のように起こしてくれる同居人だの、親だの、兄弟だの、可愛らしい妹だの、そんなものは当然のごとく存在しない。一人だけ身近に幼馴染がいるが、毎日のように起こしにくるほど可愛らしいものでもない。

 朝早く起きると言うことが苦手な俺は、毎日のように遅刻ギリギリの瀬戸際にいるような状態で、性懲りもなく遅刻に焦って朝食すらまともに取れないような忙しい朝を迎えるはずだったのだが、

「おはよう、兄さん?」

 ふと寝ぼけ眼で壁に掛かっている何の変哲もない円形時計に視線を向ける。時刻はまだ早朝とも言うべき午前六時過ぎ。とても俺が起きるような時間帯でないという事は先程の説明で十分に理解出来るだろう。それだけならばまだ理解するにあたっての許容範囲内だと言える。たまに何かの気まぐれで早起きをしてしまうこと程度なら年に一度や二度あってもいい。多少は現実を疑うかも知れないが、それを自分自身の目で確かめればすぐに真実だと理解できるし、そんな偶然に感謝こそしてもそれ以上の疑問を投げかけたりは断じてしないとも言い切れる。

 だが、今この目に映る光景は――

「どうしたの、まだ寝惚けてる? 朝食ならもうすぐ出来るけど、先にコーヒーでも飲んで目を覚ます?」

 一人の少女がエプロン姿で立っている。そして、その少女は首を傾げ呟いた。

「……兄さん?」

 いやいやいや待てよ待ってくれ落ち着け落ち着いて現実を見ろ月城昴。まさか一人暮らしな俺の部屋でこんなオイシイ――ではなく、こんなおかしなシチュエーションがあってたまるか。それに『兄さん』と呼ばれた気がするが、俺に妹なんていただろうか。それもこんな可愛い妹が――もちろんいる訳がない。

 記憶を辿ってみても俺はこんな子など知らないし見た事もない。ましてや妹だなんてなんの冗談だ。目を覚まして突然こんな場面に出くわせば、いくら俺が普通の人間だからってこれは夢じゃないかと疑いを持ってしまうのも無理はないと思うのだが。

「効いてない、って事はないわよね。ううん、確かにちゃんと成功したはず……でもこの様子は――」

 少女が突然何かを考えるような仕草をして突然ぶつくさと独り言を呟き始め、そして黙り込んでしまう。とにかくこれは好都合、このまま二度寝しちまえばきっと俺は元の平常な日常に舞い戻れるはず。少なくともそうでなければ困るのは事実であり、もしこれが夢だとしても俺はなんて夢を見ていたんだと自己嫌悪するハメになってしまうわけだがこの際構うまい。確かにこうやって毎朝起こしてくれる可愛い妹ってのは健全なる男子にとっては夢のようなもののはずだし。はずだよな?

「ねえ兄さん。わたしの事解るわよね?」

 俺が布団を覆い被さって二度目の眠りにつこうとするや否や、妄想上の(そうであって欲しい)少女は何やら戸惑っているような声色でおかしな問いをぶつけてきた。布団の隙間から見えるその表情には少し不審の色が伺える――ってちょっと待って欲しい。少しでいいから俺に考える時間をくれ。まず第一に俺はこの子の事なんて何も知らないし記憶にない。解らないのに解るかと聞かれても答えはノーだ。だがこの雰囲気から察するに俺は彼女の事を知っていなければならないらしい。現に彼女の表情がそう訴えかけているわけで。何と答えればいいのか解らないまま、俺はただ無言でその少女の顔を見つめていた。多分、今の俺はかなり間抜けな顔をしているに違いないだろうと思いながら。

「……えーと」そうして、あたふたとしながら言葉に詰まった俺は、「ここはどこだ……」

 訳が解らずに意味不明な返答をしてしまった。俺がそう呟いた瞬間、目の前の少女はまるで有り得ないものでも見るかのような瞳で、

「うそ、まさか記憶喪失にでもなったって言うの? そんな、確かに手順は合っていたのに。こんなの、おかしいわ……」

 先に弁明して置くが、俺は決して記憶喪失などと言う如何わしい症状になっているわけではない。解らない事と言えば目の前の少女が一体何者なのかと言う事くらいで、自分の部屋の光景、空気、ベッドの寝心地その他全てに関して覚えていると言う事には胸を張って自身を持てる。

「ねえ、本当に何も思い出せない? 自分の名前とか、ほら……」

 デマを吐いてみたのは良いが、さてどうしたものか。状況を整理するとあまり難しくはなく、ただ朝早く目が覚めたと思ったら目の前に見知らぬ自称・妹な少女が立っていたと言う事だけであり、この謎を解き明かすためにはまずこの少女が何者かを知る必要があるわけだ。なら行うべき事はそう難しくもない、俺が聞いて真実を答えるかどうかは解らないが試さないよりはマシだと言える。俺は少し間を置いてから不安そうにしている少女に向けて一つの問いを投げ掛ける事にした。

「いや悪い、冗談だ。俺は月城昴。ここは俺の部屋で、俺が一人暮らしをするのに使っている部屋だ。だが……さて、ここで問題です」俺はわざとらしい口調で、「一人暮らしをしているはずの俺の部屋にいるわけがない女の子がいて、さらに『兄さん』だなんて呼ばれた場合、俺はどう対処すればいい?」

「…………」暫しの沈黙の後、目の前の少女は静かに溜め息をついて、「やっぱり効いてないのね。困ったなあ、なんとか上手く行くと思ったんだけど」

 ますます訳が解らなくなってきた。『効いてない』って何がだ? 薬か何かか? そして何が上手く行くはずだったんだ? まさか俺に妹がいるなんて事を錯覚させようと変な薬でも飲ませたんじゃないだろうな。だが一体それに何の意味がある。

「でもその様子だと、昨日の事は忘れているみたいね。まあ、多分ショックで記憶が飛んでいるだけだと思うから、そのうち思い出すんでしょうけど」

「おい、昨日の事って何だ? 記憶が飛んでいるって、俺は昨日は普通に学校へ行って授業を受けて、それから――」

 それからどうしたっけ? 記憶が少し曖昧になっているのか、上手く思い出す事ができない。

「ッ……お前、何を知ってる?」

「女の子に対して『お前』なんて呼び方を使うのは好ましくないわね。はあ、せっかくの計画も失敗だし、どうしたものかな」

「そんなの仕方ないだろ、俺はお前の名前さえ知らないんだ。それくらい先に教えてくれてもいいんじゃないのか?」

 そんな俺の返答に、少女は「あ、そう言えばそうね」なんて呆気に取られたような顔をして呟いて、

「私は……そうね。『ルナ』とでも呼んでくれればいいわ。まあ、貴方の妹になる予定だったから丁度いいし、月城ルナって名乗る事にしましょう」

「るな……? 漢字でどうやって書くんだ。いや、外国人なのか? ……それより待てよ。どうしてお前……いや、るなが俺の妹って事になるんだ?」

「さっそく呼び捨て? まあ、いいけど。ちなみにカタカナでルナでいいわよ。外国人かどうかってのは、まあ説明が面倒臭いからこの際置いといて。何故かって言うのは少し色々事情があるんだけど……簡単に答えるなら、そうね」うーんと唸ってから、ルナと名乗った少女は俺に向かって軽く意味ありげな微笑を浮かべて、「貴方がわたしの事を知ってしまったから、かしら?」

「知ってしまった、だって? どう言う意味だよそれ」

「昨日の事、本当に覚えてないのね。そっち方面の記憶が消えちゃったのかしら。うーん、そのうち思い出すとは思うけど。簡単に説明するなら」ルナは扉の向こう側から俺の部屋まで踏み入ってきて、「貴方は昨日、わたしの秘密を知ってしまった。仕方がなかったとは言え、貴方はわたしの事情に脚を突っ込んでしまったわけ。その事情はわたしにとって他人に知られるべきではない事で、本来なら貴方を抹消してでも知られるべきではない事だった。でも、そうね。一言で言えばわたしは貴方を気に入ったのよ。だから一番最適な方法として、貴方の記憶を操作して、わたしが元から存在している親族、年齢的に考えて妹だと『錯覚』させるように仕向けたんだけど、何故だか効果はなかったみたい」

 ちょっと待ってくれ。いまいち話が良く見えないんだが、俺はようするに昨日ルナと初めて出会い、彼女にとって知られたくはない秘密を知ってしまったと言うことか。思い出そうとしても何も思い出せない事に苛立ちを感じながら、俺は目線だけをルナに向けて口を開く。

「大体の流れは理解出来たんだが、話の内容が抽象的過ぎないか。これじゃ何も解らないし、俺におま……ルナが妹だと『錯覚』させるなんて方法、一体どうやって?」

「簡単よ」ルナは、さも当然そうな顔で俺に向かってそう言い放った。


「だって私、魔法使いだもの」


「……、え?」

 今、彼女は一体何と言ったのだろうか。俺の耳が悪かっただけかもしれない。いや、そうでなければこれはただの笑い話に成り下がる。魔法使い? おいおい、いくらなんでもそれは冗談にしても程度が低すぎるだろう。

「まあ、普通じゃ信じられないでしょうね。でも実際問題、事実なんだからしょうがないわ。わたしが知られたくない事、って言うのもわたしが『魔法使い』だって言う事なんだから。今は信じられなくてもいいけど……そうね、そのうち昨日の晩の事を思い出せば嫌でも理解するんじゃない?」

 まったくもってこいつの言葉の意味が理解できないのは、俺がなんの変哲もない健全で普通なただの一般人だからで間違いないだろう。そんな与太話、誰がはいそうですかと信じるって言うんだ? 余程の夢見た子供相手じゃない限りは笑いこけている所だと思う。こいつがその夢見た子供なのかどうかはおいといて。

「……ま、いいわ。別に無理に今すぐ信じて貰わなくてもわたしは一向に構わないワケだし。それより『兄さん』。そろそろ朝食の時間だと思うんだけど、食べるわよね?」

 朝食だって? まさか本当に作ってたのか。別に勝手に台所を使ってる事にいまさら意義はないが、なんだか複雑な心境だ。

「あら、食べないの? もしかして朝食は抜く派?」

「いつも朝はぎりぎりだからな。今日だってこんな朝早く起きた事に驚いてるくらいだし」

「駄目よ。朝食はその日の基礎になるエネルギー源なんだから、ちゃんと取らないと。そんなだと体内魔力も回復しな――って、これは貴方には関係ないか」

 本当にどこの電波少女なんだと言い放ってやりたいが、本人は心底自分が魔法使いだと思っているようで、確かにそれくらいの事情が無い限り俺みたいなそこら辺にいる凡人に素性を知られたからと言ってそいつの妹になんてなろうとは思わないだろうが、それでもやっぱりおかしいのはおかしいのである。

「お前に説教される事でもないだろ。俺は俺なりに生きてるんだから、見ず知らずの女に指図されるほど落ちぶれてもいない」

「む。お前って言わないでって言ったでしょ。呼び捨てでもいいから名前で呼んでよね。わたし、お前って呼ばれるの嫌いなの」

 知るかそんなの。

「はいはい悪かった悪かった。で、そのルナさんはこれからどうするつもりだ?」

「どうする、って?」

「あのな……。仮に、一歩譲ってルナが魔法使いだとするぞ」俺は信じてないが、と心の中でひそかに付け加えて、「俺が知ってはいけないような秘密を知ってしまって、俺を監視だかする為に俺の所で妹をしようとしたってのもまあ解る。理屈は、信じる上でならな。だけど実際今の俺は妹なんていないと思ってるし、俺の周りの奴らもそうだ。そんな事知らない。一体どうやってこの状態を続けるつもりなんだよ。騙し切るのにも限界があると思うぜ」

「うーん。まだその辺までは考えてないんだけど。ま、なんとかなるんじゃない?」

 おいおい、こいつはどこまでぶっ飛んでるんだ。さすがの俺でも頭が痛くなってきた。

「でも」ルナは付け足すように、「わたし、その辺は得意な魔法使いだから。身辺の誤魔化し程度なら簡単だと思うわよ? そうね……戸籍上、貴方にはルナって言う妹がいるって情報を他人に植え付けたりするのも難しくないし」

「なんだそれ。魔法使いってのは、杖から炎やら雷やらを出したり、傷を一瞬で癒したりする人種じゃないのか?」

 少なくとも、俺が最近嵌っているゲームではそんな感じだ。そう俺が自分の思い付く限りの魔法使いのイメージを伝えてみると、それはまるで見当違いの返答だったのか、ルナは飽きれたような表情でこちらを見た。いや、俺がすでにお前に飽きれていると言うのは敢えて言わないで置くが。

「そんなイカれた偏見は止めて欲しいわね。ま、中には確かに似たような事の出来る魔法使いもいるとは思うけど。実際はもっと多種多様、一言では語り尽くせないようなものよ。魔法使いってものはね」

 そんなもんですか。まったく意味が理解出来ないが、やっぱりここは黙って聞いておいてやろう。俺じゃ何を言っても多分おかしな返事しか返って来ないんだろうし。

「はあ。これじゃ、無理やりにでも昨日の記憶を再生させて納得させた方が早いんじゃないかって思うくらいだわ。まるで信じてないって顔だし。仕方ないのかも知れないけど、そんな顔されるとこっちとしても自分がばか言ってるような気分になるじゃない」

 実際にわけわからん事を言ってるとしか思えないんだよ。て言うか無理やりに記憶を再生させる、ってなんだ。脳をいじくったりでもするのか。そうだとしたら秒で遠慮させて貰うとする。とにかくこうしていても埒があかないので、俺はベッドから重たい腰を下ろすと、そのままルナの隣を横切ってリビングへと向かう事にした。俺の部屋は一人暮らしには少しもったいないくらいのワンルームで、リビングと部屋が別々にあり、さらに物置部屋まであるという仕様である。当然風呂とトイレも別々だ。俺も色んな理由があってこんな無駄に広い部屋に住んでいる訳だが、今はその理由の説明は割合させて貰う。なんてったって話し始めるとやたら面倒な上につまらないからだ。

「で、結局朝食は食べるの、食べないの?」

 後ろに付いて来るように、義理の妹・ルナが問い掛けてきた。正直、朝飯と言われても久しぶり過ぎて実感がない。だが、腹は減っているのは間違いないわけで。

「ああ、食べるよ。せっかく作ってくれたんだろ。それじゃ食べないと勿体ない」

「へえ。案外律儀な所あるのね。感心、感心」

 お前に感心されてもあんまり嬉しくないんだけどな。言われて嫌な気分はしないが。

 そんなこんなで俺はリビングに移動した。リビングにはコタツが置いてあるのだが、コタツ布団はすでに取っ払っているので、まぁようするにただのテーブルである。その上にはすでに食事の準備が行われているようで、なんとも日本伝統の朝食だと言わんばかりの和食メニューである。

「和食か。っつーかルナって外国人じゃないのか? 名前からして略称っぽいからそうだと思ったんだが」

 ここで初めて俺はルナの外見に注目した。本来なら遅すぎるが、先程までわけ解らない現実に直面していたため、そこまで気が回らなかったのだ。そこはご了承戴きたい。外見はそこまで外国人らしくはなく、外国人っぽい特徴は強いて言うならその長い金髪だろう。肌は白いし、顔付きも実に日本人っぽく見える。ハーフか? そこまでは解らないが、とりあえず美人だとは思う。今となっては少々癪だが、第一印象では可愛い女の子だと思った訳だし。実際外見だけで言えば可愛いのだから別に文句も何もないのだが。

「わたしの事、そんなに知りたいの?」

 何とも意味深な返事をされてしまい、俺は少し動揺してしまった。駄目だ、ペースに乗らされてはその内いつの間にか馴染んでしまう。丸め込まれては相手の思う壺だ。堪えろ俺。

「別に話したくないなら話さなくてもいいけど。ただちょっと気になっただけだ」

「少しは気になるんだー。へえ、ふうん?」

 俺は段々コイツの性格が解って来た気がする。

「まぁ、今はまだ話せないかな。そのうち話してあげる」

 なんだ勿体付けやがって――まあいい、少々残念だがまたの機会に取って置くとしよう。別に今すぐ聞きたいような事でもないし。

「とりあえずその辺座ってなさいよ。すぐ用意したげるから」

 それだけ言って、ルナは台所へと背中を向けて歩いて行った。そんな彼女に俺は適当に相槌を打ってから、リビングの中心にあるコタツの適当な場所に座る――っておいおいちょっと待てよ俺、すっかり馴染んでしまったんだが俺はこのままでいいのだろうか。なんだか流れに流されてしまったような気分になってきた。大体、俺はいつの間にあの無茶苦茶少女ルナの兄になる事を承諾したんだよ。やべ、もうすでに脳内の洗脳が始まってしまっているんじゃないか。しかし別にこれと言って嫌な気分なわけではなく、一人暮らしも寂しいと思っていた頃にこんな可愛い少女(性格云々はこの際その辺に放置して置く事にする。あくまで前向きにが俺のモットーの一つだ)と同居出来ると言うのだからそれはそれでおいしい状況だとは思う。ああ、そこは否定しない。俺だって一応男なんだからな。でもそれとこれとは話が別だろ? まず俺は事態がまだ理解しきれていないのが原状であり、正直な話彼女の話をこれっぽっちも信用していない。魔法使いなんて実在するとは一ミリも思っちゃいないし、彼女がそうだともてんで思えない。さてどうしたものか。このまま流れに流されて可愛い(何度も言うが性格は別だ。あくまで外見が)女の子と同居生活に励むのか。それとも今すぐ彼女を部屋から追い出してしまうか。解らん――正直に言おう、俺はこのまま彼女と今すぐはいさよなら出来るとはこれっぽっちも思っていない。言って聞くような相手でも状況でも無さそうだからである。ならどうすればいい、俺にどうしろってんだ。もう何もかも解らなくなってきた。このまま流されてしまうのが一番楽なんだろうが、それはそれで疲れる未来が魔法使いでも超能力者でもなんでもない俺にだって視えるぞ。未来予知ってやつだ。

「何へんな顔してぼおっとしてるの?」

 などと試行錯誤している間にすでに朝食の準備は終わっていたようで、目の前に座っている自称魔法使いルナが俺の顔を見つめながら怪訝そうな表情で呟いた。俺だって別にしたくて変な顔をしてるわけじゃない。それなりに悩んでるんだ。今の現状を把握するだけで精一杯だよ、俺には。

「何でもない。それじゃ、戴きますっと」

「戴きます」

 ここは行儀よく、両手を合わせてまずは朝食を戴くとしよう。これでも俺は恩義は忘れない人間だ。こうして朝食を作ってくれたのなら、何も考えずにありがたく戴くのが俺流である――箸を掴み、目の前にある焼き魚へとその矛先を向ける。うむ、いい感じに焼きあがっているじゃないか。これは上手そうだ――ぱくりと一口、俺は焼き魚をほぐして頬張った。ふむ、これはなんとも、

「う、あがァああああああおォええええええええ!?」

 待て待てなんだこの味は、とてもこの世のものとは思えねえ!

 俺は近くにあったティッシュペーパーを即座に二、三枚取り出して、そのまま口の中の異物を吐き出した。そんな俺の行動を見て、驚いたような顔でルナが言う。

「ちょっと何よいきなり、人がせっかく作ったものを!」

 待ってくれ、まずは俺にも弁解させろ。その前に口の中をすっきりさせるのが先だが。

「う、うう。はあ」俺はコップに注いだ水を飲み干すと、なんとかマシになった口を開く。「あ、あのな……。お前、それ味見したのか?」

「はあ? 毒見なんてする訳ないじゃない。自分で作ったものなんだから、安全性ばっちりに決まってるでしょ」

「いや、毒見じゃなくて味見だ味見」ああもう、それくらいはしてくれよ頼むから。「食べてみろ」

 俺はそれだけ言って、俺が食べた焼き魚をルナの目の前に差し出した。彼女はキョトンとしながらそれに箸を向けて、ぱくっ、と。

「どうだ?」

「――う。……ごめん、ちょっと水」

 ほらな、言わんこっちゃない。普段から他人に作って貰った食事なんて吐いたりなど決してしない行儀の良さが自慢の俺が吐くくらいなんだ。その味は尋常じゃない。つーか、なんで焼き魚がこんなに酸っぱいんだ。おかしいだろう。

「はー……。ねえ、何これ?」

「俺が知るかばか」

「うーん、やっぱり隠し味のアレがまずかったのかしら?」

 ……、隠し味だって?

 大抵の初心者はそう言うオリジナリティを求めようとする行為が料理を失敗に導くんだよ。つーか何を入れたんだ、聞いてみるか。

「で、何を入れた?」

「それ」

 ルナが指すその場所には、レモンの香りがどうのと書いた、

「それは洗剤だばか!」

 なんてベタな失敗をしてくれるんだコイツは。思わず立ち眩みが……。

「うー、そんなの知らないんだから仕方ないじゃない。料理だって初めてなんだから。ばかばか言わないでよね」

「初めて? どうして今までやった事ないのにやろうと思ったんだよ」

 と、ここまで自分で言って置いてそろそろ可哀想になって来た――などと思うのは俺が甘いからだろうか。俺も存外お人良しである。

「いいじゃない。したくなったんだから」

「あのな……いや、もういい。とりあえずこの魚は食べれたもんじゃないから、捨てるぞ」

「う、うん。……あの、ごめんなさい」

 俺は二人分の焼き魚を捨てに台所へ持って行きながら溜め息をついた。にしても、素直に謝るなんてこいつも可愛い所があるじゃないか。それに免じて今回は許してやってもいいかな。次やったら承知しないが。と、また俺は馴染んでしまってるんだが、もう気にしない方がいいのだろうか。考える事すら面倒になってしまいそうだ、このままだと。

「ねえ、兄さん」

 ルナが何やら言いたそうな表情で俺を呼んだ。その兄さんってのがどうにも慣れないんだが、俺も名前で呼んで貰うようにした方がいいだろうか。などと考えていると、

「おかず、さっきの焼き魚しかないんだけど。……どうする?」

「あー……。ま、となると今日は朝食抜きだな」

 結局そうなるわけだ。俺はいつもの事だから別に気にはならないけど。

「むー、次は失敗しないんだから」

「次がある訳ね……」

 俺は適当に受け答えしてから、そのまま食べる事のなかった朝食を片付けるために、リビングのコタツの上に置かれた茶碗の中に盛られた白飯を釜に戻す事にした。お生憎様、ふりかけさえもこの家にはないんでね。白飯だけで食卓を飾れるとは思えないわけで。そう言った朝を過ごしている俺は、さてこれからどうしたものかと考えていた。今日は平日、金曜日なので学校がある。ちなみに俺は高校生で只今二年。あと一年以上学校に通わなければいけないのが毎日思うがダルい訳で、今日も学校へ行くのが辛いってのは変わらないのだが、さて今日はそれとは違う悩みが俺には存在しているのは言うまでもない事だろう。俺の妹になると宣言したこのルナという少女。見たところ年齢は俺より一つ二つ下くらいだろう。学校には行っているのだろうか。俺の学校では外国人が通っているなんて噂は聞いた事がないが。やはりここは本人に問うのが一番だろう。白飯を釜に戻し終えると、俺は台所からリビングへ戻るなりそこに座っている少女に向けて声を掛ける。

「さて突然だがひとつ聞きたい事がある」

「はあ、何?」

「ルナって何歳だ」

 少々の沈黙の中、お互いに見つめ合った後、「わたしの事、聞きたいの?」

 またそれか。まさか年齢すら秘密だなんて言うんじゃないだろうな。ちなみに俺は十七歳だ。まさか俺より上って事はないだろう。妹だなんて言うくらいなんだからな。良くて同い年か少し下くらいだろ。見た目からしてもだ。

「なんてね。ま、年齢くらいなら別にいいか。わたし、十四歳よ」

「はい?」

「え、だから。十四歳だってば」

 俺がそれほど信じられなさそうな顔をしているのだろうか、ルナは少し不機嫌そうに、「何よ、そんなに信じられない?」

「……いや、だってせいぜい俺より一つ二つ下ぐらいだと思ってたから。正直、驚いた」

「そうでしょうね。ま、わたしと初めて会った人は大抵そう言うわよ。君は年齢不相応だ、ってね。でも外見で人を判断するのは良くないと思うわ」

 そう言うつもりで言った訳ではないのだが、確かに見た目は俺と同い年だと言っても全然問題のないレベルだから、俺と三つも離れているとは到底思えないのも本当であり、と言うか性格だって年齢不相応だと思ったりするのだがそれは言わないで置こう。しかし十四歳か、だから妹と。なるほど、それなら納得出来るものがある。

「何よ、今更になって納得したような顔しないでくれる?」

「見た目で判断するのは良くないぞ。俺はそんな事考えてない」

「……むー」

「にしてもアレだな。俺と三つも離れてるのに、えらく態度がでか……って、冗談だよ冗談。そんなに睨むな、無駄に怖いぞ」

 本人にとっては軽いコンプレックスなんだろうか。これ以上年齢に関する話題をしているとその内本当にキレられてしまいそうだ。そろそろ止めた方がいいだろう。

「ま、気にする事はないんじゃないか。それくらいの年齢で丁度いいだろ。俺の妹になるってんならな」

「ふーん。その様子だと、もうわたしが妹になってもいいって感じね」

 え。まあ、確かに言われてみればもうすっかりその気になってしまっている俺がいる。

「徐々にわたしの魔法が効いてきてるのかしらねー」

「本当にそうだったら俺はお前の魔法とやらを信じてやってもいいが、多分違うぞ」

 単純な話だ。俺はこいつに何だかんだと言いつつも親近感を得ているのだ。出会って間もない少女・ルナに。心の中で、こうした朝も悪くはないと思えてしまっている。たぶんそれだけさ。惚れた腫れたなんて話ではなく。第一、十四の少女に欲情なんかしたらそれはちょっと危ないだろうし。まあ、だからと言って全てを信じているわけではないのだが。

「いいさ、俺が思い出せば全て信じられるって言うなら、思い出すまでとりあえずここにいてもいい。そんで俺が思い出して、全部理解した上でもう一度考える、それでどうだ?」

「そうね、いいわ。わたしの提案を断るような事があったらその時はその時で別の手段もあった事だし。貴方がそれでいいならわたしはオッケーよ。うん、なかなか上手くやっていけそうな気がするわ」俺は不安だけどな、とは言わないで置く。「それじゃ、これから宜しくね。兄さん」

「ああ。と、それから俺の事は昴でいいぞ。その呼ばれ方はさすがに慣れない」

 たとえ妹と言う設定であってもルナに兄だと呼ばれるのには抵抗があった。その理由なんてのはすぐには浮かばないが――まあ、なんとなくこそばゆいものがあったんだろう。己の事ながら曖昧なのは多分気のせいさ。

「あ、そう。それじゃ改めまして」ルナは一息、俺に向かって微笑みを見せて、「宜しくねぇ、昴お兄ちゃん?」

 もっと酷い呼び名になってしまった。


  ◆


 さて、そんなこんなで俺こと月城昴は厄介な自称魔法使いであると言う少女、ルナの兄貴役を演じる事となってしまったわけである。一応期限付きとは言え、自分でも早計な判断だったなとは少し反省するべきではあるものの、こうなってしまった以上は仕方がない。上手くやっていくのみだ。だけどな、どうやったってどうしようもない事くらいはあるんじゃないか。

「わたしも行くわよ」

 俺が学校の制服に着替えている途中、いきなり問答無用で俺の部屋へずこずこ入り込んできたその少女・ルナは、何を血迷ったのかいきなりこれまた意味不明な言葉を俺に投げかけてきた。

「行くとは?」

「学校よ学校。『わたしも』って言ってるんだからそれしかないでしょ」

 そりゃ解るが。「ほう、ルナも学校に通ってるのか。魔法使い様でも学校なんて庶民的な所に通うもんなんだな。これまた一つ勉強になった」

「ばか、違うわよ。わたしは庶民の学校なんて通ってないわ。でも貴方を監視しなければいけないと言う意味では、わたしも貴方と四六時中とまでは言わないけど出来るだけ一緒にいたほうがいいでしょ?」

 それはそうかも知れない。でもどうやるんだ? さっき聞いたがコイツの年齢は十四歳で、俺とは三つも離れている。行きたくても俺と同じ高校ではなく中学が関の山で、どうあがいても俺と一緒にはいられないと思うんだが、どうだろう。俺が何を考えているのかは俺の顔を見れば解るのだろうか、目の前にやる気満々な表情で立っている暴虐無人少女ルナはこれまた自身満々な笑みを浮かべて、「無理だと思ってるでしょ。わたしが誰だか忘れたの?」

「魔法少女りりかるルナちゃん」

「へんな呼び方しないでよ……。まあ、それは置いといてわたしは魔法使いなわけ。だから別にそれくらいの事はどうとでもなるわけ。解るかしら?」

 未だ魔法使いと言う存在を信じていない俺にとって理屈も何も解らないのに解るかと聞かれても何も解りませんと答えるしかないわけだが、そう答えた所でこいつにとっては満足の行く答えではない事は解っているし、ここは黙って聞いておいてやろう。

「いい? わたしは幻覚を見せたり錯覚させたりして人や動物を操作するのが得意な魔法使いなのよ。だから、例えば学校で一番偉い人に『月城ルナと言う生徒は確かに存在している』と錯覚させて、書類もちゃんと用意させればいいだけの話なわけ」

「それは気味の悪い魔法だな、おい。子供の夢を壊すような事はするなよ」

「う、うるさいわね。事実そうなんだから仕方ないでしょ」

 魔法使いと言ってもなんとも現実的、と言うかファンタジー要素に欠ける魔法なんだな。もしかしてそれが普通なのか? いや、別に魔法使いの存在を肯定するわけではないけど。ようするにルナが言いたい事はこう言う事である。まずルナは何食わぬ顔で普通に登校し、学校の一番偉い人間――まあ校長だろう――にその得意の魔法とやらで洗脳を行い、自分をその学校の生徒に仕立て上げ、それからは俺と共にさも当然のように登校生活を繰り返すと言うわけか。いや、待てよ。それだと色々また問題が起こるんじゃないか?

「言いたい事は解るわ」ルナは考え込んでいる俺の顔を見ると、またもや表情で俺の考えている事を読んだのだろう、だがそんな事は心配ないといわんばかりの顔で、「わたしは今日転入してくる転入生、って事にする。それなら問題ないでしょう。ま、事前に知らされるはずの先生達なんかは全員洗脳しちゃう事になるわけだけど」

 つまり、コイツは学校の教師全員まとめて洗脳しちまうって言っているわけか。俺にはそれが可能なのかどうかは解らないし、正直出来るとも思っていないのでそれはどうでもいい事ではあるのだが、それでもやはり心配にはなる。

「大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。昴には何故か効かなかったけど、これでも得意分野だし。失敗したのだってもしかすると今日が初めてくらいの勢いよ?」

「違う。洗脳した人達の事だ」

「ああ、そっち? 心配性ね。別にそれ以外に副作用なんてないわよ、普通はね。わたしは今日転入してくる予定だったはずだ、って意識を植え付けるだけだし」

 本気で言っている、と言うのはルナの顔を見れば解る。解るんだが、やっぱり信じられないのに変わりはない。もし今日学校でコイツと出くわして、コイツが何食わぬ顔で学校生活を送っていたとしたら――信じるしかないのか。いや、それは早計すぎると言うものだが、それでも魔法なんてモノの存在の可能性を否定するのは難しくなるだろう。魔法使い――そんなものが本当に存在するんだとしても、俺にはそれ以上にコイツの考えている事の方が理解出来ない。どうしてそこまで俺に執拗になる? 秘密と言うのはルナが魔法使いだって言う事だと聞いたが、俺がそれを知っているからと言ってやたらめったにその力を使いまくっちまって何の問題もないんだろうか。下手するとばれる可能性だってあるはずだ。

「まあ、こればっかりは実際にやって見せないと意味がないわね。ほら、さっさと着替えなさいよ。わたしは私服しかないからこのまま学校に行くけど、向こうの購買かなんかで制服買って着替えるから問題ないし。時間には余裕を持って登校するのが一番よ。ま、今回は出来るだけ人が少ない間に事を済ませたいって言うのもあるんだけど」

 本人はすでにやる気魔人と化していて、どうやら俺が何を言った所で無駄なようである。仕方がない。俺はいつものように制服に袖を通す――そう言えば春ももうすぐ終わりだからそろそろ夏服になるのか。まあまだ先の話だろうけどな――などと考えている内に準備は完了、いざ登校である。俺は玄関まで歩いて行くと、後ろに着いて来るルナを無視して靴をせっせと履き替え、さて行こうかと扉を開いて外へと脚を踏み出そうとしたその矢先、

「さ、行くわよ」

 ルナも靴を履いて後ろに着いて来ている。待てよ、まさか一緒に登校するつもりか?

「オイ、その格好で一緒だとさすがに怪しまれないか?」

「大丈夫。だって転入生よ? 月城昴の妹、月城ルナじゃない。誰かと会っても今日から転入してくる事になった妹だって説明すればいいわ」

 それはまた……無茶をおっしゃる。「俺がそう説明したって、俺には元から妹なんていなかったんだし誰も信じるわけないんじゃないか? それもまた、お得意の魔法とやらで片付けてしまう気か」

「うーん。それでもいいけど、別にそこまでやる必要はないんじゃない? 簡単な話よ。海外へ留学していたはずの妹が突然帰ってきた、これだけで大抵の人間は信じるわ」

 それはそうかも知れないが、一人だけ例外がいるのである。俺に幼馴染がいる事は冒頭辺りでほのめかしていたのだが、まさしくそいつは俺の家庭の事情ならなんでも知ってるし、無論、俺に生き別れの妹なんてものがいるなんて事は知らない。まず説明したって信じてくれないに決まっている。

「ま、それでも信じられないような人がいるんならその時はわたしが何とかするし、大丈夫。いけるわよ」

 俺としてはその得体の知れない力の矛先を幼馴染に向けたくないと言うのが本音なのだが、とてもではないが普通に言い聞かせた所でこんな与太話を信じてくれるわけがない相手だと言う事は歴然なので、ここは不本意ではあるものの、その魔法とやらの力を借りるしかないようだった。まあ上手くいかなければの話だし、何かの間違いで信じてくれるかも知れないからまずは普通に説明してみるとしよう。さて、俺の部屋はとある住宅街にあるマンションの一室である。俺はマンション内にあるエレベーターで部屋のある七階から一階まで降りると、ルナと二人でマンションのオートロックドアから外へと繰り出した。清々しい朝の空気が心地よい。どれくらいぶりだろう、こんな余裕を持った登校なんてものは。

「あー、気持ちいいっ。温度も丁度いい感じだし、やっぱ春はいいわねー」

 んー、と背伸びをしながらルナがさぞかし気持ち良さそうに言った。確かにこの季節が一番好きだな。これがもう少しすると灼熱地獄に成り代わってしまうのがかなり名残惜しくなる。ちなみに一番嫌いなのは冬なのだが。

「うし。んじゃ行くわよ、昴お兄ちゃん」

「……言い忘れてたけどその呼び方はやめろ」

 俺はまだ人気の少ないいつもの通学路に向かい、ルナと言ういつもは居ない少女を連れて学校へと脚を運ぶ事にした。


  ◆


 何の偶然か特に誰とも出くわす事なく校舎に入り込む事に成功した俺達は、校舎の入り口付近でそのまま別れた。俺は一人、二階にある自分の教室へと向かう。ルナは当然のようにまずは職員室だろうか。場所は教えたものの、迷っていないかどうか少々心配でもある。ま、大丈夫だろうけどな――いつものように馴染みの階段を昇って、俺は自分の教室である二年B組と書かれた札のある扉の前に立つ。まだあまりクラスメイト達はいないようだった。それもそのはず、今日は一番乗りと言ってもいいくらい朝早い登校をしたのである。ふむ、なんとも複雑な心境だが悪くはないな。さぞかし周りの反応が楽しみだ。ガラガラと古ぼけた扉を横にスライドさせて教室内へと入っていくと、そこには一人の女子生徒がせっせと掃除をしていた。

「うーっす、沢宮さん。朝早くからご苦労さん。いつもこんな時間からいるのか?」

「え? わ、月城くん! ビックリした。一瞬、誰だか解らなかったよ」

 彼女の名前は沢宮花凛(さわみやかりん)。ウチのクラスの委員長であり、俺の数少ない女友達ってやつだ。かと言って別にこれといった仲でもなく、たまに食堂でメシ食ったり勉強教え合ったり他愛もない世間話をする程度の関係である。容姿はかなり良く、正直言って彼女を狙っている男子はクラスの大半は占めているんじゃないかと思えるくらい。その肩までかかるぐらいの茶色の髪と、少し幼さの残る清楚そうな顔付きは、見るものを魅了し――って俺は何を語ってるんだか。

「朝早いね、今日は雨でも降るのかな?」

「はは、それは困るな。今日は傘持って来てないから」

 そこはすかさず冗談に冗談で返す俺だが、

「もし降ったら私の貸してあげるよ。あ……でも一つしかないから、その……」沢宮さんは何故だか気恥ずかしそうに、「い、一緒に帰る事になっちゃうかも。それでも良かったらいいよ!」

 と、こうして本気なのか冗談なのか解らない受け答えをするので、話していて飽きないのも彼女の良い所の一つだった。にしても女子と一緒に一つの傘で帰るってのはさすがに周りの目線が怖いぞ。特に沢宮さんとなら尚更である。嫌ってわけではないし、できれば歓迎したいぐらいなんだけど。

「あ……あはは、冗談だよ。本気にしちゃった?」

「まさか。沢宮さんが俺なんかと一緒に帰るなんて言い出すとまでは思ってないよ」

「え? あ……そう、なんだ」すると、何故だか俯いて何やら後悔したような表情で目線を反らす沢宮さん。む、何かまずい事でも言ってしまっただろうか――と、俺が怪訝そうな顔をしているのにすぐさま気が付いたのか、彼女は慌てて、「あ、なんでもないよ。そ、それより本当に今日はどうしたの? いつもなら遅刻ぎりぎりだーっ、とか言いながら教室に駆け込んでくるのに」

 話題を反らされた気がするが、まあいいか。彼女なりに気を使ってくれたのだろうし。さて、なんと説明したものか。たまたま偶然に朝早く目が覚めた、で通るっちゃ通るんだろうが、今のうちに仮の妹となったルナの事を彼女に説明しておいたほうが後々楽なんじゃないかとも思えてくる。そうだな。別に減る事じゃないし、純粋な彼女なら多分信じてくれる事だろう。

 俺は説明する為の言葉をいくつか思い浮かべて、「……実は昔生き別れた妹がいてさ、そいつが昨日帰ってきたんだけど、何でか同居しちまう事になっちまったんだよ。んでそいつに朝っぱらから叩き起こされたってわけ……なんだけど、どう?」

 我ながら嘘を吐く罪悪心に苛まれつつも、そんな俺の話を真剣に聞いていた彼女は、

「そうだったの? 月城くんに生き別れた妹さんがいるなんて知らなかったなあ。でも良かったね! またその妹さんと一緒にいられるのようになるって事は良い事だと思うよっ」

「あ、ああ。うん。ありがとう」

 ううむ、ここまで素直に信じてくれるとはさすがに思っていなかった。

「ちわーっす、委員長! ……ってあれ、なんで月城がいんの?」と、俺と沢宮さんが会話している所に一人の男子生徒が扉を開けて教室へと入ってきた。そいつはさも俺がここに居る事が不思議そうな顔でこちらを見つめながら、「珍しい事もあるもんだなあ、お前が俺より早く来るなんて」

「うるせえ。俺だってたまには早起きする事だってあるんだよ」

 コイツの名前は防人淳(さきもりじゅん)。沢宮さんと同じく、俺の学友である。つーかこいつはこんな朝早くから毎日登校してやがんのか? 初めて知ったぞ。

「おはよう、防人くん」

「おはよーさん。で、こいつどした?」

 あからさまに俺の方を指差しながら、防人はまるでいてはならないものが何故ここにいるのか教えてくれと言わんばかりの表情で沢宮さんに問い詰めていた。おい防人、お前は人を指で差すなと親や先生に教わらなかったのか。この不良生徒め。

「あ、月城くんは生き別れの妹さんと同居中なんだよ。それで今日は朝起こしてもらったみたい」

「はあ……こいつに妹なんていたのか? いやいやいるわけねえよなどうせただの妄想だろこの二次元中毒者め、やーい幼児性愛者(ロリコン)

 こいつ、言いたい放題言いやがって――「あのな、俺だってつい最近までは知らなかったんだよ。まだ物心の付かない頃にすでに海外へいっちまってたらしくてさ。最近、つーか昨日になっていきなり俺んちまで来て一緒に住まわせろだなんて言うんだから俺自身未だに動揺してるわけだ。妄想かどうかは俺だって自分の脳みそを詳しく解析して現実を知りたいわけだが、少なくとも俺に妹らしき人物がいるっつーのは今現時点では事実だとしか言いようがない」

 なんて俺の長ったらしい虚偽説明(脳内を詳しく調べてみたいのは割とマジだが)をふんふんとどうでも良さそうに聞いていた防人は、突然ニヤリと気味の悪い笑みを浮かべると、「じゃあ丁度いいや。今俺彼女いねえから紹介しろよお前の妹さん。お前の妹なら別に問題ないだろ?」

「お前はいっつもソッチ方面に話を持っていきやがるところが嫌いだよ」

「あはは、冗談だっての! でもよ、本当にお前に妹がいたならおいしい思いしてんじゃねーの。お前の話を聞く限りじゃ気持ち的にゃ他人も同然だし、そんな女の子と同居だなんて羨ましいぜ」

 そうか羨ましいか、ならお前に役目を譲ってやっても良いぞ。コイツならきっとルナと同居しても上手く……、いや、やっぱ却下。

「そんな目で見るなよ。でも羨ましいっつーのはマジだぜ。あー、俺にも彼女がいればなあ」

「あ、沢宮さん。そう言えばさっきまで掃除してたけど、もういいの?」

「おいこらてめえ無視かよ!」

「あ、えっと、あとちょっと掛かりそうなんだけど」

「じゃあ手伝おうか。えっと、箒もう一つあったよな。どこにあったっけ」

「ほんと? ありがと月城くんっ。あ、こっちだよこっち」

 部外者約一名を完全放置して、俺は沢宮さんと教室の掃除にいそしむ事にした。こっちのほうが今の時間を過ごすにはよっぽど有意義だろう。あの女好きのくだらない話を聞いているよりかは確実に。


  ◆


 さて、そんなこんなでクラスメイト達も増え始め、時刻はホームルームの時間へと差し掛かっていた。いつもの如く、担任の女教師ある波上葵(はじょうあおい)先生は何故か時間になるまで教室にて生徒達とのコミュニケーション活動(本人はそう言い張っているのだが、正直どうみてもサボっているようにしか見えない)にいそしんでいて、何やら転入生がどうのと言う会話が少し聞こえてきた気がする。ふむ、その調子だとルナは全教師の洗脳に成功したんだろうか。魔法なんてものを使ったかどうかはこの際どうでもいいが、なかなか手際はいいように思える。なんてったって、この学校の教師全員だからな。それは一筋縄ではいかないと思う。ホームルーム五分前になると、担任の波上先生は職員室へと戻っていった。一体あの人は何をしているんだろう、本当に教師なのかと疑いたいくらいだ。他の教師達は一体どんな目で彼女の事を見ているんだか。生徒と自主的にコミュニケーションを取るのはまったく良い事だと言ってやりたいが、せめて休憩時間とか昼休み中くらいにしておかないか、と言う突っ込みはもう今となっては誰もしない。

「はあ……」

 そんな事を考えながら、俺は自分の机で頬杖をつきながらホームルームの開始を待っていた。ルナは俺の妹だって言う設定なんだからひとつ下の一年何組かに転入するんだろうな、などとどうでも良い事を淡々と考えている内に我らが担任、波上先生が教室へとやって来た。と言うか戻ってきた。いつも通りのニッコリスマイルを浮かべた美人教師である。前に年齢を聞いたが二十代前半だとしか聞き出せなかったな、そう言えば。

「はーい、皆さんおはようございます」

 これまたいつも通りの挨拶である。すでにさっき会ってるんですけどー、なんて言う突っ込みもこれまた誰もしなくなった。日常茶飯事の出来事には次第に誰も何の疑問も持たなくなってくるんだろう。俺はと言うと、いつも遅刻ぎりぎりに登校している為かあまり彼女とはこのホームルーム以前の時間に会う事は少ない。だから少しまだ疑問を浮かべる程度の余裕は残っているわけで。

「今日は皆さんに重大なお知らせがあります!」何を改まって、と俺は頬杖をついていた右手を直して話を聞く体制に入ってみる。「今日、朝に先生とお話していた人は知っているかもしれませんが、今日は転入生が一人このクラスにやってくる事になりました!」

 はあ、転入生ね。可愛い女の子がいいなあ。

「もうすでにその扉の向こうにきているので呼んでみましょう。入ってくださーい!」

 静かに扉が開かれ、その向こうからは見慣れた金髪の少女が――っておい、ちょっと待て――サラリとした金髪を靡かせながら、ゆっくりと静かに教壇の前に立つと、どこからどう見ても俺の知っている自称魔法使いなその少女・ルナは、周りの注目を浴びながら一息ついた後、後ろにある黒板に白いチョークで名前を書き始めた。月城瑠奈(つきしろるな)。あえて漢字なのは、そうしないと無駄に疑われる可能性があるからか?

「初めまして。この度この学園に転入する事と成りました、月城瑠奈と申します。少し複雑な事情がありまして、海外からの転入で少し戸惑う事や解らない事が多々あるとは思いますが、どうぞ仲良くして戴ければと思います」

 ざわざわと教室内がどよめき出す――完璧な優等生ぶりを発揮した挨拶を終えると、金髪少女ルナは俺の方をチラッと見てムカつく微笑を一つ送ってきた。そんな馬鹿な。まさか同じクラスに転入してくるとまでは完全に予想外だ。しかし確かに有り得る事だと言うのにどうして気付けなかったんだ、そもそもこの学校に通う目的は俺の監視だっただろうに。失態だ。無駄に精神的ダメージを貰ってしまった。

「瑠奈さんは苗字を見ての通り、このクラスの月城昴くんの双子の妹さんだと言う事です。皆さん、是非手を取り合って彼女と仲良くしてあげましょう!」

 これも全部お前の予定内の事なのか、ルナ。

「それじゃあ、月城くんの隣の席が空いてますね。そこでお願いします」

「はい、解りました」

 確かに隣の席は空いてるけどな。だが、こればっかりはさすがに偶然だ。席替えをしたのも随分前の事なんだから、まさかここまで操作しているとは思えない。偶然とは恐ろしいものだと痛感する瞬間だった。

「……上手くいったみたいね。宜しく、昴お兄ちゃん」

 ルナはスタスタとこれまた優等生ばりの優雅な歩き(こんなの見た目だけだ。この猫被りめ)で俺の隣の席までやってくると、小声で俺にしか聞こえない程度に呟いてきた。こいつ、やめろと言ったのに。これならまだ兄さんのほうがマシだ。この歳でしかも双子の妹(と言う設定なだけだが)にお兄ちゃんだなんて校内で呼ばれてみろ。周りからどんな目で見られるか解ったもんじゃない。

 で、教室内はと言うとまだざわめいていた。そのほとんどの視線は俺とルナへ向けられていて、何やら珍しいものを見るような目線をひしひしと感じる。うう、ここまで他人の視線が痛いと思った事はない。

「はい、皆さん静かにしてくださーい。それじゃあホームルームを始めますよー」

 かくして、俺はルナと同じクラスになってしまった。とりあえず一つだけ言いたい。ルナ、初めからそのつもりだったのなら前もって俺に教えておいてくれ。あまりに唐突過ぎて寿命が縮まりそうな気分なんだよ、今。


  ◆


 ルナがこの学校へ転入してきたと言う事実(スクープ)は、金髪で美少女で留学生だと言う事も相まって早々に学校中の噂となって広がる事となってしまった。ああ、いつも思うがこの学校はこう言う事に関しては情報の伝達速度が半端ないな。感心してる場合じゃないけど。その転入生が二年B組の月城昴の双子の妹である、なんて情報がとっくに出回っているのも当然なわけだ。それを聞きつけてまず疑問に思う奴は多々いるだろうが、そんな次元じゃない疑惑を抱く人物が実は一人だけこの校内に存在している。これで三度目だろうが、もう一度だけ言おう。俺には同い年の幼馴染がいる。それも、俺の事なら多分何でも知ってるんじゃないかと思えるくらいの奴が。

「こらーっ、昴! あんた一体何をしでかしたの!」

 昼休み。さてこれから購買にでも行って飯にありつくとするかと重い腰を椅子から上げたその時だった。教室の奥側の扉が勢い良く開けられたかと思うと、その向こうから突然別クラスの女子生徒が半ば乱入するかのように飛び入ってきたのである。それも、俺に向けて奇声を発しながら。

「昴お兄ちゃん、あれ誰?」

 小声ですかさず隣の席のルナが聞いてくる。俺は適当に、「ああ、幼馴染だ。多分あいつにだけはどんな説明しても納得してくれないからその時は頼む。……あとお兄ちゃんやめろ」などと言う返事をして、すかさず今にも暴れ出しそうな幼馴染であるそいつの所へと向かった。

「……うるさいぞ紅憐(くれん)。周りを見てみろ、こっちはついさっき授業が終わったばっかりだ。ちょっとは人の目を気にしたらどうだよ」

「うっさいわね、それよりどう言う事よ。あんたに生き別れた妹がいて今日転入してきた、とかさっき噂で聞いたんだけど。あたしの記憶が正しければ、あんたにそんな妹なんていなかったはずよ。どう言う事なの?」

 こりゃ説明するまでもなく手が付けられん。俺はちらりとルナの方へ目線を向けると、「仕方ないわね」と言った表情でルナが近寄ってくる。

「こんにちは、わたしは月城瑠奈と言います。貴女は?」

 俺の幼馴染であるそいつは、むすっとした表情でルナを睨んだ。

朝雛紅憐(あさひなくれん)! 言っとくけどあたしがこいつに関して知らない事なんてないんだから。あなたが何者かは知らないけど、何のつもりで昴に近付いてるわけ?」

 なんとも聞き取りようによっては恥ずかしくなるような事をさらりと言ってのけてくれる幼馴染こと朝雛紅憐だが、やはりコイツには何を言っても説得しようが無い事はルナにも理解して貰えたらしい。ルナがこちらに一瞥をくれるのを確認して、俺は軽く頷いた。

「あら、紅憐さん……ですか?『お久しぶりです。わたしの事、覚えていますよね?』」

 すかさずルナは鋭い眼光を紅憐に向けると、少し強調させた言葉を紅憐に放った。

「え? あれ? ……瑠奈?」

 おいおい、まさか今のが洗脳の魔法かなんかだって言うのか。まるで催眠術じゃないか。魔法使いって言うよりは超能力者か何かじゃないか、こいつ――と、俺が色々と考えている間に紅憐はすっかり荒れた気分も晴れてしまったようで、なんともまあこんなに上手くいっちまうとさすがに俺でも度肝を抜くというか、少しはルナの魔法ってやつを信じてしまってもいいかなと思えてくる。いや、魔法じゃなくて超能力か。この際どっちでも良いけど。とにかく事実は認めなければならないだろう。先程まであれだけ騒いでいた紅憐が、

「あ、ごめん……なんで忘れてたんだろ。うん、久しぶりだね!」

 こんな具合だからだ。

「ううん、無理も無いわ。だってすごく昔の事だもの。でも良かった、思い出して貰えて」

 そんなやり取りを見つめながら、俺は口さえ開かないままただ呆然としているしかなかった。だってそうだろ? 目の前でこうまでされちゃ、何も言えないのは当然じゃないか。


  ◆


「で、どう言う仕組みだ?」

 紅憐が教室から帰って行った後、昼食である購買のパンとジュースを戴きながら、周りの生徒たちに聞こえない程度の小声で俺はルナに向かってそう問い出した。

「簡単。あの人……朝雛紅憐に『昔、月城瑠奈と言う知り合いが居た』と言う錯覚、幻覚と言ってもいいかな、それを植え付けたのよ。目には見えない力、魔法を使ってね」

「魔法、ね……。俺にはどう見ても、良くて催眠術のようにしか見えなかったんだがな」

 そう、確かに考えても見ればあれを『魔法』だと決め付けるのはいささか早いだろうと思う。あの程度なら催眠術で説明がつく。とてもではないが、魔法なんてファンタジー溢れるものだったとは思えない。ルナの魔法がそう言うものなのだとは何度も説教されてはいるものの、やはり突っ込まずにはいられなかった。

「ふうん。貴方は催眠術なら信じるんだ」

「ん、どう言う意味だよ」

「だってそうじゃない。催眠術って、それが一体全体どう言う仕組みなのか貴方には解るわけ? 普通ならまず解らないでしょう。でも、世の中には催眠術なんて言葉は有り触れている。……まあ、これも一つのトリックよね。『催眠術と言うものは存在する』と思われている、周りがそうだと言うだけで存在自体を肯定する――それは人間の心理でもあるわけだし。それに比べて『魔法』って言うのは、言葉は知られていても事実存在しているかと言われればほとんどの人がしていないと答えるわ。それはその魔法と言う言葉、存在の扱いが世間ではあくまでファンタジックなものであるからよ」

「ふむ、難しいが理解できなくはない」

 ルナは話を続ける。

「わたしの使う魔法って言うのは、そう言った世の中が勝手に定義化(カテゴライズ)したような存在ではないの。もっと別次元、別意識の存在。わたし達のような魔法使いでしか理解できない、世間から隔離された技術――とでも言うべきかしらね。実際はもっときちんとした理論があって初めて扱われる力なのよ。さっきの催眠術じみたわたしの魔法だって、一概に仕組みだけ考えれば世の中の言う催眠術ってものと大して変わらない。でも少し違う部分がある。そこ部分があるからこその『魔法』なの」

「その部分ってのがどう言う仕組みなのか、ってことが俺は聞きたいんだけどな」

 ルナはさらに話を続ける。

「例えば、催眠術は人間の意識を一定の場の空気や雰囲気、心理的な言葉や問い掛け、視覚的な動作、聴覚的な音色などで対象の精神に干渉する。眠らせたいなら単純にそういった雰囲気を作り出し、眠くなるような言葉や目を疲れさせる振り子とか、心地のいい音やメロディを奏でたり……そういった、誘導するためのフィールドを作成、構築する。そうして初めて催眠術って言うのは完成するし、かかる。かからない人だっているけどね。かかりやすい人っていうのは単純に感受性が良いからとかそんなものよ。ここまでは解るかしら?」

「ああ」と、適当に相槌を打ってみた。

 ルナはさらにさらに言葉を続ける。

「で、わたしの場合。さっきのやり取りを見てれば解ると思うんだけど、そう言った『動作』を何一つ行っていないでしょ。ただ一言、『お久しぶりです』と、『わたしの事を覚えていますか?』と言った、聞いただけ。これだけなの、わたしの場合は。それだけでわたしが植え付けたいと思った『錯覚』を彼女に与えた。わたしはこれを『言葉の魔法(ワードオブマジック)』と呼んでいるわ。ようするに催眠術と違うのは、視覚的、客観的に見ると何の仕掛けも無い言葉だけの洗脳、ってわけ」

 ふむふむなるほど、ここでようやく俺が口を開く番がきたわけだ。

「ようするに超能力か」

「違うわよっ! もう、何度言わせたら解るの?」どうやら少し怒らせてしまったらしい、ルナは口の先を尖らせながら、「あのね、『言葉の魔法(ワードオブマジック)』に魔法って言う定義をつけるには確かに今の話じゃ無理があると思うけど、これはあくまで視覚的、客観的に見た場合の話。魔法だって定義されるからには、きちんとした見えない部分での理由があるんだから」

 へえ、それはなんなんだ――とは、俺が聞かなくとも勝手に語ってくれそうだ。

「魔法っていうのは、いろんな思想、いろんな構想、いろんな錯想があって生まれるもの。個人によって使う魔法って言うのはすごく差が生まれるし、それぞれがぜんぜん違うタイプの魔法使いって区別されるのが普通なの。逆に言えば同じような魔法を使う魔法使いが二人以上出てくるほうが稀ってくらい。でも、そんな魔法にもひとつだけ、本当にひとつだけ共通する点がある。それが『魔力』なの」

「魔力……ようするにMP(マジックポイント)みたいなもんか?」

 ゲーム的発想で横槍を入れてみる。が、当の語り手ルナ様は不満そうな顔だった。

「当たらずとも遠からず、ね……。魔法を使うために消費するものって言う点ではおんなじだけど。魔力とは人間の中にある物質的ではない力の事を指しているの」ルナはそう言いながら教室の窓を左手で開いて、「これは物質的な『力』でしょ。物を動かすための力。普段、何気なく使っている力よね……で、魔力っていうのはようするにそうではない力のこと。物質的ではなく別次元的な力、とでも言うのかしら。ようするにそういった力が作用して初めて『魔法』と認定される。魔力が使われなければそれは魔法とは呼ばないの。だから、催眠術だって魔力を使われない限りは魔法じゃないし、少しでも魔力が使われればそれは立派な魔法なわけ」

 やばい、さすがにそろそろ頭がこんがらがってきた。

「わたしの『言葉の魔法(ワードオブマジック)』には、わたしの言葉自体に魔力が込められている。相手がその言葉を聞いた瞬間に、それをそうと信じ、錯覚してしまう――そうさせる力が込められているの。そうね、催眠術ってさっきも言った通りかかる人とかからない人がいて、それはその人の感受性の問題だって話をしたけど、わたしの『言葉の魔法(ワードオブマジック)』の場合はそんなものを無視して強制的に幻覚を植え付ける。それが誰であろうとも関係なく。それが魔力を込めているおかげ。魔力を込めている証拠。魔力を込めている所以。だからこその『魔法』、そしてそれを行使するわたしこそが『魔法使い』ってこと」

「……ん、でもおかしくないか。その魔力ってのを込めていれば相手がなんであれ構わず確実に錯覚させられるんなら」俺は親指を自分に向けて立てて、「俺はどうなるんだよ。俺には一切合切その魔法とやらは効いてないじゃねえか」

 そう、それこそが俺の最大の疑問だった。確かに目の前でその力を使われ、それらしい説明も受けて信じてやってもいいとまで思えるのだが、そこまでだった。そこまでしか俺は思えない。『信じる』事ができない。未だに半信半疑でいるのだ。それはきっと、自分が掛かっていないからなのだろう。実際に自分の身で体感しない限り、人間と言う生き物は完璧に信じる事ができない。

「それが、わたしも不思議なのよね……」ルナもそこだけが理解できないと言わんばかりの表情で、「わたしが本当の妹だと錯覚させるために『言葉の魔法(ワードオブマジック)』を貴方に使ったっていうのに、いざ次の日になるとアレだし、昨日の事は忘れているし。今まで失敗なんてしたことがなかったから、正直すごく戸惑ったもの、わたし」

 昨日の記憶――確かに途切れている部分があるのは自分でも解る。昨日のうちにルナと出会っていたと言う事実だってそうだし、何をして何を見て何があったのか――全て覚えていない、これだけは確実だった。だからこそ今のこの状況がどうしようもないのだけれど。

「昨日、いったい何があったんだよ。思い出せば全て理解できるってルナは言うけど、何があったのかぐらい聞かせてくれてもいいんじゃないか? そうすれば、もしかすれば思い出せるかもしれないし。脳みそいじくられんのは勘弁だけどさ」

「うーん。そうよね、そうなるわよね。まあいいんだけど。あー、……困ったわね」

「何が困るんだよ」

「まあ、なんていうか。端的に言うと特に何もなかったわよ。ただわたしが戦ってたところを見られちゃったってだけで」

「戦ってた?」それってどう言う事だよ――と、問い詰める前にルナが語り始める。

「ようするに、別の派閥の魔法使いが襲ってきたのよね。地位獲得のためかしら、結構強くて焦ったんだけど。なんとか撒いたみたいだし多分もう大丈夫だけどね。その戦いの一部始終を貴方に見られちゃったわけ。それだけよ」

「派閥、襲ってきた、地位獲得……って、どう言うことだよそれ?」

「説明すると長いんだけどね。ま、簡単に説明すると魔法使いっていうのは普通、派閥っていう組織みたいなものに属してるの。その派閥だけど、いろいろあって違う派閥同士での闘争が絶えないのよね。特に扱える魔法の強力さに関して競い合ってる。確かにそうすることが目的で作られた派閥だけれど、ちょっと最近過激すぎると言うか、死傷者まで出してたりするわけ。それが、自分の魔法がそいつの魔法より優れているんだって証明するのに一番手っ取り早い手段だから。挑まれたほうも挑まれたほうで大変よね、そういった戦いとか強さを比べるだけのようなばか魔法使い相手にするのはほんと疲れるし。そもそもそういった部類が専門じゃない魔法使いだっていっぱいいるのに。今じゃ強ければ正義、勝った者のほうが優れている、みたいなレッテルが貼られてる現状なの。魔法使い(イコール)戦う者、強さを求める者、みたいな。わたしだってそういった魔法が使えないわけじゃないんだけど、専門分野はそっち方面じゃないから困ってるわけ」

 なんだか、いつのまにか凄く物騒な話になっている気がするんだが。戦う魔法少女・ルナは、飽きる事なく話を続ける。

「んで、まあそうやって厄介払いをしてる時に貴方と出会ったってわけ。もちろん一部始終を見られちゃったみたいだったから逃げる時だって連れて行かないわけにはいかないし、そりゃもう大変だったのよ。うまく撒いた後は貴方の対処で忙しいし――もう忙しかったからあんまり覚えてないけど、そんなこんなで結局貴方をどう対処するか考えた結果、今の結論に至るわけ。あんまり覚えてないとは言え、貴方をわたしが気にいらなかったら最悪殺してたかもしれない。まあわたしはそういう物騒なのって好きじゃないから、良くて派閥に送還してこっちの世界に引き入れるとか方法がないこともないけど、それもそれで他人の人生勝手にいじくりまわしてるみたいでいい気分しないし、結構悩んだのよ」

 今でも十分いじくりまわされているとは思うのだが、今の話を聞いていると最悪な結果にならないだけマシだったとも思える。もちろん、全ての話を信じるならば、だ。

「ま、大体そんな感じかしら。どう? 何か思い出せた?」

「いや残念ながらまったく。むしろ今の話を聞いて余計に疑い深くなったかもしれないってぐらい」

「……そう。ま、そのうち思い出すわよ。気楽にいけばいいわ。というかわたし的にはすぐに貴方の記憶が戻っちゃうとここまでした努力が水の泡だし、それなりに現状を楽しみたいし、別に今すぐは戻らなくていいんだけど」

 おい、それはさすがに俺が困る。まあこんな美少女(あくまで以下略)が妹だっていう、御門風に言えばおいしいシチュエーションなんてそうそう巡ってこないのだろうし、ここは流れに流されてみるってのも悪くはないと思うけどさ。でもだからといって、記憶が戻らなくていいって事にはならない。

「それにしても」不意にルナが口を開いた。まだ何かあるのか、と思いながら黙ってその顔を観察しながら、「……学校の購買のパンってこんなにも不味いものだったのね。パサパサしてるし具は安物っぽいし、それにこのコーヒーだってとてもじゃないけどコーヒーと呼びたくはない味よね。不味すぎ」

 まったくさっきまでの話とは関係のない、突拍子もなくどうでもいい話題を振られた。


  ◆


 放課後。俺は部活なんてものに入っていないので、毎日のように帰宅部である。仲の良い友人達はほとんどが部活に入ってる現状、いつものごとく俺は一人寂しく下校する――はずなのだが。

「帰るわよー、お・に・い・さ・ま?」

 こいつがいるのを忘れていた。

「なんだそれ気持ち悪い、お兄ちゃんの次はお兄様かよ。お前、意外とマニアックだろ」

「あ、お前って言った。お前禁止!」

「じゃあ俺からも言わせてもらおう、普通に呼べ」

「なによ、ちょっとからかってみただけじゃない。つれないわねえ。なによ、それじゃあわたしになんて呼んで欲しいわけ?」

 それは何度も言ってるような気がしないでもないが、まあいい。この際はっきりとさせてやる。

「昴だ。名前で呼べよ、呼び捨てでいいから。はっきり言って、お前に兄呼ばわりされるのは背筋が凍る」

「そそるの間違いじゃなくて?」ルナはにやつきながら、「ま、別に貴方の呼び方なんてどうでもいいんだけどさ、一応体裁上ではわたしの兄ってことになってるんだし、そう呼んだほうが違和感がないと思っただけよ。……ふうん、それにしても名前で呼べだなんて、貴方もしかしてわたしに気があるの?」

「な、なんでそっち方面に話が進むんだよこのマセガキ! それに、名前で呼べって言ったのはお前もだろ!」

「あーもう、さっきからお前お前って言わないでよね。別に名前で呼んでほしいわけじゃなくて、お前って言われるのがほんっと嫌いなだけなんだから。別にお前って呼ばないならなんて呼んでくれてもいいんだし」

 そこまで嫌悪するのは何か事情があるのだろうかと少し思ったが、こいつの事に関して深く考えても意味がない気がした俺はすぐに思考を停止させた。俺の場合他人を呼ぶときは基本的に苗字を使うんだが、こいつは俺と同じ月城の姓を名乗っているからかそっちでは呼び辛い。ま、今まで通り名前で呼べばいいんだろうけど。

「わかったわかった、悪かったよ。俺もちゃんと呼ぶから、お前もそれなりに恥ずかしくない呼び方でよろしく」

「うーん、じゃあ兄貴?」

「……似合わんからやめれ」

「それじゃ兄くん」

「一部にしか解らん呼び方をするな。つーか兄呼ばわりはやめてくれないのね……」

「もちろんよ。こういう妹キャラってのは大事なんだから」

 キャラかよ。やっぱこいつ隠れマニアとかじゃないだろうな。

「ま、初心に戻るってことで兄さんね。名前入れてほしいなら昴兄さん。ほらほら、早く帰るわよ昴兄さん」

「はいはい、解ったよ」

 椅子から重い腰を上げ、机の上に横たわって置かれている鞄を右手で取って、俺はルナと共に教室を後にする。扉を抜けて廊下に出ると、何やら見知った顔が立っていた。

「あ、昴やっと出てきた! 瑠奈も一緒? ちょうどよかった、今日部活休みだから今から帰るところなんだけど、三人で一緒に帰らない?」

 朝雛紅憐がそこにいた。

「お、紅憐珍しいな。つーか、もしかしてそこでずっと待ってたのか?」

「へ? ああ、うんそうだけど。あんた昼休みにあたしに言ったじゃない、ちょっと騒ぎすぎだって。一応これでもあれから反省したんだからね。クラスの人達に迷惑がないようにって外で待ってた」

 いや、別に騒がずに俺を呼べばいいだろうに。そう言う所はなんていうか健気なやつである。

「ね、瑠奈も一緒に帰るんでしょ? 三人で帰ろうよ」

「ええ、わたしは全然構わないわ。なんていったって久しぶりに会うんだもの、色々とお話もしたかったし」

「じゃあ決まり、ほら行くわよ昴!」

 俺の意思は無視かよ。ま、別段断る理由なんてないけどさ。


  ◆


 帰り道、いつものように見慣れた風景を眺め歩く俺――と、イレギュラーが二名。俺はというと、先頭を賑やかに会話を弾ませながら歩く二人の少女の背中を見つめながら、いまいち会話に入り込めない異様な空気って言うか雰囲気に押されていたりする。女同士の会話ってなんか男じゃ入り込めない壁みたいなもの、感じないだろうか。少なくとも俺は感じる派だ。そんな中、ふと会話の内容が聞こえてくる。ルナだった。

「ねえ、紅憐は魔法使いっていると思う?」

 おいおい、どんな話題をしているのかと思ったらいきなりネタバレか?

「ううん、どうだろ。あたしはあんまりそう言うのって信じてないかも。冷めてるって思われちゃうかもだけど、魔法とかそういうのってあくまで物語とか架空の存在だと思ってるからさ。ルナは信じてたりするの?」

 まあ普通はそういう反応だろうな、幼馴染が平常で良かった。

「わたしが信じてるか信じてないかは置いておいて、実際にこの世に魔法使いって言うのがいても、それは別に不思議なことじゃないとは思えないかしら。たとえば、手品師(マジシャン)って居るよね」

「うん」

「手品って、はたから見てると凄く不可思議で、意味不明で、一体全体どうなってるのか解らないでしょ? 特に有名な手品師(マジシャン)となるとなおさらね。そう言った手品と、わたしが言う魔法ってどこが違うんだと思う? 何も違わないように見えない?」

「つまり、瑠奈は手品が魔法だって言いたいの?」

「うーん、それはちょっと違うかな。手品って、見た目だけなら普通の人にはどういう仕組みなのかわかんないじゃない。むしろわかってしまうと面白くない。だからこその手品であって、でもそれは目の前で現実として有り得ている。はたから観ていると不思議に思えるような、目に見えない仕掛けがあって手品って言うのは完成されるわけ。わたしが思うのは、魔法だって結局同じものなんじゃないかしら、ってことなの」

 自称魔法使いでありながら、魔法とは存在するのか否かだなんて話題をしてどうするつもりだろうか。いや、相手が紅憐だからこそそういった話題になってしまっているのかも知れないが。

「なるほど。ようするに、魔法だって手品と同じで本当は目に見えない仕掛けがあるってこと? それはそれで、ちょっと夢が壊れちゃうような気もするけど」

「うん、確かにそうよね。でも、わたしはそうなんじゃないかと思う。ここでもう一度、さっきの問いを反復するけど――紅憐は、手品と魔法の違いは何処だと思うかしら?」

「簡単だよ」紅憐は予想を裏切るような清々しい声で、「その存在が現実として知られているか、そうでないかじゃない? 手品って普通にテレビとかつければやってるけど、魔法はまったくやってない。誰も見たことがない、だからこそ誰も信じていない。そこが手品と魔法の違うところじゃないのかな?」

「御明察」ルナは少し嬉しそうに、「そう、魔法なんて存在は世の中じゃ非現実(オカルト)扱い。実際に見た人はいないし、空想の世界の産物だという認識が一般常識。でもよく考えてみて。それなら、どうして魔法という言葉はこんなにも広まっているのかしら。現実に存在しないと思われているのにもかかわらず、魔法って言葉や知識、存在は広く認識されている。例え非現実(オカルト)扱いなのだとしても、それを知らないって人のほうが珍しいくらいに浸透しているわ。何故だと思う? わたしはこう考える。『魔法使いは実在する、もしくはしていた。だからこそ魔法という言葉はこうして広まった』んだ、ってね」

「難しいね……。でも、確かに無から有は作り出されない。魔法って言葉がここまで広がったのは、その存在が実在していたから、か。うん、良い考えだとあたしは思うよ」

 なんだこれ、いつの間にか紅憐がルナの話に犯されてないか。まさか例の魔法とやらを使ってるんじゃないだろうな。そうする理由が見当たらないから、使ってないとは思うんだが。

「うん、ここでわたしはさらに考える。それならどうして、手品のように世の中に公表されないのか。現実に存在しているのならば、何か理由があって世間一般の目に触れられないような事情があるんじゃないか、って」

「それは、今現在の話? だとするとそれは微妙だよ、瑠奈。だって、魔法がもし存在していたのだとしても、今現在まだ存在しているのかは解らないじゃん。確かめようもないしね。あたしはこう考えるな。『魔法は実在していたけれど、その力があまりにも非現実的だったため誰にも認められなかった。だから廃れた』んじゃないか、って」

 あれ、紅憐ってこんなキャラだったか? 確かに成績良いのは知ってるけど。ちなみにどれくらい良いのかというと、ざっと俺の二倍は軽く取れる女だ。くそ忌々しい。

「本当にあったのかはあたしには確かめようがないし、証明しようもないからはっきりとは言えないけどさ。きっと昔、大分昔に誰かが魔法を発明して、したのはいいけど迫害されちゃって、そのまま言葉や存在だけが非現実的なものとして伝わってしまった。結局その存在は認められずに魔法はなくなった。ううん、今も残っているのかもしれないけれど、やっぱり誰も信じない程度のものでしかないんじゃないかな。きっと魔法は誰にも解らない、科学では説明のできないような力なんだと思う。だからこそ信用されないし、認められなかった。人間って、説明のつかないものは大抵信じないからね。だからきっと、実在していたとしても世間に認められないものだっていうのは変わらないと思う」

「ふうん、なるほどね。それが紅憐の考えってわけか。……うん、すごく真理をついていると思う。正直少し驚いたわ。てっきり頭ごなしに馬鹿にされるんじゃないかと思ってたから。ここまで真面目な返答がくるとは思ってなかった」

「あたし、こう見えて実は結構こういう話って好きだからね。普段どんな服を着るのだとか、何をして遊ぶのだとか、携帯の新機種がどうだのだとか――そういう普通すぎてつまらない話より百倍面白いし、話し合う価値があるしさ」

 俺としては有り得ないものの話をしても意味があるように思えないのだが、そこはそれぞれの価値観といった所だろうか。ルナは事実有り得るものなのだと確信している上であえて話しているわけだし。

「ふふふ。わたし、紅憐とはすごく気が合いそう」

「うん、あたしもそう思ってた」

 なんだかんだで、今日たった一日で二人はそれなりに仲良くなってしまったようだ。例え、そのきっかけがルナの魔法によってもたらされた、偽りの関係だったのだとしても。


  ◆


 紅憐とは自宅であるマンションへ向かう途中の交差路で別れた。さらにその途中にあるコンビニエンスストアに寄った俺とルナは、今晩のおかずを買うことにした。もちろん割り勘で。ルナ曰く「妹なんだから奢ってくれてもいいじゃない」とのことだが、お生憎様、俺にそこまでの資金力はない。丁重にお断りさせて頂いた。そんなこんなで、俺とルナは自宅のマンションへと帰宅した。一階の入り口にはオートロックが掛けられている扉があり、特定のパスを入力しなければ中に入れない仕組みになっている。さらには至る所に監視カメラがあり、なんとも厳重な警備体制である。俺はロックを解除するために、パスを入力しようとして、「……あれ?」ふと、ひとつの疑問の壁にぶちあたった。

「なあルナ、昨日って俺がルナを中に入れたのか?」

「え? 違うけど。昨日はわたしが勝手に夜中に入ったのよ。それがどうしたの?」

 いやいや、どう見てもおかしい部分が目の前にあるでしょうよ、ほら。

「どうやって中に入った? ここ扉にロックが掛けられてて、パス入力しないと中に入れない仕組みになってるんだが」

「ああ、そんなの簡単じゃない」ルナは面倒くさそうに呟いて、「このマンション周辺で入り口付近を監視しておいて、誰か住人が入り口付近に近づいたら一緒に中に入ればいいだけじゃないの。住人一人がこのマンションに住んでる住人全員を把握しているとは到底思えないし、どう考えても怪しまれたりはしないしね。それだけの事」

 なるほど、聞く限り特別おかしなことはやっていないようだった。ルナのことだ、魔法やらを使って壁をすり抜けるだとか、窓の近くまでジャンプするだとか、扉を壊して中に入って修復しなおすとか、そういった突拍子もないことをやらかしていないかと少し心配になってしまった。まあよく考えればここには監視カメラもある。映像記録に残るような場所でそういった行為を行わないのは当たり前と言うべきだろう。

「それならいいんだけどさ。……実際問題、本当にいいのかどうかはこの際おいといて」

 そう呟きながら扉のロックを解除して、マンションの中へと入る。いつ見ても豪華で豪奢なマンションである。とても俺のような平凡で貧乏な高校生が一人で住めるような場所とは思えないだろう。事実、これで二度目にも関わらず辺りを見回してはもの珍しそうな様子でルナが突っ立っていた。

「それにしても意外っていうか。貴方、よくこんなところに住んでるわよね。しかも一人暮らしだなんて、少し贅沢すぎやしないかしら。さっきのコンビニでの件を踏まえて見るとすごく不思議なんだけど。なに、お金持ちの親でもいるわけ?」

「悪かったな、ケチくさい貧乏学生で」俺は皮肉交じりに悪態をついて、「ここには元々家族で暮らしてたんだよ。確か一年と少し前かな、両親が死んでさ」

「……え?」

「交通事故だった。ありきたりだろ? ありきたりすぎて笑えてくるよな。

 なんつーか、まあそんな事があって俺は天涯孤独の身、ポジティヴに言い換えれば自由気ままな一人暮らしを送ることになったわけでさ。俺の部屋は両親が買い取ったもので、それをそのまま相続したから家賃もいらねーし、毎日の食い扶持くらいは少しのバイトで稼げる。ま、だからあんま余裕ないんだけどさ。そんな複雑そうでそうでもない事情があるってわけ」

「…………」

 何故かルナは黙り込んでいた。おいおい、まさか今の話で気に障ったのか? 別にルナが気にするようなことは何もない、と言うより関係のない話なんだから他人事のように聞いてくれるのかと思ったんだが。

「なんだよ黙り込んで。なんか気に障ったか?」

 沈黙の中、エレベーターが到着した。扉が開く。ルナは無言でその中へと入っていった。

「お、おい。待てよ」

 俺もその後を追うように、エレベーター内部へと脚を踏み入れる。瞬間、閉まる扉。動き出す機械の箱。唸る駆動音が静寂を包み込み――ふと、ルナの口が開く。

「……そっか、死んじゃったんだ」

 顔を伏せて、ルナは呟いた。まさか、俺の両親が死んだってことを気にしているのか?

「ああまあ、そうだけどさ。別にもう俺は気にして――」そこまで言いかけた時だった。瞬間、信じられない出来事が起こった。いや、これは有り得ない光景だと言ってもいい。「ちょ、おいルナ――」

 ルナが俺の胸元に顔を埋めていた。

 おいおいちょっと待て、これはいくらルナでもさすがにまずいものが……。

「……ごめん」ふと、何かが聞こえた。ルナの声だった。「ごめんなさい。わたし、何も知らないで……家族ごっこだなんて、勝手に他人の領域を踏みにじるようなこと、しちゃった」

 ルナはまるで懺悔するかのように呟いて、俺の胸元から離れなかった。沈黙の中、ただエレベーターの駆動音だけがしばらく続いていた。


  ◆


 あのエレベーターの一件の後、ルナの態度は一変して酷いものだった。

「勘違いしないでよね、別に貴方に心を許したとかそんな意味だったんじゃないんだから。なによあれ、背中に手なんか回さないでよね気持ち悪い。わたしにだって色々あったっていうか、それだけなんだから。そこんとこほんと誤解しないで欲しいわね」

 エレベーターから降りて、そそくさと俺の部屋へと入り込んだと思いきや第一声がそれである。天と地ほどの差とはこういうのを言うのだろうか。まあ、照れ隠しみたいで可愛いと思わなくもないんだけど。

「あー、はいはい。解った、解ったから。忘れてやるからもういいだろ?」

「別に忘れろって言うわけじゃないけど」ルナは少し気恥ずかしそうに、「わたしだって、一応悪いことをしたなって思ってるのよ。それは認めるわ。事情も知らずに軽率な行動をとってしまったのは謝る。妹っていうのは駄目だったわね……他に何か、もっといい方法を考えないと」

 何やら気にしなくていいことをルナは気にしているようで、俺としてはどうしてそこまで固執するのか解らないけれど、ルナにはルナの事情がありそうだ。無駄に余計に詮索するのは野暮ってもんだろう。その点に関してはあえて何も言わないでおくとする。

「別に。いいんじゃねえか」

 だけどひとつだけ。たったひとつ、俺は言わなければならない。

「……え? 何が、いいのよ」

「いいだろ、別にさ。家族ごっこ? それがどうした、大いに歓迎だって言ってるんだよ。この話を持ちかけてきたのはルナだけどな、それを認めたのは誰だ。俺だろうが。確かにルナの魔法とやらで俺が洗脳されちまって、そうした上でこんなことになっているとするならそりゃルナに落ち度ってもんが生まれてくるかも知れない。でも、違うだろ。ルナの魔法は俺には効いていないんだから。その上で、効いていない上でこうなることを望んだのは誰だ? 俺だって言ってんだよ。勝手に解釈して一人で考え込むな。俺は別にルナの言いなりになってるわけじゃない。自分の意思でこうしてるんだ」

 確かに、少しは流れに乗ってしまった部分もあるだろう。ああ、それは認めてやる。だけどそれがなんだ。結局俺はルナがいるこの現実を認めた。いてもいいと思った、思ってる――そう、今でもだ。それは決して変わらない。理由なんて知るもんか、そう決めたんだから男に二言はない。

「なに、それ。なんで……そんな風に言えるの」

 ルナは顔を伏せ、呟いた。

「なんでもクソもあるか。それが事実で真実で現実だって、ただそれだけのことだろ? 勝手に自分で思い込んでんじゃねえよ、このばか」

「ばっ……」ルナは急に顔を真っ赤にして、「ばかとは何よ、わたしはこれでも真面目に考えてるのに! 昨日だって本当は嫌だった、何の関係もない貴方をただ自分勝手な都合で巻き込んでしまったことが! だから悩んだ、苦悩した、苦渋した! それで選び出した結論がこれなのよ。これしか思いつかなかったからこうなった、ただそれだけ! それだけなのに……それも間違いだった。わたしは駄目だったのよ、間違ってたんだから。それを自分で気付いて、後悔して……それなのに、どうして貴方はそうも簡単に、いとも容易く、あっさりばっさりと切り捨てられるの。どうして……そんな風に、してくれるの?」

 しなだれるかのように、ルナは床に膝をついた。

「……ルナに何があったのかは知らねえよ。そっちの事情は聞いたこともないから俺には何て言えばいいのか解らない。だけど、これだけは言える。ルナは何も悪くないだろ。昨日俺がその戦いとやらを見てしまったのだって、半分以上は俺のせいなんだから。全てが全て自分のせいだとか思うな。それにさっきも言っただろ。俺は自分で決めたんだ、ルナが妹だってことに何の不満もねえよ。正直にぶっちゃけてやれば一人寂しいところにルナみたいな可愛い妹ができて嬉しいって気持ちも多少はあるんだよ。ルナと一緒にいて、こういうのも悪くねえなって思えてんだよ、悪いか? それのどこが悪い? 悪くねえよな。何が悪いってんだよ」

「……、ばか」ルナは両手を握り締めながら、地面に向かって呟く。「なによ、それじゃこんなに悩んでたわたしが、本当のばかみたいじゃない」

「ああ、違いない。だからばかって言ったんだよ、ほら」

 そう言って、俺は右手を差し出した。別に何の意味もない、ただ手を貸してやろうと思っただけの行為。

「……そうね、今回はわたしの負け。敗北よ、惨敗だわ。……うん、認めてあげる」

「なんだよらしくない。俺の妹なんだって言うならもっと気丈でいろよ。泣いたり悲しんだり、そんなのルナにはまったく似合わない。それぐらいの覚悟、あるんだろ?」

 我ながらちょっとばかりクサい台詞かとも思ったが、それでいい。ルナは俺を見上げながら、その手で俺の右手を握った。力を入れて、俺は彼女を引き上げるように立ち上がらせた。

「うん。……ありがと」

 まだ涙が残る瞳を少し赤く腫らせながら、しかし今までに見たことのないぐらいの笑顔でルナはそう答えた。一瞬だけ、本当に一瞬だけだけれど、俺はそんなルナの姿に見惚れていた。

「でも」ふと、ルナが何かを呟く。繋いでいた俺の手を離すと、今度は不敵な笑みを浮かべながら、彼女は宣言した。

「次は負けないわ。覚悟しなさい、今度はわたしが貴方に泣き面かかせてやるんだから」


  ◆


 夕食(と言ってもコンビニエンスストアで購入したおかずと白飯だけだが)を食べ終わった俺とルナは、各自好き勝手なことをしながら時間を潰していた。風呂には俺が先に入ることになって、その間、ルナはどうやらニュースを見ていたようである。ニュースといえば最近物騒な話題があったな、なんでも連続殺人だとか猟奇的だとか、そんな感じの。案の定、ルナもそんなニュースを見ていた。興味あるんだろうか。まあ、俺も割かし近所での出来事だから結構びびってた時期もあったっけ。今ではすっかり忘却の彼方って感じだが。さっさと犯人逮捕に至って欲しいところだよ、まったく。俺がバスタオル一枚でリビングに出たらそこには案の定ルナがいて、そういやこいついたっけーっ! などと叫びながら慌てて着替えに戻ったりとなかなかスリリングな夜を過ごしつつ、そろそろ就寝という時間までやってきた。はいここで問題です。若き男女二人が一つ屋根の下で寝る場合、もしそんなスペースがひとつしかなかったらどうすればいいんだよちくしょう。

「お前、本当にそこで寝るのか?」

 俺はベッドを指差しながら、すでに準備完了と言わんばかりにごろごろと寝転がっているルナに対して問う。

「うん、そうだけど。何よ、不満でもあるわけ?」

「いやだってそこ俺の寝る場所……ふがっ、ま、枕を投げるな!」

「何口答えしてるのよ、いいからわたしはここで寝るんだからね。他にろくに眠れそうな場所ないし。……なにぼおっと突っ立ってるのよ、寝るんなら早く寝るわよ」

 ……、えっと。

「こんな大きいベッド使っておいて、まさか独り占めするつもりだったわけじゃないでしょうね、兄さん?」

 いやいや、そういう事ではなくてですね、姫。

「なによその不満そうな目は。疑い深そうな顔は。いいから早く電気消してくれない?」

 ああもう、だからそうじゃないんだって!

「……あのよく現状の理解ができないんですが、ようするに一緒に寝ろと言っておられるのでしょうか姫君?」

「ひめ……? 貴方が何言ってるのかいまいちよく分からないけど、ようするに兄さん一人でこのベッドを使うのは勿体無いからわたしも使うって言ってるんだけど?」

「ああそうかなるほど……ってつまりそう言う事じゃねえかああああああああああッ!」

 なんてことだ。まさかこうも早く「お兄ちゃん一緒に寝よっ♪」フラグが成立するとは思ってもいなかった。……いや待て、とりあえず落ち着こう。さすがにそれは怖い。色々な意味で怖すぎる。俺だって健全な一般男子、こんなベッドでこいつと一緒に寝たりなんかしたらどんな間違いが起きてしまうかわからん。つーか起きて欲しくない。後が怖いから。

「……ルナ、それ本気で言ってんの?」

「はあ?」ルナは心底不思議そうに、「別にいいでしょ、それぐらい。これだけ大きいんだから狭いとも思わないだろうし。兄さんだけ寝させるのは癪だし、でもだからといってわたしが占領するわけにもいかないわ。じゃあ一緒に使えばいいだけじゃない、これ以上合理的な方法があるのかしら?」

「むう。まあ、そうなんだが……」

 ああ、そうか――俺は今、ようやく気が付いた。ルナは俺の事を完璧に男として見ていないんだ。設定上で兄となっているからかそのようには接するけれど、それ以上の感情を持ち合わせてない。だからこそ、こうしてベッドを二人で使うだなんてことを平然と言ってのけるわけだ――なんでかは知らないが、その事実に少し俺はいらついた。

「……オッケー。なら話は簡単だよな」

「はあ? 何言ってるのよ?」

「今からお前を襲う!」

「……何、え、ちょ。ちょっと待ってそれは……!」

 がばーっ! と、俺はルナのいるベッドの上へルパンダイヴ決行。ヤケクソ気味にルナの身体目掛けて飛び掛ってやった。

「うわ、や、やだ止めてよちょっと! こ、こんなのナシなんだから……!」

「ふ……どうだ、これでちょっとは俺を男として意識する気になったか、妹よ」

「はあっ!? なるわけないでしょ、このヘンタイ!」

 どか、と思いっきり急所に蹴りを貰う。くそ、ただの冗談だっていうのに本気で蹴りやがった。しまいにはベッドから落とされて尻餅の二段サービスときている。

「痛っつー……、じょ、冗談だって。あまりにルナが無防備過ぎるから――」

 瞬間、俺は見た――ルナが泣いていた、完膚なきまでに。俺を睨みながら枕を抱きしめ、顔を真っ赤に染め上げながら黙り込んで。

「……お、おい。今のはだな、いわゆる兄妹間のスキンシップっつーか、その」

「ばかっ、死んじゃえ! ヘンタイ!」

 顔面に何かが直撃。また枕を投げられた。そしてまたヘンタイ言われてしまった。

「あ……ルナ、ごめ」

「もう寝るんだから! 今日はこっちこないで!」

 扉まで閉められてしまった。これは明日の朝、土下座してでも謝るべきだろう。完全に完璧に最悪に俺のミスだった。……でもなんだろう。さっきのルナは、どこか凄く可愛かった。


  ◆


 そんなわけで、俺は一人リビングで眠ることとなった。一応、両親が生きていた頃に使っていた部屋があるっちゃあるんだが、あの部屋は使わない事にしている。両親が死んでから俺が決めたことだ。一度決めたことは簡単には曲げたくないし、一応枕はあることだし、リビングの床で寝転がりながら窓の外に見える星空を見上げるというのもまたオツなものだろう。

「ま、結局のところ俺はルナが好きなんだろうな……」何気なく呟いた言葉。だがそれは、紛れもない俺の心境を表していた。「……は。会って一日……まあ正確に言えば二日か。それだけでいとも簡単に一人の女に惚れちまうもんなのかね、男ってのは」

 だが、それが俺の気持ちに変わりはなかった。今思えば一目惚れだったのかも知れない。まあ今となってはどうでもいいことではあるが、ルナにそれだけの魅力があることは確かだった。一日こうして一緒に過ごしただけだと言うのに、俺はいつの間にこんなところまできてしまったんだろう。……妹、か。うん、もしかすると俺はルナのことを一人の女としてではなく、ただ単純に妹として好きなのかもしれない。だがそう思えば思うほど、その気持ちは偽りのように思えてくる。あの時感じたもどかしさは、そんなものでは言い表せない。ルナは確実に俺のことを男として見ていないし、きっとこの件が片付くのであれば、俺となんてはいさよなら、永遠の別れとなってもすぐに了承するはずだ。そういう事情が事情だから仕方ないけれど、それでも――やっぱり、それは何だか寂しかった。ああ、別に一人の女として俺の傍にいなくてもいい。ただ今みたいな時間がずっと続いて欲しい、ただそれだけ。高望みはしない。そんな願いも、だがいつかは裏切られる。解っていても、俺にはどうしようもないんだから。

「防人よすまん。お前の言っていたことは割と正解だった」

 まったく自分が情けなくなる。たった一日二日知り合っただけの少女に、これほどの感情を抱いているなんて。

「ま、ここで自分の気持ちをはっきりさせとけば、後で後悔もしない、か」

 月城昴は。自称魔法使いで、自分より三つ年下の少女で、義理の妹である月城ルナに惚れてしまった。そう、それが全てだった。

「オッケー、心の整理完了。……さて、そろそろ寝るか」

 布団もないので、しかたなく床に枕ひとつ置いてそこに頭を乗せる。窓の外は綺麗な星空が浮かんでいて、眺めとしては思っていた通り悪くない。すっかり辺りには誰もいないのか、車の走る音さえ聞こえない深夜。しん、と静まった空間で、俺が目を閉じたその時、


 ちりん、と。鈴のような音がどこからともなく聞こえてきた。


 なんだ今の音は。外からか? いや、とてもそうは思えない――何せここは七階である。外からそんな音が聞こえてくるとは考えられない。それに、あの音色はまるで間近で聞くかのようにはっきりとしていて、何か印象強く脳裏に響き残っている。少し不気味さを感じた俺は、そのせいか完璧に眠気が覚めてしまった。何にせよ、音の原因を調べないとこのままじゃ眠れそうにもない。窓から外を見てみる。空になにかあるってわけでもないし、ベランダに何かいるわけでもない。猫かとも思ったが、よくよく考えればこのマンションはペット禁止なんだっけ、と思い出す。じゃあなんなんだろう。まさか下の地面から聞こえてきたってわけじゃないだろうし、と俺はベランダに出てまっすぐに下を見た。

「……、ん?」

 一瞬見ただけでは何かわからなかった。だが、そう――じっと目を凝らせば見える。人だ――人が確かにそこにいる。黒いフードのようなものを被っていてあまり顔は見えないけれど、確かに見えた。まさかあの鈴の音があそこから聞こえたんだとは思いたくないが、とにかくこんな深夜に人がいるのは絶対におかしい。入り口付近で突っ立っているのにも何かわけがあるのかもしれない。パスコードを忘れてしまって中に入れないとか、そうだとしたら大変だ。俺は上着であるコートだけを寝巻きの上から着て、音を立てないように静かに外へと出た。


  ◆


 マンションの入り口、オートロックドアの向こうには、ベランダから見下ろした時とまったく同じ位置に黒いフードを被った人影があった。

(なんだ、まるで俺を待っていたような……いや、考えすぎか)

 とりあえず話をしてみるか。ドアが開かれ、その先までゆっくりと俺は歩いていく。

「こんな夜中に外にいちゃ風邪ひくぞ。マンションに用があるんだろ? ほら、俺が中に入れてやるから――」ふわり、とその頭を覆い被さっていた黒いフードが下ろされた。そこにいたのは、紛れもなく――見たこともない黒髪の少女だった。「女の子……? どうしてこんなところに」

「……やっと、会えた」少女はまるで呟くようにぼそぼそとした声で、「もうすぐ、記憶が戻ってしまう。……その前に、私はあの魔法使いを倒さなければならない」

「な、なんだって……? 魔法使いって、まさかルナのことか?」

 倒す、と言う事はまさか――この少女がルナの言っていた『敵』だと言うのか。黒いフードの少女は、俺の問いを無視するかのように呟く。

「貴方も時間の問題。今の時間はもうすぐ終わってしまう……。だから。早く貴方も――」

「――誰?」

 ふと背後から声がする。聞き慣れた声――ルナだった。

「貴女、まさか……」ルナは何かに気付いたかのように、「その人から離れなさい! 少しでも触れたら、容赦しないわよ!」

「ルナ、こいつは……」

「ええ、話してた『敵』よ。まったく、まさか向こうからやってくるなんて……!」

 やはりそうだったのか。くそ、我ながらさすがに無警戒過ぎた。少し考えれば、そういった危険性も十二分に考慮できたはずだと言うのに。

「……現状は把握した」黒の少女は言う。「魔法使い、ルナミス=サンクトリア。明日の夜、午前零時に西条公園にて待つ。そこで、しかるべき決闘と決着を」

「あっ、待ちなさい!」

 気付けば、黒の少女は瞬きと共にその場からいなくなっていた。まさか魔法を使ったのか。何にせよ、今この時の危機は回避できたようだ。無事に越したことはない。

「……、くそっ」ルナはらしくもないように吐いて、「一体全体何を考えているのよ、あの魔法使いは……!」

 ルナミス=サンクトリア、と言ったか。おそらくそれがルナの本名だろう。やっぱりどこかの外国の生まれだったか。ふむ、俺の予想は見事的中ってわけだ。このシリアスな場面でそんな事を考えられるのは、やはり嵐が過ぎ去ったからだろうけど、それにしてもさすがにここまでくると俺も魔法使いってもんの存在を認めなければならないようだ。

「……ルナ」俺はここしかないと思い立って、「その、寝る前はごめん。あれはやり過ぎた。反省してる。だからその……許してくれないか?」

 ぽかん、と。何故かルナは俺の顔を見てそんな擬音が相応しい表情をしていた。

「もういいわよ、忘れたから」今度は何か嬉しそうな顔で、「それよりほんといきなりね、びっくりしたわ。さっきまで敵の魔法使いがすぐ目の前にいて、宣戦布告までされたっていうのに……何でそう気楽なのかしら、兄さんは」

 まあ、確かにそう言われればそうなんだけど。俺にとっては、それよりもきっと優先順位が高かったってだけの話だろう。

「ごめん」

「何謝ってるの? なんだからしくもなく下手だけど、もう気にしなくていいって言ってるんだから兄さんも忘れてよね。もお、まったく。ふふ」

 なんだろう、妙に気持ち悪いくらいルナの機嫌がいい気がするんだが俺の気のせいだろうか――いや、気のせいではないと思う。だが何故そんな上機嫌なのかがわからない。すると、ルナはマンションの中へと戻るように一人歩き始める。

「それにしてもあれよね。兄さんってへんな人だとは思ってたけどやっぱりへんよね、うん。ああ、そうそう――ひとつだけ指摘しておくけど」ルナは本当に可愛らしく微笑んで、「独り言はあんまりよろしくないわよ? 特にああいう独り言は、ね」

 ルナはそう言い残して、一人我先にとマンションの中へと戻っていった。

 ……、独り言?

「え、おい。……まさか――ちょ、ちょっと待ってくれルナ。もしかしてお前、聞いてたのか!?」俺の声は届かず、ルナはいつの間にか視界から消えていた。「おいおい冗談だろ、あんな独り言を聞かれてたなんて、それじゃあ……」

 俺はルナを追うようにしてマンションへと入っていく。エレベーターは七階に止まっていたので、ルナはエレベーターを使って上がったのだろう。ボタンを押す。エレベーターはそのまま一つずつ降りてやってくる。

 ――独り言。俺が独り言をしていたとするなら、間違いなくさっき――そう、一人で独白していたあの時の事だ――に違いない。まさかルナのやつ起きていたのか。だとするならさっきあの魔法使いと対峙していたときに突然やってきた事にもつじつまが合う。たぶん俺が出ていったから気になったんだろう。だけど、それはあんまりじゃないだろうか。よりにもよって、あんな独白の内容を聞かれてしまっていたとなると――それじゃあ、告白したのと何ら変わりない。やってしまった、と思う。ルナは間違いなく俺に気がないと言うのに、あんなことを聞かれては間違いなく軽蔑されるだけだろう。ヘンタイどころの話ではない。冗談で抱きつくとか、そういう次元の話じゃないのだから。

 エレベーターが、止まる。

「絶対嫌われたんだろうな、俺。ま、そうだよな……義理とは言え、妹を好きになるやつがどこの国にいるってんだよ」

 ふと、気付く。落ち込んでうつ伏せていた顔を見上げてみると、そこには。

「……え」

 エレベーターのドアが開いた、その先に。


 そこには紛れもなく、ルナがいた。


「なんで、まだ。乗って、るんだよ」

 うまく言葉が出せなかった。ただ目の前の光景に、そして二度目の失態に動揺して。聞かれた、確実に。なんてこった、さっき指摘されたばっかだって言うのに。

「驚かそうと思っただけなんだけど……うん、兄さんはちょっと勘違いしてるみたいね」

 ルナが近付いてくる。何故だかわからないけれど、今の俺はどうしようもなく無力で、

「あの、ね」俺の顔を見上げながら、その金髪の少女は歌うように言う。「好きって言われて、その人のことを嫌いになる人なんて、多分いないんじゃない……?」

「え、ルナ……?」

 解らない。ルナが何を考えているのか解らない。何を言っているのか、何をしているのかが俺には理解できなくて。

「だからね。……わたしは、貴方のこと嫌いじゃないよ」


  ◆


 結局、俺はルナと同じベッドで眠ることになった。別に深い意味はない。ただ単に、リビングじゃ寒いだろうと言うルナの配慮があっただけだし、お互いに頭を逆に向けて寝れば問題ないだろうと言う提案もあったからだ。それなりにでかいベッドなのは事実だから、スペースに困ることはないだろう。二人程度なら十二分に眠れるぐらいの広さはある。

「なあ、ルナ」俺は天井を見上げながら、「……嫌いじゃないっていうのは、好きってことになるのか?」

「なるわけないでしょ、ばか」ルナは即答した。「勘違いしないでよね、わたしは別に嫌いじゃないってだけで好きだとは一言も言ってないんだから。言っておくけど、もし次に何かへんなことしたら今度こそ嫌いになるわよ」

「……だろうな。はは、悪い悪い。へんな事聞いちまって、悪かったよ」

 しばしの沈黙。明かりも消えているし、このまま眠ってしまったもよかったけれど。何故だか、今の俺はそんな気分になれなかった。少しして、俺が口を開く。

「そういや、受けるのか。あの魔法使いが言ってた……決闘ってのには」

「受けるわ。うん、受けないといけない。早く終わらせたいって気持ちもあるし、今日みたいにまたこっちにやってこないとも限らないしね。それにしても迂闊すぎよ兄さんは。もしあっちが見境のない魔法使いだったら殺されてたかもしれないのに」

 耳が痛いが、それは確かに本当のことだった。正直に言って、あの瞬間まで俺は魔法使いという存在を信じ切っていなかった。だからこそ、ああして警戒もせずほいほいと外へ出て行ってしまった。迂闊、確かにその通り。何の言い訳も弁解もできない。

「まあでも、あの魔法使いさえなんとかすればわたしはこっちにいる理由もなくなるからね。……もしかしたら、それでお別れかも」

「な、なんだよそれ? ここにいる理由ってのは、俺を監視するためじゃないのかよ?」

「そうね、そうだけど」ルナは少し寂しげに、「あの魔法使いを倒したら、わたしは一度本国に帰るつもり」

 そんな――それはいくらなんでもあんまりだ。せっかくこうして出会って、好きになって。その次の日にはもうお別れだって、そんなのはあんまりにあんまり過ぎるだろう。

「どうしても……帰るのか?」

「うん、ごめんね。……ほんとなら、もう少しいるつもりだったんだけど。予想より遥かに敵の動きが速かった。正直、ここまで積極的な相手だとは思ってなかったもの。このままもう会うこともないかもって思ってたぐらい。でも、まあ。向こうから出てきたのなら、しっかり相手はしなくちゃいけないし」

 俺は何も言えない。

「そうだ、この際だから話しておこうかな。あのね、『魔法使いはその正体を知られてはならない』ってのね、嘘なの」

「はあ? 何言ってるんだよ、意味がわからないぞ」

「うん。白状しちゃうとね。最初からわたしは貴方の妹になるつもりだった。一時的にね。わかる? わたし、貴方を『利用』しようとしたんだよ」

 おいおい、ちょっと待て。何だ。ルナは何を言ってる?

「たまたまそこにいたのが貴方だった。本当はしたくなかったけれど、するしかなかった。……わたし、あの魔法使いに負けそうだったの」

「なんだって……?」

「だから、逃げる必要があった。なんとしても、ここで負けるわけにはいかなかったから。そのために、ただ単にそこにいた貴方を利用しただけにすぎない」

 限界だった。俺は布団を跳ね飛ばすと、身体を起こしてルナの腕を引っ張った。

「ちょ、ちょっと! 何するのよ、痛いってば!」

「どういうことだよ、ちゃんと全部話せ」

「うん。わかったから、話すから。手、離してよ。痛い」

「あ……、悪い」

「……あの魔法使いと戦ってたってことは、わかるわよね? その結果、わたしは負けそうになった。相手の力量を測り間違えたのか、想像より遥かに相手の実力が高かったのよ。だからとにかく逃げたわ。なんとかして負けないように。逃げるって手段は負けと認められないからね。そして、わたしは貴方をそのときに巻き込んだ」――巻き込んだ。それは、確かにルナが言っていた言葉。「貴方がわたし達の戦いを見ていたっていうのは本当。その場にいた貴方をわたしが巻き込んだのも本当。だから別に嘘はついてないの、その点に関して言えばね。相手からしてみれば、わたしが連れて逃げたのは一般人。無為に危害を加えることをためらったのね。それ以上追跡はしてこなかった。本当なら貴方の役割はそこまで、それで終わるはずだったんだけど、ふと考えたの。このままわたしの『言葉の魔法(ワードオブマジック)』を使って、貴方にわたしが前からいる家族だと認識させることができれば、うまくすれば隠れ蓑を作れる、ってね。よくあるパターンよ。一般人を洗脳してその家庭にイレギュラーとして短期間の間あくまで自然に割り込む。そうすることで宿や隠れ場所を確保する。……それだけのためだった。貴方の妹になるなんて理由は、本当にそれだけだった」

「じゃあ、何だよ」俺は少しぶっきらぼうな口調で、「俺を巻き込んで後悔してるって、悩んで苦悩して選んだんだって、仕方がなかったんだっていうあの言葉は全部嘘だったっていうのかよ?」

 学校から帰宅してきたあの時、確かにルナはそう言っていた。あれは全部嘘だったって、そう言うのか。

「……信じてもらえないかもしれないけど、あれは全部本当。わたしは後悔したわ。こうして貴方を巻き込んでしまったことを。ただここを隠れ場所にするためだけに、貴方の事情も知らずに勝手に家族ごっこをした。ほんと、自分でも情けないし馬鹿げたことをしたって反省してる。それは嘘偽りなく真実。信じてくれないとは、思うけど」

 そうか。だからあの時、ルナは異様に反応していたのだろう。自分の目的のためだけに俺を利用した、そのことに関してずっと罪の意識を背負ってきながら、あの話を聞いてきっとそれが背負いきれなくなった。

「……信じるよ。俺は、信じる」

 俺はルナを信じたい。こうして話してくれているのだから、それにはきっと偽りはないと思うから。

「うん、ありがと。……最初はね、本当に利用するつもりだけだった。でも『言葉の魔法(ワードオブマジック)』が効いていないって解った瞬間、戸惑いもしたけど、同時に安堵もしたの。これならきっとやり直せる、って。だから本当はその場で全て打ち明けるつもりだった。……でも誤算が起きた。貴方が昨日のことを何一つ覚えていなかったのよ。それを知って、わたしはまだいけると思ってしまった。なんとか少しだけでもここにいようと思ってしまった。だから、あまり昨日のことについて触れたりはしなかった。そして同時に、昨日のことを思い出せば、この関係はすぐに壊れる。そう、それを解っていたからこそ、わたしはそうすることに決めたの」

 なんらかのショックで一時的に消えてしまった俺の昨日の記憶。それが戻れば、確かに俺は理解できる。ルナが何者で、俺がどういった扱いをされているのか。そうだ――もし俺がそれをその場で思い出していれば、確実にルナを放り出していただろう。ルナとここまで接しあうことはなかった。失われた記憶が作り出した、なんとも矛盾な関係。それが、俺とルナの関係だったって言うのか。

「確かに、俺の記憶がそのときにあったなら今と違う未来になってたかも知れない。でも今は違うだろ。俺はこうしてルナと共にいる。妹だってことを認めている。一緒にいたいと今でも思ってる。こうやって真実を知った上でも俺の気持ちに変わりはないんだよ」

「でも」ルナはそんな俺の言葉を遮るように、「わたしのやったことは結局おんなじなのよ。貴方を利用して、貴方を騙して。そんなやつと、これ以上一緒になんていられる?」

「いられるだろ」即答してやった。「だって、俺はルナの事が好きなんだから」

 少しの間。ルナは俺の顔を見つめると、目を丸くして頬を赤く染めていた。ここしかないと、俺は言葉を続ける。

「ルナの事情はわかった。確かにルナのやったことは少し間違っていたのかもしれない。でも仕方ないだろ。誰だって生きたい、逃げ延びたいと思うのは普通のことだ。俺だってそうするさ、たぶん間違いなくな。だから別に気にすることはないんだよ。襲われて戦って、それで逃げるために、ルナが助かるために俺が役に立ったって言うんなら、今の俺にとってそれは本望だ」

「……本当に、どうして貴方はそんなことを平然と言えるのよ。おかしいわよ、そんなの。自分が利用されたって、嘘つかれて騙されていたって知って、それでもわたしといることを選ぶなんて、普通じゃないわ。ばかよ、大ばかじゃないの」

「そうだな。ばかだ、俺は大ばかだろうよ。でも、ルナだってばかだ」

 そう言って、俺はルナの手を握った。何気なく、さり気なく。ただ、そうすることが自然だというように。ルナは特に何かいうわけでもなく、その手を握り返してくる。

「……そうね。そういえばわたし達、二人揃ってばかなんだった」

 そう言って微笑み、ルナはそのまま身体を預けてきた。

「っちょ、ルナ……?」

「もう寝る……話したら一気に力が抜けちゃった……おやすみ……」

 とか言いながら、数秒で眠りの世界へと突入してしまわれた。なんつースピードだ。もしかして今まで相当眠いのを我慢していたんだろうか。

「……ああ、おやすみ。ルナ」

 そっとルナの髪を撫でる。そうしているうちに、いつの間にか襲い掛かってきていた睡魔に負け、俺もルナと共に眠りの淵へと落ちていくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ