トントン拍子の反比例
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あのカルテット演奏会のあと、その演奏を聴いていた有名音大の先生が声をかけてきて、ピアノとの二重奏で公演をやった。それが国内音楽メディアに引っかかって、遅咲きの山桜なんていう名前をつけられ、特集なんかを組まれた。そこまではトントン拍子だったが、それからさきはもっとトントン拍子だった。個人公演やピアノとの合同公演を繰り返すうちに、名はドンドンと売れていき、世界で有数の音楽雑誌には「野性味あふれる優しい演奏。遅咲きの逸材」としてサクッと載った。音楽業界でこんなにもトントン拍子で有名になることが珍しいのは自分でも自覚していた。でも、それと同時並行的に彼女にはひどい変化があった。病院食はどんどんと固形のものがなくなり、ただでさえ痩せていた体は細くなっていき、ついには点滴のみになった。会いにいくたび、ひどく変わっていく。忙しくなったせいで、段々と行ける回数が減るというのもその目まぐるしい変化を感じる理由のひとつでもあった。しかし、変わらないことがあった。俺が来るときは少しでも自分をよく見せようと、母親に化粧をしてもらい、元気に振舞うのだ。弱気な彼女はあの倒れた時に、自分の死期を悟っていたときから見ていない。俺ばかりが彼女を心の支えにしてしまっている。頼むから……君も僕を頼ってくれ……。
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ある時、渡欧ツアーと海外でのCD収録が決まった。その時、彼女は口に呼吸用のマスクをつけていた。彼女の死に目にせめて立ち会いたいと思っていたが、彼女がどうしても行けというので行くことにした。いつもそうだ、彼女の思いに従うことしかできない。そんな自分への不満が少しありながら、俺は彼女が死んでしまうかもしれないという現実から目を背けて、渡欧をした。
ヨーロッパの旅はとても素晴らしいものだった。どこに行っても、公演が終わるたび、海外の音楽好きのブログは更新され、絶賛してくれる。国を跨いで何度も聴きに来てくれるファンもいた。素直に嬉しく思いながらも、この成功の裏には彼女がいることを忘れてはいなかった。CDの収録を済ませて、俺はそのレコーディングスタジオに頼み込み、至急デモCDを一枚もらった。そして、残りのことを俺のコーディネイトをしてくれている人に頼み、日本に帰国し彼女のもとに向かった。
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病室に入ると、彼女のベッドは両親と医者と看護師に囲まれていた。彼女にはもう意識はなく、人工呼吸器と点滴によって延命されているだけだった。愕然とした。そんな俺の姿を見て、彼女の母親は俺に黒いインクペンを渡した。
「あの子の最後の願いを聞いてあげてください」
俺はそっと頷くと、そのペンでデモCDに『才葉楠雄』と書いた。それをケースに入れたまま、彼女の手に握らせてあげた。そのあと、俺はそんな彼女の口元にキスをした。なんだか、彼女の顔は少し笑ったように見えた。
その数十分後、田所由紀は二十一才という年齢で亡くなった。君が僕に残してくれたものは沢山あった。一つや二つじゃない。君への恩は一生を使っても返せないものだった。彼女が今もそばに居てくれたらと思う日々が続くと思うと怖い。でも、そんな恐怖と同じくらい、彼女が天国から見守ってくれているような気がして、俺には安心感があった。